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2024/05/17 ニコニコに『トップシークレット』(1984)の吹き替え版があったので見てしまいました。以前見て面白かった記憶があったので、『トップシークレット』 映画 で動画検索してみたのでございます、下品なところもある本っ当~にくだらないコメディ映画。ZAZ作品なので『裸の銃を持つ男』などが好きなお方にはお薦めでございます。
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究極のゲームブックシリーズ
人狼ゲーム
『リアル人狼ゲームで勝ち残れ!』
真代屋秀晃 アメノトモアキ:著
(池田書店/2024/3)
 
70パラグラフ。一方向移動型。
フラグ、パラメーター要素なし。
(が、覚えておく要素はあり(42))
 
『~信長軍を倒せ!』中学1年生が主人公、
そして本作は中学2年生
 このシリーズ、
そのぐらいの年齢の読者を対象としているようだ。
  
 文体は通常のジュニアノベルと変わらない。
 その手の作品を読む感覚で選択肢のある物語を読んでもらおうという企図だと思う。
 フラグ要素がないのもそのためだろう。
 
 テーマパークの奥に地図にも載っていない「人狼の館」があり、
そこで先生とクラスメイトが実際に死が伴う人狼ゲームを強制される
というベタな展開も、そんなコンセプトによるものに違いない。
 
 でなければ、もっと自然な設定にするのではないだろうか。
  
 ちなみに、イラストには死体も血も描かれない。
それも対象年齢に対する配慮なのだろう。
  
 作者はあとがきで
人狼をゲームブックとして構成する作業は想像以上に難しく
とお書きになっているが、それにはそういう縛りがあったためかもしれない。
 あるいは逆に、こういう縛りがあったからこそ、
割り切ってできた部分はあったかもしれない
(が、その割り切ることに悩むような気もする)。
 
 それを抜きにしても、人狼ゲームのゲームブック化は難しそうだ。
人狼に慣れていない身としては、プレイしていても頭がこんがらがってくる。


 構成も凝ったところはない
 
 
 極めて普通の作りだ。
 
 特に最初の三択などはいかにもな形で、これはよくある凡作かな、
と思いつつ読み始めた。
 が、読み進めるうちにこの作品の価値が見えてきた。
 
 いや、『最強最悪の信長軍を倒せ!』も含めてなので
このシリーズ、というべきだろう。
 
 注目すべきは選択の意味だ。
 
 ゲームブックには、選択の意味がない選択肢が存在する。
 
 フラグによる条件分岐、戦闘など判定による可不可、パズルの正誤など、
プレイヤーの意思に関わらず決定してしまうものは言うに及ばず、
 
右と左に道があります。どちらに進みますか」式の
情報が与えられず選択が運次第ものや、
逆に正解がわかればどちらか一択という選択肢も多い。
 
 これらはプレイヤーの意思決定という意味で面白みがない
 無駄とさえ言える。
 ゲームブックのキャッチフレーズである
君の選択が物語を変える」を満たしていないのだ。
 
 そのような無駄な選択肢が、この2つの作品には少ないように感じた。
 
 題材のせいもあるだろう。
 
 歴史上の選択や人狼ゲームというテーマは、それ自体に葛藤要素を含んでいる。
 
 だが、それ以外にも重要な点があるように思う。
 それは、これらの作品が一人称で書かれていることだ。
 
 ゲームブックは二人称が基本で、主人公である君は無色透明がいいとされる。
 主人公はプレイヤー自身、もしくはプレイヤーが設定するものなので、
本文に考えや発言が書かれるとそれとの齟齬が生じるという考えだ。
 
 そのような二人称では、表現は客観的だ。
 美しい・不気味な、程度の一般的な形容がなされるものの、
その場の状況が見たままに描写される。
 
 結果、情報不足が起こりうる。
 見たままを描写しているのだから充分、というわけではない。
 どう考え行動するか、判断指針がその描写から得られなければ、
「右と左に道があります」式のあてずっぽうの選択になってしまう。
 
 それを防ぐには、描写を濃くする、あるいはイラストなどで情報を追加する
などの手法があるだろう。
しかし、それで解決することばかりではない。
 それに客観的な表現では、選択の感情を盛り上げることもできない。
 
 二人称でこれを解決する方法としては、語り手配置するという方法がある。
 
 ブレナンの『グレイルクエスト』シリーズのマーリンのように
個性的な語り手を配置し、その言葉によって語らせる。
 それによって場面に雰囲気を与え、次に起こりうることを予想させ、
選択の幅を狭める。あるいは誘導する。
 人称は視点なのでその視点に語らせることで判断条件を与えるというわけだ。
 
 この手法は有効だが、採用しているゲームブックは少ない。
 これはやはり、ブレナンの専売特許の観があり、使えば似てしまう、
真似になってしまうということがあるのだろう。
 
 対して一人称である。
 
 人称は視点なので、状況は主人公の視点をとおして描かれる。
 そのため、
一人称では主人公の考えたこと、感じたことがストレートに表現できる。
「○○に違いない」「かも知れない」と、
客観ではできない推測や感情をも描くことが可能だ。
 
 それらを描写することにより、プレイヤーに選択肢に対して
どう考えたらいいのかの指針や考えるための条件を与えることができる。
また、本来無数にあるはずの選択肢をいくつかに限定する際にも有効だ。
主人公が思いつかなかった、あるいはその選択はしないと
主人公の考えや意思を反映させれば、自然だからだ。
 
 これらは特に、相手が人である場合において効果を発揮する。
ダンジョンやモンスターなど単純な障害ならば
客観的な観察とそこから得られた考察でもいいが、
人間が相手だと、相手がどう考えているかを読む必要が出てくるからだ。
 
 先ほども書いたとおり題材がそういうものだからという点はあるが、
この二作はそうした一人称の特徴を選択に上手く生かしていると思う。
  
 ゲームブックが日本で出版されてから今まで、
一人称で書かれた作品はもちろん数多くある。
 にもかかわらず、葛藤を高めるためにそれを活かしている例は少ないように思う。
 
 おそらくそれは、二人称ゲームブックを手本としているため、
それに引きずられて一人称にも関わらず
内面を描かないものが多いためだと思われる。
 
 移動や探索など、通常のゲームブックのような行動を中心とした展開ではなく、
普通の小説のような書き方の方が、葛藤を中心とした選択になりやすいだろう。
  
 このような小説的な書き方というのは、ゲームブックよりもむしろ、
コンピュータのノベルゲームでよく使われる。
それらの作品では、単純な行動ではなく
人間相手の関係性が選択の要点になることが多いからだ。
 
 一人称のこうした描写と選択は、
いわばそうしたノベルゲームから逆移入した形といっていいだろう。
 
 形としてはゲームブックでも古くからある。
 むしろ『ファイティングファンタジー』
以前の古い作品にその形はあるような気がする。
ただそれらの作品ではこの葛藤要素が充分に活かされていなかっただけだ。
 
 一人称のゲームブックを二人称ゲームブックとは別のものとして考えていくことは、
その新たなる道を考えていく上で有意味だと思う。

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