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017/12/17 ゲームブッククイズ(5) タイムマシン・アドベンチャー3『ムサシの剣』スティーヴ・ペリー、マイケル・リーヴス著/  田村源二(昭和60年6月 二見書房)。ホウゾウイン(宝蔵院)からキョウ(京)に向かう途中で出会う、盲人の按摩の名前は?
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 まぁ、失敗したほうが得、というのは、ゲームブックを考えていると、誰でも思いつくことではございましょう。

 でも、うまくいっているとクリア不可というのは、ゲーム的にはありえませんな。

 では、物語的には?

 ゲームブックは、ゲームであると同時に、物語でもございます。
 そのため、ゲームとしてみた場合と、物語としてみた場合の二つの側面から論じられるべきでございます。

 ゲームとしてみた場合には、成功には報酬を、失敗にはペナルティを、という考えが当然でございましょう。

 しかし、物語としては必ずしもそうではございません。
 失敗したけど、あるいは、失敗したら、うまくいっちゃったというのは、ギャグなどでよくある例でございますからな。

 そこが、ゲームブックに“失敗したほうが成功”という、何とも変な状況を割り込ませる要素となっているわけでございます。

 さて、この相反する状況をどうすればいいか?

 これも2つのケースが考えられます。

 まず、判定要素がない場合。
 パラレル小説型と呼ばれるヤツですな。
 戦闘ルールや技能チェックがない、もしくは意味合いが軽いゲームブックの場合。
 この場合は、物語要素が強く現れているわけでございますから、話の展開次第ではアリでございましょう。
 うまくやったと思ったら、失敗……。
 そのような理不尽なデッドエンドも、説明がつけば(しぶしぶ)納得できることもございますし、逆にその理不尽さがウリとなっていることもございます。

(まあ、それでもやはり、納得できない場合も多ございますけどね。
FFシリーズでも、判定なしにバッドエンドはございますな。
それで納得できないことも……。それと似たようなものでございます)

 もう一つは、失敗すればクリア、成功すればクリア不可というような、極端な話ではございません。

 が、ゲーム性と物語性を両立させつつ、失敗したほうがお得感がある方法でございます。

 どういうことかと申しますと、

 成功すれば、すんなり障害をパスできるけど、
 失敗すると、目標にたどり着くのにさらなる展開が必要となる。でも、そのイベントが楽しい。

 という仕組みでございます。
 つまり、失敗したほうが面白い展開が用意されている、ということでございますな。

 単行本として発売されたものとしては日本初のゲームブックの一つに
『騎士ローラン妖魔の森の冒険』(朝日ソノラマ)がございます。
このゲームブックの後書きに、次のようなことが書かれております。

 あなたは小説や,映画を見ていて,たとえば主人公が悪役の罠にはまったりした時,(なんであんな単純なトリックに引っかかるんだろう?)とか,(僕ならああいう判断はしないな)などと考えたことはありませんか? あるいは,(私ならこちらの道を選んだのに。そうしたら一体どんな展開になっていただろう?)とか……。
 この本はそういった,たくましい想像力をお持ちのあなたのために創られました。

 これは、ゲームブックの説明として、非常に基本的なものだと存じます。
 でも、考えてみてください。

 映画などでは、しばしばそのような場面が登場しますが、
でもその「僕なら~」を採用した場合、本当に面白い話になるかどうかを……。

 もちろん、そうなる話もございましょう。
 でも、そうではない話も多くございます。
 たとえば、
『ダイ・ハード』
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
失敗が面白い展開を生んでいく話だったように存じます。

 主人公が完璧な行動をしていたら、お話にならない場合さえございましょう。

 TRPGでも、判定に失敗したから面白くなったという例はございましょう。
 と申しますか、もし失敗にシビアな要素しかないのだとしたら、
マスターの意味など半分になってしまうでしょうし、
TRPG自体の面白さも半減してしまうことでございましょう。

『ディオゲネスクラブ殺人事件』というゲームブックがございます。
 シャーロック・ホームズもののゲームブックと申しますと、二見書房の『10の怪事件』が筆頭に挙げられますが、個人的にはホビージャパン社のこのゲームブックのほうが、ゲームブックらしくわかりやすくて好みだったりいたします。

 一回しかプレイしていないので、実際のところはわからないのですが、
 このゲームブックでおもしろいのは、判定に失敗しても、続きがあるということでございます。
 成功していたら簡単にいきそうなところで、判定に失敗して、こりゃダメかな、と思いつつページをめくると、ちゃんと展開が用意されている。
 こういうゲームブックだと、判定に失敗しても、ズルをしないで結果に従おうという気になるというものでございます。

 あとは、『SDガンダムガシャポンウォーズ』。
 このゲームブックの場合、判定に失敗した場合、デッドエンドなのはデッドエンドなのですが、
それが単に「君は死んだ」ではなく、ちゃんと工夫されていて楽しいのでございます。
 ただ、このゲームブック、戦闘は主人公が勝ちやすくできているので、
デッドエンドになかなか行きあたらないという……。
 わたくしも、ゲームをクリアして、あとで全体を読みなおして、改めて気づいた次第でございます。

 このように、失敗しても面白い、というゲームブックなら、ゲーム的にも物語的にも条件を満たせると思うのでございます。

 ただ、こうしたゲームブックは、けっこう少ないのですな。
 理由は、作るのに面倒だからでございましょう。
 ルートがそれだけ増えるのでございますから。
 加えて、正解ルートでとおるパラグラフがそれだけ減るということでございますから、
ある程度のページ数がないと、満足できる作品にはならないのでございます。

 そのため、判定に成功し続けてクリアした人からは、なんだこれだけ? と感想を持たれそうでございます。

 正解ルートでより豊かな物語を読ませたい、しかもページ数の制約がある……、
となると、どうしてもメインの物語が中心になってしまいますな。

     ☆     ☆     ☆

 失敗と申せば、『カイの冒険』は、エンディングが必ず失敗ですな。
 どんなにがんばっても、ドルアーガに囚われに行く旅でしかない。

 これについて、以前賢者の石井文弘さまに手紙で話題にしたところ、

 もし、カイがドルアーガをやっつけてしまったら、ギルガメスの冒険がなんだったんだ、ということになる、

と、いうような答えが返ってきて、それはそれで正しいと思うのでございますが、ありえないレベルのシビアな判定で、カイがドルアーガを倒すというエンディングもいいと思ったのでございますよね。

 もっとも、それでも、そのような可能性があると、やはりギルの冒険の意味は薄れてしまうかな?
 特に、ゲームブックはズルができますし……。
 難しいところではございます。

 

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 ププププーさまのブログ、2009/04/10日の記事「黒き血脈の予言の罠に、次のようなことが書かれておりました。

 この「黒き血脈の予言」というゲームブックでは、
ゲームをクリアするために、運試しに失敗しなければならない らしいのですな。
 で、これはアリなのか と。

 この作品をわたくしはプレイしておりませぬので、具体的なことは申しあげられませぬ。
 が、一般的にはナシでございましょう。
 
 当然ながらゲームブックは、ゲームとしての側面を持っております。
 ゲームは、成功には報酬を、失敗にはペナルティを、というのが基本でございますから、
成功がペナルティとなるというのは、あり得ませぬ。

 そういう意味において、これはナシでございます。

 ただし、次の二つの場合には、成功したらクリアできない、という部分を組み込んでも良いように思います。

 一つは、能力値を高く設定しているプレイヤーにたいする警告
 PCの能力値をいつも最高レベルに設定してプレイするプレーヤーはよくいるので、
作者がそれに対してペナルティを与えたくなるのも当然でございましょう。

 いわば、失敗ではなく、反則に対するペナルティでございますな。
 ゲームブックは自己申告のゲームでございますから、イカサマに対する作者側のチェックというのは基本的にできません。
 そこで、このような方法を導入するというのは、考えとしてはアリかとぞんじます。

(確か、『ラプラスの魔』は、一度死なないとクリアできないのではないでしたっけ?)

 ただしその場合、運点が低くてもクリアできる難易度である
ということが作品の必須条件になってくると思われます。
 運点が低くないとクリアできないのに、運試し自体が多かったり高い点を要求しているのでしたら、いたずらに難易度を上げているだけですからな。
※ 14日の記事を読みますと、やはり、いたづらに難易度を上げるための存在だったようでございますな。

 もう一つは、ゲームブックに対する考え方の問題でございます。

 もし、作者が、ゲームブックを、
“何度も失敗して成功へとたどり着くアドベンチャーゲーム”、
として捉えておりますのならば、どんないやらしい仕掛けもアリとなりましょう。

 その場合、運試しに失敗しないとクリアできない、というのが謎であり、
それを解くことが成功=クリアへの道、となるからでございます。

 まぁ、それを言ってしまったら何でもアリになってしまうのではございますけどね。
 でも、実際に、解決に理不尽なことを要求されるアドベンチャーゲームやゲームブックは多いものでございます。
 その場合、マッピングでもフローチャートでも、丹念に書いて、とにかく解け、ということなのでございましょう。

 このように、何でもアリ、と考えた場合、それがアリかどうかは、プレイヤーにゆだねられるものだと存じます。

 で、場合、アリかどうかは、面白いかどうかにかかってくるのだと思いますな。

 つまり、物語の展開とうまく絡まっていたり、ゲームバランスのために貢献しているかなどと申すことですな。

 ププププーさまが、アリかを問題にされているのは、結局、運点が低くなければゲームをクリアできないという条件が、ゲームを面白くする要素となっていないからだと思うのでございます。
 
 一般的に申しましても、
 失敗しなければクリアできない、というのは、思いついたときには画期的に思えるのですが、実際にやってみると面白くない、というケースの一つだと思いますな。
 

 さて、それでは、原作と申しますか、社会思想社版との違いについて見てまいりましょう。
 社会思想社版では、作者であるJ・トムスン、M・スミス両先生の名前が書かれていたのに、今回は、英語表記の、いわゆる奥付に当たる部分のみ。

 作者の名前は、スティーブ・ジャクソン、イアン・リビングストンということになっております。
 ジャクソンとリビングストンの名で売っていこうという考えなのでございましょうか。
 何か、コンピューターゲームで、実際の開発メーカーの名前が表に出ないのを想像させます。
 作品だったものが商品と認識されている感じがして、
文学部ゲームブック科といたしましては、好きになれない表記でございます。

 社会思想社版と、ホビージャパン版で大きく違っているのは、ネーミングでございますな。

 社会思想社版、すなはち松坂健先生の訳は、日本語の固有名詞など、原作者がこう書きたかっただろう言葉に置き換えて訳しております。
 これが、一般的な訳し方でございましよう。
 対して、ホビージャパン社版、デジタル・メディア・ラボ社の訳は、
松坂訳とは違うものにするという制約があったのでございましょうな。
 面白がっているのか苦労しているのかは存じませんが、ちょっとひねった語が当てられております。

 たとえば、こんな具合ですな。
 
   松坂健先生訳     ゲームブック・ラボ社訳

    八幡国           蜂漫国
   鍔鳴りの太刀       鳴海の太刀
   長谷川喜平        馳皮奇兵
    今市             紺壱
    鬼軽            御仁駆
    処水山         寿司牡胃山地
    貞信公          津江鎮公
     :                :
     :                :

 ゲームブック・ラボ社訳のほうは、無理な当て字があったりして、
それで笑いをとろうとしているのかな? などと考えますが、
無理して笑いを取りにいくと失敗する、という例のような感が否めませぬ。

 思いついたものを見てまいりますと、

  蜂漫国と申すのは、"Be(e) Comical"というシャレなのでございましょうな。

「鍔鳴りの太刀」「鳴海の太刀」は、原作では"Singing Death"となっているようでございます。
 どっちが良いかと申しますと……、う~む。
 原作の「歌う死」のほうがカッコいいような……。
 日本の話ではなくなりそうな気もいたしますが。

 あと「悪死」の旗印が、亡霊武士(死霊サムライ)(パラグラフ82)のものだったのが、主人公の旗印に変わっております。

「悪死」は"Evil Death"の訳語だと、確か「ウォーロック」誌に書いてございました。
それを
「悪には死を与えて罰する」
と、主人公の旗印にしてしまったのは、
主人公を表紙に描くというホビージャパン版の選択ゆえでございましょう。

 原書は逆に、主人公は描かれておりませぬ。
おそらく、主人公は無色透明のキミという観点からでございましょう。

 その表紙に描かれていたのが「悪死」の旗ざおを持つ亡霊武士で、
そのインパクトが非常に強く、
『サムライの剣』といえば、「悪死」の旗印というイメージが刷り込まれてしまいました。
 そこで、
この「悪死」の旗印と主人公を同時に描く必要上から、
ホビージャパン版では、「悪死」が主人公の旗印となったのでございましょう。

 まあ、そうした違いを些細なものとしてしまう変更点が、
このゲームブックにはございます。
 ご存知のとおり、イラストですな。
 原作のイラストは「ここ、どこ?」ってな感じの、間違った日本観バリバリの、しかもファイティング・ファンタジーらしいリアルなイラスト。
 対してホビージャパン社版のそれは、現在のライトノベルらしい絵柄。

 二つが同じもの!? という感想は、このシリーズ共通のものでございましょう。

 ですが、特に今回は、日本に似た場所が舞台となっているだけに、それが特別なものとなっております。
 
 間違った日本観大好き!! という方は、ぜひとも社会思想社版を手にとってくださいな、
とだけ申しあげておきましょう。

 4月1日、ついに『サムライ・ソード』が発売とあいなりました。
 社会思想社版の『サムライの剣』でございますな。
 つまり、これ(『サムライ・ソード』)も購入可能なゲームブックの中に入ったわけでございます。

 まず、社会思想社版を知らない方にむけて、結論を書いておきましょう。

 このあと、原書(社会思想社版)との相違について書いてまいりますが、
そんなものはナシにしてプレイしたほうが楽しめることでございましょう。

『デストラップ・ダンジョン』や『ハウス・オブ・ヘル』のときも書きましたが、このシリーズは、FFシリーズの装いだけを変えて出版された、いわばお色直しバージョンでございますから、ストーリー展開やゲームバランスなど、基本的な部分については手を加えられておりませぬ。
 装いを変えた部分についても、原作とは異なるテイストではございますが、読みやすく楽しめるものとなっております。

 原作のテイストとの違いについては、これはもう仕方がないことでございましょう。
 申してみますれば、あちらは天然でございますからな。
 天然ボケのキャラをあなた自身が演じて、もっと面白くできるかどうか想像してごらんなさい。
 天然ボケのすごさは、予想のつかないことにあり、
それを超えるとなると、今度は逆にさらに高度なギャグセンスと知性が必要になると思われますからな。

 原作とテイストを変えたのは成功、と申しますよりも、
必然、とさえ申してよろしいでございましょう。

 

 さて。

『地獄の館』
(この方が言いやすいので、それで勘弁してくださいませ)は、
スティーヴ・ジャクソンが、のちほど出てまいる予定の、
大著『ソーサリー』を書き上げたあとの第一作となる作品でございます。

 大作を書き上げたあとですから、
今度は逆に、
400パラグラフという制限の中に、フローチャートのパズル性を思いっきり詰めてみよう
とでも、考えたのでございましょうか。
 作家と申すものは、得てしてそんなことを考えるものでございます。

 とにかく、難しい……。

 その難しさは、リビングストンの難しさとは異なっております。

 リビングストンのそれは、
一つ一つの罠の難易度が高かったり、
出てくる怪物が強かったり、
ルート選択にしても、ああ、これを探せばいいんだなとか

ある程度見当がつく謎だったりするのですが、

ジャクソン
のほうは、そうはまいりませぬ。
 たしかに、あれを探せば--というのはあるのでございますが、
複雑に絡み合うルートの中にそれが隠されていて
どこをどう通ったら手に入れられるかわからない。
どこをどう通ったら生き残れるのかわからない、
そういう謎なのでございます。

 そのために、難易度が高くなっているのでございますが、
一方で、これはゲームブックの特徴でもあるのでございますな。

 よく、ゲームブックはTRPGと比較されますが、TRPGではこれができない。

 そんなにタイトに物語を作ってしまったらプレイヤーに怒られますし、
何度もトライすること前提でなければこうした罠は仕掛けられないからでございます。

 こうしたゲームブックの要素は、
アドベンチャーゲーム(とくに、テキストアドベンチャー)から取り込んだ要素なのでございます。
『ミステリーハウス』や『ゾーク』など、今では古典的とも申せるアドベンチャーゲームを、
わたくしはあまりプレイしたことがないので、よくは存じ上げないのでございますが。
 ともかく。

 そんなわけでございますから、戦闘に勝ってももうそこは蟻地獄。
どうあがいてもバッドエンドの袋小路、という場面もございます。

 さらに難易度を高くしているのが、恐怖点の存在ですな。
 このゲームブック、最短ルートをとおっても、8点は恐怖点が加算されるのだとか。
 つまり、恐怖限界点は9点以上でないとクリアできない ということだそうでございます。
 恐怖限界点は、[サイコロ一個+3]でございますから、
平均といえば平均なのでございますが、それが最低必要な点数となのでございますから、けっこうハード。

 要するに、ヒイラギマキ様は相当タフな女性ということでございますな。
 でも、それではイメージにあわないと申す方もおられるでしよう。
 マキは、もっとか弱い女性--、とおっしゃる方もいらっしゃいましよう。

 そういう方のために、少々考えてみました。
 このような変更はいかがでございましょうか。

 恐怖限界点と現在恐怖点で、
たがいに2個ずつサイコロをふって、
戦闘の要領で比較しあう。
で、
限界恐怖点の方が勝っていたらまだ平気、
というルールでございます。

これだと、恐怖限界点を越える前にゲームオーバーになるかもしれませぬし、逆もまたありえます。

なによりもサイコロをふる楽しさが発生しますし、
スリリングで面白いことでございましょう。

 さらに加えて、鈍感点なるものをみるのもいいかもしれません。
 具体的には、

1.12から恐怖限界点を引き、出た目に2を加える。

 12-(恐怖限界点)+2

この数字が、マキの「鈍感点」となる。

2.「恐怖点を○点加える」という指示があった場合は、
恐怖点1点ごとにサイコロを2個ふる。

3.1と2を比べて、「鈍感点」の方が勝っていた場合、その恐怖点1点は加算しない。

 つまり、鈍感なあまり、恐怖の出来事だったということに気づかなかった、ということでございますな。

 これだと、ボケボケなキャラクターが表現できて、よろしいかもしれませぬ。

((1)の「12-(恐怖限界点)」は単純に、
「サイコロ一個の出目(1d)」
でもいいかなと考えたのでございますが、
そうすると、恐怖限界点も高くて、鈍感点も高いキャラクターができて、
ちょっと有利すぎな感じがしたのでやめておきました。

 まあ、面白ければ、それでもよろしいのですが。)

 さらに
 それでも難しい。
 戦闘ルールって、サイコロをふるのに本を置かなくっちゃならないからめんどう、
という方がおられるかもしれません。
 それならば、いっそのこと戦闘はすべて勝ったことにして進めても問題ないと存じます。
 最後の戦闘に関しましては、
クリスナイフを持っていれば勝ち、持っていなければ負け、ということで。

 この『ハウス・オブ・ヘル』という作品は、最後のほうの敵以外、そんなに強くないのですな。
 それはまあ、武器を持っていないために最初の段階では自分も弱いということもあるのですが、
そのことはひとまづ措くといたしまして。

 このゲームブックの特徴は、戦闘よりもそのフローチャートの中に組みこまれたパズル性にあるのでございます。
 そのパズル性に集中するために、戦闘をオミットしたいと申すのなら、それはそれでアリだと思うのであります。

 最後の敵は強いのでございますが、クリスナイフを見つけるとことも同じぐらい大変なので、戦闘をナシにして、難易度を下げるというのは、アリだと思うのでございます。
 せっかくここまで来たのに、サイコロ運が悪くってエンドになったら目も当てられないですからな。

 それでもクリアできなければ……。

 数値を上げるなり、フローチャートを描くなり、すべての項目を読んでみるなり……。
 もう、とにかくあらゆる手段を試してみてよろしいと存じます。
 そこらへんは、自分の裁量で。
 ただし、最初に自分で決めたルールは、最後まで貫くこと。
 途中でフラフラと変えるよりも、そのほうが面白いと存じます。
 ゲームというのは、ルールのもとでの娯楽なのでございますから。

 まあ、これには反論もございましよう。
 
 どんな場合でも、ルールを曲げるのは、間違っている。
 それは、制作者の意図に反する行為だ。

 それはそれで、非常に正論なのでございますが、
 制作者の想定するプレイヤーと、
 実際にプレイする「君」とでは、通常違うものでございますからな。

 それに何よりも、
 途中で放り出して、積みゲーの神さま に許されるよりは、よっぽどよろしいと思うのでございます。

 ただ、お願いしたいことが一つ。

 そうやって、正規の方法ではない方法でゴールした場合、
「簡単だった」とか「大したことなかった」などとは決して言わないでください。
 そういうことが、FFシリーズの難易度を上げていったような気もするからでございます。

         ☆         ☆         ☆

ヒント:

ノスクカジェイ・エベッツさまのブログ、「社会思想新社」
原書を調べないと分からない事 地獄の館 House of Hell篇 」を読みますと、

パラグラフ93のこぶ男のセリフは、

「合言葉……
新しいほうは確か--。
……。
くっ、思いだせん。
ドゥラマー[Drumer]? 違う、それはこの館そのものじゃないか! それじゃ、バラバラのまぜこぜだ!!
あ、あんたが悪いんだぞ! あんたが、酒なんか飲ますもんだから……」

てな感じがよろしゅうございましょうかねぇ。

 ただ、ここで書かれている訳の不備に関しては、それほど問題ではないと存じます。

 と申しますのは、このヒントに対応する箇所は、
 パラグラフ237でございますが、

選択肢の最初の一つは、こぶ男の言葉によって否定されておりますし、四つ目は「館そのもの」でありえないでしょう。となると、ニ択。まあ、ニ択ぐらいは……だめですか?

 いずれにせよ、翻訳と申すものは難しいものでございますな。

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