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2018/07/16 「暑中おみまい申し上げます」って、 「Take Hot You~(テイク・ホット・ユー・~)」でいいのかなぁ。                   まちがっていない……よね?
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で、もう1枚載せていただいたのが、こちら。

転生三国志~卑弥呼さま~


『転生三国志』に登場した卑弥呼さまにあらせられます。

 このお方の登場は、最初から期待しておりましたー。
 物語としての『三国志』にはまったく関係なく、
魏の歴史書の、東夷――東の蛮族程度の意味でございますな――
について書かれた文章に、ちょこっと載っているだけではございますので、
無理かも、と思う一方、
やはり、日本で作られた、日本を舞台にしたTRPGでございますから、
何らかの立ち位置(ポジション)で出現の可能性はあるだろうと……。

 TRPGでございますから、
プレイグループによって描かれ方に違いはございましょうが、
そこはやはり、重要な役割を担っていただきたいものでございます。

 ちなみに、秦の始皇帝は、このゲームでの絵が見当たらなかったので、
『スピタのコピタの!』の『転生三国志』の回を参考にさせていただきました。
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 またまた、性懲りもなく、
 もっともらしくもいい加減な仮説を書いてみたいと思います。

 さて、
 仮面ライダーが、紆余曲折を経て、あのスタイルになったことはご存じですな。

 ですが、石ノ森章太郎先生は、『スカルマン』――ドクロの仮面ですな――
を推していたのに、それがなぜバッタの怪人になったのでございましょうか?

 スポンサー受けが悪いなどの理由で、ドクロが否定されたのは分かっております。

 でも、なぜバッタ

 だいたい、あのマスクを見て、バッタと思う方は少ないですよね。

 あの目の大きさを見たら、トンボあたりと思うのが普通なのではないでしょうか。

 では、それでもなぜバッタなのか。

 それには、こんな理由があったのだと思うのでございます。

 骸骨モチーフを否定された石ノ森先生は、その代価案を考えました。
 一流かつ多作の先生のことでございますから、
 いくつものアイデアが出てきたと思いますが、
 その中に次のようなものがあったのではございませんでしょうか。

 その時以前の、日本の有名なドクロのヒーローと言えば、紙芝居から誕生した、

『黄金バット』がございますな。

 当然石ノ森先生もご存じのはずでございます。

 で、

 黄金バット、バット、バット……。

 バットマン……。じゃ、まずいなぁ……。

 バット、バット、バット。

 バッタ

 バッタ男。
 
 てなわけで、ドクロ男がバッタ男になったのではございませんでしょうか?


 実際、石ノ森先生は、

「超能力」→「チョウ能力」と、サナギから蝶に変身する『イナズマン』を、

「機械」→「奇怪」で、左右非対称『キカイダー』

(このあたりは、原作マンガの中でほのめかされておりますな)、

地口から発想することも多い方でございます。

ですから、「バットマン」から「バッタ男」が出てきても何の不思議はないかと……。


 実際、と申しますか、
原作の『仮面ライダー』には、『バットマン』由来と思われる設定がございます。

 大邸宅に住み、忠実な老執事がいるですとか、地下に研究所を持っているですとか。

 TVシリーズの本郷猛さんにはそんな環境にいないことからも分かるとおり、
 これらは『仮面ライダー』と分かちがたい設定というわけではございますまい。
 ゴシックな感じがホラーテイストに合うとか、
 研究所の存在意図も作中で述べられておるとは申せ、でございます。


 さらに申せば、

 もしかするとテレビシリーズの1話と2話が、『蜘蛛男』『蝙蝠男』なのも、

『スパイダーマン』や『バットマン』への対抗意識なのかもしれません。

(『蜘蛛男』が江戸川乱歩先生の著作にあるとしても、
 それを掛け合わせて、ということは考えられることでございます)

 この2つのデザイン画は、石ノ森先生がお描きになったそうですが、
「サソリ男」はそうではないようでございますから、
そのあたりから考えてみましても……。
仮面ライダー

 むろん石ノ森先生は、アメコミを
読んでいらっしゃったでしょう。
 ですから、そうした対抗意識や引用は
「バットマン」→「バッタ男」説は
抜きにしても、あるかもしれません。



☆ こういうことを書くと、パクリとか
  いう方もおられるかもしれませんが、
  ほとんどの人が気づかない
  こういうものは、パクリではなくて
  アレンジ力
というものでございます。

  またいつか話題にすることもござい
  ましょうが、一流のプロ方は、
  こういうのが本当にうまい。

  自家薬籠中のものと
  してしまうわけですな。

  わたくしのようなものがやると、
  単なるパロディにしかならないので
  ございますが。






 コメントを書いている時に思いついたのでございますが、

 別に知らなくてもいいこととはいえ、
どんな方なのかな~って、気になることってありますよね?
 たとえば「Role&Roll」vol.2 p.020安田均先生が、
RPGリプレイを始めたきっかけとして、

「1984年頃。(……)当時、RPGを遊んでいたサークルで、
あまりに楽しかったからと、カセットテープにセッションを録音した女性がいたのである(……)。しかも、それを持って帰って、自分の楽しみのために書き起こしているという。
 それを聞いた時、RPGリプレイというのが、天啓のごとく閃いた。」

 とか書いてあると、
その方ってどういう人なの~って、ちょっと気になるじゃないですか。


 よくわからない事情があって、書けないのかもしれませんけど……。


ねっ。


 ゲームブックの何が面白いかについては、人それぞれだと思います。

 ある方はTRPGとしての楽しさを説きますし、
パズル的な面白さが好きな人もおられましょう。
 変な展開や雑に作られた部分を面白がる方もいらっしゃるかと存じます。

 わたくしといたしましては、以下の二つを挙げておくことにいたしましょう!

 まず一つ目は、すべてを見ることができるということ。

 電源のアドベンチャーゲームでは、プログラムが読めるなど特殊能力がないかぎり、
意外とこれができないのですよね。
 自分がプレイした範囲では、たとえばpsp版『かまいたちの夜』には、
自動でフローチャートが出来てゆく機能がございましたが、
条件がフラグによって整ったのか、それともランダムなのかわからないところがある。

『428』(psp版)なども、隠し要素に到達するためには
(『ドアドア』に到達するためにはなおさら)、攻略本を読まないとどうにもならない。

 そうではない作品もあるかもしれませんが、
とりあえずゲームブックならどう転んでも……。

 あっ。

 サイトにアクセスして何らかの手続きをしないと先に進めない、
というたぐいの作品を除いては、
どう転んでも、すべてを見ることが出来るわけでございますな。

 制作者、特にソロプレイやパズルとして作っていらっしゃる方々にとりましては、
それは欠点かもしれませんが、
わたくしといたしましては、それがゲームブックのいい点なのでございます。

 すべてを見ることが出来るということは、
全体を通して見ることが出来るということでございます。

 あるルートではこうだったけれど、別のルートではこういう展開を見せていたとか、
別のエンドやバッドエンドではこのような展開になっていてた。

 そういう、多彩な展開や全体としてみた場合の分岐の楽しさ
(意図的かそうでないかを問わず)が、一つの楽しさだと思っております。

 もう一つは……、
自分で作れる……かもしれないというところ。
でございますかねぇ……。

 もちろんこれは、そのままの意味で自作できるかもしれない、
というのもございますが……、

 作れていないですからねぇ……。

 まぁ、そのあたりは心に棚を作って(←伊吹三郎さん(『炎の転校生』)の格言)
おくといたしまして、

 いろいろな方が、それぞれの考えで作ることができるということでございます。

 コンピュータのゲームは、その知識がないと出来ませんし、
ツールは出来る人の幅を広げてはくれるでしょうが、やはり限界ございますものね。

 ゲームブックの場合、紙という制約がある落書き。ロッコちゃん
(アイデアさえあれば、それも取り払ってもいいので
ございますよ)ものの、その中でなら、何をやっても
いいのでございますものな。

 欄外を使ってもいいですし、付録や別の本との連動
もいい。
 
 コンピュータやイベントの連動というのもございま
すな。そこまでまいりますと、ゲームブックが主では
なくなる可能性もございますが……。

 まぁ要するに、ゲームブックにはさまざまなタイプ
のものがございますし、
さまざまな可能性がある
ということでございますよ。

 それが面白いし、また楽しみでもございますな。


                     (↑落書き~。ロッコちゃん)


ファミコン冒険ゲームブックシリーズ12

『ミシシッピー殺人事件/リバーボートの冒険』

樋口明雄/S・ハード(双葉文庫/昭和六二年五月)


ミシシッピー殺人事件/リバーボートの冒険


というわけで、「ゲームブック五段活用」の時に触れた
『ミシシッピー殺人事件/リバーボートの冒険』について、書いてみましょう!

 プレイした樋口明雄先生のゲームブックの中で個人的ベスト。
いや、そのくくりを無くしても上位に行くような名作と申してよろしいでしょう。

 のちに冒険小説をものにする作者が、
当時本当に書きたかったのはこういう作品ではないか、
とわたくし密かに思っております。


 同年十二月に上梓された『ヴァイケルの魔城』のあとがきには、

 今回、初めてのオリジナルゲームブックということで、
どういう話にしようかと考えました。
 まずは、子供を主人公にしたい。
 それも、大人に憧れながらも、子供であることを謳歌できるような年頃。
つまり十二、十三才の少年たち。彼らが相手にするのが同じ子供だとすれば、
ただの「わんぱく戦争」のお話になってしまう。
当然、彼らの敵にまわるのは、悪い大人たち。
――ただし、人間を出すよりは魔物を相手にしたほうが、より面白くなる。

 などと書かれておりますが、「魔物を相手にした」
『ヴァイケル~』や『ドラゴンクエストⅡ』(こちらも同年)などよりも、
それらが出てこないこの作品のほうが、より魅力的に感じるのでございます。

 それは、この物語の背景である西部劇やマーク・トウェインの世界を、
先生が本当に愛しているからでございましょうな。

 それらを単なる知識としてではなく、
自家薬籠中のものとしているからこそ、
その土壌を養分として、
少年たちを生き生きと描けているのだと思うのでございます。




 さて、物語は、
原作(アクティビィジョン版、というよりもファミコン版……かな?)の事件が
解決したところから始まります。

「デルタ・プリンセス」号がニューオリンズに入港し、
乗客たちが下船しているまさにそのとき!
 原作での犯人が何者かに射殺されてしまうのでございます。

 偶然居合わせた主人公二人、ジムとラリーは、
容疑者として警察に連れて行かれた知り合いの女性の濡れ衣を晴らすため、
犯人捜しに乗り出すのでございますが……。



 物語は二部に分かれ、
二人の主役がそれぞれの主人公を務めるという構成になっております。
  
 前半の主人公はジム。
 主に「犯人はどこから被害者を撃ったのか」を推理するのが目的となります。

 とは申せ、推理よりも行動が主体。
 それによって次第に事実が明らかになっていくのでございます。

 重要な手がかりや事実は、太字で書かれていて親切――
 と申しますよりも、むしろ必要なのでございましょう。

 原作を踏まえながら、さらなる大きな事件に発展していく話でございますから、
重要ポイントを押さえておかないと、話が分からなってしまうのでございます。

 で、そうした調査の過程で、
マーク・トゥエイン先生と知り合いになり、悪漢三人組から追いかけられ……。

 この「悪い奴から逃げ回りながら調査」という点が、
このゲームブック全体の面白さとなっております。

 特に、廃屋で殺し屋たちに追いかけられるシーンが前半の山場ですな。

 プロローグを読んでいれば、
ここでそのことが役に立ち、悪漢たちから逃げおおすことができる
という仕掛けがあるのでございます(それを経過しないルートもございますが)。

 けっこうおりますからなぁ。
プロローグとか読まないで、パラグラフ1からはじめちゃう人って。

 プロローグにヒントと言えば、
FF23アイフォーさんとかが有名でございますが、

それよりも提示の仕方がずっとスマートでございますな
(いや、この場合、あっちの方がアレなのでございますが……)。

 前半最後、パラグラフ298では、そこまでの調査を総合して、
弾丸が建物から飛んできたか、船から飛んできたかを
推理するシーンがございます。

ここで間違えると「UNHAPPY END」
成功すると次に続くわけでございます。


 どちらが正解かは申せませんが、
 ここで港湾事務所に駆け込むと、船はまさに出航しようというところ。

 ここまでに時間を費やしすぎておりますと
「デルタ・プリンセス」をお見送りしながら、
やはり「UNHAPPY END」と相成ってしまいます。


それもクリアすると、パラグラフ14で船にジャンプ。
 
「アメリカには、こんなことわざがある。『子供と馬鹿者は神様が守っている』
 ぼくらはその両方だ。何とかなるさ。」

 こういう気の利いた文章が各所に織り込まれていて、
それがこの作品をしゃれたものにしておりますな。


 さて、そうして前半終了。
 主人公はラリーとなり、船内で事件の真犯人を捜す後半へと移ります。

 マーク・トゥエイン先生に助けられたりするものの、
密航者でございますし、何やら背後にある事件を解決しようというのですからな。

 狭い船内での隠れながらの捜査と追いかけっこが、
少年冒険ものらしい楽しさを出しております。

 で、その過程で、新事実が次々と明らかになっていくのでございます。
 この間紹介した、「ユーズド・ゲームズ」の記事では

ユーズド・ゲームズVOL.16 p.8
「無意味に濃くて困る」
が、

「結局事件の真相には
何一つ関わってこない。
なら無理に入れるなよ。」(p.8-9)

と評された原作の基本設定が、

「実はこうだった」とどんどん
上書きされていくのでございます。

 意外な人間関係が明らかにされ、
その裏に隠された真相が
明らかになっていく――。

そうやって
『ミシシッピー殺人事件』に、
オリジナルの解決をつけている
のでございます。
↑「ユーズド・ゲームズvol.16」 p.8


 
凶器に関しては、この作品の中心読者と思われる層には少々難しそう。

 というか、西部劇ファンでなければ無理というものかもしれません。
 ですが、これがクライマックスで重要な意味を持ってまいります。
 この名銃でなければならないのですな。

 というわけで、クライマックス。

 マーク・トゥエイン先生が捨て身で子供たちを助け、
ミシシッピー殺人事件/リバーボートの冒険

真犯人と

少年たちの追いかけっこも頂点に達し――。

下船したはずの探偵も登場。

謎だった人物の
意外な正体も明らかになり――。


そして、
真犯人とその謎の人物との対決。

これがやたらとカッコいい。

よくTRPGでは、PCが関われない、NPCだけの場面はいけないと申しますけれど、ここは違いますな。

 2人の対決は旧い時代に生きる大人たちの生き様を子供たちに伝えているのでございます。

 対決のあと、旧い時代の終わりを感じて、ラリーは夢が崩れる思いを抱きます。                                                                    (↑犯人の名前消しておきました~!)
                                                                                                 
 それを受けて、マーク・トゥエイン先生のセリフからエピローグは始まります。

「古いものと新しいもの、その入れ代わり、
君らは、そんな時代を生き、また、そんな場所に生活している」
……。

 西部劇やマーク・トゥエインのロマンティックな時代は終わり、
 新しい時代がやってくる。
 古い時代の良さは残さなければならないが、
 新しい時代は、新しい時代の良さがある。
 ともあれ、君たちは1人の女性を救う冒険をした。
 このことは、君たちが大人になっても、輝かしい栄光として残るだろう。

 そのようなことを先生は申します。

 そして、
主人公が、仲間とともに新しい時代を生きていくことを予感させてエンド。

「ただ今、ちょうど二尋(マーク・トゥエイン)!」水先案内人の声が応える。
 ジムは驚いた顔で、作家を見た。コーン・パイプの男はニヤリと笑った。

 結びはこれでございます。
 
「マーク・トウェイン」(水深二尋)は、
「蒸気船が座礁せず安全に通航できる限界の浅さ」と、
ウィキペディアにございましたから、ここは、
マーク・トウェインのペンネームの由来を挟むと同時に、
少年たちの前途を予感もしくは祝福した暗喩が
込められているのかもしれませんな。






☆ ところで主人公たちをつけ狙う殺し屋3人組は、
「投げナイフ」を武器にしているのですが、
いったいどうしてなのでございましょうねぇ?






追記:

ちなみに、原作の原作である「マーダー・オン・ザ・ミシシッピー」(アクティビジョン)については、「月刊Bug News」誌1986年10月号にございます。
(「チャールズ卿の手帖」津田宏(p.52-55))
 そこではこのゲーム、ジョイスティックで操作できること、 メモを取れること
などが評価されているようですな。
 おそらく、このジョイスティックで操作できるという点が、
ファミコン版が作られる決め手になったのではないかと――。

 にしても、同年にファミコン版が出ているのですから、早いですなぁ……。


 さらにちなみに、同誌のその月の「編集部が選んだ、おすすめゲームソフト」では第4位となっております。


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