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2024/05/05 國學院大學博物館を紹介した番組(Bs-12)で、縄文時代の火炎土器について、「土器のガラパゴス化」とおっしゃっておりました。なるほどー。日本人って先史のむかしから、独自の発展をさせることに長けていたのでございますな。
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 いろいろ考えてみたところ、2つだけ、シン・仮面ライダー
とにかく書きたいことができましたので、
それだけ書いておこうと思います。
 
一緒にしちゃいましたが、
2つは別の話でございます。
 
それと「書きかけの感想」でも書いたとおり、
わたくしの感想は、
 
 いやぁ、面白かった。
 でも全然、『仮面ライダー』じゃねぇ!
 
 でございます。
 
 
 
 

1、『シン・仮面ライダー』は何がダメなのか。

 
「シン」シリーズとは何か、と申しますと、
庵野先生のなりきり劇場だと思うのでございますよね。
 
 原作が大好きだ。
なりたい。なろう。なったらどうする、どうなるんだという、
そういうなろう系ではないなろうで作っているのだと
思うのでございます。
 
 そこが普通のリメイク作品とは違うところでございますな。
 
 そういたしますとね、
 
 ゴジラの対策チームは、別にどんなキャラでもいい。
 ウルトラマンのハヤタ隊員も、大してキャラクター性は強くない。
 エヴァンゲリオンは始めから自分の作品だからまったく問題ない。
 
 でも、本郷猛は違います
 
 時代劇の主人公、水戸黄門ですとか暴れん坊将軍のように
明確なキャラクター性を持っております。
 
 それを変えると成立しない。
 ニセ黄門様やニセ将軍様になってしまう。
 
 とにかく、
仮面ライダーの世界と庵野先生の世界では同じように見えるかもしれませんが、
圧倒的に違うのでございますよ。
 
 何が違うのかというと、
『仮面ライダー』は物語の世界、
庵野作品はフィクションの世界なのでございますな。


 なぞのまとめ「2018/08/20」に書きましたが、
ギルバート・ケイス・チェスタトン先生の言葉に次のようなものがございます。
 
「民話は、人間精神が正気なのに、
 宇宙が途方もなく脅威に満ちていることを示そうとする。
 リアリズムは、世界がつまらなくて型にはまっている一方、
 人間精神が病んで悲鳴をあげていることを示そうとする。
 (……)
 おとぎ話では、宇宙のほうが狂うのに主人公は狂わない。
 現代小説では、まだ始まらないうちから主人公が狂っていて、
 宇宙が厳しいくらい狂いがなく、残酷なくらい健全なのに苦しんでいるのさ。
  
(G・K・チェスタトン著作集4『棒大なる針小』(春秋社)p.223)
 
『仮面ライダー』も『シン・仮面ライダー』も
 宇宙が狂っていて、主人公も心に闇をかかえている。
  
 チェスタトン先生の時代とはそこが違っておりますが、
しかし『仮面ライダー』の主人公は世界に対して前を向いているのに対し、
『シン・仮面ライダー』の主人公は自分の心に向いている。
  
 まぁ、『エヴァンゲリオン』の前と後の人物像の違いでございますな。
  
 ですから、
『シン・仮面ライダー』では『仮面ライダー』の主人公を
新しい主人公像に置きかえたわけですが、それがダメ
 
 時代劇の主人公同様『仮面ライダー』も、
そのキャラクター性によって成り立っておりますゆえ、
それを変えてしまうと、1号ライダー、本郷猛ではないのでございます。
 
 
 
 
  
  

2、死神グループとは何か。

 
ショッカーは内部にファウストとショッカーという2つの組織があり、
死神と呼ばれるイワン博士はショッカーの中でも「絶望派」と呼ばれている。
 
シン・仮面ライダーSHOCKER SIDE-』に拠りますと、そういうことでございますな。
 
 ではその絶望派とは何か。
 
 マンガを読んでいるときは、
 現実に絶望している人の集まりなんだろうな、
 その人たちが無軌道な性格なんだろうな、
 と素直に思っておりました。
 
 ですが、映画を見て疑問に思いました
 
 この怪人たちって、何に絶望してるの? って。

 その問いにセリフで説明してくれる怪人もおります。
 でも、言葉だけなんですよね。
 
 それが迫ってこない
 
 なんか楽しげなんですよね。
 
 怪人になってプラーナを吸収した多幸感なのかも知れませんけど、
とにかく絶望が表現されていない
 
 イチローや、本郷猛の心の傷にしても映像としてみせられるけど、
なんか上っ面な感じがする。
 
 庵野監督、絶望を描けないって事はないよなぁ。
 テレビで2~4クールぐらいないと無理なのかなぁ、
 
 などと思いもしたのでございますが、ふと思いつきました。
 
 これは絶望ではないのではないか。
 では何なのか。
 そう考えるわけでございます。
 
 死神、死神博士=天本英世さん。
  
 もしかすると、
庵野監督は『殺人狂時代』をやりたかったのではないか、と。
 
 チャップリンのではございません、というボケは必要ない?
 
 もちろん、
天本英世さんが大日本人口調節審議会の首魁・溝呂木博士を演じられた
あの1967年岡本喜八監督の怪作でございます。
 
 庵野先生も好きな作品に挙げていると仄聞しますから、間違いございませんでしょう。
 
 主人公のシンジ(信治)が冴えない男だったり、
ヒロインの立ち位置も似た感じでございすし。
 
 映画ではスタイリッシュな映像が
『殺人狂時代』『なめくじにきいてみろ』
 使われたそうでございます
(見てないのか、と突っ込みが入りますなぁ。
 ちなみにもちろん、
 原作都筑道夫先生の『なめくじに聞いてみろ』は
 ブログでも記事書きましたもの、
 読んでおります)。
 
 ハチオーグやチョウオーグの場面で、
なんでこんな舞台みたいな画面にするんだろうと
思ったものでございますが、
それはその作品に対するオマージュなのでございましょう。
 
 ですから、キーワードは「絶望」ではございません
「気(プラーナ)ちがい」でございます。
 
SHOCKER SIDEにおいてクラーク様がおっしゃっております。
「深い絶望や異常な衝動に呑まれまともな判断力を失った奴らだ」
「イワンがスカウトするのもまさにそう言った危険人物でね」
と。
 
 そうした人間が
ショッカーにより特殊な殺人方法を手にしたオーグメントに改造され、
気を吸収する能力を手に入れ──
 
「気(プラーナ)ちがい」となるわけでございます。
 
 
 ですからね、
  
SHOCKERの
「Sustainable Hapiness Organization with
 Computational Knowledge Embedded Remodeling」
 イチロー君訳によりますところの
「計算機知識を組み込んだ再造形による持続可能な幸福組織」、
ケイさんがおっしゃるところによれば
「人類を持続可能な幸福へと導く愛の秘密結社」
がなんかピンとこないのも、
 (アイかジェイによって方向性を変えられたそうでございますが)、
 
 この作品のショッカーが、
『仮面ライダー』のショッカーとなんか違っているなぁと感じるのも、
 そのため。
 
死神派が『殺人狂時代』に由来しているからでございます。
 
 つけ加えますとですから、
 SHOCKER SIDEのファウスト
『殺人狂時代』のナチスということでございましょう。 
 
『殺人狂時代』では信治の体内に埋め込まれたものを狙っていたみたいなので、
鍵かプラーナあたり、そういうものなのかも?  しれません。
 
 
 まとめますと、ですからですね、
 
『シン・仮面ライダー』と銘打たれてはおりますが、
敵も味方も『仮面ライダー』ではないのでございますよ。
 
 そこら辺が、
『シン・仮面ライダー』が『仮面ライダー』とはまったくの別物と感じる理由だと、
わたくしは思う次第でございます。

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