上巻
編集人:森好正
編集 :立花小春(B’s-LOG編集部)
株式会社 デジタル・コンテンツ・パブリッシング
,監修 :アイデアファクトリー株式会社/デザインファクトリー株式会社
カバーイラスト:カズキヨネ
2009/4 エンターブレイン B's-LOG COLLECTION オトメイト関連シリーズ
(403ページ)
下巻
編集人 :森好正
編集 :立花小春(B’s-LOG編集部)
柏崎虎太郎(株式会社 デジタル・コンテンツ・パブリッシング)
監修 :アイデアファクトリー株式会社/デザインファクトリー株式会社
カバーイラスト:カズキヨネ
2009/6 エンターブレイン B's-LOG COLLECTION オトメイト関連シリーズ
(453ページ)
追加しておきました。
前回のゲームブックなチャットで予告したとおり……、
とは申しましても、少々遅くはなりましたが。
ホントのこと申しますと、いつでもできたのですけどね。
まぁ、『八岐の園』は必読書でございますし、
『オバQ』はいいやつでございますし……。
ゲームブックなチャットで申しましたとおり、
大部(たいぶ)でございますゆえ、まだ読んではおりません。
え~と、原作はPS2のゲームだそうでございます。
2009年8月27日には、PSP版も発売されるとか。
まぁ、ゲームブック的には、それほど必要のない情報ですな。
主人公は、雪村千鶴(ゆきむらちづる)。
男装の女性でございます。
音沙汰なき父を尋ねて上洛し、
なんやかやあって新撰組と行動を共にするわけでございますな。
その何やかやが、この作品、『~新選組奇譚』に奇譚とつくゆえん。
羅刹――つまり人が化した鬼でございますな――
そうした怪異(ファンタジー要素)が、
関わってまいるのでございます。
まっ、紹介すればそんなところ。
でも、
正直申しましてわたくしは、新選組って関心わかないんですよねぇ。
京都の町で暴れてた人たち、ぐらいの印象しかない……。
(鞍馬天狗のほうが……。あっちはフィクションですけど)
望月三起也先生の『俺の新選組』とか面白かったですけど。
司馬遼太郎先生の『燃えよ剣』とか読んだら関心沸くのかなぁ??
マンガの原作を手がけたこともあるのはご存知でしょうか?
「ログイン」誌 1983/10
●スターゲームデザイナー登場!
によりますと
デビュー作は、以下のとおりでございます。
p.154
堀井――そうですか。実は、ボクは(劇画原作者の)小池一夫さんの主宰する劇画村塾の第3期生なんです。今度『別冊マンガアクション』で、本田一景というペンネームで原作者としてデビューしたんですよ。平野仁さんが画を描いてくれた『赤いドレス』という刑事モノなんです。
いつのことかはわかりませんが、このインタビューが、1983.7.16と書いてございますから、それに近い時期ということはまちがいなさそうですな。
(引用の太字とか色はわたくしによります。
特に断りが入っていなければ、このブログでは基本的にそうだとお考えください。
ちなみに、インタビュアーは、塩崎剛三という方でございます)
これ、『ポートピア連続殺人事件』(もちろんパソコン版の)が出たときのインタビューですから、
当然それよりもあとの話ということになりますな。
それがちよっと残念。
『ラブマッチテニス』で、第一回エニックス・ゲーム・ホビープログラムコンテストに入選し、
デビューする以前の話でしたら、面白いのに――。
『ジャンプ』『OUT』、『セブンティーン』などという雑誌で、
ライターとして活躍していたのでございますから、
その可能性はありそうですのに――。
でもまあ、本田一景原作の作品として、
ネット上に
『ゴルゴ13』(さいとうたかお)の
「サギ師ラッキー」
「アイリッシュ・パディーズ」
「イリーガルの妻」
「弾道」
や
「探偵桃語」(作:本田 一景/画:三山 のぼる)
はございましたが、
この作品については出てこないみたいですので、
ここに記しておくことにいたします。
「Role&roll」誌
vol.57 p.033 には、6月30日と書かれておりますが、あれは幻影だったようでございますな。
vol.58 p.009 には、7月31日とございますから。
まぁ、よくある事でございます(良くないけど)。
……。
まっ、そういったどうでもいい話はよしといたしまして、
今回のラインアップは、
デモンパラサイトリプレイ
猫と悪魔の狂騒曲 ~異形たちの街角~
監修■北沢慶
作■片山泰宏/グループSNE 画■洋武
ガンドッグゼロ
ハーフ・ボイルド・ディテクティブ
作■狩岡源/アークライト 画■桃タイ
迷宮デイズ リプレイ
血と因果のタイトライン
作■斉藤高吉(冒険企画局) 画■菊地且典
といったところでございますな。
「猫と悪魔の狂騒曲 ~異形たちの街角~」は、
リプレイ
『異形たちの街角~インヒューマンズ』
(著:片山泰宏/グループSNE 新紀元社 1260円)の、
1話と2話に挟まれる番外編だとか。
最初からいる
「悪魔憑き」 と、
サプリメントで追加された
「AAS」、
「ミュータント」
「サイボーグ」
という種族の異なるPCが、
主人公チームを組んでいるのが、ポイントの作品でございますな。
「ハーフ・ボイルド・ディテクティブ」は、
『バイト・ザ・パレット』を使用したものだそうでございます。
これは、 民間保安企業(PSC)に属するという
『ガンドッグ』の立場を離れて、
香港ノワールやハードボイルド、クライムアクションとなど、
幅広いアクションものを楽しむためのサプリメントでございますな。
で、この作品、イラストをみると、コミカルなものになっておりますよ。
そう、『ガンドッグ』って、このように
けっこう幅の広いことができるシステムだと思うのですよね。
ですから、これに限らず、
いろいろなジャンルでの展開を期待したいものでございます。
(わたくしといたしましては、もちろんコメディを希望いたしますが)
「血と因果のタイトライン」は、
斉藤高吉先生らしいでございますなぁ。
キャラクターシートを10枚用意してのスタート。
で、その10枚が終わったらゲームオーバー。
「神官」はなし。とりあえず、最初のキャラクターでは、なし。
……。
殺す気満々でございます。
さてさて。
リプレイ以外の記事としては
『デモンパラサイト』リプレイのあとに、
『デモンパラサイト』
リプレイライター座談会(文:片山泰宏)
というものが載っております。
参加者は、
北沢慶先生
力造先生
藤澤さなえ先生
友野詳先生
片山泰宏先生。
そうした方々が、それぞれのリプレイ作品について、
語ったり、感想を述べたりしているわけですな。
こういう制作者サイドの話を、タップリ読めるのはうれしい限りにございます。
(なにか、『デモンパラサイト』は、手塚治虫先生の『火の鳥』よろしく、
あらゆる時代を目指すそうでございますよ??)
こうした打ち明け話などは、できましたら、
定番化して他の作品についてもやっていただきたいところでございます。
特に、興味あるのは、「ガンドッグ」シリーズかな?
そうした話が、
この作品にはあまり出てきていないような気がいたしますので。
7/1 ユキさまのブログ「アドベンチャーゲーム研究処」
の2009-06-30 20:20:00の記事
「テキストアドベンチャーゲーム、変容の歴史。」
http://ameblo.jp/adoventure-kenkyu/day-20090630.html
のコメント欄に書き込みをさせていただきました。
ゲームブックのルーツ部分に関することなのでございますが、あれでいいのかなあ……。
ここら辺のことは、このブログでものちほど書くつもりでございます。大して変化はない予定。
7/3 エコポイントって、うちわとかじゃもらえないのかなぁ……。
よっぽどエコだと思うんだけど。
7/5 七夕見に行ってきました。
急ぎ足だったので、あまりちゃんと見ることはできなかったけれど。
それと、リンクに、 "ゲームブック"-Google検索 を追加しておきました。
う~む、情報源をばらしてしまうハメに……。
7/6 ふと思い出して、七夕のことについて書こうと思ったのでございますが、
取っておいた資料がどこかにまぎれてしまいました。
まあ、一年前の七夕くらいのときに見つけたものですからねぇ。
でも、残念。
またの機会に紹介することにいたします。 (となると、来年? 忘れそう……)
7/7 さ~さのは さらさら
や~ねぇま~で とんだ
や~ねぇまぁで とんで こわ~れ~て き~え~た
アッホイ アッホイ アッホイホイ!
だ~れに おみやげ や~るのかなぁ?
おほしさま キ~ラキラ きんぎん すなご
7/10 ごめんなさい。今日はおやすみにいたします。
7/12 きのうは疲れて体調不良。パソコンを起動する気にもなりませんでした。
7/13 シャープ社のカラー電子辞書「ブレイン」は、ネットで調べてみると、
辞書との連動機能なし、
キーは電子辞書のもので使いにくい、
特殊なキーの使い方をしているところもある、のだそうですな。
というわけで、今回は保留してみる予定。
7/15 「Role&roll vol.58」買ってまいりました。
「ボードゲームジャンクション」の
「今月の注目作」(文:江川晃 p.111)にございます
「カットスロート:裏切りの洞窟」という作品、
「第3弾ではゲームブックのような冊子を使い、
まさにRPGのような遊び方ができるようになります(詳しくは次号ででも)。」
とのことでございます。
「ゲームブックのような」?
その言葉に期待いたしましたが、ソロプレイではなさそうな感じ ですな……。
いずれにせよ、次号待ち というところございますか。
7/16 今日の20時のアクセス数19って何でしよ? 謎。
次なる記事は、「ランダムダンジョン」について、
少し雑談の予定でございます。これって、
「ドンキーコマンド」の欄外コメントのはずだったのですけど
(追記:17日の訪問者数40と18日の94はホントに謎。カウンターの故障?
いづれにせよ、ぬか喜びしないで淡々とまいりましょう)
7/19 1番 やめてケレ やめてケレ やめてケ~レ エヴァエヴァ(……)
おお、か~みさま 神さま 助けて パパ~ヤ~!
3番 やめてケレ やめてケレ やめてケ~レ 使徒使徒(……)
おお、か~みさま 神さま 助けて パパ~ヤ~!……。
いえ、 「エヴァンゲリオン」の映像をバックに、
「老人と子供のポルカ」が流れたら楽しいかな、
と思っただけでございます。
ネット上に置かれている映像は、ちょっと?
ずびずぶぁ~、とか、左卜全先生、もっと迫力ある発声していたと思うのですが……。
7/21 こうゲームブックが出ないと、
実はどこかの本屋さんに、
サプライズでひっそりと置かれているんじゃ……、
などと考えて探してしまいますよね!
えっ、そんなことないって?
7/25 ゲームブックなチャット、参加中。
ということで、今日の更新はおやすみです。
7/26 疲れてしまってダウン中。ふぁ~。
7/28 予告:次回は、藤子・F・不二雄大全集の『オバケのQ太郎』(1)を買ったのでその話を。
ゲームブックの話じゃなけりゃいらない、という方は寝ていてください。
7/29 引用が必要なものは、資料探したり調べたり引用したりで時間かかってしまうなぁ……。
7/30 「八岐の園」は、分類として「幻想小説」に入れましたが、
内容的には「文学部ゲームブック科」でもよかったかも。
まあ、そういうことありますよね。
『伝奇集』
J.L.ボルヘス作
鼓直訳
岩波文庫 (1993)
“FICCIONES” 1944
Jorge Luis Borges
文学部ゲームブック科の必読書。
『幻獣辞典』のほうを紹介してしまったが、
本当はこちらが先の予定だった。
ボルヘスについては、作品を読んだことかなくても、
名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。
南米を代表する幻想文学の作家で、
代表作としては、「バベルの図書館」が挙げられるだろうか。
過去そしておそらく未来を含む、世界、いや、宇宙のすべて、
無限であるはずのものを、
有限であるはずの書物の中に封じ込めた図書館の幻想は、
ボルヘスの作品を象徴するイメージであり、
まさに物語の迷宮・迷宮の物語という言葉にふさわしい。
「八岐の園」もやはりそのような作品だ。
そのイメージは「バベルの図書館」に勝るとも劣らないのだが、
惜しむらくは作品が、その「八岐の園」のイメージだけを語っているのではない点だ。
物語は、
スパイである主人公が、敵である大尉に追われて逃げ、
スティーヴン・アルバート博士の家に入りこむ。
そこには、主人公の曽祖父、崔奔(サイペン)の作った
「八岐の園」があった……。
そこから、
アルバート博士の「八岐の園」に関する長い挿話が始まるのだが、
これは、全体の物語とあまり関係ない。
枠の物語は枠の物語として完結しているし、
「八岐の園」のイメージはそれだけで成立している。
両者がかかわりあって存在していれば、
それはそれでひとつの傑作となったろうが、
そのつながりが弱いのだ。
とはいえ、「八岐の園」のイメージは、
そうした作品としての欠点を補って余りあるものだ。
どういう内容かは……。
まあ、この「文学部ゲームブック科」で絶賛しているのだから、いうまでもあるまい。
ここに描かれているのは、理想状態の分岐小説だ。
「分岐し、収斂し、並行する時間のめまぐるしく拡散する」(p.136)物語――。
崔奔(サイペン)が13年の歳月をかけて作った、
迷宮でもあり、混沌とした小説でもある『八岐の園』とは、
まさにそのような物語だった……。
と、言葉を尽くしても、あまり伝わらないと思う。
やはり、実際に読んでそのイメージを感じてほしい。
短編だから、読むのにそんなに苦ではないはずだし、
大きな本屋さんや図書館なら置いてあると思う。
手に取るのも、そんなに難しくないだろう。
ぜひとも、読んでみてほしい。
そして、出来得るなら、同じ本に収録されている他の作品も読んでみてほしい。
それらもまた、
物語の迷宮と、
言葉の中に世界のすべてを押し込めようというボルヘスの幻想が
読み取れる作品であり、
ゲームブックを含む分岐小説のイメージを、
大いに広げてくれるものだと思う。
ちなみに、山口雅也先生もこの作品を評価しておられるようで、
『生ける屍の死』や『奇偶』で言及されている。
『13人目の名探偵』も、
この作品の影響下に書かれたようだ。
「ミステリマガジン」早川書房 No.629 2008,July
「迷宮解体新書 第七回 山口雅也」
文・村上貴史
p.9 この年(1987)にはまた、ゲームブック『13人目の名探偵』を刊行した。
「当時は既に作家になろうと決意していたんですが、自分の作風は江戸川乱歩賞向きじゃないと思い込んでいたし、受け皿がなかったんですね。だから投稿とかも全くしていなかった。そんななかで、これは小説依頼に最も近い仕事でした。自分としてはボルヘスの『八岐の園』を意識して、時間の並行分岐的な趣向と本格ミステリの骨格をゲームという形式のなかでやったら前代未聞で面白いだろうと考えました」
作者は、『13人目の~』のあとがきで、
ゲームブックには興味がない、というようなことをお書きになっているが、
それは、「八岐の園」のような理想状態には達していないゲームブックに対して
興味がない、ということなのだろう。
さらにいえば、
現存のジャンル化、定型化されたゲームブックに対して
興味がない、ということなのかもしれない。
藤子・F・不二雄大全集
藤子・F・不二雄
藤子不二雄(A) 著
小学館 2009/7
オ~ボケなんだ
オ~ボケなんだ
オ~ボケなんだけれど~
というわけで買ってまいりましたよ~。
藤子・F・不二雄大全集版の
『オバケのQ太郎』[1]。
編集方式が読者に優しいですな。
掲載誌別。
しかも学年誌に関しては、
小学生のころ自分の読んだところだけ読めるようにと、
学年繰り上がり方式を採用しているのだそうで。
まっ、その方式はともかくとして、 ご主人さまは、
少年サンデー版だけ読みたかったので、
この配慮は大変うれしかったとのこと。
『オバケのQ太郎』は、
読んだこと、もしくは見たことがある方ならわかると思いますが、
『ドラえもん』とは全く異なります。
『ドラえもん』が、基本的に
のび太がボケ、ドラえもんがツッコミなのに対し、
『オバケのQ太郎』は、
オバQがボケで、正太がツッコミですかな、役割としては。
ドラえもんは友達であるとともに保護者的な部分も持ち合わせておりますが、
オバQと正太の関係は対等…。
そのため、
ドラえもんに比べオバQの方が、
独立独歩な感じがいたします。
あと申すまでもございませんが、
のび太は消極的で正太は積極的。
オバQは、
失敗してもあまり気にしない、
憎めないおおらかさがございますな。
人物構成について申しますれば、
あとからできた『ドラえもん』の方がまとまっておりますな。
オバQの方は、最初からいるのはゴジラぐらい。
あとの友達は固定されていないのですな。
友達との関わりの重要性と申すのは、
この作品などで徐々に気づき始めたのでございましょう。
作品的には、このあたり、
まとまっていなくて、と申したらよろしいでしょうか?
けっこう楽しい。
コロコロコミックに載ったものなども読んでみたのでございますが、
あとで描かれた作品は、
コマ割りも『ドラえもん』のように落ち着いて、
キャラクターも安定している分、
作品的にも落ち着いた感がするのでございますな。
その点、このあたりは、
まだまとまりがなくて、
破天荒な感じがいいのでございます。
特に、「初期9作品」と書かれている、
連載が一度打ち切られる前の作品が、
それ以降の作品と違って面白い。
『二人で少年漫画ばかり描いてきた 戦後児童漫画史』
(藤子不二雄 文春文庫 1980/9 初出:昭和52年)によりますと、
p.232 スタゼロ雑誌部としては少年マガジンの『わかとの』で手がいっぱいだったので、今度はやむなく藤子不二雄個人で描くことにした。別に個人名義にしたからというわけではないが、再開後の『オバQ』は前回にくらべて丁寧に描いた。
とありますから、つまり
その前は「藤子不二雄とスタジオゼロ」名義だったというわけでございますな。
その「~スタジオゼロ」名義のあたりが、その後の『オバQ』とは違うのでございます。
当時「週刊少年サンデー」誌は、
赤塚不二夫先生の『おそ松くん』がギャグの看板として存在していたのだそうですが、
連載再開後はその、
「奇人変人・狂童怪童が入り乱れてのナンセンスな大混戦のオカシサ」や、
「奇抜な言葉とギャグを機関銃のように乱射する」
といった特徴を意識し、それに対して、
「普通の子供たち」と「ごく日常的な事件」、
「ふつうの言葉をしゃべり、ギャグにしたってノンビリ、オットリムード」
にしたのだそうでございます。
「赤塚不二夫と藤子不二雄との個性、本質の違いからくるものだが、
これなら両立、共存はできる……と思った。」(以上p.232-233)
ということで。
逆に申しますと、連載再開前のほうは、
『おそ松くん』に影響されて藤子作品らしくないドタバタな感じになってしまった、
ということなのでございましょうな。
実際、それ以降の『オバQ』では見られないスラップスティックなギャグがあったりいたします。
でも、それがいいのでございます。
と申しますか、このあたり、スタジオゼロ作品ということで、
かなりそのメンバーの手が入っていたのではないかと思うのでございます。
特に2話の石ノ森章太郎先生の当時の自画キャラがたくさん出てくる
「まとめてめんどうみてよ!!」は、
(同じキャラクターが何人も出てくるというところが
『おそ松くん』に影響されたのかもという気がするのはともかくとして)
アイデア・作画ともにかなり石ノ森先生が加わっているのではないか
と思うのでございます。
だいたい1話が完成したのは、 「〆切りギリギリ」(p.230)だったそうですし、
週刊連載でございますからな、
2話目もかなり切羽詰った状況で描かれたもの だと、
想像に難(かた)くはございませぬ。
ですから、手の早い石ノ森先生が多くかかわったということは、充分に考えられることでございます。
また、
「この仕事を僕たちは、スタゼロ雑誌部のためのピンチヒッターと思っていたので、そう期待をしていなかった」 (p.230)
ので、当初
「『オバQ』にアンマリ力を入れていなかった」(同、1行前)
との記述にも、それを感じますな。
で、ご主人さまは、石ノ森章太郎先生のファンでございますから、
そういうスタジオゼロ作品としての部分が読みたかったのだと申すのでございます。
ご主人さまは、虫コミックス版の『オバケのQ太郎』の9巻だけ
持っているのでございますが。
その中に、「超能力入門の巻」という作品が収められているのですな。
で、その作中作として、 「ぼくはエスパー」石林正太郎作 というのが登場するのでございますが、
そのキャラクターが完全に石ノ森先生の『ミュータントサブ』なのでございます。
その作品を偶然どこかで目にしたので、後で古本屋さんで見つけたときに買ったみたいでございますが、
一番最初に読んだときは、ご主人さま、
藤子不二雄先生って、いつもはあんな絵を描いているけど、他人の絵も描けるんだ。
と、素直に感心したとか。
いや、少しは疑念を挟んだみたいでけどね。
今にして思えば、石ノ森先生が描いているわけですな。
道理で似ているわけでございます。
さらに若いみぎり、はじめてマンガに接せられたころには、
藤子作品や石ノ森作品の脇役・端役に同じようなキャラクターがいること、
それに手塚先生が、スターシステムで、同じキャラクターをいくつもの作品で登場させていたこと。
さらに、手塚フォロワーの先生方も、
手塚先生のキャラクターに似たキャラクターを脇役・端役で使っていたこと、などから、
脇役・端役のキャラクターは、みんなで使っているんだ。
などと思っていたということ。
その当時はそのような言葉は知りませんでしたか、共有ということですな。
実際にそのような側面がないではございませんが、
ウィキペディアやファンサイトによりますと、
『オバケのQ太郎』の場合は、脇キャラを石ノ森先生がお描きになっている
そうでございますから、
そういう印象が特に強いのも当然ということでございます。
で、やはり、そうした
藤子不二雄先生以外の方が描いた部分を探すのが、
この作品の楽しみの一つ
と申せましょう。
それにしても、Qちゃんが動物語をしゃべれるとか、意外に怪力
だという設定などは忘れておりました。
あと、この巻で印象に残ったのは、
p.91 「名画を描こう」
5コマ目 Q太郎の中身下半分が見えますが、
どことなくドラえもんに似ている……!
p.166 「オバケットに協力しよう!」
タケコプターの前身とでもいうべきギャグが……。
p.304 「正ちゃんは名選手」
4コマ目 『ドカベン』の殿馬の秘打、
「白鳥の湖」の前身がここに……。
っていうことでいいのか?
この話では、草野球の実況と解説の子供と
プロ野球の実況と解説が、年が違うだけで
顔は同じというギャグをやっておりますな。
それにしても、Qキャッチング能力のすごいこと。
プロの投球をホームランにするということは、
まず、そのピッチャーの投げた球を、
捕らなければならないのですから……。
というあたりでございますか。
それにしても、
後発であったために藤子・F・不二雄先生の作品集は立派なものになってしまって。
藤子不二雄(A)先生のものも同じような装丁で出さないと釣り合いが取れないのでは?
と余計な心配をしてしまいます。
いずれにせよ、
これで『オバケのQ太郎』何度目かの再アニメ化への道も期待が開けると申すもの。
いまの時代にどういう作品になるかはわかりませんが、楽しみでございます。
おおっ、
ププププーさま が赤文字で始まりを示していてくださるから、
アーカイブが見やすい!
ということで、
7/25日のチャットの全文をお読みになりたい方は、
左のリンクから「チャット」に行って、
ずず~っと上までスクロールさせ、
紹介文を閉じたあと、
「さらに古いメッセージはこちら」のところを押してくださいな。
別ウィンドにてどのくらいか待たされた後、
今回の場合、1001からの書き込みが読めるようになると思います。
そしたら、1128までスクロールさせていってください。
そこからが今月分でございます。
今回最初の話題は、「クイーンズブレイド」の
イラストではない、写真版が10月頃に出るということで、その話から。
「クイーンズブレイド THE LIVE 冥土に誘うものアイリ 森下悠里」 ですか……。
正直申しまして、わたくしは「クイーンズブレイド」シリーズはどうでもいいなぁ。
内部にストーリーがあるものではございませんし、
システム的にも大きく変わった部分があるというわけでもございませんし。
以前(2009/06/13 (Sat))の記事でも書きましたが、
「クイーンズブレイド」は、
ゲームブックではなくブックゲーム
というのが、わたくしの認識なのですな。
要するに、本の体裁をしたゲームということでございます。
ゲームですから、トレーディングカードゲームにも容易に変換できるわけでございますな。
今回の、写真集ゲームブックにしても、
どちらからのアプローチなのかは存じませんが、
どっちつかずのコウモリ……。
いえ、一作で終わるような気がいたすのでございます。
トレーディングカードゲームのほうにも、その他の関連にも、入れにくいですしね。
(フィギュア関連? そっちのほうは存じません)
そうか!
アニメの次は、特撮で「クイーンズブレイド」ということか!!
だとしたら、楽しみでございますな。
後半は、ゲームブック出ないね、っていう話。
いろいろ事情はあるのでしょうが、
もう、粗製乱造でもなんでも出してほしいものですな。
そしたら買うから。
どんな出来でも、ネタにはなりますからな。
あっ、そうそう。
ただし、値段がものすごく高いのは、パスね。
「ソードワールドDS」も、ソフトだけだったら買いですが、ハードごと買うとなるとねぇ……。
ソフトもハードもあまり増やしたくないですし……。
とりあえず、攻略本か何かが出たら買うつもりでございます。
シナリオを完全収録したストーリーブックとか出ないですかねぇ。
で、はしもとさまが
「『サムライ・ソード』が一番新しいんでしたっけ」
とお聞きになるものですから、
『薄桜鬼-新撰組奇譚 ストーリーブック』(上)(下)
エンターブレイン B’sLOGコレクション
というのが、
2009/4と、2009/6に、各2200円にて出ております。
と紹介しておきました。
好感度を上げたり、フラグを立てたりして進めていく、
女性が主人公のゲームブックでございます。
分量は、403ページと453ページ。
攻略本ではよくある分厚さでございますな。
そのうち、ゲームブック倉庫番のほうに入れておきますね。
あとは、ゲームブック倉庫番のゲームブック周辺領域の作品の扱いについて。
それらについては、
「ゲームブック的な作品」として、分けて紹介するのだそうでございます。
その場合、TRPG・文学など、系列ごとに分けるとか。
そのときは出てまいりませんでしたが、
上のようなコンピュータゲームの攻略本系列のものも
カテゴリーとして入れたほうがいいかもしれません。
ただ、そのときも申しましたが、
わたくしとご主人さまは、
そうした周辺領域の作品については、このブログで紹介することにして、
倉庫番には書き込むことはあまりしない予定でございます。
と申しますのは、そのときも書きましたが、もう少しはっきり申しますと、
ああいうところに書き込むのは、事実でありデータであって、
説や意見は、書き込みたくない
ということでございます。
自分のブログででしたら、
どんな意見でも自分のものとして責任……
というか、どうとでもできるわけですが、
ああした不特定多数が共有するものの場合、
そうではないでしょうからな。
そこらあたりに、抵抗を感じてしまうわけでございます。
そのあたり、ご了承いただきたく存じます。
ホルへ・ルイス・ボルヘス マルガリータ・ゲレロ 柳瀬尚紀訳
(1974/12 晶文社)
Jorge Luis Borges and Margarita Guerrero :
EL LIBRO DE LOS SERES IMAGINRIOS(1967)
ボルヘスによる幻獣の辞典(共著)
ア・バオ・ア・クゥー(A Bao A Qu)の名とともに
この書を覚えている方も多いのではないだろうか。
通常のモンスター事典などに採り上げられていない怪物も多く、
また他の事典が、これを資料としている例も多い。
たとえば、RPG系のモンスター事典としては早い時期に書かれた
「RPG幻想事典」には、チョンチョンやカーバンクルが載っているが、
それもこの事典から採られたものだろう。
(参考文献に挙げられている)
特徴としては、ボルヘスがブエノスアイレス生まれということもあって、
南米の幻獣について触れられていること。
西洋のメジャーな神話よりも、
未開社会の民間伝承が好きな私にとって、これはうれしい。
それに、幻想文学の作家だけに、
ふつうモンスター事典では採り上げられないような
形而上の生き物や、
絵として描写不可能なもの、
幻獣とは呼びがたいもの
まで採っているのも、この辞典の独特な点だ。
さきほど、
通常のモンスター事典では採り上げられていない怪物が多い、
と書いたのは、そのためでもある。
ところで、この本には、ザラタンという幻獣がでてくる。
島が実は生き物(亀や鯨)だった、という話なので、
FF24『モンスター誕生』(スティーブ・ジャクソン)の
ザラダン・マーとは関係なさそうだ。
とはいえ、ネーミングのヒントにはなっているのかもしれない。
* ちなみに、ア・バオ・ア・クゥー(A Bao A Qu)は、この書に拠(よ)ると
バートン版の『千夜一夜物語』に出てくる幻獣で、
チトールの勝利の塔に、時の始まり以来すむ生き物。
半透明で、
何者かが勝利の塔の螺旋階段を登り始めると、
そのかかとにピタリとくっついて登っていく。
その内部にやどる光は次第に輝きを増し、
最上階までたどりついた場合、青い光を帯びた完全な形となる。
そこに到達した人間は涅槃に達し、その行為はいかなる影も投じない。
だが、ア・バオ・ア・クゥーがその最上階のテラスに達したのは、ただの一度きりだ。
そうならなかった場合、この幻獣は最初の段に転げ落ち、
ほとんど形のないままに、次の来訪者を待つのだという。
からだ全体でものを見ることができ、触れると桃の皮のよう、ともいわれている。
といった感じだ。
(要約なので、詳しくは『幻獣辞典』を当たっていただきたい)
この記事が『千夜一夜物語』に忠実な記述なのかはわからない。
少々、幻想的・文学的すぎるように思うのだ。
* と思って、少しネット上を調べていたら、こんな記事が。
「愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記」
2007-01-06 ア・バオ・ア・クゥーはどこにいる(どこにある)
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070106/abao
文学的でっちあげということも大いに考えられる、とのことだ。
ボルヘスらしい。
少なくとも、何らかのアレンジ、もしくは創作が入っているのは確かなようだ。
となると、他でもそれはありそうな気がする。
誰も知らないような幻獣に、少しのスパイスを加えるのだ。
ボルヘスならありうる話だ。
綾辻行人/有栖川有栖 監修(2003/5 講談社)
図書館で借りた一冊。
内容は
「新本格誕生15周年を記念して行われた謎解きイベント&トークショーをここに完全再現」
(裏表紙より)とのことだ。
なぜ借りたかといえば、もちろんこのイベントの内容。
実際どういうものだったのだろう? と興味がわいたのだ。
会場で事件が起こって……、というようなものではないにしろ、
舞台の各部屋を歩き回って情報を探し、
それらをヒントに犯人とその証拠を掴(つか)んでいく
というようなものかと思ったのだが、そうではないらしい。
そうしたライブRPGのような演劇的なものではないようだ。
簡単に言えば、ファンと作家の交流イベントに、
推理ゲームが組み込まれているというべきか――。
交流イベントと推理イベントの比重は同等、
というか、混ざりあっている感じだ。
具体的な流れとしては、
1日目
1) 事件のあらましが、ビデオレターとして映像で流される。
2) 船内に掲示される情報や、配られるヒントを入手し、
事件の謎を推理。
3) 綾辻行人先生と有栖川有栖先生の部屋に分かれて情報入手。
(両方には行けない)
4) 「逮捕状」(推理した結果を書く紙)を入手する。
2日目
1) 推理した結果を「逮捕状」に書いて提出。
2) 解決編、
表彰式
で、その合間に作家の方々のトークショーがあり、
そのほかの時間は、推理にいそしんだり、
作家の方々との交流の時間
(サインもらったり、お酒飲んだり、カードゲームをやったり、麻雀したり?)
……という感じらしい。
1日目の(3)は、どちらかの先生を選ぶということで選択分岐になっているが、
どちらを選んでも、有利不利はない。
ちよっとつまらなくもあるが、そのあたりは公平にということなのだろう。
まぁ、ハプニングで、どちらかの先生がぽろっと重要なヒントを言ってしまう、
という可能性もなきにしもあらずの場面ではあるが、
さすがにそのようなことはなかったようだ。
即興劇的な予測不可能なイベントがないので、ライブRPGに比べて、
運営的にはスムースなのだろうな、とおもう。
共通の趣味の人が集まるのは、それだけでも楽しいことではあるし――。
事件という共通の話題があれば、それがきっかけとなって話も弾むことだろう。
でも……、やはり期待してしまうよね。
船上とか閉ざされた空間で推理イベントとなると、ライブ感覚のあるやつを。
さて、
この回の「ミステリーイベント」
最優秀名探偵賞、つまり、もっとも正解に近い答えを出した方は2人
――といっても夫婦だというので、実際には1つの解答といっていいだろう。
多数の参加者の中で、ただ1つの解答のみが正解というのは、
まさに絶妙のバランスというべきではないだろうか。
有栖川先生が「難しくないから」(p.20)とおっしゃっているように、
解決編を見れば、特に難しい部分というのはない。
密室トリックも王道なものだし、
犯人も、正解者が気づいた点に気がついて、
それがどんな意味かを考えていけば、解ける問題だと思う。
(思う、というのは、はなッから推理する気なしに読んでいたので、
いまひとつどうかわからないのだ)
ところで、このご夫婦、パソコン通信時代のネットのゲームで知り合ったという。
もしかすると、
非電源ネットゲームがインターネット上のネットゲームに移行したころの
ネットゲームをやっていたのだろうか?
あと、もう一つちょっとした疑問。
このイベント、東京と神戸で2ヵ月半ほど期間を離してやっているが、
情報が漏れてしまうことはなかったのだろうか?
まぁ、根本にかかかわることだから、そこらへんは上手くやっているのだろう。
問題をさしかえたということもあり得るし――。
(イベントデータ:p.6より)
新本格誕生15周年記念イベント
新本格 ミステリフェスティバル
(東京)
日程 平成14年10月10日~11日
場所 客船 ふじ丸
出演 綾辻行人 有栖川有栖
山口雅也 竹本健治
二階堂黎人 倉知淳
ゲスト 喜国雅彦 ヒロ・サカイ
司会 九十九一
(神戸)
日程 平成14年12月28日~29日
場所 ホテルオークラ神戸
出演 綾辻行人 有栖川有栖
法月綸太郎 我孫子武丸
麻耶雄嵩 太田忠司
西澤保彦
ゲスト 喜国雅彦 ヒロ・サカイ
司会 九十九一
ミステリ作家殺人事件「隠されたメッセージ]
キャスト 九十九一 渡部雄作 貴山侑哉
西岡隆浩 岡部たかし 古賀清
岩谷健司 渡部友一郎 金谷真由美
監修:綾辻行人 有栖川有栖
企画・構成・脚本:城島和加乃
脚色・構成 :かとうだい
脚本・映像監督・演出:青柳省吾
ツールテザイン :五本木進 浜田親彦
企画制作 :イーピン企画
協力 :講談社
2ちゃんねるのまとめサイトにて知りました。
57歳でございますか……。
何よりも驚いたのが、
経歴が2007年まで続いていること。
スクエア・エニックス社の仕事をなされていたのでございますな。
古くからアニメーターをやっている方のように存じておりましたので、とっくに引退しているかと……。
金田伊功先生と申せば、日本独特のアニメ表現を発展させてきた方のお一人でございますな。
とにかく、
1コマだけ抜いてみると、デッサンやパースが狂った絵でしかないのが、
動くと実に生き生きとした動きを見せる。
アメリカのアニメでしばしば行われます、
ロト・スコープ(モーション・キャプチャーと思ってよろしゅうございましょう)
などでは決して表現することのできない、
日本のアニメが、テレビのリミテッドアニメという制約の中で完成させてきた技術と申せましょう。
いわばケレン味のある表現でございますな。
これは、マンガ的・劇画的表現であり、
さらに申せば、歌舞伎とか浮世絵とかから連なる日本的な表現と申せます。
(そこまで意識してはおられないでしょうが)
そのような伝統にして最新の技術こそが、
日本のアニメを他に類を見ない独自のものにしていったのでございます。
ただ、
もっと長く生きていれば後継者を育てられたのに、
とその早すぎる死を悼んでおられた方もございましたが、
それはどうでございましょう?
あのお方の技術と申すのは、いわば天才の職人芸。
コツを教えてもらってできるというものではございませんでしょう。
職人の芸は教えていただくものではなくて盗むものとも申しますしね。
そういう意味では、金田先生の技術と申すものは、
直接か形を変えながらかは存じませんが、
さまざまな作品に反映されて、
確実に継承されているのではございませんでしょうか?
そうでなければ、
現在の世界的な日本製アニメの興隆と申すものも、
なかったものと存じます。
いずれにいたしましても、
ご冥福をお祈りいたします。
せいか~いで いちぃば~ん 総理さま
そういう あつかい こころえ~てぇ よね。
にほ~んで いちばん 総理さま
無視するなんて ろんが~いよ
あた~しを だれだと おもぉってるの?
なにが な~んでも 支持率を とり~たい~
いますぐにね
ふい~に 肩たたかれた こんなとこで えっ?
負けちゃ~う あぶないよって ……
どっちにしろ あぶな~いのよ!!
* * *
道化の真実にございます。
ネタもとの曲は、初音ミクさんなどがお歌いになる、
「世界はわたしのもの」
……。
「ワールドイズマイン」
ですな。
タイトル下を埋めるつもりで書いたのでございますが、
ちと長くなってしまったので、こちらに。
う~ん、
ここのタイトルにも書きましたとおり、
時事ネタはやらないつもりだったのですけどねぇ……。
(蛇足ではございますが、「せいかい」は政界ね)
まっ、思いついちゃったから仕方がない。
単なる思いつきですから、
意味とか意図とかはさっぱりございません。
こういうことは、
ユーモアを解する方ならわかってくださるのですが、
そうでない方もおられますので一応申しておきます。
もしも、意図とかあったり、政治に詳しいのでしたら、
もっと歌詞が埋まったことでございましょう。
これはもう、
ネタ元の歌のイラストがございますでしょ?
あの格好で寝そべっている総理さまが思い浮かんだ という、
ただそれだけのことでございます。
* タイトル下に書く予定でしたので、
もしかするとあとで消して、「なぞのまとめ」のほうに回すかもしれません。
「ライトノベル完全読本」 (2004/8 日経BB)
(昨日(2009/7/19)の記事で資料として用いた)
ついでですので、ここで挙げてみましょう。
まず、ライトノベルで書かれてきたガンダムという特集で、
「ガンダム小説大全」 (p.38~47)に
このときまでに出版されたガンダム小説のリストと主要作品の紹介文が挙げられておりますが、
そのなかにゲームブックはございません。
やはり、ゲームブックはライトノベルではない、
ということで除外されたのでございましょうな。
つぎに、「あたしの中の…」のときにご主人さまが参考にしておられた
「年表」 (三村美衣) 。
この1984年には、さすがにございます。
『火吹山の魔法使い』(ゲームブック刊行始まる)
の一文が(p.76)。
その欄外コラムでも、 「ゲームから小説へ」の部分で、
1983 雑誌〈コンプティーク〉創刊。
TRPG「ローズ・トゥ・ローズ」
1984 TRPG「トラベラー」
1985 TRPG「D&D」
1984 ゲームブック『火吹山の魔法使い』大ベストセラー。
やがてゲームの中心はファミコンをはじめとするコンシューマ系へ……。
という流れで説明されています。
あと、ゲームブックに対する言及はございませんが、
「ライトノベルとTRPG」
TRPGから生まれたライトノベル作品たち
榎本秋(p.170-171)
「PBMとライトノベルの意外な関係」
石直和(p.194-197)
も挙げておきましょう。
前者は、グループSNE作品を中心に、リプレイとTRPG小説について。
後者は、PBM(Play By Mail――非電源ネットゲーム、メールゲーム)のマスターから、
ライトノベル作家になった方々の紹介でございます。
あと、
「ライトノベルとゲームノベライズ」
ゲームを基にした小説を読んだことはありますか?
榎本秋(p.111)
も、参考として挙げておきましょうか。
やはり、ゲームブックは出てまいりませんが……。
ゲームブックについての記事が出てくるのは、さらに後のほうでございますな。
「ライトノベルとゲームブック」
一世を風靡したゲームブックってなんだったんだろう?
榎本秋(p.111)
ここで、挙げられております作品は、
『ファイティング・ファンタジー』シリーズ
『ソーサリー』シリーズ
『ドルアーガの塔』鈴木直人
『ドラゴンクエスト』シリーズ
といったもので、ほぼタイトルのみでございます。
ゲームブックについての解説は、
80年代にブームとなり、88年ごろ終焉を迎える。
原因は、乱造ともコンピュータゲームの人気による読者ばなれとも言われている。
その後も、子供向けとしては一部残ったが、ファンタジー世界の冒険ゲームブックは姿を消した。
富士見書房の『MAGIUS』シリーズも、TRPGの一形式であり。ゲームブックとは名乗っていなかった。
2001年から、創土社が『チョコレートナイト』(鈴木直人)を皮切りにゲームブックの発表を続けている。
一部タイトルがiアプリとしても発表。
といった感じでございますか。
これが、この本が出版された2004年8月あたり(まあ、執筆はその少し前でしょうが)
の状況と申すわけでございますな。
さて、ゲームブックに関する記述についてはもう一つ、
非常に気になると申しますか、興味をそそられるものがございます。
「ラノベとゲームと異世界とぼくと」米光一成
p.172
84年にゲームブック『火吹き世界の魔法使い』が発売される。
小説でありながら、サイコロを使い、ゲームのように物語を進めていく。
『火吹き世界の魔法使い』!!
一体どんなゲームブックなのでございましょう。?
誤植でした、というオチなのでございましょうが、
そういうヤボなことは抜きにして、
非常に喚起力のあるタイトルだと存じます。
いっそのこと、
どなたかこのタイトルでゲームブックを作ってみませんか、ねぇ。
「奇想天外」2月特大号 (1978年2月 奇想天外社)
p.138-165
第一回 奇想天外SF新人賞 佳作受賞作品。
ちなみにこの回の入選作は、ナシ。
佳作は
「あたしの中の…」 新井素子
「カッチン」 大和真也
「ぼくの思い出がほんとうなら」 藤原金象
「ローレライの星」 美作知男
「スタンピード!」 山本弘
新井素子先生のデビュー作。
ライトノベルの嚆矢とでもいえる作品。
といっていいだろう。
「ライトノベル完全読本」 (2004/8 日経BB)
p.65「ライトノベル30年史」三村美衣
……
だと、1974年を起点として、胎動期から書いているために、
軸がぼけているな。
え~と、
「SFマガジン」2003年7月号(2003/5/25 早川書房) の
「表現とリアリズムの変遷--ライトノベル25年史」三村美衣(p.29)では、
ライトノベルの歴史を1977年からとし、
高千穂遙と新井素子をその例として挙げている。
(ただし、1977年といっても、両方とも末のことだ)
1978年になると、
栗本薫が『ぼくらの時代』で登場する。
映画『スターウォーズ』が日本に上陸。
TVゲーム『スペースインベーダー』がブームとなり、
アニメ雑誌が続々と刊行される。
1979年には、
アニメでは
『機動戦士ガンダム』
『ルパンⅢ世 カリオストロの城』
マンガでは、
『うる星やつら』
『キン肉マン』
などが登場する。
(「ライトノベル完全読本」p.70-71参照)
このあたりで文化が大きく動いているのがわかるだろう。
というわけで、
『あたしの中の…』について。
読み返してみて驚いたのは出だし。
もっと軽い調子で始まるかと思ったら、
意外とサスペンフルだった。
イラストも不気味な感じで、
あれ? こんな話だっけ?
と、違和感ありまくり。
それが、
章を新たにするごとに話がどんどん転がり転がり、
ラストではあの、
シュールというかコミカルというか、
新井素子ワールドとしかいえないオチへともつれ込む。
もう、最初の部分と比べると、なにこれ、って感じなのだ。
とにかく話の転がり方がすごい。
何の前知識もなしで読めば、驚くこと必至だろう。
雑誌掲載版をここで取り上げるのは、もちろん、
このときの選評
「新人賞選考座談会」
選考委員:星新一/小松左京/筒井康隆(p.122-136)
が有意味だからだ。
よく知られている話だと思うが、
ここで
星新一先生はこの作品を新人賞候補の筆頭として推し、
小松左京先生と筒井康隆先生がそれを否とする。
星先生が推したのは、
独特な文体と二転・三転するストーリーであり、
ほかのお二方は、
ストーリーについては認めたものの、
文体については女子高生の書く普通の文章だとむしろ否定し、
そのほかにもいろいろと挙げて、
この作品を大賞とするのを否定する。
ただそうした否定要素というのは、
これを大賞とするのはどうか、
という考えが先にたっての発言に思える。
「奇想天外」の第一回新人賞を受賞するにふさわしくないだろう、
という考えが無意識に働いての否定的な意見だと思うのだ。
では、新井素子先生を見出せなかった、
小松左京先生や筒井康隆先生のセンスが古くて、
星新一先生は新しかったのかというと、
そういう話でもない。
ただ、
お二方は、
SFの入門書を書いたり
SFに対する自論を展開したりしていて、
SFに対して一家言あったのに対し、
星先生のほうは、
SFというよりも
むしろストーリーの構築というものに対して興味があった
ということなのではないかと思う。
そうした興味の方向性の違い が、
この選評の違いとなっているのだ、おそらく
(さらに突っ込んだ見方をすれば、この選評の違いは、
「奇想天外」という雑誌をどう見るか
もっといえば、この雑誌のその後をどうするか、
に関わることだとさえいえる。
つまり、みずから謳っている「SF専門誌」としての方向なのか、
「奇想天外」というタイトルどおり、
SFというよりも、奇妙な話、不思議な話、面白い話といったものを強調した路線で行くのか
の分かれ目ということだ。
まあ、これは、うがった見方でしかないとは思うが)
『あたしの中の』という作品は、
テーマ性がおそらくない。
わたくしの読みが浅いのでなければ、とにかくない。
戦争や人間の攻撃性について触れられるものの、
テーマという扱いではないだろう。
強いていえば、面白さがテーマという感じか――。
そうした作品がコンテスト、
しかも「第一回」の
「奇想天外SF新人賞」の代表とすることに対して、
お二方は忍びなかったのだろう。
サスペンスのあり方とか、いろいろと言っているが、
実はテーマ性のなさに引っかかりを感じているのだと思うのだ。
そして、この作品に対する選評というのが、
後のライトノベルの登場を暗示しているというか、
それらに対する評になっている。
つまり、
それまでの小説、特にSFでは、
(1)にテーマやメッセージ性
であり、
(2)がストーリー性、面白さ
だったのが、
ライトノベルになって、
その関係が逆転したということだ。
この逆転現象は、
もちろん新井素子の作品の影響というわけではない。
(少しはあるかもしれないが)
『スター・ウォーズ』のように、
テーマ性よりも娯楽性を重視したSF映画のブーム、
アニメブームによるマンガやアニメのノベライズが、
小説のジャンルとして現れたこと、
テレビゲームの登場、
70年代と80年代の気風の違い、
などというものが、
テーマ性よりも面白さ優先に流れを変えていったのだろう。
これはライトノベルに限ったことではない。
文化が、そして社会が、
規範的なテーマ性よりも、
自由な面白さを求めていった時代だったのだ。
さてさて、道化の真実にございます。
ところで、
山本弘先生の「スタンピード」という作品が気になる方もおられましょう。
わたくしも気になります。
ですが、それが掲載されたのは、この次の号。
それは、ご主人さま、持ってないのでございます。
だって、
奇想天外のこの号を古本屋さんで見つけたときは、
新井素子先生は人気でしたけれども、
山本弘先生についてはまだ存じておりませんでしたものな。
山本先生には悪いですけど、仕方のないことでございます。
ライトノベル・雑記
ミハエル暁さまのブログ
「暁に、死す!!」 (以下略・あまり意味ないもん!)
2009年07月18日の記事
木村航「ミラクルチロル44キロ」コミカライズ!
http://goldendawn.seesaa.net/article/123738293.html
で知ったのでございますが、マンガ化されるそうでございますな。
掲載誌は……。
ミハエル様のブログからたどってみてくださいな。
う~~~~~~~~~む。
確かに、属性だけをとりだして、それをもとにキャラクターを起こしていけば、
オトメな作品になりそうですなぁ。
(ミノウエさんなんか、外見変わりそうな予感)
主人公の女の子の独白(どくはく)で展開するのも少女マンガ的。
ただ、その裡(うち)にある木村航先生の骨太な部分がどうなるか?
『ぺとぺとさん』もそうでしたでしょう?
イラストにつられて読んでみると、
ふんわりとしたマシュマロの中は、
意外と歯ごたえのある――なんだろ? 無難にクッキーとしておきましょうか――
だったという……。
でも、大丈夫かな。
それも味でございますから。
などと書いていて、ようやくわかりました、わたくしの書きたいことが。
つまりは、このような特定の方しか手に取らない雑誌ではなく、
もっと多くの人が手にとりそうな雑誌だったらな、ということでございます。
それは、多くの人の一致する意見なのではございませんでしょうか?
それと気になるのは、チョコレートのこと。
連載はやはり、2月、もしくはそれに該当する号までなのか。
9月からで隔月刊ですと、11、1の3回かな?
それだと、全部は描ききれないのでは?
もしかすると、その次の年のバレンタインデーまで?
いや、まさか。
ですとか、
チロルチョコはこの雑誌に広告を載せるのだろうか?
その場合、つぼみさまがチロルチョコを持ってニッコリ、
などというコラボがありえるのか?
オリジナルチロルチョコの、全員プレゼントはあるのか?
それとも、作品にあわせて40キログラム分、4000個なのか?
いや、郵送費とか考えると雑誌に付録としてつけたほうが早いのか?
しかし雑誌の場合、どんな過程を経、どんな扱われ方をして読者に届くかわからない。
食品は危険だ。
となると、チロルチョコレート型携帯ストラップあたりが無難なのでは?
など、さまざまなことが思い浮かびます。
まぁ、いづれにいたしましても、わたくしも単行本待ちでございますか。
連載が長く続くとよろしいですな。
追記:
「本の雑誌」2009 5 草むしり早弁号(本の雑誌社)
特集=二〇〇九年、私の(秘)(原文は○のなかに秘)新作! で、
木村航先生が何か書いておりましたので(p.16) 、
このことについても実は書いていたのかな?
と思って図書館で見てみたのでございますが、
残念ながらございませんでしたな。
名前が出てきたのは、
茗荷屋甚六名義のアダルトゲーム
『Forest』(ライアーソフト)
のみ。あとは、
文芸書の新企画を準備中。
ライトノベルは、4~5レーベルで新作がでる予定で、それに忙殺されている。
ただし、この業界は不人気打ち切りがフツーですので……
とのことでございました。
ランダムダンジョンタイプと申せば、『風来のシレン』などコンピュータゲームにもいろいろあって、それもものすごく面白いのでございますが、今回は非電源タイプのもので。
もちろん『風来のシレン』はとめどころなく1000回どころか6~7千回ぐらいは遊びましたけどね。
1000回遊べるなんて、内容に偽りありですな。
さて、
わたくしの知る限りでは、
非電源タイプのランダムダンジョンは、
ダンジョンものと
オープンフィールドものの
2つに分かれます。
ダンジョンものは、
「ドンキーコマンド」がもちろんそうでございますし、
「レベルアップ型RPGのための恐怖の無限迷宮」
(『RPGゲームマスターになる本(1)【体験編】』)
「ソロプレイ・ゲーム」
(『ダブルムーン伝説―TRPGシステムブック』)
なんてところがございます。
持っていないのでわかりませんが、『デスメイズ』なども
この中に入るのでしょうな。
敵との戦闘、罠、財宝など、
ダンジョンものの基本を行うゲームで、
一般的な、あるいはある特定のTRPGについてのルール(とくに戦闘ルールですな)
を理解するために作られているものが多いようでございます。
オープンフィールドものとしては、
『四人のキング』や
『ミストキャッスル』などですか。
『ウィッチクエスト』も、この中に入りましょう。
単純な戦闘ルールのみのゲームではなく、
双方向移動型のゲームブックとしての物語性を持たせたものが
このタイプと申せましょう。
『ウィッチクエスト』の場合はちょっと異質で、
「ストラクチャーカード」(地図として並べるカードですな)だけでは、
単なるフロアタイルということになってしまいます。
が、
ルールとして「遭遇表」があり、
そこで起こることの例が書かれているので、
そこに物語の要素が見出されるのでございますな。
ほかにもあるとは存じますが、
これらはあくまで一例ということにございます。
さて、
ここでこれより話題にいたしますのは、
このうち前者のダンジョンタイプの
ランダムダンジョンでございます。
このタイプ、結構好きですな。
「ドンキーコマンド」などは、
前回ご主人さまが紹介してくださいましたとおり、
ひとつひとつの壁に対してサイコロをふって
チェックするものでございますから、
暗闇で手探りで進んでいく感じがあって、よろしいのでございます。
『RPGゲームマスターになる本(1)【体験編】』の
「レベルアップ型RPGのための恐怖の無限迷宮」は、
トランプを使って、部分部分の種類を決めるタイプですな。
数字(A,2~K)はそれぞれ、
┃
┏
┓
┫
┣
┳
╋
小部屋
向こうに通り抜けられる小部屋
大部屋
階段
斜路
穴
スート(スペード・ダイヤ・ハート・クラブ)は
休憩
怪物
アイテム
アクション(聞き耳を立てる・走る・鍵をあける・酒を飲むなどをやはりカードを使って決定する)
となっております。
アクションをカードで決定するあたり、
ルールの理解やチェックのための
テスト的な性格が強うございますな。
『ダブルムーン伝説RPG』の「ソロプレイ・ゲーム」は、十面体ダイスを使うタイプでございます。
部屋はダイスにあわせて、
行き止まりの大部屋
(向こう側に)通り抜けられる大部屋
一本道 (┃)
曲がり道(┓)
T字路 (┳)
十字路 (╋)
(四方向に通り抜けられる)広間
行き止まりの小部屋
(曲がって通り抜けられる)小部屋
行き止まり
となっております。
で、部屋に入った場合には、
各部屋の決定表で
怪物や罠、階段とか泉とか宝物とかを決定し、
そのイベントを解決するのでございますな。
これ、結構まとまっていて遊びやすいと存じます。
わたくしも何度もプレイいたしました。
…… ……
とまで申しますと嘘になりますな。
確かに遊んだのでございますが、
プレイしたと申しましても、
戦闘や各種チェックまでやったのではないのでございます。
ただひたすらサイコロをふって、
ダンジョンをのばしていくだけ。
で、
もう伸ばせる場所がなくなるところまで行ったら、
そこでゲームは終了。
通路は1点、小部屋は2点、大部屋は3点
といった感じでポイントを集計し、
高得点を目指す、
というような感じでございますな。
あれっ?
階段が出るか、マップの別の辺(対辺?)に出たら生還、それ以外は死亡
というルールを入れたかもしれません。
えっ?
モンスターやワナ、財宝の得点は?
ですって?
たしかに考えはいたしましたが、何しろ個人的なハウスルールでございますからな。
そこまで凝ったことはやらなかったように存じます。
とにかく、ダンジョンを伸ばしていくのが楽しい のでございます。
このゲームの場合、
『RPGゲームマスターになる本(1)【体験編】』の迷宮と違って、
マップタイルをどの方向にしても良いみたいでございますからな。
サイコロの出目にまかせたランダム性だけではなく、
どう傾けるかの部分に考える余地が出て、
楽しいのでございます。
何人かでやれば、妨害の要素も出て、さらに楽しゅうございましょう。
映画『トロン』の「ライトサイクルゲーム」みたいな感じでございますが、
一つの通路をふさがれても、別に途中の通路があれば、そちらを伸ばすことが出来る辺りが
ポイントでございますな。
まっ、このようなゲームは、
すでにあるかも……とは存じますが、気にしない!
楽しければよいのでございます。
《参考》
『ダブルムーン伝説―TRPGシステムブック』
(大貫 昌幸 著 1991/6 角川書店 コンプコレクション)
p.142~145「ソロプレイゲーム」
『RPGゲームマスターになる本(1)【体験編】』
(朱鷺田裕介 著 1992/2 マイクロデザイン出版局)
p.134~138
「チェックリストその2:レベルアップ型RPGのための恐怖の無限迷宮」
(ちなみに、チェックリストその1は、「初仕事は龍退治」。
シナリオをたどっていくことで、そこで起きるさまざまな状況を、
そのシステムでどのように解決していったらいいかをチェックする)
『ウィッチクエスト2 エディスと猫のいない街 下巻』
(冒険企画局(*) 編著 九月姫イラスト 1991/11
発行 宙(おおぞら)出版/発売 主婦と生活社)
口絵(付録?)
「ストラクチャーカード」
p.19~50
「サプリメント・ストラクチャーカード」
(*)
わきあかつぐみ:企画・基本ルール
(この巻での担当は、追加魔法、ワールドガイド、付録シナリオ2)
奈那内さなぎ:リプレイ編のシナリオならびにゲームマスター
(この巻での担当は、ストラクチャーカードの細部、ワールドガイド)
近藤功司:ストラクチャーカードのオリジナルアイデア
佐藤明子:アシスタントスタッフ
ゲームデザイン アル・シダータ
TACTICS No.3 1982 May-June
(ホビージャパン 昭和57年5月)
p.28-37
RPGを理解するための一助として、
前回紹介した
「冒険のシミュレーション シミュレーションの冒険」
という記事の下に置かれていたゲームがこの
「ドンキーコマンド」だ。
ゲームとしては
ランダムダンジョン型のソロアドベンチャーで、
付随するルールもこのゲームのためのものであり、
RPGシステムとしてはかなり限定的だ。
作者のアル・シダータなる人物については、
ぐぐってもよくわからなかった。
ただ、「デザイナーズ・ノート」(p.37)を読むと、
このゲームは、上記記事のために作られたものらしいので、
この人物も、記事の作者、高梨俊一先生にかなり近い位置にいた人物と思われる。
訳者も書かれてないし、翻訳というわけではないだろう。
ジャンルは、コマンドという単語からわかるとおり、
現代(もしくは近未来)の特殊工作員もの。
スパイものといったほうがわかりやすいだろうか。
現代ものにしたのは、
シミュレーションウォーゲームの専門誌である『タクティクス』誌の読者には、
現実的な舞台のほうがわかりやすいとの判断だろうか。
もしくは、
別ページ(p.38)に載っている「放浪の騎士エルツリグナーの冒険」が、
ファンタジーRPGのリプレイ(本邦初のリプレイですね、多分)なので、
それとは別ジャンルにしようとしたのかもしれない。
だとすれば、
RPGにはいろいろなジャンルがあるので、
ひとつにかたよってはいけないという配慮が働いた、
ということになる。
ミッションの内容は、
A国にある秘密基地に潜入し、出来うる限り内部を破壊し、かつ機密文書を持ち帰れ、
というもので、
ヘリコプターで到着、脱出し、エレベーターで階を行き来するあたり、
どうもタイトー社の『エレベーターアクション』を連想してしまった。
能力値は、
「耐久力」、「体力」、「運」、「知識」、「反応」、「正確性」、「ボーナス」の6つ。
このうち、ボーナスというのは、
「反応」と「正確性」の合計が高い場合に与えられる特殊能力のことで、
ナイフ投げ、空手、暗示能力などがあり、サイコロを振って決める。
ゲームの手順を紹介すると、
まず隣のマスに移動して
(ドアを通過する場合は、ここでアクシデントチェック。
転んだり、レーザー兵器にやられる場合もある)、
そのマスの三方向に対してサイコロをふり、
壁か
ドアのある壁か
どちらでもないか
を判定する。
さらにその隣あった空間(壁も扉もないところ)についても壁チェック。
壁などがない場合、
そうしてできた十字の5マスがコマンド(=君)の視界となる。
(壁がある場合は、当然そこで視界はさえぎられるので1~4マス)
次に、その視界内の敵をチェック。
自分のいるマスと、まわりの空間マスに対して
ひとつひとつ敵がいるか、何人なのかを
サイコロを振ってチェックする。
敵がいたら戦闘だ。
戦闘時に取れる行動は、
持っている武器や
状態(立っているかなど)、
特殊能力
などによって異なるが、
連続射撃
単発射撃
ピストル射撃
手榴弾投てき
ナイフ攻撃
ナイフ投てき
白兵戦
ATR攻撃
空手
マガジン交換
武器交換
伏せる
立つ
降伏勧告
逃げる
があり、それぞれに消費運動ポイントが定められている。
戦闘解決は、簡潔ながら本格的。
ウォーゲームの専門誌だけに、それは当然なのかもしれないが、
このルールを見るとやはり、「タクティクス」の読者向けということで、
舞台を現代にしたのでは? という感が強くなる。
戦闘がおわると、調整フェーズという段階に入る。
回復、
装備の変更、
敵を10人倒すごとにサイコロを振り、2以下で能力アップ
(レベルアップに相当する。どの能力がアップするかはサイコロで決定) 、
などを行なう。
ただし、
現在いるところが
部屋(壁、もしくは扉つきの壁で四方が囲まれているところ)だった場合には、
その前に「奪取」「爆破」など、その部屋に対応した任務を実行する。
それが終わったら、移動……
というふうに繰り返して、
任務を果たしてエレベーターホールまで戻ってこれたら成功、
気絶なら失敗というわけだ。
このゲーム、読んだ当時はやっていない。
プレイしたのはゲームブックをやり慣れてからだ。
そのときの印象としては、かなり楽しくプレイできた。
もっとも、改めてルールを読み返してみると、
だいぶルールを簡略化してプレイしていたのかもしれないが……。
TACTICS No.3 1982 May-June
(ホビージャパン 昭和57年5月)
p.28-38
もともと、 新しいゲームの波というものには興味があった。
シミュレーションゲームもその一つであったため、
それを扱っている「タクティクス」誌も気にはなっていた。
だが、1号も2号も扱っているのは、ヒストリカルなウォーゲーム……。
それには興味がなかったため、パラパラと見るにとどまっていた。
それが3号になってSFゲームの特集をやってくれることになり、
ようやく手にする気になったのだ。
といっても、プレイしたゲームはなかった。
一応、 『宇宙の戦士』はもっていたが、
まわりにSFファンはおろか、アニメファンもおらず
(いや、いたにはいたが、興味の方向が全然違っていたのだ)、
こんな面倒なゲーム、誘っても、あいまいな笑みを返されるだけだった。
(だいたい私自身、ルールをちゃんと把握してなかった……)
まあ、それはさておき、
ご存じの方も多いと思うが、この号は、
日本において、おそらく初めて
ロールプレイングゲームというものが、紹介された号でもある。
「冒険のシミュレーション シミュレーションの冒険」
(解説 高梨俊一 p.29-38)
が、その記事だ。
ただ、正直言って、読んだときは ? だった。
何をやるゲームなのかわからない。
いや、
どういうゲームなのか、概念さえわからなかった
といった方がいいだろう。
トラベラーについて、 「箱を開けると三冊の小冊子しか出てきません」 (p.28)と書かれている。
にもかかわらず、
ボードや駒が入っている、シミュレーションゲームと同じぐらいの値段だというのか?
しかもゲームの概容は、 「一言でいえば『ごっこ遊び』」 (p.29)だという。
「子供のごっこ遊びが、身ぶりでシミュレートするのに対して、
ロールプレイングゲームは言葉でシミュレートします」(p.29)
とあり、その方法が書かれていたが、それがどう面白いのか謎だった。
記事の構成も、わからなさに拍車をかけた。
「まず、頁の上段に解説が、
頁の下にはトライアルゲーム「ドンキーコマンド」があります。
そして最後の頁(p.38)には、実際にプレイしている様子を会話形式で再現した、
「放浪の騎士エルツリグナーの冒険」が置いてあります。」(p.29)
なのだが、
解説が、
その概念、ルール、シナリオ、ゲームマスター、どんなゲームがあるかなど、
ひと通りの紹介、
トライアルゲームである「ドンキーコマンド」が
現代が舞台のルール主導のもの、
「放浪の騎士エルツリグナーの冒険」が、
リプレイ形式(つまり会話中心)のファンタジーもの、
ということで、
ロールプレイングゲームという幅の広いジャンルを紹介しようとすれば
このような形になるのもうなづけるが、
会話中心のファンタジー、
ルール主体の現代もの、
さらに、
あらゆるジャンルに渡るさまざまなゲームが存在していて、
しかも、
シミュレーションゲームとは違うまったく新しい概念のゲーム、
となると、結局のところどういうものなのか、とまどうのも当然だろう。
今読めば、
ロールプレイングゲームというものを
ポイントを押さえてまとめていることがわかるが、
初めて接するものには、
この説明だけで懐が深いRPGを理解することは、
ちょっと、いや、かなり難しいと思うのだ。
(ホントは「ドンキーコマンド」を紹介するつもりだったけど、時間切れ。次回にまわします)
3D視というのは、ご存じですよね。
2枚の並んだ写真、
もしくは
あらかじめそのように作られた連続した模様が描かれた一枚の絵を、
ぼんやりと眺めていると、
その絵なり写真なりが
浮かび上がって……、
というよりもむしろ、奥行きをもって、
立体的に見える
というものでございます。
これは、視線の焦点をずらすことにより、眼を(脳を)、
ごまかしているために、そう見えるのでございましょう。
『ジュラシック・パーク サバイバル・ゲーム』
(J・P・クルーズ著 岡田良記・イラスト 1993/7 二見書房)でも、
この3D視が使われておりましたな。
赤外線スコープの双眼レンズをあらわす2つの丸に、
白黒のドットでわけの分からないものが描かれており、
その2つの丸を立体視の手法で見ることにより、
一つの絵が浮き上がるというものでございました。
新しい遊びをゲームブックに取り入れているのは、
二見書房の作品らしくて評価に値するのでございますが、
白黒でしかも紙質が新書のそれでございますから、
答えとなる3Dの映像が見にくいこと。
まぁ、それが赤外線スコープの感じを出していたとも申せますし、
クイズとしては正しい という考え方もできますが――。
さて、この立体視、
作り方については、いろいろなところで紹介されていると存じます。
まだらな模様の方は、面倒くさいのでパスですが、
(と申しますか、読んでない……)
2枚の写真を並べる方式の方は、
なんでも、視点を少し変えた写真を2枚並べることで出来るのだとか。
まぁ、ここら辺までのことは、知っていらっしゃる方も多ございましょう。
ですが、もっと簡単な方法があることを知る方は少ないのではないのでしょうか?
単純に、奥行きのある絵なり写真なりを見るだけならば、
別に視点をずらす必要などない。
要するに、
同じ写真を2枚並べ、立体視の要領でそれを見れば、
そこだけ奥行きのある、向こう側に引っ込んだような感じに見えるということでございます。
知っている方が少ないのでは? と思ったのは、
わたくしもこれ、偶然、自分で発見したからでございますよ。
いや、最初見たときはびっくりいたしました。
ちょっと試してみてください。
今パソコンでこれをご覧になっているのでしたら、
一番簡単なのは壁紙ですかね。
それを、「並べて表示」するもの(模様みたいなのが、無数に並ぶやつですな)に変え、
立体視してみてください。
画面全体が奥まって、結構壮観だと思います。
立体視は眼にもいいという話も聞きますから、
作業に飽きたときにやってみるのもよろしいかと存じます。
あとは、お風呂とかですね。
格子状に並んだタイルを、ぼんやりと眺めておりますと、
やはり奥まって見えてまいります。
そのまま、引き込まれて異世界に--。
な~んて話もできそうでございますな。
湯船に使っているときにでも試してみてくださいな。
この立体視、応用もききます。
2枚の絵が並んでいる、と申せばすぐに思いつくと存じますが、
間違い探しに役に立つのでございます。
適度に並んだ2枚の絵を、やはり立体視の要領で見ますと、
違っている部分はそこだけ合わないものでございますから、
何かチラチラとするのでございますな。
ですから、そこが間違いということに相成ります。
ただ……。
この方法、実はそんなに万能ではないのでございます。
まず、
間違い探しの2枚の絵なり写真なりが、
適当な大きさと位置になければなりません。
そうでないと、2枚の絵を1枚にするのにひどく苦労することになります。
うまい位置と大きさになければ、無理なこともしばしば……。
もう一つ難点なのは、
結局、見つかりにくい間違いというのは、立体視をしても見つかりにくい
ということでございます。
最後の一つと申すのは、微妙だったり小さかったりして、
結局わかりにくいのでございますな。
これは、問題にもよりますが。
そして、3つ目。
2つ目とも関わってきますが、このように立体視してみても、
ふつうに間違い探しをするのと時間的にあまり変わらない ということでございます。
これも問題によるのでございましょうけどね。
まあ、
そのように使えるかどうかを考えますと微妙でございますが、
立体視をすること自体が楽しいので、一度やってみてくださいな。
なお、この間違い探しの解き方は、
昨今流行の時間で徐々に変わっていくものなどには使えません。
さすがにそれは、無理難題と申すものでございます。
ゲームブックのブームは、1990年代を待たずして衰退した。
「Wikiペディア」にはそのように書かれている。
この「1990年代を待たずして」というのは、人によりブレがあるだろう。
ある人は、1988年ぐらいを考えているかもしれないし、
別の人は'90年代に入ってもブームの余韻はあったと思っている人もいるかもしれない。
私はそのどちらにも与しない。
ゲームブックのブームは、もっと早い時期、
『火吹山の魔法使い』が刊行されてから、1~3年で終わった
と考えている。
『火吹山の魔法使い』が日本で出版されたのが1984年末だから、1985年ということとして、
1986年から1987年末あたりまででブームは去ったということだ。
「ウォーロック」誌を持っている人限定で言うと、
第四号(1987年4月) 「(こんなゲームブックが出た! 1986ゲームブックリスト)」
と
vol.16(1988年4月) 「こんなゲームが出た! (1987ゲームブックリスト)」
あたりまでがゲームブックのブームということだ。
1~3年のなかで、3年(1987年あたりまで)というのは、わかりやすいと思う。
何しろ、その次の年の総括である、
vol.29(1989年5月) 「こんなゲームブックが出た! (1988ゲームブック総リスト)」では、
ゲームブックの数が半減しているのだから。
そのため、この特集では、
ゲームブックだけではなく、
TRPGやゲーム小説、それにゲーム攻略本などの関連書
まで扱っている。
そこには、編集者のゲームブックからTRPGへという意図が読み取れるが、
それだけではなく、
実際にゲームブック自体が、もはやブームではなくなっていることを示している。
では、2年(1986年あたりまで)というのは?
「ウォーロック」誌の発刊は1986年12月、
まさに『火吹山の魔法使い』から2年目ということになる。
とすると、
「ウォーロック」は、ブームが去ったあとに出た
ということなのだろうか?
そのとおりだ。
「ウォーロック」誌 vol.63(休刊号)p.59には
創刊時の状況について
「当時のゲーム界の状況は、ゲームブックのブームが一段落して、
その後の展開を模索しているとき」
だったと書かれている。
つまり、創刊以前の時点で、ブームはひとまず終わったと見ているのだ。
さらに、1年目にしてブームは去った という考えも出来る。
というのは、 「EQ」誌 MAR'86.No.50に、
次のような文章があるからだ。
「EQチェックリスト鼎談」p.159
数藤(康雄) 現象面で挙げれば、『火吹山の魔法使い』が文字どおり“火付け役”となって、この一年爆発的なブームになった〈ゲームブック〉の流行があります。あまりの数の多さとワンパターン化に、さしもの「EQチェックリスト」でも、書評対象からはずしたという……。
つまり、この頃には他ジャンルからの注目がなくなってきたということだ。
1990年近く と、
『火吹山~』登場から1年。
この差は、
ブームというものに対する考え方の違い
によるものだと思う。
「1990年代を待たずして」とお書きになった方は、
おそらく、当時小学生か中学生(決めつけはよくないが)で、
その頃もゲームブックファンだった人だろう。
つまり、ブームの渦中にいた人間だ。
だが、 ブームというのは、
その中心となる場所にいるもの以外からも注目されなければ、
本当のブームとはいえないと思うのだ。
本来なら取り上げるはずもない雑誌などで紹介され、
その分野に対して興味のない人からも話題にされ、
便乗した商品が世に出回る……。
そのように、世間の注目を集めてこそはじめてブームといえる。
そして、その時期というのは、
『火吹山の魔法使い』から1年ぐらいだと思うのだ(*)。
(*)
『火吹山の魔法使い』がそうした作品であったことは、『バルサスの要塞』のオビを見てもわかる。
「朝日新聞、各地方紙、BRUTUS、BOX、ログイン、週刊文春、宝島ほか多数の紙誌で紹介されました。」とあり、そのあとに「POPEYE」誌の評が載っている。
どういう紹介のされ方をしたのかはわからないが、そのようにマスコミに取り上げられることでゲームブックブームは大きくなったともいえる。
その後の2年――1986年~1987年というのは、
内部での熱気がまだあったころ。
そして次の1年は、その熱気が盛りをすぎたころといっていいだろう。
「ウォーロック」誌
vol.29(1989年5月)
「こんなゲームブックが出た! (1988ゲームブック総リスト)」
p.12「ことしも春が来た! ~88年、ゲームブックシーンを総括する~」(近藤巧司)
では、
1985~1988年までを、次のような言葉でまとめている。
1985 「ゲームブック元年」
何もかもが手探り状態の混乱の時代。
1986 「混乱と淘汰の年」
粗製乱造されたピントはずれな本が姿を消し、実力ある舶来のゲームブックがもてはやされた。
新しい様式を探る時代が終わりを告げた時代。
1987 「安定と文化の年」
各社がスタイルを決定し、独自のセンスで安定したゲームブックをリリースしていった時代。
1988 「先鋭化の年」
ゲームブックは、巨大化、システムの複雑化、難易度のアップをしていき、
専門化すると同時に、一握りのマニアのものになってしまった。
これは、正しい分析だと思われる。
この流れからいっても、やはりゲームブックのブームというのは、
1986~87年あたりまでという判断で、正しいと思うのだ。
ブームというのは、たいていがそのようなものだと思う。
「ヨーヨー」でも「なめ猫」でも「ガングロ」でも「スウォッチ」、「たまごっち」でも、
「お笑い」でも「バンド」でも、
ブームとして話題になったものなら何でもいい。
少し思い出してみてほしい。
そのブームの中にいて、それに熱心に取り組んだ人にとってはともかくとして、
端(はた)から見た場合、ブームというのは案外短いものではないだろうか?
もちろん、もっと命脈を保ったブームの例をあげる人もおられよう。
アニメやガンプラなど、最初にブームになったときから、
ずっとブームが続いていると主張する人もいるかもしれない。
だが、そのようなものは文化として定着したというのであって、
ずっとブームが続いているとは言わない。
それに、最高潮に盛り上がったときから比べれば、
そのポテンシャルはいくらか落ちているはずだ。
さらに、何も関係ない人まで話題にしたり、手にとったりとなると、
その期間は、ますます短いものとなるだろう。
もちろん、ポテンシャルの高い文化の場合、その波が何度も来ることもある。
だが、ブームというべきはその波の部分だけであり、
それ以外の部分も含めてブームがずっと続いているとは、
私は言わないと思うのだ。
『いぬかみっ! Exわんっ!』
有沢まみず イラスト/松沢まり (2007/9 電撃文庫)
p.11-102
ついでなので、 引き続き、第一章のほうについても書いておきましょう。
う~む、ライトノベルの最初は、
新井素子先生の「あたしの中の……」にしようと思っていたんですが。
まあ、あまりこだわっていると何も書けなくなるので、
順序や形式は気にしないことにいたします。
というわけで、「襲来! 赤道時子」でございますが、
読んでいるうちは、どうなることかと話の行方を追っていたのでございますが、
読後思い出してみますと、意外にオーソドックスな展開でございました。
どんな感じかと申しますと、
(ネタバレが嫌いなかたは、以下の文章を読む前に、作品を読んでくださいませ)
主人公のもとに、小学校低学年のときに結婚の約束をしたという
赤道時子さまが押しかけてきます。
その結婚の誓いというのは、
まあ予想がつくでしょうが、子供時分のことですし、
そのあと彼女はすぐに転校していってしまいましたし、
要するに赤道さまのほとんど一方的な思い込みなのでございますが、
思い込みの強い彼女のこと、強引にことをすすめようとするわけですな。
で、啓太さまの犬神であり、恋人(といっていいよね)である
ようこさま(犬神ではなく実は妖狐だったりするのですが)
と対立するわけでございます。
『うる星やつら』で申しますと、
ラムとしのぶが、
諸星あたるをめぐって全面対決という感じですかね。
ようこが火炎使い、
時子が巨大なハンマーをふり回すあたりも、
『うる星やつら』の二人と似た感じが……
(まぁ、他の技もあるのですけどね)。
直接対決ではアパートごと壊れてしまう!
そう確信した啓太は、どちらが自分の嫁としてふさわしいか、
テストして決めるとふたりに申しわたします。
まずは、料理対決。
結果は……。
……。
パターンどおりと申せば、
まあ予想がつきますな。
啓太の作ったものが一番おいしいということに。
それではと、
犬神つかいの本業である、邪霊退治のアシスタントとして
どちらがより役に立つかで判断しようと、
実際に、二人を
現場である洋館に連れて行くのでございますが。
二人が対抗心むき出しに力を振るいあったために、
恐ろしいことにあいなりまする。
邪霊たちは許しを乞うて逃げ惑い、
それを二人が狂気の笑みで追いかけ……。
邪霊は退治できたものの、
二人のありあまるエネルギーは啓太に向かい、
彼女たちはふたたび一触即発に――。
とここで、調停者の登場でございます。
オーバーロード、水戸黄門の印籠、デウス・エキス・マキーナ、
何と呼んでもよろしゅうございますが、
時子さまのお母君が
微笑みながら圧倒的な力でこの場をおさめます。
彼女には逆らえず、
結局、時子とようこは座禅をさせられるはめに――。
というわけで
わかりますでしょうか。
この種の話としては、一つの典型でございますな。
ただし、そのオーソドックスな展開をちゃんと読ませてしまうあたりは、作者の力量だと存じます。
特に、キャラクターの暴走っぷりが良いですな。
前書きで、
(流れが変わってしまったため、本編では出せなくなってしまったけれど)
「時子は自分が創作してきた女の子の中でも一、二を争うくらい気にいってます」
と書いているだけのことはございます。
というわけで、しっかりと楽しい作品でございました。
