さて。
『地獄の館』
(この方が言いやすいので、それで勘弁してくださいませ)は、
スティーヴ・ジャクソンが、のちほど出てまいる予定の、
大著『ソーサリー』を書き上げたあとの第一作となる作品でございます。
大作を書き上げたあとですから、
今度は逆に、
400パラグラフという制限の中に、フローチャートのパズル性を思いっきり詰めてみよう
とでも、考えたのでございましょうか。
作家と申すものは、得てしてそんなことを考えるものでございます。
とにかく、難しい……。
その難しさは、リビングストンの難しさとは異なっております。
リビングストンのそれは、
一つ一つの罠の難易度が高かったり、
出てくる怪物が強かったり、
ルート選択にしても、ああ、これを探せばいいんだなとか、
ある程度見当がつく謎だったりするのですが、
ジャクソンのほうは、そうはまいりませぬ。
たしかに、あれを探せば--というのはあるのでございますが、
複雑に絡み合うルートの中にそれが隠されていて、
どこをどう通ったら手に入れられるかわからない。
どこをどう通ったら生き残れるのかわからない、
そういう謎なのでございます。
そのために、難易度が高くなっているのでございますが、
一方で、これはゲームブックの特徴でもあるのでございますな。
よく、ゲームブックはTRPGと比較されますが、TRPGではこれができない。
そんなにタイトに物語を作ってしまったらプレイヤーに怒られますし、
何度もトライすること前提でなければこうした罠は仕掛けられないからでございます。
こうしたゲームブックの要素は、
アドベンチャーゲーム(とくに、テキストアドベンチャー)から取り込んだ要素なのでございます。
『ミステリーハウス』や『ゾーク』など、今では古典的とも申せるアドベンチャーゲームを、
わたくしはあまりプレイしたことがないので、よくは存じ上げないのでございますが。
ともかく。
そんなわけでございますから、戦闘に勝ってももうそこは蟻地獄。
どうあがいてもバッドエンドの袋小路、という場面もございます。
さらに難易度を高くしているのが、恐怖点の存在ですな。
このゲームブック、最短ルートをとおっても、8点は恐怖点が加算されるのだとか。
つまり、恐怖限界点は9点以上でないとクリアできない ということだそうでございます。
恐怖限界点は、[サイコロ一個+3]でございますから、
平均といえば平均なのでございますが、それが最低必要な点数となのでございますから、けっこうハード。
要するに、ヒイラギマキ様は相当タフな女性ということでございますな。
でも、それではイメージにあわないと申す方もおられるでしよう。
マキは、もっとか弱い女性--、とおっしゃる方もいらっしゃいましよう。
そういう方のために、少々考えてみました。
このような変更はいかがでございましょうか。
恐怖限界点と現在恐怖点で、
たがいに2個ずつサイコロをふって、
戦闘の要領で比較しあう。
で、
限界恐怖点の方が勝っていたらまだ平気、
というルールでございます。
これだと、恐怖限界点を越える前にゲームオーバーになるかもしれませぬし、逆もまたありえます。
なによりもサイコロをふる楽しさが発生しますし、
スリリングで面白いことでございましょう。
さらに加えて、鈍感点なるものをみるのもいいかもしれません。
具体的には、
1.12から恐怖限界点を引き、出た目に2を加える。
12-(恐怖限界点)+2
この数字が、マキの「鈍感点」となる。
2.「恐怖点を○点加える」という指示があった場合は、
恐怖点1点ごとに、サイコロを2個ふる。
3.1と2を比べて、「鈍感点」の方が勝っていた場合、その恐怖点1点は加算しない。
つまり、鈍感なあまり、恐怖の出来事だったということに気づかなかった、ということでございますな。
これだと、ボケボケなキャラクターが表現できて、よろしいかもしれませぬ。
((1)の「12-(恐怖限界点)」は単純に、
「サイコロ一個の出目(1d)」
でもいいかなと考えたのでございますが、
そうすると、恐怖限界点も高くて、鈍感点も高いキャラクターができて、
ちょっと有利すぎな感じがしたのでやめておきました。
まあ、面白ければ、それでもよろしいのですが。)
さらに
それでも難しい。
戦闘ルールって、サイコロをふるのに本を置かなくっちゃならないからめんどう、
という方がおられるかもしれません。
それならば、いっそのこと戦闘はすべて勝ったことにして進めても問題ないと存じます。
最後の戦闘に関しましては、
クリスナイフを持っていれば勝ち、持っていなければ負け、ということで。
この『ハウス・オブ・ヘル』という作品は、最後のほうの敵以外、そんなに強くないのですな。
それはまあ、武器を持っていないために最初の段階では自分も弱いということもあるのですが、
そのことはひとまづ措くといたしまして。
このゲームブックの特徴は、戦闘よりもそのフローチャートの中に組みこまれたパズル性にあるのでございます。
そのパズル性に集中するために、戦闘をオミットしたいと申すのなら、それはそれでアリだと思うのであります。
最後の敵は強いのでございますが、クリスナイフを見つけるとことも同じぐらい大変なので、戦闘をナシにして、難易度を下げるというのは、アリだと思うのでございます。
せっかくここまで来たのに、サイコロ運が悪くってエンドになったら目も当てられないですからな。
それでもクリアできなければ……。
数値を上げるなり、フローチャートを描くなり、すべての項目を読んでみるなり……。
もう、とにかくあらゆる手段を試してみてよろしいと存じます。
そこらへんは、自分の裁量で。
ただし、最初に自分で決めたルールは、最後まで貫くこと。
途中でフラフラと変えるよりも、そのほうが面白いと存じます。
ゲームというのは、ルールのもとでの娯楽なのでございますから。
まあ、これには反論もございましよう。
どんな場合でも、ルールを曲げるのは、間違っている。
それは、制作者の意図に反する行為だ。
それはそれで、非常に正論なのでございますが、
制作者の想定するプレイヤーと、
実際にプレイする「君」とでは、通常違うものでございますからな。
それに何よりも、
途中で放り出して、積みゲーの神さま に許されるよりは、よっぽどよろしいと思うのでございます。
ただ、お願いしたいことが一つ。
そうやって、正規の方法ではない方法でゴールした場合、
「簡単だった」とか「大したことなかった」などとは決して言わないでください。
そういうことが、FFシリーズの難易度を上げていったような気もするからでございます。
☆ ☆ ☆
ヒント:
ノスクカジェイ・エベッツさまのブログ、「社会思想新社」の
「原書を調べないと分からない事 地獄の館 House of Hell篇 」を読みますと、
パラグラフ93のこぶ男のセリフは、
「合言葉……
新しいほうは確か--。
……。
くっ、思いだせん。
ドゥラマー[Drumer]? 違う、それはこの館そのものじゃないか! それじゃ、バラバラのまぜこぜだ!!
あ、あんたが悪いんだぞ! あんたが、酒なんか飲ますもんだから……」
てな感じがよろしゅうございましょうかねぇ。
ただ、ここで書かれている訳の不備に関しては、それほど問題ではないと存じます。
と申しますのは、このヒントに対応する箇所は、
パラグラフ237でございますが、
選択肢の最初の一つは、こぶ男の言葉によって否定されておりますし、四つ目は「館そのもの」でありえないでしょう。となると、ニ択。まあ、ニ択ぐらいは……だめですか?
いずれにせよ、翻訳と申すものは難しいものでございますな。