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2025/12/11 セイウチはロシア語でトドを意味するсивуч……の極東なまりが語源だそうでございます。ホントはシビーチと読むところを、トドがいるあたり、日本人と交渉のあるあたりの人たちはシービチと発音しているのだそう。ややこしい。 (参考:note「セイウチ」が日本語になったとき|よがわつめこ》。ではトドは申しますと、アイヌ語の「トント (tondo)」や「トダ (toda)」に由来し、「無毛の毛皮」「なめし革」の意味だとか。ただアイヌ語ではトドはエタシペと呼ばれるそう(Wikipedia)。ややこしい。
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(上に書ききれなかったのでこちらへ)
 
 ダンバー数という考えがあるらしいですな。
人間は150人を越えたあたりで仲違いを起こす
それは脳の容量と関係している、
というダンバーさんの説でございます。
 
そのあたりの規模で倒産する会社とかよくあるとか。
(何人を境界とするかは諸説あるようでございます)
 
 で、それ以上の集団を結びつけるために必要なのが言語、
それも階層的な構造を持つ言語だと、
ダンバーさんは主張してているそうでございます。
 
「『神が言っていた』とあいつが言っている」というような文でございますな。


 そういえば、『人月の神話』でも、
小集団ではできていたことが
大集団になると上手く行かなくなることがしばしばある。
それを防ぐためにはマニュアル化だ、みたいなことが書いてあったなぁ、
と思い出しました。
 
  
 あと1つ思ったのは、ジェネレーションギャップに関してでございます。
 
 そのむかしは、
一クラス50人ぐらいで一学年十クラス近くという
マンモス学校もザラでございました。
 そこまで行かなくても一学年数百人が一般的。
 
そうなると当然、
それをまとめるためのルールや規律といったものが必要になってまいります。
 
 
 一方、今は少子化で、一クラス30人、数クラスという感じなのだそう。
 
 それだと統率によって縛る必要はそれほど無くて、
自由にできるものなのかもしれません。
 
 もちろん、教育に対する考え方の変化が主なのでございましょうが、
会社などで規律に対する上司と部下のギャップが生じることがあるのも
それなのかも、
などと考えてしまいました。
 
☆ 参考:「本の雑誌」2-24/1 P.152 
『宗教の起源』という
ダンバーさんのご本に関する円城塔先生のエッセイでございます。 

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