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2025/01/22 以前『ロリ神』のところでちょっと触れたインドネシアのVチューバー、 Alia Adeliaさんが「卒業」なされたみたい。インドネシア語なんかまったく分からないので、ほとんど見ておりませんが、日本のお歌をふだんあまり聴かないわたくしなどは、この方のお歌で知ったものもございますし、たまにある日本語講座が言葉や例のチョイスとかがいろいろと変で面白うございました。昨年末の「卒業」動画で配信が止まっていることに気がつき、それを見ました。日本語でもあいさつしておりますが、理由についてははっきりとは語っておりません。コメント欄などを見るに、どうやら所属事務所の問題みたいなのでございますが、よく分かりません。
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スーパー大戦隊シリーズ」が
秘密戦隊ゴレンジャー』から数えて
五十周年になるそうでございます。
 
1975年ですか~。
 
意外に前の作品でございますな。
 
 ということで、戦隊シリーズ、
ではなくて、
マンガ版の『秘密戦隊ゴレンジャー』について考えていくことにいたしましょう。
 
 ご存じのとおり、
マンガ版はシリアスに始まったものの、
後に『ゴレンジャーごっこ』とタイトルを改め、
ギャグマンガに変わるのでございますよね。
 
 しかも、指令No.08(タイトル変更はその2話後)。
 パワーコミックス版でまいりますと
5巻中2巻の中盤比較的早くからでございます。
 
  
 テレビ版がコミカルだったためにその路線に移行しやすかった
とまでは申せますが、
だからギャグに変更したとは言えないと思うのでございますよね。
  
 石ノ森先生のテレビタイアップ、特にトクサツ作品の多くは、
テレビとマンガは別物として描かれておりますし、
 
ゴレンジャーごっこ』にいたしましても、
別にテレビのようなテイストの作品になったわけではなく
石ノ森先生独自のスラップスティック路線を突っ走っておりまして、
テレビとはむしろそれまで以上に離れてしまった
申し上げてよろしゅうございましょう。
  
 ではなぜ、そのようになったのか。
 それはやはり、シリアスな路線では作品を続けられなくなったからなのだと思います。


 マンガの『ゴレンジャー』は、
ヒーローものであると同時にスパイ物でございます。
 
 ヒーローものは正義の味方
一方でスパイ物と申しますれば、各国の利害が対立する混沌とした世界。
単純に善か悪かで判断できない世界でございます。
 
 これが矛盾をしあって、歯車がうまく噛み合わなかったのではないかな、
と思う次第でございます。
 
 
 注目したいのは2話、指令No.02「”黒十字軍"の罠を破れ!!」でございます。
  
 この物語では、
青レンジャー・新命明さんの親友望月五郎さんが登場いたします。
彼の情報を元に
悪の組織「黒十字軍」の基地があるという三界村行くのですが……、
それが
 
 望月さんは敵に寝返っていたのでございますな。
 
 ラスト、新命さんと望月さんとの一対一の対話が始まります。
 
 そこでヒーロー物の正義
スパイ物の何が正しくて何が悪いか分からない世界観とが
ぶつかるのでございますな。
 
 
 正直、ヒーロー物ならそれでも正義は正義だと、
この問題を1エピソードとして終わらせることはできたでしょうし、
逆にスパイ物なら──たとえば『ゼロゼロ9ノ1』でしたら、
そうした世界状況を受け容れて前に進むことでしょう。
  
 ですが、
スーパーヒーロー物×スパイ物のこの作品では、あえてここで対立させた。
 
 そして新命に五郎との「友情を信じている」とは言わせておりますが、
正義に対する答は出しておりません
 
 ただの1エピソードでございますが、第2話でございます。
全体像の紹介である第1話のあとすぐにこれを持ってきたということは、
テーマとしてやっていきたかったのでございましょう。
 
 しかし、このテーマは持ち出されないまま、
その後5話でギャグ路線に移行したことを考えると、
やはりそれに解決がつかなかったのではないかと思うのでございますよ。
 
 この正義とは何か、悪とは、という命題は、
ヒーローものを描くにあたって、
石ノ森先生が常にかかえていたテーマでございましょ。
 
 特に、『ゴレンジャー』が描かれたのは
サイボーグ009』の最終章が未完のまま保留になっていた時期。
 
具体的に申しますと、「神々の戦い」終了(未完)が1970年。
その後「サイボーグ009対三億円犯人」(1971年)、
『きょうりゅうサイボーグ編』(1972年)で
「風の都」篇が1975年。
 
神々の戦い」以降のこの時期
サイボーグ009』自体をほぼ描けていないのでございますな。
 テーマに対するプレッシャーからでございましょう。 

 ですから、1975年に描かれた『ゴレンジャー』は
『サイボーグ009』のテーマ、正義とは何か、悪とは──に決着をつけようと、
ヒーローものの正義とスパイ物の現実との対立
という構造を持ってきたといういうこともあり得ると思うのでございます。 
 
 
 そう思ってみますと、『ゴレンジャー』は
『サイボーグ009』の後継と考え得る理由がいくつかございます。
 
 まず集団ヒーローであること。
 5人としたのは、9人では多すぎるとの反省からでございましょう。
 
 次に、。黒十字軍でございますな。
 
 どの国にも所属しない闇のスパイ集団で、
世界中の国から重要機密や科学的データ、
あるいは人材を盗み出し、もっとも高く買う国に売りつける組織。
 
 これなどは、まさに
黒い幽霊(ブラックゴースト)をアップデートした形と申せるでしょう。
 
 一方で変えている部分もございます。
 
 石ノ森先生のヒーローものでは
敵組織からの脱走者──抜け忍的な主人公が多いですが、この作品は違います。
 正義の組織が存在し、それが壊滅した状態から始まります。
 
 これは復讐的な因縁を排除するいともございましたでしょうし、
組織対組織というスパイ物の構造を持たせるためでもございましょう。
 
 また、サイボーグやロボット、変身忍者など、特殊な存在ではなく、
普通の人間が特殊スーツを着用することで超人的な力を発揮する
仕組みになっております。
 
 これなども、特別な存在ではなく普通の人間が、
というあたりを意図したものでごございましょう。
 
  
 そういうことを含めて、『ゴレンジャー』は
サイボーグ009』の後継だと考え得るのでございます。
 
 だとすれば何が正義で何が悪か分からない現代において、
正義のために戦うということはどういうことなのを
『ゴレンジャー』で描こうとしたということは、十分あり得ることでございましょう。
 
 ですが、上手く行かなかった
 
サイボーグ009』でも出なかった答えなのでございますから、
それは当然と申し上げもよいかもしれません。
 
 それでギャグへと急遽路線変更となったと、
 わたくしなどは思う次第でございます。
 
      ☆     ☆      ☆ 
 

 いえね。
 このあたり、石ノ森先生のスランプ期だったと思うのでございますよ。
 
 1978年ごろ読んだインタビューだと思うのですが、
ぼくは10年ごとにスランプが来る
ということを先生はおっしゃっているんですよね。
 
 石ノ森先生はさまざまなジャンルを
しかも同時期に多量に描いているわけでございますし、
そんな10年ぴったりに区切れるものでもございませんが、
それを足がかりに考えてみますと、
大きく4つの時代に区分できると思うのでございますよ。
 
 
  
第一期:児童マンガの時代。
 デビュー(1955)から『サイボーグ009』(1964)以前。
 
第二期:少年マンガの時代。
 『サイボーグ009』(1964)から『さんだらぼっち』(1975)以前。
 
第三期:大人マンガの時代。
『さんだらぼっち』(1975)から『マンガ日本経済入門』(1987)以前。
 
第四期:学習・教養マンガの時代。
『マンガ日本経済入門』(1987)からそれ以降。
 

 わたくしの好きな『ドッグワールド』は1976年だったりいたしますから、
繰り返すも一概には言えないのですが、
ですがスランプのあとに新潮流(エポック)となる作品が出ていることは
お分かりいただけましょう。
 
ゴレンジャー』は1975年の作品。
サイボーグ009』以降、先鋭的に突っ走ってきた作風とテーマが、
このあたりで行き詰まったと申してよろしいと思うのでございますよね。
 
 で、それ以降、これまでのテクニックを利用して、
より手なれた作風へと変わっていったと。
 
『がんばれロボコン』や『ゴレンジャーごっこ』のスラップスティックは、
その移行以前の
模索状態の中で描かれた作品なのではないかと思う次第でございます。

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あけましておめでとうございます
もう八日ですが、あけましておめでとうございます。前回は失礼いたしました。ときどき抑えが聞かなくなってしまうのです。

石森先生がスランプに入っちゃったのは、「幻魔大戦」と、その後の「新幻魔大戦」がいけなかったのかもしれませんなあ……。
ポール・ブリッツ 2025/01/08(Wed)19:10:00 編集
 明けましておめでとうございます。
新年のお祝いにはあずき正月もございますし、海を渡ったお国の春節は1月29日でございますし、まだまだ早いと申せましょう。
 
 さて、石ノ森先生の件でございますが、
 わたくしはむしろ映画「2001年宇宙の旅」(1968/4)のショックが相当大きかったのだと思っております。

『リュウの道』(「週刊少年マガジン」(1969年3月30日第14号〜1970年12月20日第52号)がこの作品に影響されたということは「石森章太郎の世界」(イラストアルバム アニメージュ/昭和53年2月)でおっしゃられておりますし、『サイボーグ009』天使篇も同時期(「冒険王」1969年2月号~6月号)でございますからな。

 もちろん『幻魔大戦』(講談社「週刊少年マガジン」1967年第18号~第52号)で絶対的な正義と悪について考えていたということもございましょう。

 それと、ベトナム戦争終結(1975年4月)後の現実も大きく関わっていると思われます。
 米国の敗北で正義に対する考えが、世間的に揺らいでいた時代でございますからねぇ。
 スパイ映画なども、何が正義かというあたりで作りにくくなっていく時代だったと記憶しております。
 特に『ゴレンジャー』第二話「”黒十字軍"の罠を破れ!!」はそれを反映したものだと、当時から感じておりました。
 
 まぁ、1人の頭の中でございますからな。
 そのようなことが積み重なって、考えれば考えるほどヒーローものが描きにくくなっていったのだ思います。
道化の真実 2025/01/12(Sun)15:37:07 編集
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