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2025/01/22 以前『ロリ神』のところでちょっと触れたインドネシアのVチューバー、 Alia Adeliaさんが「卒業」なされたみたい。インドネシア語なんかまったく分からないので、ほとんど見ておりませんが、日本のお歌をふだんあまり聴かないわたくしなどは、この方のお歌で知ったものもございますし、たまにある日本語講座が言葉や例のチョイスとかがいろいろと変で面白うございました。昨年末の「卒業」動画で配信が止まっていることに気がつき、それを見ました。日本語でもあいさつしておりますが、理由についてははっきりとは語っておりません。コメント欄などを見るに、どうやら所属事務所の問題みたいなのでございますが、よく分かりません。
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リヴィジョンズ3』
木村航 原作:S・F・S
(2019/3/ハヤカワ文庫JA)
 

リヴィジョンズ 

 

 多元世界的な時間ものなのでしかたがないのでございますが、
最後の方話が大きくなり過ぎちゃって苦手~。
 
 ウビークェ……、えっと汎在者でしたっけ? 氾在者?

 悟らないまま解脱しちゃったような感じで、どういうわけか
むかしのすごろくゲーム「たんば」が浮かんでまいりました。
 
 やったことはございませんがあのゲーム、
あがりまでいったプレイヤーが、ほかのプレイヤーにほどこしができますでしょ? 
 あれは、悟って解脱でございますし、こっちは施しではなくトラブルのタネ。
まったくの逆ではございますが、それが思い浮かんできてしまって……。
 
 ロボットものといたしましては、
敵陣営の内部分裂はある種のお約束ではございますが。
 ニコラス・慶作さんがシャア・アズナブルさんに思えてきたりしたのは、
わたくしだけでございましょうか?
生まれながらの運命によって踏みにじられるしかなかった一生を
 自分の手の中に奪い返すための戦い」(p.352)と……
 目の上のこぶとなったものに対する心情……。
 完全に同じとはまいりませんが、まぁ、似ておりますな。
 ニュータイプ能力を手に入れていたらシャアさんも、
あんな感じで戦っていたんじゃないかなぁ。
(アニメのほうではぜんぜんそんな感じはいたしませんでしたが)
 
 p.192の「外見が異なる(醜さ)」のあたりでは、
マンガ『エヴァンゲリオン』のラストを思い出しました。
あれも、シンジ君が理性的に選び取ったというよりも、
外見で決めたような気がいたしますものねぇ。
もっとも、あれはシンジ君の選択を心情的にわかりやすいように描いた
マンガ的な手法とも言えなくはございませんが。
 
 クライマックスは人称がややこしい……
 ただしこれは、小説だからこそ。
アニメイションでは、違った表現になるでしょう。
小説でなければできない表現でございます。
 
SFマガジン」2019/4 vol.60 no.732の書評には『リヴィジョンズ1』について、
「本編のストーリーに沿ったのヴェライズの第一弾。
 先に読んでもあとに読んでも楽しめる」と書かれておりました(p.150)。
 
 一巻の時点では。まぁそう書く以外にはございませんでしょう。
 
 ですが、これは小説なのでございますから、むしろそれとは逆、
アニメでは描くことのできない部分を味わうべきでございましょうな。
 
 におい でございますとか、空気感でございますとか、
描写の妙、表現の美しさ、画面には現れない登場人物の細かな心理……、
まぁ、そんな部分でございましょうか。
 
 アニメの脚本を担当なさっている茗荷屋甚六先生が、
そのあたりをどう扱っているかは、わたくしのあづかり知らぬところではございますが。
 
 
 それを含めまして、この作品、
ノベライズではありながら、木村航先生の集大成という感がございます。
 
  と申し上げたら、先生は気分を悪くするのかなぁ……。
 
 わたくしの読ませていただいたかぎりは、
『しおかぜ荘の震災』(2013/双葉社)、
『パラプラ学園』(2015/スニーカー文庫)あたりまででございますが、
今回の『リヴィジョンズ』は、外枠を他の人が? あるいは共同で
作ったことによって、
その中で思いっきりの実力を発揮できたという感じがするのでございますよね。
 
 前掲2作は、後期宮崎アニメ的と申しますのかな、
構築を薄くして登場人物にゆだね、
それでいて作者のまなざしが感じられるものだったと思うのでございますが
(航先生が見ていないと思って勝手なこと言っているなー)、
今回は、かなり構築的。
 
 それが、つまり次々と起きる内的外的な事件が、
登場人物の性格や行動をくっきりと際立たせ、
先生の筆力、これまでにつちかった持つべき力を
存分に発揮していると思うのでございます。
 
 ラスト

 実は、最後のページは、後書きでも書いてあるんじゃないかなぁ、
と、最初に見てしまったのでございます。
 
 で、なるほど、最後はこう締めるのか……。
 と、独り合点をしたのでございますが……、
読了したら、その意味は、全然違っておりました。
 
 でも、これはどういうこと?
 破滅がやってくるということなのでございましょうが、
 小説内で起こった出来事によって、また違った未来の可能性ができたということ?

 どうなるのでございましょう?
 

 ジャンル分けは、あまり意味がないかもしれませんが、
 系統といたしましては、
 ライトノベルではなく、ジュヴナイルでございましょうな。
 「お前ならどうする」と、テーマを突きつけてくる感じが、そう。

 それを緻密にし、進化させた形、と思う次第でございます。
 


 長々と書いてしまいましたが、本当に言いたいのは一つだけ。
 あらすじをなぞっただけのような、
 単なるアニメのノベライズではないということでございます。
 それたけは心に留めておいてくださいませ。
 
 
 
 
追記:アニメ11話はこれを書いたあとで見ました。
   読み落としていた部分などございましたので、
   その後本文修正を加えた箇所もございます。
 
   アニメはわかりやすいように
   セリフや表現を変えてあるような気がいたしますな。
   で、見落としていたところに気づかされたり……。
   両方で違いを比べてみるのもよろしいかと……。

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周五郎少年文庫
『少年間諜(スパイ)X13号』
冒険小説集 
山本周五郎 末國善己編 
(新潮文庫/新元号元年元日)
 
 
 山本周五郎先生の戦前の少年少女向けの作品を集めた文庫が
昨今何冊か発売されております。
探偵小説怪奇小説も気になるところではございますが、
冒険小説集である本作を買ってみました。
周五郎先生の冒険小説ってどんなのだろう?
 
 読後思ったのは、これ、執筆年代順にしたほうがよかったのでは?
 ということでございました。
あとの時代の作品のほうが面白いんですもの……。
 
 連載、つまり多少長めの作品は、
 
『少年間諜X13号』1932/4~12月号
『決死ケルレン城』1934/1~12月号
『獅子王旗の下に』1935/12~1936/4月号
 
 なのですが、
 最初の『少年間諜X13号』は、
もっとも国策小説の色合いが濃く
しかも日米対戦をテーマにしているだけございまして、
なんともうすら寒い感じがしてくるのでございます。
 
 太平洋戦争という言葉も出てまいりますし、
主人公は決死隊として飛行船に特攻をかけるし
(特攻という言葉自体は出てまいりませんが)、
なによりも主人公の大和八郎
日本のためなら死をいとわない忠国の精神にあふれておりまして、
それが彼の果敢な行動のもととなっているのでございます。
 
 これは太平洋戦争を予言していたのては、と思ってしまいがちですが、
おそらく逆なのでございましょうな。
 
 こういった傾向の小説を十代のはじめころに読んで影響を受けた少年が、
成人するにおよんで、御國の為と進んで命を差し出していったのでございましょう。
 
 みなさんの中にも、
ロウティーンと呼ばれるころに読んだ本に影響を受けて道を踏み外し……いやいや、
た方もいらっしゃるのではないでしょうか? 
そういうことが、この時代にもあったのではないかと思うのでございます。
 
 特攻も、この作品に出てくるように、
水素ガスを充填している飛行船なら有効でしょうが、ねぇ。
 というか、
飛行船ならパラシュートで脱出してもよかったのではないかと思いますし、
ほかの方法もあり得たような……。
 御国の為に身を挺することが美学としてもてはやされたのでございましょうな。
 
 こうした主人公の性格からか、
ご都合主義が目立つところも、この小説の欠点でございますな。
いや、もしかするとそれは、現代の目で見ての、なのかもしれません。
 父親や八幡菩薩の加護で助かるというのは、
当時としては意味のあることだったのかもしれません。
 
 でもなぁ……。
 特攻よりも危険なことをやろうとして、大和八郎助かっちゃうんですよ。
 パラシュートで脱出ですよ。
 こういうのを読んで特攻に命を捧げた方のことを思うと、なんとも……。
 
 とはいえ、オビ
ジェームズ・ボンドより、イーサン・ハントより、すごいスパイがいた!
と書かれているのはちょっと言い過ぎな気はするものの
(そこら辺は人それぞれでございましょうが)、
スパイものとしては、それらの作品を先駆けております。
 
 主人公は快活豪胆でフェアプレイ精神もあり心地よいですし、
三つの秘密兵器を携え、小型潜航艇、戦闘機をあやつり、敵艦隊をやっつけたり、
秘密要塞に潜入したり、敵の飛行船に乗り込んだり、
活躍だけ取り出してみると縦横無尽でございます。
 
 ただ、軍事色が強いのと、国策にあった主人公の性格が、
今の目で娯楽小説としてみると、困ってしまうのでございますな。
 
 
 もっとも、こういうのは作者としてもあまりやりたくなかったのでは、と思います。
 
 と申しますのも、『決死ケルレン城』、『獅子王旗の下に』では、
そうした印象が少なくなっているからでございます。
 
 この2つの作品は、日本が当事国とはなってはおりません
 
 前者は内モンゴルがモデルと思われる架空のケルレン王国でございますし、
後者はエチオピア

国策的な意味はあったのかもしれませんが、
日本人が義勇にかられて他国を助けるという形をとっており、
忠国的なセリフはあまり出てまいりません。
 
 かつて大英帝国の植民地であった国におもむいて、
ジェームズ・ボンドが活躍するようなものでございますな。
      (敵や現地の女性に助けられたりもいたしますし)
 
 そのため、御国の為という感じは少なく軍事色も薄まって、
純粋に冒険小説として楽しめるのでございます。
 
 多少のご都合主義はございますが、少なくなっておりますし、
誰それ、何それの加護、ということがなくなったのがよござんすな。
 
 ピンチを切り抜ける機転も利いている。
 ということは、作者が頭がいい証左なのでございますが
 
 キャラクターもいい。
 特に、『決死ケルレン城』の
ふだんは頼りない少年だけど実は、の少年と、
浮浪児栗鼠公のコンビはいいなぁ。
 
 こういうのって、
後世の少年冒険マンガなんかに影響を与えているんじゃないのかなぁ……。
 門外漢なのでそう思うだけでございますが。
 
 純粋に娯楽小説として面白い物語に仕上がっていると思います。

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vol.171は、
「ストラトシャウト」応援企画なのでございましょうか? 
『ヤンキー&ヨグ・ソトース』『ビギニングアイドル』『キルデスビジネス』
歌に絡めておりましたな。
 
 というわけで、
これらの作品から4人を集めて冒険企画バンドを組ませてみた次第でございます。
 
冒企バンド
 

 この4人、共通する音楽性なさそうではございますけどね。
イベントでの1日限りのセッションなのでございましょう。
 したがって、歌詞もそんな感じで。
  
 ちなみに、『ヤンキー&ヨグ・ソトース』の人には、タンバリン持たせています。
わかりにくいなぁ
 
 まぁ、そんなところで。

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『話術』
徳川夢声
(新潮文庫/平成三十年四月)

戦後すぐに出版された話し方に関する本で、
平成15年の版を底本としているようでございます。
 作者の徳川夢声先生のことは、名前ぐらいは知っている人も多ございましょう。
 わたくしもそのクチでございまして、
どんなことを書いていらっしゃるのだろう、という興味から手に取った次第でございます。
 最後に久米宏さんが解説と申しますか、
エッセイみたいなものを書いているのも興味を引かれたところでございます。
 
 読んでみますと、さすがに語り口がうまい
それに構成も考えられている
ユーモアを差しはさみながらよどみなく流れるように、説を進めておられます。
 
 特に感心したのは、演芸の歴史についてお書きになっているところでございますな。
 時代とか人名とかがたくさん出てきて、読みづらくなるのが通例でございますが、
すんなりと知らず知らずうちにその話が進んでいく。

 ホントはこうした構成についてのアドバイスを読みたかったところでございますが、
そういうことはあまり書いてはございません。

 話術の本でございますから、声の出し方であるとか、
場にあわせた話し方であるとか、まあ、そういうことが書いてあるわけでございます。
 
 オビにも書かれております、座談十五戒など、わたくしには耳が痛いところ。
  (オビだけ読んで、わかったような気になってはいけませんよ)
 これが一つや二つでございましたらまだ個性でございますが、
半分以上が気になってまいりますと……。
 まぁ、そうは申しましても、今さら変えるわけにもまいりません。
 しかたがないとあきらめてもらうしかないようでございます。
 
「この本を読むと、話し方が上達する。
 それは恐らく間違いない。間違いなく少しは上達するはずだ」
 
 巻末の久米宏さんもそう書いてございますが、そのとおりでございましょう。
 
 話し方などは、結局は場数――経験が物をいうものだと存じますが、
ここに書かれていることを心に置いていれば、
経験点が1~2割増しぐらいにはなるのではないかと思う次第でございます。
 (余談でございますが、そういうRPGってあってもいいと思うんですよね。
  前もって練習したり、本を読んだりして時間を費やしていたら、
  経験値がそうではないときよりも何割増しかになるような……)。
 
 ただ問題なのは、読みやすすぎて頭の上を通り過ぎてしまうような気も……。
 何度も読むことが必要でございましょう。
  
 TRPGの、特にゲームマスターなどをやっている方には、
 参考になる部分もあると存じます。

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「<アドベンチャーゲームブック>
 ループ・ゴールドバーク・マシンである人間の魂」


『第七階層からの眺め』第七階層からの眺め
ケヴィン・ブロックマイヤー
 金子ゆき子訳
(武田ランダムハウスジャパン/2011/11)
 
p.153-236
 
 
 これも、図書館で借りてきたもの。
 ただし、こちらは開架書庫。
 
 
『第七階層からの眺め』
 短編集。

日常の中にちょっとした不思議が舞い込む話や、
逆にSF的な舞台の中で、
ものすごく日常的な物語が展開する作品が特徴だ。
 
 こうした小説は、
従来ならSF・ファンタジー的な解決が求められたりするのだが、
この作品集はむしろ逆。
 
 そのような普通とは違う状態を取り入れることで、
日常をより際立たせ、登場人物らの心理をより色濃く描いている。
 
 解説の小川隆先生によると、
このような作品を寓話小説(fabulist fiction)というのだそうだ。
 
p.373「ここでいう寓話とは、動物やものを擬人化して、
   そこに何らかの隠喩をこめ、教訓や洞察を含む何らかの寓意を伝えよう
   とする話というよりも、現実を写しただけでは描けない、目に見えにくい真実を
   描くために、空想的な設定を用いた話という程度のニュアンスだ。」
 
 描写が丁寧で、比喩も的確。
 それでいて、落としどころがちゃんとあるのが心地いい
  (すべてというわけでもないようだが)。
 
 終わったのか終わらないのかわからないような結末は、
どうにも落ち着かないので、個人的にうれしい。
 
 それとは関係なくこの作者、物語に絡む絡まないにかかわらず、
何かがだんだんに増えていくという話が好きなようだ。
 
千羽のインコのざわめきで終わる物語」ではインコが、
静寂の年」では、最初静寂、その後喧噪が、
ポケットからあふれてくる白い紙切れの物語」では、願い事が書かれた紙切れが、
 
 多くなっていく。
 
 一方のモチーフが「宇宙大作戦(スタートレック)」の
トリブルを連れた奥さん」でも、どんどん増えていく生物、トリブルが登場する。
                  (物語の中心には絡まないが) 
 
 この「トリブルを連れた奥さん」。最後の2行(?)が好きだ。
 
 もう一方のモチーフである「犬を連れた奥さん」の作者が
チェーホフであることを示しているのだが、
これを「宇宙大作戦」のあの人物が書いたのだとすると、視点的に面白い。
 
  どんどん増えていくといえば、拡散型のゲームブックもそうだ。
 物語がすすむにつれて並行するエピソードが次々に増えていく。
 作者がゲームブックを題材としたのも、そこに興味があったためかもしれない。
 
 
 
 というわけで、本題。
 

「<アドベンチャーゲームブック>
ループ・ゴールドバーク・マシンである人間の魂」
 
 アドベンチャーゲームブックと題されているが、ゲームではない
 これは、バンタム社などの
一般的なゲームブックの形式で書かれた作品といった程度の意味だろう。
 
 めまいに襲われた「あなた」が死ぬまでの数時間の日常が描かれる。
 
 家にいて本を読んだり、外出して店に入ったり、
 誰かと話したりする中で選択肢が発生する。
 超常的なことは特に起きない。

 主人公は「無色透明」ではなく、
思ったことや過去の経験などもどんどん出てくる。
本や音楽のタイトルとその感想まで書かれているが、
描写が丁寧で物語としてもしっかりしているため、特に気になることはない。
  
 そういう意味で、『石蹴り遊び』とも似ているのだが、悪印象はなかった。
 分岐に意味があるためだろう。
 
 どの分岐をたどったとしても、それぞれに主人公は考え、それぞれの人生を歩むのだ。
  
 
 移動型からみると、この作品は拡散収縮型にあたる。
 
 作中に示されているフローチャートは、こうだ。
 
ループ・ゴールドバーク・マシンである人間の魂
 

 
 本当に純粋な拡散型で、最後に行き着くまで、合流するパラグラフはない
 
 選択が違った行動が、あとでまったく同じ状態になることは本来不可能なので、
こういう形にしたのだろう。
(ゲームブックで合流ができるのは、描写その他に省略があるからだ)
  
 最後のパラグラフであるp.200は死の場面だ。
 普通のゲームブックでは、死はゲームエンドの意味しかないので、たとえば
ブレナンの14のように、1つのパラグラフに担わせていても、
移動型としては考慮しないのが普通(○○収縮型とは呼ばない)だが、
この作品では、最後は死に収斂する(加えて、「あなた」の死後に着地点となる話が
少し続く)ということに意味があると思われるので、拡散収縮型に分類する。
 
 
 作者の書くフローチャートの中心に、どこからも行けないパラグラフがあるが、
そこ(p.171)ではタイトルにある「ループ・ゴールドバーク・マシン」について
説明をしている。
 
 「インクレディブルマシーン」や「ピタゴラ装置」のようなものの、
大もとであり、総称らしい。
 
「人生そのものが一種のループ・ゴールドバーク・マシン、つまり、
 人の魂を構成するというきわめて簡単な仕事を実行しているきわめて複雑な装置」

だと考え、それに細やかな説明を加えている。

 あとのほうに「人生のあらゆる瞬間に変化があり」と書かれていことから考えると、
人生何が起こるか分からない、という意味合いよりも、人生の瞬間瞬間に意味がある、
ということにこそ力点が置かれているような気がする。
「ループ・ゴールドバーク・マシン」が瞬間の仕掛けにこそ楽しさがあるように。
 
 ただ、このようなテーマ的なものが書かれているとはいえ、
テーマのためだけに作者がこの作品を書いたとは思えない。
 ある一点から展開する、さまざまな日常、そこでの行動、心の動き。
それを描く為にこの作品を書いたのだろうし、
読む側も「ループ・ゴールドバーク・マシン」を見守るように、
それぞれの動きを楽しむべきだろう。
 
 
 ラスト(ちょっとネタバレになるが)は、ちょっと疑問が残る。

 数千年後、「あなた」の最後の数時間の記憶(つまり、この短編の部分)は、
取り出され展示されることになるが、
その記憶は、ここに書かれたすべてではなくて、
「あなた」が選び、経験した一本の記憶となるはずだが、それをどうとるか?
 
 正確に考えればそうだが、
シャンデリア状のフローチャートが書かれており、
そのすべてが作品として書かれていることを考えると、
全体が展示されていると考えた方が美しいし、たのしい。
 
 まぁ……。
 
 どちらととるかは、読者次第、好みということでいいのだろう。
 

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『ランサン作戦』柘植久慶
(日系企画出版局/1991/11)
ランサン作戦
一方向移動 拡散収縮型パラグラフ数221

 ゲームとはまったく関係ないのですが、
このゲームブックを手にしてまず目につくのが
巻末の広告でございます。
 
・ 柘植久慶の「ザ・護身術」
・ UFO原理と宇宙文明
・ 催眠術の神秘
・ 密教金剛舎利護身術
・ 不道徳催眠術講座
    モテモテの為の恋愛催眠術
    強くなる為の武道催眠術
・ 世界は日本人により平和となる
    日本人の使命
・ 般若心経の大予言 神理統一教会
    ついに世界唯一の神が出現した
・ 催眠蓮華密教の秘宝  
    ――神は「神理統一教」を人類に与えた――
 
 などと、護身術のビデオとか催眠術の本とか、あやしいタイトルが並びます。
 

 「使用道具の説明」も、なんかメモ書きをそのまま載せてしまったような……。
 
 ランサン作戦・使用道具
 
 その前の「はじめに」も、
わざわざマンガにするところではないような気もいたします。
 
 そこから、ブリーフィングをはさみながら、
部隊のメンバー紹介、使用武器、装備などが紹介されていくのですが、
ゲーム的に意味がないし、こちらも文章はメモ書きみたい
 
表紙には、「本文イラストは、細部にいたるまで忠実に実物を表現
と書かれてございますが……、マニアの方にはどうなんでしょうねぇ。
 
 とりあえず、編集の実力に疑問を抱くところでございます。
 
 さて、気を取り直しましょう。
 
ランサン」とは、
百万の象を意味する古いラオスの王朝の名だということでございます。
 
 時は、1970年代。ベトナム戦争のさなか。
 
「あなた」は特殊部隊の大尉として、11名の部下と現地人の案内人1名とともに、
ラオスの山岳地帯へ潜入するわけでございます。
 
 目標は敵補給基地
天然の洞窟を利用しているため、爆撃は不可能なのでございますな。そ
こで特殊部隊が潜入し爆破する、というわけでございます。
 
 途中には小規模の見張り所、Y-1、Y-2があり、
それもなんとかしなければなりません。
 
 考えられるルートは5つ
 そのどのルートを通っても、脱出できる可能性はある。
 
 一方向移動で、
 5つのルートがさらに選択で分かれ(拡散型)
目標達成後、脱出時にはパラグラフが合流する場合もある
(そうならないものもある)ので、拡散収縮型でございます。
 
 拡散型なので、1つのルートは短め。
ですが、集中してプレイすることを考えれば、このぐらいが適当かと存じます。
 
 
 さて、ここから、ネタバレを含むのでご用心。
 
 ベトナム戦争が題材なので、とにかく生き残るのが難しい。
 選択肢のうちどちらへ行ってもEND、なんて、
スティーブ・ジャクソンみたいなこともやっています。
 
 とにかく、アイテムとか拾っちゃダメ。
ちょうど都合いいとか思っても、それは確実にブービートラップです。
 そういえば、冒険記録紙のようなアイテムを記録しておく場所はありません。
 そういう点、ファンタジーに対するアンチテーゼなのかなとも思ったりして。
 
 見通しのよい小川や、ちょっと広い道はワナですし、
たばこや用便の臭いは、しっかり漏れないようにしておかなければなりません。
銃や爆弾を使えば、敵兵や戦車がやって来て戦闘が発生します。
 
 そんなわけでこのゲームブック、とにかく死にやすい。
 
「END」になっていなくても、
戦闘の結果、大尉(あなた)が死ねばそこでゲームオーバーですし、
メンバーはどんどん減っていきます
(減っていっても、ゲーム的には問題ないみたいですが)。
 
 逆に「END」は、全滅を意味するところもあるものの、
作戦失敗するも脱出だったり、作戦成功して脱出だったりするので、
「END」が多いからといって
一概に全滅しやすいとは言えないところが、レビューする身としてはつらいところ。
 
 ただし、そこでもたいていは戦闘があり、
大尉(あなた)が死んだり、脱出用のヘリが撃墜されれば全滅。
加えて生き残りが減る可能性もあります。
 
 ベトナム戦争ですから、生き残るのが困難なのも当然なのかも知れません。
 
 ただし、
 
 ここまで読んできて、つまらないゲームブックだと思われた方も
多いかもしれませんが、そんなことはございません。
 
 文章は読みやすく、
戦場に関する本を数多くものにされている作者でございますから、
そうした場所での行動や現実的な対応がよく描けております。
現実を舞台としているため選択肢に意味もあり、結果にも納得性がございます。
 
 トランプやサイコロを使わずとも、読み物として楽しめる。……。
 個人的には、そのほうが面白いと感じました。
 

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『王様と乞食』王様と乞食

スーパー頭脳集団アイデアファクトリー
(エキサイティング・ゲームブック17 
         桐原書店/1986/3)

 パラグラフ数200



 エキサイティング・ゲームブック
            シリーズ最終巻。
 
  
 ある日突然、
君は、トランプのジョーカーそっくりの奴に、
中世ヨーロッパのような国へ呼ばれてしまう。
プンラト王国なんてふざけた名前のそこは、
もっか「ニセの王」が支配していて、民衆の
心はすさむ一方だという。早く、「まことの
王」の後継者を見つけださなければいけない、
ということで白羽の矢を立てられたのが、君
なのだ。といって、行けばすぐ王様にしてく
れるわけではない。君は、自力で4つの
「王のしるし」を探して手に入れる必要がある。
 
            (背表紙のあらすじより)
 

  
 この文章から分かるとおり、
この物語はマーク・トゥエインの『王子と乞食』とはまったく関係ございません。
 
 トランプモチーフですが、大貧民も関係なし。
 
 プロローグを読み始めた段階では、
ジョーカーになって真の王様を探すのかなとも思ったのでございますが、
あらすじどおり、ジョーカーに指名されて
「きみ」が王様候補として、
現実世界から夢をとおして異世界に呼び出されたという趣向です。
 (でもそれだったら、表紙のトランプモチーフの王様はいやだなぁ……)
 
「きみ」の左手親指の爪には、白い星が浮き出て、
これが王様の印だというのでございますな。
 指の白い星は、幸運の印などと占いではいうみたいでございますから、
それにならったものでございましょう。
 
 ちなみに、ライバルなどはおりません。
ENDは、死ぬとか、乞食になるとか……。
現実世界に戻ってくるという発想はないようでございます。
 
 
 ゲームを終えてからはじめて気づいたのですが、
プロローグにはゲームのヒントがいくつか書かれております。
 
「まことの王」(以前の王様)の家臣は、湖・森・田園・乞食の国を領土としていた。
 ニセ王が君臨した今では、乞食や野良仕事をする村人に姿をやつしている。
 ニセ王は隣国の軍の力を借りている。
 四つの「王のしるし」を集めて城に乗り込めば。「ニセの王」は倒せる。
 
 などでございますな。
 
 
 ルールでございますが、

 エキサイティング・ゲームブックのルールの特徴として、
設定がものすごく凝っていることが挙げられますな。
 
凝っているんだけど、
実際にやっていることはファイティング・ファンタジーと大して変わらなかったり、
実際のルールはたいしたことなかったり、
こだわりが煩雑さになってゲーム的には面倒になっていたり……。
 
 このゲームブックでも、そう。
 
 ・Jokerの気分占い
 ・運勢点の決定
 ・カード戦
 ・吉凶占い
 ・行く先占いA
 ・行く先占いB
 
  と、ゲーム前にルールがあり、
  さらに本文中でも、

  ランプ売りの占いと、
  
  「王家の紋章」(ピラミッド)
 
  「王のしるし占い」(「とらわれの女王」というゲームらしい)
 
  そして最後の戦いは
  「四つの王国
   (「四人の仲間」というゲームらしい。
     フリーセルが交互に色を置いていくのに対し、
       これは同じスーツを置いていく。難しい……)と、
 
  3つのトランプの人遊びが登場します。
  
 トランプらしさいっぱい、といいたいところではございますが、
それぞれルールが違っていて、いちいち並べ直さないとならないのが面倒。
 
 バランスは……、というところで気がつきました。
 
このゲームブック、占いや戦闘によって運勢点が頻繁に上下するのですが、
運勢点を使うとか、運勢点が何点以上なら、というところが一切ない!! 
運勢点が0になったら死ぬとかいうルールもない!!
  
運勢点意味ないじゃん!! 
 
っていうことは、失敗すれば遠回りになるけれど、
途中いくつかあるENDに捕まらなければ、何とかなるっていうこと?
 
 ゲームブックとしては、それでいいと思います。
 何度も同じ場所に行くなどして時間を使うこと自体がペナルティになるわけですから。
 
 でも、ルールとしては……、ねぇ。
 
 一人遊びの部分は、「四つの王国」などゲーム的には難しいものもございますが、
制限時間が設けられていますので、その制限時間内に完成すればいい、
ということなのだと思います。
 
 そう考えれば、それほど難しくはないのでは?
 
 
 
 物語の流れは、この手のゲームブックとしては、オーソドックス

「町」「田園」「ぶどう園」「乞食村」「森」「湖」といったところをまわり
(「となりの国」に行く場合もあります)、王のしるしを集めて「城」へ入場。
「ニセの王」との対決となります。
 
 王の四つのしるしは、「剣」「聖杯」「金貨」「木の棒」
言うまでもなく、トランプの各シンボルの元の姿です。
 これらをまことの王の臣下から受けとるわけでございます。
 (以下、ネタバレ)

 「乞食村の老人」(♢・金貨1枚)
 「錬金術師」(♤・鉄の剣)
 「クワを持つ農夫」(♧・木の棒)
 「ジプシーの長老」(♡・聖杯)
 
 金貨は、お城の前の商人のランプと交換いたします
 
 で、入城となるわけですが、木の棒は運がよければ要らない、
剣は選択によっては要らない……。
もしかすると、「ニセの王」が自害するときに短剣を使っているので、
こで何かあったのかもしれませんが、
ルール的には持っていなくても、200に行くことは可能のようでございます。
 
 
 一方向移動型ですが、
町や村から出るときに他の場所へ行く選択が3つほど出るので、
行きそびれた場所に何度でも行くことが出来ます。
 
 ストーリー的には、
となりの国に行って作戦を聞いてきたり、乞食村の娘と結婚したり、
イベントも変化に富んでいて、意外に面白い
(娘と結婚した後思い直して元に戻るのは、時間的に大丈夫か、
 とか気になるところでございますが)。
 

 まぁ、オーソドックスな出来と申せましょう。
 
 
ちなみに「ニセの王」は隠し部屋で自害をしてしまうので
               直接対決することはございません)
 

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 『モンスター事典 ー奈落の底からー
 アドバンスト・ファイティング・ファンタジーの怪物たち』
 スティーブ・ジャクソン&イアン・リビングストン
   編著:マーク・ガスコイン
   (グループSNE/新元号元年2月
    /"OUT OF THE PIT FIGHTING FANTASY MONSTERS"/MAY 2011)

 
モンスター事典
 
 この本をお求めになられる多くのかたは、
中を見ることができない状態で買うと思われます。

 そこで、検討の際に知っておいた方がよさそうなことを
あとがき」から抜き出してみましょう。
 
 
☆ この本の元になった作品は
   『モンスター事典』として社会思想社からすでに出版されている。
 
 扱われるモンスターは、
 
『火吹山の魔法使い』
『バルサスの要塞』
『運命の森』
『盗賊都市』
『死のワナの地下迷宮』
『トカゲ王の島』
『雪の魔女の洞窟』
『地獄の館』
『恐怖の神殿』
『魔法使いの丘』
『城塞都市カーレ』
『七匹の大蛇』
『王たちの冠』
『ファイティングファンタジー』
  「願いの井戸」
  「シャグラッドの危険な迷路」
 
 のもの。
 
 登場するモンターの数は、206種類。
(裏表紙で「250種類にもおよぶ」と書かれているのは、
             数え方の違いなのでございましょう)
 
 データなど内容は、社会思想社の『モンスター事典』ほとんど変わっていない
 
 縦書きを横書きに改め、多くのモンスター名を現代に合わせて変更した。
 
 続編として『超・モンスター事典ー奈落の彼方にー』があり、
  それも近々お届けできればと考えている。
 
 

 
 ようするに社会思想社版と大して変わらないということでございますな。
 
 ちなみに申しそえておきますと、社会思想社版にあった
4枚のカラー口絵は、今回なくなっております
 
 データに関して申しますれば、「攻撃度数」が「攻撃体数」に改められておりますな。
データの解説をしているp.16(旧p.23)をみると、
一ぺんに攻撃できる相手の最大数ということなので、
確かに「体数」のほうがわかりやすい
 
 あと、「出典」という項目が加えられましたが、
こっちはイラストの初出というだけなので、あまり役には立ちません。
 読む方としては、イラストに関わりなく、どこに出てきたかが知りたいというのに。
 
 それもできれば、上に挙げられた本を越えてでございます。
 サイ男とかクロウ・ビースト(鉤爪獣)などは、
モンスター誕生』でも印象的な登場をいたしましたからねぇ。

 どんなモンスターがどういうところでどういう風に出現したかは、
シナリオ制作の参考になりましょうに……。
 
 索引に、モンスターとゲームブックの対応表とその逆引きとかがあったら
うれしかったところでございますが……。
 
 この本を作るのにマニアックな方が関わっていなかった、
ということでございましょうか。
 
 
 さて、
 
 
 ここまででは、
内容は社会思想社版とほぼ変わらないので、
旧版を持っている人は特に買わなくていい。
でも、そういう人が記念に買うのでしょうなぁ……。
 
 という結論になるところでございますが、
まだ1つ、肝心なことが抜け落ちております。
 
 そう、でございますな。
 
 新版は後出しだから、
旧版より正確になっているのだろうけれど、
浅羽先生の訳でいいんじゃないかなぁ……。
 とお思いになっていらっしゃる方も多いと思います。
 
 比べてみましょう
 
 どの項目でもいいのでございますが、比較的短いので……。

 イノシシ年ですからイノシシにいたしましょう。
 

 旧版では、このようになっております。
 
「イノシシは美味な肉と毛皮ゆえに北アランシア各地で狩られる。
 外見はもつれた短毛の房におおわれた大きな豚に似る。
 粗暴で好戦的な獣であり、危険を感じると逃げずに牙を用いて狂ったように闘う。
 一頭の雄と体の小さい数頭の雌がいる場合は
 雄がその場にとどまって防戦しているあいだに他は下生えの中に逃げ込む。
 手ごろな大きさのイノシシの毛皮と肉は、どこの村や町の市場でも金貨数枚で売れる。」
 
 新版ではこう。
 
「イノシシはアランシア北部の多くの地域で、極上の肉と毛皮のために狩られている。
 短い茶色の絡まりあった毛に覆われ、巨大な豚のような姿をしている。
 粗野で攻撃的な獣であり、
 脅威にさらされると狂ったように凶暴な牙で立ち向かってくる。
 ときには1匹のオスと小さめのメス数匹に遭遇するときもある。
 こうした際、オスは立ちふさがって他の個体がしげみの中へ逃げ込む時間を稼ぐ。
 普通の大きさのイノシシの肉と毛皮はどんな村や町の市場でも金貨数枚で取引される。」
 
 
 新訳のほうが、ハッキリとして、わかりやすくなったことはおわかりでございましょう。
 受けるイメージも、変わってまいりますな
 (どちらがいいかは好みでございましょうが……)
 
 そんなわけで、
 社会思想社版を持っている方は、読み比べてみるのも楽しいかと存じます。
 
 何か発見があるかもしれませんし、シナリオに組み込む際にも、
 両者の違いが新しいアイデアを生むかも知れません。
 

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羊を数えて眠る本
といっしょに、
 
清水図書館閉架書庫から
借りてきたゲームブックは、
以下の2冊でございます。
 
『ランサン作戦』柘植久慶
(日系企画出版局/1991/11)
 
『王様と乞食』
スーパー頭脳集団
アイデアファクトリー
(エキサイティング・
ゲームブック17
 桐原書店/1986/3)
 
 ともに「清水のみ」となっておりました。
 
 検索ではほかに「にゃんたん」とか「ねこまる」とか、児童書が数冊ございましたが、
そちらは守備範囲ではないので借りては来ませんでした
(借りてないので、何だったかはうろ覚え。閉架かどうかもわかりません)
 
 むかしは、双葉文庫のゲームブックが何冊もあったのでございますが、
そういうのはすべて処分されたようでございます。
中河竜都先生の『竜の血を継ぐもの』もなくなっているみたい。
 
 ああ……。
 
 こういうの処分するぐらいなら、
XPや7時代のコンピュータの解説本とか処分すればいいのに……、
などと思いたくなるところでございます。
 それとこれとは別問題なんでしようが……。
  
 
 この2冊が生き残ったのは、
ランサン作戦』は、柘植久慶先生のネームバリューでございましょう。
ゲームブックだと認識されていなかったとも考えられます。
 
王様と乞食』の場合は、『王子と乞食』の関連本と思われたのでございましょうか?
  
 擬態、でございますな。
生物として生き残るのに有効な手段でございます。
 
 
 とりあえず、
  「いつまでもあると思うな、図書館のゲームブック
                       ですな。
 
  ご注意あれ、でございます。
 

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『ヨギ・ガンジーの妖術』
泡坂妻夫
昭和62年1月

『しあわせの書 迷探偵ヨギ・ガンジーの心霊術』
昭和62年7月

『生者と死者 酩探偵ヨギ・ガンジーの探偵術』
平成6年11月

     以上、新潮文庫

文藝別冊 総特集
『泡坂妻夫 からくりを愛した男』
KAWADE夢ムック(2015/2)
 
 
 
 
 

泡坂妻夫先生の作品は、
亜愛一郎」シリーズを図書館で借りて読んだことがあるはずなのでございますが、
それほど印象に残ってはおりません。
 それなのに、3月1日の記事に書いたとおり、
岡和田先生は、「ヨギ・ガンジー」を挙げていらっしゃる。

 なぜなのだろう、と思ったので買ってまいりました、
ヨギ・ガンジー」のシリーズ。ついでに、文藝別冊の「泡坂妻夫」も。
 
 で、『ヨギ・ガンジーの妖術』を読んで、なぜ印象に残らなかったかが分かりました。

 手品を見ているよう、とどこかの解説で書いてございましたが、
確かにそうなのでございますな。その意味で独特なのでございますが、それ以上ではない。
 
 
しあわせの書』もそうでございました。
この本を使って手品ができる」という仕掛けはすごい。
書いているときのことを考えれば、さらにその大変さが感じられるのでございますが、
それが直接推理に絡んでくるわけではないので、
推理小説として一頭地を抜けてすごいとは感じられなかったのでございます。
 
 
 一方、『生者と死者』は、素直にすごいと感じられる作品でございました。
この本は、本屋さんで手に取った段階で、普通の本との違いが分かります。
 この本はアンカット装となっておりまして、
1~16、17~32と、16ページごとの袋とじになっております。
 
 で、そのまま読むと短編小説
アンカットの部分を切り開いて読むと、長編小説として楽しめるというのでございますな。
 

 短編のほうは、なんとなくふわふわとした物語。
 中村千秋さんという記憶喪失の青年が、予知というか透視というか、
そんなものを使って殺人事件をあてるのでございますが、まぁ、それだけ。
謎解きもなく、最後、千秋さんは、記憶の一部を取り戻したらしく、
どこかへ行ってしまうのです。
 
 余韻もあり、普通小説として完結しているとは言え、
推理小説を期待していると落ち着かない感じなのでございます。
 ヨギ・ガンジー先生も出てまいりません。
 
 
 それが、アンカットの部分を開いていくと……。
 
 とにかくね。変わり方がすごいのでございますよ。
 最初の袋とじの部分については避けますが、
その次、短編の場合の最初の見開きの、すぐ次のページでございますな。
 
 短編では、
中村千秋は美/青年であった」(/のところでページが変わっております)
となっていたところが、
中村千秋は美/しい女性には違いなかった」と性別が変わってしまっている!
 
 この人中心人物ですよ。それがこれですもの。
 
 その後も、場所や意味合いがぜんぜん変わっちゃうところがあり、
短編のためのタイトル、「消える短編小説」のとおり、
もとの話がどんなのだったか分からなくなってしまう。
 
 もちろん、短編部分の文章は、
15ページごとに見開きで入ってくるわけでございますから、
固有名詞をはじめ、変えられない部分はありますが、だからこそすごいアクロバット
 特に、先ほど上げましたように、ページの変わり目の部分がすごいですな。
そこを注意して読むと、けっこう楽しめます。
 
 ですからアンカットを切る用とそのままにしておく用、
なるべくなら2冊買っておくことをおすすめ。いや必須と申していいかもしれません。
 
 とにかく、この作品も労作でございます。
しかも、『しあわせの書』とは違い、
その労苦が、物語に活かされているのがよろしゅうございますな。
 
 先日、うろ覚えながらも『石蹴り遊び』を取り上げたのも、
この作品について書きたかったからでございます。
 
 やはり、こうした凝ったことをやる以上、
そこに凝った意味合いが欲しいとわたくしは思ってしまうのでございます。
  
 
 コピー誌などを作る場合、袋とじにしちゃったほうが楽だったりしますから、
こういうことを考えたかたはいると思います。
 
 パズルの解答やフローチャートを袋とじ部分に置いておこうとか、
肝心のパラグラフは、ページを開かないと見ることができないようにしておこうとか。
 
 ですが、開くとまったく違った物語になるなんて……。
 思いつくまでは行くかもしれませんが、実際に作るとなると……。
 本当に労作だと思います。

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『宿命の交わる城』イタロ・カルヴィーノ
 

これも、以前読んだ感想で。
たしか知ったのは、スターログ誌の紹介記事だったかな?
 
これも期待が大きかったために、あまり印象に残っていない作品でございます。
 
 タロットカードによる物語生成と聞いたので、
 
 物語の断片が書かれていて、開いたカードに対応したその断片を読むことによって
自然と物語が形作られていくというようなものかと思ったのでございますが、
 そうではなくて、作者がタロットカードを開いていって、
それにしたがって物語を書いていくという形式でございます。
  
 それでしたら、
『鏡の国のアリス』のチェスの形式にしたがって進行する(ただし、
実際の対局ではあり得ない形らしいです)というものが先行してございますし、
何よりタロット占いそのものが、
カードによって運命を物語り化するものでございますから、
それほどの新味はないように感じたのでございます。
 
 それに、物語がもうろうとしていて、それほど構築的ではない。
『冬の夜ひとりの旅人が』の解説だったかな? 
それがこの作品の狙いだというようなことが書いてあったような気もいたしますが、
となると、求めていたものが違ったということになりますな。
 
 本来なら構築的になるはずのないカードの導くままに進行する物語を、
カルヴィーノならきれいにまとめ上げてくれると
思って読んだのでございますから。
 しかも、最初に書いたように、
読者がどんな順にカードを開いても、それなりの物語が作られるような……。
  
 やはり、カルヴィーノと申しますれば、『不在の騎士』。
 あの、2つだったか3つだったかの物語が、最後に来てみごとにまとまり、
美しい大団円を迎える……。
 そのような物語を期待してしまいますからな。
 
 
 ところで、物語生成系のカードゲームと申すは、いくつか出ていると思います。
 
 わたくしは、ホビーベース/イエローサブマリンから日本語版が出ている
『ワンス・アポン・ア・タイム』ぐらいしか手にしておりませんが、
どうなのでございましょうかねぇ。
 
 もっともっと可能性があるような気もするのでございますが……。

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『ブラマタリの供物 クトゥルフ神話ブックゲーム』(新紀元社)
           発売記念イベント フーゴ・ハルと語る、
         ゲームブック/ブックゲームの楽しみ方/つくり方
 
の紹介で、聞き手の岡和田晃先生が上げていたのが、次の作品たち。

 デニス・ホイートリー『マイアミ沖殺人事件』、
 フリオ・コルタサル『石蹴り遊び』、
 イタロ・カルヴィーノ『宿命の交わる城』、
 バーナード・ルドフスキー『人間のための街路』、
 ミロラド・パヴィチ『帝都最後の恋』、
 泡坂妻夫〈ヨギ ガンジー〉シリーズ、
 円城塔「世界でもっとも深い迷宮」。
 
 『マイアミ沖殺人事件』は、捜査ファイルミステリでしょ?
 羽毛とか石ころとか布きれとかが入っているやつ。
 それを調べるとなると、失敗したらそれでおしまいなんじゃないかと思って、
 買いませんでした。
 あとで文庫で出ているところを見ますと、
そんなことは全然なかったのでございましょうけれどね。
 
 この中で読んだのはというと、『石蹴り遊び』と『宿命の交わる城』ぐらい……。
 不勉強で申し訳ございません。
 
というわけで、
 
 『石蹴り遊び』フリオ・コルタサル
 
 についてでございますが……。

 これ読んだのは、かなり前。
 ゲームブックより前に知って、ゲームブックのころ読んだのかな?
 そのときの印象で書いてみることにいたします。
 ですから、多大な間違いがあってもご容赦を――。
 
 
 ご存じのとおり、この作品はパラグラフ小説でございます。
 一応分岐型。
 一方向の直線型で、束ねたロープ型でございます。
 
 ただ、ループものの「束ねたロープ」とは違っておりまして、
元のパラグラフに戻ってくるのではなく、
その次のパラグラフに戻るのでございますな。
このほうが束ねたロープを戻した場合、わかりやすく直線になるので、
小説からの進化といたしましては、こちらの方が自然でございましょう。
 
 冒頭には、この本は2つの読み方ができる、と書かれております。
 要するに、
分岐、ロープを束ねた方ですな、を無視して、ページどおりに読んでいく方法が1つ。
 もうひとつは、読み方の指示に従って、分岐のほうも読んでいく方法でございます。
 
 最初の、短い方で読んでいくと、
主人公オリベイラさんの見たことや行動がそのまま書かれております。
 で、2つ目の読み方に従って分岐をたどっていくと……、
そのときの彼の心象や、その他いろいろなことがモザイクのように描かれていて……。
 
 内容についてはほかの方の解説をお読みください。
わたくしは、2つ目の読み方は主人公の心情のみが書かれている
と思っていたのでございますが、ほかのことも書かれているようでございます。
「ジャズのセッションのように」……。
ああ、そんな言葉解説で読んだ気がする……。
 
 その程度の理解から推しはかれますように、
わたくしといたしましてはこの作品、それほど心に残ったわけではございません。
 
 分岐する物語ということで期待が大きかったのが、悪かったのでございましょう。
 
 この程度なら、ページの下1/3か、作品の最後の方のペーシを使って、
分岐部分を注釈のように書いていった方がいいんじゃないかな、
と思ったものでございます。
 
 それに、この作品、
短いルート――主人公の行動ですな――と、
つけたしとなる心象の部分にそれほど振幅がないのですね。
 
 
 たとえば、本編上は何気ない会話が淡々と続いているのだけれど、
別に書かれているそれぞれの会話の内面を読むと、
それとはまったく逆の、どろどろとした戦いが展開されていたとか。
 あるいは逆に、行動はカッコいいのに、心象がへっぽこだったり
 
 といった具合に、あの行動の裏には実はこんな気持ちが隠されていたんだ……、
というのなら、二つを読み分ける意味もあるではございませんか。
 
 読む前と後とで印象がそれぐらい変わるのでなければ、作品として面白くない。
逆に、そのぐらいギャップがあれば、面白い作品になるのではないか、
と思ったものでございます。
 
 
 そういう意味では、この形式には大きな可能性があるとも感じられました。
 
 
☆ ちなみにわたくしは、
  ゲームブック「ギリシャ神話三部作」(社会思想社)を読んでいたとき、
  この作品のことを思い出しました。
  あれって、神託を得るためにパラグラフジャンプをいたしましょう?
 
  
  あとは、藤子不二雄先生のSF短編「絶滅の島」ですな。
 無声映画に宇宙人の言葉で字幕が挿入されいて、
 最後のページにその訳が書かれているというもの。
 
 その訳を読む前と後とでは、その映画の意味合いがまったく違ってしまう、
という作品でございます。
 

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2019/02/01 『モンスター事典』(社会思想社)を見ていると、
       タイタン世界で十二支をやるとすると、
足りないのはウサギヒツジかな?
  
 ネコとかクマとか円盤人とか、関係ないのはいますのに、ねぇ。
まぁ、足りない分は取りあえず、「ドラゴン・ファンタジー」のシリーズから、
マーリンに送ってもらうということで……。あっちにはいますものね、そのあたり。
 
 
2019/02/02
 そうか、ツインビーのモデルは、
       『DR.スランプ』のピンポン号か。たぶんだけど……。
 
 
2019/02/03 「節分」って、もっと盛り上げることができると思いません?
       意味合いとしてはハロウィンと同じようなものなのですから、
鬼や鬼娘をはじめとした妖怪に扮して家々を訪れてもいいと思うのでございますけれどねぇ……。
今どき豆じゃ満足しないでしょうから、お菓子か何かを用意して帰ってもらう?
 それだとホントに、ハロウィンと大して変わらなくなってしまいますが……。
 
 それはさておき、やはり伝統が邪魔をしているのでございましょうな。
ハロウィンやクリスマスはアチャラのものでございますから、
いろいろと変な要素を加えてもとやかく言われないのでございましょう。
 
 
2019/02/05 ゲームブック版の『ドルアーガの塔』って、
      アニメ化したりしないですかねぇ。
そろそろなってもおかしくないころだと思うのでございますが。
 
ギルガメス、メスロン、タウルスに加えて、
洋貝台学園(『ティーンズパンタクル』)から大島いずみさんを
鏡くんが無理やりひっぱってきて、
ファジィ族のポポレイポラ(『チョコレートナイト』)が偶然そこに加わって――、
という感じの5人パーティで。
 
異世界のことを教えてもらう役割と、かわいい成分担当でございますな。
 
 
2019/02/06 同じ洋貝台学園ということで、
      一話には中河竜都さんにもご登場願いたいですな。
 
役どころはもちろん、大島さんのクラスメイト。
自分の前世は異世界人で、自分にも竜の血が流れていると信じている人。
異世界行きにはノリノリだったのに、
行きたくないって言っている大島さんが選ばれてしまうという……。
 
まっ、よくあるパターンではございますな。
 

  
2019/02/07『リヴィジョンズ』2巻 木村航/原作:S・F・S
      (ハヤカワ文庫JA/2019/2)買いました。
TVアニメのほうは、今日でだいたい1巻分が終わったのかな?
 さすがにそこら辺のスケジュールはしっかりしているなー。
 
 
2019/02/08 『トレイントラベラーズ2』に出てきたので、
パンジャンドラムについて調べようと検索したら、
ニコ動のとんでもパンジャンばっかり。すごいよ。思わず何本も見てしまった。
 なにか「Oh! mZ(X)」に載っていた、古籏一浩さんの
「MZ-700に不可能はない」を思い出す(そしてそっちも見てしまった……)
 
 
2019/02/12 今回の記事(『ウォーロック・マガジン」vol.3 雑感。
      「公開する」ボタンを押したら、変更した部分がまったく反映されて
いなくって、その前に保存したものが……。
ヒドい。あわてて書き直しました。
むかしのゲームブックでたまにあるバグだらけのものも、
手違いで修正前のバージョンが出ちゃったりした結果……ってあるんでしょうなぁ。
 
 
2019/02/13 2月14日のヴァレンテイヌス祭
の起源は、
      性交の許される祭りであるローマのルペルカリア祭であった。
若者は、女性の名を記した札(小さな紙片)を引いて、恋愛遊戯の相手を選んだ。(中略)
 
2月は、恋の「焦れ」febrisの女神であるユノ・フェブルアタに捧げられた月であった。
 (『神話・伝承事典』バーバラ・ウォーカー著
   山下主一郎主幹
 ("The Woman's Encyclopedia of Miths and Secrets"
              by Barbara G. Walker 1983/大修館/1988/7)
(原題からも分かるとおり、この本、女性開放的な視点から書かれた事典でございます)
 
 
 
2019/02/14 1 聖バレンタイン(2月14日)は恋人のための祝祭日で、
       ローマのルペルカリア祭やユノの祭と関連がある。
この日は春の豊穣祈願の祝祭日で、その日に鳥たちが相手を選ぶという
古い言い伝えに由来する。(中略)
 
2 今はバレンタインの日のカードを交換するが、
  昔は誰が自分の恋人であるかを決めるためにくじを引いた。
 相手が決まると贈り物が交換され、手袋が好まれた。
(『イメージ・シンボル事典』アト・ド・フリース著 
   山下主一郎主幹
 ("Dictionary of Symbols and Imagery" by Ad de Vries 1974/大修館/1984/3)
 
 
 
2019/02/18 ケン・St・アンドレさんの
     「カミング・ダウン・ザ・マウンテン」の日本って、
1960年代終わりから1970年代ごろアメリカではやった東洋思想なのでしょうなぁ。
ZENとか、そういう感じの……。
 
 ちなみに、ブルース・リーさんの思想も本来の東洋のそれではなく、
アメリカに行ってから影響を受けたものなのでは、
という説を読んだことがございます。
 
 

2019/02/20 一号限りの復刊とかで「OUT」誌が出ておりますな。
      『宇宙戦艦ヤマト』の特集。
ザッと見たかぎり、往時のパワーはない様子。
まぁパロディは、号を重ねるにしたがって「これやっていいんだ」という
幅が広がってまいりますし、ノリも形作られていきますからなぁ。
それにこの復活って、映画『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』のための
企画でございましょうし、ねぇ。
 
  
2019/02/22 パソコンのキーボード。かなで打つ場合、
      シフト+「は」で、小さい「ゎ」になるのはご存じですか?
 ですから、「AFF」を間違えてかなで打つと「チヮヮ」に――。
 
  
2019/02/23 「ウォーロック・マガジン3号」
       AFFリプレイ第3回「暗黒水路の探索彷徨」。
リーブラに愛された超ダメージの拳って、
イラストは車田正美ネタで描いて欲しいよねぇ。無理? 
それにしても、このリプレイのリーブラの天秤皿には、
何と何が載っているんだろ? ときどき疑問。
 
 
2019/02/24 「フタリソウサ」。
      探偵役と部下のTRPG。
2時間サスペンスドラマのノリ。

あらかじめ犯人が分かっていてもかまわない……。となれば、
おすすめ作品(「R&Rvol.173p.10-11)に書かれたものよりも、
もっとふさわしいものをお忘れじゃございませんか。
 
その作品とは、『ポートピア連続殺人事件』
もちろんネタとして思い浮かんだのでございますが、
ボスとヤスの葛藤がなかなか面白いものになるような気もいたします。
関係性が結べるとなればなおさら。
ラストはもちろん「私だけの十字架」(→2019/01/21 (Mon) ) を流すということで。
 
 
 
2019/02/26 タイトルに「のび太」がついたら面白そうなゲームかぁ
      「実況 のび太の草野球」とか思いついたけど……。

しずかちゃんメーカー2~娘をのび太なんかにやるもんか!!」なんてどうでしょ?
 2なのは……サブタイトルのせい?
 
 
 
2019/02/27 のび太の『CLANNAD』っていうのも、ありだと思うんだけどなぁ。
 
      のび太と結婚したしずかさんが、
      謎の病に冒されてあと少しの命と宣告されちゃうの。

 ドラえもんがいれば万事解決なんだけど、2人に子供が生まれなければ、
ドラえもんとセワシ君の関係がなくなり、
そうなるとのび太とドラえもんの関係もなくなるんだよね。
 
 でも一方で、のび太にはドラえもんと一緒にいた日々の記憶が残っている……。
 
 そんな中途半端なシュレディンガーのネコ型ロボットになったドラえもんは、
航時法をごまかして、時空のはざまからのび太の夢に訴えかける……。
 
 ドラえもんの存在が薄れるにしたがって、ドラの記憶が消えかけていたのび太は、
何か分からない思いに突き動かされるようにして、思い出の場所や昔の仲間を訪ねていく。
 
 そのうちに、ドラと過ごした日々が思い出されたり、秘密道具が見つかったりして、
次第に過去のドラえもんが確定され、それによって未来のドラえもんも確かになる……。
 
 で、ドラが現れるわけだけど、
その秘密道具でも完全にしずかさんの意識を呼び戻すことはできなくて、
最後はのび太の思いがこもった呼びかけが必要なのは、「CLANNAD」準拠ですな。
 
 で、しずかさんが目ざめると、ドラの存在が完全に確定、するんだけれど、
その瞬間タイムパトロールが現れて、航時法違反で捕まっちゃうの。
まぁ、結局おとがめなしになるんだろうけど
(さいごは2人だけにしてやりたいからね)。
 
「だんご大家族」のかわりは「どらやき大所帯」とかいうのかなぁ、やっぱり……
          (栗まんじゅう? ……じゃないよね)。
 
 
 
2019/02/28 今年のゴールデンウィークは10連休、などと
       ニュースでは報じられておりましたが、
実際に10日連続で休みが取れる人ってどのぐらいいるんでしょうなぁ。
 
逆に、休みなんてねぇよ。かえって忙しいんだよ、という人はどのぐらい?
 
ついでに、10年連休っていう人は……?
 
 気になるところでございます。

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『ブラマタリの供物 クトゥルフ神話ブックゲーム』(新紀元社)
      発売記念イベント フーゴ・ハルと語る、
          ゲームブック/ブックゲームの楽しみ方/つくり方 の

ブログに上がった写真を見ていたら、奥の方になにやらそれらしき書影が。
 
というわけで図書館で借りてまいりました、 

 
『羊を数えて眠る本』羊を数えて眠る本
   ブライアン・ログウッド(二見書房/1993/1)
 
 ただ、借りるとき詰まってしまいました。
一度検索機で出てきたのに、あとで検索しても出てこない。
さんざん打ち込んで、
仕方ないので「羊を」で検索してみたところ、分かりました。
最初はちゃんと打ち込んだのに、
あとで試したときは『羊を探して眠る本』と
やっていたのでございますな。
まったく機械って融通利かない。
 
 
 これ、書店で見かけたときは、
さんざん迷って結局買わなかったのでございますよね。
だって、ゲームブックではなくってパズル本でございますし。
それに、パソコンで作ったような画面(マック風?)で、
羊がコピペな感じが手抜きに思えたのだと思います。
 (コピペでも労作なのでございますが)
 

 さて、
 開いてみると、
 農場の地図が描かれ、ログウッド一家の紹介がございます。
「今日は一家そろって羊を数える日」というわけで、
それぞれがそれぞれの方法で、羊を数えていくのでございます。
 構成は、午前(西の牧場)、午後(東の牧場)、夜(東の牧場のフェンス)の三部。
 夜には狼も現れます。
 一種のストーリーゲームなのですな。
 これが絵自体と相まって、全体をいい雰囲気に仕立てております。
 
 というわけで、
 両開きの画面に何匹かの……何匹もの羊が描かれております。
 タイトルどおり、これを数えていくのでございますが……。
 
羊を数えて眠る本 
 
 
 そうそう。本屋さんで見たときは、これ、時間の推移を表していて、
最初の見開きの羊を数えたら、
次の見開きでは、さっきいなかった羊を数えて最初のものに足していく、
といった面倒くさいものなのかなぁ、とか思ったのでございますよね。
 
 それも買わなかった理由だったような……? 
 でもそうではないご様子。
 見開きごとの羊はそれぞれいる場所が違っているみたいで、
それをどんどん足していけばよろしいようでございます。
 
やすらかな眠りに誘う不思議な絵本」とソデに書いてはございますが、
まぁ、まったく眠らせるつもりはございません。
 数えているうちに、どんどん目がさえてまいります。

 こんなの簡単だろうと急いで数えていくと、
牧羊犬や人までも巻き込んで数えてしまい、
なんか多く数えてしまったりしているのでございますな。
ではとばかりに、数えなおすと、今度は何匹か足りなかったり……。
  

 それぞれのチャプターの最後には羊を数えて眠る本
Question」がもうけられておりまして、

 

 羊の数は何匹? ですとか、
 誰それはどういう方法で数えていた?
 狼に食べられたのは?
 てなことを聞いてくるのですから、
なおさら眠れない……。
 巻末の袋とじには、その答が書かれています
(ただし、第三部の答はございません)。
 
 
 これ、今だったら手軽にできるデジタルゲームとしてできるんじゃないかなぁ。
そうすれば、開くたびに数が変わったり、羊が動いたりして数えにくくなったり……。
 ただそれだと、今は逆に安くなってしまうのでございましょうなぁ。
 雰囲気からいっても、紙の本の方が収まりがいいような気はいたします。
 
 ところでこの本、英題は
「COUNT SHEEP A BOOK FOR HAVING A GOOD SLEEP」とあり、
作者は「BRIAN  LOGWOOD」となっているのですが、
翻訳本ならあるはずの原書のデータがないので、
日本で作られたものだと分かるのですが……。
 
 検索してみましたら、
韓国語版とか、
今回は見つけられませんでしたがドイツ語版みたいのもございました。
ともに発行年は日本語版より後。
 
 ということは、翻訳されて海外にも行ったということなのでございましょうなぁ。
まぁ、文章量は少ないので、翻訳は簡単そうでございますし、
ユニークな本なので、そういうこともあるのでございましょう。
 
 でもおそらく、日本発の本だと思う人はいないのは?
 
 ホント、こういうアチャラっぽい本を作るのがうまい!! 
  感心する次第でございます。

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「Role&Roll」誌、vol.172読者欄に載せていただいた
水の都の夢見る勇者2』に関する絵でございます。
 
S.W.2.5「水の都の勇者2」
 
 古い
とかコメントで言われましたけれど、
元ネタ有名ですからネタ元見ていない人でも知っておりますよね?
(正直わたくしもドラマは知っておりません……) 
 
 とにかく、「同情」に「報酬」を要求するなんて、
こんなピタリと元ネタに合うことなんて滅多にありゃしない
 
 それでいて、このリプレイ読んだとき、この一致には気づかなかったでしょ? 
 「同情」と「報酬」というキーワードが、
適度に離れて配置されていて、その関係性に気づきにくい……。
 
 推理小説で使われるテでございますな。
 この場合は偶然だと思いますが。
 
 もしも、誰もがすぐ分かるようだったら、当然描きはいたしません。

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 子供向けのTRPGというジャンルが気になるんですよねー。 
 
 子供同士で自主的に、というのではなくって
 (そうなればいちばんいいのでございましょうが)、
 
本屋さんや図書館での読み聞かせの代わりに、とか、
学校でのコミュニケーションの授業として導入できないかなぁ、と。
 
 司書や先生がGMをやり、
 児童がプレイヤーキャラクターを演じるという形でございますな。
  
 子供がみずから考え、対話し、問題解決能力を高める
など言えば、需要はあるのではないでしょうか?
 
 
 そうなりますと、今までのTRPGファン相手とは、
売り方も形も、まるで別ものになりましょう。
 
 ルールブックは初心者でもわかりやすく、
しかも指導要領的な要素も取り入れるべきでございましょう。
 
 童話や児童文学を例にした、シナリオの作り方と申しますか、
セッション進行の注意点とかもあったほうがよろしいでしょう。
 
 専門家の協力が必要かも知れません。。
 
 デモンストレーションや講習会も今までとは違ったものになるでしょうな。。
 
 付属物はボードゲームかそれ以上に充実させ、
子供が乱暴に扱っても壊れず安全なものにしなければならないでしょう。
  
 

 『ピーカーブー』や『ウタカゼ』が、この候補に挙がると存じますが、
『ゆうやけこやけ』あたりは、その一番近いところにいると思うのでございますよねぇ。
 
 ただ、そのためには、挿し絵をもっとかわいらしいものにして、
ホラー色も薄くした方がいいような気が……。
 
 読み聞かせをする方が、子供に読んであげたくなるような内容
ということでございますな。
  
 そういう気はいたします。

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 『忍術バトルRPGシノビガミ』
 今さらながらのデザイナーズノート

「Role&Rollvol.173」p.104-109 
 
☆ 今月の「Role&Roll」は、もうこれだけで価値があるよね。
 これ読むと『シノビガミ』が、お蔵入り寸前から完成に到ったことが分かる。

☆ そこにいたるまでに必要だったものは、
 試行錯誤とテストプレイ、
 パラダイムの転換、
「1つのゲームですべてを片づける必要はない。
 ほかの問題はほかのゲームが片付けてくれる」
 という「理論武装」(真理であり開き直り)。
 そして、取り除くべきものは、不安と面倒くさいという気持ち……。
 
☆ 「プレイヤーどうしが戦うゲームは、
  テーブルトークRPGにそぐわないのではないか?」は、
  ストーリーゲームの根幹に関わる問題に思う。
 
 通常のRPGは、ストーリーが主体で、ゲームが従となる。
 物語の進行に合わせて、戦闘や判定の段階を上げていき、
 その相乗効果でクライマックスに持っていく。
 
 対して、ゲーム主体のRPGでは、
 戦闘や判定の興奮が主であり、それを段階的に上げていくことにより、
 物語を形作っていく。
 
 
 同じようなことを言っているようだが、全然違う。

 ストーリーはエピソードの積み重ねにより、
 クライマックスでその興奮を爆発させるものであり、

 ゲームの興奮は一つ一つの判定の中にあり、
 それが積み重なることでドラマが形作られていく……。

つまり「ストーリー」と「ゲーム」ではその関係が逆になっているのだ。
 
 よくコンピュータRPGのコピーで
「ゲームとストーリーの融合」などというが、この2つは基本融合するものではない。
 それが融合に思えるのは、
ストーリーと戦闘に勝利するというベクトルが一致していて、
かつそれがストレスなく自然に移行できる場合だけ。
そしてその場合でも、プレイヤーの感情がのらなければ、その隙間は埋まらないと思う。

 コンピュータRPGでしばしば、戦闘が多くてストーリーを忘れてしまった、
ということがあるのは、そのバランスが上手くいっていないのだろう。 
 
 
 
 話が、独立して書こうと思っていたことに脱線してしまった……。
 
 
 セッションの展開が予測不能なのも、
 
『シノビガミ』がゲームよりなことに起因する。
 ストーリー主体のゲームなら、物語の予定調和に収まることを期待されるだろう。
 
 
☆「秘密とシーン表の登場」については、
 紙幅の都合からか1/3ページに抑えられているが、
 『シノビガミ』のシステムでも重要な部分なので、
 もっと聞きたかったところだった。
 
 
 
☆ 最初のほうで触れられている『ピーカーブー』についても。
 改訂版でも大きな変化がなかったということは、
「まぁまぁ」の反響に対して、何か言いたいことがあるような気がする。
 言い訳になってしまうから言わないのだろうけれど。

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設定上のことなのでひっくり返ったりはしませんが、
「盗賊都市」みたいなのは、実は逆なのではないかと――。
 
 町自体は普通なのですが、冒険者というものが本来盗賊的な存在なので、
その目を通してみると、危険な場所ばかりが見えたりするのだと思うのでございます。

行動する場所にしても、うさんくさい場所がメインになるでしょうし、
そのような場所ではなくてもヤバイ仕事が中心になるでしょうしね。
そんなところで立ち回ったり行動をしていれば、
態度にもあらわれるでしょうし、まわりの目も自然疑わしいものになる。
 
 それをわかりやすく設定に組み込んだのが、
ポート・ブラックサンドみたいな町という気がいたします。
 
 
 コンピュータRPGなどに登場する「冒険者ギルド」みたいなのは、逆ですな。
 もともとはたぶん、『スターウォーズ』に登場するカンティーナの酒場や、
それが元にした西部劇の酒場や港町の宿屋のようなうさんくさい場所で、
人と待ち合わせて話を聞くというものだったのでございましょう
(そこに『指輪物語』の宿屋のイメージも入ってくるのでございましょうが)。
 
 それが、冒険者が誰でもできるカジュアルな職業になったことや、
依頼に関するさまざまな手間を省いた結果、冒険者ギルドもコンビニ感覚なものに――。
 
 冒険者も冒険者ギルドも、両者でまったく別の存在でございますよね。
 世界が違えば、概念が違うのは当然でございますが、
どちらかが正しいと思っていると、話が噛み合わなくなってしまう……。
 
  ……。
 
 いや、アニメの『ゴブリンスレイヤー』で、わたくしも困惑したのでございますよ。
 最終話でゴブリンスレイヤーさんが、「冒険者になりたい」とか申しますでしょう。
こちらは冒険者なんてうさんくさい仕事だと思っているから、「えっ?」と。
 でも、あの世界って、冒険者が職業として存在し、
組織化されている世界なのでございましたっけ、つまらない。
 じゃなかった。
 むかしのRPGの感覚を残している作品だったので、
そのあたり違和感と申しますか、混乱してしまったのでございます。

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「ウォーロック・マガジン」vol.3雑感。

 
 ウォーロックマガジンvol.3
 
 ビニールを開けると、ごろっと落ちるのがAFFのディレクタースクリーン
どうやって使うかは「ウォーロックの壺」にちょこっと書かれている程度で
ございますが、ディレクターをやるぐらいの人は承知しているのでございましょう。
 
まぁ、普通の人は、
FFシリーズの冒険記録紙の裏にあった、
ルールの紹介みたいに使えばよろしいのではないかと。
裏に、タイトルなどを省いた『タイタン』や『モンスター事典』の表紙絵が
描かれているな、ぐらいの認識で……。
 トリミングされているせいかタイタンのドラゴンが頭でっかちに感じられますな。 
 
 
 さて、本編。
 
☆ 「はじめに」によりますと、vol.4から、『パグマイア』というRPG
新しくサポートされるとのこと。
やはり、ゲームブックの「ウォーロック」からは
どんどん遠ざかってまいりますなぁ。
 
まぁ、もともとTRPGの雑誌なのですからしかたがないのでございますが。
 
 
☆ 次のページが、
「ウォーロック」「ウォーロック・マガジン」ともにゆかりの深い、
鈴木健介先生の追悼ギャラリー。
 なのでございますが、単に絵が並べてあるだけなのがなんともそっけない……。
作者のプロフィールですとか、何について描かれたものかなど、
入れて欲しかったところでございます。
 編集中にネットで話題になっていたため、
みんな知ってるという気になったのでございましょうかねぇ。
ですが雑誌はそれ自体で存在するものでごさいますから……
必要ですよね?
 
 
☆ 都市特集で紹介するのが、「ポート・ブラックサンド」と「ナドソコル」……。
  これって偏っていません? 
 まぁ、この雑誌らしいとは申せますけれど、
もっと他の傾向の都市も入れたほうがよかったのでは、と思う次第でございます。
 えっ、たとえば……ですか? 
 ランクマーとか?(←ほとんど変わらん)。
 
 ちなみに、あまり持ってないのですがたまたま持っていた
 
 「TACTICS」誌1988/5月号には
 
「ファンタジーRPGのためのリアルな都市の創り方」
 ウィリアム・ハンブリン博士/すざきあきら訳
  ディファレント・ワールド誌39号より (p.36-41)
 
  というのが載っておりました。
 

TACTICS88-5   
 
持っている人は、ついでに見ておくとよろしいかもしれません。
 

☆「カミング・ダウン・ザ・マウンテン」
       ケン・St・アンドレ
 
 日本(っぽい世界)を舞台としたT&Tソロアドベンチャーでございますな。
 
 ルールは使わず、パラグラフ小説としてちゃちゃっ~と
楽しませていただきました(負けも勝ちも読むスタイルでございます)。
 
 主人公は侍。
 稲荷山の神社に遁世している高貴な僧侶を
 大名のもとに連れてくるのが目的――。
 
 という説明を聞いても分かるとおり、間違った日本ものでございますな。
 外国人が思い描く日本哲学が、もどかしくもこそばゆい~~。
 普通の日本ものとしても楽しめず、
完全な異世界ものとも、割り切ったパロディとしても楽しめない。
 なんというか……、やっぱりこそばゆい作品でございます。
 
 ただ、日本人がこれをやろうとしても、まず書けないとは思います。
 理由は、これだけまっすぐに間違えることはできない……、
やっぱりこそばゆいから、かな?
 
 でも、日本人が外国を書いても、同じようなことやらかしているのかなぁ。
日本はいろいろなレベルの外国の書物がたくさん入ってきますので、
それほどにはならないと存じますが。
 
(昔、『キャンディキャンディ』など
 外国を舞台にしたアニメが海外で放映されたとき、
 日本で作られたと子供に言っても信じてもらえなかった、
 などというエピソードもございますし)
 
 
☆「フェアリーの呪文書」ケン・セント・アンドレ

T&Tにおけるフェアリーとピクシーの誕生とその呪文についての記事。
 これはいいですな。
 フェアリーで冒険したいという物好きには、大好評でしょう。

 幸運度を使わなければならないというのが、
 らしくはあるもののつらい点ではございますが。
 ピクシーの呪文が自分もしくは他者の耐久度をつかうというのも、
 らしくてよろしゅうございますな。
 冒険者パーティはピクシーを入れるのをいやがるでしょうが、
 あえて入れるというのも面白そう。
 ついでに申しますれば、ピクシーだけでパーティーを組むと、
 耐久度の供給源の取り合いになりそうでございますな。
 
 各呪文、どれもらしくてよろしいのでございますが、
 ただ(トゥー・キュート)の魔法は、日本人に対しては逆の効果を発揮しそう。
 日本を舞台にしたフェアリーのシナリオを作るときや、
トロールワールドに転生した日本人がいる場合には、
効果を変える必要があるのではないでしょうか?
(「萌え萌え~!」とか? 「かわいいは正義!」とか?)
 
 アンドレさんにお伺いをたてていただきたいものでございます。
 
 
☆「トロールワールドの神と信仰」古里川べお

 門外漢が口を出しますと、「T&T」ともうしまするはもともと、
「D&D」のパロディ的なものから始まって、
あれもできるこれも入れようって、
何でも取り入れていった作品でという感じがいたします。
武器にしても魔法にしてもモンスターにしても、種類は豊富だけどまとまりがない……。
ですから神々にしても、多神教的なまとまりのなさとは相性がよくても、
統一された宗教体系というのは、合わないのではございませんでしょうか。
 
 さらに当てにならないことを書いてしまうと、神に頼らないというあたりに、
アメリカ人のドライさや独立自由を求める気風、それにカウンターカルチャーを感じる、
などと言っておきたいところでございます。
 
 「トロールワールド」以降のことは存じません。
世界を秩序立てようとすれば、そこに神が必要になることもございましょう。
 
 
「FFにおける遊戯史学のススメ」岡和田晃
書くことがこのブログとカブりそうでこまるぅ~! 
 むこうの方がぜんぜん上でございますし……。
まぁ、カブってもしれっと書いていくことにいたします。
こっちとは視点が違うことでもございますし……。
あちらは、TRPGよりの視点ですものな。
 
 
☆「ゲームブックないしょ話」フーゴ・ハル

『魔城の迷宮』制作秘話。
なにか、前回のゲームブッククイズが無駄になった気も。
まぁ、それはそれ。そういうことはよくあることでございます。
 
 ルドスの街の小模型を作って確認した――。
 うーむ、そうでしょうなぁ。
 あれだけの迷路、必要ですよねぇ、そういうもの。
 ところで、それって残っていないのでございましょうか? 
 オークションに出したら、さぞかし高額で……。
 いやいや。
 せめて写真だけでも見てみたいものでございます。
  
 復刊できないと書かれておりましたが、
 それが採算だけの問題であるのでしたら、
 値段をつり上げればできるということ……なのでございましょうか。
  
 ネット上でバカみたいな値段がつられているのを見ると、
 多少高くても買うという人はいるのではないか、とか思うのでございますが。
 最近は本も高くなっていることでございますし……。
 
 この値段だったら、この部数でペイできるというのを示して、
 アンケートをとったらよろしいかも。
 まぁ、こういうアンケートって、
あまり当てにならなかったりするものではございますが……。
 
 できれば、海外でもなんとか出版してほしいものでございますな。
 この作品だけではなくて、
日本で独自に発展したゲームブック、
あまりTRPG的でないものを海外の方にも知ってもらいたいと思うのでございます。
 
 ほら、当初日本では話題にならなかったけれど、
 海外で評価されて、その後日本でヒットしたというパターンがございますでしょう?
 ……。
 いや、そういうのって、狙うと失敗するパターンか……。
 
 それは抜きにいたしましても、
日本独特のゲームブックを、海外に紹介してもらいたいものではございます。  
 
 次回作として「ピレネーの迷宮」が用意されていたということで、
 そちらも気になりますな。
 「基本構成は仕上がっている」と書かれておりましたが、
どの編までできているのでございましょう?

 かなり仕上がっていると思っていても、
実際に見てみると、やることがまだまだあったり、
問題点がそのままになっていたりということはよくありますよねー、
アマチュアの場合――。
 ハル先生のように経験の多い方がおっしゃっているのでそんなことはないでしょうが。
  
 迷路だけ描けば終わるような状態なら、3Dソフトとかでちゃちゃーっと
 ……。
 作っただけでは面白くはございませんから、
 それを下描きにハル先生が独特のタッチで描いてくだされば
 何とかなるのではございませんでしょうか。
 そうして描いていく中で、謎やたたずまいも熟成されていくことでございましょう。
 そういう過程がないと、
 『魔城の迷宮』の次に値するものには、ならないのではと思うのでございます。
 
 
 
 
 ところで、ピレネーで何をやるんだろ?
 
 

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ジュンク堂静岡セノバ店にて。
 
 

ウォーロックマガジンvol.3



前回静岡市街地に行ったとき、ここの検索機で
試みに「ウォーロック・マガジン」を検索したのですよね。
在庫数0。
は、知っていたのでございますが、
 
 
よく見ると
その詳細画面の下のほうに、
「取り置く」「取り寄せる」だったかな。
 
そんな選択肢が表示されていたのでございます。
  
取り寄せる」のほうは、
まぁ、普通に注文する場合でございますな。
に対して、「取り置く」のほうは、
お店に在庫として持ってもらうようにお願いする場合。
 
 後者は、取ってもらえない場合もあると注意がございました。
 
 まぁ、当然でございましょう。
お店としては本当に買ってくれる と決まったわけではないのでございますから。
 
 でも、注文する際のわずらわしさがなくって、客としてはとっても便利。
 店頭に並ぶわけでございますから、他の方が買ってしまうリスクはございますものの、
まぁ、話題作とかを頼むのでなければ……。
 
「本は本屋さんで買う」
「以前は注文していた行きつけの本屋さんが、
 書店不況でつぶれてしまったので、その後本を注文したことはない」
 
 などという方は、覚えておくとよろしゅうございましょう。
 
 とまぁ、そのときはそんなことを考える間もなく、
 思わずボタンを押していたのでございますが。

(そのため、押したあとちょっと後悔はいたしました。
 もっと近くの本屋さんでやればよかった……。
 もっとも、近くの本屋さんだと、
 取ってくれない確率が大きくなりそうですが)
 

 で、そろそろ頃合いかなと、行ってみたのが2/9。
TRPGを置いてあるコーナーに行ってみたら、
ございましたよ、目立つあたりに
表紙を前にして
 
 さっそく買ってきた次第でございます。
 
 
 
 ああ、それにしても、今月読む本が増えているなぁ。

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