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2009/9/2  パソコンの調子がちょっとわるいので、ブログの更新が何日とか何十日とか止まったら、そのせいだと思ってください。                        まあ、めんどくさくなっておやすみということもありえますが。
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 こちらも、主人公を女性に変えてございます。
 イギリスに留学中の女学生だそうで--。
 西洋館だからと、何も舞台をイギリスにしなくてもいいのに……、
 とわたくしなどは思いますけどね。

『霧の中の悪夢』
(小野寺紳 作/有村コーシ/Wood Y 画・1985/08 成美堂出版)

なんて、

日本の山奥
地図に載っていない地域を調査に行ったら、そこに西洋館が建っていて……、

という大雑把な始まり方をいたしますし--。

 それはともかく原作では、
主人公が自動車で道に迷って山の中でーーと、
あまりにもオーソドックスなホラー展開でスタートいたします。

 ところが今作は、主人公を、
同国の成年男性を想定していた原作から、
異国の未成年女性に変更してたものですから、
車を一人で運転することもかないませぬのですね。

 そこで、
タクシーの中で寝込んでしまったら、いつの間にか山の中に置き去りにされた、
というプロローグに変えられたわけでございます。

 ぱっと見、当たり障りのない導入ではございます。

 ただこれですと、
なぜ運転手が、こんな山の中にタクシーを踏み入れさせたのか
が疑問。
 山一つ越えて帰らなければならないところに
ホームステイ先があるわけでもございませんでしょうに。

 館の人間が、魔術的手段を使っておびき寄せた
というのが一番考えやすいでしよう。
 途中、それをにおわせる発言(73ですとか)もございますし、
でも、それだと館の住人が、何らかの動機が必要だと思うのでございますが、
そういうものがあまり感じられないのでございますな。
彼女を積極的にいけにえにしようとしているようにも思われませぬし。
 もっともホラーなので、そこら辺はいい加減でよいのかもしれませぬ。
 男性から女性に主人公が変わったことで、なんとなくおびき寄せられたというのがしっくりとくるような感じもいたしますしーー。
 大体が原作からして、主人公の心の動きは曖昧ですものな。

 単に館から脱出することだけを考えておればいいものを、
クリスナイフで悪魔を倒すことが目的となる……。


 
主人公が無色透明であるがゆえに、そのターニングポイントは、曖昧でございます。
 一応、脱出口は玄関のほかは地下の抜け道しかない(75)
と書かれておりますから、
それを探していたら、なんかナイフ見つけちゃって、
ボス敵に出会ったものだから殺しちゃった、
ってことなのやもしれませぬが。

 プロローグはそのようなのでございますが、
 エピローグも大きく変わって……。

 いえ、そうではございませぬな。
 原作にはエピローグなどございません。
 ただ、地獄の館が全焼して終わります。
 それに対して、ホビージャパン版では、主人公、ヒイラギマキ様の後日を描いております。
 どうやってホームスティ先までたどりついたのかな? と思いましたら、

「どうやって戻ったかほとんど覚えていない」

 ……。
 まっ、賢い解決方法ですな。
 実にホラー映画的でございます。
 で、ここで唐突に携帯電話が登場します。

 忘れていたのだとか……。
 普通なら、はじめのほうで書きそうなものですが……。
 作訳者も忘れていた、のでございましょうか?
 
 さて、そのようにプロローグとエピローグは主人公にあわせて大きく変えられておりますが、

 本文中の変更は、わかり易さに留意したという点以外は、それほどございません。
 わかりやすさと申すのは、たとえば、400番。

 社会思想社版ではここ、
「生き物」と「もう一人の敵」となっていて、
誰と誰、あるいは何と何のことなのかは、
ここを読んだだけではわかりませぬ。

 これがホビージャパン版では、
はっきりとわかるように書かれていて、
前のバラグラフを覚えていなくても、読めるようになっております。

 あと、主人公の心情も描かれており
これも主人公が無色透明の存在であった原作とは違うところでございますな。
 ただ、それだったら二人称である「君」はもはや必要もない気もするのでございますが……。

 そう考えて改めて読み直しますと、
この本、人称がけっこう楽しいことになっているのですよな。

 まず、最初「彼女」三人称
 次に、一行あけたところ、「気がついたとき」からは、人称なし……
と申しますか、 「自分」というのが人称の代わりに使われておりますな。
 で、本文「君」二人称
 最後にエピローグ「私」一人称

 一つの作品の中で、人称がこんなに変わるのは、けっこう珍しいかもしれませぬ。
 ただ、これはある一定の効果をあげているように存じます。
 つまり、

 俯瞰から入って(三人称)、
 主人公にカメラが固定し(「自分」)
 さらに主人公視点になっていく。(二人称)
 そして最後は、ふたたび、主人公にカメラが向けられる。
 しかしそれは、「自分」のときよりも、より主人公よりの見方になっている……。

 穿った見方と申されるかもしれませぬが、そのような映画的な手法を
作訳者は考えているのかもしれませぬ。
 

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 この『ハウス・オブ・ヘル』『デストラップ・ダンジョン』、
イラストにあわせて、枠部分

--プロローグとエピローグ、それに設定--

が、リトールドといっていいほど大胆に変更されております。

『ハウス・オブ・ヘル』……のほうは、書いてみたら長くなったので、まずは『デストラップ・ダンジョン』のほうから、

FFシリーズのファンタジー作品は、タイタンという共有世界(シェア・ワールド)が設定されているのですな。

『デストラップ・ダンジョン』の場合は、その大部分が地下迷宮なわけですから、世界設定にかかわる部分はそうございません。
 わずかに垣間見えるそれらを変えることもしてはいないようでございます。
 地下迷宮の基本的な仕掛けや、展開も同様。

 つまり、基本的な部分は変えてない ようでございます。。

 大きく変わったのは、キャラクターですな。
 主人公にフィリアという名前がつき、
主人公のセリフが大幅に追加されました。

 原作では、主人公である「君」を盛り立てるように文章が畳みかけていくわけでございますが、
 デジタル・メディア・ラボ
(ホビージャパン社版の翻訳を担当した会社・『ハウス・オブ・ヘル』も同)
版では、
キャラクターを描写することで、彼女との一体感を持たせる

--とそこまで申すのは大げさでございますな、意気込みはそういうことなのかもしれませぬが--

と申しますか、フィリア様とそのライバルたちを、しっかりとイメージさせることが狙いだと存じます。

 エピローグ(400)でも、ライバルのことを回想する場面が描かれておりますな。
 さらにフィリア様の心情もそこに描かれております。
 彼女、この催しの主催者であるサカムビット公(男爵)を殴ってやろうかなどと、不遜なことまで考えていらっしゃる。

 これは、主人公が「無色透明」とされていた原作では、あり得ないことと申せましょう。
 どちらがいいかは、人それぞれだと存じます。
 自分のキャラクターという点では、「無色透明」のほうが当然よろしいのでございます。
 私のフィリアは、男爵を殴ろうなんて考えない、と申す御仁もおられましょう。
 ですが、
 では「無色透明」だったら、逆にそもそも男爵を殴ろうなどとブレイヤーが考えるだろうか
と申しますと、それはそれで疑問でございます。
 淡々とゲームとして楽しみ、そのようなことは考えないのではないでしょうか?

 ここらへんは、好みの問題と申せるかもしれませぬな。

 ただ、主人公を少女にしたために、不自然に感じられることが一つ……。

p.20 金貨一万枚に領主の地位。どちらもたまらなく魅力的だが(……)。

 う~む、少女が領主の地位を望みますかねぇ。

 また、この競技には、彼女とともにダンジョンに挑むライバルたちも存在します。
 短い登場ながら、味気なくなりがちなダンジョンを動的にしてくれる存在ですが、
そのライバルたちも、男性5人から、男性3人、女性2人と、以下のように変えられております。

○両刃の戦斧を持つ毛皮をつけた蛮人二人
→カタコトでしかしゃべれない毛皮の男。
→片刃の斧を持つ隻眼の戦士。

○艶やかな金髪にネコのような緑の目の妖精めいた女
→蒼い髪に青い目のエルフ

○紋章つきの盾を持ち、羽根かざりのついた兜と鉄のよろいを身にまとった男。
→巨大なハンマーを持つ、鉄仮面の巨漢。

○黒いローブと覆面を被った(忍者)
→異国の黒装束の(ニンジャ)

 彼らも、イラストにあわせた変更とセリフが加えられております。
 本文中でも、何人か男性から女性に変えられたキャラクターがおります。
原作はほとんど男性で占められておりましたから、作品を華やかにするための措置でございましょうな。
 男女平等思想に基づくもの……ではないでしょう。

ほかに、大きな変更点といたしましては、
モンスター名が、英語の音そのまま、
ということがございますな。

タイトルも英語そのままですから、英語そのままのほうがいい、と訳者は考えているのでございましょう。
 あるいは、社会思想社版の訳にあわせるかどうか考えたあげく、英語の読みそのままにしたとか?

 あと、細かいところをいくつか。


番には、「スロム勝ち残って……。」とフィリア様の心情を表す一文が書かれておりますな。
これも、主人公にキャラクター性を持たせたために書き加えられた一文と申せましょう。

よくわからないのが、14番でございます。
ここは、社会思想社版では木製の手箱だったのですが、木のに変更……。
いったいなにがあったのでございましょうか?

229の少女の詩も変わっております。
社会思想社版では、口語調なのが、ホビージャパン版では文語なのですな。

何となく、社会思想社版のほうが古典的な感じがしたのでございますが、ここだけはそうではございませぬ。
雰囲気づけのためでございましょうが、不自然な感がなきにしもあらずです。

 あまり比較していると、いつまでたっても書き終わらなくなりますので、この辺で。
 いろいろと比べてみると面白いと存じます。

 そのような変更は別といたしまして、社会思想社版とホビージャパン版を比較してみますと、
 社会思想社版が、逐語訳的なのに対し、
 ホビージャパン版は、とにかく分かりやすさを心がけて訳している感がございますな。
 そのため、かなりの意訳もあるのですが、言い回しの違いで間違いはなさそうですし、なにより読みやすい
 原典主義の人は批判するかもしれませぬが、プレイに集中できるという点ではプラスと申してよろしゅうございましょう。

 まぁ、わたくしは英語原作を見ていないのですけどね。
 そのような感じを受けるのです。

 文章については、まあ、そんな感じでございますな。

 次に難易度に関して。

 難易度は……。
 社会思想社版、ホビージャパン版でほとんど変わることはございません。
 タイトルどおり、難しいです。
意地の悪い謎も多いですし(でも、ジャクソンのほどたちは悪くございません)、敵も強い。
技術点12点なんて敵も出てきちゃう。

「唯一の正しい道順」とは、危険がもっとも少なく、たとえ原点が少ないプレイヤーであっても比較的容易に通り抜けられるルートのことである。

と、p.14に書かれておりますが、これはキャッチコピーだと思ってください。
 サカムビット男爵の迷宮は、なにしろ多くの冒険者が挑戦して、まだ一度も踏破したことのないダンジョンなのです。
 それを能力の低い冒険者が征服してしまったら納得いかない……。

 おそらく、そういうことなのでございましょう。
 どうせ、何度か挑戦することになるでしょうから、あらかじめフィリア様を10人ぐらい用意して、能力値の低いフィリア様から順番に投入していってください。
 そうすれば、最後のほうには、迷宮を突破できるでしょう。
 そういうゲームなのです。このゲームブックは。

 ……。
(まっ、能力値を決めるとき、何度も満足のいくまでサイコロをふるというのが、普通のやり方かもしれませぬけどね)

 ルールについては、
 むしろ原作に忠実になった箇所もあるようでございます。

夜音(nacht_musik)様のブログ、
「アリオッチ!アリオッチ!アリオッチ!」
内の
 
新春対談2 萌えゲームブックを語る デストラップ・ダンジョン解析編 

によりますと、
イベント時の数値の増減が、社会思想社版とは異なるそうで、当該箇所を見てみますと、確かにそのようになっております。

具体的には以下の五箇所ですな。

パラグラフ26 体力点-2 → 技術点-2

パラグラフ33 体力点-3 → 技術点-3

パラグラフ150 体力点-1 → 技術点-1

パラグラフ223 運 点-2 → 運点は減らない

パラグラフ271 技術点-2 → 技術点-1

 もっとも、そこのコメント欄をよみますと、パラグラフ223以外は原作がこう、だそうで、原作に忠実になったようですな(223は、社会思想社版の方が正しいのだそうでございます)。

 体力点マイナスが技術点マイナスに変わるのは、冒険者にとって大きく不利になるということでございますが、
ただ、この部分、正解ルートにはあまり関係ないということ
らしいので、目くじらをたてるほどのことでもない……でしょう。

 これとは別に、変更点がございます。
 最初に選ぶ(技・力・幸運)薬の内容量が
社会思想社版では1回なのに対し、ホビージャパン社版では2回になっております。
 これは大きい。
 2種類持っていけたらもっとよかったのに、とも思いますが、それは言わないことにいたしましょう。

 いずれにせよ、社会思想社版よりは、少しは有利になっているのでございますから。

* ところで、

nyadach様のブログ

「ダイタン放浪記@ゲームブック」この辺

で知ったのでございますが、

「ゲームブックはいかが」

と申すページ(この辺)には、「死のワナの地下迷宮」のしーじーなマップがございます。

 

「クイーンズブレイド」シリーズのところで書きましたホビージャパン社も、FFシリーズを復刊させております。

『デストラップダンジョン』

『ハウスオブヘル』

にございます。

社会思想社版の、

FF6 「死のワナの地下迷宮」

FF10 「地獄の館 」

に当たる作品ですな

タイトルは、
近頃の映画のタイトルに倣(なら)ったのでございましょうか。

英題をそのままカタカナにしただけ。

こういうのは、センスが感じられないと申しますか、味気ない感じもいたします。

ホビージャパン社のこれらのFFシリーズの復刊は、
大きな特徴がございます。

 実際に目にした方は、すぐにわかりましょう。
 
「クイーンズブレイド」の成功に気を良くしたか
 ライトノベルの棚から撤去されないための対策か、
 マーケティングとやらの成果なのか。
 はたまた、表紙買いをする人を騙そうとする魂胆か
 
 イラストが、ライトノベル風に主人公の少女を中心としたものになっております。

 主人公の少女?

 そう、ホビージャパンのこのシリーズでは、主人公のキャラクターが決まっているのですな。
 口絵イラストには、少女の性格や身長、スリーサイズまで書かれているのでございます。

 無色透明な主人公であった社会思想社版(と原書)からの、これは大きな変更点と申せましょう。

 海外作品のイラストを変更することには、わたくしは大いに賛成でございます。

 TRPGとか、ゲームブックにいたしましても、イラストがしょぼかったり、日本人好みじゃなかったり……、というのが良くございますからな。

 ただ、この場合は……。
 これはまさに「クイーンズブレイド」と同じ手法、
原作破壊系でございますな。

「クイーンズブレイド」の原作である「ロストワールド」の場合は、
本文中に物語要素がございませんから、この方法論が通用いたしますが、
FFシリーズは物語がございます。

 主人公は、よく言われるように確かに「無色透明」ではございますが、
その世界は主人公を規定するように雰囲気が作られております。
 それに、色をつけたのでございますな。
 ゴシック建築にポップアートの色を塗りたくるかように……。

 逆の喩えを申しますれば、ドラゴンボールが実写になったようなとでも、申しますか。
 まぁ、ドラゴンボールを実写でなんて、そんなムチャな話はだれも考えないでしよう!

 あり得ない話でございますな。

 いずれにせよ、困惑してしまうことは事実でございます。

 これが、リアルな、もしくは情感あふれるイラスト
--ゲームブックの挿し絵を描かれている方でしたら、たとえば--

米田仁士先生ですとか、
天野嘉孝先生ですとか、
山田章博先生ですとか
でございますな。

そういう方のイラストでございましたら、物議を醸し出すこともなかったでございましょう。

 もっとも、このシリーズの場合、物議を醸し出すことが狙いの一つだったと考えられますので、
その戦略にまんまと乗せられた形となるのでございますが。

 とは申せ、わたくしは完全否定の立場ではございませぬ。
 プレイしていて、意外に違和感を感じはいたしませんでしたし。

 社会思想社版と、ホビージャパン社版、両方が選べるような環境でしたらアリだと思うのでございます。

          ☆    ☆    ☆

 イラストの変更については、海外作品のみならず、日本文学作品であっても、わたくしは賛成でございます。
 ただし、やはり、変更アリとナシ、両方が用意されている場合においてと申すことでございますが。

 集英社文庫で、昨年、日本文学の表紙をマンガ家が描くという企画がございましたが、こういう試みはもっと続けて欲しいものでございます。

 表紙だけといわず、本文中にも挿絵をたくさん入れて欲しいものでございます。

 ただね、『伊豆の踊子』の荒木飛呂彦先生は、さすがにミスチョイスでございましょう。

川端康成なんてロリコンなんだから、
もえもえのロリ絵のほうが、作者も喜ぶと思いますのに--。

    ……
    ……

いえ、なんでもございませぬ。

          ☆    ☆    ☆

 何か長くなってしまったので、今回はここまで。
 次は、文章とかシステムとかについて書いてみたいと存じます。

 現在入手可能な作品の紹介なんて、一回で終わる予定でしたのに--。
 他の方に任せてしまったほうが良かったのかもしれませぬ。
 

  FFシリーズは、もともと日本では社会思想社によって刊行されておりました。
 社会思想社版でのタイトルは以下のとおりにございます。

FF1 火吹山の魔法使い
FF2 バルサスの要塞
FF3 運命の森
FF4 さまよえる宇宙船
FF5 盗賊都市
FF6 死のワナの地下迷宮
FF7 トカゲ王の島
FF8 サソリ沼の迷路
FF9 雪の魔女の洞窟
FF10 地獄の館
FF11 死神の首飾り
FF12 宇宙の暗殺者
FF13 フリーウェイの戦士
FF14 恐怖の神殿
FF15 宇宙の連邦捜査官
FF16 海賊船バンシー号
FF17 サイボーグを倒せ
FF18 電脳破壊作戦
FF19 深海の悪魔
FF20 サムライの剣
FF21 迷宮探検競技
FF22 ロボット コマンドゥ
FF23 仮面の破壊者
FF24 モンスター誕生
FF25 ナイトメア キャッスル
FF26 甦る妖術使い
FF27 スター ストライダー
FF28 恐怖の幻影
FF29 真夜中の盗賊
FF30 悪霊の洞窟
FF31 最後の戦士
FF32 奈落の帝王
FF33 天空要塞アーロック

                            (参考:Wikipedia の「文献一覧」) 

 本国ではまだまだこのシリーズは続くのでございますが、日本で刊行されたのはここまで。
 それでも、英語圏以外でこの巻数まで出た国は、他にないのではございませんでしょうか?
(↑いきおいで書いてしまいましたが、そんなことはございませぬな)

 

 出版社自体が事業を停止してしまった現在、これらは入手が困難になっておりますが、
 このうち、

FF1 火吹山の魔法使い
FF2 バルサスの要塞

は、2005年に扶桑社から復刊されております。
 訳は旧訳とだいたい同じ。
「火吹山」の読み方が、「ひふきさん」から「ひふきやま」に変わったのは、訳者の意向のようでございます。
 献辞が少し変わったのは、新版が出たとき原書で変わったのでございましょう。

 表紙の絵は、原書に倣って新しいイラストになっております。

(でも、扶桑社版の『火吹山の魔法使い』の表紙のザゴール師(なのでしょうなぁ)のポーズを、実際に自分でとってみてください。手がビミョーに変)

 残念なのは、
 冒険記録紙が別紙として付いていない点、
 紀田順一郎先生や安田均先生の解説がない
 でございましょうか。
 かわりに編集部によるゲームブックとその遊び方についての解説が、あとがき部分に載ってはおりますが。

 逆に良いところは、オビの水野良先生の惹句でございますかな。

「ゲームブックの醍醐味とは死ぬことと見つけたり!! 

「の醍醐味」は余計だと思いますけど、良い惹句でございますな。
 オビつきを今から探すのは、ちょっと難しいかも……ではございますが。

 定義4のところでも書きましたが、


『火吹山の魔法使い』は、ゲームブックのいわば基準点でございます。

 まずはこれで、ゲームブックとはどのようなものか、感覚をつかんでから、
他のゲームブックを試してみるというのが、正道でございましょう。

 面白いか? ですって。
 ゲームブックのブームの引き金となった作品でございますから、面白くないはずはございません!
 怪物たちの数値も高くなく、後の作品と比べて勝ちやすいと存じます。

 わたくしのような貧しきものには、お高く感じられるお値段ではございますが(800円+税)、ぜひともプレイしていただきたいと切に願うしだいでございます。

 で、『火吹山の魔法使い』をプレイするにあたっては、

 まず欲張らないで、領主ザゴールを倒すことだけに力を注いでください。
 それならば、それほど難しくなく達成できるでしょう。
 3つの鍵を集めることは次の挑戦で、
 でいいのでございます。

 そのような段階的な楽しみ方ができるのが、『火吹山の魔法使い』のいいところだと、わたくしは思います。

『バルサスの要塞』となると、
魔法も使えるようになり、難度も少し上がります。ですが、クリアできないほどではございません。
 このゲームブックで最大の難敵と申せば、
 何といっても、バルサス・ダイア……ではなくて、
 ガンジーでございましょう。
 わたくしなどは、ガンジーという名前に悪い印象はないのでございますが、
イギリス人にとっては大悪人なのでございましょうかねぇ。
 とにかくこやつが、強い。
 こいつに苦戦したプレイヤーは数知れず。
 何をやっても勝てないような、絶望的な敵として、冒険者の前に登場いたします。
 彼に勝つためには、どうすればいいか。
 ネタバレさせてしまいますならば、

「とりあえず、逃げておく」

というのが正解、ですな。

 
 逆に、ここさえわかれば、あとは何とかなるので、がんばってみてください。

 なお、この二つの作品は、「ゲームブックラボ・R」と申すところで、

『炎冠山の魔術師』
『バルサスの城塞』

と名を変えて、携帯電話での配信が行われているそうでございます。
(有料です)

 携帯電話機にはまったく疎いので、くわしいことは存じませぬ。
 浅羽莢子先生の訳ではないそうで残念ですが、
 ただ、翻訳の見直しが行われ、読みやすくなっているということでございます。

 公式ページが出来るそうなのですが、現時点で存在するのかわからないので、とりあえず

「パラグラフの狭間で」


というサイトでごらんください。
  公式サイトができるまでは、このサイトでアナウンスを行なっていくようでございます。
 

『クイーンズブレイド』シリーズに続いて、
FFシリーズを。

 まぁ、FFシリーズぐらいは世間の常識でございますよな。
 当然ファィティング・ファンタジーのことにございます。

 まあ、それは当然のことといたしまして、

 Wikipediaの「ファイナルファンタジーシリーズ」の項目(←ここの「名称・略称について」 )には、

 一般的に用いられる「ファイナルファンタジー」の略称は「FF」(エフエフ)であるが、スーパーファミコン時代には「ファイファン」という略語も存在した。特にファミリーコンピュータ当時は、「FF」はファイナルファンタジーシリーズだけではなく、カプコンから発売されたファイナルファイトシリーズを指すことも多く、これと区別する為に「ファイファン」と呼ばれたという背景がある[要出典]。

と書かれてございます。

 しかし、
 少なくともこの当時は、FFシリーズと申せば、

「ファィティング・ファンタジー」

シリーズのはずなのでございますがねぇ。

 1984年末の『火吹山の魔法使い』によって起こったゲームブックブームの余波は、
『ファイナルファンタジー』の一作目が発売された1987年末でもまだまだ消えることがなく、
FFシリーズの名も浸透していたと思いますもの。

 ちなみに、FF24の『モンスター誕生』1988年3月
「ウォーロック」誌では、vol.14[ちなみに特集は『トンネルズ&トロールズ』] あたり
(1988年2月とございますが、
雑誌は1ヶ月早い月を書くものでございますから、実際には1月ごろでございましょう)。
まだまだゲームブックに勢いのあったころだと存じます。

 『ファイナルファイト』のことは存じません。
 ただ、それが発表されたのは、1989年12月←このへん)とございますから、時系列的におかしいのではないかと存じます。
 この関係でしたら、おそらく先に出た『ファイナルファンタジー』が堂々とFFシリーズを名乗っていたことでございましょう。

 それに対して、ファイティング・ファンタジーのシリーズは……。

 FFシリーズを名乗りだしたのが、正確にいつなのかは存じませぬ。
 しかし、FF9『雪の魔女の洞窟』(1986/4)の巻末の宣伝では、
シリーズをFFシリーズと銘打っております。
(FF8『サソリ沼の迷路』には、この広告はございませぬ)

 また、FF2『バルサスの要塞』(1985/4)の表紙にはすでに、
FFと書かれたシリーズのマークがございますから、その当時からFFというシリーズの認識は、広く認められていたと存じます。

海外でどうだったかは存じませぬが、もっと早くからFFシリーズだった可能性は大いにございます。

 また、格闘アクションである『ファイナルファイト』と、RPGである『ファイナルファンタジー』では、同じ略称であっても、文脈から混乱することは少ないと存じます。

 それに、『ファイナルファイト』のシリーズをFFシリーズというのも聞いたことがございません
 もっと知名度のある『ストリートファイター』のシリーズでさえ、SFシリーズなどと申すのは、一般的ではないと存じます。
 それに対し、ファイティング・ファンタジーは、同じRPGの系統ですし、早い時期からFFシリーズを名乗っておりました。

 ですから、それと混同を避けるため、『ファイナルファンタジー』が、「ファイファン」と略称したということは、充分かんがえられることでございます
(『ファイティング・ファンタジー』も略そうと思えば「ファイファン」と略することができるのですが……)。

というわけで、ゲームブックの世界で、FFシリーズと申しましたら、『ファイティング・ファンタジー』のシリーズを指すことが一般的でございます。
 なんと申しましても、『ファイナルファンタジー』のゲームブックは、たしか過去に2冊ほどしか出ておりませぬものな。
 

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