こちらも、主人公を女性に変えてございます。
イギリスに留学中の女学生だそうで--。
西洋館だからと、何も舞台をイギリスにしなくてもいいのに……、
とわたくしなどは思いますけどね。
『霧の中の悪夢』
(小野寺紳 作/有村コーシ/Wood Y 画・1985/08 成美堂出版)
なんて、
日本の山奥の
地図に載っていない地域を調査に行ったら、そこに西洋館が建っていて……、
という大雑把な始まり方をいたしますし--。
それはともかく原作では、
主人公が自動車で道に迷って山の中でーーと、
あまりにもオーソドックスなホラー展開でスタートいたします。
ところが今作は、主人公を、
同国の成年男性を想定していた原作から、
異国の未成年女性に変更してたものですから、
車を一人で運転することもかないませぬのですね。
そこで、
タクシーの中で寝込んでしまったら、いつの間にか山の中に置き去りにされた、
というプロローグに変えられたわけでございます。
ぱっと見、当たり障りのない導入ではございます。
ただこれですと、
なぜ運転手が、こんな山の中にタクシーを踏み入れさせたのか、
が疑問。
山一つ越えて帰らなければならないところに
ホームステイ先があるわけでもございませんでしょうに。
館の人間が、魔術的手段を使っておびき寄せた、
というのが一番考えやすいでしよう。
途中、それをにおわせる発言(73ですとか)もございますし、
でも、それだと館の住人が、何らかの動機が必要だと思うのでございますが、
そういうものがあまり感じられないのでございますな。
彼女を積極的にいけにえにしようとしているようにも思われませぬし。
もっともホラーなので、そこら辺はいい加減でよいのかもしれませぬ。
男性から女性に主人公が変わったことで、なんとなくおびき寄せられたというのがしっくりとくるような感じもいたしますしーー。
大体が原作からして、主人公の心の動きは曖昧ですものな。
単に館から脱出することだけを考えておればいいものを、
クリスナイフで悪魔を倒すことが目的となる……。
主人公が無色透明であるがゆえに、そのターニングポイントは、曖昧でございます。
一応、脱出口は玄関のほかは地下の抜け道しかない(75)
と書かれておりますから、
それを探していたら、なんかナイフ見つけちゃって、
ボス敵に出会ったものだから殺しちゃった、
ってことなのやもしれませぬが。
プロローグはそのようなのでございますが、
エピローグも大きく変わって……。
いえ、そうではございませぬな。
原作にはエピローグなどございません。
ただ、地獄の館が全焼して終わります。
それに対して、ホビージャパン版では、主人公、ヒイラギマキ様の後日を描いております。
どうやってホームスティ先までたどりついたのかな? と思いましたら、
「どうやって戻ったかほとんど覚えていない」
……。
まっ、賢い解決方法ですな。
実にホラー映画的でございます。
で、ここで唐突に携帯電話が登場します。
忘れていたのだとか……。
普通なら、はじめのほうで書きそうなものですが……。
作訳者も忘れていた、のでございましょうか?
さて、そのようにプロローグとエピローグは主人公にあわせて大きく変えられておりますが、
本文中の変更は、わかり易さに留意したという点以外は、それほどございません。
わかりやすさと申すのは、たとえば、400番。
社会思想社版ではここ、
「生き物」と「もう一人の敵」となっていて、
誰と誰、あるいは何と何のことなのかは、
ここを読んだだけではわかりませぬ。
これがホビージャパン版では、
はっきりとわかるように書かれていて、
前のバラグラフを覚えていなくても、読めるようになっております。
あと、主人公の心情も描かれており、
これも主人公が無色透明の存在であった原作とは違うところでございますな。
ただ、それだったら二人称である「君」はもはや必要もない気もするのでございますが……。
そう考えて改めて読み直しますと、
この本、人称がけっこう楽しいことになっているのですよな。
まず、最初は「彼女」と三人称。
次に、一行あけたところ、「気がついたとき」からは、人称なし……
と申しますか、 「自分」というのが人称の代わりに使われておりますな。
で、本文が「君」で二人称。
最後にエピローグが「私」で一人称。
一つの作品の中で、人称がこんなに変わるのは、けっこう珍しいかもしれませぬ。
ただ、これはある一定の効果をあげているように存じます。
つまり、
俯瞰から入って(三人称)、
主人公にカメラが固定し(「自分」)
さらに主人公視点になっていく。(二人称)
そして最後は、ふたたび、主人公にカメラが向けられる。
しかしそれは、「自分」のときよりも、より主人公よりの見方になっている……。
穿った見方と申されるかもしれませぬが、そのような映画的な手法を
作訳者は考えているのかもしれませぬ。