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2017/11/21 Role&Rollvol.158。投稿した絵が載って良かった良かった。電子郵便なんてほとんど使っておりませんし。それに絵を添えつけるなんて、ほとんど初めてでございましたもの。採用されていなかったら、すぐさま絵を封筒に入れて、ポストに急ぐところでございました。
[1] [2]

「俺たちの俺」 京極夏彦 (「奇想天外21世紀版」P.193209所収)


 


「奇想天外」の話は、前回で終わるつもりでしたが、京極先生が、形式において変わった短編を書いているので、ちょっと触れておきましょう。


この「俺たちの俺」という作品は、「目が醒めると俺がいた」という書き出しがすべてを表しておりますが。まぁ、そういう話なのでございます。


形式における工夫と申すのは、見開きの片方のページに「俺」、もう一方にもう一人の「俺」の一人称で描かれているということでございます。


つまり、右と左とで視点が違うのですな。


それを貫いていれば、すごいのでございますが、3章ぐらいで話が動き出しますと、形式は維持しているものの、視点の区別はない一続きの話となり、それがちょっと残念。


最初の形を維持するのは難しかったのでしょうなぁ。


にしても、ラストだけは再びもとの形式に戻って、それぞれの視点で話を展開してほしかったところでございます。で、それぞれの「俺」が生き残る、別の結末が用意されていても良かったような。


 形式には手を加えないとしても、ラストの一章はどちらがどちらか分からない描写にして、結末を読者にゆだねるリドルストーリーの形にした方が、この作品には合っているのではございませんでしょうか。


 そう思うのでございます。


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篠田節子
(2008/12 新潮社)
"The Seisen-shinpo-Kai Case"

p.117まで



 インドネシアの工場の暴動のくだりは、
現地の信仰を無視して、聖泉真法会のやり方を押し付けたことによる不満が原因だった。
 このあたり、第二次大戦下の日本の植民地経営を思わせる。

 もちろんこれは、鈴木の指示によるものではない。
 鈴木は、他の宗教と軋轢(あつれき)から起こるトラブルを見越して、
そうしたことを一切避けてきた。

 だが、工場をまかされた森田の部下が、そうしたことをまったく理解しないで、
良かれと思って独断で行なったことだった。

 それがきっかけとなったように、
これまでうまく避けてきたと思っていた地雷が、連鎖的に爆破し始める。

 宗教関係の物品販売業者、ヴィハーラとのやり取りに関する税務署の査察。
 大宗教団体「恵法三倫会」の教祖、回向法儒との黒い噂。
(単に、一度会って脅しを受けただけなのだが)

 マスコミによってそれらは大きく取り上げられ、
あることないこと書かれることとなる。

 一部の信者がそれに反応し、出版社に押しかけたことが、火に油を注いだ。
 マスコミはさらに鈴木を追い込み、
そうした中、彼はひとつのトリックに引っかかって、芸能レポーターのインタビューに答えてしまう。
 そのコメントは切り貼りされ、無責任な発言に編集されてしまう。

 マスコミの攻勢はさらに激しくなり、
 それに応ずるように、信者は激減する。

  一部の信者が起こしたことでも、自分のあずかり知らぬところで起ったことであっても、
すべては教団の、教祖のせいとされてしまう。
 まぁ、団体というものはどのようなものでもそうだが、
宗教団体のようなうさんくさい存在ともなると、その風当たりが強くなるのも当然のことだ。

 そして、世間から外れているがゆえに、そうした風聞に弱いのもこうした団体だ。
 宗教は、信仰に支えられているがゆえに、
その信頼がいつわりだと思われてしまえば、すぐさま信者に去られてしまう。

 追い討ちをかけるようにを、森田の会社が去っていった。
 社長の交替劇があり、増谷も無償で貸与されていた会館も失うことになる。
 さらに、別の信者から贈与された土地も、彼女の願いを聞いて返してしまう。

 聖泉真法会に残されたものは、中野新橋の集会所と、少数の残った信者……。

 元の木阿弥というやつだ。

 もう少し、順調に、もっと大きい教団に成長していくのかと思ったのだが、瓦解は意外に早かった。
 そんなものかもしれないが、ここまでで下巻の百ページと少し。
 あと、三百数十ページある。

 大きくなった教団がつぶれて終わり、という話かと思っていたが、そうではないようだ。

 少数残った信者は動きをはじめているし、活動は続くのだろう。
 いったい、どのように展開していくのだろうか?
 
 

篠田節子
(2008/12 新潮社)
"The Seisen-shinpo-Kai Case"

(p.284~上巻読了まで)



 話の中で、二年という言葉が出てくる。
 聖泉真法会をはじめてから、二年の歳月が経っているのだ。

 そのあいだ運営を続けてこれたのならば、
それほど大きなトラブルも出なくなってくるだろうし、
その対処の仕方も要領が見えてくる頃だろう。
信者たちだって、互いに不満をもちながらも何とかやっているはずだ。
 集会所のほうのエピソードが少なくなっていくのは、そうした事情もあるのだろう。

 とはいえ、それらがなくなったわけではない。
 大きな動きの中に、さまざまなエピソードが盛り込まれる。

 宗教に超能力をもとめる竹内由宇太という最初からいた少年は、
未明に集会所で呪詛を試みてボヤ騒ぎを起こし、
そこを飛び出し修験者系教団に入り、そこをも出て、高野山中で遭難死する。

 集会所を飛び出すとき、
鈴木は、本音を語ってまで彼にまともな生き方をするように説いたのだが、
それが結局聞き入れられず、このような形になってしまった……。
 そのことに悔恨し、自分の作った偽の宗教に真摯な想いで祈りを捧げる。


 集会所にたむろしていた若者は、
一時的に、ヴェハーラという宗教関係の物品販売業者に借り出される。
 税金対策に、頭数(あたまかず)をそろえるために集められたのだが、
意外にも彼らは、一人前並の働きをする。
 そして仕事をすることによって、彼らの様子もどことなく生気が現れるようになった。
 まあ、そうだよね。
 そういうものだ。

 こういうエピソードを挿入するあたりも、作者が宗教団体をつうじて、
さまざまな世相の問題を取り上げていくという意欲を感じる。


 かつて、芥川賞をとったという井坂は、破滅型の典型だ。
 正業に就かず、寸借詐欺のようなことを繰り返し、
金を手にしたら派手に使い、妻や幼い病気の子供をつれたまま野宿をする。
 しかし、文章は確かに一流で、話もうまく、
会報に載った彼の文章や講演は信者の間で高い評価を呼ぶ。

 何となく「一杯のかけそば」を思い出した。
 そんなによくは知らないが……。

 そんな男に、鈴木は神戸の支部をまかせることにする。
 支部の土地、建物の持ち主の願いでもあるが、
井坂の行状には目をつぶり、その人気を利用しようと、
鈴木はその依頼を了承し、彼を神戸へと向かわせる。
 それは、井坂が、教団の実務担当である増谷(森田の会社から出向してきた人物)
と折り合いが悪かったためでもあるのだが、
結果は大失敗に終わる。

 このエピソード、フィクションだから誇張しているのだろうが、作者の
文学に対する信頼が強すぎるような気もする。
 きわめて文学性が高い文章というものは確かに存在するが、
それが本もろくに読んだことがないような人にまで読む気にさせ、感動させることが出来るのか……。

 ん……。

 正直どうなのだろう。
 よくわからない。

   ※   ※   ※


 と、上巻の感想はここで終わり、

 上巻のラストは、森田の会社のインドネシアの工場が
暴動で焼かれたというニュースが入って終わる。

 で、
 ここで図書館へ本を返さないとならないので、いったん終了。
下巻の感想は、それを借りてきてからということになるでしょう。

 いつになるかは、さっぱりわかりません。

 すぐかもしれないし、ずっと先のことになるかも。
 いずれにせよ、そちらの感想も書く予定です。

 


篠田節子
(2008/12 新潮社)
"The Seisen-shinpo-Kai Case"

(p.284~上巻読了まで)


 正直、こういう展開は予想していなかった。
多少信者は増えるものの、中野新橋の集会所のレベルで分裂が起こり、
信者が何かとんでもないことをして、それを収拾できないままに崩壊する、
というシナリオを予想していたのだ。
 そういう可能性をこの会は内包しているし、
それでも物語として充分に面白いと思うからだ。

 だが、この小説は、さらに上を行ってくれた。

 森田の会社と知り合ったところから、
教団は成長を著(いちじる)しくし、ベンツを乗り回せるぐらいという、鈴木の夢以上の規模となった。

 それによって教団は、より危険な、新たな道に踏み込むことになる。

 中野新橋の集会所が中心だったこれまでは、信者の人間関係や個人的な問題といった、
教団内に抱え込んだトラブルが多かったが、
 森田が無償貸与してくれた礼拝所が出来、教団が規模を広げるようになってからは、
物語の中心は、対外的なものに移ることになる。

 それまでは、
せまい中での濃密な人と人とのやりとりから生ずるいさかいや、
個々の性格から来る事件だったのだが、
そうした話は次第に薄れ、
教団運営に関する問題が中心となってくる。

 宗教団体というせまく、しかし濃密な場所を舞台として、
作者は現代に存在するさまざまな問題を描こうとしているのかな、
と思ったが、ここに至ってわかった。
 それ以上だ。
 作者は、そうしたことも含めて、
宗教にかかわるあらゆる問題を描き出そうとしているのだ。

 鈴木は、成長しつつある教団の舵取りをしつつ、さまざまな申し出や事件に出くわしていく。

 うさんくさいところもある宗教関係の業者だったり、
森田のように施設の貸与を申し出る人物だったり、
宗教界の大物だったり……。

 あたり一面、どこをとっても危険が感じられる。
 だが、そのどれが本当に危険で、どれが成功への道筋かはわからない。
 時間は限られている。
 しかも進めば進むほど、トラブルの埋まった場所は、多く、大きくなっていくのだ。

 マインスイーパーだな、と思う。
 それを鈴木は、すばやく、的確に処理していかなければならないのだ。

 中野新橋の集会所を中心とした話では、
その人間関係が複雑に絡み合った中から事件が起こっていたが、
ここでは次々と申し出やトラブル、あるいはそれを予感させる前兆が舞い込み、
それを鈴木がひとつひとつ(でもないが)解決していく、イベントクリア的な流れを感じさせる。

 それまでとは、方向性が違うのだ。


 面白い小説を読むと、
この話をゲームブックにしたら、と考えてしまうことは、
誰にだってあるだろう。

   (えっ、ないの~っ?)

 この小説でも、それを考えたが、なかなか面白そうだ。
 安易なRPGにあるような、楽観的な成長ではない。
 大きくなればなるほど、危険が増大し、厳しい選択をせまられるような展開だ。

 苦しい選択を迫られるが、そこがなかなか面白いんじゃないだろうか。
 作るのは難しそうだが。

 (まだ、続きます)

篠田節子
(2008/12 新潮社)
"The Seisen-shinpo-Kai Case"

(p.284まで)
 


 訂正。

 金もうけ主義ではないと書いたけど
この宗教活動で、ベンツを乗り回すぐらいに儲けたいという野心が、鈴木にはあるようだ。

 やっていることが誠実なので、そうは見えなかった。
 もっとも、そうした誠実な外見の裏で、
しっかりとした計算が働いているのは本文中でもわかる。
 でもそれは、危ない橋を渡らないためのものであり、大きな野心は見出せない。

 一体、ベンツに乗り回すほどというのは、どの程度の本心なのだろう?
 とりあえず危険をおかしてまで、ということではないようだ。
 事を急ぎすぎれば失敗する。
 そのことを彼は、しっかりと心得ている。

 だからこそこの教団も、泡沫として消えたりせずに、着実に信者を増やしていけたのだろう。

     …… ……

 まあ、金もうけ主義でないといってもいいんじゃないかな?



 そんな教団にも、ほころびが出始める。
 信者同士が対立し、さまざまなトラブルが持ち込まれる。

 まあ、それも当然のことだ。

 世代間のギャップ基礎となる考え方や立場の違い――。
 現実でも容易に起こりうることが、ここでも起こる。
 ここが自分の居場所であると認識しているから、それを冒されないようにと真剣に主張をするし、
 常識的な人間ばかりがいるわけではない、

 今回読んだあたりは、
起承転結にあたる部分といっていいと思う。

 そうしたトラブルに対して、鈴木は厳しい戦いを強いられ、なんとか教団を切り盛りしていくのだ。

 その過程で去っていく信者もいるし、新しいトラブルが持ち込まれることも――。

 うまいなと思うのは、キャラクターだ。
 人間が描けているし、人間とその関係性が物語を面白くしている。
 そうした中からトラブルが生まれ、そのトラブルを解決するために鈴木が奔走し、説教をする。
 それに反対するもの賛成するもの、別の意見を言うもの、そして全然別のトラブルを持ち込むもの……。

 そうした流れに起伏があり、葛藤があり、
それらが物語を意外性に富んだ面白いものにしている。

 中でもすごいのは、
鈴木の発言にブレがないということだ。
 自分の本心とは必ずしも一致しない教義だというのに、
ちゃんとその教義に則(のっと)った説明をして、説得している。
 ともすれば、相手の話に圧(お)されてしまったり、ついうなずいてしまいそうな部分でも、
ちゃんと教義の言葉で切りかえしている。
 そのために教団を離れていく人もいるが、
それでも教義にブレはない。
 しかも、その言葉がちゃんと説得力のあるものになっているのだ。

 小説だから、といってしまえば簡単だが、
それが、この教団の存続に説得力を与えている。

 もし、教祖がその場限りのことを言っていたら、
その場は収めることが出来たとしても、
信者を減らす結果となっていただろう。

 またこの鈴木の切り返しの見事さは、
彼の有能さ、頭の良さの証座となっているし、
小説としても面白いものにしている。

 さて、
 そうした日々を送る中で、
鈴木は食品加工会社の社長、森田と出会うことになる。
 いつものように教義に絡めているとはいうものの常識的なアドバイスを、鈴木は説教する。
 その効果は覿面(てきめん)で、森田は信者となる。
 そんな折、大手食品会社が食中毒事件を起こす。
 それをきっかけに、その食品会社のずさんな管理体制が浮き彫りに出される。

 これは森田にとって僥倖(ぎょうこう)だった。
 信用を失墜させたその食品会社の注文の何%かが、森田の会社にも回ってきたのだった。

 森田の会社は成長し、
インドネシアに工場を作ったり、事件を起こした大手食品会社の工場のひとつを買収する計画も出てきた。

 ついては、老朽化した工場を取り壊して研修施設を作るので、そこを自由に使ってもらえないだろうか。
 税金などの問題で面倒なので、寄進というわけにはいかないが……。

 森田は、鈴木にそう持ちかけてきた。

 おりしも、中野新橋の教場もボヤ騒ぎを出しており、この申し出は鈴木には魅力的だった。
 そんなわけで彼は、それを受け入れる……。

 と、今回読んだのはこのあたりまで。

 願ってもない申し出だが、それゆえにトラブルの芽を感じさせる部分でもある。
 いずれにせよ、ひとつのターニングポイントだということはことは確かだろう。

 この作品が「小説新潮」誌に連載されたのは、2004/4~2007/5 ということだから、
2007年6月 ミートホープの事件などはかかっていない(加筆などはしているかもしれないが)ものの、
BSE(狂牛病)、雪印やハンナンの偽装など、
食の安全は今世紀に入って特に注目される問題となった。

 ここでこうしたことが出てくるのは、
そうした世相をとらえてのことだろう。 

 いや、ここだけではない。

 この作品全体が、
この時代の社会の流れや大きな時代のうねりの中での
人間というものを描こうというものなのだろう。
 宗教団体というのは、
それを切り取って浮かび上がらせるための舞台なのだ、
おそらく。
 

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