2026/06/24 オメガホーン。なんかオモチャにはギャバン∞のエモルギアや機体を合体させることも出来るそうでございますな。
次々と番組が変わったらそのうちオモチャを買ってもらえなくなるのでは、と思ったのでございますが、2クールで終わっても前番組のオモチャは無駄にさせない、旧作品を再登場させることで以前のオモチャを再び売ることが出来るなど、逆にオモチャが売れるためにはどうしたらいいかを最優先にした戦略なのかな、そう思えます。果たしてそれがうまく行くかはよく分かりませんが。
でも、だとすれば2クールで交代というのはあらかじめ折り込み済みだった可能性が高うございます。オメガホーンのほうが先に決まっていて、でも知名度的に弱いので、第一弾として名前の知れたギャバンをまず持ってきたということも考えられます。
は、映画もしくはロバート・ネイサンの小説
『ジェニーの肖像』を基にした作品にございます。
『ジェニーの肖像』を基にした作品にございます。
この作品と『ジェニーの肖像』については、
以下のPDFが参考になりましたので、
興味のある方はお読みになるとよろしゅうございましょう。
以下のPDFが参考になりましたので、
興味のある方はお読みになるとよろしゅうございましょう。
『ジェニーの肖像』のアダプテーション
─小説から映画、そして日本の少女マンガへ
ローベル 柊子
https://www.toyo.ac.jp/-/media/Images/Toyo/research/labo-center/ihs/bulletin/kiyou22/22_p47-65.ashx?la=ja-JP&hash=738C0F39DEBFA34691F7C30C58B7447A4397F196
この作品、
ファンの女の子が遊びに来て、という枠があるのが変わっておりますな。
ファンの女の子が遊びに来て、という枠があるのが変わっておりますな。
でも、枠のないバージョンもございます。
サンコミックスの『竜神沼』(ママ)に収録されているものは
枠のないバージョンでございますな。
(右上と右はその表紙と一ページ目でございます)
枠のないバージョンでございますな。
(右上と右はその表紙と一ページ目でございます)
それに枠の話のためにいくつかのコマがなくなっておりますし、
第七章に枠の話が1ページ挿入されたため、
その後のページがズレてしまっております。
第七章に枠の話が1ページ挿入されたため、
その後のページがズレてしまっております。
この2つはどのようにして成立したのでございましょう。
「石森章太郎の世界」の作品年表を見ますと
「昨日はもう来ない、そして明日も」
という作品が1959年にあるのですよね。
ですからそれが、外枠のない話かもしれない……
のでございますが、コミックスをあらためて見ますと、
「そして」ではなくて「だが」なんですよね。
「昨日はもう来ない、そして明日も」
という作品が1959年にあるのですよね。
ですからそれが、外枠のない話かもしれない……
のでございますが、コミックスをあらためて見ますと、
「そして」ではなくて「だが」なんですよね。
それに、この作品リストの他の部分には間違いがあるみたいなので、
ここも間違っているのかも。
ネットで探しても見つかりませんし。
国立国会図書館デジタルコレクションのデータを見ても
よく分かりませんでした。
調べ方が悪かったのか足りなかったか。
他の作品でも、リストにあって載っていないものも、
逆にリストに無くて載ってないものもございました。
加えて、1959年に描かれたとすると、そもそも疑問な点が1つ。
p.70に主人公の健二さんが現実に負けて描いたマンガがございますが、
その「まだら」何とかが、快傑ハリマオっぽいのでごさいますよね。
ハリマオの連載は、1960年4月から。
1959年の作品で出てくるのはちょっと難しい。
テレビドラマ(マンガと同時に放映) のマンガ化ですから
企画がそれ以前から動いていて、
キャラクターデザインはすでに出来ていたなども考えられますが──。
(ちなみに、連載開始からしばらくは、
手塚治虫先生が下描きまでの構成をしていたのだそうでございます)
月刊誌から週刊誌への移行期で、しかも連載。
仕事量はグンと増える。アシスタントも雇わなければならない、
と困難は認識している一方で、やってみたい作品とも
思っていたらしいのでございますよね(『言葉の記憶』p.97)。
そんな作品を開始前からこのような形で採りあげるかどうか──。
仕事量はグンと増える。アシスタントも雇わなければならない、
と困難は認識している一方で、やってみたい作品とも
思っていたらしいのでございますよね(『言葉の記憶』p.97)。
そんな作品を開始前からこのような形で採りあげるかどうか──。
一方で、1959年と申しますと、
先生のお姉さまがお亡くなりになられたのが1958年でございますから、
その一年後。
先生のお姉さまがお亡くなりになられたのが1958年でございますから、
その一年後。
その時期にこの作品を描いたというほうが、
もっとあとよりも納得できる気がいたします。
(一方で、この時期にそれを描いたとすれば、
そのときの気持ちはいかに、と気にもなりますが。
精神的な強さなのか、それとも作品にすることが
気持ちの整理や解消に少しはつながったのか、つなげようとしてなのか……)
また、赤塚不二夫先生が、そのころ石ノ森先生にそんな提案をした
という話もあるそうでございますし。
名画座か何かで観たのでしたら時間的に問題ございません。
小説も訳されたものが出ております。
さらに加えますれば、枠の話で石森先生は「だが」にするか「そして」に
するかを迷っております。
これは、「そして」という作品があったことを示すものではないか。
そう思うのでございます。
それらを総合して考えまするに、個人的な見解ではございますが、
1959年あたりでお描きになったのですが、
そのときはボツになったのではございませんでしょうか。
ボツにされるマンガ家を描いた作品がボツになるとは皮肉でございますが、
SFであり、時間ものであり、
主人公がマンガ家の青年。読者とはかけ離れているなど、
ボツになる理由はあると存じます。
SFであり、時間ものであり、
主人公がマンガ家の青年。読者とはかけ離れているなど、
ボツになる理由はあると存じます。
新しすぎる、難解すぎるなどの理由でボツになったという話は、
先生のお書きになった文章に出てまいりますから、可能性はあると存じます。
それを締め切りが迫っていたのか、受け容れられる素地が出来てきたのか、
石ノ森先生がどうしても発表したいと思ったのか、
描き直しをし、ページ数の都合からか枠の物語をつけて発表したのでございましょう。
それを締め切りが迫っていたのか、受け容れられる素地が出来てきたのか、
石ノ森先生がどうしても発表したいと思ったのか、
描き直しをし、ページ数の都合からか枠の物語をつけて発表したのでございましょう。
それでバージョンが2つになったのでございましょうな。
枠なしのものは、枠つきに描き直したものから、枠を取っ払ったものなのかも。
どちらかを選ばないとならないとなれば、
ページ数の多い枠付のものを採用するのが当然ですが、
枠のない方が作品としてのまとまりはございます。
ページ数の多い枠付のものを採用するのが当然ですが、
枠のない方が作品としてのまとまりはございます。
両バージョンをと言いたいところでございますが、
似たものを2つも載せると、無駄と思われてしまうでしょうしねぇ。
難しいところでございます。
ただ枠の話を省くだけですので、
枠のない物語は掲載された作品から想像してくださいませ。
さて、解説でも描かれておりますとおり、
この作品、
『ジュン』の底流を流れる主題となっております。
この作品、
『ジュン』の底流を流れる主題となっております。
この作品では解説でお書きになっているとおり、
イノセンスや姉の記憶でよいかと思われますが、
『ジュン』では異性を含めた未知未知なるものとか、
理想、神秘なるものとか、
広い意味が付加されているように存じます。
イノセンスや姉の記憶でよいかと思われますが、
『ジュン』では異性を含めた未知未知なるものとか、
理想、神秘なるものとか、
広い意味が付加されているように存じます。
そしてそれらは、少女の死に暗示されているとおり、
手に入れることが出来ないものなのかも──しれません。
さらに 「昨日は~」の外枠のセリフ、
時間はどんどん過ぎ去ってしまうというのは、
『ジュン』の
「やがて秋が来て冬が来る」に連なっております。
時間はどんどん過ぎ去ってしまうというのは、
『ジュン』の
「やがて秋が来て冬が来る」に連なっております。
作中作で語られる自分の描きたいマンガが
編集部の要請など外部的な理由によって
描けないことについては、
たとえば『続マンガ家入門』のあとがきでも、
マンガ家を目指す読者に対して
だいたい次のような感じでお書きになっておられますな。
編集部の要請など外部的な理由によって
描けないことについては、
たとえば『続マンガ家入門』のあとがきでも、
マンガ家を目指す読者に対して
だいたい次のような感じでお書きになっておられますな。
あなたの世界を10として、
それをすべて理解してくれる人はいない。
理解力0の人、5の人……ごく少数は9まで理解してくれる
人はいるかもしれないけれど、10を理解してくれる人はいない。
そこであなたは
あなたの世界を変えていかざるを得ない。
やがてあなたの世界は、
以前1だけ理解してくれた人にも
理解できるような世界になる。
つまりあなたの世界は
だれもが理解できる世界に変わったというになる。
だれもが楽しく遊べる世界を作ったあなたは、
人気者であり英雄でありその世界の”王さまとなった。
けれども、もはやあなたはその世界では遊べない。
すでにそれは
アカの他人たちの世界になってしまったから──。
アカの他人たちの世界になってしまったから──。
プロの意識が芽生えるというのは、
そういうものを吹っ切ることなのでございましょう。
ただ、その一方で、吹っ切ったあとも、
こうした思いはいつまでも持っていたものではないかと思います。
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解説では扉絵の俯瞰を前衛的と評しておりますが、
ヒッチコックの映画あたりにあるのではないでしょうか。
その一コマだけで特筆する必要は感じられません。
前衛的というよりも、少女のいる部屋を描写しつつ、
彼女の不安や孤独を表現したコマとして
評されるべきでございましょう。
その一コマだけで特筆する必要は感じられません。
前衛的というよりも、少女のいる部屋を描写しつつ、
彼女の不安や孤独を表現したコマとして
評されるべきでございましょう。
それに語るのてしたら、この一ページだけではなく、
それを起点とした5ページ、p.9までの流れを語るべきですな。
少女がドアを小さく開けて
こっそり外の様子を聞いている一コマ目(p.5)。
二コマ目では彼女の顔がアップとなり、
不安な表情に迫ります(p.6)。
そこからp.7・三コマ目まで彼女がのぞき見る部屋の外が描かれ、
少女の不安の理由──両親の諍いですな──が明らかにされます。
p.7・四コマ目はp.6・一コマ目と同じポーズで扉を閉め、
ここまでを1つのシーンとしております。
そこから、p.9の月光が部屋の中に差し込むまでが一連。
少女がぼくちゃん人形に話しかけるまでをスムーズなカメラワークで描いております。
月の光とともに起は終わり、物語はオモチャたちの話に移ってまいります。
で、ミッドポイントは、え~と、5ページから35ページの中間だから、
一本足の兵隊が登場するあたりでございましょうか。
一本足の兵隊が登場するあたりでございましょうか。
解説ではアンデルセンの「鉛の兵隊」(スズの兵隊)と書いてありますが、
ホフマン、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」も下敷きとなっておりますよね。
ホフマン、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」も下敷きとなっておりますよね。
「おもちゃのチャチャチャ」はどうなのかなぁ。
ウィキペディアに拠りますと、野坂昭如先生の詞のバージョンは1959年。
1回きり使われ、その後1960年にダークダックスが再度採りあげた、
となっておりますから、ギリギリと申しますか、
リアルタイムということになりますが、
何しろ一度や二度の放送だけみたいでございますからな。よくわかりません。
まぁ、「おもちゃのチャチャチャ」は、
キッカケにはなったとしても、影響は最小限のはずでございます。
キッカケにはなったとしても、影響は最小限のはずでございます。
何しろ、石ノ森先生はデビュー作『二級天使』の中で
「一本足の兵隊」という作品を描いており、
それがこの作品の直接の元となっているからでございます。
「一本足の兵隊」という作品を描いており、
それがこの作品の直接の元となっているからでございます。
この作品、『二級天使』の中でも唯一の3回連載。
石ノ森先生としても思い入りのあるテーマだったのだと思うのですよね。
「青い月の夜」のp.32に一本足の兵隊が窓を割って放り出される場面がございましょ?
コマの関係とこの作品では脇道なので目立たない扱いでございますが。
コマの関係とこの作品では脇道なので目立たない扱いでございますが。
ここで『二級天使』の「一本足の兵隊」の話をいたしますと、
かの作品では、オモチャたちの持ち主の病弱な女の子が、
『毎日毎日、こんな生活もう嫌」と思わず人形2人をはたき、
ガラス戸を破って窓の外へ。
そこまでが1話で、2話目から放り出された一本足の兵隊人形モンティと、
ジプシー人形ナナパットの冒険の話となっているのでごさいます。
アンデルセンのスズの兵隊の話はご存じでございましょうか?
あの物語では、スズの兵隊は魚に飲み込まれますが
「一本足の兵隊」でもやはり飲み込まれます。
でも、自力で抜け出すのですな。
「一本足の兵隊」でもやはり飲み込まれます。
でも、自力で抜け出すのですな。
ラストも、アンデルセンのそれは、涙を誘う終わり方をいたしますが、
「一本足の兵隊」は、二級天使・ピントの力を借りてハッピーエンドで終わります。
きっと、アンデルセンの話の結末を不服に思って、
そのような結末に仕立てたのでございましょう。
一方、病弱な女の子は天に召され、人形たちの王国は後日取り壊されるという、
かわいそうな結末に。
そんな少女の結末をなんとかしてやりたいと思って描いたのがこの作品なのだと存じます。
女の子が両親に泣きついて家族が再生するという結末は、お話として、少しありきたりな気もいたしますな。
ただ、家族を見守るような満月で終わるエンドは、それを補って印象的でございます。
.「石ノ森章太郎コレクション
初期少女マンガ傑作選」(ちくま文庫/2021/1)
初期少女マンガ傑作選」(ちくま文庫/2021/1)
副題のとおり、
石ノ森先生の初期少女マンガから選択した作品集でございます。
収録されている作品は、以下のとおり。
ちなみに、
『石森章太郎の世界 イラストアルバム』(徳間書店/昭和53年2月)や
『ぼくの漫画ぜんぶ』(廣済堂/昭和52年6月)では、
『あかんべぇ天使』は、昭和40年となっております。
『ぼくの漫画ぜんぶ』(廣済堂/昭和52年6月)では、
『あかんべぇ天使』は、昭和40年となっております。
しかし、サンコミックス版でも昭和37年となっており、
この年号で正しいのでございましょう。
この年号で正しいのでございましょう。
『二級天使』でデビューした昭和30(1954)年に16歳
(解説だと、1955年デビューで17歳となっておりますが、
一月号はその前年に発売されるのが普通ですし、
執筆していたのはそれ以前ですからまぁ同じことでございます)
とすると、
「MYフレンド」をのぞけば、22~25ぐらいで書かれた作品となりますな。
(解説だと、1955年デビューで17歳となっておりますが、
一月号はその前年に発売されるのが普通ですし、
執筆していたのはそれ以前ですからまぁ同じことでございます)
とすると、
「MYフレンド」をのぞけば、22~25ぐらいで書かれた作品となりますな。
ちなみに、先生のお姉さまがお亡くなりになられたのが、
1958年(昭和33年)4月、
『世界まんがる記』の世界旅行に行ったのが1961年だそうでございます。
スタジオ・ゼロ設立が1963年。
「MYフレンド」をのぞけば、だいたいその間に描かれたということにあいなります。
これら少女マンガについて、
石ノ森先生は『石森章太郎の世界』で次のようにおっしゃっておられます 。
石ノ森先生は『石森章太郎の世界』で次のようにおっしゃっておられます 。
石森 『龍神沼』だけではなく『そして誰もいなくなった』
『あかんべぇ天使』など、初期の少女もの短編が好きなんだ。
というのは、このころ、まだ
自分の進む道は絶対マンガ家じゃなければならないとは考えていなかった。
『あかんべぇ天使』など、初期の少女もの短編が好きなんだ。
というのは、このころ、まだ
自分の進む道は絶対マンガ家じゃなければならないとは考えていなかった。
それで、読者にうけることは考えずに、
本当に好きなことを書いた作品ということでね。
本当に好きなことを書いた作品ということでね。
──結果的には<それがうけましたね?
石森 そうなんだ。同じ感覚で呼んでくれる人がいるとわかって、うれしかったね。
「絶対マンガ家じゃなければならないとは考えていなかった」
とおっしゃってはおりますが、
小説家とか映画監督とかアニメ作家とかジャーナリストとか、
他の職業と申しましても、
ものを書(描)いたり作ったりする仕事という点は確かぶれていなかったと存じまする
とおっしゃってはおりますが、
小説家とか映画監督とかアニメ作家とかジャーナリストとか、
他の職業と申しましても、
ものを書(描)いたり作ったりする仕事という点は確かぶれていなかったと存じまする
それにそうはおっしゃられましても、
マンガのことをおろそかにしていたというわけではございません。
マンガのことをおろそかにしていたというわけではございません。
むしろ、マンガを映画と同じような総合芸術と考え、
マンガを映画と同等、
いや、それ以上のものとするために、日夜考えておられたのでございます。
さらにインタビューを読みすすめていきますと、
サイボーグ009(1964)でプロ意識が完全に芽生えたともおっしゃっております。
サイボーグ009(1964)でプロ意識が完全に芽生えたともおっしゃっております。
このプロとそうでない時代の違いは何か、
作者が作中キャラクターとして登場している
「きのうはもうこない だが あすもまた」(1961)
の特に作中作の主人公と、
「MYフレンド」(1967)を比べて見ると、一目瞭然でございますな。
の特に作中作の主人公と、
「MYフレンド」(1967)を比べて見ると、一目瞭然でございますな。
自分の描きたいものがあって、
それを描いて断られているのがプロ以前の段階。
貧しくて、でもマンガに対して純粋で。
それを描いて断られているのがプロ以前の段階。
貧しくて、でもマンガに対して純粋で。
一方、「MYフレンド」の石森先生は、先生と呼ばれております。
おうちも立派なものを持っておりますし、自分を二枚目に描いていない。
プロのマンガ家として自信も自覚もあり、まわりからも認められている。
自分のスタイルもすでに確立している。
自分のスタイルもすでに確立している。
作中で女の子の作品を評価しておりますが、
つまりは編集者の目で作品を見ることができるということでございますな。
つまりは編集者の目で作品を見ることができるということでございますな。
評価される側の作品も、
石ノ森先生らしく手なれているのはご愛敬というところでございましょうか。
ちょっとアマチュアっぽくないですな。
というわけで、
マンガの理想と描きたい作品に情熱的に取り組んでいたのが、
この少女マンガの時代でございますな。
マンガの理想と描きたい作品に情熱的に取り組んでいたのが、
この少女マンガの時代でございますな。
週刊誌ではなく月刊誌の時代でございます。
しかも読み切りなので、派手なコマはない代わりにストーリーが濃密でございます。
しかも読み切りなので、派手なコマはない代わりにストーリーが濃密でございます。
締め切りに追われていたとはいえ、
大人気作家となる以前でございますから、
作品に工夫を凝らす時間もあったのでございましょう。
描きたいものも頭の中にあふれ、また映画などから物語や技法などを吸収して、
それをマンガに取り込んでやろうという意欲にあふれていた時だったとも存じます。
大人気作家となる以前でございますから、
作品に工夫を凝らす時間もあったのでございましょう。
描きたいものも頭の中にあふれ、また映画などから物語や技法などを吸収して、
それをマンガに取り込んでやろうという意欲にあふれていた時だったとも存じます。
作品を見ても、映画的な作りでございますな。
「龍神沼」「夜は千の目を持っている」「あかんべぇ天使」あたりは、
そのまんま映画にしてもおかしくない作りだと思います。
そのまんま映画にしてもおかしくない作りだと思います。
また、ここで試した技法が『ジュン』など後の作品で、
より先鋭化して使われているということもございます。
逆に、日常のていねいな描写などは、作風が派手になってからは
あまり描かれなくなったような気も?
そのあたりは、時代がスピーディな方向に流れたせいもございましょうな。
より先鋭化して使われているということもございます。
逆に、日常のていねいな描写などは、作風が派手になってからは
あまり描かれなくなったような気も?
そのあたりは、時代がスピーディな方向に流れたせいもございましょうな。
というわけで次回は、各作品について見ていくことにいたします。
『都会のトム&ソーヤ』ゲーム・ブック第3弾が
「ぼくたちの映画祭」ということもあって、
『キートンの探偵学入門』(Sherlock Jr./1924年)を見てしまいました。
「ぼくたちの映画祭」ということもあって、
『キートンの探偵学入門』(Sherlock Jr./1924年)を見てしまいました。
フィルムのコマのフレームにつかまってのアクションがあるのはこれだったっけ?
と思ったのですが違うみたい。
と思ったのですが違うみたい。
(いや、そういうシーンがゲームブックにあったら面白いんじゃないかな、
と思ったのでございますよ。夢の中のシーンとして)
と思ったのでございますよ。夢の中のシーンとして)
お話の中ほど、映画に入り込んだ直後に
シーン転換のギャグはありましたけど。
シーン転換のギャグはありましたけど。
あらためて見たけど、以前見た記憶よりも面白うございました。
見たのが画質が良かったせいも大きいと思うんですよね。
以前見たものは、もやがかかった感じで、
細部がハッキリいたしませんでしたし、迫力が違います。
以前見たものは、もやがかかった感じで、
細部がハッキリいたしませんでしたし、迫力が違います。
(ニコニコにあるのが、以前見たものに近い気がいたします。
コメントが色々教えてくれるので、そちらははそちらで見る価値がございますが)
コメントが色々教えてくれるので、そちらははそちらで見る価値がございますが)
特にクライマックスのバイク&カーアクションシーンは圧巻でございますな。
ジャッキー・チェンが敬意を表するわけでございます。
ジャッキー・チェンが敬意を表するわけでございます。
この作品のミッドポイントは実に分かりやすい。
と申しますか、二幕構成と申した方がよろしゅうございましょう。
現実の世界が一幕。映画の世界に入り込んでからが第二幕。
実に分かりやすい。
実に分かりやすい。
この作品の場合は、
二幕目のはじめ(ミッドポイント)からクライマックスまでが転
と断じてもいいような気がいたします
(まぁ、チェイスシーンからでも良ござんすが)。
二幕目のはじめ(ミッドポイント)からクライマックスまでが転
と断じてもいいような気がいたします
(まぁ、チェイスシーンからでも良ござんすが)。
伏線の張り方、回収も分かりやすく見事。
エンディングも洒落ております。
無声映画ですし、
後発の作品に比べ派手さに欠けるとおっしゃられるかもしれませんが、
キートンの動きのキレといい、一見の価値はあると存じます。
後発の作品に比べ派手さに欠けるとおっしゃられるかもしれませんが、
キートンの動きのキレといい、一見の価値はあると存じます。
「起承転結」について(1)
起承転結について(2)
(8)落とし話やアイデアストーリーなど。
(6)では四コマやごく短い小話のことを考えてみました。
それではもう少し長い話の場合はどうでございましょう。
それではもう少し長い話の場合はどうでございましょう。
長い小話やショートショートあたりから、
短・中編あたりまででございますな。
短・中編あたりまででございますな。
そのような作品であっても、
ワンアイデアを軸とした話ならば、基本は変わらないと存じます。
ワンアイデアを軸とした話ならば、基本は変わらないと存じます。
オチやサゲのある話は、四コマなどと同じ起承転結の論法に従います。
違うのは、長いということでございますな。
そのため、より「仕掛ける」ことができるというものでございます。
特に承の部分は大事ですな。
最小単位の漫才を考えたときは、
起と転のつなぎぐらいの扱いでございましたが、
実はもっと重要なのでございます。
起と転のつなぎぐらいの扱いでございましたが、
実はもっと重要なのでございます。
ともかく、起から順番に見てまいりましょう。
アイデア中心の話では、もちろんそのアイデアが重要。
そのアイデアを中心にすべてが回ってまいります。
(1) 起
いわゆるセッティングの部分でございますな。
アイデアが成立する状況、
そのアイデアをもっとも効果的に見せることができる設定、
なおかつ、この段階でネタがバレないようなことを考えて
初期条件を考えてまいります。
なおかつ、この段階でネタがバレないようなことを考えて
初期条件を考えてまいります。
(2) 承
起から転への受け渡しの場であると同時に、
伏線を張り、転での爆発力を最大にするための
仕掛けをする場でございます。
色々な要素を足して目くらましをしたり、誤誘導をかけたり。
腕の見せ所でございますな。
(3) 転
そこまで来た道筋に立ちはだかる意外の壁でございますな。
起と承からの流れに沿いつつ、
切り札のごとき驚きを見せる見せ場でございます。
起と承からの流れに沿いつつ、
切り札のごとき驚きを見せる見せ場でございます。
(4) 結
すべてをまとめる部分でございます。
オチやサゲなど、
ショートショートなら一言で終わってもよろしゅうございますし、
全体をまとめるエピローク的なものが添えられるかもしれません。
ショートショートなら一言で終わってもよろしゅうございますし、
全体をまとめるエピローク的なものが添えられるかもしれません。
ここで述べておりますのは、純粋にアイデアのみを軸とした話でございます。
ですから、起承転結は
そのアイデアを最大限に活かすために構成されなくてはなりません。
キャラクター要素も、この場合必要ございません。
が、アイデアのみで通用するのは、
短編かせいぜいが中編までが限度でございましょう。
短編かせいぜいが中編までが限度でございましょう。
それ以上はキャラクター要素が必要になってくると思いますし、
短編でもそこは重視する方が多いかと存じます。
短編でもそこは重視する方が多いかと存じます。
(9)石ノ森章太郎先生の説明。
さて、ここで、石ノ森先生が『マンガ教室』などで書いている、
起承転結の説明について紹介しておきましょう。
起承転結の説明について紹介しておきましょう。
わたくしが起承転結という言葉を知ったのも、この書によってでございます。
『石森マンガ教室』(昭和44年/黒崎出版)
四コマについてはこう。
それをつなげていけばストーリーマンガになるというのは、
スーパーマーケット方式と同じでございますな。
さらにストーリーマンガについては、
このような図によって起承転結を説明しております。]
このような図によって起承転結を説明しております。]
見て分かりますとおり、
ことさらに特殊なことをお描きになっているのではございません。
ことさらに特殊なことをお描きになっているのではございません。
むしろ、これが起承転結に対する大方の認識であると存じます。
ただ。
だからこそ、気にしなければならない箇所がございます。
物語の上昇曲線を解説した図で、
石ノ森先生は、はっきりと「転」をクライマックスとしているのでございます。
石ノ森先生は、はっきりと「転」をクライマックスとしているのでございます。
となると、(6)の最後で書いた疑問が浮かび上がってまいります。
クライマックスは確かに要(かなめ)のポイントなので、
ピンポイントであっても、構成の一として入れるべきなのか。
それとも、重要ではあるがピンポイントであるという理由によって、
承か結の一部、あるいはその中間と考え、三部構成と考えるべきか。
ピンポイントであっても、構成の一として入れるべきなのか。
それとも、重要ではあるがピンポイントであるという理由によって、
承か結の一部、あるいはその中間と考え、三部構成と考えるべきか。
はたまた、ある点からクライマックスまでを転と考え、均等な四部構成を考えるか。
さて、いかがいたしましょう?
(9.5)とは申せ。
「転」をクライマックスとするのは納得のいく考えでございます。
クライマックスは
物語の均衡状態に決着がついて結末になだれ込んだり、
意外な展開があったりするものでございますからな。
それに「転」を四コマなどの「転」と同じように考えるより、汎用性がございます。
四コマの転では意外なことが起こらなければなりませんが、
クライマックスとなりますと、
それが必要というわけではございませんからな。
オチのある短編とか、推理小説以外でも
それなら説明ができるというものでございます。
ただ、汎用性が高すぎで、それこそあたりまえという感もなきにしもあらず。
クライマックスという言葉はそれこそ誰でも知っておりますし、
それが最後に来る方が面白いということも経験的に分かっております。
それが最後に来る方が面白いということも経験的に分かっております。
でも、あたりまえだから無視していいというものでもございますまい。
むしろあたりまえだからこそ、
それをもっとも効果的に盛り上げるのにはどうすれば良いのかを
考えることは、やはり重要なのだと存じます。
それをもっとも効果的に盛り上げるのにはどうすれば良いのかを
考えることは、やはり重要なのだと存じます。
(10)映画
石ノ森先生のお描きになった物語の上昇曲線は、
おそらく映画の構造論に由来するものにございます。
(2)で書いた『映画技法のリテラシー』にも
古典的なパラダイムとして紹介されております。
目標に向かって一直線に進む主人公の行動を追うような映画に使われる手法で、
「それは特にアメリカではもっとも人気のあるストーリー構成の型であり、
実際にいまだに揺るぎない地位を保っている。
その型が必ずしも芸術的に高度に洗練されているわけではないが、
実際の制作規範となっており、
それゆえに「古典的」と呼ばれているのである。
言い換えれば優れた映画も駄作も、
この伝統的な語りの定石を使っているのである」(p.61)
実際にいまだに揺るぎない地位を保っている。
その型が必ずしも芸術的に高度に洗練されているわけではないが、
実際の制作規範となっており、
それゆえに「古典的」と呼ばれているのである。
言い換えれば優れた映画も駄作も、
この伝統的な語りの定石を使っているのである」(p.61)
そうでございます。
『映画技法のリテラシー』では、
引き続いてこのパラダイムを伝統的な演劇技法に沿って説明した
シド・フィールドの説を紹介しております。
引き続いてこのパラダイムを伝統的な演劇技法に沿って説明した
シド・フィールドの説を紹介しております。
(この伝統的演劇技法については、
ウィキペディアの3幕構成なども参考になさるとよろしいかと。
ここには書いてないことがいろいろ書かれてございます)
第1幕:状況設定(4分の1)
第2幕:対決(2分の1)
第3幕:和解(4分の1)
下に書いた分数は、全体に占める割合ですな。
内容的には、
第1幕で主人公の目的は何か、
目標達成の障害になるものは何かなど、物語の前提が設定され、
第2幕で物語が動き、
第3幕でクライマックスの対立の結果、何が起こったのかが示される。
という感じでございます。
石ノ森先生の描いた物語曲線と比較すればお分かりいただけましょう。
つまり、石ノ森先生は
第1幕=起、第2幕=承、第3幕=結と当てはめ、
クライマックスを特別な一点として「転」としたのでございます。
クライマックスを特別な一点として「転」としたのでございます。
これは、西洋の三幕構成を起承転結に置きかえる方法として、
非常に正しい方法だと存じます。
(11)ミッドポイント
「転」=クライマックスで決着はついたわけでございますが、
話はまだ続きます。
シド・フィールドの映画論で最も重要なのは、
ミッドポイントという考えにございます。
ミッドポイントという考えにございます。
彼の論が日本に紹介されたのは、
1984年の別冊宝島「シナリオ入門においてですから、
石ノ森先生が起承転結についてお書きになったときには
無かった考えですな。
このミッドポイント。
名前のとおり映画のまん中あたりにあるポイントでございます。
ここで起こったことにより物語のベクトルが変わり、
そこから一気にクライマックスへ向かって加速するような
一点のことでございます。
そこから一気にクライマックスへ向かって加速するような
一点のことでございます。
面白い映画にはそこに重要な転換点がある、
とシド・フィールド先生はおっしゃるのですな。
難しい例を先生は挙げておりますが、
そういったものばかりではございません。
例えば
恋愛ものだったら、
彼女も自分のことを想っていることに気づくですとかね。
彼女も自分のことを想っていることに気づくですとかね。
ゾンビものなら、ある薬品が見つかって
それまで逃げているばかりだったのが攻撃に転じるですとか。
信じていた人物の裏切りに気づくですとか。
まぁ、色々あるじゃないですか。
RPGでしたら、
シティアドベンチャーでダンジョンの情報が見つかって、
双方向移動から一方向移動になるとか。
シティアドベンチャーでダンジョンの情報が見つかって、
双方向移動から一方向移動になるとか。
ギャグベースだったのが急にシリアス展開に、
なんて言うのもございますな。
目立つものそれほどでもないものございますが、
とにかくストーリーの方向が変わるポイントでございます。
とにかくストーリーの方向が変わるポイントでございます。
(10)でも書きましたとおり、シド・フィールド先生の映画論は、
3幕構成を基本にしておりますが、
このミッドポイントも、かなり重要でございます。
そこで、ミッドポイントで分けた四部をそれぞれに当てはめて起承転結とすると
収まりがいいのではないかな、という考えもできると思うのですよね。
ミッドポイントでベクトルが変わって、
そこからクライマックスまで一気に駆け上がるところまで
を転とするのでございますな。
そこからクライマックスまで一気に駆け上がるところまで
を転とするのでございますな。
物語のギアが上がり、トーンが変わりますから、
そこをひとかたまりと考えてよろしいのではないでしょうか
(個人的には展という字を当ててもいいかなとも思いますが)。
3幕構成は1:2:1の割合ですから、
ミッドポイントで分ければ
ちょうど4分の1ずつの配分になるのもちようどいい。
転換点からクライマックスまでが
四コマで説明される転と同じかと申しますと難しくはございますが、
転換点からクライマックスでございますから、合っている気もいたします。
ミッドポイントは発明ではなくて発見でございます。
シド・フィールド先生がたくさんの脚本を読んで、
面白い脚本にはこれがあると発見したことでございます。
面白い脚本にはこれがあると発見したことでございます。
つまり、それ以前の方でも上手い人は、理論化していないとはいえ、
経験的にミッドポイントに
重要な転換点を置いていたということでございますな。
あらためて石ノ森先生の図をごらんください。
承のまん中あたりに、ひときわ盛り上がった部分がございますね。
上には、ミディアムクライマックスとあり、
「中間のヤマバ。これは小刻みにたくさん入っているほうがよろしい」とあり、
ミッドポイントという意識はございませんものの、
やはり、その中でも重要な山場を
物語のまん中あたりに置いているということは
ミッドポイントという考えを、
無意識のうちに持っていたのだと思います。
「中間のヤマバ。これは小刻みにたくさん入っているほうがよろしい」とあり、
ミッドポイントという意識はございませんものの、
やはり、その中でも重要な山場を
物語のまん中あたりに置いているということは
ミッドポイントという考えを、
無意識のうちに持っていたのだと思います。
最近、先生の『幽霊少女』(昭和31年)と
『幽霊船』(昭和35年)を読んだのでございますが、
どちらもカッチリとまん中あたりに父親の打ち明け話が入っていて、
それで主人公と物語の関係が強くなるんですよね。
ですから、石ノ森先生の作劇術の中にも、
ミッドポイントは無意識のうちに染みこんでいたのだと存じます。
というわけで、先人にもこのミッドポイントに気づかれた方がいて、
3幕構成の1幕を起、
2幕のミッドポイントまでを承、
そこから3幕までを転、第3幕を結として、
起承転結としたのだろう
と結論づけようとしたのでございます。
3幕構成の1幕を起、
2幕のミッドポイントまでを承、
そこから3幕までを転、第3幕を結として、
起承転結としたのだろう
と結論づけようとしたのでございます。
が。
ここまで来て、問題に当たりました。
3幕構成では、クライマックスは最終幕である第3幕、
つまり今配分した起承転結では結の部分に入ってしまうのですよね。
つまり今配分した起承転結では結の部分に入ってしまうのですよね。
それでいいのか?
四コママンガのことを考えますと、三コマ目が緊張で、
四コマ目でその緊張が解除される感じがございますから、
それで合っている気もいたします。
四コマ目でその緊張が解除される感じがございますから、
それで合っている気もいたします。
が、一方でクライマックスは転に入れたいという気もいたします。
結局のところ、どちらかはわかりません。
どちらでもいい気がいたします。
そもそも、起承転結という言葉があいまいなのでございます。
ただやはり、大方のイメージといたしましては、
クライマックスは転だと思うのですよね。
クライマックスは転だと思うのですよね。
と申しますか、結はエピローグ部分というのが一般的で、
だからその前のクライマックスはやはり転だと思うのでございます。
ですから転は、そのクライマックスの一点、
もしくはクライマックスを終点として、
ミッドポイントか第3幕の終わりを起点にするぐらいではないかな、
とそのように思います。
伝統的な演劇技法が
ミッドポイントやクライマックスで区切りを置かないのは、
幕によって分けているからと申せます。
ミッドポイントやクライマックスで区切りを置かないのは、
幕によって分けているからと申せます。
物語のまん中の重要なシーンや
クライマックスで決着がついた瞬間なんかで幕は下ろしませんものな
(テレビのCMなら逆にそこにこそ入れそうでございますが)
ですから、幕による区切りとそれとは関係ない区切りで
分け方が違ってくることは仕方がない、と申しますか、当然だと存じます。
というわけで、起承転結を3幕構造に当てはめてみますと、
起は、第1幕
承は、第2幕
転は、クライマックス
(だが、ミッドポイントか第2幕の終わりから
クライマックスとまでを転と考えてもいいかもしれない)
(だが、ミッドポイントか第2幕の終わりから
クライマックスとまでを転と考えてもいいかもしれない)
結は、第3幕のクライマックス以降。
とちょっとあいまいな結論とあいなりました。
あいまいな結論ではございますが、先ほども書きましたとおり、
起承転結自体があいまいなので仕方がございません。
起承転結自体があいまいなので仕方がございません。
漢詩や四コマならば一行一コマに起承転結を当てはめるだけなので
問題は起きませんが、長いものになってくると無理があるのでございますな。
問題は起きませんが、長いものになってくると無理があるのでございますな。
まぁ、クライマックス=転でいいと思います。
ですが、ミッドポイントの重要性も知っておいて欲しいと存じます。
とここで、新たなる考えがひらめきました。
とここで、新たなる考えがひらめきました。
漢詩や四コマの起承転結は、ピンポイント。
ならば、映画的な起承転結も重点的な一点を指すものと考えてもいいのでは、
という考えにございます。
という考えにございます。
まぁでも、起と結は同じ。
承をミッドポイントとして、転をクライマックスとするのでございます。
承をミッドポイントとして、転をクライマックスとするのでございます。
そこら辺を押さえておけば、要点はつかめると思うのでございますよね。
(11)まとめ
ここまで、起承転結について、あれこれと考えてまいりました。
四コマや小話など、ごく短い話での起承転結。
落とし話やアイデアストーリーなど、
ショートショートから中編ぐらいの話の起承転結。
ショートショートから中編ぐらいの話の起承転結。
構成に拠らないスーパーマーケット方式。
クライマックスを転とした映画的な手法。
映画の3幕構成をミッドポイントで分ける起承転結と、その変形。
ミッドポイントを承、クライマックスを転と、ポイントで考える方法。
構成のないスーパーマーケット方式以外は、起承転結と申せましょう。
紹介してきたそれぞれには得意がございまして、
アイデアストーリーの起承転結は
ワンアイデアを核とした作品で、超短編から短・中編ぐらいまで。
スーパーマーケット方式は、
スラップスティックのように勢いだけで行くのでしたら短めのもの、
エッセイマンガのように淡々とエピソードを連ねるものならば、
延々続けることができますが、作品としてのまとまりには欠けます。
映画的な手法は、主人公を核にしたもので、
メリハリの利いた長編に向きます。
メリハリの利いた長編に向きます。
面白い物語を作りあげるためという目的の認識は共通しておりますし、
物語には始めと終わりがあり、
物語には始めと終わりがあり、
最後のほうに面白さを持っていく、
クライマックスを華々しくするということでも共通していると存じます。
クライマックスを華々しくするということでも共通していると存じます。
目的が一緒なので、組み合わせが可能です。
と申しますか、組み合わせないと成立しない部分もございます。
短編の起承転結はワンアイデアが軸になるものでございますし、
スーパーマーケット方式は、スラップスティクにしろ日常系にしろ、
核になるのはその場その場のエピソード。
映画的手法は、主人公にございます。
主人公の行動によって物語は進行し、その葛藤が物語の主題となります。
クライマックスにしても、主人公がどう行動し、
どう解決したかが問題となります。
クライマックスにしても、主人公がどう行動し、
どう解決したかが問題となります。
多くの方は主人公の行動や運命に注目いたしますし、
それが話題を呼びます。
それが話題を呼びます。
加えてメリハリがあり、1つの作品としてまとまっていて、長編
となると、やはり、映画的な構成をメインに考えるべきでございましょう。
となると、やはり、映画的な構成をメインに考えるべきでございましょう。
☆ ☆ ☆
とまぁ、起承転結について長々と書いてまいりました。
(ホントはこんなに長く時間かけるはずじゃなかったのになぁ。
一日で終わる予定だったのになぁ)
一日で終わる予定だったのになぁ)
このように起承転結と申しましても、いろいろとあるわけでございます。
加えて申しますれば、起承転結、
これを知っていればいいものが書けるというものではございません。
これを知っていればいいものが書けるというものではございません。
出発点に立った程度のものでございます。
サッカーのフォーメーションと同じですな。
一流のチームと同じシステムを採用したとしても、
チームが強くなるわけではございません。
チームが強くなるわけではございません。
プレイヤーのフォーメーションに対する理解、
他の保持ションとの連携、
そして何よりもプレイヤー個人の技量と身体能力、
スタミナなどが無ければ、優れたチームとはなれないのでございます。
他の保持ションとの連携、
そして何よりもプレイヤー個人の技量と身体能力、
スタミナなどが無ければ、優れたチームとはなれないのでございます。
そういう意味で申しますれば、
起承転結と申しますか構成は、
お話作りにある程度慣れてから考えるべきことかもしれません。
まずは練習と実戦。がむしゃらに挑んでみるのもよろしいかと。
そうして、各選手のスタミナや身体能力、テクニックのレベルアップを図りつつ、
全体を整えていくのでございます。
起承転結と申しますか構成は、
お話作りにある程度慣れてから考えるべきことかもしれません。
まずは練習と実戦。がむしゃらに挑んでみるのもよろしいかと。
そうして、各選手のスタミナや身体能力、テクニックのレベルアップを図りつつ、
全体を整えていくのでございます。
(タイトル下には書ききれなくなったのでこちらへ)
庵野監督なら作品内容を理解してきちんと仕上げてくれる……でしょうけど、
エンターテイメントを目指すとおっしゃっておられますからなぁ。
尖った作品にはならないかも。
『シン・ゴジラ』もエンターテイメントとしてまとめておられましたからなぁ。
インターネットや
当時の国民総背番号制度に当たるマイナンバー、
新疆ウイグル自治区をはじめとする中国の監視支配体制など、
現実に起こっている出来事から、
原作「仮面の世界(マスカーズワールド)」を映画化するとしたら
などとという妄想はすぐに思い浮かびますが、
万人に受け容れられるものを作るとなりますと、
マイルドになりましょうなぁ。
一方、ホラー性やアクション性には大いに期待、
期待させて欲しいところでございます。
YouTubeで見た記者会見では、どの程度の信憑性かは不明でございますが、
蜘蛛男・蝙蝠男の登場をほのめかしておりました。
スパイダーマンとバットマンですよ。
というヨタはともかくとして、
今やるのでございましたら、
アメコミヒーローレベル動きは当然期待されますよね。
それに応えることが出来るのか。
興味あるところでございます。
それにヨタとは書きましたけれど、
バットマンはともかくとして、
スパイダーマンとの差別化は出来るのかなぁ。
いやできましょうけれど。
ビルの谷間ではロープアクションではなくて、
ビルの壁をかさこそ這い回る動きが中心になるとか、
ロープを使うにしてもターザン的な持ち方にしないとか、ね。
ともあれ、スパイダーマンに似せようと思わなければ、
原作でも違っていたので問題はございますまい。
エンターテイメントを目指すとおっしゃっておられますからなぁ。
尖った作品にはならないかも。
『シン・ゴジラ』もエンターテイメントとしてまとめておられましたからなぁ。
インターネットや
当時の国民総背番号制度に当たるマイナンバー、
新疆ウイグル自治区をはじめとする中国の監視支配体制など、
現実に起こっている出来事から、
原作「仮面の世界(マスカーズワールド)」を映画化するとしたら
などとという妄想はすぐに思い浮かびますが、
万人に受け容れられるものを作るとなりますと、
マイルドになりましょうなぁ。
一方、ホラー性やアクション性には大いに期待、
期待させて欲しいところでございます。
YouTubeで見た記者会見では、どの程度の信憑性かは不明でございますが、
蜘蛛男・蝙蝠男の登場をほのめかしておりました。
スパイダーマンとバットマンですよ。
というヨタはともかくとして、
今やるのでございましたら、
アメコミヒーローレベル動きは当然期待されますよね。
それに応えることが出来るのか。
興味あるところでございます。
それにヨタとは書きましたけれど、
バットマンはともかくとして、
スパイダーマンとの差別化は出来るのかなぁ。
いやできましょうけれど。
ビルの谷間ではロープアクションではなくて、
ビルの壁をかさこそ這い回る動きが中心になるとか、
ロープを使うにしてもターザン的な持ち方にしないとか、ね。
ともあれ、スパイダーマンに似せようと思わなければ、
原作でも違っていたので問題はございますまい。
でも、ビルの谷間での縦横無尽の空中戦は見たいなぁ。
サイクロン号はどう使うのかなぁ?
敵に体当たりとか、ビルの壁を走ったりとか?
でも、そんなアクションは無くてもいいかな。
あまり何でもありというのも、
ヒーローが強くなり過ぎちゃってつまらない気がいたしますし──。
仮面ライダーの場合は特に。
ライダーキックはそう叫んで蹴るのだろうか?
叫ぶ意味はないですし、リアリティという意味からも必要ないですから、
叫ばないんだろうなあ、
でも、キックでトドメは変わらないのかなぁ。
原作ではそれほどキックでもないですよね。
映像表現にも期待。
万人受けする作品を目指すそうでございますから
それほど極端なものは入れてこないかもしれませんが、
それでも期待せずにはいられません。
それほど極端なものは入れてこないかもしれませんが、
それでも期待せずにはいられません。
エンターテイメントを目指すということは、
主人公が死んでエンドということはないでしょう。
続編やシリーズ化への含みを残すのかなぁ?
主人公が死んでエンドということはないでしょう。
続編やシリーズ化への含みを残すのかなぁ?
『仮面ライダー』という作品ということで考えますと、
2、3作は作って欲しいところでございます。
アメコミヒーローと肩を並べるぐらいに注目されるためにも
それはやって欲しいですな。
一方、映画として考えますと、「仮面の世界(マスカーズワールド)」中心で考えますと、
1作の映画としてきれいにまとまるんですよね。
テレビシリーズなどの関係もあるのでございましょう、
原作でもキッチリと終わらせてはいなくて、
続いていく体で話を終わらせてはいるけれど。
話としてはテーマを書き切ってあそこで終わりという感がございます。
一作ごとに完結する三部作で、
そのラストに「仮面の世界(マスカーズワールド)」を持ってくるぐらいが、
贅沢だが満足のできる作りになるという気はいたしますが。
それはやはり、贅沢ともうすものでございますなぁ。
公開は、2023年3月だそう(ホント?)。
いろいろと気になる作品ではございます。
* 出だしを『スカルマン』みたいな感じにして、
連続して起こる怪事件を刑事か記者が捜査しているうちに、
仮面ライダーに出会う、みたいな形にしても良さそうなぁ。
連続して起こる怪事件を刑事か記者が捜査しているうちに、
仮面ライダーに出会う、みたいな形にしても良さそうなぁ。
その方が仮面ライダー誕生のエピソードを短くできそう。
一方、「仮面の世界(マスカーズワールド)」をラストに持ってくるとすれば、
誕生編を描いた方がそれが生きる気もするので、一長一短ではあるけれど。
誕生編を描いた方がそれが生きる気もするので、一長一短ではあるけれど。
うーん、もうホント、
「仮面の世界(マスカーズワールド)」をやってくれるものと思って書いているなぁ。
臆断は禁物禁物。
2021/03/01 来訪者カウンター終了してしまいましたねぇ。
そういえば、以前のお知らせでそんなこと書いてあったなぁ、
残念。
書ければいいと思っていたけれどモチベーション下がるなぁ。
というわけで、どこぞから引っ張ってきました。
数字が小っちゃくなっちゃいましたね。
上のカウンターが同一IP制限無いかもなので、テスト(検討)中です。
そういえば、以前のお知らせでそんなこと書いてあったなぁ、
残念。
書ければいいと思っていたけれどモチベーション下がるなぁ。
というわけで、どこぞから引っ張ってきました。
数字が小っちゃくなっちゃいましたね。
上のカウンターが同一IP制限無いかもなので、テスト(検討)中です。
2021/03/02 『よつばと』の15巻が売っていた。
そう言えば家にあるはずの14巻は、
フィルムかぶったままどっかに行っちゃってる。
まだ読んでないや。密封してあるのって、
すぐ開けるか、
なんとなく開封するのがもったいなくてそのままにしてしまうかのどっちかだけど、
その後者だった。
かなり探さないと見つからなそう。
それにしてもチラッと見ただけだけど、15巻は厚そうだねぇ。
そう言えば家にあるはずの14巻は、
フィルムかぶったままどっかに行っちゃってる。
まだ読んでないや。密封してあるのって、
すぐ開けるか、
なんとなく開封するのがもったいなくてそのままにしてしまうかのどっちかだけど、
その後者だった。
かなり探さないと見つからなそう。
それにしてもチラッと見ただけだけど、15巻は厚そうだねぇ。
2021/03/03 「Role&Roll」はきのう3/2に買いました。
前にも書いたけど、一部発売が遅れる場合もある書店なのかも。
雨が降っていなかったら、
遠く静岡市街まで買いに行っていたかもってところだから危ない危ない。
小さい本屋さんですと、一度買いに行かなくなると、
次から置いてくれなくなることってあるじゃないですか。
そうすると、その後は街まで行かないと変えない羽目に。
まぁ、買っている本屋さんも、近くというわけではございませんが、
ホラ、地域の本屋さん応援したいですし……。
2021/03/04 静岡ホビーショー開催決定!! なのですが、業者のみですって。
さもありなん。
ぬか喜び。残念!
同時期に別会場で
愛好家による合同展示イベントを開催する方向で調整中らしいですけど、
無人でショーケースに入れての展示という感じになるのでしょうかねぇ?
どっちにしろ、それだけ見に行くほどの模型ファンじゃない……
アワワ、何でもございません。
いや、じっくりと見る時間があれば、面白いのでございますけれどね。
さもありなん。
ぬか喜び。残念!
同時期に別会場で
愛好家による合同展示イベントを開催する方向で調整中らしいですけど、
無人でショーケースに入れての展示という感じになるのでしょうかねぇ?
どっちにしろ、それだけ見に行くほどの模型ファンじゃない……
アワワ、何でもございません。
いや、じっくりと見る時間があれば、面白いのでございますけれどね。
2021/03/05 あれ?
「2021/03/03 (Wed) vol.196 道化の真実の絵が見られるのは、このブログだけ!!」
に拍手がついてる~。「今回も何もございませんでした」だけの内容なのに……。
ありがとうございました。
他の記事に拍手を下さった方も、
この際まとめてですみませんですけれど、ありがとうございました。
励みになります。
こういうボタンは基本押さないという人もいらっしゃいますから、
拍手してくださったかたのうしろには、
きっとその十倍のいいねと思ってくださった方がいるんだ、
と身勝手な解釈をさせていただくことにいたします。
2021/03/06 血湧き肉躍る は冒険小説だけど、肉が湧いて血が躍ったらホラーだなぁ。
2021/03/07 慣れないことはやるもんじゃないな、
という言葉は、結局永遠にやらないってこと? なのかなぁ。
似たようなものにスコットランドかアイルランド、
あそこらへんのことわざ(パラドックスの本に載っていたので、
警句的ジョークといったところでございましょう)で
「泳げるようになるまでは水に入ってはいけない」とかいうのがございます。
うろ覚えではございますが……。
なぜ、あそこら辺と覚えているかと申しますれば、
ドワーフのことわざとして使おうかと思ったことがあったからでございます。
という言葉は、結局永遠にやらないってこと? なのかなぁ。
似たようなものにスコットランドかアイルランド、
あそこらへんのことわざ(パラドックスの本に載っていたので、
警句的ジョークといったところでございましょう)で
「泳げるようになるまでは水に入ってはいけない」とかいうのがございます。
うろ覚えではございますが……。
なぜ、あそこら辺と覚えているかと申しますれば、
ドワーフのことわざとして使おうかと思ったことがあったからでございます。
2021/03/10 ペースメーカーは電磁場による電磁干渉の影響を受けて、
動作に異常を来すことがある。
そのため、常時強力な電磁場を発生する機器は避ける必要がある。
それはぼんやりと知っておりましたが、
その例として挙げられているのが全自動麻雀卓というのが意外でございました。
なにしろ、写真や映像でしか見たことないからなぁ。
そーか、あれってそんなに強い磁気が出ているのか。
なにかに使えそう……、
ペースメーカー以外にも誤動作するものってあるだろう、
とは思ったのでございますが、そういう科学的な知識が無い。意味ないなぁ。
動作に異常を来すことがある。
そのため、常時強力な電磁場を発生する機器は避ける必要がある。
それはぼんやりと知っておりましたが、
その例として挙げられているのが全自動麻雀卓というのが意外でございました。
なにしろ、写真や映像でしか見たことないからなぁ。
そーか、あれってそんなに強い磁気が出ているのか。
なにかに使えそう……、
ペースメーカー以外にも誤動作するものってあるだろう、
とは思ったのでございますが、そういう科学的な知識が無い。意味ないなぁ。
2021/03/11 御坂美琴さんなんか病院とか研究所で行動しておりましたけど、
大丈夫なのかなぁ。
いくら自在にコントロールできると申しましても限界がございましょう。
あれだけ電撃や電磁力を使ったら、精密機械が狂ったりして気づかれない?
変なことにならない? 『超電磁砲』見ていて心配でございました。
大丈夫なのかなぁ。
いくら自在にコントロールできると申しましても限界がございましょう。
あれだけ電撃や電磁力を使ったら、精密機械が狂ったりして気づかれない?
変なことにならない? 『超電磁砲』見ていて心配でございました。
まぁ、AEDの代わりを果たしたり、
肩こりを解消したりという効能はございましょうが。
肩こりを解消したりという効能はございましょうが。
2021/03/12 超電磁の先輩と申しますれば、
超電磁ロボ・コンがいらっしゃいますな。
御坂美琴さんも超電磁スピンぐらい身につければ……
(動作的には、似たような動きはしているかも?)。
それはさておき、コン・バトラーの場合、電子回路を保護すべく、
内装は電磁波が漏れないような構造になっているのでございましょう。
でも、外部には電磁波まき散らしまくりですよね?
近隣の家では
電波障害や通信障害が起こっているのではございませんでしょうか。
数分のこととはいえ、パソコンとか壊れるかも?
超電磁ロボ・コンがいらっしゃいますな。
御坂美琴さんも超電磁スピンぐらい身につければ……
(動作的には、似たような動きはしているかも?)。
それはさておき、コン・バトラーの場合、電子回路を保護すべく、
内装は電磁波が漏れないような構造になっているのでございましょう。
でも、外部には電磁波まき散らしまくりですよね?
近隣の家では
電波障害や通信障害が起こっているのではございませんでしょうか。
数分のこととはいえ、パソコンとか壊れるかも?
2021/03/16 大塚康生先生がご逝去なされたそうでございますな。
何か信じられない思いがいたします。
キャラクターと特にメカの、表情ある日本独特の動きにご尽力なされた方、
という評価でいいのかな。
カートゥーンのオーバーアクションでもロトスコープのリアルでもなく、
見ている人の感情に沿った溜めとか緩急とかアクションでございますな。
そういうものを築きあげていったお一方でございましょう。
という評価でいいのかな。
カートゥーンのオーバーアクションでもロトスコープのリアルでもなく、
見ている人の感情に沿った溜めとか緩急とかアクションでございますな。
そういうものを築きあげていったお一方でございましょう。
☆ この報を聞いたあと、このサイトを見つけ見ておりました。
http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/ohtuka/ohtuka.html
昔の話や専門学校の話、アメリカのアニメなど、
実体験に基づいた足が地に着いた言葉が興味深うございました。
実体験に基づいた足が地に着いた言葉が興味深うございました。
2021/03/17 百円玉を落としたので自動販売機の下を手探りしたら、
五十円玉が2枚見つかった。
五十円玉が2枚見つかった。
割れた?
2021/03/18 ちょっと気になって、
新城カズマ先生の『物語工学論 キャラクターの作り方』
(角川文庫/平成24年5月)を取り出してみる。
結果、どうも目当ての本ではないことは分かった、
が、せっかくなので、前半のキャラクター論は跳び越して
(面倒くさいんだもの)、
賀東招二先生との対談を読む。
ついこの前まで『とある科学の超電磁砲』のアニメを見ていて
感心していたことが書いてあって驚いた。
この書の直接影響があるかは分からないけれど、
同じような考えを取り入れて設定や物語作りがなされているようだ。
(起承転結があたりまえのことを言っていると
書いてあるのはこの本だったかな、と思って開いたのですが、
ザッと見た限りでは、違ったみたいです)
2021/03/24 『ゴジラ S.P<シンギュラポイント>』 の予告映像を見ました。
キャラクターはマンガ的。
ゴジラだけでは間が持たないのでございましょう。
複数の怪獣が登場するようでございます。
町工場でジェットジャガーを作って戦う? トライダーG7?
それって怪獣に勝てるのぉ?
予告を見た感じですと、話の流れはストレートですが
円城塔先生の脚本だけに、難しい言葉が散りばめられておりました。
どうやら未来が関わってくるようでございますな。
面白くなるのかどうかは正直申し上げまして分かりません。
何しろ、ゴジラはイメージが定まっている上に死なないと難物、
扱いが難しいキャラクターでございますからなぁ。
なので、ゴジラという思い入れはあまり持たないで見ようかと思っております
(無理かな?)
ゴジラだけでは間が持たないのでございましょう。
複数の怪獣が登場するようでございます。
町工場でジェットジャガーを作って戦う? トライダーG7?
それって怪獣に勝てるのぉ?
予告を見た感じですと、話の流れはストレートですが
円城塔先生の脚本だけに、難しい言葉が散りばめられておりました。
どうやら未来が関わってくるようでございますな。
面白くなるのかどうかは正直申し上げまして分かりません。
何しろ、ゴジラはイメージが定まっている上に死なないと難物、
扱いが難しいキャラクターでございますからなぁ。
なので、ゴジラという思い入れはあまり持たないで見ようかと思っております
(無理かな?)
もしかして、ジェットジャガーがプラモデルになるのかなぁ。
カラフルに塗るのが正しいのか。リアルに仕上げるのが正しいのか、どっちなんだろう。
2021/03/25 聖火リレーってホントにやるのか。
ってことは、オリンピックってホントにやるんだ。
記録にも記憶にも残る大会になるなぁ。
…………えっと、いい意味で。
2021/03/30 桜の季節となりましたな。
ただ、開花が早くなっておりますよねぇ。
地球温暖化でございましょうか。
これでは、桜のさくころ一年生、
ではなくて、桜の散るころ一年生でございますな。
このままいくと、桜の散るころ合格発表、になったりして。
さらに進めばお正月を初春と呼ぶのがなんの不思議もなくなったりして。
そこまで行くと、冬はどうなってしまうのかなぁ。ちょっと心配。夏もすごく暑そう。
ただ、開花が早くなっておりますよねぇ。
地球温暖化でございましょうか。
これでは、桜のさくころ一年生、
ではなくて、桜の散るころ一年生でございますな。
このままいくと、桜の散るころ合格発表、になったりして。
さらに進めばお正月を初春と呼ぶのがなんの不思議もなくなったりして。
そこまで行くと、冬はどうなってしまうのかなぁ。ちょっと心配。夏もすごく暑そう。
2021/03/31 来訪者カウンター、消しました。
よく分からないし、この頃は見てもいない。
一番困るのは、自分が見た分もカウントされてしまうことでございます。
登録なしのカウンターなので仕方ないのかもしれませんが。
しかも、更新するたびにカウントされるので、
記事を書き直して確認するたびに一増えてしまうのがなんとも……。
結局、自分のブログだというのに、あまり見に行かなくなりました。
困ったことでございます。
(「起承転結」について(1)より続く)
(5)いしいひさいち
四コマの起承転結を破壊したと言われるいしいひさいち先生は、
インタビュー風の文章で次のようにお書きになっておられます。
(「文藝別冊 総特集 いしいひさいち」
(河出書房新社/2012/6/2016/7増補新版))
そもそも四コマに起承転結というセオリーは存在しない。
起承転結に則って描くプロはいない。
起承転結に則って描くプロはいない。
楽しむにしてもリズムは多様であって要件ではない。
笑いがすべての世界では秀作か凡作か以外にはない。
あるとすれば読者の認識の観念的なフレーム、後知恵であり、
四コマに起承転結がないのはけしからんという議論は幼い。
と。
最後に「今の見解は?」「でっちあげです」とごまかしておりますが、
本心でございましょう。
最後に「今の見解は?」「でっちあげです」とごまかしておりますが、
本心でございましょう。
また、日常系四コマについても、
面白いかつまらないかは起承転結とは関係ない
とお書きになっておられます。
オチがないからつまらないのではなく、
つまらないものはつまらないからつまらないのだと。
四コマのオチは落語のサゲやシメと違い、
四コマで腑に落ちればよいのであって四コマ目である必要はないと
再認識させられた、だそうでございます。
実にいしい先生らしい。
傾聴すべきお言葉だと存じます。
「読者の認識の観念的なフレーム、後知恵」というのは、
(3)で書いたことでございますな。
起承転結はある意味あたりまえのことを言っているので、
物語というものは、(このコマは起承が一緒になっているとか、
この二コマで承になっているなどとすれば)、
大抵起承転結の枠に収めることができるのでございます。
この二コマで承になっているなどとすれば)、
大抵起承転結の枠に収めることができるのでございます。
そしてギャグとは驚き、意外性こそ命でございます。
こういう流れなのだろうという予想を裏切ってこそなのでございますから、
起承転結という安定した形を外すことも、
その意外性と申すことができると存じます。
起承転結という安定した形を外すことも、
その意外性と申すことができると存じます。
「楽しむにしてもリズムは多様」ということも重要で、
四コマのような短いものの場合特に、
同じパターンが並ぶとそこに意外性がなくなってきてしまうのですな。
四コマのような短いものの場合特に、
同じパターンが並ぶとそこに意外性がなくなってきてしまうのですな。
繰り返しのギャグや、
パターン、マンネリズムの美学を用いる場合には有効でございますが。
でも、いしい先生の作品の中でも起承転結になっているものはあるぞ?
まぁ、それは観念的なフレームだとおっしゃられるのでございましょう。
起承転結になっていることを否定しているのではなくて、
そのような構造のセオリーはないとおっしゃられているのでございますから。
そのような構造のセオリーはないとおっしゃられているのでございますから。
でも
そうはおっしゃられても、起承転結というセオリーはあるのだと思います。
そうはおっしゃられても、起承転結というセオリーはあるのだと思います。
ただし、それは古いセオリーなのでございましょう。
ですから、
いしい四コマがそれを崩したという説は、正しいのでございます
(いしい先生の前にも、セオリーを無視したスタイルはあったと存じますが)。
いしい四コマがそれを崩したという説は、正しいのでございます
(いしい先生の前にも、セオリーを無視したスタイルはあったと存じますが)。
四コマのオチは落語のサゲやシメとは違う、
とおっしゃっておりますが、そのサゲやシメこそが古いスタイルなのでございます。
とおっしゃっておりますが、そのサゲやシメこそが古いスタイルなのでございます。
そして、
それらがある作品については起承転結のセオリーが通用するのでございますな。
それらがある作品については起承転結のセオリーが通用するのでございますな。
例えば落語の小話や昔の漫才、そして古い四コマなどがそれらに当たると存じます。
このようなセオリーがなくなり、ルール無用になったのは、
「ザ・マンザイ」あたりのマンザイブームのころからでございましょうか。
「ザ・マンザイ」あたりのマンザイブームのころからでございましょうか。
ビートたけしがつるべ打ち式にボケをエスカレートさせていき、
きよしが合いの手のようにうながしたりツッコんだりするというような、
一番面白い転の部分だけ残し、
他の部分を話の流れに組み入れたり簡略化していって、
スピードアップと濃縮化をしていったのが新しいスタイルでございますな。
きよしが合いの手のようにうながしたりツッコんだりするというような、
一番面白い転の部分だけ残し、
他の部分を話の流れに組み入れたり簡略化していって、
スピードアップと濃縮化をしていったのが新しいスタイルでございますな。
(その際、起承転結を意識していたかは存じませんが)。
いしい先生のほうがマンザイブームよりも早い気がいたしますが、
そういうルール無用のセオリーに立っているからこその、
起承転結などないという発言なのだと存じます。
そういうルール無用のセオリーに立っているからこその、
起承転結などないという発言なのだと存じます。
(6)小話、漫才、四コマ
その古典的なスタイルはどのようにして成立したか。
漫才の最小単位から考えてみましょう。
小話も会話で進行するので、基本は一緒でございます。
それらの最も短い形は、おおよそ次のような流れで成り立っていると存じます。
(1) ボケが話を切り出す。
(2) ツッコミが続きをうながす。(「ヘェ」「それで?」)
(3) ボケがトンデモないことを言う。
(4) ツッコミが、常識的な観点から意義を申したる。=ツッコミを入れる。
(「なんでやねん」「そんなわけないやろ」)
(「なんでやねん」「そんなわけないやろ」)
(3)のボケが単体ではわかりにくい場合には、
(4)で補足説明が入ったりもいたしますな(「そりゃ、○○やろ」)
(4)で補足説明が入ったりもいたしますな(「そりゃ、○○やろ」)
小話や四コマの場合も結の部分でオチがつくことが多いので、
補足があるほうが基本でございましょう。
結がツッコミだけで終わるのは、その短縮形ですな。
補足があるほうが基本でございましょう。
結がツッコミだけで終わるのは、その短縮形ですな。
いずれにせよ、これが古典的な笑いの最小単位でございます。
この形は自然発生的に出来たものでございましょう。
無駄がなく、基本的で、安定感がございますな。
それが、小説の構造を説明するための
起承転結のために使われたという流れでございます。
ただ、漢詩とか四コマでしたら起承転結とは
一行一コマとの間で一対一対応できますが、
ある程度の長さの作品となると話は違ってまいります。
一行一コマとの間で一対一対応できますが、
ある程度の長さの作品となると話は違ってまいります。
単純に四等分というわけにはまいりません。
特に転の部分。
転換点という言葉があるとおり、
転はある一点、もしくは短い箇所を指すような気がいたします。
それをどう考えたらよろしゅうございましょう。
ピンポイントである転を構成の1つとして入れ、
ちぐはぐなバランスの起承転結でよしとするのか。
それとも三部構成と考えるのか。
あるいは、○○からクライマックスまでを転と考え、
起承転結を均等な配置とするのか。
一体どうなのでございましょう。
(6.5)ところで
起承転結という言葉が物語構造の基本として紹介されているのは、
日本だけのようでございますな。
日本だけのようでございますな。
ついでに申しますれば、
コママンガで特に四コマが一般的なのも日本だけみたい。
その四コマが日本で主流になったのは、
新聞マンガとして定着したからみたいでございますな。
(ふと思ったのでございますが、文章が縦書きということが縦四コマのマンガが合っていたのかも?
……。それほど自信のない説ではございますが)
(7)スラップスティック その他
さて、これとは別に、特に構成をしないという話の作り方もございます。
無声映画やアニメの短編コメディで見られる手法でございますな。
『トムとジェリー』のようなものを想像していただけばよろしいかと。
とにかくつるべ打ちにギャグを連発し、視聴者の心を上げていくことで
「ああ、面白かった」と、思わせる手法でございます。
「ああ、面白かった」と、思わせる手法でございます。
瞬間的な興奮が積み重なりが、
最終的な面白さの盛り上がりとなるという方式ですな。
大塚康生先生のインタビューで知ったのですが
「スーパーマーケット方式」というのだそうでございますな。
「スーパーマーケット方式」というのだそうでございますな。
似ているものと言えば、ゲームの面白さでございましょうか。
ゲームの場合、イベントやアクションを時系列によって変化させるには
一工夫が必要になってまいります。
一工夫が必要になってまいります。
トランプのカードはどこで出してもスーツと数は変わりませんし、
野球の場合ならどの回であっても、
バッターのやることが増えたり変化したりはルール上ございません
(作戦上はあるにしても)。
それでもそうしたアクションが重なっていくことで、
後半に向けてどんどん盛り上がってまいりますな。
後半に向けてどんどん盛り上がってまいりますな。
それと同じような感じでございます。
ただこれは、構造とは申せませんな。
ゲームの場合ですと、一方的な結果となって
盛り上がれないということもございますが、
作品の場合でしたら時系列を調整できます。
ですから、「スーパーマーケット方式」などと申しましても、
完全に並列ではなく、
視聴者が盛り上がれるような配置をするのか普通てこざいますな。
盛り上がれないということもございますが、
作品の場合でしたら時系列を調整できます。
ですから、「スーパーマーケット方式」などと申しましても、
完全に並列ではなく、
視聴者が盛り上がれるような配置をするのか普通てこざいますな。
このスラップスティックの手法を含めまして、
マンザイブーム以前で起承転結のセオリーに乗らないものは、
やはり外国のコメディの影響があったのだと存じます。
と、スラップスティックの話としてこの形式を語ってまいりましたが、
エピソードを並列していくだけの構成は、何もギャグに限ったことではございません。
エピソードを並列していくだけの構成は、何もギャグに限ったことではございません。
日常の風景や紀行など、
淡々とエピソードを羅列していくものはこの方式でございます。
→ 起承転結について(3) に続く
淡々とエピソードを羅列していくものはこの方式でございます。
構成が無いのでございますから、他にも例は色々とございましょう。
そんなわけで、この方式には意外と多くの作品が含まれるものと存じます。
→ 起承転結について(3) に続く
起承転結という言葉はご存じでございましょう。
もとは、四行から成る漢詩の絶句の構成を説明する言葉であり、
日本では文章構成の基本として、多くの方が知るところとなっていると存じます。
日本では文章構成の基本として、多くの方が知るところとなっていると存じます。
この起承転結について考えてみたいと存じます。
ということで、まず基本的なところを
ウィキペディアの「起承転結」でお読みください。
ウィキペディアの「起承転結」でお読みください。
とりあえず「構成」のところだけ。
それ以上読まれると、この文章と重なるところも出て来ちゃう。
それ以上読まれると、この文章と重なるところも出て来ちゃう。
読みましたか?
まぁ、そんなところでございます。
この「起承転結」という言葉、とにかく字面が分かりやすいですな。
何かが起こり、それを承けて話が続き、転換点があって、結論にいたる。
何かが起こり、それを承けて話が続き、転換点があって、結論にいたる。
特に説明を受けなくても、字を見ればどういうことかが分かります。
それゆえに、日本では多くの方に受け容れられたのでございましょう。
ただ、それが同時に困ったところ。
是とする側も、起承転結ね、と安易に取っているのではないかと思われますし、
批判する側も分かった気でいるのかもしれません。
批判する側も分かった気でいるのかもしれません。
と申しますか、これでいいという側は比較的広い意味で取っていて、
間違っているという方は逆に本来の意味にこだわっているのではないかと、
そんな気がするのですな。
間違っているという方は逆に本来の意味にこだわっているのではないかと、
そんな気がするのですな。
それ故に、再考してみる価値があるというものでございます。
ということで順番に考えていって見たいと思います。
まず
(1)実用を目的とした文章の構成法ではない。
これはウィキペディアにも書いてございますな。
パンフレットは、事実のみ書かれていればいいのでございますから、
物語性などは必要ございません。
論文も、最後まで読んできて、
結局わかりませんでしたや、最初と正反対のことが結論では
読んでいる側が疲れるというものでございます。
物語性などは必要ございません。
論文も、最後まで読んできて、
結局わかりませんでしたや、最初と正反対のことが結論では
読んでいる側が疲れるというものでございます。
事実を証明する過程
(仮定→異論→異論に対する反証→結論)が
起承転結になることはございますでしょうが、
そうすべきものというものではございません。
(2)面白さを目的とした、物語性のある作品を作るための構造である。
『映画技法のリテラシー』
(ルイス・ジアネッティ:著 堤和子・増田珠子・堤龍一郎:訳
/フィルムアート社/2004/7) によりますと、
映像作品は主に
リアリズム・古典主義・フォーマリズムの
3つに分けて考えることが出来るそうでございます。
リアリズム・古典主義・フォーマリズムの
3つに分けて考えることが出来るそうでございます。
ジャン的には、
ドキュメンタリー・フィクション・前衛作品でございますな。
このうち、起承転結が必要とされるのは、
古典主義=フィクションであるというのは明白でございましょう。
リアリズムは構成をすることでリアルを歪めることをよしといたしませんし、
フォーマリズムは作者の内面にしたがって構成されて
(あるいは構成されないで)おりますからな。
古典主義というとなにやら古めかしい気がいたしますが、
フィクションをそのように呼ぶようでございます。
我慢してください。
フィクションをそのように呼ぶようでございます。
我慢してください。
(3)ある意味、あたりまえのことを言っている。
物語に始まりがあるのは当然のことでございます。
終わりがあるのも当然。
そして、物語である以上、なにか出来事が起こらなければ意味がありません。
Yさんは寝ていました。
寝ています。
寝ています。
寝ています。
では、何の面白みもありません。
ですから、
物語が始まって、それに続く話があり、終わり、ではなくて、
続いたあとに大小はともかく何らかの変化があるというのは、
どんな話でも普通にあって然るべきことなのでございます。
物語が始まって、それに続く話があり、終わり、ではなくて、
続いたあとに大小はともかく何らかの変化があるというのは、
どんな話でも普通にあって然るべきことなのでございます。
ですから、どんな話でも起承転結に結びつけようと思えば。
結びつけられるのでございますな。
ただ最初に書いたように、あたりまえのことだからこそ、
安易に考えられている節はあると思うのですよね。
(4)あくまで基本形であるということ。
起承転結の話を持ち出すと、そうではないかたちも存在する、
などとおっしゃる方もおられますが、
起承転結というのはあくまで基本だと思うのでございますね。
などとおっしゃる方もおられますが、
起承転結というのはあくまで基本だと思うのでございますね。
その基本さえ分かっていれば、各部を調整したり、
大胆に組み替えてもいいものだと思います。
そうでない形を論じる場合にも、
こういう基本があったほうがよろしゅうございましょう。
たとえば、アクション映画では、
アバン(タイトル前)に派手な活劇シーンがあったりいたしますな。
アバン(タイトル前)に派手な活劇シーンがあったりいたしますな。
連続活劇からの引用で、クライマックス、
つまり転や結を最初に持っていっているわけでございますが、
これがどんな世界で主人公はどんな人物なのか、
といった説明──起にもなっているのでございます。
そういうことを説明するためにも、
起承転結という言葉は必要なのだと思う次第でございます。
起承転結という言葉は必要なのだと思う次第でございます。
「ロール&ロール」誌vol.197 p.158-165
「暗黒神話TRPG トレイル・オブ・クトゥルー・ゲームノベル
深き眠りの淵より」
フローチャートを書いてみました。
使用人である君は雇い主に依頼され、
ある情報と品物を入手するためにニューヨークを探索する。
ある情報と品物を入手するためにニューヨークを探索する。
ルールは簡単。
構成は、短編ゲームブックとしてはオーソドックス、王道。
文章は良く、ストーリーも面白い。
なかなか楽しめるゲームブックでございました。
細い線と太い線が交差している(━╂━)のは、
またぎ越しを意味しております。
で、思うのでございますが、
ゲームブックをゲームとして楽しむのと、フローチャートを描くのでは、
またぎ越しを意味しております。
で、思うのでございますが、
ゲームブックをゲームとして楽しむのと、フローチャートを描くのでは、
楽しみの感覚としてまったく違う。
ゲームブックはストーリーゲームでございますし、
フローチャートはパズルではございませんが、
フローチャートはパズルではございませんが、
本質的にはどうあれ、
ゲームとパズルも、
ゲームブックをプレイする楽しみとフローチャーを描く楽しみが違うのと同様に
やはり違うたぐいの楽しみであると、体感的に思います。
「Role&Roll」vol.194
「迷宮キングダム ミッドナイトパーティー」(p.136)
にも登場した「バナナ暴徒」でございますが、
これの元ネタである「バナナボート」という
にも登場した「バナナ暴徒」でございますが、
これの元ネタである「バナナボート」という
歌をご存じでございましょうか?
(なぜ今ごろになって、
「Role&Roll」vol.194 なんかを引き合いに出すかですって?
ブログの記事ともまったく関係がないのに、ですって?
「Role&Roll」vol.194 なんかを引き合いに出すかですって?
ブログの記事ともまったく関係がないのに、ですって?
いや、まぁ、その、だからですねぇ……。
そういうこともございますよ)
ご存じない方は
「バナナ・ボート・ソング」あたりで検索してみてください。
「ソング」をつけないと、
バナナ型のボートとか、そんなのが最初に来てしまいます。
「バナナ・ボート・ソング」あたりで検索してみてください。
「ソング」をつけないと、
バナナ型のボートとか、そんなのが最初に来てしまいます。
野茂英雄投手がロサンゼルス・ドジャースに移籍入団した時に、
その替え歌が応援歌になったこともございましたな。
その替え歌が応援歌になったこともございましたな。
「デェ~オ」を「ヒデェーオ」に変えて。
日本人にはどう聴いてもその出だしが、
「非道ぇ~よ! 」
にしか聞こえない代物でございました。
その昔、日本に紹介されたときには、そのあとの歌詞が、
「痛(イ)デデ 痛デデ 痛デデ 痛デデ……」と、
よく、お笑いに使われたものでございます。
だって本当にそうとしか聞こえないのですからしようがない。
とは申しましても、
歌の感じから労働歌だろうということは分かります。
題名が「バナナボート」ですから、
葦舟のようなバナナの形をしたボートが
バナナを満載して川を下っていくんだろうなぁ。
葦舟のようなバナナの形をしたボートが
バナナを満載して川を下っていくんだろうなぁ。
まぁ、そんな風に考えておりました。
でも、全っ然違っておりました。
ゲームブッククイズ(154)
今日はひな祭り。というわけで、何かネタがないかなぁ、と思って『送り雛は瑠璃色の』をパ ラパラ~っと見てみたのでございますが、この話って、季節夏じゃん! 最初に8月6日って書いてある。お盆(旧盆)のころでございますな。と申しますか、このお話の場合、8が重なる8月8日に意味があるのでしたっけ?
まぁ、それはそれといたしまして、
創土社版の『送り雛は瑠璃色の』は
紆余曲折の末に出版されたのだそうでございます。
創土社版の『送り雛は瑠璃色の』は
紆余曲折の末に出版されたのだそうでございます。
その紆余曲折、波瀾万丈とは、
主にどんなことを指すのでございましょう。
主にどんなことを指すのでございましょう。
2021/02/01 明日は節分。
恵方巻の恵方って、十干十二支の十干によって決められるのですが、
4つしか無いんですってね。
しかも別に節分だけのものじゃなくって、
その年一年を通じてその方向が恵方だそうで。
ですから、節分に限らず恵方巻に限らず、
とにかくその年、何かするときにはその方角がいいってことらしいですな。
なんかテキトー。
十干、つまり十進法なので、
暗記している人は西暦の下一桁ですぐに分かるそうでございます。
東北東とか西南西とか、
ややこしいから何か複雑な決め方をしているかと思えば──。
順番はともかく、
東北東(75°)から90°ずつの方角しか恵方は無いみたいでございます。
やっぱりテキトーだなぁ。
恵方巻の恵方って、十干十二支の十干によって決められるのですが、
4つしか無いんですってね。
しかも別に節分だけのものじゃなくって、
その年一年を通じてその方向が恵方だそうで。
ですから、節分に限らず恵方巻に限らず、
とにかくその年、何かするときにはその方角がいいってことらしいですな。
なんかテキトー。
十干、つまり十進法なので、
暗記している人は西暦の下一桁ですぐに分かるそうでございます。
東北東とか西南西とか、
ややこしいから何か複雑な決め方をしているかと思えば──。
順番はともかく、
東北東(75°)から90°ずつの方角しか恵方は無いみたいでございます。
やっぱりテキトーだなぁ。
2021/02/03 「シン・ウルトラマン」。
警察が戦っているところをみますと、
科学特捜隊成立が劇中で語られるのでございましょうか?
ゴジラなんかとは違って、
法律上、自衛隊が怪獣退治できない世界線なのかもしれませんな。
ウルトラマンのデザインは、
線がもっとスタイリッシュにつながっていく方が、
いいと思うのでございますが、
そういたしますと、
元のデザインと違和感が出て来てしまうのでございましょうかねぇ?
加えて、成田亨先生のイメージに忠実というのなら、
もっと鏡のように光っていなければならないはずでございますが、
それだとイメージに合わないか、
絵として何かうまくなかったのでございましょうな。
ガボラのデザインは、
背から尻尾にかけてドリルのようなものがクルクル回っていて、
まったく自然発生的な感じがいたしませんが、
何かストーリーがあるのでございましょうか。
警察が戦っているところをみますと、
科学特捜隊成立が劇中で語られるのでございましょうか?
ゴジラなんかとは違って、
法律上、自衛隊が怪獣退治できない世界線なのかもしれませんな。
ウルトラマンのデザインは、
線がもっとスタイリッシュにつながっていく方が、
いいと思うのでございますが、
そういたしますと、
元のデザインと違和感が出て来てしまうのでございましょうかねぇ?
加えて、成田亨先生のイメージに忠実というのなら、
もっと鏡のように光っていなければならないはずでございますが、
それだとイメージに合わないか、
絵として何かうまくなかったのでございましょうな。
ガボラのデザインは、
背から尻尾にかけてドリルのようなものがクルクル回っていて、
まったく自然発生的な感じがいたしませんが、
何かストーリーがあるのでございましょうか。
2021/02/10 『ドロロンえん魔くん』のエンディング、
「妖怪にご用心」は、貞子の出現を予見していたのでございましょうかねぇ?
もっとも、テレビから人外が出現する話は、『えん魔くん』以前ですと
『キャプテンウルトラ』のラジゴン星人なんてのがございますな。
特殊なテレビカメラで写した宇宙人が、
ご家庭のテレビ受像器に一体ずつ現われて暴れるという。
恐かったなぁ。
そのあとキャプテンウルトラも同じカメラをつかって
各ご家庭のテレビジョンから現われ戦うわけでございますが。
テレビと物質転送機を組み合わせたアイデアでございますな。
当時は、未来のテレビとして立体テレビや匂いの出るテレビが
予想されておりましたし──。
今なら、3Dプリンタにデータ配信、といったところでございますかね。
実物をそのままコピーしてお送りするということは、さすがに出来ませんが。
2021/02/11 猪口才な、小賢しい、生粋(なまいき)、味な、洒落臭い、
あたりって、心の中ではしぶしぶ負けを認めながらも、
相手を見下してなんとか自分の体面を取り繕おうとする言葉ですよね。
相手を見下してなんとか自分の体面を取り繕おうとする言葉ですよね。
やられ役の器の小ささを表わしたセリフと申してよろしいかと存じます。
2021/02/12 森元東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の発言の問題点って、
女性蔑視というよりも、
チーム一丸となって進めているはずの計画の会長が、公の席で、
そのうちの一部に問題の原因があるような
言い訳めいた苦言をしたことなんじゃないかなぁ。
まぁ、いづれにしてもストレスたまってのホンネ
……じゃなかった失言なんでしょうね。
2021/02/12 森元東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の発言の問題点って、
女性蔑視というよりも、
チーム一丸となって進めているはずの計画の会長が、公の席で、
そのうちの一部に問題の原因があるような
言い訳めいた苦言をしたことなんじゃないかなぁ。
まぁ、いづれにしてもストレスたまってのホンネ
……じゃなかった失言なんでしょうね。
2021/02/13 2月15日はお釈迦様の入滅日、涅槃会でございます。
バレンタインデーはそのイブでございますな。
こじつけて仏教イベントにしちゃえばいいのに……って
『聖☆おにいさん』でやってそうなネタな気もいたしますけど、
やってないですよね?
仏教でチョコレートは変?
いやでも、ウァレンティヌスさんだってチョコレート関係ございませんから。
ヴァレンタインデーで愛を確かめたあと、
カップルで行くナゾトキイベント、涅槃会解脱ゲームとかいいと思いません?
煩悩が高いとお釈迦様に会えなくて、
認定証として動物のバッチとかもらって帰るのですな。
「あなたの来世は ねこです」とかって。
説教くさくなくできれば面白そうな気がいたします。
バレンタインデーはそのイブでございますな。
こじつけて仏教イベントにしちゃえばいいのに……って
『聖☆おにいさん』でやってそうなネタな気もいたしますけど、
やってないですよね?
仏教でチョコレートは変?
いやでも、ウァレンティヌスさんだってチョコレート関係ございませんから。
ヴァレンタインデーで愛を確かめたあと、
カップルで行くナゾトキイベント、涅槃会解脱ゲームとかいいと思いません?
煩悩が高いとお釈迦様に会えなくて、
認定証として動物のバッチとかもらって帰るのですな。
「あなたの来世は ねこです」とかって。
説教くさくなくできれば面白そうな気がいたします。
2021/02/22 「Role&Roll」誌vol.197は、3月1日発売ですと~!!
サイト見ないで買いに行くから時間の無駄をいたしました。
それにしても、何かあったのかなぁ。
それとも、次号からは、毎月1日発売になるとか?
いや、それはないか。毎月同じ日に出るなんてこと。
サイト見ないで買いに行くから時間の無駄をいたしました。
それにしても、何かあったのかなぁ。
それとも、次号からは、毎月1日発売になるとか?
いや、それはないか。毎月同じ日に出るなんてこと。
* というわけで、次回の「Role&Roll」カテゴリーの記事は、
次号が発売されたあとでございます。
だって、いったんボツになった絵が、
読者投稿欄に採用されている可能性あるじゃないですか。
過去にはそういうこともございましたし。
2021/02/22 今日はニンジャの日でネコの日。
この2つに共通するものといえば……。
アニメ『キャッ党忍伝てやんでえ』でございますな。
といっても、オープニングぐらいしか記憶にございませんが……。
テンポがよく、明るくて、かわいらしい曲でございました。
それにしてもこのアニメの設定、
未来で江戸で、ネコでニンジャでロボットで、なんか属性が多いなぁ。
絵柄からは想像できませんでしたが、これ、タツノコプロでしたね。
そー言われてみれば、オリジナルでこういうのって、確かにタツノコプロなのかも。
『幻し城の怪迷路』にて、マーリンが唱えようとしていた
(そしてピップが答える)呪文は、
何という作品に登場したものかを答えさせるものでございました。
で、その蛇足では、
マーリンが唱えていた呪文、
辛い 辛い 苦労と不労
辛い 辛い 苦労と不労
つぶやく つぶやく 苦労と不労
ぶつぶつ ぶつぶつ 苦労と不労
が、原文ではどのようになっていたのか、
ない頭を絞って考えております。
で、わたくしの出した答は、
「おそらく原文は、
Trouble trouble toil and toiless
Trouble trouble toil and toiless
Burble burble toil and toiless
Grumble grumble toil and toiless
という感じなんじゃございませんでしょうか。」
で、ございましたが、
これが、全然間違っておりました!!
で、ございましたが、
これが、全然間違っておりました!!
ふと思いついて、「すべての言語」を選択し、
grail quest tomb of nightmares text
でグーグル検索してみたら、こんなページが見つかってしまったのでございます。
でも、紹介しないと話が続きませんし──。
というわけで、何を参考にしたかを知りたい方だけ、
必要な部分だけを目をつむってごらんください。
いちばん下のタイトル部分をクリックすると、
フルスクリーンでも見ることができます。
必要な部分だけを目をつむってごらんください。
いちばん下のタイトル部分をクリックすると、
フルスクリーンでも見ることができます。
どちらを参照にするにしろ、
「GOLDRUSH!」のページの下の方に答が書いてございました。
「GOLDRUSH!」のページの下の方に答が書いてございました。
Bitter, bitter, toil and tritter?
Mutter, mutter, toil and trutter?
Bongie, Bongie, toil and trongoe?
かな?
全然違っておりました。
まず、
4行って書いて、4行詩にしたけど、3行しかないじゃん!
これは、完全にわたくしのミスでございます。
翻訳でも3行しかございませんでした。
予想した原文も、全っ然合ってない。
正解の原文の単語をひとつひとつ見てまいりますと、
bitter は苦みとか辛さですよね。
toil は、骨の折れる仕事。これは元の原文と同じなので合っておりました。
and は、「と」
tritter は手持ちの辞書では出てまいりませんでした。
検索してもよく分からない……。人名?
mutter はブツブツつぶやく
trutter も分からない。これも人名?
trutter も分からない。これも人名?
Bongie も出てまいりませんでした。
bongがゴーン、ゴツンなど、頭を叩いた音だそうでございます。
bongがゴーン、ゴツンなど、頭を叩いた音だそうでございます。
検索してみると、これも人名?
trongoe も出てまいりません。
検索するとこれも人名みたい。
というわけで、「こんなの分かるわけないじゃん!!」でございます。
おそらくマーリンは、
ホントにデタラメを口ずさんでいたということなのでございましょう。
おそらくマーリンは、
ホントにデタラメを口ずさんでいたということなのでございましょう。
訳す人の苦労など知らないで。
.. それにしても、これ(原書)を見ておりますと色々なことが分かりますな。
まず、14 は、
翻訳の際に 13 から 14 になったようなことが言われたりいたしましたが、
もとからして14 なのでございますな。
翻訳の際に 13 から 14 になったようなことが言われたりいたしましたが、
もとからして14 なのでございますな。
それとイラストでございます。
原書のイラストが悪かったから、日本語版ではフーゴ・ハル先生が描いた
みたいなことを聞き及んだこともございますが、
原書イラストもなかなかいいアジではございませんか。
みたいなことを聞き及んだこともございますが、
原書イラストもなかなかいいアジではございませんか。
サラブックスの感じに合わないとか、
FFシリーズと差別化を図りたかったというのもあるかな。
FFシリーズと差別化を図りたかったというのもあるかな。
……いや。
やっぱり変えたほうがいいところもあるかな?
などと考えながら、絵を見ていたのでございますが、
もしかすると、原作には魔神様のご尊顔がない?
もしかすると、原作には魔神様のご尊顔がない?
(ハル先生の魔神様とは別の魔神様がいると思っておりましたのに)
ピップ・ジュニアも登場しない?
ピップ・ジュニアも登場しない?
それに7巻は、ストーリー展開は
両者ともそれほど変わらないものの、
内容的にかなり変わっているみたい。
両者ともそれほど変わらないものの、
内容的にかなり変わっているみたい。
特にパズル部分でございます。
巻末にあった「らせん迷路」や
「はらわた迷路」も原作にはないですし、
「幻し城──」の最大の特徴ともいえる、
三角にドクロのパズルがない!!
「はらわた迷路」も原作にはないですし、
「幻し城──」の最大の特徴ともいえる、
三角にドクロのパズルがない!!
英語読めないので確かなことは申せませんが、
内容的には本当に別物という感じでございます。
内容的には本当に別物という感じでございます。
それをどう評価するかは、
それぞれでございましょう。
それぞれでございましょう。
でもわたくしといたしましては、
日本語版でプレイできてよかったなぁ、
と思います。
日本語版でプレイできてよかったなぁ、
と思います。
できれば、どなたかに翻訳していただいて、
本国の方にも
日本のドラゴンファンタジーを
プレイさせてあげたいところでございます。
本国の方にも
日本のドラゴンファンタジーを
プレイさせてあげたいところでございます。
2021/02/01 (Mon)の記事永遠回廊からの脱出に対する
ただ者ならぬポール・ブリッツ 様の、コメントに対する回答でございます。
ただ者ならぬポール・ブリッツ 様の、コメントに対する回答でございます。
直接の回答は、コメント欄に記しておきました。
回答といたしましてはそれで十分と思われますが、
この記事もあわせてお読みいただければ幸いにございます。
この記事もあわせてお読みいただければ幸いにございます。
また、自分のゲームとパズルに対する考えは、
2019/05/28 (Tue) パズルとゲーム~ゲームの定義に関して~
に書いておきました。
そこからそう変わるわけではございません。
ただし、あれは、雑誌の記事に対してのものでございましたし、
書き方が変わると印象も変わるかもしれませんので、
あらためて書いておくことにいたします。
あらためて書いておくことにいたします。
☆ ☆ ☆
とは申せ、基本的には同じことを書いております。
その辺りはご了承を。
というわけで、
『コレクションフランス語 4 話す[CD付・改訂版]』
田島宏:編
中川努・東浦弘樹・中井珠子・
曽我裕典・古石篤子・小石悟・田島宏:共著
(2002/12 白水社)
田島宏:編
中川努・東浦弘樹・中井珠子・
曽我裕典・古石篤子・小石悟・田島宏:共著
(2002/12 白水社)
お薦めはできません。
冬川準二先生の同人誌で紹介されていた
ゲームブックにございます。
フランス語なんか全然興味がございませんでしたから、
当時はまぁ、目にしたら買おうぐらいの気持ちで、
あまり気にも留めておりませんでした。
当時はまぁ、目にしたら買おうぐらいの気持ちで、
あまり気にも留めておりませんでした。
ですが、この前その同人誌を再読し、
あったら読んでみたいと探すようになったのでございます。
とは申せ、1991年の初版
(1995年の「さかだちするふかふか」(p.9)の時点で第4刷)ということは、
今から30年も前のご本でございますからな。
図書館で見つけられたら、ぐらいに思っていたのですが、
どうも無いご様子。
(1995年の「さかだちするふかふか」(p.9)の時点で第4刷)ということは、
今から30年も前のご本でございますからな。
図書館で見つけられたら、ぐらいに思っていたのですが、
どうも無いご様子。
この手の本を古本屋さんで見つけるのはけっこう難しそうでございますし──。
ところが。
静岡のジュンク堂に普通に置いてございました。
奥付を見ますと、2002年に付属品がカセットからCDに変わったご様子で、
2019年2月の新版13版となっております。
2019年2月の新版13版となっております。
こういう参考書の類いって息が長いものでございますな。
というわけで、新刊書店で今でも買える本発見でございます。
とは申せ。
語学の教本ですよ。
フランス語に興味のないものにとって、
話のネタになるかな、程度のものでございますよね。
話のネタになるかな、程度のものでございますよね。
パラグラフ数も58ぐらい。
1パラグラフの文章量も、例文と日本語を合わせて約半ページ。
日本語だけだと4~6行程度といったところでございます。
1パラグラフの文章量も、例文と日本語を合わせて約半ページ。
日本語だけだと4~6行程度といったところでございます。
パラグラフ構成も非常に単純ですし。
手に取ってみる必要もない──。
のですが。
予想外でございました。
いい意味かどうかはともかくとして、ストーリーがスゴい。
だってね、フランス語の会話テキストっていったら、
極々平凡な日常会話を想像するじゃないですか。
極々平凡な日常会話を想像するじゃないですか。
友達の家へ行く道をたずねたり、
その家で自己紹介をしたり楽しくおしゃべりをしたり、みたいな。
その家で自己紹介をしたり楽しくおしゃべりをしたり、みたいな。
でも、そういうのではございません。
SFとかファンタジーとかではなく、現代現実の話ではあるものの、
あるにもかかわらず、とにかくぶっ跳んでおります。
あるにもかかわらず、とにかくぶっ跳んでおります。
主人公のマキは、空港で文通相手と待ち合わせをし、彼と空港を出ます。
ここまでは普通。
だけど、空港を出たとたん、
文通相手のポールは車にはねられて入院してしまいます。
ね、普通じゃないでしょ?
最短で Fin.(おしまい)を迎えるルートだと、その後も御難続き。
面会しようと病院の廊下を歩いていると女性にぶつかられ(p.136)、
その後1人で帰ると途中で強盗に遭い(p.144)、
パスポートと現金を盗まれ帰国しなければならなくなります。
その後1人で帰ると途中で強盗に遭い(p.144)、
パスポートと現金を盗まれ帰国しなければならなくなります。
で、おみやげにスカーフ{p.50)とチョコレートを買って帰るという、
いいとこ無しのフランス旅行。
いいとこ無しのフランス旅行。
バッドエンドルートってことなのでございましょうが、
フランス語を学ぶ人っていうのは、
フランス旅行を楽しみにしている人が大半でございましょう。
フランス語を学ぶ人っていうのは、
フランス旅行を楽しみにしている人が大半でございましょう。
そこに冷水をぶっかけるような仕打ち。
いや、ビックリいたしました。
でもまぁ、これはいわゆるバッドエンドですな。
他にもエンドは3つほどございます。
拡散型のゲームブックなので、
それぞれのエンドはまったくのバラバラでございます。
目標があってその成否を問うゲームブックとは別でございます。
ただ、そのストーリーが脈絡がない。
このゲームブックのスゴいところは、
その脈絡のなさ、因果関係のなさにございます。
その脈絡のなさ、因果関係のなさにございます。
例えば、
先ほど書きましたとおり、
主人公はポールに会うためにフランスにやってきたのでございます。
ところが。
事故で入院したあと、彼とは電話で話したっきり(p.166)。
p.72で「病院に行く」と言っているので
そのあと行っているはずなのですが、
そこからの分岐では、もうまったく別の話になっております。
そのあと行っているはずなのですが、
そこからの分岐では、もうまったく別の話になっております。
以降、彼の話は出てまいりません。
ポールは、3週間以上の入院だそうですので、
その間に起こった話ということなのでございましょうが、
それにしても、ねぇ(ちなみに病室の番号は14でございます)。
これが名前もない行きずりの人ならともかく、
文通相手で、彼に会いに来たんですよ。
3つ結末が用意されていると先ほど書きましたが、それも唐突。
スピーチ発表をして終わりとか、結婚を申し込まれるとか、
レーサーになるとか、その展開には驚かされます。
構成とか伏線などはございません。
物語を書いている人には、逆にこういうの、難しいんじゃないでしょうか。
おそらく必要な会話を決め、シチュエーションを決めしていって、
それをつなぎ合わせていったのでございましょうな。
それをつなぎ合わせていったのでございましょうな。
会話のテキストなのでございますから、必要な場面から決めていくのは、
ごく自然なことと存じます。
その中で、トラブルに遭ったときの会話は必要だ、
入院中のポールに面会する会話は要らないだろう、
カジノは入れたい、などと決めていったのでございましょう。
普通の旅行会話を想定していたものといたしましては、
その展開が面白うございました。
その展開が面白うございました。
その辺りが作者の工夫と申せるかもしれません。
そのようなわけでこのゲームブック、
見出しに書きましたように、まったくお薦めはできません。
見出しに書きましたように、まったくお薦めはできません。
物語として起承転結もなく、パラグラフ構成は単純で、
文章量も少なく、しかもCD付で高い(2400円+税)ですから。
文章量も少なく、しかもCD付で高い(2400円+税)ですから。
値段はともかくといたしましても、ゲームブックのコンテストでしたら、
落選する類いではございませんでしょうか?
落選する類いではございませんでしょうか?
でも、わたくしとしては好きな作品でございます。
と申しますか、こういう作品を書きたいんだな、とあらためて
認識いたしました。
わたくしのベストは以前にも書きましたとおり
『天国か地獄か 恋と遊ぶゲーム』でございますが、
あの作品はライターの方が書いているだけあって
飛躍があってもつながりが自然で、滞りなく読んでいけるのですな。
『天国か地獄か 恋と遊ぶゲーム』でございますが、
あの作品はライターの方が書いているだけあって
飛躍があってもつながりが自然で、滞りなく読んでいけるのですな。
そのために気にならなかった部分に、
この作品では気づかせてくれたように存じます。
そんなわけで、お薦めはできませんものの、
わたくしにとっては買ってよかった作品でございました。
わたくしにとっては買ってよかった作品でございました。
今日は節分。
節分といえば鬼退治。
鬼退治といえば桃太郎でございますな。
節分といえば鬼退治。
鬼退治といえば桃太郎でございますな。
その昔、『マジカル頭脳パワー』という番組で、
「オコシ」「煮つけ」「たき火」「ダンゴ」
なんていう問題もございました。
なんていう問題もございました。
それはさておきというわけで、
タイタン世界でこの「桃太郎」をやったらいかが相成ることでございましょう。
タイタン世界でこの「桃太郎」をやったらいかが相成ることでございましょう。
舞台は決まっております。
鬼ヶ島は、ポートブラックサンドですな。
桃太郎は八幡国の出ということでよろしゅうございましょう。
「悪死」の幟(のぼり)を背負った君が──とと、それでは蜂漫国になってしまう、
もとい「80001」、もとい「八幡一」の幟を背負った剣聖の君は、
奪われた金銀財宝綾錦を取り戻すため、
ポートブラックサンド目指して大海原に繰り出します。
もとい「80001」、もとい「八幡一」の幟を背負った剣聖の君は、
奪われた金銀財宝綾錦を取り戻すため、
ポートブラックサンド目指して大海原に繰り出します。
地図を見ますと、ブラックサンドから八幡国では
大航海時代の感がございますが、気にしない気にしない。
八幡国は財宝の国として、タイタン世界に知れ渡っていたのでございますよ、
きっと。
そんな長い距離を小舟は、仁王立ちの君を乗せたまま、
揺らぎもせずにまっすぐとホートブラックサンドへ。
──とするとおとぎ話的ですし楽でございますが、
ロールプレイングゲーム的にするならば、
その間に戦いがいくつか、いくつもあったほうがいいかもしれませんな。
そんなわけで、迫りくる敵をちぎっては投げちぎっては投げ、
桃太郎=君を乗せた小舟は、荒れ狂う大海の中を小揺るぎもせず、
まっすぐにブラックサンド目指して進んでまいります。
そしてついに、盗賊都市へ。
港では海賊船の群れが待ち受けております。
と桃太郎、顔色ひとつ変えずにザックから、
吉備の宝珠を取り出し、高々と掲げるのでございます。
吉備の宝珠を取り出し、高々と掲げるのでございます。
ドワーフの巫女の血を引き、一流原型師の元で修行を積んだおばあさんが、
心血を注いで作りあげた神秘の宝珠でございますな。
それをつかって桃太郎は、
キリン
剣歯虎
女魔法使いエレノア
黄金騎士団
不死鳥
竜(たつ)
蛇をかたどった木の枝
などを召喚し、海賊ども、盗賊どもを次々と撃破していくのでございます。
そうして目指すは、神殿通り。
奪われた財産を取り戻すべく、裁判所で訴訟を起こすわけでございます。
その裁判にも勝訴し、アズール卿を土下座させたあと、
桃太郎は取り戻した巨万の財宝類を小舟に乗せ、
ゆうゆうと盗賊都市をあとにしました。
めでたしめでたし。
桃太郎は取り戻した巨万の財宝類を小舟に乗せ、
ゆうゆうと盗賊都市をあとにしました。
めでたしめでたし。
──と、まぁこんな感じでございましょうか。
『心理&ナゾトキゲームBOOK 永遠回廊からの脱出』
C☆Sラボ:制作 (朝日新聞出版 2020/12)
ナゾトキゲーム
人狼っぽい? ゲーム
心理テスト
迷路ゲーム
パラグラフ選択式ストーリー
と、遊びの本の色々なジャンルを取り入れて、
ストーリーでつなげた欲張りな本でございます。
ストーリーでつなげた欲張りな本でございます。
主人公は比呂と凪、律という中学2年生の3人。
夜の学校に忍び込み、星を見ているときに意識を失い、
目を覚ませば異世界。
虹色の小さなユニコーン・スピカの導きで、
闇の王にとらわれた姫を救い出すべく、
賢者・プルートに会いに行くという物語でございます。
目を覚ませば異世界。
虹色の小さなユニコーン・スピカの導きで、
闇の王にとらわれた姫を救い出すべく、
賢者・プルートに会いに行くという物語でございます。
中学生が主人公ですが、
対象年齢は小学生ぐらいではございませんでしょうか。
対象年齢は小学生ぐらいではございませんでしょうか。
第一章のナゾトキゲームからして、そんな感じがいたします。
それほど難しくはないのですな。
わたくしは最初の1~2問手こずりましたが、
こういうことをやってもいいのか、
と出題者の手の内を知ればそんな難しくはないと存じます。
こういうことをやってもいいのか、
と出題者の手の内を知ればそんな難しくはないと存じます。
脱出ゲームに慣れた方ならば、すらすらと突破できることでございましょう。
第二章は、だまし合いのフロアと銘打たれていて、
心理ゲーム&テスト的な内容となっております。
心理ゲーム&テスト的な内容となっております。
まずは、人狼風味の……ゲームと言ってよろしいのかな?
村人の一覧が出てくるのは人狼ゲーム的でございます。
この中から人狼を探せというのですな。
この中から人狼を探せというのですな。
ただし、人狼ゲーム的なのはそこまで。
人狼では色々な役割があり、発言があって投票があり、
そこから推理をして人狼さんを絞り込んでいくのでございますが、
ここではもっと別の方法、村人のしぐさや発言から人狼を当てていくのでございます。
などというと、面白そうですよね。
『逆転裁判』でも、しぐさから嘘を見破ったり、
言葉の矛盾を探し出したりがゲームとなっておりましたから。
言葉の矛盾を探し出したりがゲームとなっておりましたから。
でもね。
一コマのマンガ絵の顔とセリフひとつから、
嘘をついていると決めつけるのはかなり乱暴なように思います。
嘘をついていると決めつけるのはかなり乱暴なように思います。
それに、嘘をついていると思われる怪しい人を見分けるための方法を、
実際にも役立つ攻略ポイントとして書いているのでございますが──。
これを鵜呑みにして、
誰かを怪しいと決めつける人が出てくるとなるといやですなぁ。
自分が疑われていると思っただけでおどおどしてしまう方もおられますし、
そぶりを見せず平気で嘘をつける人もございます。
それに、何か隠しているにしても、
話題になっていることに関してそうなのかはわかりません。
できれば秘密にしておきたいことを持つ人は多いものでございます。
推理小説でもございますな。
ある人を怪しいと思って追求してみると、
事件とは関係の無い隠しごとを持っていたというようなことが。
小説ですと、そういうのが次々と出てきて、
それがドラマとなってよろしいのでございますが、
現実でそんな風波を立てるのは必ずしもいいことではございませんものな。
第一、そんな人のことを疑ってばかりいる子供ってイヤですよねぇ。
心理ゲームの章なのでこういうのは当然なのでございましょうが、
ちょっと気になりました。
二章は、心理に関する章らしく、後半には心理テストが載っております。
10分もすれば忘れてしまうような他愛ないものと思いますが、
小さいお子さまですと、本気になって信じるかもしれませんな。
なお、心理テストは欄外にもいくつか掲載されております。
とりあえず、
だまし合いのフロアというほどにはだまし合いにはなっていない
そんな章でございました。
第三章は迷路。
この辺を見るとやはり小学生向けかな、と思います。
ページ数も限られていますから、それほど難しいものではないのですな。
もの足りないと思う方は、指や鉛筆でたどったりしないで、
目で追って下さいませ。それでも解けると思います。
この辺を見るとやはり小学生向けかな、と思います。
ページ数も限られていますから、それほど難しいものではないのですな。
もの足りないと思う方は、指や鉛筆でたどったりしないで、
目で追って下さいませ。それでも解けると思います。
そして最終第四章。
ここがパラグラフ選択式のストーリーとなっております。
この章で物語は3つに分かれます。
主人公3人がそれぞれ別の場所に落とされ、
そこを探索することになるのですな。
そこを探索することになるのですな。
凪と律の物語はそれぞれ2つの結末、
比呂の物語には重要なポイントが1つあり、
その結末の組み合わせによって
エンディングが5つに分かれるという形をとっております。
そのうち5つ目のエンデイングが
作者の意図するベストエンディングということでございますな。
この章、
「地下ダンジョン」と題されておりますが、ダンジョン味は薄くございます、
どちらかというと心理テストや寓意物語的ですな。
とつぜん風景が変わるのは幻想的と申さば申せるかもしれませんが、
文章的にそれを目指していないようでございます。
(プロローグの冒頭部分にはそういう方向性が見えていた気がいたしますが、
力が尽きたのでございましょうか?)
文章的にそれを目指していないようでございます。
(プロローグの冒頭部分にはそういう方向性が見えていた気がいたしますが、
力が尽きたのでございましょうか?)
選択肢にしても、
おとぎ話の主人公ならどうするかを考えた方が正しい道を選べると思います。
おとぎ話の主人公ならどうするかを考えた方が正しい道を選べると思います。
とは申せ、理不尽なゲームオーバーもございます。
が、それそれのパラグラフ数は40以下ですし、
フラグは覚えておけば良いような物だけですので、
失敗してもすぐにやり直せばよろしゅうございましょう。
このゲームフック、ちょっと困るのは3つのストーリー、
並んでおかれておりますし、40パラグラフ以下とページも少ないので、
間違えて次の章を読んでいたということがあるのですな。
一応。パラグラフの色分けはされておりますが、ご注意召されでございます。
並んでおかれておりますし、40パラグラフ以下とページも少ないので、
間違えて次の章を読んでいたということがあるのですな。
一応。パラグラフの色分けはされておりますが、ご注意召されでございます。
1回わたくしは間違えてしまいました。
ちなみにカバーを取りますと、
裏表紙にこの物語の下敷きとなったギリシア神話が紹介されております。
裏表紙にこの物語の下敷きとなったギリシア神話が紹介されております。
と申しましても、関連性は薄いですな。
ヒントにした、という程度でございましょうか。
いずれにせよ、
ストーリーが関わるのはプロローグと最終章のゲームブック部分のみ。
間のナゾトキや心理テスト、迷路には薄くしか関連しているとも思われません。
というわけで、
最初に欲張りな本と書きましたが、
ページ数は限られておりますので欲張った分だけ、
各章はそれなりというボリュームでございます。
最初に欲張りな本と書きましたが、
ページ数は限られておりますので欲張った分だけ、
各章はそれなりというボリュームでございます。
でも、軽く楽しむにはこの位の分量がいいかも。
ただ、ストーリー的には、もっと深くてもよかったのではないかな。
心理的寓意的な物語なので、
もう少し深く迫ることも出来たのではないかと思う次第でございます。
心理的寓意的な物語なので、
もう少し深く迫ることも出来たのではないかと思う次第でございます。
2021/01/01 明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
今年もゲームブックが実り多きものでございますように。
……。
えっと、「も」が違うと思う方は、「こそ」か何かを入れてくださいな。
本年もよろしくお願いいたします。
今年もゲームブックが実り多きものでございますように。
……。
えっと、「も」が違うと思う方は、「こそ」か何かを入れてくださいな。
2021/01/02 赤べこって大丈夫?
あんなに赤くて、闘牛の牛に襲いかかられたりしない?
まぁ、牛は赤い色に興奮するのではなくて、
マントの動きに反応するのだそうでございますが……。
でも、そうなると、
あんなにヘッドバンギングしていることが気になってまいります。
やっぱり襲いかかられたりしない?
いや逆に、赤べこの大きくて重くて頑丈なのを作って、
それを闘牛の練習相手にしたらいいのかも。
その場合の闘牛は、対人のそれではなくて、牛と牛とが戦うものとなりますが。
あんなに赤くて、闘牛の牛に襲いかかられたりしない?
まぁ、牛は赤い色に興奮するのではなくて、
マントの動きに反応するのだそうでございますが……。
でも、そうなると、
あんなにヘッドバンギングしていることが気になってまいります。
やっぱり襲いかかられたりしない?
いや逆に、赤べこの大きくて重くて頑丈なのを作って、
それを闘牛の練習相手にしたらいいのかも。
その場合の闘牛は、対人のそれではなくて、牛と牛とが戦うものとなりますが。
2021/01/03 『涼宮ハルヒの消失』を見る。BS11で。
原作すっかり忘れていたけど、小説ではできない表現が濃厚だなぁ。
こういう油断はいけないんだけれど、日本でしかできない表現という気がする。
『涼宮ハルヒ』シリーズって、続編がアニメで作られるのかなぁ……。
2021/01/04 バンダイのプラモデル
「機動戦士ガンダムTHE ORIGIN MS-05 ZAKU-Ⅰ」を作る。
ザクはⅡよりもⅠが好き。
動力パイプむき出しなんてスマートじゃない。
ガスマスクやストームトルーパーを真似たデザインがあざとい。
──いや、定番を選ばないへそ曲がりな性格なだけでございますが。
箱絵は目が細くノーズも長い。
これは違うと思って初めて見たときには買わなかったのでございますが、
それは上から見ているせいみたいですな。
そんなことはございませんでした。
ザクⅠと申しますとⅡよりも弱っちい、
安っぽい印象で描かれることがふつうかと存じますが、これはカッコいい。
ただし、バンダイのプラモデルの例にたがわず脚が長いのが
ちょっと好みではございません、
ザクはもっとどっしりしていないと──。
でも、角度によっては、結構しっくりくるぞ。
2021/01/05 「R&R」「スチームパンカーズ」の記事を読んで
ふと疑問に思ったので調べてみました。
そっかぁ、イギリスのレモネードは炭酸入りで、
アメリカ・カナダのそれは炭酸ぬきが定番なのか。
ややこしい。日本では両方とも言いますよね~。
ただ、今の時期でございますから、
ホットレモネードの印象が強くございまして、それで疑問に思ったのです。
勉強になるなぁ。
それにしても、他の国や地域でもいろいろと違う。
この違いはなぜ? 時代の流れによって変わっていった、のかなぁ?
2021/01/0? 『逆転裁判5』終了。
こんなのやってるからブログが書けなくなる。
3D表現やムービーのためか、
ボリュームは『逆転検事』よりも減った感があるが、このぐらいがいい。
シナリオも連続したものではなく、
キャラクターなどがゆるく結びついているだけというのも好感が持てる。
章ごとに独立しているとはいえ、
すべてが連結していると、シナリオ的にもプレイヤー的にも負担が大きく、
労力の割に得られるものが少ないですものね。
主人公側のキャラクターも自信と落ち着きがあって◯。
4ではその性格を批判されたらしいが、
それを未熟さとして巻き返してしまっている。
この切り返しにいたるまでは、結構試行錯誤あったんじゃないかなぁ。
ゲストキャラクターは、ちょっとエスカレートしすぎ。
犯罪者ではないとしても、それはどうかというものだったり、
いやそれ犯罪だよねっていうふるまいをしたり。
それにともなって、言っていたことすべて狂言でしたウソでした、
が多くなったような。
それで納得できればいいけど、ひとつのシーンがまるまるウソでしたとなると、
堂々めぐり感が強い。
テーマ的には、法の暗黒時代に切り込む、と大きいが、
個人的に『逆転裁判』シリーズのテーマは、
それほど大きくなくていいと思う。テレビの1話完結シリーズでいいのだ。
そのあたり、ゲームの容量が大きくなった弊害なのだろうか。
2021/01/08 ひさしぶりに『チコちゃんに叱られる』を見たら、
「唯我独尊ゲーム」っていうのをやっていたけれど、
あれって昔「アニメージュ」に載っていた、
劇団のアドリブ訓練用ゲームとまったく同じだなぁ。
「唯我独尊ゲーム」っていうのをやっていたけれど、
あれって昔「アニメージュ」に載っていた、
劇団のアドリブ訓練用ゲームとまったく同じだなぁ。
2021/01/09 寒中お見舞い申し上げます。
ここ2~3日、本当に寒い日が続きますな。
寒さで疲れてしまうぐらいに。
きのうは動画でも見てゆっくり寝ようと思ったのでございますが、
見る前に寝落ちしてしまいました。
ここ2~3日、本当に寒い日が続きますな。
寒さで疲れてしまうぐらいに。
きのうは動画でも見てゆっくり寝ようと思ったのでございますが、
見る前に寝落ちしてしまいました。
2021/01/10 イギリスの年間通じての平均日照時間は四時間四分。
一番日の短い十二月は一時間四十七分でしかない。
1日のうち、ほんの昼休み時間程度しか太陽の光に恵まれない。
(中略。霧に)太陽の光は吸いこまれ、ビタミンの欠乏から、手や足が痛む。
イギリスに神経痛の患者が多く、老いて車椅子の世話になる人が多いのも、
まるでモグラのような暗い日々の生活のせいである。
イギリスで「ホリデー」、フランスで「バカンス」という長い休暇も、
自然の脅威から健康を守るための必要から生まれたものである。
(『七色のロンドン』浅井泰範:著(朝日新聞社/昭和59年3月)
2021/01/13 『スーサイドスクワッド』を見る。GYA0! で。
バイオハザード+ゴーストバスターズみたいな話。
このメンバーかなぜこの敵に立ち向かうかが分からない。
一部をのぞき、特使湯技能を持っているとはいえ普通の人間なのに。
悪をもってスーパーヴィランに当たらせるという企画先行だから
仕方がないのだろう。最初の話だけに(このあと続くのかは知らないが)、
各人のエピソードや恋人や家族との関係がテーマになっている。
『ワイルドセブン』みたいに、キャラクター同士の連携が見てみたかった。
でも連携できるのかなぁ、能力的に。
バイオハザード+ゴーストバスターズみたいな話。
このメンバーかなぜこの敵に立ち向かうかが分からない。
一部をのぞき、特使湯技能を持っているとはいえ普通の人間なのに。
悪をもってスーパーヴィランに当たらせるという企画先行だから
仕方がないのだろう。最初の話だけに(このあと続くのかは知らないが)、
各人のエピソードや恋人や家族との関係がテーマになっている。
『ワイルドセブン』みたいに、キャラクター同士の連携が見てみたかった。
でも連携できるのかなぁ、能力的に。
2021/01/1? 毎日コロナの感染者数が発表されておりますが、
それって人口の何割? って気になりますよね。気になりました。
「人口あたりの感染者数」で検索してみたら
人口あたりの新型コロナウイルス感染者数の推移【世界・国別】
というページが見つかりました。
世界だけでなく、都道県別も見ることができるようです。
下の方に置かれた動画が楽しい。
コロナ関係なく、単純にレースを見るみたいに見てしまいました。
2021/01/2? 『ピクセル』を見る。GYAOで。
子供向けのようなマニア向けのような、誰を対象にしているのか分からない映画。
バカにしているのか? とも思ってしまう。
そういう傾向のアメリカ映画って他にもあるけど。
しかし、ルールを守れっていうのがテーマなのに、『ドンキーコング』では
本来のルートではないところを通っているのはいいのか?
3D化したことでルールが変わったってことなんだろうけど、
ちょっとゴツゴーな感じも。
ゲームの種類は、もっと多い方がいいけど、
メインに登場するのはこのぐらいでいいかな、とも思える。
ところで、これを見て思い出したのは『ゲームセンターあらし』だ。
宇宙から帰ってきた続編があって、
そのとき宇宙でもドット絵のゲームやってたのか! って言われてたと思うけど、
ホントに宇宙ではレトロゲームが主流だったとは!!
2021/01/28 チェッカーボードサンドウィッチというものがあるそうでございます。
名前のとおり白パンと黒パンをバターを塗りつつ交互に重ね合わせ、
冷蔵庫で冷やして接着するみたい。
ただ、それだと縞模様のパンができるだけで、市松にはなりませんよね。
どうするんでしょ。それをまた切ってずらして重ねていく?
載っていた本(『たべもの起源事典 世界編』)にも縞模様となっておりましたし、
ネットで調べても画像は出てまいりませんし、ちょっと謎でございます。
2021/01/29 『ガメラ「邪神[イリス]覚醒」』を見る。GYAOで。ぼんやりと。
怪獣映画としての絵は素晴らしい。
にしても、怪獣に意味を持たせるのは難しいなぁ。
でも、持たせないと尺が持たないとか、陳腐化するとか、
似たものが出来てしまうとかあるんだろうなぁ。
怪獣映画としての絵は素晴らしい。
にしても、怪獣に意味を持たせるのは難しいなぁ。
でも、持たせないと尺が持たないとか、陳腐化するとか、
似たものが出来てしまうとかあるんだろうなぁ。
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