忍者ブログ
『七つの大罪ゲーブック<豚の帽子>亭の七つの大冒険』買いました!
[1] [2] [3] [4] [5] [6]
 前回のブログを書いた後、どこで固まったんだっけ、とふと疑問が浮かびましてな、プレイしてみましたよ。『鋼殻のレギオス』。
 確かクラスメートが教室に集まっているところだから、序盤だろう。でも、いくつかイベントをこなした感じはあったから、第2章とか3章のはじめかな、などと予想していたのですが、セーブポイントから始めてみたら、これがエピローグの冒頭だったのでございます。
 ですから、一応プレイは出来るのですな。
 というわけで、あらためてプレイしてみたところ、スキップして流せない文章が……。
 要するに未読部分があったわけですな。
 未読部分でも、少し読んでいると既読部分につながるということは、よくある話でございますから、期待などせずに進めていると、見知らぬイベントが。
 というわけで、エピローグで止まりはするものの、ある程度のボリュームはプレイできるということですな。
 ただ、プレイしていて思うのは、イベント発生条件の因果関係があいまいと申しますか、でたらめと申しますか、今ひとつよくわからない場合があるのでございますよ。
 ストーリーはゆるく、戦闘は負けるほうが難しいというレベルなのですが、展開に関係なさそうな判定でも成功させないとバッドエンドになったり、適当に選んでもよさそうな選択肢がけっこう重要だったり……。ちゃんとやったわけではないのでわかりかねますが、おそらくそういう構成なのでございます。
 フローチャートを書きながら、選択肢を総当たりするというのは、正しくゲームブック的ではございます。ですが、選択に順番がある場所があるかもしれず、フラグがどこで立っているかわからない状態では、なかなか難しゅうございますな。
 わたくしといたしましては、エピローグで固まるし、もう過去のものという感じで、モチベーションもなくしてしまいました。
 あとは、熱心な方にお願いいたします。
 ゲームブックは、物語の流れも含めて、さまざまな展開のすべてを見渡せることが、魅力の一つだと思っておりますから、それができない(フローチャートが生成されるゲームでも、フラグまでは書かれていなかったりしますから)要電源のアドベンチャーゲームは、ちょっと残念な気がいたします。
 まっ、それはともかくといたしまして、このゲームブックDSのシリーズ、
 TRPG的な流れで、ファンタジー世界が舞台の『ソードワールド』、
 アドベンチャーゲーム的なフローチャートのパズルを組み込んだ、学園冒険ものの『鋼殻のレギオス』、
 ループもので、恋愛アドベンチャーっぽい『アクエリアンエイジ』、
 と、3種3様、それぞれ異なるアドベンチャーゲームのスタイルを出してきたことは、評価に値しますな。
 もっとも、それが分かるのは3作すべてをやった人だけですし、製品として評価以前の問題があるようでは、このような意図も台無しですな。
 実に残念なことでございます。
PR

(*)構造的にはともかくとして……


   例えば、


1 Aの村に行く


2 Bの村に行く


3 Cの村に行く


 


という選択肢があったとします。


で、


Aの村にアイテムaが、


Bの村にアイテムbが、


Cの村にアイテムcがあって、


すべてのアイテムを入手しなければ次に進めないという場合、


一つの村をクリアしたら、また分岐点まで戻って別の村へ行く、という構成になりますな。これと、構造的には同じと申しているのでございます。


 


今、たやすく入手できる例といたしましては、山口雅也先生の『13人目の探偵士』(講談社文庫)でございましょうか。ゲームブック『13人目の名探偵』のパラグラフ分岐をなくしたこの小説では、最初に3人の探偵が出てきますが、その部分がゲームブックでは、この構造になっているのでございます。


ちなみに、作品としてはダイイング・メッセージが美しい。ゲームブックで読んだときにハッとしてしまいましたもの。瑕疵としては、一カ所、バーチャル的なものをにおわせているのが興ざめでございました。ゲームブックが書かれた当時、そういうものを入れたくなるのもわかりますし、ちょっとした部分なのですが、やはりね。

よく、SFのルーツ、『竹取物語』だとか『浦島太郎』だとか、
ミステリーのルーツ、『アラビアン・ナイト』にあるとか、
そうした古典や神話・伝説まで起源をたどる試みというのはありますよね。

 牽強付会な気味も無きにしも非ずですが、
一方でそれらは、人間の想像力、未知の物への探究心、
そしてそういうものを面白いと感じる気持ちというのは、
いつの時代も変わらないという証座でもあります。

 そのようにゲームブックの起源というものを考えてみると、
やはり、神話・伝説の時代にまでさかのぼることができるといえます。

 たとえば、 『旧約聖書』にしろ『古事記』にしろ、読んでいると、
ある書にいわくなどとして、
前の話から派生した別の話が取り上げられていることがあります。
 いわゆる、異話・異説というものですね。
 ギリシア神話などにも、そうした部分はありますね。
古典的な歴史書や博物誌にも、たしか“一説にいわく”は、あったはず……)

 さらに、昔話や伝説のたぐいとなると、
語り手や本が違うと、タイトルだけが同じで、
中身は全然違うというものまであります。

 そのようなものは、分岐型小説のルーツということができるでしょう。

 また、新約聖書などは、
複数の人物からの視点が入っていますから、
ザッピングや捜査ファイルミステリーのようなもののルーツともいえるかもしれません。

 そのような意味において、ゲームブック(パラレル小説)は
神話時代までさかのぼることができるといえるのです。

 もっとも、歴史に関してはTRPGのほうが、さらに昔までさかのぼることができるでしょう。
 ゲームブックは、本の形――少なくとも、書かれたものでなければならないわけですからね。
 口承文芸を起源とできるTRPGほど、過去には戻りえないのです。

※ 今回、資料をほとんど使って書いてないので、書き足りていない部分があると思います。
  悪しからず。

ゲームブックのブームは、1990年代を待たずして衰退した。

「Wikiペディア」にはそのように書かれている。

 この「1990年代を待たずして」というのは、人によりブレがあるだろう。
 ある人は、1988年ぐらいを考えているかもしれないし、
別の人は'90年代に入ってもブームの余韻はあったと思っている人もいるかもしれない。

 私はそのどちらにも与しない。

 ゲームブックのブームは、もっと早い時期、
『火吹山の魔法使い』が刊行されてから、1~3年で終わった
と考えている。

 『火吹山の魔法使い』が日本で出版されたのが1984年末だから、1985年ということとして、
1986年から1987年末あたりまででブームは去ったということだ。

「ウォーロック」誌を持っている人限定で言うと、

第四号(1987年4月) 「(こんなゲームブックが出た! 1986ゲームブックリスト)」



vol.16(1988年4月) 「こんなゲームが出た! (1987ゲームブックリスト)」

 あたりまでがゲームブックのブームということだ。


 1~3年のなかで、3年(1987年あたりまで)というのは、わかりやすいと思う。

 何しろ、その次の年の総括である、

vol.29(1989年5月) 「こんなゲームブックが出た! (1988ゲームブック総リスト)」では、

ゲームブックの数が半減しているのだから。

  そのため、この特集では、
ゲームブックだけではなく、
TRPGやゲーム小説、それにゲーム攻略本などの関連書
まで扱っている。

 そこには、編集者のゲームブックからTRPGへという意図が読み取れるが、
それだけではなく、
実際にゲームブック自体が、もはやブームではなくなっていることを示している。

 では、2年(1986年あたりまで)というのは?

「ウォーロック」誌の発刊は1986年12月、
まさに『火吹山の魔法使い』から2年目ということになる。

 とすると、
「ウォーロック」は、ブームが去ったあとに出た
ということなのだろうか?

 そのとおりだ。

「ウォーロック」誌 vol.63(休刊号)p.59には

創刊時の状況について

「当時のゲーム界の状況は、ゲームブックのブームが一段落して、
その後の展開を模索しているとき」

だったと書かれている。

 つまり、創刊以前の時点で、ブームはひとまず終わったと見ているのだ。

 さらに、1年目にしてブームは去った という考えも出来る。

 というのは、 「EQ」誌 MAR'86.No.50に、
次のような文章があるからだ。

 「EQチェックリスト鼎談」p.159

 数藤(康雄)  現象面で挙げれば、『火吹山の魔法使い』が文字どおり“火付け役”となって、この一年爆発的なブームになった〈ゲームブック〉の流行があります。あまりの数の多さとワンパターン化に、さしもの「EQチェックリスト」でも、書評対象からはずしたという……。

 つまり、この頃には他ジャンルからの注目がなくなってきたということだ。


 1990年近く と、
 『火吹山~』登場から1年

 この差は、
ブームというものに対する考え方の違い
によるものだと思う。

「1990年代を待たずして」とお書きになった方は、
おそらく、当時小学生か中学生(決めつけはよくないが)で、
その頃もゲームブックファンだった人だろう。
 つまり、ブームの渦中にいた人間だ。

 だが、 ブームというのは、

その中心となる場所にいるもの以外からも注目されなければ、
本当のブームとはいえないと思うのだ。

 本来なら取り上げるはずもない雑誌などで紹介され、
その分野に対して興味のない人からも話題にされ、
便乗した商品が世に出回る……。

 そのように、世間の注目を集めてこそはじめてブームといえる。
 そして、その時期というのは、
『火吹山の魔法使い』から1年ぐらいだと思うのだ(*)。

(*)
『火吹山の魔法使い』がそうした作品であったことは、『バルサスの要塞』のオビを見てもわかる。
「朝日新聞、各地方紙、BRUTUS、BOX、ログイン、週刊文春、宝島ほか多数の紙誌で紹介されました。」とあり、そのあとに「POPEYE」誌の評が載っている。
 どういう紹介のされ方をしたのかはわからないが、そのようにマスコミに取り上げられることでゲームブックブームは大きくなったともいえる。


 その後の2年――1986年~1987年というのは、
内部での熱気がまだあったころ。
 そして次の1年は、その熱気が盛りをすぎたころといっていいだろう。

「ウォーロック」誌
vol.29(1989年5月) 

「こんなゲームブックが出た! (1988ゲームブック総リスト)」

p.12「ことしも春が来た! ~88年、ゲームブックシーンを総括する~」(近藤巧司)

では、

1985~1988年までを、次のような言葉でまとめている。

1985 「ゲームブック元年」
 何もかもが手探り状態の混乱の時代。

1986 「混乱と淘汰の年」
 粗製乱造されたピントはずれな本が姿を消し、実力ある舶来のゲームブックがもてはやされた。
 新しい様式を探る時代が終わりを告げた時代。

1987 「安定と文化の年」
 各社がスタイルを決定し、独自のセンスで安定したゲームブックをリリースしていった時代。

1988 「先鋭化の年」
 ゲームブックは、巨大化、システムの複雑化、難易度のアップをしていき、
専門化すると同時に、一握りのマニアのものになってしまった。

 これは、正しい分析だと思われる。
 この流れからいっても、やはりゲームブックのブームというのは、
1986~87年あたりまでという判断で、正しいと思うのだ。

 ブームというのは、たいていがそのようなものだと思う。
 

「ヨーヨー」でも「なめ猫」でも「ガングロ」でも「スウォッチ」、「たまごっち」でも、
「お笑い」でも「バンド」でも、

ブームとして話題になったものなら何でもいい。
 少し思い出してみてほしい。

 そのブームの中にいて、それに熱心に取り組んだ人にとってはともかくとして、
端(はた)から見た場合、ブームというのは案外短いものではないだろうか?

 もちろん、もっと命脈を保ったブームの例をあげる人もおられよう。

 アニメやガンプラなど、最初にブームになったときから、
ずっとブームが続いていると主張する人もいるかもしれない。

 だが、そのようなものは文化として定着したというのであって、
ずっとブームが続いているとは言わない。
 それに、最高潮に盛り上がったときから比べれば、
そのポテンシャルはいくらか落ちているはずだ。

 さらに、何も関係ない人まで話題にしたり、手にとったりとなると、
その期間は、ますます短いものとなるだろう。

 もちろん、ポテンシャルの高い文化の場合、その波が何度も来ることもある。

 だが、ブームというべきはその波の部分だけであり、
それ以外の部分も含めてブームがずっと続いているとは、
私は言わないと思うのだ。
 

 ゲーム機を買ったのは、ずいぶん遅かった。
 初めて買ったのが、何しろゲームギアだ。

『ゼビウス』が出たとき、ファミコンを買おうかと思ったのだが、
パソコンなら完全な形で出るだろうなどと考えて、スルーした。

 結局、現在、
ゲームボーイアドバンスのファミコンミニ『ゼビウス』も買ったし、
プレイステーションポータブルの『ナムコミュージアムvol.2』も買っていたりする……。

 まあ、『ゼビウス』の話は、また後ほどにしよう。
 ホントはこれよりも前に書く予定だったのだが。

 で、そのゲームギアで、最初に買ったソフトが、
『エターナル・レジェンド 永遠の伝説』というRPGだった。

「メガドライブFAN」1993/7の付録
「MEGA FRIVE & GAME GEAR ALL CATALOG'93」
には、

「戦闘中にムチを使って敵が持っている武器を取り上げられる」
ことが特徴の、
「オーソドックスなRPG」

となっている。

 プレイしてみての私の感想は、

・意外に一本道。

・そんなに長くない話を、戦闘で水増しして長くしている。

 というものだった。

 だが別に、
この『エターナル・レジェンド』が出来の悪いゲームだからそう思ったのではない。

 そのあとも十数本はコンピュータRPGをやっていて、
その中には当然、名の知れたゲームもあるのだが、
このゲームはむしろ出来のいい部類の作品だと思う。

(まあ、ゲームボーイアドバンスどまりだし、リメイク中心にプレイしているので、最新作についてはさておくが。
でも、『ルナ』、『聖剣伝説』や『マザー』、『ドラゴンクエストⅢ』などはプレイした中に含まれる)


 そして、それらプレイした十数本のRPGについても、
「一本道」「戦闘で物語を水増ししている」という印象を受けた。

 ゲームの出来不出来に関係なく、そう感じたということだ。

 つまりは、コンピュータゲームに期待しすぎていたのだろう。

 ゲームブックであれだけできるのだから、
コンピュータで何メガとか謳(うた)っているものだったら、
物語は縦横無尽にいくつも分岐し、変幻自在のストーリーが楽しめるにちがいない。

 そのくらいのことを思っていたのだ。

 ところが、そうではなかった。

 そのため、

 これだったら、戦闘が少ない分、
物語をたどりやすいゲームブックのほうが優れているのでは? 

とさえ思う。

 アドベンチャーゲームにしても、そうだ。

『かまいたちの夜』

『逆転裁判』にしても、
フローチャートを描いた場合、
意外と一本道な展開だな、と感ずる。

 まあ、仕方ないのだ、推理ものの場合は。

 ブレイヤーに推理させるためには、すべてのデータを提供させねばならず、
全員にそれを行なうためには、共通のルートがどうしても必要だからだ。

 もちろん、『シャーロックホームズ10の怪事件』や、
ボード、カードゲームのように、

プレイヤーの力量や運によって情報が限定され、
その手に入れた情報だけで推理していく

という方法も成り立つが、
それだとよりゲーム的になってしまい、
推理小説的な物語としての楽しみが殺(そ)がれる結果になってしまうのだ。

 だから必然ではあるのだが、
それでもコンピュータの物語ゲームには期待してしまう。

 よりマルチに、より複雑に、網の目のように、あるいは神経のように、
分岐し、結びつき、多様に展開し、いくつもの姿を見せてくれる物語を――。

『かまいたちの夜2』は、ある程度それを見せてくれた(ホラーは嫌いだが)。
 だが、それでもフローチャートが直線的な部分が多い気がしてしまう
(まあ、ストーリーをつぐむ上で仕方がないのだろう) 。

 おそらく、新しい作品の中には、他にもそのような作品があることだろう。
 さらに未来の作品には……。

 と書くと、
なにかゲームブックを見限っているように聞こえるかもしれないが、
そんなことはない。


 容量に限界はあるとはいえ、
ゲームブックにも、まだまだ新しい要素は盛り込める
と私は思っている。

 


 以上、ご主人さまがお送りいたしました。

『エターナル・レジェンド』は、ホントいいゲームですよ~。

 それまで、王道のファンタジーRPGだったのに、
最後になってとどーのSF展開、というあたりが
セガらしいと申しますか何と申しますか。

 効果音では、矢の音がいいのでごさいます。
 ヘッドホンなどで聞きますと、頭の真ん中に突き刺さる感じがして。

 あと、闘技場などもございましたが、
いつ行っても試合に参加できなかったような。
 あれはどうしてなのかな? 容量の都合?
それとも、ある特定の時間とか、何かの隠し要素で
戦いに参加することが出来たのでございましょうか?

 ぐぐってみますと、
攻略サイト紹介サイトもいくつかある様子。

 愛されているのでございますな。


 

カレンダー
09 2017/10 11
S M T W T F S
1 2 3 5 6 7
11 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
プロフィール
HN:
道化の真実
性別:
男性
趣味:
ゲームブック
ブログ内検索
最新CM
[09/24 花田]
[09/17 ドロシー!]
[09/11 HH]
[09/01 道化の真実]
[08/30 ププププー]
フリーエリア
バーコード
P R
カウンター
忍者ブログ [PR]