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2009/9/2  パソコンの調子がちょっとわるいので、ブログの更新が何日とか何十日とか止まったら、そのせいだと思ってください。                        まあ、めんどくさくなっておやすみということもありえますが。
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よく、SFのルーツ、『竹取物語』だとか『浦島太郎』だとか、
ミステリーのルーツ、『アラビアン・ナイト』にあるとか、
そうした古典や神話・伝説まで起源をたどる試みというのはありますよね。

 牽強付会な気味も無きにしも非ずですが、
一方でそれらは、人間の想像力、未知の物への探究心、
そしてそういうものを面白いと感じる気持ちというのは、
いつの時代も変わらないという証座でもあります。

 そのようにゲームブックの起源というものを考えてみると、
やはり、神話・伝説の時代にまでさかのぼることができるといえます。

 たとえば、 『旧約聖書』にしろ『古事記』にしろ、読んでいると、
ある書にいわくなどとして、
前の話から派生した別の話が取り上げられていることがあります。
 いわゆる、異話・異説というものですね。
 ギリシア神話などにも、そうした部分はありますね。
古典的な歴史書や博物誌にも、たしか“一説にいわく”は、あったはず……)

 さらに、昔話や伝説のたぐいとなると、
語り手や本が違うと、タイトルだけが同じで、
中身は全然違うというものまであります。

 そのようなものは、分岐型小説のルーツということができるでしょう。

 また、新約聖書などは、
複数の人物からの視点が入っていますから、
ザッピングや捜査ファイルミステリーのようなもののルーツともいえるかもしれません。

 そのような意味において、ゲームブック(パラレル小説)は
神話時代までさかのぼることができるといえるのです。

 もっとも、歴史に関してはTRPGのほうが、さらに昔までさかのぼることができるでしょう。
 ゲームブックは、本の形――少なくとも、書かれたものでなければならないわけですからね。
 口承文芸を起源とできるTRPGほど、過去には戻りえないのです。

※ 今回、資料をほとんど使って書いてないので、書き足りていない部分があると思います。
  悪しからず。

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ゲームブックのブームは、1990年代を待たずして衰退した。

「Wikiペディア」にはそのように書かれている。

 この「1990年代を待たずして」というのは、人によりブレがあるだろう。
 ある人は、1988年ぐらいを考えているかもしれないし、
別の人は'90年代に入ってもブームの余韻はあったと思っている人もいるかもしれない。

 私はそのどちらにも与しない。

 ゲームブックのブームは、もっと早い時期、
『火吹山の魔法使い』が刊行されてから、1~3年で終わった
と考えている。

 『火吹山の魔法使い』が日本で出版されたのが1984年末だから、1985年ということとして、
1986年から1987年末あたりまででブームは去ったということだ。

「ウォーロック」誌を持っている人限定で言うと、

第四号(1987年4月) 「(こんなゲームブックが出た! 1986ゲームブックリスト)」



vol.16(1988年4月) 「こんなゲームが出た! (1987ゲームブックリスト)」

 あたりまでがゲームブックのブームということだ。


 1~3年のなかで、3年(1987年あたりまで)というのは、わかりやすいと思う。

 何しろ、その次の年の総括である、

vol.29(1989年5月) 「こんなゲームブックが出た! (1988ゲームブック総リスト)」では、

ゲームブックの数が半減しているのだから。

  そのため、この特集では、
ゲームブックだけではなく、
TRPGやゲーム小説、それにゲーム攻略本などの関連書
まで扱っている。

 そこには、編集者のゲームブックからTRPGへという意図が読み取れるが、
それだけではなく、
実際にゲームブック自体が、もはやブームではなくなっていることを示している。

 では、2年(1986年あたりまで)というのは?

「ウォーロック」誌の発刊は1986年12月、
まさに『火吹山の魔法使い』から2年目ということになる。

 とすると、
「ウォーロック」は、ブームが去ったあとに出た
ということなのだろうか?

 そのとおりだ。

「ウォーロック」誌 vol.63(休刊号)p.59には

創刊時の状況について

「当時のゲーム界の状況は、ゲームブックのブームが一段落して、
その後の展開を模索しているとき」

だったと書かれている。

 つまり、創刊以前の時点で、ブームはひとまず終わったと見ているのだ。

 さらに、1年目にしてブームは去った という考えも出来る。

 というのは、 「EQ」誌 MAR'86.No.50に、
次のような文章があるからだ。

 「EQチェックリスト鼎談」p.159

 数藤(康雄)  現象面で挙げれば、『火吹山の魔法使い』が文字どおり“火付け役”となって、この一年爆発的なブームになった〈ゲームブック〉の流行があります。あまりの数の多さとワンパターン化に、さしもの「EQチェックリスト」でも、書評対象からはずしたという……。

 つまり、この頃には他ジャンルからの注目がなくなってきたということだ。


 1990年近く と、
 『火吹山~』登場から1年

 この差は、
ブームというものに対する考え方の違い
によるものだと思う。

「1990年代を待たずして」とお書きになった方は、
おそらく、当時小学生か中学生(決めつけはよくないが)で、
その頃もゲームブックファンだった人だろう。
 つまり、ブームの渦中にいた人間だ。

 だが、 ブームというのは、

その中心となる場所にいるもの以外からも注目されなければ、
本当のブームとはいえないと思うのだ。

 本来なら取り上げるはずもない雑誌などで紹介され、
その分野に対して興味のない人からも話題にされ、
便乗した商品が世に出回る……。

 そのように、世間の注目を集めてこそはじめてブームといえる。
 そして、その時期というのは、
『火吹山の魔法使い』から1年ぐらいだと思うのだ(*)。

(*)
『火吹山の魔法使い』がそうした作品であったことは、『バルサスの要塞』のオビを見てもわかる。
「朝日新聞、各地方紙、BRUTUS、BOX、ログイン、週刊文春、宝島ほか多数の紙誌で紹介されました。」とあり、そのあとに「POPEYE」誌の評が載っている。
 どういう紹介のされ方をしたのかはわからないが、そのようにマスコミに取り上げられることでゲームブックブームは大きくなったともいえる。


 その後の2年――1986年~1987年というのは、
内部での熱気がまだあったころ。
 そして次の1年は、その熱気が盛りをすぎたころといっていいだろう。

「ウォーロック」誌
vol.29(1989年5月) 

「こんなゲームブックが出た! (1988ゲームブック総リスト)」

p.12「ことしも春が来た! ~88年、ゲームブックシーンを総括する~」(近藤巧司)

では、

1985~1988年までを、次のような言葉でまとめている。

1985 「ゲームブック元年」
 何もかもが手探り状態の混乱の時代。

1986 「混乱と淘汰の年」
 粗製乱造されたピントはずれな本が姿を消し、実力ある舶来のゲームブックがもてはやされた。
 新しい様式を探る時代が終わりを告げた時代。

1987 「安定と文化の年」
 各社がスタイルを決定し、独自のセンスで安定したゲームブックをリリースしていった時代。

1988 「先鋭化の年」
 ゲームブックは、巨大化、システムの複雑化、難易度のアップをしていき、
専門化すると同時に、一握りのマニアのものになってしまった。

 これは、正しい分析だと思われる。
 この流れからいっても、やはりゲームブックのブームというのは、
1986~87年あたりまでという判断で、正しいと思うのだ。

 ブームというのは、たいていがそのようなものだと思う。
 

「ヨーヨー」でも「なめ猫」でも「ガングロ」でも「スウォッチ」、「たまごっち」でも、
「お笑い」でも「バンド」でも、

ブームとして話題になったものなら何でもいい。
 少し思い出してみてほしい。

 そのブームの中にいて、それに熱心に取り組んだ人にとってはともかくとして、
端(はた)から見た場合、ブームというのは案外短いものではないだろうか?

 もちろん、もっと命脈を保ったブームの例をあげる人もおられよう。

 アニメやガンプラなど、最初にブームになったときから、
ずっとブームが続いていると主張する人もいるかもしれない。

 だが、そのようなものは文化として定着したというのであって、
ずっとブームが続いているとは言わない。
 それに、最高潮に盛り上がったときから比べれば、
そのポテンシャルはいくらか落ちているはずだ。

 さらに、何も関係ない人まで話題にしたり、手にとったりとなると、
その期間は、ますます短いものとなるだろう。

 もちろん、ポテンシャルの高い文化の場合、その波が何度も来ることもある。

 だが、ブームというべきはその波の部分だけであり、
それ以外の部分も含めてブームがずっと続いているとは、
私は言わないと思うのだ。
 

 ゲーム機を買ったのは、ずいぶん遅かった。
 初めて買ったのが、何しろゲームギアだ。

『ゼビウス』が出たとき、ファミコンを買おうかと思ったのだが、
パソコンなら完全な形で出るだろうなどと考えて、スルーした。

 結局、現在、
ゲームボーイアドバンスのファミコンミニ『ゼビウス』も買ったし、
プレイステーションポータブルの『ナムコミュージアムvol.2』も買っていたりする……。

 まあ、『ゼビウス』の話は、また後ほどにしよう。
 ホントはこれよりも前に書く予定だったのだが。

 で、そのゲームギアで、最初に買ったソフトが、
『エターナル・レジェンド 永遠の伝説』というRPGだった。

「メガドライブFAN」1993/7の付録
「MEGA FRIVE & GAME GEAR ALL CATALOG'93」
には、

「戦闘中にムチを使って敵が持っている武器を取り上げられる」
ことが特徴の、
「オーソドックスなRPG」

となっている。

 プレイしてみての私の感想は、

・意外に一本道。

・そんなに長くない話を、戦闘で水増しして長くしている。

 というものだった。

 だが別に、
この『エターナル・レジェンド』が出来の悪いゲームだからそう思ったのではない。

 そのあとも十数本はコンピュータRPGをやっていて、
その中には当然、名の知れたゲームもあるのだが、
このゲームはむしろ出来のいい部類の作品だと思う。

(まあ、ゲームボーイアドバンスどまりだし、リメイク中心にプレイしているので、最新作についてはさておくが。
でも、『ルナ』、『聖剣伝説』や『マザー』、『ドラゴンクエストⅢ』などはプレイした中に含まれる)


 そして、それらプレイした十数本のRPGについても、
「一本道」「戦闘で物語を水増ししている」という印象を受けた。

 ゲームの出来不出来に関係なく、そう感じたということだ。

 つまりは、コンピュータゲームに期待しすぎていたのだろう。

 ゲームブックであれだけできるのだから、
コンピュータで何メガとか謳(うた)っているものだったら、
物語は縦横無尽にいくつも分岐し、変幻自在のストーリーが楽しめるにちがいない。

 そのくらいのことを思っていたのだ。

 ところが、そうではなかった。

 そのため、

 これだったら、戦闘が少ない分、
物語をたどりやすいゲームブックのほうが優れているのでは? 

とさえ思う。

 アドベンチャーゲームにしても、そうだ。

『かまいたちの夜』

『逆転裁判』にしても、
フローチャートを描いた場合、
意外と一本道な展開だな、と感ずる。

 まあ、仕方ないのだ、推理ものの場合は。

 ブレイヤーに推理させるためには、すべてのデータを提供させねばならず、
全員にそれを行なうためには、共通のルートがどうしても必要だからだ。

 もちろん、『シャーロックホームズ10の怪事件』や、
ボード、カードゲームのように、

プレイヤーの力量や運によって情報が限定され、
その手に入れた情報だけで推理していく

という方法も成り立つが、
それだとよりゲーム的になってしまい、
推理小説的な物語としての楽しみが殺(そ)がれる結果になってしまうのだ。

 だから必然ではあるのだが、
それでもコンピュータの物語ゲームには期待してしまう。

 よりマルチに、より複雑に、網の目のように、あるいは神経のように、
分岐し、結びつき、多様に展開し、いくつもの姿を見せてくれる物語を――。

『かまいたちの夜2』は、ある程度それを見せてくれた(ホラーは嫌いだが)。
 だが、それでもフローチャートが直線的な部分が多い気がしてしまう
(まあ、ストーリーをつぐむ上で仕方がないのだろう) 。

 おそらく、新しい作品の中には、他にもそのような作品があることだろう。
 さらに未来の作品には……。

 と書くと、
なにかゲームブックを見限っているように聞こえるかもしれないが、
そんなことはない。


 容量に限界はあるとはいえ、
ゲームブックにも、まだまだ新しい要素は盛り込める
と私は思っている。

 


 以上、ご主人さまがお送りいたしました。

『エターナル・レジェンド』は、ホントいいゲームですよ~。

 それまで、王道のファンタジーRPGだったのに、
最後になってとどーのSF展開、というあたりが
セガらしいと申しますか何と申しますか。

 効果音では、矢の音がいいのでごさいます。
 ヘッドホンなどで聞きますと、頭の真ん中に突き刺さる感じがして。

 あと、闘技場などもございましたが、
いつ行っても試合に参加できなかったような。
 あれはどうしてなのかな? 容量の都合?
それとも、ある特定の時間とか、何かの隠し要素で
戦いに参加することが出来たのでございましょうか?

 ぐぐってみますと、
攻略サイト紹介サイトもいくつかある様子。

 愛されているのでございますな。


 

MAHORABA THE PICTURE GAME BOOK
(「まほらばピクチャーゲームブック」)の記事に対する
6/13のコメントにおいて
ププププーさまから、
「クイーンズブレード」のレビューを、とのことでございましたが、

やりません。

 だって、レビューできるほどのことしてないモン!

 以前、
 フローチャートを書こうと思ったことはあるのですが、
やり方がわからなかったレベル。

 割符みたいにしてキャラAとキャラBを合わせ……、
みたいな形でできるのでしょうが、
パラグラフナンバーを書き並べた段階で
めんどくさくなってやめてしまいました。

『パンタクル2』で登場したようなマトリクス表や、
何か他の方法のほうが
このゲームブックを解析するのにはいいのかもしれません。

 でもマトリクス表って、つながりが直感的にわからないのですよねぇ。

 まっ、多くは望みません。
 どんな形でもよろしゅうございますが、

このゲームブックのチャート、どなたか書いていただけないでしょうか?

 さて、このシリーズ、
ゲームブックとしてよりも、イラスト集として普及しているのは周知のとおりでございます。
(ゲームブックファンとしては言いたくないセリフ)

 最近の話題といたしましては、
「リボルテッククイーンズブレイド」あたりですかね。
「フィギュアマニアックス」の付録を立ち読みしておりましたところ、
原型製作の大嶋優木先生が
「M字開脚に命をかけました」と申されておりました。

 確かに股関節は、自然さや美しさと可動の向上を両立させるのに、難しそうな部分でございますな。

 とまぁ、みなさんの大して興味のない部分はこのあたりといたしまして、
もう少し本質的なことに関するお話を。

隔月刊「TACTICS」誌No.23(1985 September⇒October)には、
「ファンタジーワールドの戦士たち」と題して、
〈ノバ〉社の「ロスト・ワールズ」シリーズが紹介されております(p-24-26)。
 ゲームブックファンでしたらご存知の、
「クイーンズブレード」シリーズの原作にあたるゲームでございますな。

 このシリーズも、
「クイーンズブレード」シリーズとは別の意味で、
イラストに突っ込みどころのある作品
とは存じますが、それはそれとして。

 この記事の中でこのシリーズは、

 ブックゲーム

 と記述されております。
 
 ゲームブックではなく、
 ブックゲーム。

 これが新鮮でもあり、また
この作品(群)を指すにはふさわしい呼び方
だと思ったのでございます。

 まあ、ゲーム本(=ゲームブック)も、
 本の体裁をしたゲーム(=ブックゲーム)も、
 そう大して変わらないとおっしゃる方もおられましょうが、

 前者は、
『火吹山の魔法使い』など先行する作品によって、どんなものかすでにイメージがついておりますし、
 そうしたイメージを抜きにいたしますれば、
ひどくあいまいに広い範囲でゲームに関する本を示すことになります。

(そういう意味合いでゲームブックと称しているものも存在することは、
このブログの「定義」のところで書いたとおりでございます)

 それに対してブックゲームという表記は、
ゲームであることを宣言している感がございます。

ブックという単語が、本という形態であって
ストーリーを意味しないイメージがあるのでございます。

 そういう意味において、「ロストワールド」(=「クイーンズブレード」)シリーズは、
ブックゲームと呼ぶのが正しいように思うのでございます。

 ただ……、現状としては、Hobby Japan社がゲームブックと宣言し、
その呼び方が一般的になっている以上、それをくつがえすことは至難のわざと申せましょう。

 ですから、日和見的と申さば申せ、ここでも、通常は
「クイーンズブレード」シリーズを「ゲームブック」として扱ってまいります。

 ただし、場合によっては、「ブックゲーム」という呼称も使うやもしれませんので、
その点、お心得いただきたく存じます。

 通常ゲームブック、ゲームブックと呼び習わしております、ゲームブックでございますが、
FFシリーズなどをみますと、
アドベンチャー ゲーム ブック
となっておりますな。

 そこで、タイトルにある疑問がふと思い浮かびあがります。
 これは、
 アドベンチャーゲーム・ブックなのか、
 それとも
 アドベンチャー・ゲームブックなのか?
 
 つまり、
 
 本来はコンピュータ上で行なうアドベンチャーゲームを、
 本という形に落とし込んだものなのか

 
 それとも、
 
 ゲームブックというジャンルがあって、
 その中でも特に、冒険を主眼に置いたものであるのか?
 
 そのどちらが本来的な意味なのだろうか、ということでございます。

 ちなみに、
 アドベンチャーゲームは、ご存知ですな?
 当時ですから、
「ミステリーハウス」や「ゾーク」、「ウィザード&プリンセス」
といったあたりでございましょうか。
 恋愛アドベンチャーとか申すものは、当然ながらございません!
 
 で、考えてみますに
やはりここは、
 
アドベンチャーゲームを、本という形に落とし込んだもの
すなわち、
アドベンチャーゲーム・ブック

だったと考えるのが妥当でございましょう。

 そのほうが自然ですからな。
 
 ゲームブックの要素の一角を担うパズル的な要素も、
アドベンチャーゲームからの反映でございましょう。

 逆に、ゲームブックというジャンルの冒険的なもの、
 と考えるとおかしなことになります。

 第一、ゲームブックというジャンルが概念として想像できない。
 今でこそ、ゲームブックといえばどういうものかだいたいイメージできると思いますが、
もし何もない状態から、ゲームブックといわれれば、
どんなものか見当をつけるのは、なかなか難しゅうございましょう。

 ゲーム本ってどんなの? と申しているのと同じことでございますからな。

 一番思い浮かびやすいのは、幼稚園の先生が読むような、
子供を遊ばせるためのゲーム集ではございませんでしょうか?
 コンピューターがある時代でしたら、
コンピューターゲームの紹介本とか、プログラム集かもしれませんが、
とにかく、ジャンルが確立していない時分には、
単にゲームブックというだけでは、概念として成立しなかったと存じます。

 しかし、アドベンチャーゲームブックの登場により、その観念が固着化されました。
 そしてその浸透により、ゲームブックという呼称が定着したと申すわけでございます。

 そのため、おそらく、今では
 アドベンチャーゲームブックといった場合、

 アドベンチャーゲームの書籍化

 というよりも、

 ゲームブックのうち、主に冒険を扱うもの
 
という認識が強いのではございませんでしょうか?
 
 逆転現象とも申せますが、
ゲームブック自体が拡散を遂げた以上、
この逆転現象は、むしろ正しいと申せますな。

 追記:
『火吹山の魔法使い』よりも早い時期からシリーズが出ているバンタム社の作品
(今回参考にしたのは『天才コンピュータAI32』ですが)の前書きには、
「そう、アドベンチャーゲームが本になっているんだ」と書かれております。

 やはり、「アドベンチャーゲーム・ブック」が、
もともとのゲームブックのイメージだったようでございますな。
 

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