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『七つの大罪ゲーブック<豚の帽子>亭の七つの大冒険』買いました!
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 (前回より続く)

 もちろん、難易度と申しましても、どういうものであっても高いほうが良いと申すものでもございません。

 まず、ランダム要素で高められた難易度はその限りではございませんな。
 戦闘や運だめしが難しいから難しいゲームブックというのなら誰にでも作れましょうし、
それに勝利しても、単に運が良い人というだけでございますから。

 お定まりの仕掛けによる難易度アップも同様でございます。
例えば、脱出ゲームなら、クリックポイントをシビアにしすぎたり煩雑な作業を要求したりするのがそれにあたりましょう。

ゲームブックで申しますれば、無意味な迷路などでございましょうか。

アドベンチャーゲーム(ゲームブックもその中に入ります)と申しますのは、
作者から読者(プレイヤー)に対してなされた挑戦なのでございますから、
それが挑戦のしがいのある、フェアなものでしたら難しくてもよろしいものでございましょう。

それに対して、今上に挙げたような、ただ難しくするだけのための難しさというものは、意味がない、排除されるべきものだと存じます。

ゲーム、そしてゲームブックはエンターテイメントなのでございますから、
読者(プレイヤー)が面白くないやる気が起こらない というものは、一般的に申しまして、排除しなければなりませんでしょう。

 

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夢幻の双刃』の作者、松友健先生のブログ、「駄人間生誕外部4/15の記事夢幻の双刃の評価に次のような文章がございました。

ぬう。まさか「ベストエンドへ行くのに解析の必要があるなんてしんどい」と言う人がいるとは……。自分的には、ゲームとは攻略する物という前提があるのだ……。

 いいんじゃございませんかねぇ。
 難易度が高いというのは、この場合褒め言葉でございましょう。
 誰でも楽しめるようなゲームブックを作っているのではなく、歯ごたえのあるものを望んでいるプレイヤーに向けて作られたものなのでございますから。
 まあ、作者というのは、すべての人が楽しめるものを提供したいと思っているはずですし、そうでなければとも思いますが。

 まぁ、失敗したほうが得、というのは、ゲームブックを考えていると、誰でも思いつくことではございましょう。

 でも、うまくいっているとクリア不可というのは、ゲーム的にはありえませんな。

 では、物語的には?

 ゲームブックは、ゲームであると同時に、物語でもございます。
 そのため、ゲームとしてみた場合と、物語としてみた場合の二つの側面から論じられるべきでございます。

 ゲームとしてみた場合には、成功には報酬を、失敗にはペナルティを、という考えが当然でございましょう。

 しかし、物語としては必ずしもそうではございません。
 失敗したけど、あるいは、失敗したら、うまくいっちゃったというのは、ギャグなどでよくある例でございますからな。

 そこが、ゲームブックに“失敗したほうが成功”という、何とも変な状況を割り込ませる要素となっているわけでございます。

 さて、この相反する状況をどうすればいいか?

 これも2つのケースが考えられます。

 まず、判定要素がない場合。
 パラレル小説型と呼ばれるヤツですな。
 戦闘ルールや技能チェックがない、もしくは意味合いが軽いゲームブックの場合。
 この場合は、物語要素が強く現れているわけでございますから、話の展開次第ではアリでございましょう。
 うまくやったと思ったら、失敗……。
 そのような理不尽なデッドエンドも、説明がつけば(しぶしぶ)納得できることもございますし、逆にその理不尽さがウリとなっていることもございます。

(まあ、それでもやはり、納得できない場合も多ございますけどね。
FFシリーズでも、判定なしにバッドエンドはございますな。
それで納得できないことも……。それと似たようなものでございます)

 もう一つは、失敗すればクリア、成功すればクリア不可というような、極端な話ではございません。

 が、ゲーム性と物語性を両立させつつ、失敗したほうがお得感がある方法でございます。

 どういうことかと申しますと、

 成功すれば、すんなり障害をパスできるけど、
 失敗すると、目標にたどり着くのにさらなる展開が必要となる。でも、そのイベントが楽しい。

 という仕組みでございます。
 つまり、失敗したほうが面白い展開が用意されている、ということでございますな。

 単行本として発売されたものとしては日本初のゲームブックの一つに
『騎士ローラン妖魔の森の冒険』(朝日ソノラマ)がございます。
このゲームブックの後書きに、次のようなことが書かれております。

 あなたは小説や,映画を見ていて,たとえば主人公が悪役の罠にはまったりした時,(なんであんな単純なトリックに引っかかるんだろう?)とか,(僕ならああいう判断はしないな)などと考えたことはありませんか? あるいは,(私ならこちらの道を選んだのに。そうしたら一体どんな展開になっていただろう?)とか……。
 この本はそういった,たくましい想像力をお持ちのあなたのために創られました。

 これは、ゲームブックの説明として、非常に基本的なものだと存じます。
 でも、考えてみてください。

 映画などでは、しばしばそのような場面が登場しますが、
でもその「僕なら~」を採用した場合、本当に面白い話になるかどうかを……。

 もちろん、そうなる話もございましょう。
 でも、そうではない話も多くございます。
 たとえば、
『ダイ・ハード』
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
失敗が面白い展開を生んでいく話だったように存じます。

 主人公が完璧な行動をしていたら、お話にならない場合さえございましょう。

 TRPGでも、判定に失敗したから面白くなったという例はございましょう。
 と申しますか、もし失敗にシビアな要素しかないのだとしたら、
マスターの意味など半分になってしまうでしょうし、
TRPG自体の面白さも半減してしまうことでございましょう。

『ディオゲネスクラブ殺人事件』というゲームブックがございます。
 シャーロック・ホームズもののゲームブックと申しますと、二見書房の『10の怪事件』が筆頭に挙げられますが、個人的にはホビージャパン社のこのゲームブックのほうが、ゲームブックらしくわかりやすくて好みだったりいたします。

 一回しかプレイしていないので、実際のところはわからないのですが、
 このゲームブックでおもしろいのは、判定に失敗しても、続きがあるということでございます。
 成功していたら簡単にいきそうなところで、判定に失敗して、こりゃダメかな、と思いつつページをめくると、ちゃんと展開が用意されている。
 こういうゲームブックだと、判定に失敗しても、ズルをしないで結果に従おうという気になるというものでございます。

 あとは、『SDガンダムガシャポンウォーズ』。
 このゲームブックの場合、判定に失敗した場合、デッドエンドなのはデッドエンドなのですが、
それが単に「君は死んだ」ではなく、ちゃんと工夫されていて楽しいのでございます。
 ただ、このゲームブック、戦闘は主人公が勝ちやすくできているので、
デッドエンドになかなか行きあたらないという……。
 わたくしも、ゲームをクリアして、あとで全体を読みなおして、改めて気づいた次第でございます。

 このように、失敗しても面白い、というゲームブックなら、ゲーム的にも物語的にも条件を満たせると思うのでございます。

 ただ、こうしたゲームブックは、けっこう少ないのですな。
 理由は、作るのに面倒だからでございましょう。
 ルートがそれだけ増えるのでございますから。
 加えて、正解ルートでとおるパラグラフがそれだけ減るということでございますから、
ある程度のページ数がないと、満足できる作品にはならないのでございます。

 そのため、判定に成功し続けてクリアした人からは、なんだこれだけ? と感想を持たれそうでございます。

 正解ルートでより豊かな物語を読ませたい、しかもページ数の制約がある……、
となると、どうしてもメインの物語が中心になってしまいますな。

     ☆     ☆     ☆

 失敗と申せば、『カイの冒険』は、エンディングが必ず失敗ですな。
 どんなにがんばっても、ドルアーガに囚われに行く旅でしかない。

 これについて、以前賢者の石井文弘さまに手紙で話題にしたところ、

 もし、カイがドルアーガをやっつけてしまったら、ギルガメスの冒険がなんだったんだ、ということになる、

と、いうような答えが返ってきて、それはそれで正しいと思うのでございますが、ありえないレベルのシビアな判定で、カイがドルアーガを倒すというエンディングもいいと思ったのでございますよね。

 もっとも、それでも、そのような可能性があると、やはりギルの冒険の意味は薄れてしまうかな?
 特に、ゲームブックはズルができますし……。
 難しいところではございます。

 

 ププププーさまのブログ、2009/04/10日の記事「黒き血脈の予言の罠に、次のようなことが書かれておりました。

 この「黒き血脈の予言」というゲームブックでは、
ゲームをクリアするために、運試しに失敗しなければならない らしいのですな。
 で、これはアリなのか と。

 この作品をわたくしはプレイしておりませぬので、具体的なことは申しあげられませぬ。
 が、一般的にはナシでございましょう。
 
 当然ながらゲームブックは、ゲームとしての側面を持っております。
 ゲームは、成功には報酬を、失敗にはペナルティを、というのが基本でございますから、
成功がペナルティとなるというのは、あり得ませぬ。

 そういう意味において、これはナシでございます。

 ただし、次の二つの場合には、成功したらクリアできない、という部分を組み込んでも良いように思います。

 一つは、能力値を高く設定しているプレイヤーにたいする警告
 PCの能力値をいつも最高レベルに設定してプレイするプレーヤーはよくいるので、
作者がそれに対してペナルティを与えたくなるのも当然でございましょう。

 いわば、失敗ではなく、反則に対するペナルティでございますな。
 ゲームブックは自己申告のゲームでございますから、イカサマに対する作者側のチェックというのは基本的にできません。
 そこで、このような方法を導入するというのは、考えとしてはアリかとぞんじます。

(確か、『ラプラスの魔』は、一度死なないとクリアできないのではないでしたっけ?)

 ただしその場合、運点が低くてもクリアできる難易度である
ということが作品の必須条件になってくると思われます。
 運点が低くないとクリアできないのに、運試し自体が多かったり高い点を要求しているのでしたら、いたずらに難易度を上げているだけですからな。
※ 14日の記事を読みますと、やはり、いたづらに難易度を上げるための存在だったようでございますな。

 もう一つは、ゲームブックに対する考え方の問題でございます。

 もし、作者が、ゲームブックを、
“何度も失敗して成功へとたどり着くアドベンチャーゲーム”、
として捉えておりますのならば、どんないやらしい仕掛けもアリとなりましょう。

 その場合、運試しに失敗しないとクリアできない、というのが謎であり、
それを解くことが成功=クリアへの道、となるからでございます。

 まぁ、それを言ってしまったら何でもアリになってしまうのではございますけどね。
 でも、実際に、解決に理不尽なことを要求されるアドベンチャーゲームやゲームブックは多いものでございます。
 その場合、マッピングでもフローチャートでも、丹念に書いて、とにかく解け、ということなのでございましょう。

 このように、何でもアリ、と考えた場合、それがアリかどうかは、プレイヤーにゆだねられるものだと存じます。

 で、場合、アリかどうかは、面白いかどうかにかかってくるのだと思いますな。

 つまり、物語の展開とうまく絡まっていたり、ゲームバランスのために貢献しているかなどと申すことですな。

 ププププーさまが、アリかを問題にされているのは、結局、運点が低くなければゲームをクリアできないという条件が、ゲームを面白くする要素となっていないからだと思うのでございます。
 
 一般的に申しましても、
 失敗しなければクリアできない、というのは、思いついたときには画期的に思えるのですが、実際にやってみると面白くない、というケースの一つだと思いますな。
 

 さて、それでは、原作と申しますか、社会思想社版との違いについて見てまいりましょう。
 社会思想社版では、作者であるJ・トムスン、M・スミス両先生の名前が書かれていたのに、今回は、英語表記の、いわゆる奥付に当たる部分のみ。

 作者の名前は、スティーブ・ジャクソン、イアン・リビングストンということになっております。
 ジャクソンとリビングストンの名で売っていこうという考えなのでございましょうか。
 何か、コンピューターゲームで、実際の開発メーカーの名前が表に出ないのを想像させます。
 作品だったものが商品と認識されている感じがして、
文学部ゲームブック科といたしましては、好きになれない表記でございます。

 社会思想社版と、ホビージャパン版で大きく違っているのは、ネーミングでございますな。

 社会思想社版、すなはち松坂健先生の訳は、日本語の固有名詞など、原作者がこう書きたかっただろう言葉に置き換えて訳しております。
 これが、一般的な訳し方でございましよう。
 対して、ホビージャパン社版、デジタル・メディア・ラボ社の訳は、
松坂訳とは違うものにするという制約があったのでございましょうな。
 面白がっているのか苦労しているのかは存じませんが、ちょっとひねった語が当てられております。

 たとえば、こんな具合ですな。
 
   松坂健先生訳     ゲームブック・ラボ社訳

    八幡国           蜂漫国
   鍔鳴りの太刀       鳴海の太刀
   長谷川喜平        馳皮奇兵
    今市             紺壱
    鬼軽            御仁駆
    処水山         寿司牡胃山地
    貞信公          津江鎮公
     :                :
     :                :

 ゲームブック・ラボ社訳のほうは、無理な当て字があったりして、
それで笑いをとろうとしているのかな? などと考えますが、
無理して笑いを取りにいくと失敗する、という例のような感が否めませぬ。

 思いついたものを見てまいりますと、

  蜂漫国と申すのは、"Be(e) Comical"というシャレなのでございましょうな。

「鍔鳴りの太刀」「鳴海の太刀」は、原作では"Singing Death"となっているようでございます。
 どっちが良いかと申しますと……、う~む。
 原作の「歌う死」のほうがカッコいいような……。
 日本の話ではなくなりそうな気もいたしますが。

 あと「悪死」の旗印が、亡霊武士(死霊サムライ)(パラグラフ82)のものだったのが、主人公の旗印に変わっております。

「悪死」は"Evil Death"の訳語だと、確か「ウォーロック」誌に書いてございました。
それを
「悪には死を与えて罰する」
と、主人公の旗印にしてしまったのは、
主人公を表紙に描くというホビージャパン版の選択ゆえでございましょう。

 原書は逆に、主人公は描かれておりませぬ。
おそらく、主人公は無色透明のキミという観点からでございましょう。

 その表紙に描かれていたのが「悪死」の旗ざおを持つ亡霊武士で、
そのインパクトが非常に強く、
『サムライの剣』といえば、「悪死」の旗印というイメージが刷り込まれてしまいました。
 そこで、
この「悪死」の旗印と主人公を同時に描く必要上から、
ホビージャパン版では、「悪死」が主人公の旗印となったのでございましょう。

 まあ、そうした違いを些細なものとしてしまう変更点が、
このゲームブックにはございます。
 ご存知のとおり、イラストですな。
 原作のイラストは「ここ、どこ?」ってな感じの、間違った日本観バリバリの、しかもファイティング・ファンタジーらしいリアルなイラスト。
 対してホビージャパン社版のそれは、現在のライトノベルらしい絵柄。

 二つが同じもの!? という感想は、このシリーズ共通のものでございましょう。

 ですが、特に今回は、日本に似た場所が舞台となっているだけに、それが特別なものとなっております。
 
 間違った日本観大好き!! という方は、ぜひとも社会思想社版を手にとってくださいな、
とだけ申しあげておきましょう。

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