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2024/04/29 同じく『俗語百科事典』から。『目が点になる」という言葉は、さだまさんさんの盟友、ギタリストの福田幾太郎さんが言いだした言葉だとか。なんでもどおくまんの『嗚呼!! 花の応援団』(1975~)が好きで、そのキャラクターが驚くときに目が点で描かれているのを言葉にしたものだとか。意外に新しい言葉なのでございますなぁ。それ以前にもギャグマンガで驚いた時に目を点として描いたものはあると思うのですが。と申しますか、『花の応援団』ってもともと目が点だったり描かれていなかったりじゃございません?
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 『忍術バトルRPGシノビガミ』
 今さらながらのデザイナーズノート

「Role&Rollvol.173」p.104-109 
 
☆ 今月の「Role&Roll」は、もうこれだけで価値があるよね。
 これ読むと『シノビガミ』が、お蔵入り寸前から完成に到ったことが分かる。

☆ そこにいたるまでに必要だったものは、
 試行錯誤とテストプレイ、
 パラダイムの転換、
「1つのゲームですべてを片づける必要はない。
 ほかの問題はほかのゲームが片付けてくれる」
 という「理論武装」(真理であり開き直り)。
 そして、取り除くべきものは、不安と面倒くさいという気持ち……。
 
☆ 「プレイヤーどうしが戦うゲームは、
  テーブルトークRPGにそぐわないのではないか?」は、
  ストーリーゲームの根幹に関わる問題に思う。
 
 通常のRPGは、ストーリーが主体で、ゲームが従となる。
 物語の進行に合わせて、戦闘や判定の段階を上げていき、
 その相乗効果でクライマックスに持っていく。
 
 対して、ゲーム主体のRPGでは、
 戦闘や判定の興奮が主であり、それを段階的に上げていくことにより、
 物語を形作っていく。
 
 
 同じようなことを言っているようだが、全然違う。

 ストーリーはエピソードの積み重ねにより、
 クライマックスでその興奮を爆発させるものであり、

 ゲームの興奮は一つ一つの判定の中にあり、
 それが積み重なることでドラマが形作られていく……。

つまり「ストーリー」と「ゲーム」ではその関係が逆になっているのだ。
 
 よくコンピュータRPGのコピーで
「ゲームとストーリーの融合」などというが、この2つは基本融合するものではない。
 それが融合に思えるのは、
ストーリーと戦闘に勝利するというベクトルが一致していて、
かつそれがストレスなく自然に移行できる場合だけ。
そしてその場合でも、プレイヤーの感情がのらなければ、その隙間は埋まらないと思う。

 コンピュータRPGでしばしば、戦闘が多くてストーリーを忘れてしまった、
ということがあるのは、そのバランスが上手くいっていないのだろう。 
 
 
 
 話が、独立して書こうと思っていたことに脱線してしまった……。
 
 
 セッションの展開が予測不能なのも、
 
『シノビガミ』がゲームよりなことに起因する。
 ストーリー主体のゲームなら、物語の予定調和に収まることを期待されるだろう。
 
 
☆「秘密とシーン表の登場」については、
 紙幅の都合からか1/3ページに抑えられているが、
 『シノビガミ』のシステムでも重要な部分なので、
 もっと聞きたかったところだった。
 
 
 
☆ 最初のほうで触れられている『ピーカーブー』についても。
 改訂版でも大きな変化がなかったということは、
「まぁまぁ」の反響に対して、何か言いたいことがあるような気がする。
 言い訳になってしまうから言わないのだろうけれど。

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