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2025/06/05 電気スタンドが壊れました。いろいろ動かしたり落としたりするものでございますから、特にコードの付け根部分がよれて断線してしまうことがよくございます。直そうとしてハンダとかも買ってまいったでございますが、コンセントに挿すような大きめのプラグではなく、小さいものでございますから、火花が散ったり危険なことに。うまく挿す小手ができるコードが見つかったのですが、電圧が違ったらしく、そのまま沈黙ししまいました。で、買ってきたのがコンセントに直接差し込むタイプのナイトライト。これを延長コード煮つけてやれば線が切れることはまずございませんでしょう。ただ、あとでネットで見たら、デスク用スタンドライトにおすすめの明るさは300~400ルーメンとか。これは60ルーメンなんですよね。でも手元に持ってくることができ、寝るとき本を読むのに困らないのでとりあえずヨシ!
[12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22]
(1)で書いたことの繰り返しでございますが、本当に思っていたのと違っていました。
 もっと軍記物や歴史小説みたいな作品だと思っていたのでございます。
 
 歴史中心で、
悪魔の三人が、たがいに相手の出方を読みあいながら、策を弄していくといった、
そんな話を頭に描いておりました。。
 
 ところが、読んでみるとそんな話ではございません。
 
 そもそも、ザゴールが参戦していない。
 バルサスやザラダンにしても、戦場におもむいて直接指揮に当たるわけではなりません。
 
 バルサスは塔にこもったままでございますし、
ザラダンは後半空飛ぶ帆船要塞で戦地におもむくとはいうものの、
その本体は鏡の中に閉じこもったまま。
 とても陣頭指揮という感じはいたしません。
 
 戦術についてもそうです。
 巧妙な策というものは出てまいません。
 
 何しろ、バルサス軍の主軸は命令を聞かなかったり、単純頭のモンスター軍団。
 かたやザラダン軍は、
命令に忠実ですが本当に単純なものしか理解できない腐れ頭のゾンビ兵団です。
 
 そんな連中に複雑な作戦を命じても、どうせ理解できませんから、
勢い作戦は単純なものになります。
 
 代わりに活躍するのが、ファンタジー世界らしく魔法や魔的な存在でございます。
 
 モンスターやゾンビも十分にファンタジーでございますが、
それ以上の存在がこの戦いには出てまいります。
 
 ガンジーとソークといった異界の存在が戦況に変化を与え、
ゴブリンの指揮者にとりついたナイトシェードが
バルサス軍の運命を決定的なものにいたします。
 
 ところで、
 
 ガンジーというのは個人名ではなくて、
あるモンスター(と言っていいのか)全体の名前なんですね。
 
『バルサスの要塞』での登場シーンのイメージが強かったため、
バルサスが館に住まう前に住んでいた魔法使いが死して亡霊になった姿
だとばかり思っていました。
『モンスター事典』などではモンスター名として載っていましたが、
それでも個人名のように思っていたのです。
 
「ガンジーたち」と書いてあるあたりで、
何人もいることがどうやら分かりましたが
(ただ、個にして群な感じなので、何人などと数えるのが適当かは分かりません)、
それでも違和感がございまず。
 自分の中では『バルサス』に出てきたのは今後も、
同姓同名の悪い魔法使いの亡霊ということにしておきます。
 
 
      ☆    ☆    ☆
 
 
 つまりこの作品は、軍記物のたぐいではございません。
 タイトルが『トロール牙峠戦争』なので、
その戦争の終始についてはもちろん描かれますが、
この物語ではそれは横糸というもの。
 ストーリーを支配する縦糸は、
ダークメインという冒険者を主人公とした冒険でございます。
 やはりこの作品は、
まぎれもなく冒険の書であるファイティング・ファンタジーの一篇なのでございますな。
 
 

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『トロール牙峠戦争』
スティーブ・ジャクソン:著 安田均:訳
(グループSNE/2021/3)
 
 思っていたのと違っておりました
 というか、勘違いしていたのでございます。
 
タイタン』の魔法戦争の項で、
トロール牙峠での戦いに触れられておりますでしょ。
  
 ですからその戦いに、
悪魔と呼ばれるザゴール・バルサス・ザラダンの3人が関わっていて、
その詳細を描いた作品だとばかり思っていたのでございます。
 
 と申しますか、魔法戦争全体を、ですな。

 トロール牙での戦いは、その中でも見どころ──三国志でいえば赤壁みたいなもので、
そのためにそれがタイトルになったのだと……。
  
 旧「ウォーロック」誌の時代からず~っとそうだと思っていて、
読んだあとでもそう思っておりました。
 
 変だな、と思ったのは、
この記事を書くために『タイタン』を読み返したときのこと。
 いきさつやサラニモスの動きが全然違うじゃございませんか。
 
 あらためて考えてみますと、この時代であるはずがございません
 なにしろポートブラックサンドが存在(p.59)いたしますものな。
 
 魔法大戦後に出来たブラックサンドが、
それ以前の時代の話で出てくるわけがないのでございます。
 
 
 ではいつの時代か……。
 は、タイタンの歴史に詳しい人に任せることにいたします。
 
 まっ、いづれにせよ、この作品は
ゲームブックとも『タイタン』とも似て非なる世界線にあるようでございます。
 
 例えば『タイタン』では悪魔の3人はほぼ同年齢で、
師であるダークストームも17歳の時、三人の手で殺したことになっております。
 
 対して、『トロール牙峠戦争』では、
ザゴールがバルサスやザラダンに比べ、知名度も低く若いことになっております。
師の殺害にも関わっておらず、
それどころか、バルサス・ザラダンの行為を憤慨、軽蔑しているとのこと。
 
 リッサミナさんは、そうおっしゃっているのですな。
 だから、2人を打ち負かす方法を教えてくれるかもしれない(p.164)と。
 
 カネルウォートについて、
師からこの2人に伝えられたと書かれているのも(p.177)、
このことを裏づけておりましょう。
 
 2人に、ということは、ザゴールは教わっていないのですな。
 2人がこの魔薬を学んだのが、ザゴールが来る前だったのかもしれません。
あるいは、ダークストーム自身はこの研究に熱心ではなかったようですから、
その危険性を考慮して若いザゴールには伝えるのをやめたのかも。
 
 いづれにせよ、ザゴールは他の二人とは同格とは見られていなかった節がございます。
 
 一方でザゴールは、対等の立場と思っていたようでございます。
 三人はたがいにしのぎを削る好敵手だった、などと述懐しておりますし。
 まぁ、そうした認識の違いはよくあることではございますが。
 
 ただ、ザゴールが一番の若年だとすると、気になるのが三人の年齢でございますよねぇ。
 一体、三人はどのぐらいの時代にダークストームに弟子入りしたのか。今何歳なのか。
 
 だって一番若いザゴールの正体があれですよ。
 あとの二人は──。
 異界に行くことが出来るから、時間の流れが違うのかなぁ。
 
 魔術師の年齢はよく分かりません。
 
 
 そんなわけでこの世界は、
『タイタン』やゲームブックでの世界とはほぼ同じだけど
微妙に異なる世界なのでございます。
 
 そのあたり、TRPG界隈の方ならば容易に受け容れられると思いますが、
読み始めるにあたってそう心得ておくと、重箱の隅につまづくこともないかと存じます。

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Role&roll vol.198 「ブラッドパス」シナリオ、
「ハイドレンジアの気持ち」からイメージした
メインヒロイン(って言ってもいいですよね)
陽川紫花(ひかわ あい)さんの絵でございます。
 
ブラットパス
 
 ハイドレンジアとは紫陽花(あじさい)のこと。
 
 花言葉は、「美しいが冷淡」とか「辛抱強さ」とか「移り気」とか……。
 その色や、色が変わることからのイメージのようでございますが。
 
 日本でのイメージとはかなり違っておりますな。
 
 アジサイの原産は日本で、
それを品種改良したのがセイヨウアジサイだそうでございます。
 
 そのためアチャラでは、
アジサイ自体それほどポピュラーではないのでございましょう。
 
 なじみのないものに悪い印象を抱くということはよくあることでございます。
 
 で、「ハイドレンジアの気持ち」は、
この花言葉から連想された作品のようでございます。
 
 物語は単純でございますが、それゆえに盛れそう。
彼女の気持ちに沿って深化とかできそうな気がいたします。
 
 逆に、こういう話は好きではない、という方もおられそうですが。
 
 まぁ、倒される怪物としてではなく、1人の女性として扱って欲しいかな、
 などと思ったりいたします。
 
 
 さて、
 
 エネミーデータ解説によりますと
 、
異形化すると、花が人間の形に絡み合ったような姿となり、
 幻覚性のある香りや、鋭く束ねた蔦などで攻撃を行う」と、
 
バラランカやビオランテのような感じですが、
絵ではそこまで怪人・怪物化はさせておりません。

そこまで異形化させてしまうと、
悲しみとか怨みなんて表情にあらわれてまいりませんよね。
 
 ですから、絵はそれほど変身させない方向で描いております。
 
 紫陽花要素もほとんどございません。
 紫陽花に吸血鬼イメージってないですしねぇ。
 
 特徴として書かれた「幻覚性のある香りや鋭く束ねた蔦」も、
紫陽花由来の要素ではございませんし。
 
 それと、シナリオの雰囲気からすると、
陽川紫花さんってもっと子供っぽい顔つきのように思えますが、
絵は大人っぽくなってしまったような。
 
 でも、いい感じに複雑な表情にはなっていると思います。
 

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2021/06/01 それにしても、
ゲームブックの古本屋さんでのお値段って高くなりましたよね。
 
1990年代の後半、1999年あたりでございましたか、一番下火の時など、
古本市で双葉文庫のゲームブックが20冊束になって100円で売られていたのを
目にしたことがございます。
ダブりもいくつか入っておりましたが……。
 
あの時勝っておけば──でございましょうが、
そういう時って買わないものでございますよねぇ。
 
 
 
2021/06/02 平和の祭典オリンピックは、
最終戦争でもないかぎり行われるでございますか……。
 
なんかファンタジーなフィクションでえらい人が言いそう。
……。

東京オリンピックは、今後のオリンピックのための実験場なのかなぁ。
 
 
 

2021/06/02 『都会のトム&ソーヤ』ゲーム・ブック「ぼくたちの映画祭」
買ってきました~。
04/07のここでは「いったん忘れて発売日に本屋さんで驚きたい」と書きましたが、
実際には再確認しておいてよかった、となりました。
 
発売日、「6月2」までは覚えていたのですが、
こういうものは月の後半等出るものとひとり合点していて、
二十いく日かなんだろうな、などと思っていたのでございます。
 
 しかもこれ、
ふだんこのシリーズが置いてある児童書のところにはございませんでした。
 
 まだ入荷していないのかな、とあきらめて帰りがちに、
ダメもとで入り口付近の検索機にあたってみたら……、
なんと2階のレジ前に。
 
引き返して買いましたよ。
 
やっぱり「まちとむ」は格が違うんだなぁ。

うっかり買い逃すところでございました。
 
 
 

2021/06/03 『都会のトム&ソーヤ』ゲーム・ブック「ぼくたちの映画祭」、
「解けない方程式」編終了。
 
133のパズルでは詰まってしjまいました。

 最初はおそらく計算ミス、というよりも勘違い。
 
 その後迷走して、
カッコのものはカッコで、そうじゃないものは……
などと右往左往。
 
それにしても……。
 
「解けない方程式」の最初の一文はズルいよ~。
この一文、パロディとして何回使われていることか。
  
たしかに、自主制作の宇宙もの映画の冒頭に持ってきそうな出だしではございますが……。

これかい、って吹いてしまいました。
 
 雰囲気は、紹介動画でちょっと見たことのある「グノーシア」を感じさせました。
 
 ストーリーは一ひねりあって面白うございますな。
 
 ただ……、
ストーリーが秀逸でも、絵を思い浮かべると
やっぱり学校の廊下でどたどたやっているだけなんですよねぇ。
 
 登場人数も少ないですし。
 実際に上映してどこまでウケるか……。
 
 
2021/06/04 『都会のトム&ソーヤ』ゲーム・ブック「ぼくたちの映画祭」、
「ばれんたいん・すかぁず」編終了。
 
二四二のパズルは塗るのですな。
 
できあがった映画は、ホントにこんなセリフ録っていたの? 
って気がいたしましたが、まぁ不問といたしましょう。
 
行き当たりばったりに撮ったものがよくまとまったなぁ。
まぁ、お話だからでございますが。
 
そうは申しましても、フィクションとしてよくまとめております。
 
ただ、これは文章だけだからのことで、
映像としてのつながりを考えると、無理が出てくるような気も……。
 
 ちなみに、『オバケのQ太郎』を読んでおりましたら、
藤子・F・不二雄大全集」版の巻に「8ミリ超大作」と題して、
撮ったフィルムをつなげていったら、
ぜんぜん別の話になっちゃったっていうのをやっておりました。
 
藤子・F・不二雄先生の作品では他にもそんなのあったような気がいたします。
 
ドラえもん」ですと、のび太がシナリオ書いたために、最後のいいシーンを
犬に持っていかれるっていうのがございましたよね。
 
 まちとむ 
 
2021/06/05 『都会のトム&ソーヤ』ゲーム・ブック
「ぼくたちの映画祭」
 
日常」編は簡単に終わりますが、ルートがいくつもある模様。
 
 できあがった映画は、                   「9-TO」&「SOU-8」
シリーズ本編では出来ないけど、
やってみたかった話という感じでございますな。  
 
もっとエスカレートさせてもよかったような……?
  
パラグラフ二六六の「撮影中も、脚本どおりにいかなくて」は、
ほかの映画についての言及でもありそうなので、
その意味からも終わり方からも、
他の編をやった後にプレイするのがよろしいかと存じます。

2021/06/08 オリンピックフィーバーって今あまり言わないのは、
 
フィーバーって言葉自体が古いから? 
今の状況がとてもフィーバーっていう感じじゃないから? 
それとも、いまfeverって言葉を使うと、別の意味に解釈されそうだから?
 
 
 
2021/06/13 NHK-BS 「新日本風土記 桜の歌」
 
☆ 桜の下には人間の死体が埋まっている、というのは、実際にあった話みたい。
 ある村の話 だが、
昔は土葬だったのでその養分を吸って桜が生き生きと育っていたが、
骨壺に納められるようになってからは、
栄養と水分の失調で枝や樹皮は乾燥してポロポロ、
花も小さくなってしまったそうだ。
 
それはそれとして、桜の根元に眠りたいという気持ちは、分かるなぁ。
 
 
☆ 「同期の桜」は、西条八十先生の「二輪の桜」の替え歌だそうだ。
 
 ♪ 君と僕とは二輪のさくら 積んだ土嚢の陰に咲く ♪ 
 
って歌詞だそうだけど、
なんかこれだと桜じゃなくって桜草なんじゃ、という気が……。
 
 

2021/06/15 コロナのワクチンって、いちいち注射とか面倒だなぁ。
いっそのこと、人から人へと感染するように作ればいいのに……。
 
まぁ、そんな薬は出来ないだろうし、
もし可能としても医薬品メーカーが儲からないので作らないでしょうけど。
 
もし出来たら、ワクチンの流行により学級閉鎖とかあったりして。
 
 
 
2021/06/16 ゲームブックじゃないクイズ。
ドラえもんは身長123.9cm、胸まわり129.3cmっていうのはけっこう有名ですよね。
ではオバQの胸まわりは何センチでしょう?
 
 

2021/06/17 答:97cm
 
『藤子・F・不二雄大全集 オバケのQ太郎』2巻「ニューモードを着よう」、
p.313で採寸しております。ドラえもんよりもスリムですな。
 
ちなみに首周り97cm、腰周り97cmとか。
 
身長はここには書いてございませんでしたが、
ウィキペディアによりますと111cmだとか。
 
スリーサイズについてはそちらには書いてなかったので、
あまり知られていないのかなと思い、問題としてみました。
 
ただ、服の中がどうなっているかは謎なのですよねぇ。
だからこの数値もだいたいのものと考えた方がよろしいのかも。
 
 
2021/06/18 NHK-Eテレ「ソーイングビー」。

ベルボトムは海軍の制服から。
裾が広いのは、海に落ちた水兵を
それに引っかけて助けることが出来たことがあったからだという(ホントか?)。
 
制服なので地味な単色だが、
1960年代戦争反対の意味を込めてそれをカラフルに染め上げたものが広まり、
ヒッピー文化を象徴するファッションスタイルになったのだそうだ。
 
時代だなぁ。
 
 
 
2021/06/19 深夜、「ボトムズ」の最終話をやっていたので見てみました。
後半だけ。
 
サイボーグ009のヨミ編ラスト20001年宇宙の旅を合わせたような内容……。
 
なのはいいのでございますが、
コンピュータの声を声優さんの力量に任せているのが何とも……でございます。
 
「2001年」と同様、途中からコンピュータの音声がとぎれとぎれになったり、
テンポがデタラメになっていくのですが、
機械的な断絶ではなく人間の声に頼っているので、
どうしても音声が連続してしまっているのですな。
 
気にしなければ気にならないのでございましょうが……、
なんか気になってしまいました。
 
2021/06/?? ウルトラQ「ガラダマ」を見ました。
ダムに沈んだ村が出てくるあたり、時代を感じさせますな。
この時代の作品、トクサツとしてと同様、
こうした風物にも価値があるものでございます。

トクサツとしては、洪水の描写はさすが円谷プロ。
……なのですが、肝心のガラモンがただ何もないところをうろうろするだけで、
それを主に俯瞰で撮っているのでちっとも怖くございません。

雑誌などで見たことのあるダムの後ろに立つ姿も、
シーンとしてございましたが、
水が流れ出たあとのダムなので、ダムが壊れてもまったく迫力がないのでございます。

まぁ、予算の都合なのでございましょうなぁ。 
 
 
 
 
2021/06/20 『トロール牙峠戦争』
ガレーキープってスクリュー(プロペラ?)ついているけど、
これはメインの推力なのかなぁ? 
 
それとも、上の帆とバランスを取るためのもの? 
 
魔法の力で飛ぶものとして、
帆船の形はしているものの、風の影響はあまりないのかもしれませんが、
それでも安定板としての機能はありそうな気はいたします。
 
底面の形状や錨が何本もあることから考えて、着陸はしないのでございましょうな。
 
永久的もしくは半永久的な魔法がかかっているのか、
それとも材質自体が宙に浮く性質を持っている、
といったところでございましょうか? 
 
 材質なら、原料がどんな状態で存在しているかも気になりますな。
 板がとれるくらいの巨大な木が、空中にぷかぷかと浮いているのかなぁ
 
 
2021/06/25 Windows11かぁ。
削除されたり変更されたりする機能もあるらしいけれど、
それほど使い込んでいないから、あまり関係なさそう。
 
とりあえずストレスなく動いてくれれば、それで満足でございます。
 
 

2021/06/27 きのう、「Role&Roll」は買うことは出来ませんでした。
かわりに(なのかなぁ)、
別のお店で『迷宮キングダム 大冒険ブック』を入手。
 
四大列強天界深階に関する記事が興味深うございます。
 
サタスペ』や『迷キン』を知ったころは、
TRPGはこんなトンチキなものばかりになるのか、とか震撼したものでございますが、
そうでもございませんでしたな。
 
ちょっと残念な気もいたします。
 
 
 
2021/06/29 きのう、「Role&Roll vol.201」買ってまいりました。
裏を見ると、参加作品多いなぁ。
 
で、静岡市街に行ってきたのでございますが、旧丸井に行列が。
 
何かと思えば、新型コロナのお注射のためのものでございました。
 
雨だったらどうするんだろ?

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今月あまり記事を書いていないので穴埋め。
 
スターログ」誌1979年9月号に載った『機動戦士ガンダム』の紹介記事でございます。
 
 『ガンダム』が始まったのが1979年4月7日だそうでございますから、
受け売りではない紹介としてはかなり早い方なんじゃないかな?  
 
 ちなみに、「新アニメ時代がやってくる」と題して紹介されたほかの作品は、
映画『銀河鉄道999』、『火の鳥2772』、
それにテレビの『マリン・エクスプレス』でございました。
 
ガンダム
 
007』と『コンバット』というのは、最初のほうの感想でしょうな。
 変に思えたのですが、たとえるとすればこんな感じなのかも、
 
 なのかなぁ。
 
 
 この記事を読むと、SFファンにまず注目されたことが分かりますな。
 
 そしてそれゆえに、低視聴率が懸念されていたことも……。
 

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Role&Rollvol.200 
 
 (※ 元の絵には、200にヒビが入っていましたが、なしにしておきました~!)
 
 
☆ でも一番印象に残っているTRPGとなると やっぱりサタスペなんですよねー。
 前にも書いた気がいたしますけれど。

 出会ったときは。でもナンダコレ、でした。
 
 塩辛を食べたつもりがあま~いお菓子だったみたいに、
脳がついていかなかったのでございます
(サタスペは甘くはございませんが)
 
 ファンタジーではなくてヤバめの現代物で、予定調和よりもサイコロ至上。
正直最初は、内輪ウケをのぞき込んでいるような感じで???
 
 冒険企画局はこんな輩に乗っ取られたのか、と思うことしきりでございました。
 試合開始直後の猫だましから必殺ブローという感じでございますな。
 
 ああいうアラクレは、
今後「Role&Roll」の流れからは出てまいりませんでしよう。
出てきても、たくさんあるTRPGのうちの一つという形で
埋没してしまいそうな気がいたします。
 
 当時、月刊ではなかったために
濃い内容を盛り込めたということもプラスに働いたと思いますな。
 
 
☆ Role&Rollに望むことは、
  各TRPGの作者グループが書くものにとどまらない記事も
  欲しいということでございます。
  
 作者グループ以外のリプレイですとか記事もそうでございますが、
作者に対する作品とは関係ないようなインタビューですとか。
そういうものを通じて、作品に対して親しみを感じたり、
内容をより理解できることもあるかと思うのでございます。
 
 あとは遊ばれている状況のレポートとか。T
RPGの文化的な広がりを感じさせるものを見てみたいと存じます。
 
 まぁ、やらないか……。
 でも、マンガとかでもキャラクターが大切って申しますでしょ?
 人が見える記事って欲しいなぁと思うのでございます。
 

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2021/05/03 アイリッシュの『夜は千の目を持つ』は、
ヒロインの父親の死を予言した青年の言葉が、
本当に超常的な力なのか、それとも犯罪性のある企みなのか、
予言は成立してしまうのか、それとも阻止できるのか、
という謎で読者を引っ張るサスペンスでございます。
 
予言などあるはずはないのだが、それまでに成立した予言を考えると、
よほど綿密な計画と組織、それに偶然がなければ不可能に思えるのですが──。
 
本文の2/5でしたか、かなりの部分をヒロインの独白が占め、
しかも彼女が1回だけ、ミス・リードって表記されるですよね。
 なので、叙述トリックも考慮に入れなければならないところが
食わせ者にございます──アイリッシュの作品だけに。
 
 捜査側の行動、と申しますか途中のエピソードは、
もう少し緊密な方がいいと思いますが、
最後まで緊張感をもって読ませてくれる作品にございました。
 
 
 
2021/05/04 めいざふぉーすみどりの日の今日は、
日本ではエンドアの日ということになりますな。
 
 それにしても、帝国軍はなんであんな辺境にデススターⅡなんか作ったんでしょ? 
 しかも、映画を見たときは気づきませんでしたが、
ここを反乱軍が攻撃目標としたのは、
パルパティーン皇帝が彼らをおびき寄せたためだとか。
 
 それにしては防御がずさんだったような気がするのですが……。
 
 
 
2021/05/05 ♪ピーチ ピーチ 桃太郎♪ 
 
──桃太郎って3月3日生まれなのかなぁ
と思ったのでございますが、
でも桃の実がおちるころと考えると違って来ますよねぇ。

 ただこの桃の実って桃源郷、神界・仙界みたいなところの果実でしょうから
季節とか関係ないのでございましょう、多分。
 
 

2021/05/06 石ノ森章太郎コレクション ファンタジー傑作選』が
5月12日発売だそうですな。
 
マズい。
 
それ前に「~初期少女マンガ~」の記事書き終わらなそう。
それにしても、収録作品が分からない。
全然ファンタジーじゃない「そして……だれもいなくなった
が入っているらしいけど……。
 
 
 
2021/05/12 「マンショポエム東京論 バベルの塔と異常な高層住宅民」
大山顕(「本の雑誌」2021/04)
 
「創世記」に著された「バベルの塔」には
「神が怒って塔を破壊した」という描写はない。
神が行ったのは、地上に降りて
「彼らの言葉を混乱させ、彼らが互いに言葉が通じないように」しただけである。
その結果、建設現場は混乱し塔は完成せず、人々は街を去ってちりぢりになった、
といういきさつだ。
「神がキレて塔を壊した」というイメージが根強いのは、
その後の時代に制作された絵画や映像でそのように描かれたからだろう。
 
 ああ、確かにそう言えばそうかも。
 
 
2021/05/13 (続き)このバベルの塔の記述について大山顕先生は、
現時点で世界一のブルジュ・ハリファ建造時、
外国労働者の劣悪な労働環境と低賃金が問題となって
ストや暴動が何度も起きたことを例に挙げ、
バベルの塔の建設現場でも同じようなことが起こったのでは、
と考察しておられる。
 
 うーん、あり得るなぁ。
 
2021/05/14 マリー・アントワネットさんが
「パンがなければブリオッシュを食べればいい」とおっしゃったというのは、
別の人の発言でしかも後世の作り話かも? 
というのは「なぞのまとめ」 2019/05/19 に書きましたが、
この前紹介した「西洋アンティーク・ボードゲームp.150に拠りますと、
1789年に財務総監に任命されたフーロンという方は
民衆は腹が減ったら干し草を喰えばいい」と発言したため、
フランス革命の時、首を切られて干し草を口に詰められたのだとか。
 
この話も作り話という説がございますが、
とにかく、民衆をないがしろにするえらい人は
こういうことを言うという発想が、フランス人のかな?
根底にはあるのでございましょう。
 
 
 

2021/05/16 まごまご引きで申し訳ないですが、
北村薫先生のユーカリの木の陰で(「本の雑誌」2021/04)に引かれた
『考証要集秘伝! NHK時代考証資料』大森洋平(文春文庫)に拠りますと、
 
「え、マジか?」といった言い方は江戸時代からあり、
十八世紀末にはかなり流行ったという。近代の俗語ではない」
(東京新聞朝刊、2003年3月28日)
 
 とのこと。そうだったのかー(マジか、とは言わない)
 
 
2021/05/19 NHK ダークサイドミステリー
「神秘の遺宝の謎に迫る 〜ロンギヌスの槍(やり)・聖杯・死海文書〜」
塩田信之先生ご出演なさっておられました。
そのコメント自体はよかったものの、番組の内容としては薄味
ファンタジーRPG風のシーンとか入れる必要ないと思うけどなぁ。
死海文書の復元作業の映像など、見るべき箇所もございましたが。
 
 
 
2021/05/21 NHK 歴史探偵「長篠の戦」
武田軍は、当時の明のお金──永楽通宝だったか──を溶かして
鉄砲玉を作ったのだそうでございます
(全部というわけでもございませんでしようが)。
 
投げ銭の元祖? 
 
一般的に使われる鉛に比べ、
融点が高く加工がしにくい銅をなぜ使ったかと言えば、
貿易港から遠く、鉛の入手が難しかったからだとか。
 
 

2021/05/22 ほうれん草の水煮缶のオリーブ炒めってどこかの定番料理なのかな
って思ったのですが、
 
調べてみるとポパイって最初からあの設定じゃなかったのだそうですな。
 
 そもそもポパイは主人公じゃなかったそうですし、
 ほうれん草の缶詰も当時はなかったのだとか。

 ですから、缶詰会社がスポンサーとか、そういうこともないみたいです。
水兵服を着ているので、
海軍とか海の男の定番料理みたいなものがあると思ったのでございますが。
 
 
 
2021/05/26 目が3で色々さがしていたおかげで、
見つからなかった『サンコミックスの『青い月の夜』が見つかりました。
で、「かげろう」ですが、そのラストに収録されておりました。
すっかり忘れていたなぁ。
この作品集で印象に残っているのは、「雪の日に」内で語られる雪ん子の話。
マッチ売りの少女」を翻案した悲しいお話にございます。
 

雪の日に
 



2021/05/30 きのう、ひさしぶりにa-too南瀬名店に行ったら、
いくつかゲームブックが置いてございました。
 
『鋼の錬金術師 BLUE』(フィギュアがついているヤツ)が600円。
ドラゴンファンタジー『七つの奇怪群島』が2900円。
同じく『魔獣王国の秘剣』2100円
桐原書店の「2002年帝国の逆襲』が3500円。
光文社文庫の『鉄人28号』が900円。
ケイブンシャの『ナイトライダー』が1600円。
ファミ通ゲーム文庫の『ダビスタ』が300円。
 
を見つけました。イタミとかヨゴレとか描いてあったのもございましたが、
それはメモいたしませんでした。
ちなみに置いてある場所はバラバラでございます。
 
 
 
2021/05/31 書いておきたいことはも少しございますが、
石ノ森先生月間……二ヶ月間はとりあえず終了。
通常運転に戻る予定でございます予定は未定。
でもねぇ、古いマンガばっかり読んでいたものでございますから、
読むものがたまってたまって……。
 

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 と申しましても、まだ手に入れてはございませんが。
 
 それほど近くでもない近くの本屋さんで
売られるのを待っていたのでございますが、どうもダメみたい。
 
 まぁ、出ているのでございましょう。
 とにかくおめでとうございます。
 
 300号を目指して、
 これからも面白いものを追求してくださいませ。
 (って書いても、読んでないか)

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☆ 藤子先生がウルトラマンを描いていたのはご存じでしょうか
それが、これ。
オバケのQ太郎 ウルトラマン
 

この一コマだけでございますが、ウルトラマンでございましょ!?
 
『藤子・F・不二雄 大全集 オバケのQ太郎 2』「正義の味方モシモ仮面」。
1965年の週刊少年サンデー7号に掲載された作品だそうです。
 
ウルトラQ」が始まったのが1966年1月2日でございますから、
それよりも1年早い計算になります。
 なぜ、この時期にウルトラマンなのか。
 その答は年号にございます。
  

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MYフレンド」の記事で、
ミュータントモグラのことを書きましたが
ミュータントモグラ
なんと『オバケのQ太郎』にも
このキャラクターは登場しております。
『藤子・F・不二雄大全集 オバケのQ太郎3』
  「Qちゃん鉄道」)。
 
 単なるモグラとしてでございますが、
その姿は確かにミュータントモグラ
 
 しかもこの作品では、
なんとその全身が描かれております。
 
 ミュータントモグラの土から下の部分なんて、
石ノ森先生の作品でも見たことない。
 
 と申しますか、考えたことすらございませんでした。
 
 どんな形か想像できますか?
 
 わたくしには意外。
 そして、がっくりきました。
 見ないほうがしあわせかも?
 
 というわけで、続きを読むことなく、ここで引き返しください。

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 同じく「石森章太郎落書きノート』から、『三つの珠』のキャラクターたち。
(ちなみに、前回の記事はこちらですが、読む必要は特にございません)
 
三つの珠
 
三つの珠
 
 なんと、最初の段階ではギリシャ神話風の世界観だったのでございますな。
  
 当時でございますから、手塚先生の
リボンの騎士』や『火の鳥 エジプト・ギリシャ・ローマ編
あたりの影響があったのでございましょう。
 
 それがなぜ時代劇、
しかも平安末期(ゆるい意味で)になったのか?
 
 石ノ森先生は1957年には、火の鳥風太郎
火の鳥風太郎』という
書き下ろし単行本をものなさっておられます。
 
 これが、ロシア民話火の鳥と黄金のリンゴ
ウィキペディアによりますと
イワン王子と火の鳥と灰色狼」となっておりました)の翻案。
 そうした先例があるので、別に不思議ではございませんが──。
 
 手塚先生の作品と、
かぶってしまうのを避けた のでございましょうか。
 
 でもなぜ平安末期? 
 その答は、これなのだと思います。
 
 石森章太郎落書きノート
 
 
 手塚治虫先生の『武蔵坊弁慶』。
 この作品、残念ながらわたくしは読んでおりません。
 
 ですが、ネットで見ると、
 要所は押さえながら、かなりノリが入った作品みたいですな。
 
 これを読んで、自分でも描いてみたい、自分ならどうするか、
と構想を膨らませていたのではございませんでしょうか。
 
 それを縦軸に据えて、
最初のギリシャ神話風の物語を重ねていったのではないかと思うのでございます。
 
 元にとらわれることなく、ちゃんと自分の作品にしているところは、
さすがでございますな。

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龍神沼」の記事を書き終えた後、龍神沼の乙女
いくつか新たに見つかったので書きとめておきます。
 
 前回の記事を読んでいなくても関係ございません。
 単独で読める紹介でございます。
 
 一つ目がこれ。今回いろいろ引き合いに出している
石森章太郎落書きノート』から──。
 
「龍神沼」の初期案(↓)と
「龍神沼の乙女」(→)のイラストでございます。
 
長塚章という中学2年生が主人公のようですな。
 
龍神沼
 
 石ノ森先生がエッセイで、
どういう話を書こうとしていたのかは今となっては分からない、などと
お書きになっているのがこれのことだと思いますが、
確かに、これだけでは分かりかねますな。
 
 
 次にこれ。
おかしなおかしなおかしなあの子(さるとびエッちゃん)には、
よっぱらい竜の巻」と題しまして、
セルフパロディと申しますか、
バリエーション的なことをやっております。
 
さるとびエッちゃん
 

さるとびエッちゃん  
 
(ちょっと期待したのでございますが、
 ももちゃんはメガネを取ると目が3キャラクターじゃないんですよねぇ。
 そのかわり、目がくっついたまま、メガネが跳ぶという芸当をやっております。
 こ;れは、石ノ森先生の他のギャグマンガでも見られる現象にございます) 
 
 
 三つ目は『千の目先生』の後半ですな。
 

 千の目先生  
 
 竜ではなく人魚の話で、内容もかなり違ったものになっておりますが、
 口寄せの老婆と網元が組んで(と思ったのですが、再読したら網元はけっこう脇役。
おばばは、東京から来た観光会社の社長と直接渡り合っておりました)
金がらみの悪巧みを行うあたり、
「龍神沼」の変奏、新たに語り直したものと申してよろしゅうございましょう。
 
 
 最後は、『時ヲすべる』の1話。
 これが『龍神沼』を描いていた当時の話でございました。
 画像は用意いたしませんが、
 1話は電子書籍の試し読みで読める部分ですので、
 気になった方はそちらでご覧いただけばよろしいかと存じます。
 
 
 というわけで、以上
 今回見つかったのは、こんなあたりにございます。

 。

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 メガネを取ると目が3になっているという
古典的なマンガ表現がございますよね。
 
 あれは、いつ頃からあるものなのでございましょうか。
 ネットで調べると、のび太君というご意見がございましたが、
 いや、さすがにもっと古いのがございましょう。
  
 藤子不二雄作品だけで考えても、もっと前から存在したはず。
 なのですが、今回は見つけることができませんでした。
  
 メガネキャラがメガネ外すこと自体珍しかったりするので、
 ちょっと難しい。
  
 メガネを取らなくても目が3は見つけました
(藤子・F・不二雄大全集『オバケのQ太郎4』)
 これが、1966年の作品らしいです。
 
 目が3
 
 
 これより以前に、
メガネを取って初めて目が3だと判るキャラがいたかどうかは不明ですが。
 
 (いつ頃からかは知りませんが、藤子不二雄まるえー先生が
  マンガに登場するときもメガネに3だったりいたしますな)
 
 でもまぁ、メガネを取る→目が3と判るという過程が、
突然変異的に生まれたというのは考えにくい。
 
 おそらく、目が3のキャラがいて、メガネキャラがいて、
メガネを取ると目が3のキャラが成立したのでございましょう。
 
 そう考えるのが順当だと思います。
 
 では、目が3のキャラクターの元祖的存在は誰か
 
 わたくしが誰を考えているかを当ててみてください。
 そんなに難しくはございません。

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(タイトル下に書ききれなかったのでこちらで)
 
 
 トランプなどカードを武器に戦うのってございましょう? 
ああいうのって、何がルーツなんでしょうねぇ。
トランプによる攻撃というのなら、
おそらく『不思議の国のアリス』が最初ではないかと思われますが、
それとは話が違います。
 
 自分が知っているかぎりでは、テレビアニメでは『スカイヤーズ5』。
 マンガでは『秘密探偵JA』の朝日五郎さんあたりぐらいかな。
 朝日五郎さんはちょっと……かなりテクニカルなことをしておりますが。
 
 調べてみますと、
竹内つなよし先生の『コンドルキング』(1961-62)が上がってまいりました。
気になったのは、忍者ものの手裏剣投げとの関連でございます。
 
 トランプを配るごとく手裏剣を手のひらに載せて連続的に投げるのと、
どちらが先なのか。
いずれにせよ両者とも、そのトランプを配る動作から派生したのでございましょうが。
 
 海外に例はあるのかなぁ。
 
 あるとすれば、カジノのディーラーや手品師などに化けていそうで、
しかも武器を使って攻撃しそうな役どころということで、
怪盗とかスパイとか思い浮かびますが、
トリックなどを使いそうという点で共通点はあるものの、昔のフィクションでは、
スパイや怪盗が、トランプを扱う職業に扮していて、
しかもそれを飛ばして攻撃するっていうのは、ないような気がいたします。
 
 だいたいカジノ用のトランプで、
人にケガを負わせられそうにもございませんし。
フィクションでもそれが許容されるのは、
ある程度派手な世界観でございましょう。あるいはコメディであるとか。
 
 そんなわけで答は見えませんが、
マンガや映画でスパイや忍者が流行ったのが1960年代かもう少し前からですから、
その辺りがルーツなのでございましょうねぇ。
 
コンドルキング』も最初期の例なのかもしれません。
 
カードが無限に飛び交う様は、
堀江卓先生の『矢車剣之助』の
無限に弾丸が飛び出る二丁拳銃に影響を受けたものかと思われます。
 
 
 
《追記》
 
2021/08/19 都筑道夫先生の『なめくじに聞いてみろ』にも、
トランプを武器とする殺し屋が出てまいりました。
 
ただのカードでは、殺傷能力はございませんから、
2枚のカードの間にカミソリを挟みこんで貼り合わせ、
それを武器とするのでございます。
 
もちろん、小説なので、一度に何枚も跳ばすような派手なことはいたしません。
 
もしかして、こちらの方が『コンドルキング』よりも早いのかも、
と思って調べてみました。
 
すると……。
 
なめくじに聞いてみろ』は、元のタイトルを『飢えた遺産』といい、
東都書房から出版されたのが 1962年。
さらに調べてみると1月とか。
うーん、微妙だなぁ。

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 収録作は以下のとおり。石ノ森章太郎コレクション
 
 「かげろう」
 「ごいっしょに白鳥のみずうみをききません?」
 「雪おんな」
 「そして…だれもいなくなった」
 「永遠の女王ヒミコ」
 「びいどろの時」
 「うしろの正面だあれ」
 「ヒュプノス」
 
 
 

 「初期少女マンガ」のほうはすべて読んでいたが、こちらは半分ぐらい……。
雪おんな」と「そして…だれもいなくなった」は読んでいる。
かげろう」は作品リストかなにかでタイトル部分だけ見たことがある。
と思ったのですが、サンコミックス版『青い月の夜』に収録されておりました)

ごいっしょに白鳥のみずうみをききません?」は未読
 
 で、新しい四作のほうが、かえって分からない
びいどろの時」は「マンガ少年」なので読んでいると思うが。
うしろの正面だあれ」は、
p.252の「かごめかごめ」を調べているシーンだけ良く覚えている。
永遠の女王ヒミコ」は、
何か作品といっしょに収録されていたのなら読んだと思うが……。
ヒュプノス」も同様。
 
 この四作、2回目に読んだら何か読んだことがある気がしてきたけれど、
そういうのってアテにしちゃいけないよね。
 
 ……でも読んだことある気がするなぁ。
 
 この四作品、四者四様なのだが、
スタイルとタッチが完成されてからの作品は、どこか同じに見える
 
 ファンタジーというよりも奇譚だろう。
現実的なところから始まって、謎にたいする解釈があって、少々ホラーテイストで。
 
 完成されているがゆえに記憶に残らなかったのだと思う。
 
 別に石ノ森先生が描かなくても、という気がしてしまうのだ。
他の、連載作品などとあわせてみても、
確かに石ノ森先生のその時代のテイストなのだが。
 
「龍神沼」のところで問題となった、風景についても同様。
 洗練され、流れが自然なので、印象に残らない。
 自分としては、やはり、テクニックを使っている
と分かるようなものの方が好きだ。
そもそも、そういう部分に魅せられたのだから。
 
 
 
 こういう短編集の場合、
連載ものの一篇が何作か取り上げられることがしばしばあるが、
それがないのは素晴らしいと思う。
 
 ただ、新しい四作のほうについては、
連載の一作のほうがレベル高い作品あるのでは? とも思ってしまう。
 やはり、この時期は連載ものがメインだった気がするのだ。
 
 とはいえ、だからこそ、その時期の短編を取り上げてくれるのはありがたいが。
 
 
 それでは各作品について。
 
かげろう」は、この時期の作品らしく、
色々な効果を取り入れようとしているのが楽しい。
 ただ、急いで描いたのか、絵が雑で、その効果が薄れていると感じる。
 例えば、p.29-31の風景描写などは、もっとちゃんとした形で見たかったところだ。
 面白いのは8ページと10ページの一コマ目。
 同じような絵を配することで、短い時間に起きた白日夢のような出来事を表現している。
p.41あたりからの逃避行は、『イナズマン』を思わせるね。
 

ごいっしょに白鳥のみずうみをききません?白鳥の湖
 タイトルだけ見たときは、知ってるかなと思ったのだが、
石森章太郎作品集① 少女版ミュータント★サブ
(サンリオ/1978)所収の「白鳥の湖」だった。

 
 この「ごいっしょに~」、
レコードをかけるところから始まり、
それを取り出すところで終わっているが、
同じ事は『ジュン』の「音楽を聴く」でもやっているね。
 
ジュン』という作品は、
まったく新しいことをやっているように見えるけれど、
「初期少女マンガ」やこの作品などで分かるとおり、
それまで色々なところで試してきた手法を、            (白鳥の湖)
その時点での先生の最新の技術で描いてみたという
意味合いも強い。
それによって、自身のスタイルを
さらに一歩進めていったのだろう。
 
 

雪おんな
『鶴女房」と「雪おんな」の伝説を合わせたような作品。
それに笠地蔵も入っているのかな?
「龍神沼」では発揮されなかった超常の力が、
今作では発揮された形になっている。
 最後の新幹線は、今は昔の物語ということなのだろう。
 
 
 
そして…だれもいなくなったそして…だれもいなくなった
5つの物語が交互に現われる作品。
ザッピングというか、
カットバックの魅力をふんだんに
活かした造りだ。
 
 絵物語風のメインとなる物語を中心に、
スパイ物、学園もの、
ハンターの話、それに四コマと、
舞台やジャンルの異なる作品が展開する。 
 様々な作品を様々なタッチで描いてきた
石ノ森先生の面目躍如と言っていい。
 
 とは言ってもアクション要素が強い作品が多い。
 カットバックの相乗効果が、           (そして…だれもいなくなった)
その方がより強く表れるという計算からだろう。
 
 このような結末ならば、どんな終わり方をしてもよさそうだが、
四コマの「しあわせクン」を別にすれば、
すべてちゃんと結末まで描いて終わりにしている。そこら辺は見るべき点だろう。
 
 そして、p.154-156。走馬燈のようなシーンには、
劇中に出演した登場人物に加え、
石ノ森キャラの有名どころがゲスト出演している。
こんなところにゲスト出演していいのか、という気もするが、
細かく見る楽しさがある。
 
 
 
 あとの作品については、自分には語ることを持たない。
なので落ち穂拾い的な雑談を。
 
 

永遠の女王ヒミコ
永遠に生き続ける女王という設定は、
怪奇ハンター100万年の女王でもやっていた。
ハガードかなにかに元ネタがあるのかな……と思ったのだけど、よく分からない。
 
 

びいどろの時
 今みたいにループものがあたりまえだと、こんな不幸はないんだけどね。
このころは、そういうのないから、ねぇ。
 
 

ヒュプノス
p.281 5コマ目。石ノ森先生のキャラクターがこんな表情をするのは珍しい気がする。
 なんかほかの人の絵みたい。
 
 
 
 最後に、竹宮恵子先生の解説で、 
石ノ森先生は「………」を多用すると書いてあるのを見て、ハッとなった。
 あれ、多いのか。
 石ノ森先生の作品、たくさん読んでいるから、あれが普通だと思っていた。
 だから自分でも「……」や「──」は普通に使うけれど……、
多いのかなぁ……?
 

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 この作品だけ、テイストが違っておりますな。MYフレンド
 コミカルで軽い感じなのはもちろん、
さらっと描いているあたりがプロっぽい。
 作中作は、 よくある少女マンガ
に対する批評でございますな。
 
 意味のないスタイル画っていうのは、
かつてそれを入れるように編集者から強要されて、
イヤだったんじゃないかなぁ。
 
 たとえば、『龍神沼』p.106の二コマ目なんか、
ポーズをつけていて
ちょっとスタイル画っぽいですよね。
それを小さいコマで描いているのは、
石ノ森先生の抵抗だったりして。
 
 
 
 
 
 さて、この作品にはミュータントモグラが出でまいります。
 手塚治虫先生のスパイダーやヒョウタンツギのようなキャラクターを
ということで作られたのでございましょう。
それとも自然発生したのかな?
 
 本作では色々介入して来ておりますが、
手塚先生のキャラクターとは違い、
いつもはいるだけのキャラクターでございますよね。
 
 この辺に、作者の性格が出ているのかもしれません。
 
 
 このキャラクター、いつ頃からいるのでございましょうか。
 作中では十年程前と書かれておりますが、果たして?
 
 ミュータントモグラなんだからミュータントという言葉を知ってから、
ということは『ミュータントサブ』のあたりからじゃないかな、
とも思ったのでございますが──。
 
『ミュータントサブ』は作品リストによりますと、
1961年に「ミュータントX」という作品があり、
そこから始まっているようでございます。
 
「MYフレンド」が1967年ですから、それですと6年ほど前……。
 さらに調べると、案外簡単にわかりました。
 
 これ。
「石森章太郎落書きノート』(小学館/昭和55年)。
 
ミュータントモグラ

 
 これ自体には、日付が入っておりませんが、
前後の絵を見ると、1957年に描かれたものらしいのですよね。
 
それだとちょうど「MYフレンド」の10年前。
 
 つまり、ミュータントモグラは、
デビュー時かそれ以前には存在していたキャラクターだったのでございます。
 
 そのときに、
すでにミュータントという名前がついていたかどうかは分かりませんが、
メタルーナミュータントが登場する『宇宙水爆戦』が1955年なんですよね。
 
 その時点で映画を見ていなかったとしても、
ミュータントという言葉と、その概念は知っていたはずだと思います。
 
 ですから、ミュータントのモグラということでこの形が生まれたのか、
それとも落書きでこんなモグラができあがって
後からミュータントのモグラということにしたのかは分かりませんが、
まあ、その当時からいたのでございますな。
 
 にしても、このころからミュータントモグラって毛が3本生えておりますよねぇ。
 となると、オバケのQ太郎が毛が3本なのも、
ミュータントモグラの影響ということになるのかも?
 
 あるいは逆にオバQが最初、
毛が3本じゃ無かったのはミュータントモグラの真似をしたくなかったとか?
 
 いずれにせよ、影響はございましょう。
 
《追記》
その『オバケのQ太郎』にも、ミュータントモグラほ発見いたしました。
(単なるモグラとしての登場ですが)

 しかも全身像が描かれている!

 見るんじゃなかった……、
 とおっしゃられる方もいるかも知れませんので、
 覚悟のあるかたのみでお願いいたします。

(→ミュータントモグラの全身像

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 この作品なども、本当に当時の映画にありそうですよね。「あかんべぇ天使」(石ノ森章太郎コレクション 初期少女マンガ傑作選」)
 
 この時代をよく、古き良き時代と書いてるものをみかけますが、
現実としてはそれほどいい時代とも思えません。
 
 ノスタルジックに語られるのは、
このようなドラマから受ける印象でございましょう。
あるいは、こうした物語が受け容れられた、
そのこと自体がいい時代だったと言えるかもしれません。
 
 
 ボロアパートを舞台とした市井の生活。
どの程度トキワ荘をモデルにしたかは存じませんが、
その日常のドラマがいいですよねぇ。
 
 石ノ森先生と申しますと、
ヒーローものをはじめとする派手な作品が目を引きますし、
このような作品は少ないので見過ごされがちですが、
日常をしっかりと描けるということがお分かりいただけましょう。
 
 日常を描けるからこそ、
派手な作品を描いても土台がしっかりとしているのでございましょうし、
後年の市井のを描いた時代劇につながっているのでございましょう。
 
 
 そしてこの作品、
なんと言っても、子犬を拾った女の子、ヤッコちゃんがかわいい。
 石ノ森先生の作品で、
このような幼い子供が主要人物として登場するのはめずらしいですが
(001とかは別ですよ、もちろん)、それは作品の内容によるのだと思います。
 
「昨日はもう来ない~」で書かれていたように、
先生自身は動物や子供の出てくるマンガも数多く手がけたかったようでございます。
 
 が、この時代以降、マンガの読者年齢はどんどん上がっていきましたし、
石ノ森先生に求められるものも違っていた。
 それでこうした、動物や子供を主人公にした作品が少ないのでしょう。
 後年は、このようなキャラクターを描けなくなった節もございますが。
 
 このヤッコちゃんと同じような幼い女の子を主人公にした作品に
いやんポコ」がございます(りぼん/1960他)。
 
いやんポコ
 
いやんポコ
 
 
 主人公のポコは一切喋らず、
まわりの人のセリフや簡単なキャプションを挟むだけの
ハーフサイレントといった作品で、
子供の動作や意味の分からない行動がかわいらしいコメディでございます。
 
 サイレントマンガを高く評価する方もおられますが、
映画と違って動きも(音楽も)なく、難しいものでございますよね。
 
 そのため空回りしたり無理矢理だったり……。
 第一、サイレント映画だって状況を説明するキャプションは出てまいります。
 それも無くしてしまうと、やはり厳しすぎる。
 そのような制約のために面白さを犠牲にするのは、
コメディにとって本末転倒と申すものでございます。
 
 この作品の場合、
ポコは喋らないというルールを守ることで、サイレントとしての雰囲気を維持し、
他のキャラクターのセリフを入れることで
マンガをサイレントにした場合の難しさを回避するとに成功していると存じます。
 
 ちょっと本題からずれましたな。
 
 さて。
 
 この作品、タイトルを「あかんべぇ天使」と申しますよね。
「天使」といえば、
石ノ森先生の実質的デビュー作が『二級天使』という作品なのは、
ファンならご存じのことと存じます。
 
 二級天使

 
「あかんべぇ天使」には、足の不自由な子犬が出てまいりますが、
それがこの作品のピントだと思うのですよね。
 
 つまりこれは、もう一つのピントの善行なのでございます。
 
 天使の神通力で解決するわけではないのですが、それがこの作品のいいところ。
 神通力は作品全体にほんわりとかかっているのでございます。
 
 ちなみに、もう一つの二級天使である「2級天使」(新・二級天使/1965)は、
コメディタッチの強い3品でございますが、この作品の主人公もヤッコちゃんで、
同じような髪型をしているのでございますな。
 ただし、年齢はもう少し上のようでございます。
 
 あと、作中にボクシングが出てくるマンガといたしましては、
ガタコン教室』というのがございます。
コメディで、あまり関係ない内容ですが、
連想で思いついたということはあるかもしれません。
学園とタイトルにはついているものの、
あまり学園ものっぽくない作品でございました。
と申しますか、石ノ森先生の学園ものらしい学園ものって、
ないような気が……。
 枠に収まりたくない……のかなぁ。


 また脱線してしまいましたな。
 
 「あかんべぇ天使」に戻りましょう。
 
 ラスト、夜空を飛行機が飛ぶ音で幕を閉じます。
幽霊少女』のラストでも、
木の葉の間を飛行機が飛ぶ音で物語を終わらせておりますが、
大切ななにかが遠い世界へ行く象徴が、この飛行機なのでございましょう。
 
 一抹の寂しさを感じさせる終わりでございます。
  

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 過去・現在・未来の三部構成

きりとばらとほしと
 吸血鬼となったリリという女性が主人公
(吸血鬼なので、時代を超えて生きられるのですな)
という共通点はあるものの、
 
各部は、オーストリア・日本・米国と場所もバラバラ
 
ジャンルも
古典的なホラー、ミステリー風サスペンス、そしてSFと、
 
それぞれ異なるという。実験的な作品ですな。
 
 ジャンルの違う5つの作品が同時進行で展開する
「そして……だれもいなくなった」
と双璧をなすと申してもよろしゅうございましょう。
 
 

 それぞれの部の冒頭には、
」「薔薇」「」に関連する詩が引用されております。
 この作品集に掲載されているものを見ると、
詩や音楽を起点としているものが多いですよね。
 
「青い月の夜」のイメージの1つは「くるみ割り人形」でしょうし、
「夜は千の目を持っている」は言わずもがな、
「龍神沼」でも「黒く声なく沼は眠れり」という詩が紹介されておりました。
(「龍神沼」の記事にも書いておきますがこの詩、ベェルレェヌの詩ではなくて、ピエエル・ゴオチェの「沼」という詩だそうでございます「茂りし林の奧深く 黒く声なく沼は眠れり」と「茂りし村」ではなく「茂りし林」が正しいのだとか。確かに、「茂りし村」では意味が通じませんものな。これ、石ノ森先生の字が汚かったため、読み間違えられたのかなぁ。今回の「コレクション」で直っていないことからすると、思いっきり村としか読めない字が書かれていたのかも知れませんが。でも、ポール・ヴェルレーヌの作だと勘違いしていたというのは分かる気がいたします。そして勘違いしたということは、記憶で書いているってことですよね。お気に入りの詩だったのでございましょう)
 
 少女マンガには叙情性を、叙情性には詩を、という事なのでございましょうか。
 
いずれにせよ、意識と教養の高さが感じられます。
 
 一部の「霧」は、作画的には点描の凄さを見せたかったのだと思います。
p.187の下のコマがそれでございますな。
他のコマは……時間が無かったのでございましょう。
最初のほうの馬車のシルエットなどはカケアミがデタラメですが、
最後の方では方向が統一されているあたり、
描いているうちに修正していったのでございましょう。
逆に申せば、すべて点描にしていないことや、
馬車のところを描き直していないことから、
締め切りがかなり迫っていたのでは、とも勘ぐれます。
 
 ストーリー的にはオーソドックス。
 最初の詩は、「きりとばらとほしと」という作品全体の
結末を暗示しておりますな。
 
 二部は、あなたの血を全部いただくという吸血鬼からの予告状を軸にした
ミステリ仕立ての物語にございます。
ネタバレをしてしまうと、
その予告状の主は当然リリさんではないのでございまして……。
 
 最後の薔薇が印象的。
 
「霧」と「薔薇」の章は、
「吸血鬼カーミラ」および、
その映画である『血と薔薇』に拠っているようでございますな。
 
 第二部で花火が出てくるのも、映画準拠でございます(出方は違いますが)
 吸血鬼が触れると薔薇が萎れるというのも、この作品からのようでございます。
 
 
 その目で見ると、表紙の女性も『血と薔薇』のミラルカに似ている気がいたします。
 
 薔薇のしおれ方は、この作品のほうが印象的でございますな。
 
 
 そして三部、「星」は未来の話。
 一応話はつながっているものの、
まったく別物と言えるほどテイストはがらりと変わります。
 
 SFで破滅テーマ。
 石ノ森先生の少年マンガによくある、強大な敵に挑んでいく物語でございます。
 
 そしてラスト、主人公がただ1人取りのこされる。
 
 人類滅亡とは限りませんが、
主人公が孤立無援となる話は、石ノ森先生の短編ではいくつかございます。
 
 例えば「護(まもる)」や
ラストがそれに似た『ジュン』の「想い出のジュン」、
それに「おれはだれだ!?」、
「狂犬」などもそれに含めてよろしゅうございましょう。
 
護
       「護」
 
想い出のジュン
          「想い出のジュン」
 

「ファンタジー編」「SF編」などでまとめるよりも、
そのテーマ、もしくは人類滅亡で一冊作った方が面白いんじゃないかと言うぐらいに。
 まぁ、タイトルが買う人の目を引きそうにないのが欠点ではございますが。
 でも、石ノ森先生の主人公が、終末に向けてどう挑んできたかを考えるのは、
『サイボーグ009』のラストを考えるにあたって、
興味深いことだと思うのでございますよね。

 
 細かいところを見ていきますと、
 
 登場する未来ガジェットがレトロフューチャーで面白い。
 登場する怪物が009ギリシャ神話編みたいでございますな。
 それに薬。
『仮面ライダー』の蝙蝠男でも、
吸血鬼に噛まれた人に対して血清が有効でございましたが、
ここでも薬によって、吸血鬼は人間に戻せる設定になっておりますな。
 まぁ、病気のようなものと考えれば、常識的な考えではございますが。
 
 
 各部のラストシーンは、
それぞれリリと「霧」「薔薇」「星」でまとめられており、統一感がございます。
本来、霧のところも大ゴマでやる予定だったんじゃないでしようか。
作者コメントを挟んだのは、吸血鬼ものをやる照れくささなのか、
ちょっと言い訳したかったのでございましょうな。
 
 
 さて、吸血鬼をテーマにした作品として石ノ森先生は
吸血」という短編も描いておられます。
 
 新聞記事から始まる時事をもとにした風の作品で、
最後に事件に関わった石ノ森氏の推理として、
吸血鬼に支配された超未来の地球が出てくるのでございますな。

 
 吸血  
 

 吸血
 
それが事件を説明する1つの仮説となっているのでございますが……。
 
 ラストは、ある作品と同じアイデアを使っております。
 
 なお、この作品の吸血鬼は、伝染能力はございません。
 

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西洋アンティーク・ボードゲーム西洋ボードゲーム
   19世紀に愛された遊びの世界』
    エイドリアン・セビル:著
    鎌倉僚介:訳
   "Vintage Board Games" by Adrian Seville 
 (日経ナショナルジオグラフィックス/2021/1)
 
 タイトルどおり、
19世紀のボードゲームを紹介した本にございます。
  

 ザッと見たかぎりでは、
p.128-9の『襲撃(アサルト)』というチェッカーのようなゲームや、
ふくろうのゲーム』の章であつかっているギャンブルゲーム以外の大部分は、
スゴロクのバリエーションのようでございますな。
 
 スゴロクと申しますと子供の遊びのように思われますし、
確かに子供を対象に作られたものも多いのですが、
マスの指示に「チップを○○枚払う」などもあり、
賭け事のように楽しまれていたものもあったようでございます。
 
 色々なタイプがございますが、
絵的に面白かったり美しかったりするものが多ございますな。
マスに描かれている絵はさし絵のようで、それだけで物語を感じさせてくれます。

 しかも、マスには番号がふってあるので、
何だかゲームブックを感じさせてくれるのですな。
 ボード自体の絵が鳥瞰図や地図になっているものなどは、
順路などにしたがって番号がふられていたりするため、
点つなぎのようにあっちこっちにマスが散らばっていて、
それがまたゲームブックを感じさせてくれるのでございます。
 
 ルールもチップを払うほかは、1回休みとかスタートに戻るなど、
スゴロクの域を出ないようでございますが、
それでもそれなりに面白いアイデアがございます。
 
 
 例えばこの『騎士のゲーム』。
 これなどは単純ながら戦闘ルールがあるのですな。
 
ボードゲーム 騎士のゲーム
 
 中央62の下に描かれた24のマスがそれで、
どちらか骸骨のマスに止まってしまった方が負けになるのだとか。
 
 19世紀にこのような戦闘ルールを含んだゲームがあったのか、
とワクワクした……のですが、
決戦をするのは62、ゴールに着いた1着と2着の2人のみ
つまり、まったくスゴロクの域を出ていないのですな。
 
 しかも1番手は2番手が到着するまで待たないとならないというあたり、
 なんとももっさりした感じ。
 ですが、
こうしたスゴロクはゲームブックのヒントになるのではございませんでしょうか。
 
 そうでなくても、変わったスゴロクを作りたい気にはさせてくれます。
 
 昨今は、さまざまなボードゲームが出ており、
スゴロクと申しますと時代遅れと思われるかもしれませんが、
それでも工夫次第で面白いものになると思います。
 
 第一、ルールが分かりやすいですしね。
 

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