2025/12/14 p.432「悪魔の涎」は、翻訳の仕事をしているアマチュアカメラマンが、ある広場で見かけた不自然な年齢差のある少年と女を見かけて、彼らについて詮索しながらなんとなく写真を撮影し、文句を言われ、帰宅してからその写真を引き伸ばすと、そこに自分が介入しなかった場合のあり得たシチュエーションが写し出されるという話だ。自分は小説のあらすじが一方通行であることにちょっと不満を抱いていて、選択式のゲームブックを書いたりしたことがあるのだが、「あり得たけれども実現しなかったこと」について表現するのに、こういう手もあったか! と感心した。このアイデアは、いろんな小説家や映像作家の手で見たいと思わせる。(『やりなおし世界文学』津村記久子:著(新潮文庫/令和7年11月)
文武両道という言葉がございます。
わたくしなどは、
スポーツができて勉強ができて……ぐらい、
もともとは格闘技や剣術など武道と、小説や詩歌音楽絵画などの芸術的才能、
その両面において優れていることぐらいの意味かと思っておりました。
日本ではおおよそそんな受け取り方でございましょう。
ところが、中国でのもともとの意味は、それとはニュアンスが違うようなのでございますな。
漢和辞典(『新字源』角川書店)を見ておりましたら、
「文」は、外交・政治・教化・学問など、広くを含む言葉だそうでございます。
ウィキペディアなどを見ますと、いわゆる小説といったものはその主流ではなくて、
君主が国家や政治に対する志を書いた大説や、
君主の命などを受けて編纂された国史に分類される伝統的な物語や説話が
「文」といった場合のメインのようででございます。
そういえば中国には、そのたぐいの本がたくさんございますものな。
ですから、「武」はともかく、「文」に関して申しますれば、
戦略とか兵法―戦術みたいなことを指すようなのでございます。
いくつもの国が興り、戦の絶えなかった中国らしい言葉と申せましょうな。
和をもって尊しとなすお国とは、考え方が違うようでございます。
わたくしなどは、
スポーツができて勉強ができて……ぐらい、
もともとは格闘技や剣術など武道と、小説や詩歌音楽絵画などの芸術的才能、
その両面において優れていることぐらいの意味かと思っておりました。
日本ではおおよそそんな受け取り方でございましょう。
ところが、中国でのもともとの意味は、それとはニュアンスが違うようなのでございますな。
漢和辞典(『新字源』角川書店)を見ておりましたら、
「文」は、外交・政治・教化・学問など、広くを含む言葉だそうでございます。
ウィキペディアなどを見ますと、いわゆる小説といったものはその主流ではなくて、
君主が国家や政治に対する志を書いた大説や、
君主の命などを受けて編纂された国史に分類される伝統的な物語や説話が
「文」といった場合のメインのようででございます。
そういえば中国には、そのたぐいの本がたくさんございますものな。
ですから、「武」はともかく、「文」に関して申しますれば、
戦略とか兵法―戦術みたいなことを指すようなのでございます。
いくつもの国が興り、戦の絶えなかった中国らしい言葉と申せましょうな。
和をもって尊しとなすお国とは、考え方が違うようでございます。
PR
この記事にコメントする
カレンダー
プロフィール
HN:
道化の真実
性別:
男性
趣味:
ゲームブック
最新記事
(12/14)
(12/12)
(12/11)
(12/10)
(12/03)
最古記事
リンク
最新CM
[12/14 道化の真実]
[12/12 ポール・ブリッツ]
[11/27 道化の真実]
[11/26 ポール・ブリッツ]
[11/26 ポール・ブリッツ]
最新TB
カテゴリー
ブログ内検索
P R
フリーエリア
<
