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『七つの大罪ゲーブック<豚の帽子>亭の七つの大冒険』買いました!
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 4月1日、ついに『サムライ・ソード』が発売とあいなりました。
 社会思想社版の『サムライの剣』でございますな。
 つまり、これ(『サムライ・ソード』)も購入可能なゲームブックの中に入ったわけでございます。

 まず、社会思想社版を知らない方にむけて、結論を書いておきましょう。

 このあと、原書(社会思想社版)との相違について書いてまいりますが、
そんなものはナシにしてプレイしたほうが楽しめることでございましょう。

『デストラップ・ダンジョン』や『ハウス・オブ・ヘル』のときも書きましたが、このシリーズは、FFシリーズの装いだけを変えて出版された、いわばお色直しバージョンでございますから、ストーリー展開やゲームバランスなど、基本的な部分については手を加えられておりませぬ。
 装いを変えた部分についても、原作とは異なるテイストではございますが、読みやすく楽しめるものとなっております。

 原作のテイストとの違いについては、これはもう仕方がないことでございましょう。
 申してみますれば、あちらは天然でございますからな。
 天然ボケのキャラをあなた自身が演じて、もっと面白くできるかどうか想像してごらんなさい。
 天然ボケのすごさは、予想のつかないことにあり、
それを超えるとなると、今度は逆にさらに高度なギャグセンスと知性が必要になると思われますからな。

 原作とテイストを変えたのは成功、と申しますよりも、
必然、とさえ申してよろしいでございましょう。

 

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 さて。

『地獄の館』
(この方が言いやすいので、それで勘弁してくださいませ)は、
スティーヴ・ジャクソンが、のちほど出てまいる予定の、
大著『ソーサリー』を書き上げたあとの第一作となる作品でございます。

 大作を書き上げたあとですから、
今度は逆に、
400パラグラフという制限の中に、フローチャートのパズル性を思いっきり詰めてみよう
とでも、考えたのでございましょうか。
 作家と申すものは、得てしてそんなことを考えるものでございます。

 とにかく、難しい……。

 その難しさは、リビングストンの難しさとは異なっております。

 リビングストンのそれは、
一つ一つの罠の難易度が高かったり、
出てくる怪物が強かったり、
ルート選択にしても、ああ、これを探せばいいんだなとか

ある程度見当がつく謎だったりするのですが、

ジャクソン
のほうは、そうはまいりませぬ。
 たしかに、あれを探せば--というのはあるのでございますが、
複雑に絡み合うルートの中にそれが隠されていて
どこをどう通ったら手に入れられるかわからない。
どこをどう通ったら生き残れるのかわからない、
そういう謎なのでございます。

 そのために、難易度が高くなっているのでございますが、
一方で、これはゲームブックの特徴でもあるのでございますな。

 よく、ゲームブックはTRPGと比較されますが、TRPGではこれができない。

 そんなにタイトに物語を作ってしまったらプレイヤーに怒られますし、
何度もトライすること前提でなければこうした罠は仕掛けられないからでございます。

 こうしたゲームブックの要素は、
アドベンチャーゲーム(とくに、テキストアドベンチャー)から取り込んだ要素なのでございます。
『ミステリーハウス』や『ゾーク』など、今では古典的とも申せるアドベンチャーゲームを、
わたくしはあまりプレイしたことがないので、よくは存じ上げないのでございますが。
 ともかく。

 そんなわけでございますから、戦闘に勝ってももうそこは蟻地獄。
どうあがいてもバッドエンドの袋小路、という場面もございます。

 さらに難易度を高くしているのが、恐怖点の存在ですな。
 このゲームブック、最短ルートをとおっても、8点は恐怖点が加算されるのだとか。
 つまり、恐怖限界点は9点以上でないとクリアできない ということだそうでございます。
 恐怖限界点は、[サイコロ一個+3]でございますから、
平均といえば平均なのでございますが、それが最低必要な点数となのでございますから、けっこうハード。

 要するに、ヒイラギマキ様は相当タフな女性ということでございますな。
 でも、それではイメージにあわないと申す方もおられるでしよう。
 マキは、もっとか弱い女性--、とおっしゃる方もいらっしゃいましよう。

 そういう方のために、少々考えてみました。
 このような変更はいかがでございましょうか。

 恐怖限界点と現在恐怖点で、
たがいに2個ずつサイコロをふって、
戦闘の要領で比較しあう。
で、
限界恐怖点の方が勝っていたらまだ平気、
というルールでございます。

これだと、恐怖限界点を越える前にゲームオーバーになるかもしれませぬし、逆もまたありえます。

なによりもサイコロをふる楽しさが発生しますし、
スリリングで面白いことでございましょう。

 さらに加えて、鈍感点なるものをみるのもいいかもしれません。
 具体的には、

1.12から恐怖限界点を引き、出た目に2を加える。

 12-(恐怖限界点)+2

この数字が、マキの「鈍感点」となる。

2.「恐怖点を○点加える」という指示があった場合は、
恐怖点1点ごとにサイコロを2個ふる。

3.1と2を比べて、「鈍感点」の方が勝っていた場合、その恐怖点1点は加算しない。

 つまり、鈍感なあまり、恐怖の出来事だったということに気づかなかった、ということでございますな。

 これだと、ボケボケなキャラクターが表現できて、よろしいかもしれませぬ。

((1)の「12-(恐怖限界点)」は単純に、
「サイコロ一個の出目(1d)」
でもいいかなと考えたのでございますが、
そうすると、恐怖限界点も高くて、鈍感点も高いキャラクターができて、
ちょっと有利すぎな感じがしたのでやめておきました。

 まあ、面白ければ、それでもよろしいのですが。)

 さらに
 それでも難しい。
 戦闘ルールって、サイコロをふるのに本を置かなくっちゃならないからめんどう、
という方がおられるかもしれません。
 それならば、いっそのこと戦闘はすべて勝ったことにして進めても問題ないと存じます。
 最後の戦闘に関しましては、
クリスナイフを持っていれば勝ち、持っていなければ負け、ということで。

 この『ハウス・オブ・ヘル』という作品は、最後のほうの敵以外、そんなに強くないのですな。
 それはまあ、武器を持っていないために最初の段階では自分も弱いということもあるのですが、
そのことはひとまづ措くといたしまして。

 このゲームブックの特徴は、戦闘よりもそのフローチャートの中に組みこまれたパズル性にあるのでございます。
 そのパズル性に集中するために、戦闘をオミットしたいと申すのなら、それはそれでアリだと思うのであります。

 最後の敵は強いのでございますが、クリスナイフを見つけるとことも同じぐらい大変なので、戦闘をナシにして、難易度を下げるというのは、アリだと思うのでございます。
 せっかくここまで来たのに、サイコロ運が悪くってエンドになったら目も当てられないですからな。

 それでもクリアできなければ……。

 数値を上げるなり、フローチャートを描くなり、すべての項目を読んでみるなり……。
 もう、とにかくあらゆる手段を試してみてよろしいと存じます。
 そこらへんは、自分の裁量で。
 ただし、最初に自分で決めたルールは、最後まで貫くこと。
 途中でフラフラと変えるよりも、そのほうが面白いと存じます。
 ゲームというのは、ルールのもとでの娯楽なのでございますから。

 まあ、これには反論もございましよう。
 
 どんな場合でも、ルールを曲げるのは、間違っている。
 それは、制作者の意図に反する行為だ。

 それはそれで、非常に正論なのでございますが、
 制作者の想定するプレイヤーと、
 実際にプレイする「君」とでは、通常違うものでございますからな。

 それに何よりも、
 途中で放り出して、積みゲーの神さま に許されるよりは、よっぽどよろしいと思うのでございます。

 ただ、お願いしたいことが一つ。

 そうやって、正規の方法ではない方法でゴールした場合、
「簡単だった」とか「大したことなかった」などとは決して言わないでください。
 そういうことが、FFシリーズの難易度を上げていったような気もするからでございます。

         ☆         ☆         ☆

ヒント:

ノスクカジェイ・エベッツさまのブログ、「社会思想新社」
原書を調べないと分からない事 地獄の館 House of Hell篇 」を読みますと、

パラグラフ93のこぶ男のセリフは、

「合言葉……
新しいほうは確か--。
……。
くっ、思いだせん。
ドゥラマー[Drumer]? 違う、それはこの館そのものじゃないか! それじゃ、バラバラのまぜこぜだ!!
あ、あんたが悪いんだぞ! あんたが、酒なんか飲ますもんだから……」

てな感じがよろしゅうございましょうかねぇ。

 ただ、ここで書かれている訳の不備に関しては、それほど問題ではないと存じます。

 と申しますのは、このヒントに対応する箇所は、
 パラグラフ237でございますが、

選択肢の最初の一つは、こぶ男の言葉によって否定されておりますし、四つ目は「館そのもの」でありえないでしょう。となると、ニ択。まあ、ニ択ぐらいは……だめですか?

 いずれにせよ、翻訳と申すものは難しいものでございますな。

 こちらも、主人公を女性に変えてございます。
 イギリスに留学中の女学生だそうで--。
 西洋館だからと、何も舞台をイギリスにしなくてもいいのに……、
 とわたくしなどは思いますけどね。

『霧の中の悪夢』
(小野寺紳 作/有村コーシ/Wood Y 画・1985/08 成美堂出版)

なんて、

日本の山奥
地図に載っていない地域を調査に行ったら、そこに西洋館が建っていて……、

という大雑把な始まり方をいたしますし--。

 それはともかく原作では、
主人公が自動車で道に迷って山の中でーーと、
あまりにもオーソドックスなホラー展開でスタートいたします。

 ところが今作は、主人公を、
同国の成年男性を想定していた原作から、
異国の未成年女性に変更してたものですから、
車を一人で運転することもかないませぬのですね。

 そこで、
タクシーの中で寝込んでしまったら、いつの間にか山の中に置き去りにされた、
というプロローグに変えられたわけでございます。

 ぱっと見、当たり障りのない導入ではございます。

 ただこれですと、
なぜ運転手が、こんな山の中にタクシーを踏み入れさせたのか
が疑問。
 山一つ越えて帰らなければならないところに
ホームステイ先があるわけでもございませんでしょうに。

 館の人間が、魔術的手段を使っておびき寄せた
というのが一番考えやすいでしよう。
 途中、それをにおわせる発言(73ですとか)もございますし、
でも、それだと館の住人が、何らかの動機が必要だと思うのでございますが、
そういうものがあまり感じられないのでございますな。
彼女を積極的にいけにえにしようとしているようにも思われませぬし。
 もっともホラーなので、そこら辺はいい加減でよいのかもしれませぬ。
 男性から女性に主人公が変わったことで、なんとなくおびき寄せられたというのがしっくりとくるような感じもいたしますしーー。
 大体が原作からして、主人公の心の動きは曖昧ですものな。

 単に館から脱出することだけを考えておればいいものを、
クリスナイフで悪魔を倒すことが目的となる……。


 
主人公が無色透明であるがゆえに、そのターニングポイントは、曖昧でございます。
 一応、脱出口は玄関のほかは地下の抜け道しかない(75)
と書かれておりますから、
それを探していたら、なんかナイフ見つけちゃって、
ボス敵に出会ったものだから殺しちゃった、
ってことなのやもしれませぬが。

 プロローグはそのようなのでございますが、
 エピローグも大きく変わって……。

 いえ、そうではございませぬな。
 原作にはエピローグなどございません。
 ただ、地獄の館が全焼して終わります。
 それに対して、ホビージャパン版では、主人公、ヒイラギマキ様の後日を描いております。
 どうやってホームスティ先までたどりついたのかな? と思いましたら、

「どうやって戻ったかほとんど覚えていない」

 ……。
 まっ、賢い解決方法ですな。
 実にホラー映画的でございます。
 で、ここで唐突に携帯電話が登場します。

 忘れていたのだとか……。
 普通なら、はじめのほうで書きそうなものですが……。
 作訳者も忘れていた、のでございましょうか?
 
 さて、そのようにプロローグとエピローグは主人公にあわせて大きく変えられておりますが、

 本文中の変更は、わかり易さに留意したという点以外は、それほどございません。
 わかりやすさと申すのは、たとえば、400番。

 社会思想社版ではここ、
「生き物」と「もう一人の敵」となっていて、
誰と誰、あるいは何と何のことなのかは、
ここを読んだだけではわかりませぬ。

 これがホビージャパン版では、
はっきりとわかるように書かれていて、
前のバラグラフを覚えていなくても、読めるようになっております。

 あと、主人公の心情も描かれており
これも主人公が無色透明の存在であった原作とは違うところでございますな。
 ただ、それだったら二人称である「君」はもはや必要もない気もするのでございますが……。

 そう考えて改めて読み直しますと、
この本、人称がけっこう楽しいことになっているのですよな。

 まず、最初「彼女」三人称
 次に、一行あけたところ、「気がついたとき」からは、人称なし……
と申しますか、 「自分」というのが人称の代わりに使われておりますな。
 で、本文「君」二人称
 最後にエピローグ「私」一人称

 一つの作品の中で、人称がこんなに変わるのは、けっこう珍しいかもしれませぬ。
 ただ、これはある一定の効果をあげているように存じます。
 つまり、

 俯瞰から入って(三人称)、
 主人公にカメラが固定し(「自分」)
 さらに主人公視点になっていく。(二人称)
 そして最後は、ふたたび、主人公にカメラが向けられる。
 しかしそれは、「自分」のときよりも、より主人公よりの見方になっている……。

 穿った見方と申されるかもしれませぬが、そのような映画的な手法を
作訳者は考えているのかもしれませぬ。
 

 この『ハウス・オブ・ヘル』『デストラップ・ダンジョン』、
イラストにあわせて、枠部分

--プロローグとエピローグ、それに設定--

が、リトールドといっていいほど大胆に変更されております。

『ハウス・オブ・ヘル』……のほうは、書いてみたら長くなったので、まずは『デストラップ・ダンジョン』のほうから、

FFシリーズのファンタジー作品は、タイタンという共有世界(シェア・ワールド)が設定されているのですな。

『デストラップ・ダンジョン』の場合は、その大部分が地下迷宮なわけですから、世界設定にかかわる部分はそうございません。
 わずかに垣間見えるそれらを変えることもしてはいないようでございます。
 地下迷宮の基本的な仕掛けや、展開も同様。

 つまり、基本的な部分は変えてない ようでございます。。

 大きく変わったのは、キャラクターですな。
 主人公にフィリアという名前がつき、
主人公のセリフが大幅に追加されました。

 原作では、主人公である「君」を盛り立てるように文章が畳みかけていくわけでございますが、
 デジタル・メディア・ラボ
(ホビージャパン社版の翻訳を担当した会社・『ハウス・オブ・ヘル』も同)
版では、
キャラクターを描写することで、彼女との一体感を持たせる

--とそこまで申すのは大げさでございますな、意気込みはそういうことなのかもしれませぬが--

と申しますか、フィリア様とそのライバルたちを、しっかりとイメージさせることが狙いだと存じます。

 エピローグ(400)でも、ライバルのことを回想する場面が描かれておりますな。
 さらにフィリア様の心情もそこに描かれております。
 彼女、この催しの主催者であるサカムビット公(男爵)を殴ってやろうかなどと、不遜なことまで考えていらっしゃる。

 これは、主人公が「無色透明」とされていた原作では、あり得ないことと申せましょう。
 どちらがいいかは、人それぞれだと存じます。
 自分のキャラクターという点では、「無色透明」のほうが当然よろしいのでございます。
 私のフィリアは、男爵を殴ろうなんて考えない、と申す御仁もおられましょう。
 ですが、
 では「無色透明」だったら、逆にそもそも男爵を殴ろうなどとブレイヤーが考えるだろうか
と申しますと、それはそれで疑問でございます。
 淡々とゲームとして楽しみ、そのようなことは考えないのではないでしょうか?

 ここらへんは、好みの問題と申せるかもしれませぬな。

 ただ、主人公を少女にしたために、不自然に感じられることが一つ……。

p.20 金貨一万枚に領主の地位。どちらもたまらなく魅力的だが(……)。

 う~む、少女が領主の地位を望みますかねぇ。

 また、この競技には、彼女とともにダンジョンに挑むライバルたちも存在します。
 短い登場ながら、味気なくなりがちなダンジョンを動的にしてくれる存在ですが、
そのライバルたちも、男性5人から、男性3人、女性2人と、以下のように変えられております。

○両刃の戦斧を持つ毛皮をつけた蛮人二人
→カタコトでしかしゃべれない毛皮の男。
→片刃の斧を持つ隻眼の戦士。

○艶やかな金髪にネコのような緑の目の妖精めいた女
→蒼い髪に青い目のエルフ

○紋章つきの盾を持ち、羽根かざりのついた兜と鉄のよろいを身にまとった男。
→巨大なハンマーを持つ、鉄仮面の巨漢。

○黒いローブと覆面を被った(忍者)
→異国の黒装束の(ニンジャ)

 彼らも、イラストにあわせた変更とセリフが加えられております。
 本文中でも、何人か男性から女性に変えられたキャラクターがおります。
原作はほとんど男性で占められておりましたから、作品を華やかにするための措置でございましょうな。
 男女平等思想に基づくもの……ではないでしょう。

ほかに、大きな変更点といたしましては、
モンスター名が、英語の音そのまま、
ということがございますな。

タイトルも英語そのままですから、英語そのままのほうがいい、と訳者は考えているのでございましょう。
 あるいは、社会思想社版の訳にあわせるかどうか考えたあげく、英語の読みそのままにしたとか?

 あと、細かいところをいくつか。


番には、「スロム勝ち残って……。」とフィリア様の心情を表す一文が書かれておりますな。
これも、主人公にキャラクター性を持たせたために書き加えられた一文と申せましょう。

よくわからないのが、14番でございます。
ここは、社会思想社版では木製の手箱だったのですが、木のに変更……。
いったいなにがあったのでございましょうか?

229の少女の詩も変わっております。
社会思想社版では、口語調なのが、ホビージャパン版では文語なのですな。

何となく、社会思想社版のほうが古典的な感じがしたのでございますが、ここだけはそうではございませぬ。
雰囲気づけのためでございましょうが、不自然な感がなきにしもあらずです。

 あまり比較していると、いつまでたっても書き終わらなくなりますので、この辺で。
 いろいろと比べてみると面白いと存じます。

 そのような変更は別といたしまして、社会思想社版とホビージャパン版を比較してみますと、
 社会思想社版が、逐語訳的なのに対し、
 ホビージャパン版は、とにかく分かりやすさを心がけて訳している感がございますな。
 そのため、かなりの意訳もあるのですが、言い回しの違いで間違いはなさそうですし、なにより読みやすい
 原典主義の人は批判するかもしれませぬが、プレイに集中できるという点ではプラスと申してよろしゅうございましょう。

 まぁ、わたくしは英語原作を見ていないのですけどね。
 そのような感じを受けるのです。

 文章については、まあ、そんな感じでございますな。

 次に難易度に関して。

 難易度は……。
 社会思想社版、ホビージャパン版でほとんど変わることはございません。
 タイトルどおり、難しいです。
意地の悪い謎も多いですし(でも、ジャクソンのほどたちは悪くございません)、敵も強い。
技術点12点なんて敵も出てきちゃう。

「唯一の正しい道順」とは、危険がもっとも少なく、たとえ原点が少ないプレイヤーであっても比較的容易に通り抜けられるルートのことである。

と、p.14に書かれておりますが、これはキャッチコピーだと思ってください。
 サカムビット男爵の迷宮は、なにしろ多くの冒険者が挑戦して、まだ一度も踏破したことのないダンジョンなのです。
 それを能力の低い冒険者が征服してしまったら納得いかない……。

 おそらく、そういうことなのでございましょう。
 どうせ、何度か挑戦することになるでしょうから、あらかじめフィリア様を10人ぐらい用意して、能力値の低いフィリア様から順番に投入していってください。
 そうすれば、最後のほうには、迷宮を突破できるでしょう。
 そういうゲームなのです。このゲームブックは。

 ……。
(まっ、能力値を決めるとき、何度も満足のいくまでサイコロをふるというのが、普通のやり方かもしれませぬけどね)

 ルールについては、
 むしろ原作に忠実になった箇所もあるようでございます。

夜音(nacht_musik)様のブログ、
「アリオッチ!アリオッチ!アリオッチ!」
内の
 
新春対談2 萌えゲームブックを語る デストラップ・ダンジョン解析編 

によりますと、
イベント時の数値の増減が、社会思想社版とは異なるそうで、当該箇所を見てみますと、確かにそのようになっております。

具体的には以下の五箇所ですな。

パラグラフ26 体力点-2 → 技術点-2

パラグラフ33 体力点-3 → 技術点-3

パラグラフ150 体力点-1 → 技術点-1

パラグラフ223 運 点-2 → 運点は減らない

パラグラフ271 技術点-2 → 技術点-1

 もっとも、そこのコメント欄をよみますと、パラグラフ223以外は原作がこう、だそうで、原作に忠実になったようですな(223は、社会思想社版の方が正しいのだそうでございます)。

 体力点マイナスが技術点マイナスに変わるのは、冒険者にとって大きく不利になるということでございますが、
ただ、この部分、正解ルートにはあまり関係ないということ
らしいので、目くじらをたてるほどのことでもない……でしょう。

 これとは別に、変更点がございます。
 最初に選ぶ(技・力・幸運)薬の内容量が
社会思想社版では1回なのに対し、ホビージャパン社版では2回になっております。
 これは大きい。
 2種類持っていけたらもっとよかったのに、とも思いますが、それは言わないことにいたしましょう。

 いずれにせよ、社会思想社版よりは、少しは有利になっているのでございますから。

* ところで、

nyadach様のブログ

「ダイタン放浪記@ゲームブック」この辺

で知ったのでございますが、

「ゲームブックはいかが」

と申すページ(この辺)には、「死のワナの地下迷宮」のしーじーなマップがございます。

 

「クイーンズブレイド」シリーズのところで書きましたホビージャパン社も、FFシリーズを復刊させております。

『デストラップダンジョン』

『ハウスオブヘル』

にございます。

社会思想社版の、

FF6 「死のワナの地下迷宮」

FF10 「地獄の館 」

に当たる作品ですな

タイトルは、
近頃の映画のタイトルに倣(なら)ったのでございましょうか。

英題をそのままカタカナにしただけ。

こういうのは、センスが感じられないと申しますか、味気ない感じもいたします。

ホビージャパン社のこれらのFFシリーズの復刊は、
大きな特徴がございます。

 実際に目にした方は、すぐにわかりましょう。
 
「クイーンズブレイド」の成功に気を良くしたか
 ライトノベルの棚から撤去されないための対策か、
 マーケティングとやらの成果なのか。
 はたまた、表紙買いをする人を騙そうとする魂胆か
 
 イラストが、ライトノベル風に主人公の少女を中心としたものになっております。

 主人公の少女?

 そう、ホビージャパンのこのシリーズでは、主人公のキャラクターが決まっているのですな。
 口絵イラストには、少女の性格や身長、スリーサイズまで書かれているのでございます。

 無色透明な主人公であった社会思想社版(と原書)からの、これは大きな変更点と申せましょう。

 海外作品のイラストを変更することには、わたくしは大いに賛成でございます。

 TRPGとか、ゲームブックにいたしましても、イラストがしょぼかったり、日本人好みじゃなかったり……、というのが良くございますからな。

 ただ、この場合は……。
 これはまさに「クイーンズブレイド」と同じ手法、
原作破壊系でございますな。

「クイーンズブレイド」の原作である「ロストワールド」の場合は、
本文中に物語要素がございませんから、この方法論が通用いたしますが、
FFシリーズは物語がございます。

 主人公は、よく言われるように確かに「無色透明」ではございますが、
その世界は主人公を規定するように雰囲気が作られております。
 それに、色をつけたのでございますな。
 ゴシック建築にポップアートの色を塗りたくるかように……。

 逆の喩えを申しますれば、ドラゴンボールが実写になったようなとでも、申しますか。
 まぁ、ドラゴンボールを実写でなんて、そんなムチャな話はだれも考えないでしよう!

 あり得ない話でございますな。

 いずれにせよ、困惑してしまうことは事実でございます。

 これが、リアルな、もしくは情感あふれるイラスト
--ゲームブックの挿し絵を描かれている方でしたら、たとえば--

米田仁士先生ですとか、
天野嘉孝先生ですとか、
山田章博先生ですとか
でございますな。

そういう方のイラストでございましたら、物議を醸し出すこともなかったでございましょう。

 もっとも、このシリーズの場合、物議を醸し出すことが狙いの一つだったと考えられますので、
その戦略にまんまと乗せられた形となるのでございますが。

 とは申せ、わたくしは完全否定の立場ではございませぬ。
 プレイしていて、意外に違和感を感じはいたしませんでしたし。

 社会思想社版と、ホビージャパン社版、両方が選べるような環境でしたらアリだと思うのでございます。

          ☆    ☆    ☆

 イラストの変更については、海外作品のみならず、日本文学作品であっても、わたくしは賛成でございます。
 ただし、やはり、変更アリとナシ、両方が用意されている場合においてと申すことでございますが。

 集英社文庫で、昨年、日本文学の表紙をマンガ家が描くという企画がございましたが、こういう試みはもっと続けて欲しいものでございます。

 表紙だけといわず、本文中にも挿絵をたくさん入れて欲しいものでございます。

 ただね、『伊豆の踊子』の荒木飛呂彦先生は、さすがにミスチョイスでございましょう。

川端康成なんてロリコンなんだから、
もえもえのロリ絵のほうが、作者も喜ぶと思いますのに--。

    ……
    ……

いえ、なんでもございませぬ。

          ☆    ☆    ☆

 何か長くなってしまったので、今回はここまで。
 次は、文章とかシステムとかについて書いてみたいと存じます。

 現在入手可能な作品の紹介なんて、一回で終わる予定でしたのに--。
 他の方に任せてしまったほうが良かったのかもしれませぬ。
 

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