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2024/05/05 國學院大學博物館を紹介した番組(Bs-12)で、縄文時代の火炎土器について、「土器のガラパゴス化」とおっしゃっておりました。なるほどー。日本人って先史のむかしから、独自の発展をさせることに長けていたのでございますな。
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さらば愛しきハリウッド
『ルパン三世ゲームブック
 さらば愛しきハリウッド
 復刻版』
吉岡平 
高橋信之(STUDIO HARD)::著

塩田信之:編
(双葉社/2021/10)
 
背が黄色くないじゃん!!
 
双葉文庫版を知っている人は、
それを目当てに探すでしょうに。
 
それでなかなか
見つからなかったのか!!
 
 というわけでもございませんが、清水の2~3軒の書店にはございませんでした。
 
コロナワクチンを射つために静岡に行ったおりに、買うことが出来ました。
 
 
 ここでは主に、双葉文庫版も持っている方を対象にして話を進めてまいります。
 


 というわけで、復刻版でございますが、
編者塩田信之先生のご尽力に感謝でございますな。
 
 
 なんと申しましても、出版にこぎ着けたことがまずすばらしい
 
「ルパン三世」50年という好機があったにせよ、
先生の熱意に並々ならぬものがあったゆえだと思います。
 
 さらに編集者としての仕事。
 
 このご本における塩田先生の役割を、
冒頭の「ルパン三世 ゲームブックとは」や、
資料編の文章だけと思っている方はおられませんよね?
 
 本文の編集や校正こそ、編者としての仕事の本領でございます。
 
 そこに注目してみてみますと、
1ページの文字数や行数がかなり変わっておりますが、
ザッと見たところ選択肢的な問題はございません。
 
 選択肢の問題と申しますのは、
「ハヤテのごとく!」のゲームブックで
パロディとしてやっておりましたな。
 
 例えば選択肢が4つある場合、
そのうち3つまでが同一ページで、
最後の1つだけ次のページというようなものでございます。
 
 その場合、プレイヤーは次ページの選択の存在を知らずに、
同一ページの3つから選んでしまいがち。
 
 最後の1つが重要だと、最悪詰んでしまうことにもなりかねません。
 
 本書を見てみると、それは何とかセーフ。
 
 パラグラフ268のように
選択肢がページをまたいでいるものはございますが、
最初のページに1つで、次のページの選択肢が2つ。
 
 これはセーフなんですよねぇ。
 
 1つの選択では選択肢ではございませんから、
プレイヤーは次のページを見ますからね、
ほぼ確実に。
 
 ページをまたがないに越したことはございませんが。
 
 もっともこのゲームブックの場合、選択肢が2つか3つなので、
またぎ越し問題はそれほど発生しないということもございますが。
 
 
 さらに編集の仕事として、例えば、パラグラフ160
 旧版では書かれておりませんでしたが、
項の最後に「(記録紙の行動メモに「コンバットマグナム」と記入する)」という
一文が太字で加わっておりますな。
 
 パラグラフ214には、
これを持っているかどうかを尋ねる項目がありますから、
メモしないで忘れたりするとここで詰まってしまいます。
持っていない場合は「END」でございますし。
それを修正するというのは当然なのでございますが、
ゲームブックについて知っていて、
なおかつちゃんとチェックしていないと、見逃してしまうところでございます。
 
 ちなみに、パラグラフ160で次元が新しく手にする銃ですが、
これは、フリーダムアームズ M83という
1983年に作られた代物のようでございます。
 
 .454というのは、その銃に込める弾丸の名前ですな。
 旧版では、・454と表記されておりましたが、
新版ではその「・」を取って、単に454と表記されております。
 
 さらに校正を見てまいりましょう。
 まず、五右衛門が五ェ門になっておりますな。
 今の標準に合わせたのでございましょう。
 
 ドラえもんは、ドラ●もんと墨をつけられておりますな(302)。
ド●えもんとしなかったのは、ドクロマル ラ エモンと読まれたくなかったから?
 
 何か問題があるのか、それとも軽いくすぐりとしてか、
とりあえずこうしたのかは分かりません。
ちなみにダースヴェーダーのほうはそういう変更はございません(353)。
 
 
 制作している映画のタイトルは、
『ザ・リベンジ・オブ・ニンジャ』から
『リターン・オブ・ニンジャ』に変わっております。
 
 これは、『ニンジャII/修羅ノ章』の原題と同じだったため、
変更したのでございましょう。
1983年の作品だそうでございますから、
旧版の時点でアウトでございますな。
 
『スターウォーズ』エピソード6のような変わりようが、
パロディっぽくって面白うございます。
 
ちなみに『リターン オブ ザ ニンジャ」は
欧州版ゲームボーイカラーに同タイトルがあるそうですが、
よく分かりませんでした。
 
 銭形と組むロス市警の警官、
マイケル・J・マシューさんは、旧版では黒人となっておりましたが、
新版ではその表記が消されております。
これも時代の流れというところでございましょう。
  ……。
と書きましたが、プロローグp.26で次元が
「あの黒人のお巡り(コップ)、大した腕だ」って言っちゃってるんですよね。
セリフだからいいのか……な。
 
 
 誤字もちゃんと修正されております。
 例えば、旧版p.13
「A 体力ポアイント」となっていたのは、
復刻版では「A 体力ポイント」となっております。
 また、パラグラフ283の(武器/体力とも1ポイント低下)という文は、
他にあわせて末尾に「します」が加えられるというように、
文の統一も行われておりますな。
 
 細かいところでは、「奴」が「ヤツ」になっておりますな。
(実は、これ勘違いをしておりまして……。
 この作品、プロローグは次元の、本文はルパンの
 一人称になっておりますから、それを変えたのかと思っておりました。
 つまり、プロローグは「俺」で本文は「オレ」という感じで。
 それならばすごいと思ったのでございますが、
 そういう風にはなっておりませんでした)
 
 
 パラグラフ38「今度こそ殺される」
 旧版ではカギカギ括弧になっていたのがただのカギ括弧になっているのは、
直す必要があったのか疑問でございます。
思ったことですから、
直すのならカッコ()にしちゃったほうがよかった気もいたします。
 
 
 かなり変わっているのが、パラグラフ150から行く、パラグラフ322
 旧版では文はなく、体力ポイントを訊かれるんですよね。
 それが復刻版では、ルパンのセリフがあり、訊かれるのは情報ポイント
  
 確かに150では体力を3も引かれるので、
 体力ポイントでチェックはつらいとは思いますが(検証しておりません)、
そのためなのでございましょうか? 
 情報よりも体力が必要そうな箇所でございますが……。
 
 跳び先のパラグラフは変わっておりませんし、
 謎でございます。
 
さらば愛しきハリウッド
 ☆ まだまだ、
  いろいろとございましょうが、
  ザッと見た感じでは
  こんなところで
  ございます。
 
 
 ゲームブックの校正は、
 ゲームブックを
 作ったことのある人で
 ないと気づかない点や、
 プレイしたりフローチャートを
 書いて調べないと分からない点が
 ございます。
 
 そういうものをきちんとおさえることは、
やはりゲームブックをしっかりと理解している方でなければできない仕事。
それを塩田先生はきちりとこなしておられますな。
 

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ルパンは悪人なのかってことで
前回のコメントでは場を荒らしてしまいたいへんご迷惑をおかけしてしまったことをお詫びいたします。鈴木銀一郎先生をあそこまで悪くいってしまったのは猛省をしております。「ディープ」が好きでたまらん、という人もいるでしょうし、そういう人に対する配慮が完全に欠けておりました。すみませんでした。

さて、本題に入りますが、ルパンゲームブックは実はほとんどやったことがありません。高校の部室に置いてあった「ダークシティの戦い」をプレイして、果てしなく広い迷路のマッピングに閉口してしまい、戸板はいいもののそれ以降は敬して遠ざける形でパスを決め込んでおります。

それでも、こうして21世紀になってルパンのゲームブックが復刊されるというのは、やはり魅力があるんでしょうね。

最近知人から数冊ルパンゲームブックをいただいたので、ちょっと試してみようと思ってます。

それとルパンで思い出しましたが、最近のFT新聞で、「悪のプレイについて」どうこう書かれた記事があり、自分はなんというか読んでメチャクチャ腹を立ててしまったのですが、同時に「では「悪人のプレイ」というのはどういうものかについて考えた結果、次の三つの条件のうち、二つ以上を満たしていることではないか、という結論に達しました。

A 法を破ること
B 道徳律を破ること
C はた迷惑な行動をすること

たとえば、カリ城のルパンはAの「法を破る」ことを行なっている状態であり、道徳律は破っていない以上、それはただのアウトロウであり、「悪人」とはいえません。「はた迷惑な行為」については、そうした行為を行なっているのは伯爵であり、ルパンはそれを沈静化させるための行動を行なっているので適用外と判断されます。

「道徳律を破っている」けれども「法をきっちり守り」「迷惑な行動をしていない」のであれば、それは内心にどす黒いものを持っているだけの「普通の人」です。デスノートを握る前のライトくんですな。

「とにかく存在自体が迷惑」なやつということでは、ダーティペアのユリとケイでしょう。ゲームで勝てないことから酒場を一軒大破させるのは日常的な迷惑至極な大破壊を繰り広げる彼女たちですが、法と道徳律の範囲内で活動しているため、「悪人」とは呼べず、単にスーパーヒロインだというだけです。

こうして悪人のプレイに3パターンが登場したわけですが、ひとつひとつ見ていきたいと思います。

「法を破る」「はた迷惑なやつ」は、「悪人」と呼んでいいでしょう。だが、それをプレイするとはどういうことなのか、です。プレイヤーはそれをひとつの「善人」としてしかプレイできないのではないか、とわたしには思えてなりません。「同情・共感できる悪人」であり、それはむしろタイムボカンの三悪のように「一種の善人」なのではないかと思うのであります。である以上、あの記事で取り上げていた「悪人」とは差異があるでしょう。

次に、「道徳律を破る」「はた迷惑」な人間。大虐殺の命令書に嬉々として署名をするナチの高級将校、というところでしょうか。しかし、そういうキャラクターというのは「本人に道徳律を破っている」という自覚があるのでしょうか、という話で。すべてが法律の枠内で進められているのなら、それはただの「ビジネスマン」であって「悪人」と呼ぶのはどうなのか、と思うのであります。

「法を破って」「道徳律も破る」やつは立派な悪人……なのかもしれませんが、「なにも迷惑な行為をしていない」というのなら、いったい法と道徳律を破ったことに何の「積極的な意味」があるのか、という話でして、「悪人」なのかもしれませんが、そんなプレイはほんとうに楽しいのか、と思います。それは同様に、三つのファクターである「法を破り」「道徳律も破り」「はた迷惑な行いをする」プレイが楽しいのかどうか、ということでもあり、そういうプレイが楽しいのであれば、それは善人プレイを心がけるプレイヤーからは隔離してしかるべき案件だろうと思います。

うーん、まとまりがなくなってしまいましたが、「悪人プレイを縛るな」というのは、「自分を隔離してくれ」というのも同然じゃないかな、と思うわけであります。プラトンでしたか「自分を悪くする」物が悪であるとするなら、それは隔離したり矯正したりするべき対象であるのではないか、と……。

ああくそっ、もやもやをまとめるだけの論理的思考能力がない! 

寝ます……。
ポール・ブリッツ 2021/11/11(Thu)00:54:24 編集
悪について、でございますか……。
申し訳ございません。当該の記事を読んでおりませんので、なんとも申せません。
 その記事と、ただ者ならぬポール・ブリッツさまのお書きになっていることとの関連性もどの程度のものなのかも分かりません。
 
 まぁ、それはそれとして。
 
 石ノ森章太郎先生のファンなので、悪についてはよく考えたものでございます。
 結果、シンプルな結論として、悪とは自分(もしくは自分たち)とそれに関わるものに危害を加えるもの、という定義になりました。
 所有物を奪う・肉体に損壊を与える・不幸にする……。
 いろいろございますね。自分だけではなく、家族や友人など、自分と関わりがあるものが危害を加えられた場合にも、人はその与えた主を悪と考えます。
 
 相手が人であるかは関係ございません。
 イナゴやハエなどは悪魔の席に列しておりますし、作物を不作にするのも、酒を酸っぱくするのも悪魔の仕業とされたりします。自分の状態が悪くなることは、みんな悪なのですな。
 
 悪人だって、自分をつかまえた警官を悪く言ったり、自分を出し抜いたヤツを悪党呼ばわりいたします。
 
 ただし、ここでカッコで書いた「自分たち」が、重要になってまいります。
 
 自分たち、すなわち所属する共同体でございます。
 誰であれ人は、いくつもの共同体に所属しております。
 本人が好き好むかは関係なく、否も応もなく、でございます。
 
 その自分と自分たちの悪は、しばしば一致しないのですな。
 
 自分が正しいと思ってやったことが、社会的には悪となることもありますし、ある集団において正義として認められていることが別の集団では悪とされることもございます。
 例えば戦争で敵を殺すのが、国にとっての正義であっても、宗教的、個人的に悪であるとか、いろいろですよね。
 
 
 さて、ただ者ならぬポール・ブリッツさまのお挙げになりましたA~Cはすべて悪だと思います。

A 法を破ること は社会的な悪。
B 道徳律を破ること 宗教、もしくは倫理に対する裏切りとしての悪。
C はた迷惑な行動をすること 世間的な悪。

でございます。

 Aならば、国(警察や軍)などとの対立があり、
 Cは世間から疎まれる。
 
 Bは、外面的には現われなくとも、文学の大きなテーマの1つ。善と悪との心の中の葛藤でございますな。
 
 外面的には、宗教的対立や迫害がそれに当たりますな。
 例えば悪魔のいくつかが、異教の神の悪意あるカリカチュアであることはご存じでしょう。
 また、とある集団が、別の集団を悪であると断じて、その建造物を破壊したり、民族を差別・迫害したりすることはよくあることでございます、
 ユダヤ人やロマ、少数民族の迫害、魔女狩りやアカ狩り……。
 それらは自分たちとは違う集団が、悪であると決めつけることから発生しております。
 
 傍から見ればやっている方が悪なのでございますが、当人たちは自分たちの正義のもとに行っているのでございますな。
 
 さて、「ルパン三世」や「ダーティペア」の例でございますが……。
 これは、主人公補正でございますな。
 
 ルパン一味はまぎれもなく犯罪者でございますし、ラブリィエンジェルのお二方は近くにいたらはた迷惑なこと他ならないかもしれません。
 
 ですが、読者はその彼らの目を通して、同調して事態を認識しております。
 つまり、定義の「自分たち」なのでございますな。
 自分に危害を加えるものが悪でございますから、自分から危害を加える方は、世間的、常識的に悪いこと、あるいは犯罪だと認識しながらも、大目に見ちゃいます。
 作品も、そのように作られております。

 加えてエンターテイメントは、作品内でつじつまが合っていればそれていいという構造になっております、
 中で車が何十台大破しようが、物語の最後まで主人公がよければオールオッケー。
 主人公たちが悪だと了解しながらも、その行為を楽しめるわけですな。
 
 さらに敵の存在と目標。
 作品の中でカリオストロ伯爵は、より悪い奴として設定されているわけですな。ルパンの悪は相対的に緩和されるわけでございます。しかも彼の目標は、お姫様の救出(最初は偽札が目当てでしたが)。古典的にヒロイックな行為でございます。
 その点も悪というイメージを弱めるものとなっております。
 
「カリオストロの城」を離れても、ルパン三世がそれほと悪と感じられないのは、彼──と申しますか怪盗全般にそうでございますが──がチャレンジャーであり、ゲームプレイヤーであるからでございましょう。
 ルパンが悪であるという要素は、怪盗という前提に押し込められ、あとは警察官との追いかけっこや、ワナの突破という要素をスポーツのように善悪の意識あまり関係なく見ることが出来るわけでございます。
 
 ラブリィエンジェルの場合は、曲がりなりにも正義の側に属する2人でございますよ?
 
 まぁ、宇宙版、女性版の『あぶない刑事』でございますよね。
 公的な組織のはみだし者が、その逸脱ゆえに組織では出来ないことをやるという……。
 トリックスター的な存在ですな。
 
 逆のパターンは、必殺シリーズみたいなのがございますな。悪と目される連中が、公的には裁けない悪に裁きを下すという。
 これも逸脱でございすな。
 硬直した世界をひっくり返すために、そのような境界を跨ぎ越す存在が必要になってくるのでございます。
 
 さてさてでもでも、それらの考察と悪を演じることはまったく関係ないと、わたくしは思います。
 悪を演じることは、自分とはまったく関係ないから楽しい、普段出来ないことだから楽しい。
 そんな要素があると思います。
 でなければ、ドラマで悪を演じる人はみんな悪人、ってことになってしまう。
 そんなことはないでしょう。
 むしろ、こんな性格ならこんな悪、を想像して演じられるのが悪の楽しさかと存じます。
道化の真実 2021/11/21(Sun)13:58:08 編集
なるほど。
すみませんよそ様のブログで毎回毎回ひとりで思考を暴走させてひとりで壁に激突して。

自分がああいう結論になったのは自分が本質的に性善説支持者で、絶対的な悪を行えるだけのキャパシティなど欠陥生物の人類には最初から存在していない、って考えているからでしょうな。そういう人間には「相対的な悪」は「相対的な善」とイコールにしか見えんわけで、見方の問題ですね……。
ポール・ブリッツ 2021/12/14(Tue)00:46:40 編集
わたくしは性善・性悪という考え方は採りません。

むかしは考えたこともございましたが。

人間は、生まれたときは世間知らずで、何をやったらいいか悪いかは、わからない状態なのですな。
 そこに教育とかしつけ、まわりの人の行動、書物・テレビなどの媒体をとおして入ってくる情報、そして自分の体験をとおして、人格は形成されていくわけでございます。
 特に体験と教育は大切でございます。
 自分でやってみて、成功したらやってもいいことだと思いますし、失敗ならば再度チャレンジ、あるいはもっといい方法を考え、それでもダメならばやってはいけないことと判断します。
 
 字にしても、書いたものが良しとされればそのまま書き続けるでしょうし、誰かから間違っていると指摘されれば、修正するでしょう。
 下手だと指摘された場合は、そのままでいいと判断して何もしない人もいるでしょうし、気になって修正する人もいるでしょう。
 誰かがきれいな字の書き方を教えてくれる場合もありましょうし、自分で本などできれいな字の書き方を調べる人もあるかもしれません。
 逆に速く書くことを優先し、汚い字のままという人もいるでしょう。
 それでよしとするならば、悪字は悪字のままとなるわけでございます。
 
 善悪もそれと同じでございます。
 それまでの体験と、所属する集団によって善にも悪にもなるのですな。
 人の考えというのは幼い頃から若いころにかけて形成されるので、その時期に体験したことや所属した集団が主にその人の人格に大いに影響するのでございますが。
 
 生まれたばかりの赤ん坊は、善でも悪でもないと存じます。
 
 ただ、何も知らず、何も出来ず、したがって他人に危害を加えることができないということだけなのですな。
 加えて、たとえ人に危害を与えるような行為を行ったとしても、善とか悪とか判断する側(大人)がそれをコントロールできるので、悪とは認定されないのでございます。
 
「絶対悪」や「宇宙悪」といったものも、ないと思います。
むかしは考えたこともございましたが。

 善か悪かはやはり人が判断することだと思います。
 宇宙の生成から消滅にいたるまで存在する悪というものはないと思いますし、それだけのスパンで考えた場合、そもそも悪とは何かわたくしにはよく分かりません。
 
 宇宙の生成から消滅までを司る神がいらっしゃるのでしたら、「絶対善」とその対極にある「絶対悪」も存在するのでございましょうが、そこまではわたくしの理解のおよぶ範囲ではございません。
道化の真実 2022/01/01(Sat)12:10:03 編集
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