2025/01/23 三越の包装紙、デザインは猪熊弦一郎画伯ですが、Mitsukoshi という字は当時宣伝部にいらしたやなせたかし先生がお書きになったそうでございます。
「MSXマガジン 創刊0号」
(アスキー/1983/10)
(アスキー/1983/10)
創刊号ではなくて、創刊0号でございますよ。
MSXにアスキー社が大きく関わっていたということもございますが、
当時のMSXと、未来のコンピュータに対する過度の期待
がうかがわれるというものでございます。
目次を見ても、それがおわかりいただけるかと。
MSXにアスキー社が大きく関わっていたということもございますが、
当時のMSXと、未来のコンピュータに対する過度の期待
がうかがわれるというものでございます。
目次を見ても、それがおわかりいただけるかと。
そんな記事の中ほど(p.50-51)、
「コンピュータなんてなくったってコンピュータ・ゲームはできるんだ」
と題して掲載されているのが、「バンタム・ゲーム」のゲームブック。
コミック版の『惑星スパイ』の2巻を中心に紹介しております。
「コンピュータなんてなくったってコンピュータ・ゲームはできるんだ」
と題して掲載されているのが、「バンタム・ゲーム」のゲームブック。
コミック版の『惑星スパイ』の2巻を中心に紹介しております。
タイトルからして、やはりゲームブックは、
コンピューターを持たない人のための代価として考えられていたと思いますな。
それに関して、当時わたくしがどう思ったかは忘れました。
覚えているのは、新しさと物語の可能性に興味を引かれたということ。
その後、朝日ソノラマの『騎士ローラン 妖魔の森の冒険』の発売が
「宇宙船」あたりで発表されるなどして、期待はさらに高まっていったのでございます。
覚えているのは、新しさと物語の可能性に興味を引かれたということ。
その後、朝日ソノラマの『騎士ローラン 妖魔の森の冒険』の発売が
「宇宙船」あたりで発表されるなどして、期待はさらに高まっていったのでございます。
(西東社のゲームブックに関しては、かなりあと、「ウォーロック」誌で知るまで、
その存在を知らなかった……と申しますか、
店頭には並んでいたのでしょうから、眼中になかったと言うべきでしょうな)。
その存在を知らなかった……と申しますか、
店頭には並んでいたのでしょうから、眼中になかったと言うべきでしょうな)。
バンタム社のゲームブックは、
講談社の「アドベンチャー・ブックス」シリーズとして翻訳されたのはご存じですな
(ウィキペディアによりますと、学研の『きみならどうする?』シリーズもそうだそうでございますが、それに関してわたくしは未見)。
講談社の「アドベンチャー・ブックス」シリーズとして翻訳されたのはご存じですな
(ウィキペディアによりますと、学研の『きみならどうする?』シリーズもそうだそうでございますが、それに関してわたくしは未見)。
コミック版は翻訳が無いと思いますが、
おそらく西東社のゲームブックは、
このコミック版を参考に作られているのでございましょうな。
おそらく西東社のゲームブックは、
このコミック版を参考に作られているのでございましょうな。
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『リュウの道』の最終巻(8巻)
石森(当時)章太郎
(講談社コミックス/昭和46年5月1刷/昭和51年2月3刷)
を買ったら、そのラスト部分が乱丁だったことを思い出しました。
石森(当時)章太郎
(講談社コミックス/昭和46年5月1刷/昭和51年2月3刷)
を買ったら、そのラスト部分が乱丁だったことを思い出しました。
物語世界の真相が語られるクライマックスでございます。
お読みになった方ならご存じでしょう。
石ノ森先生が、『2001年宇宙の旅』のラストに触発され、
『ジュン』などで培った実験的なコマ割り駆使してお描きになった、
神との対話シーンでございます。
観念の奔流のようなカットの連続で、
順序が違っていたとしても、実験的な意図があるのかな、と思うほど。
でも、読んでみて、なんかおかしい……。
(↑ この辺。 飛び飛びですが流れは左から右でーー)
画面いっぱいに描かれたコマでございますから、ページ数などはわかりません。
結局さんざん首をひねった後、本屋さんに行って別のものと交換していただきました。
でも、今にして……と申しますか、
交換してもらったあと思ったのでございますが、
その本はそのまま取っておいて、新しいのを一冊買えばよかった……。
乱丁自体が珍しいですし、
この本のこの箇所がーーというのは、ネタとしても面白いですものな。
お読みになった方ならご存じでしょう。
石ノ森先生が、『2001年宇宙の旅』のラストに触発され、
『ジュン』などで培った実験的なコマ割り駆使してお描きになった、
神との対話シーンでございます。
観念の奔流のようなカットの連続で、
順序が違っていたとしても、実験的な意図があるのかな、と思うほど。
でも、読んでみて、なんかおかしい……。
(↑ この辺。 飛び飛びですが流れは左から右でーー)
画面いっぱいに描かれたコマでございますから、ページ数などはわかりません。
結局さんざん首をひねった後、本屋さんに行って別のものと交換していただきました。
でも、今にして……と申しますか、
交換してもらったあと思ったのでございますが、
その本はそのまま取っておいて、新しいのを一冊買えばよかった……。
乱丁自体が珍しいですし、
この本のこの箇所がーーというのは、ネタとしても面白いですものな。
ゲームブック以前
あなたまかせのお話
レーモン・クノー著 塩塚秀一郎訳
(国書刊行会/2008/10)
「あなたまかせのお話」(P.193-200)
(ウリポ第83回定例会・同年、雑誌「レ・レットル・ヌーヴェル」初出
/1967年)。
訳者あとがきによりますと、
ゲームブック的な仕掛けのアイデアとしては、もっとも初期のもの
だそうでございます。
「1 三つの元気なお豆さんの話を聞きたいかい?」
と、親が子供に寝物語を聞かせるような調子で話が進んでまいります。
で、
「はい」なら4へ
「いいえ」なら2へ
と、親が子供に寝物語を聞かせるような調子で話が進んでまいります。
で、
「はい」なら4へ
「いいえ」なら2へ
と、選択肢があり、どちらかを選んでそのパラグラフに進む、
というあたりまで、ゲームブックと何ら変わることはございません。
ただ、主人公が「きみ」か、といわれると、そうではございません。
親が子供に語ってやり、途中の選択を子供が選ぶという形ですから、
子供を主人公と考えれば、主人公は「きみ」ということになるのですが、
お話の中の、たとえば「お豆さん」を主人公と考えると、
その行動をどうこうできるわけではないあたりが、
主人公はきみではないと申すのでございます。
というあたりまで、ゲームブックと何ら変わることはございません。
ただ、主人公が「きみ」か、といわれると、そうではございません。
親が子供に語ってやり、途中の選択を子供が選ぶという形ですから、
子供を主人公と考えれば、主人公は「きみ」ということになるのですが、
お話の中の、たとえば「お豆さん」を主人公と考えると、
その行動をどうこうできるわけではないあたりが、
主人公はきみではないと申すのでございます。
選択肢にしても主に、
このはなしの続きが聞きたいか、別の話が聞きたいか、もう話が聞きたくないか、
というものでして、
聞き手である子供が関われるのは、続けるか続けないかだけ。
内容を積極的に変えるということはないのですな。
このはなしの続きが聞きたいか、別の話が聞きたいか、もう話が聞きたくないか、
というものでして、
聞き手である子供が関われるのは、続けるか続けないかだけ。
内容を積極的に変えるということはないのですな。
この小説、わたくしのような何も知らないものが読むと、
子供向けのたわいもない話でしかないのですが、
そこは実験的な小説をものにしております著者のことでございますから、
この作品も実験的な意味合いがあるようでございます。
あとがきによりますと、
ツリー構造だから、お豆さんの物語であり
「添え木」や「低木」の話を選ぶと進展しないのは、
形式にお豆さんの成長の意味合いを込めているからだとか。
ただ、そのあとがきにもございますとおり、
作者は「ツリー型物語」の可能性を真剣に探究していたわけではないのでしょうな。
「むしろ、情報学の展開に伴い、当時すでに可能性が見えていた『ツリー型物語』が
揶揄されていると考えるべきかもしれない」(P.324)
というほうが、あたっているような気もいたします。
子供向けのたわいもない話でしかないのですが、
そこは実験的な小説をものにしております著者のことでございますから、
この作品も実験的な意味合いがあるようでございます。
あとがきによりますと、
ツリー構造だから、お豆さんの物語であり
「添え木」や「低木」の話を選ぶと進展しないのは、
形式にお豆さんの成長の意味合いを込めているからだとか。
ただ、そのあとがきにもございますとおり、
作者は「ツリー型物語」の可能性を真剣に探究していたわけではないのでしょうな。
「むしろ、情報学の展開に伴い、当時すでに可能性が見えていた『ツリー型物語』が
揶揄されていると考えるべきかもしれない」(P.324)
というほうが、あたっているような気もいたします。
ところで、
「ウリポによるアンソロジー『潜在文学』(一九七三年)の説明によると、
どのような選択がなされても破綻することなく物語が成立するためには、
ブール論理学という数学的な道具立てが必要になるらしい」(P.323)とか。
ウィキペディアで見ると、集合とか、AND や 0R みたいなものみたい。
なんとなく、わざわざ言うまでもないような気もするけれど、
最初の段階ではそうではなかったのかも知れませんな。
「ウリポによるアンソロジー『潜在文学』(一九七三年)の説明によると、
どのような選択がなされても破綻することなく物語が成立するためには、
ブール論理学という数学的な道具立てが必要になるらしい」(P.323)とか。
ウィキペディアで見ると、集合とか、AND や 0R みたいなものみたい。
なんとなく、わざわざ言うまでもないような気もするけれど、
最初の段階ではそうではなかったのかも知れませんな。
まぁ、いずれにいたしましても、
最初は実験的・前衛的な作品として、形式と内容を合一させたり、
難しい理論で武装して発表された作品が、
後の時代で、その形式的、技術的な部分だけが使われて、
そうした重苦しさを軽々と乗り越えて行ってしまうことはよくあることでございます。
ゲームブックも、まぁ、そうしたものの一つというわけでございますな。
というわけで、以下フローチャートでございます。
線がぶれるのはあきらめました。
対策はあるのでございましょうが、そういう技術がなくてすみません。
テキストエディタなどにコピペして、MS系などのフォントを使い、
ついでに行間なども調整してやればちゃんとなると思います。
ちなみに、[11]の片割れが、「これ以上話すのはやめましょう」の[END]、
[20]と[21]が、「この話はおしまい」で[END]でございます。
なお、フローチャート上に[21]がたくさんあるのは、
ひとつにまとめるよりも、その方が見やすいと思ったからでございます。
1
┏┻┓
4 2
┏━┫ ┃
9 ┃ ┃
┏━┫ ┃ ┃
↓ ┗┳┛ ┃
21 5 ┃
┏┻┓ ┃
┃ 6 ┃
┃┏┫ ┃
┗┫┃ ┃
8←→7┃ ┃
┗┳━┛┃ ┃
10 ┃ ┃
┏┻┓ ┃ ┃
┃ ┗┳┛ ┃
┃ 11 ┃
┃ ┏┻┓ ┃
┗┳┛ ↓ ┃
12 [END] ┃
┏┻┓ ┃
13 ┃ ┃
┃ ┃ ┃
14 ┃ ┃
┗┳┛ ┃
15 ┃
┏┻┓ ┏━┫
↓ ┣━┛ ┃
21 16 3
┏━┫ ┏━┫
↓ ┃ 17 ↓
21 ┗┳┛ 21
┏┻┓
18 ↓
┏┻┓21
19 ↓
┏┻┓21
20 ↓
21
ゲームブック以前
『日本SF傑作選1 筒井康隆』
日下三蔵編(ハヤカワ文庫JA/2017/8)。
「デマ」(P.581-617)
(初出:「SFマガジン」1973年2月号)
この作品は、ご存じの方もおられるかもしれませんな。
『ゲームブック入門大百科』でも紹介されていた(p.24)
ことでございますし。
いや、実はわたくしもその本で知ったクチでございまして……。
正直申しまして、赤塚不二夫先生や筒井康隆先生の作品は、
あまり読んでいないのでございますよ。
グロや下ネタを含んだ作品にあたる可能性もあり、
わたくしはそういうの苦手なので……。
作品は、言語統制下にある未来が舞台。
検査に失格して徴兵をまぬかれた男がおりまして、
その男のした世間話が噂となり、どんどん広がって……、
と、そういう流れでございます。
噂が広がるにつれ、話が違ったものになっていくのは、当然。
二人の人に話せば、その二人がそれぞれ別のことを伝えるということは、
よくあることでございますよね。
それがこの作品の分岐になっているのでございます。
フローチャート小説でございますな。
最後のページ(p.617)に書かれておりますとおり、
「情報が歪曲されて伝達される形態や条件のほとんどすべて」が含まれておりまして、
それがすごい。
編者の解説によれば、この作品は、1973年に「CBSソニーから発売された
同題のLPレコードのために書かれたもの」(p.757)だそうで。
と、すれば、レコードのトラックを活用できないか
という発想から生まれたものなのでございましょうな。
ただ、ネットで調べてみると、レコードは、朗読とかではなく、
そこからインスピレーションを受けたジャズが入っているのだとか
(小説は、そのライナーノートにも入っていたみたい……なのかな。
今ひとつ自信が……)。
「情報が歪曲されて伝達される形態や条件のほとんどすべて」が含まれておりまして、
それがすごい。
編者の解説によれば、この作品は、1973年に「CBSソニーから発売された
同題のLPレコードのために書かれたもの」(p.757)だそうで。
と、すれば、レコードのトラックを活用できないか
という発想から生まれたものなのでございましょうな。
ただ、ネットで調べてみると、レコードは、朗読とかではなく、
そこからインスピレーションを受けたジャズが入っているのだとか
(小説は、そのライナーノートにも入っていたみたい……なのかな。
今ひとつ自信が……)。
で、まぁ、その噂が立ち消えになったり、新しい情報を含んで変質したり……、
となっていくわけでございます。
構成は意外と単純。
ですが、それは新しい試みだからでございましょう。
もし、同じ手法で、第二第三ができておりますれば、
さらに複雑に絡み合わせることも可能だったかと存じます。
「女か虎か」の時も書きましたが、
この作品も、「主人公は君」ではございません。
噂によって変化する状況が主となっているわけでございますから、
これは当然ですな。
ですからこの作品は、どのルートが正しいとかではなく
(まぁ、情報消滅が一番遅いルートを選択する
というのも楽しみ方としてあるでしょうが)、
個々の過程と全体の俯瞰を楽しむものだと思います。
となっていくわけでございます。
構成は意外と単純。
ですが、それは新しい試みだからでございましょう。
もし、同じ手法で、第二第三ができておりますれば、
さらに複雑に絡み合わせることも可能だったかと存じます。
「女か虎か」の時も書きましたが、
この作品も、「主人公は君」ではございません。
噂によって変化する状況が主となっているわけでございますから、
これは当然ですな。
ですからこの作品は、どのルートが正しいとかではなく
(まぁ、情報消滅が一番遅いルートを選択する
というのも楽しみ方としてあるでしょうが)、
個々の過程と全体の俯瞰を楽しむものだと思います。
こうした並行的に変化する状況というのは、
「主人公が君」であるゲームブックと組み合わさって、『428』などのような、
主人公や場所を切り替えながらゲーム内の問題を解決していく
アドベンチャーゲームにつながっていくと思うのでございますよ。
「主人公が君」であるゲームブックと組み合わさって、『428』などのような、
主人公や場所を切り替えながらゲーム内の問題を解決していく
アドベンチャーゲームにつながっていくと思うのでございますよ。
でもってですねぇ、
この「デマ」の手法は、別のアプローチでも、何か使えるのではないか、
それによって、ゲームブックに新しい進化を加えられるのではないか、
そのようなことを考えているのでございます。
この「デマ」の手法は、別のアプローチでも、何か使えるのではないか、
それによって、ゲームブックに新しい進化を加えられるのではないか、
そのようなことを考えているのでございます。
もしかすると、
それは「主人公は君」というスタイルは取れないかもしれませんし、
ゲームでもないかも知れません。
それは「主人公は君」というスタイルは取れないかもしれませんし、
ゲームでもないかも知れません。
他のかたがどう思うかは存じませんが、
わたくしといたしましては、それでいいのだ、でございます。
わたくしといたしましては、それでいいのだ、でございます。
何か新しいもの。
何か面白いもの、
それであれば、ゲームブックの枠は必要ございませんでしょう。
何か面白いもの、
それであれば、ゲームブックの枠は必要ございませんでしょう。
ゲームブック以前
フローチャートと申しますと、
すぐゲームブックのものを想像してしまいますが、
小説の構造をフローチャートで説明している
例がございました。
それが、これ。
「クラッシャージョウ アドベンチャー・ワールド」
(少年マガジン特別別冊/昭和58年3月)の
フローチャートと申しますと、
すぐゲームブックのものを想像してしまいますが、
小説の構造をフローチャートで説明している
例がございました。
それが、これ。
「クラッシャージョウ アドベンチャー・ワールド」
(少年マガジン特別別冊/昭和58年3月)の
p.84-85に掲載されておりましたもので、河西隆史というかたが
お書きになったそうでございます。
6作目まであったのでございますが、
なぜ5作目かと申しますと、
飛び抜けた理由はないのですが、
1作目は大きなネタバレを
含んでおりますし、
2と3作目は綴じてある部分なので
スキャンしにくい、
4作目は「結」がない形だし……と、
消去法で無難なのを
選んだのでございます。
小説のフローチャートなので、
一本道なのかと思いきや、
ご覧のとおり、分岐する箇所が
ございます。
理由は簡単。
クラッシャーはチームですからな。
そのメンバーが別れて行動するところで
分けているのでございます。
お書きになったそうでございます。
6作目まであったのでございますが、
そのうち、5作目『銀河帝国への野望』
のものでございます。
のものでございます。
なぜ5作目かと申しますと、
飛び抜けた理由はないのですが、
1作目は大きなネタバレを
含んでおりますし、
2と3作目は綴じてある部分なので
スキャンしにくい、
4作目は「結」がない形だし……と、
消去法で無難なのを
選んだのでございます。
小説のフローチャートなので、
一本道なのかと思いきや、
ご覧のとおり、分岐する箇所が
ございます。
理由は簡単。
クラッシャーはチームですからな。
そのメンバーが別れて行動するところで
分けているのでございます。
演劇や映画などでも、
登場人物の出入りを示した表を描くことがございます。
もっと身近では、
アリバイトリック(もしくはそれがあると思わせる誤誘導)のある小説で、
登場人物がいた場所を時間ごとに示した表が出てくるときがございますな。
それらがフローチャートで描かれた例を見たことはございませんが
(推理小説ではあったかな?)、
上の図も、
そうしたものと同じようなものと考えればよろしゅうございましょう。
話の流れ(数字はページ数であり、左右に描かれた短い横線は、
50ページごとの区切りでございます)のどのあたりで何が起こるかが、
これを見れば判るというわけでございますな。
ここに、悪役側の行動ですとか、刻々と変わる状況
などのラインを入れれば、さらに全体像が判るでしょうし、
もっと多くの人が関わる群衆劇なら、
さらに多くの線が複雑に絡み合うことになるかもしれません。
登場人物の出入りを示した表を描くことがございます。
もっと身近では、
アリバイトリック(もしくはそれがあると思わせる誤誘導)のある小説で、
登場人物がいた場所を時間ごとに示した表が出てくるときがございますな。
それらがフローチャートで描かれた例を見たことはございませんが
(推理小説ではあったかな?)、
上の図も、
そうしたものと同じようなものと考えればよろしゅうございましょう。
話の流れ(数字はページ数であり、左右に描かれた短い横線は、
50ページごとの区切りでございます)のどのあたりで何が起こるかが、
これを見れば判るというわけでございますな。
ここに、悪役側の行動ですとか、刻々と変わる状況
などのラインを入れれば、さらに全体像が判るでしょうし、
もっと多くの人が関わる群衆劇なら、
さらに多くの線が複雑に絡み合うことになるかもしれません。
小説や、物語性を重視したゲームブックをお書きになろうとする方は、
参考になるのではないでしょうか。
小説の書き方で、初心者は一人称で書くな、というのは、
まぁ、こういうことをおっしゃっているのでしょうな。
一人称ですと、勢いだけで書き始めて後が続かなくなってしまったり、
目標だけ決めとけば後は何とかなるだろうと思っても、
内容がスカスカになったり、
独白が過ぎて迷走したり、
全体の構成が取れていないものですから、底の浅いものになったり……。
ああ、自分で書いていて耳が痛い……。
まぁ、そういうことでございますよ。
お買いもの。
『タイタン』を買ったあと、
せっかく大きな本屋さんに来たということで、ついでに買ったのがこれにございます。
『トールキンのシグルズとグズルーンの伝説<注釈版>』
J・R・R・トールキン クリストファー・トールキン
小林朋則訳(原書房/2018/7/25)。
普段行かないと、いろいろ発見ありますよね、大きな本屋さんって。
『タイタン』を買ったあと、
せっかく大きな本屋さんに来たということで、ついでに買ったのがこれにございます。
『トールキンのシグルズとグズルーンの伝説<注釈版>』
J・R・R・トールキン クリストファー・トールキン
小林朋則訳(原書房/2018/7/25)。
普段行かないと、いろいろ発見ありますよね、大きな本屋さんって。
目移りしてそのまま何も買わずに帰っちゃうこともしばしばではございますが
今回は……。なぜだろう。衝動買いとかほとんどしないのですけどねぇ。
それにしても、なぜだろう、こんな本があるなんて、全然知らなかったー、とか
思って奥付を見ると、ホントつい最近出版されたものだったのですな。
知らなくて、当然でございました。
今回は……。なぜだろう。衝動買いとかほとんどしないのですけどねぇ。
それにしても、なぜだろう、こんな本があるなんて、全然知らなかったー、とか
思って奥付を見ると、ホントつい最近出版されたものだったのですな。
知らなくて、当然でございました。
さて、
『指輪物語』と『ニーベルンゲンの指輪』の類似性については、
よく指摘されるところではございますな。
それに対してトールキンは、
「二つの指環は共に丸い、そしてそこで類似性は終わる」
(Both rings were round, and there the resemblance ceases.)
と否定しているとか(中つ国Wikiの「ニーベルンゲンの歌」の項)。
よく指摘されるところではございますな。
それに対してトールキンは、
「二つの指環は共に丸い、そしてそこで類似性は終わる」
(Both rings were round, and there the resemblance ceases.)
と否定しているとか(中つ国Wikiの「ニーベルンゲンの歌」の項)。
ーーワーグナーと言えばヒトラーを思い浮かべる人もおりますから、
そこら辺を嫌っての発言なんでしょうな。
そこら辺を嫌っての発言なんでしょうな。
ぐらいに思っていたのでございますが、どうもそうではないようでございます。
この『シグルズとグズルーンの伝説』というのは、
英雄シグルズとヴァルキュリアのブリュンヒルデ、
ニーベルング族の女王グズルーンを主人公とする悲劇ーー。
典拠は『ニーベルンゲンの指輪』と同根でございます。
(「翻訳か原典かの違いがある」(p.10)とございますから、
ワーグナーは翻訳で読んだということなのかと)
英雄シグルズとヴァルキュリアのブリュンヒルデ、
ニーベルング族の女王グズルーンを主人公とする悲劇ーー。
典拠は『ニーベルンゲンの指輪』と同根でございます。
(「翻訳か原典かの違いがある」(p.10)とございますから、
ワーグナーは翻訳で読んだということなのかと)
ただし、そういうタイトルのまとまった一つの作品がある
と言うわけではないみたいでございます。
と言うわけではないみたいでございます。
この物語は、
散文物語『ヴォルスンガ・サガ』と『古エッダ』の十数編の詩のなかに登場する話で、
それらは矛盾していたり分かりにくい点が数多く存在しているそうでーー。
散文物語『ヴォルスンガ・サガ』と『古エッダ』の十数編の詩のなかに登場する話で、
それらは矛盾していたり分かりにくい点が数多く存在しているそうでーー。
それをトールキン先生が比較・検討して、一つの物語としての一貫性を持たせ、
古ノルド語の韻律に従って現代英語で書いてものが、この本に掲載された詩。
もともとこういう詩があったのではなくて、
「『こうした詩があったのかもしれない』とトールキンが考えて創作した作品なのだ」
(p.452訳者あとがき)そうでございます。
古ノルド語の韻律に従って現代英語で書いてものが、この本に掲載された詩。
もともとこういう詩があったのではなくて、
「『こうした詩があったのかもしれない』とトールキンが考えて創作した作品なのだ」
(p.452訳者あとがき)そうでございます。
ワーグナーの楽劇『ニーベルンゲンの指輪』とのちがいについては、
注釈者であるクリストファー・トールキン先生
(このお方、J・R・Rトールキン先生の三男にして遺著管理人
なのだそうでございますが、以下クリストファーさんと略します。
トールキン先生が二人もいると、書くのがややこしくって……)
が次のようにお書きになっておられます。
注釈者であるクリストファー・トールキン先生
(このお方、J・R・Rトールキン先生の三男にして遺著管理人
なのだそうでございますが、以下クリストファーさんと略します。
トールキン先生が二人もいると、書くのがややこしくって……)
が次のようにお書きになっておられます。
J・R・R・トールキン先生のこの著作が、古代文学を解釈する試み
であるのに対し、楽劇『ニーベルンゲンの指輪』は、
「変形させて新しいものを生み出そうとする衝動であり、
古い北欧思想からさまざまな要素を取り出して新たな関係の中に置き、
自分の好みや芸術的意図に合わせて、
大々的に脚色・改変・創作するというものだった。
そのため『ニーベルングの指環』の台本は、古い伝承に基礎を置いてはいるものの、
時を越えて伝えられた英雄伝説の続き、あるいは発展形と見るのではなく、
まったく新しい別個の芸術作品だと考えるべきであり、
その精神においても目的においても、
『ヴォルスング一族の新しい歌』や『グズルーンの新しい歌』とは、
ほとんど無関係と見なさなくてはならない。」(p.10)
であるのに対し、楽劇『ニーベルンゲンの指輪』は、
「変形させて新しいものを生み出そうとする衝動であり、
古い北欧思想からさまざまな要素を取り出して新たな関係の中に置き、
自分の好みや芸術的意図に合わせて、
大々的に脚色・改変・創作するというものだった。
そのため『ニーベルングの指環』の台本は、古い伝承に基礎を置いてはいるものの、
時を越えて伝えられた英雄伝説の続き、あるいは発展形と見るのではなく、
まったく新しい別個の芸術作品だと考えるべきであり、
その精神においても目的においても、
『ヴォルスング一族の新しい歌』や『グズルーンの新しい歌』とは、
ほとんど無関係と見なさなくてはならない。」(p.10)
言ってみれば、三国志の研究者が、自分の研究を元に小説を書いたら、
「これって、横山光輝先生のマンガ元にしたんでしょ」とか、
「誰それの三国志小説の影響受けてるよね」とか、
そんなふうに言われた、というようなものでございましょうかねぇ。
「これって、横山光輝先生のマンガ元にしたんでしょ」とか、
「誰それの三国志小説の影響受けてるよね」とか、
そんなふうに言われた、というようなものでございましょうかねぇ。
それはまぁ、嫌な気分にもなろうというものでございますな。
さて内容は、
と申しますと、タイトルのとおり、
と申しますと、タイトルのとおり、
トールキン先生の『シグルズとグズルーンの伝説』。
原文は現代英語で書かれているとはいえ、
古ノルド語の韻律に従っており、読みにくいのだそうでございますが、
訳者の方の労苦のたまものでございましょう。
格調高く、力強く、かっこいい。
原文は現代英語で書かれているとはいえ、
古ノルド語の韻律に従っており、読みにくいのだそうでございますが、
訳者の方の労苦のたまものでございましょう。
格調高く、力強く、かっこいい。
『指輪物語』なども「です・ます」調でなくて、
こうした格調高い感じの訳だったらなぁ、とわたくしとしては思うところでございます。
評論社の文庫版を読むとき、
ときどき「です・ます」を「だ・た」に変えて、朗読したりしておりましたもの
(黙読だと、すぐに書いてあるとおりの「です・ます」調に戻ってしまうため
でございます。まぁ、朗読も、疲れるのでそれほど長続きはしないのでございますが)。
こうした格調高い感じの訳だったらなぁ、とわたくしとしては思うところでございます。
評論社の文庫版を読むとき、
ときどき「です・ます」を「だ・た」に変えて、朗読したりしておりましたもの
(黙読だと、すぐに書いてあるとおりの「です・ます」調に戻ってしまうため
でございます。まぁ、朗読も、疲れるのでそれほど長続きはしないのでございますが)。
おっと、話が逸れました。
で、本文である詩をはさむ形で、
クリストファーさんの非常に詳細な注解が入るという形になっております。
クリストファーさんの非常に詳細な注解が入るという形になっております。
いや、詩と解説は同じか、解説のほうが長いので、
はさむというのは正しくはございませんでしょう。
トールキン先生が遺した古エッダの講義の草稿や断片的なメモなどを駆使して、
かなり細かい注釈がつけられております。
トールキン先生がすべてに注釈を加えておられれば、
という思いはございますが、それは詮なきこと。
細かいメモなども拾って書かれたこの本は、
ベストとは言わないまでも、そこに限りなく近づいた注釈本
と申せるのではないでしょうか。
はさむというのは正しくはございませんでしょう。
トールキン先生が遺した古エッダの講義の草稿や断片的なメモなどを駆使して、
かなり細かい注釈がつけられております。
トールキン先生がすべてに注釈を加えておられれば、
という思いはございますが、それは詮なきこと。
細かいメモなども拾って書かれたこの本は、
ベストとは言わないまでも、そこに限りなく近づいた注釈本
と申せるのではないでしょうか。
ゲームブッククイズ(107)
タイタンの創造者である、
スティーブ・ジャクソンと
イアン・リビングストン。
社会思想社版『タイタン』では、
どこに行けば二人の姿を見られる
と書いてある?
『タイタン
ーーファイティング・ファンタジーの世界ーー』
M・ガスコイン編 安田均訳
(社会思想社/1989/2)
『タイタン
ーーアドバンスト・ファイティング・ファンタジーの世界ーー』
スティーブ・ジャクソン、イアン・リビングストン
マーク・ガスコイン著
安田均訳
(グループSNE/平成30年8月)
索引がついている!
やはり、新しい『タイタン』の一番の長所はこれでございましょう。
そうなんですよねー。
社会思想社版を買ったときに一番の残念だった点はこれなんですよねー。
いくら読み物としての面白さを強調されても、
「あれはどうなっているんだろう?」と、
つまみ読みができなければその楽しみも半ばというところ。
ぱっと見ではございますが、語句をちゃんと拾っているんじゃないかなぁ。
雑な索引だと、ガッカリ来ることってございますものね
2011/5月の版を元にしているようでございますが、
1986年の原書から訳された社会思想社版(1989/2)と
変わっているところは見つけられませんでした。
基本変わっていないと思ってよろしいのではないでしょうか。
ですから今回の版は、判型を合わせて用語の統一をしたぐらいなのかな、
と思いつつ、異同を確かめてみたのでございますが、
けっこう推敲している!!
手、抜いてないよ~。
たとえば、レプラコーン(社会思想社版はレプリコーン)の項。
社会思想社版
p.214
レプリコーンもまた、”策略の神“の少し変わった道に従っているーー
実際、生き物のなかには、レプリコーンがいつも人々にいたずらをするのに
敬意を表して、彼らを”ローガンの子ら“とよぶものもいるほどだ。
しかし、楽しみのためだけにいたずらをするエルヴィンとちがって、
レプリコーンは生きるためにいたずらをする。
レプリコーンもまた、”策略の神“の少し変わった道に従っているーー
実際、生き物のなかには、レプリコーンがいつも人々にいたずらをするのに
敬意を表して、彼らを”ローガンの子ら“とよぶものもいるほどだ。
しかし、楽しみのためだけにいたずらをするエルヴィンとちがって、
レプリコーンは生きるためにいたずらをする。
グループSNE版
p.073
レプラコーンもまた”策略の神“のいたずら好きの流れに沿っているーー
実際、生き物の中にはレプラコーンがいつも人々に性質の悪いたずらをするのに
敬意を表して、彼らを”ローガンの子“と呼ぶものもいるほどだ。
しかし、楽しみのためだけにいたずらをするエルヴィンとちがって、
レプリコーンは生きるためにいたずらをする。
p.073
レプラコーンもまた”策略の神“のいたずら好きの流れに沿っているーー
実際、生き物の中にはレプラコーンがいつも人々に性質の悪いたずらをするのに
敬意を表して、彼らを”ローガンの子“と呼ぶものもいるほどだ。
しかし、楽しみのためだけにいたずらをするエルヴィンとちがって、
レプリコーンは生きるためにいたずらをする。
ちなみに、フリガナは社会思想社版は「けいい」と「ひょう(して)」、
SNE版は、性質に(たち)とふってございます。
総じてSNE版は、特殊な読み方でないものについては
フリガナをつけない方針のようでございますな。
わたくしといたしましては、フリガナは多い方が好きでございますが。
SNE版は、性質に(たち)とふってございます。
総じてSNE版は、特殊な読み方でないものについては
フリガナをつけない方針のようでございますな。
わたくしといたしましては、フリガナは多い方が好きでございますが。
なお、SNE版の引用の最後の一つが、
レプリコーンとなっているのは原文のママでございます。
これが、レプラコーンのいたずらというものでございましょう。
レプリコーンとなっているのは原文のママでございます。
これが、レプラコーンのいたずらというものでございましょう。
大判になったことでわかりやすくなったのが、地図や図表のたぐいでございます。
特に、町や村などの地図にその恩恵が感じられます。
ヤズトロモさんの塔のあのごちゃごちゃした絵も、
大判になることでいっそう楽しめるようになった感がございますな。
特に、町や村などの地図にその恩恵が感じられます。
ヤズトロモさんの塔のあのごちゃごちゃした絵も、
大判になることでいっそう楽しめるようになった感がございますな。
図表につきましては、たとえば「ドワーフのルーン文字」(p.063)。
社会思想社版(p.158)には、アルファベットとルーンの間には
何もなかったのですが、そこに単語が追加されております。
また、物の値段表(p.134)も、
社会思想社版(p.412)では思いつくままといった配置が、
武器、鎧、日常品と順序よく並べかえられ、扱いやすくなった感がございますな。
社会思想社版(p.158)には、アルファベットとルーンの間には
何もなかったのですが、そこに単語が追加されております。
また、物の値段表(p.134)も、
社会思想社版(p.412)では思いつくままといった配置が、
武器、鎧、日常品と順序よく並べかえられ、扱いやすくなった感がございますな。
まぁ、ざっと見の感想はこんなところでございます。
それにしても、オビの「本当のファンタジー」ってなんだろう。
「ファンティング・ファンタジー」って、そういうククリでとらえる作品
ではないと思うけどなぁ。
だいたい、「本当の」って書くと、かえってウソっぽく……。
それにしても、オビの「本当のファンタジー」ってなんだろう。
「ファンティング・ファンタジー」って、そういうククリでとらえる作品
ではないと思うけどなぁ。
だいたい、「本当の」って書くと、かえってウソっぽく……。
じゃあねぇ~~!
ゲームブッククイズ(106)
『Let's Play! モンスター図鑑ーー厄災のドラゴン』
加藤ヒロノリ 杉浦武夫著(新紀元社ネオゲーム文庫/2012/11)。
主人公であるあなたが、ドラゴンと戦う場所はどこ?
『Let's Play! モンスター図鑑ーー厄災のドラゴン』
加藤ヒロノリ 杉浦武夫著(新紀元社ネオゲーム文庫/2012/11)。
主人公であるあなたが、ドラゴンと戦う場所はどこ?
なぞのまとめ7月
2018/07/01 ひゃひゃひゃひゃひゃ、道化の真実にございます。
テーマソングは、TOM☆CATの「STARDUSTS」あたりで。
TOM☆CATの楽曲は、久松史奈さんのアルバム「CHERRY BOMB」
あたりまで追ったけど、すごく好き。だいたい好き。
2018/07/01 ひゃひゃひゃひゃひゃ、道化の真実にございます。
テーマソングは、TOM☆CATの「STARDUSTS」あたりで。
TOM☆CATの楽曲は、久松史奈さんのアルバム「CHERRY BOMB」
あたりまで追ったけど、すごく好き。だいたい好き。
☆(ユーチューブで見たら、
(「サマータイム グラフィティ」が前に入るのはいいとして、)
何かとてつもなく歌詞とあわないPVが……。
画面は消して聴く方向でお願いいたします~)
(「サマータイム グラフィティ」が前に入るのはいいとして、)
何かとてつもなく歌詞とあわないPVが……。
画面は消して聴く方向でお願いいたします~)
2018/07/02 ゲームブッククイズ(23)の
「予告時の仮タイトルが、『妖魔の棲む霊宮』だったゲームブックは?」の答に追加。
このゲームブックの仮タイトルとしては、『幻し墓の迷路』というのもございます。
同じ『宇宙幻獣の呪い』の裏表紙側のオビに書かれておりますな。
初版の同じ本なのに……とも思いましたが、
オビの文のほうがほんの少しだけ後で書かれたのでございましょう。
出版されたタイトルに近づいてもおりますし。
「予告時の仮タイトルが、『妖魔の棲む霊宮』だったゲームブックは?」の答に追加。
このゲームブックの仮タイトルとしては、『幻し墓の迷路』というのもございます。
同じ『宇宙幻獣の呪い』の裏表紙側のオビに書かれておりますな。
初版の同じ本なのに……とも思いましたが、
オビの文のほうがほんの少しだけ後で書かれたのでございましょう。
出版されたタイトルに近づいてもおりますし。
2018/07/04 この前、『水戸黄門』を見ていたら、お店ののれんにでかでかと
「手打ちそば」の文字が……。
ということは、この時代から機械打ちの蕎麦ってあったんだ~。
……。
勉強になるなぁ~。
「手打ちそば」の文字が……。
ということは、この時代から機械打ちの蕎麦ってあったんだ~。
……。
勉強になるなぁ~。
2018/07/05 ゲームブック書誌。
「ゲームブックの作り方 ── 対談/岡嶋二人十鳥井加南子」が
掲載された「BugNews」誌 1986年5月号には、p.145に
「ゲーム・マスターの皮肉な語り口」寺垣治夫
という1ページのコラムがございます。
俎上は、ブレナンの『七つの奇怪群島』。
スティーブ・ジャクソンが、ロールプレイング・ゲームの
「ダンジョンの複雑さ、完成度を重視するのに対し、
ブレナンはゲームマスターの語り口、あるいは人間性に重点を置き、
本の上で彼の理想とするゲーム・マスターを演じようと試みている」
と、書かれてございますな。
「ゲームブックの作り方 ── 対談/岡嶋二人十鳥井加南子」が
掲載された「BugNews」誌 1986年5月号には、p.145に
「ゲーム・マスターの皮肉な語り口」寺垣治夫
という1ページのコラムがございます。
俎上は、ブレナンの『七つの奇怪群島』。
スティーブ・ジャクソンが、ロールプレイング・ゲームの
「ダンジョンの複雑さ、完成度を重視するのに対し、
ブレナンはゲームマスターの語り口、あるいは人間性に重点を置き、
本の上で彼の理想とするゲーム・マスターを演じようと試みている」
と、書かれてございますな。
2018/07/06 ところで、
『T&T』のシックス・パックって、ビールっ腹?
それとも腹筋が6つに割れているタイプ?
……
もしかして、6段腹とか?
う~ん、気になるぅ。
『T&T』のシックス・パックって、ビールっ腹?
それとも腹筋が6つに割れているタイプ?
……
もしかして、6段腹とか?
う~ん、気になるぅ。
2018/07/08 今の時代、やはりインスタ映え。
それも女性に受けるもの。
TRPGはともかくとして、ゲームブックではどんな方法が考えられるんだろ?
スイーツのおいしさをきわだたせるゲームブック……とか。
どんなのだろ?
☆ まぁ、模範的な答といたしましては、
「パズル幕の内弁当」(ぴあ)収録(昭和59年)
リアル脱出ゲーム、
あるいは、奥谷道草という方のお書きになった
『オモシロはみだし台湾さんぽ』(旅行エッセイなのですが、
他のページを参照にすることがどういうわけか多い)などのように、
現実の体験を必要とするゲームブックならば、インスタ映えも考えられますが、
でもね、
そういうのは、わたくしの考えるゲームブックの
少なくとも中心ではございませんものなぁ。
周辺領域……、いや、お隣の領域に越境しちゃったとも言えるかも。
2018/07/09 「犬神明の人狼」とかないのかなぁ。
それも女性に受けるもの。
TRPGはともかくとして、ゲームブックではどんな方法が考えられるんだろ?
スイーツのおいしさをきわだたせるゲームブック……とか。
どんなのだろ?
☆ まぁ、模範的な答といたしましては、
「パズル幕の内弁当」(ぴあ)収録(昭和59年)
no.56パノラマオリエンテーリング第2弾新宿編
(「ゲームブック倉庫番」の雑誌の項をごらんくださいませ)や、リアル脱出ゲーム、
あるいは、奥谷道草という方のお書きになった
『オモシロはみだし台湾さんぽ』(旅行エッセイなのですが、
他のページを参照にすることがどういうわけか多い)などのように、
現実の体験を必要とするゲームブックならば、インスタ映えも考えられますが、
でもね、
そういうのは、わたくしの考えるゲームブックの
少なくとも中心ではございませんものなぁ。
周辺領域……、いや、お隣の領域に越境しちゃったとも言えるかも。
2018/07/09 「犬神明の人狼」とかないのかなぁ。
どんな感じになるのかは分からないけれど、あったら面白いような気がする。
「諸君、また会おう」
「諸君、また会おう」
2018/07/13 「トンネルズ&トロールズ」(社会思想社)p.112
レプラコーンにも王がいたんだぁ。
あんなまとまりなんか関係なさそうな奴らなのに……。
どんな王様なんだろう?
謁見すると、ひどい目に遭わされそう……。
2018/07/14 いくらクーラーがない部屋で暑いからといって、
シャツに水をかけて、扇風機の前にいると涼しいよ……。
あっ、じゃなかった。風邪をひく可能性があるかもしれませんですますよ?
えっと、自己責任で。
レプラコーンにも王がいたんだぁ。
あんなまとまりなんか関係なさそうな奴らなのに……。
どんな王様なんだろう?
謁見すると、ひどい目に遭わされそう……。
2018/07/14 いくらクーラーがない部屋で暑いからといって、
シャツに水をかけて、扇風機の前にいると涼しいよ……。
あっ、じゃなかった。風邪をひく可能性があるかもしれませんですますよ?
えっと、自己責任で。
2018/07/16 「暑中おみまい申し上げます」って、
「Take Hot You~(テイク・ホット・ユー・~)」でいいのかなぁ。
まちがっていない……よね?」
2018/07/18 TRPGで、英語で検索をかけると、
「テーブルトーク」はなくって、最初に出てくるのは、
コンピュータのタクティカルRPGなのでございますな。
その次に、テーブルトップRPG。
これが、日本で言うテーブルトークRPGと同じような意味らしいですな。
テーブルトップゲームというのはテーブルゲームのことで、
そのRPGだから……なのだとか。
「Take Hot You~(テイク・ホット・ユー・~)」でいいのかなぁ。
まちがっていない……よね?」
2018/07/18 TRPGで、英語で検索をかけると、
「テーブルトーク」はなくって、最初に出てくるのは、
コンピュータのタクティカルRPGなのでございますな。
その次に、テーブルトップRPG。
これが、日本で言うテーブルトークRPGと同じような意味らしいですな。
テーブルトップゲームというのはテーブルゲームのことで、
そのRPGだから……なのだとか。
2018/07/19 「ソードワールド2.5」ですかぁ……。
いろいろな変更や追加で、もう2.8ぐらいまで行っているのかと思ってました。
いろいろな変更や追加で、もう2.8ぐらいまで行っているのかと思ってました。
2018/07/20 新しい『タイタン』では、
蜂漫国はどのように扱われるのだろうか、気になりますな。
原文にはなくても、訳者註で……。
安田均先生がどう書くか楽しみ!
2018/07/21 「拍手ボタン」、つけてみました。
コメントをするまでもないけど、よかった、とか面白かったとか、
ためになったとかちょっとでも思った方は、暖かい合いの手を――。
ただし、
「あとで消します」のたぐいの言葉が書かれているものについては、
控えてください、
ねっ。
蜂漫国はどのように扱われるのだろうか、気になりますな。
原文にはなくても、訳者註で……。
安田均先生がどう書くか楽しみ!
2018/07/21 「拍手ボタン」、つけてみました。
コメントをするまでもないけど、よかった、とか面白かったとか、
ためになったとかちょっとでも思った方は、暖かい合いの手を――。
ただし、
「あとで消します」のたぐいの言葉が書かれているものについては、
控えてください、
ねっ。
2018/07/23 試しに、「OneNote2016」のOCR機能をフローチャートに使ってみた。
外国で作ったものだから、日本語が壊滅的なのは予想していたけれど、
罫線記号で書いた線やスペースが、まったくと言っていいほど無視されている!
ブロックごとの概念が分かっているみたいだけれど、
位置関係を無視して左からベタ打ち。
文章なんかより、位置関係や線のほうが大事だというのに――。
困った~!
☆ 「BugNews1986/4」でも試してみたのですが、
縦書きの段組もかなりひどいことに。
なんか、ごっちゃごちゃ。
結局あきらめて、手で打ちました。
2018/07/25 暑い日が続きますな。
地球温暖化だそうでございますから、来年はもっと暑くなるのでしょう。
もう日本は熱帯と言っていいのでは……。
南極の氷が溶けて、洪水もより起こりやすくなるのではございませんでしょうか?
まぁ、中国と米国とロシアの偉い人に任せておけば、
この問題は万事解決大丈夫!
大丈夫ぅ?
(8月2日のタイトル下に続く)
外国で作ったものだから、日本語が壊滅的なのは予想していたけれど、
罫線記号で書いた線やスペースが、まったくと言っていいほど無視されている!
ブロックごとの概念が分かっているみたいだけれど、
位置関係を無視して左からベタ打ち。
文章なんかより、位置関係や線のほうが大事だというのに――。
困った~!
☆ 「BugNews1986/4」でも試してみたのですが、
縦書きの段組もかなりひどいことに。
なんか、ごっちゃごちゃ。
結局あきらめて、手で打ちました。
2018/07/25 暑い日が続きますな。
地球温暖化だそうでございますから、来年はもっと暑くなるのでしょう。
もう日本は熱帯と言っていいのでは……。
南極の氷が溶けて、洪水もより起こりやすくなるのではございませんでしょうか?
まぁ、中国と米国とロシアの偉い人に任せておけば、
この問題は万事解決大丈夫!
大丈夫ぅ?
(8月2日のタイトル下に続く)
2018/07/26 『ソードワールド2.5』買いました~。
ルール的には、あまり変わっていないような……。
って、それで正しいのか。
ルール的には、あまり変わっていないような……。
って、それで正しいのか。
2018/07/27 『ソードワールド2.5』p.13。
ゲームに必要なもの。サイコロ。
「1の裏が6」「2の裏が5」「3の裏が4」である普通のサイコロ……。
持っているものなぁ~。
2,4,6,8~、や、12,14,16,18~、とか、10,20,30,40~、とかいった
サイコロ。
小学校1~2年の算数で使うものですけど。
2018/07/30 こう暑い日々が続きますので、
アイスキューブでサイコロを作ってもいいかもしれませんな。
そうめん皿のようなところに転がせば、涼しげ。
氷が溶けて、出目の確率が変わってくるのも楽しいところ。
まぁ、ある一定以上溶けたら、次の氷に取り替えてやらないとですな。
でも、作るのが面倒そうだし、第一溶けるうちに目が判らなくなるかも?
ボードゲームとかを置いている特殊な飲食店でしたら、
よろしいのではございませんでしょうか。
ゲームに必要なもの。サイコロ。
「1の裏が6」「2の裏が5」「3の裏が4」である普通のサイコロ……。
持っているものなぁ~。
2,4,6,8~、や、12,14,16,18~、とか、10,20,30,40~、とかいった
サイコロ。
小学校1~2年の算数で使うものですけど。
2018/07/30 こう暑い日々が続きますので、
アイスキューブでサイコロを作ってもいいかもしれませんな。
そうめん皿のようなところに転がせば、涼しげ。
氷が溶けて、出目の確率が変わってくるのも楽しいところ。
まぁ、ある一定以上溶けたら、次の氷に取り替えてやらないとですな。
でも、作るのが面倒そうだし、第一溶けるうちに目が判らなくなるかも?
ボードゲームとかを置いている特殊な飲食店でしたら、
よろしいのではございませんでしょうか。
(上に書こうとしたのですが、字数的にはみ出してしまったので、ここで)
サイコロは、どの目も平均して出るものがいいのが普通でございますが、いっそのこと、
いびつなサイコロを使うというのも面白いかもしれませんな。
一見まともに見えるものから、明らかに変なものまで、
100個ほど作ってテーブルにばらまき、
見た目だけでプレイヤーに選ばせるのでございます。
当然出目は偏りますが、
それがまぁ、そのキャラクターの本日の調子というわけでございますな。
で、その後マスターが、あらかじめ覚えておいた、
外見はふつうだけど中の重量バランスに細工をしてあるサイコロを取るという……。
まぁ、『アドバンスド・ファイティング・ファンタジー』みたいに、
同じ出目がいい目と悪い目の両方で使われていたりすると、
6ゾロ出放題でもあまりうれしくはないでしょうけれど……。
ついでですので、同じ記事から、
「BUG NEWS」誌1986/4 特集「ゲームブック145冊」の
「PLAY THE BOOK ゲームブックで「本」が変わった!」(p-26-27) から、
やはり同じく社会思想社編集部長田中轟人氏のお言葉を抜き出してみましょう。
「ファミコン、パソコンゲームを本にしたようなものだと思ったので、
子供には売れるような気がしました。
しかし、2~3万でれば大成功だと思いました。
万一失敗しても文庫ならばリスクも少なくてすみますしーー」(p.26)
「BUG NEWS」誌1986/4 特集「ゲームブック145冊」の
「PLAY THE BOOK ゲームブックで「本」が変わった!」(p-26-27) から、
やはり同じく社会思想社編集部長田中轟人氏のお言葉を抜き出してみましょう。
「ファミコン、パソコンゲームを本にしたようなものだと思ったので、
子供には売れるような気がしました。
しかし、2~3万でれば大成功だと思いました。
万一失敗しても文庫ならばリスクも少なくてすみますしーー」(p.26)
「ファミコン、パソコンゲームのプレイヤーも多いようですが、潜在ゲーマーたちも
多いようです。ファミコン、パソコンは買えなくてもゲームブックなら買えるという
子供たちも多いですからね。これでファミコン、パソコンゲームで遊ぶのと同じような
面白さを味わっているのです」(p.27)
ここでいう「潜在ゲーマー」とは、「コンピューターゲームをやりたいと熱望している」
多いようです。ファミコン、パソコンは買えなくてもゲームブックなら買えるという
子供たちも多いですからね。これでファミコン、パソコンゲームで遊ぶのと同じような
面白さを味わっているのです」(p.27)
ここでいう「潜在ゲーマー」とは、「コンピューターゲームをやりたいと熱望している」
(同ページ)人たちぐらいの意味のようですな。
というわけで、少なくとも1986年はじめぐらいまでの時点では、
やはりゲームブックはコンピューターゲームの代価物という判断を、
社会思想社でもしていたということでございましょう。
それが冷静な判断だとは思います。
やはりゲームブックはコンピューターゲームの代価物という判断を、
社会思想社でもしていたということでございましょう。
それが冷静な判断だとは思います。
記事の下には、東京創元社の『ゼビウス』の愛読者カードの結果グラフが
掲載されておりますが、
中学生が半数以上。
小学六年生まで含めたら、7割はいっているのではないでしょうか。
『ゼビウス』という作品だからということもございましょうが、
「別の作品でも中学、高校、大学生が中心であることは変わりないようだ」
(同ページ)とございまして……。
掲載されておりますが、
中学生が半数以上。
小学六年生まで含めたら、7割はいっているのではないでしょうか。
『ゼビウス』という作品だからということもございましょうが、
「別の作品でも中学、高校、大学生が中心であることは変わりないようだ」
(同ページ)とございまして……。
そうした方の何割かが、このアンケート(1986/1)以降に
ファミコンなどを手に入れて、ゲームブックに接する時間を減らしていった
ということは、十分に考えられることではございましょう。
ファミコンなどを手に入れて、ゲームブックに接する時間を減らしていった
ということは、十分に考えられることではございましょう。
「BUG NEWS」誌1986/4
特集「ゲームブック145冊」の
「PLAY THE BOOK ゲームブックで「本」が変わった!」(p-26-27)
を読んでおりましたところ、
次のような記事が目を引きました。
特集「ゲームブック145冊」の
「PLAY THE BOOK ゲームブックで「本」が変わった!」(p-26-27)
を読んでおりましたところ、
次のような記事が目を引きました。
「ペンギンブックス」の海外販売員が、
日本にゲームブックの話をもってきたのは、一昨年春ぐらいのことだ。
大手出版社もまわったが、「どこが面白いかわからない」と見向きもされなかった。
一冊目をだした社会思想社も出版を決意するまで半年近くかかっている。
「『火吹山の魔法使い』の解説を書いてもらった紀田順一郎さんに相談したところ
『面白いですよ』っていわれたんです。
でも『売れる』とは一言もおっしゃいませんでした(笑)」
(社会思想社編集部部長田中轟人)
日本にゲームブックの話をもってきたのは、一昨年春ぐらいのことだ。
大手出版社もまわったが、「どこが面白いかわからない」と見向きもされなかった。
一冊目をだした社会思想社も出版を決意するまで半年近くかかっている。
「『火吹山の魔法使い』の解説を書いてもらった紀田順一郎さんに相談したところ
『面白いですよ』っていわれたんです。
でも『売れる』とは一言もおっしゃいませんでした(笑)」
(社会思想社編集部部長田中轟人)
この一昨年と申すのは、この記事の1986年の一昨年(おととし)、
つまり1984年のことだと思うのでございますが、
春に話があって半年、ということは出版を決意したのは秋ごろ? となると、
その年の12月に刊行された『火吹山の魔法使い』は、
相当急ピッチで作られたのでございましょうな。
まぁ、決意までの期間、いろいろと動いてはいたのでございましょう。
つまり1984年のことだと思うのでございますが、
春に話があって半年、ということは出版を決意したのは秋ごろ? となると、
その年の12月に刊行された『火吹山の魔法使い』は、
相当急ピッチで作られたのでございましょうな。
まぁ、決意までの期間、いろいろと動いてはいたのでございましょう。
いや、それはともあれでございます。
「大手出版社もまわった」
そして、
「社会思想社も出版を決意するまで半年近くかかっ」た。
そして、
「社会思想社も出版を決意するまで半年近くかかっ」た。
と、いうことはですよ、つまりもしかすると、
『火吹山の魔法使い』は別の出版社から出ていた目もあるということでございます。
(ぎゃくに、社会思想社からもどこからも出なかったというファンブルも、
可能性としてはあったということでございますな)。
歴史にIFは禁物……、
でもだからこそ、そうした妄想は楽しいものでございます。
というわけで、もしも『火吹山の魔法使い』が他の出版社から出ていたら、
『火吹山の魔法使い』は別の出版社から出ていた目もあるということでございます。
(ぎゃくに、社会思想社からもどこからも出なかったというファンブルも、
可能性としてはあったということでございますな)。
歴史にIFは禁物……、
でもだからこそ、そうした妄想は楽しいものでございます。
というわけで、もしも『火吹山の魔法使い』が他の出版社から出ていたら、
というあり得たかもしれない過去を楽しんでみることにいたしましょう。
形態は、元がペーパーバックでございますから、
文庫か新書が妥当なところでございましょう。
「アドベンチャーブックス」の講談社や、
「ハローチャレンジャーシリーズ」の朝日ソノラマなどは、
やはりそのままペーパーバックスタイルでございましょうな。
いずれにせよ、フルカラー大型本とかは多分ないでしょうなぁ、残念。
ホビージャパンでしたら、
『ファイティング・ファンタジー』のルールブックと一緒に、
シミュレーションゲームと同じ大きさの箱に入れてーー、ということも
考えられますが、その場合も白黒でしょうな。
形態は、元がペーパーバックでございますから、
文庫か新書が妥当なところでございましょう。
「アドベンチャーブックス」の講談社や、
「ハローチャレンジャーシリーズ」の朝日ソノラマなどは、
やはりそのままペーパーバックスタイルでございましょうな。
いずれにせよ、フルカラー大型本とかは多分ないでしょうなぁ、残念。
ホビージャパンでしたら、
『ファイティング・ファンタジー』のルールブックと一緒に、
シミュレーションゲームと同じ大きさの箱に入れてーー、ということも
考えられますが、その場合も白黒でしょうな。
まっ普通、文庫か新書サイズでしょう!
となりますと、
東京創元社……は、なぜかなんとなく予想できるのでまぁいいでしょう。
東京創元社……は、なぜかなんとなく予想できるのでまぁいいでしょう。
早川書房(やはり、ハヤカワ文庫FTなのかなぁ)……、
角川書店(まだ、スニーカー文庫も、富士見ドラゴンノベルズも
ファンタジア文庫もない時代ですからねぇ)……。
学研……。西東社……。桐原書店……。
角川書店(まだ、スニーカー文庫も、富士見ドラゴンノベルズも
ファンタジア文庫もない時代ですからねぇ)……。
学研……。西東社……。桐原書店……。
訳者も気になります。
安田均先生が訳を担当した可能性も当然考えられますでしょうし、
ほかの……、いろいろな方の訳を想像してみるのも面白いかもしれません。
安田均先生が訳を担当した可能性も当然考えられますでしょうし、
ほかの……、いろいろな方の訳を想像してみるのも面白いかもしれません。
あの方が訳せば、こんな感じだろうか、
あの人なら……、と一流の訳者をあれこれ思い描くことでしょう。
あの人なら……、と一流の訳者をあれこれ思い描くことでしょう。
当時は、アカデミー出版が、シドニー・シェルダンの作品を
「超訳」で売っていたので、そういうのもアリかも。
あれは面白さのために意訳があったり、省略があったりするそうでございますからなぁ。
戦闘ルールとか面倒だから、
「超訳」で売っていたので、そういうのもアリかも。
あれは面白さのために意訳があったり、省略があったりするそうでございますからなぁ。
戦闘ルールとか面倒だから、
全部勝ったことにして、負けたほうの選択肢は全部削除しようとか?
ないかなぁ。
もしかすると、
完全に子供向けとして、「ですます」調で訳されていたかもしれませんな。
トールキン先生の小説『指輪物語』がそうでございましたし、
朝日ソノラマの『騎士ローラン 妖魔の森の冒険』もそうでございますからな。
完全に子供向けとして、「ですます」調で訳されていたかもしれませんな。
トールキン先生の小説『指輪物語』がそうでございましたし、
朝日ソノラマの『騎士ローラン 妖魔の森の冒険』もそうでございますからな。
そうそう。
もしかすると、二見書房から出ていたという可能性も――。
そうなりますと、
訳は変わってくるのかなぁ。
話自体も変わってくるのかなぁ。
巻末に「見てはいけないマップ」はつくのかなぁ。
イラストは変わるのかなぁ。
ザゴールさんもフーゴ・ハル先生がお描きになるのだろうか。
そうなりますと、
訳は変わってくるのかなぁ。
話自体も変わってくるのかなぁ。
巻末に「見てはいけないマップ」はつくのかなぁ。
イラストは変わるのかなぁ。
ザゴールさんもフーゴ・ハル先生がお描きになるのだろうか。
などと、いろいろと気になってまいりますな。
☆ いずれに想像しても、楽しいことではございますが、
ただ、『火吹山の魔法使い』についてはそれでいいとして、その後のことがございます。
はたして、あれだけの大ブームとなっただろうか。
そして、あれだけ長くシリーズが続いたかどうか。
たとえ、ブームが大きくても、
ある一定の巻数まで出したら、それ以降はやめちゃう出版社などはありそうですし、
ブームが去ったらとっとと終わりにしちゃうところもあるでしょうしな。
ただ、『火吹山の魔法使い』についてはそれでいいとして、その後のことがございます。
はたして、あれだけの大ブームとなっただろうか。
そして、あれだけ長くシリーズが続いたかどうか。
たとえ、ブームが大きくても、
ある一定の巻数まで出したら、それ以降はやめちゃう出版社などはありそうですし、
ブームが去ったらとっとと終わりにしちゃうところもあるでしょうしな。
そこまで考えると、本当にIFもIFでございますが……。
「テクノポリス」1985年3月号の
「TECHNO・FORUM」(p.110)には、
西東社の『大統領を捜せ!!』と『ウォー・ゲーム』の紹介、
それに西東社でストーリーを募集していることも告知しております。
ただの紹介記事でございますが、
「ナイコンの君でも十分、アドベンチャーゲームのフンイキを
手軽に味わえるという、画期的ゲームブックだ。」
となっておりまして……。
ナイコンという言葉は、分かりますよね?
主に経済的な理由で、マイコン(パーソナルコンピューター)を
もっていない方のことを、やや自嘲的に指した言葉でございます。
2月の18日頃に発売された(多分)3月号ですから、
書かれたのは『火吹山の魔法使い』発売直後ぐらいでございましょうか。
つまりこれは、
日本でのゲームブックの始まる時点から、
パソコンが普及すればそれは衰退するだろうということが暗に示されていた、
と申しますよりも、
ごく自然な流れと認識されていた、
ということでございましょう。
実際には、パソコンではなくて、
ファミコンをはじめとする家庭用ゲーム機が
席巻するようになったのでございますが。
このような紹介記事では致し方ございませんが、
ゲームブック独自の魅力については意識されておりませんですな。
「TECHNO・FORUM」(p.110)には、
西東社の『大統領を捜せ!!』と『ウォー・ゲーム』の紹介、
それに西東社でストーリーを募集していることも告知しております。
ただの紹介記事でございますが、
「ナイコンの君でも十分、アドベンチャーゲームのフンイキを
手軽に味わえるという、画期的ゲームブックだ。」
となっておりまして……。
ナイコンという言葉は、分かりますよね?
主に経済的な理由で、マイコン(パーソナルコンピューター)を
もっていない方のことを、やや自嘲的に指した言葉でございます。
2月の18日頃に発売された(多分)3月号ですから、
書かれたのは『火吹山の魔法使い』発売直後ぐらいでございましょうか。
つまりこれは、
日本でのゲームブックの始まる時点から、
パソコンが普及すればそれは衰退するだろうということが暗に示されていた、
と申しますよりも、
ごく自然な流れと認識されていた、
ということでございましょう。
実際には、パソコンではなくて、
ファミコンをはじめとする家庭用ゲーム機が
席巻するようになったのでございますが。
このような紹介記事では致し方ございませんが、
ゲームブック独自の魅力については意識されておりませんですな。
『人外魔境』小栗虫太郎
(河出文庫/2018/1)
(1939-1941 「新青年」)
小栗虫太郎先生の作品をお薦めするのは、
読みやすさからでも、面白さからでもございません。
読みやすいかと言えばその逆とも申せますし、
面白い本を探すのでしたら、ライトノベルから探した方がよろしいかも……。
そのあたりは、読者の嗜好があるのでなんとも申せませんが、一般的にはそうでしょう。
そうではなくて、やはりこの作者の魅力は、言葉の持つ喚起力。
外国語を訳した造語、あるいは造語にふられた外国語のルビ、
が、なんとも衒学的にして蠱惑的なのでございます。
一時期、ネーミング事典なるものが流行りましたな。
ああいうものは、急場の用には役立つかもしれませんが、
喚起力という点ではいかがでございましょうか?
それらしい単語を考え、それを外国語に当てはめていくだけでは、
イメージはさして飛躍していかないものではございませんでしょうか。
読みやすさからでも、面白さからでもございません。
読みやすいかと言えばその逆とも申せますし、
面白い本を探すのでしたら、ライトノベルから探した方がよろしいかも……。
そのあたりは、読者の嗜好があるのでなんとも申せませんが、一般的にはそうでしょう。
そうではなくて、やはりこの作者の魅力は、言葉の持つ喚起力。
外国語を訳した造語、あるいは造語にふられた外国語のルビ、
が、なんとも衒学的にして蠱惑的なのでございます。
一時期、ネーミング事典なるものが流行りましたな。
ああいうものは、急場の用には役立つかもしれませんが、
喚起力という点ではいかがでございましょうか?
それらしい単語を考え、それを外国語に当てはめていくだけでは、
イメージはさして飛躍していかないものではございませんでしょうか。
それに対して、小栗先生の言葉には、特に喚起力がございます。
ムラムブウエジ
悪魔の尿溜
ムラムブウエジ
悪魔の尿溜
リオ・フォルス・デイ・デイオス
神 々 の 狂 人
セミルク・シュアー
邪霊の棲家
プシパマーダ
花酔境
ガ ス
腐朽霧気
テラ・インコグニタ
未 踏 地 帯
セブルクルム・ルクジ
知られざる森の墓場
最初の数ページですが、ねっ、わくわくするような言葉が並ぶでしょう?
実際には、秘境冒険ものと申しましても、
完全なファンタジーではなく、現実を少し飛躍させた程度でございますから、
本文を読むとガッカリしてしまうこともございます。
(たとえば、「畸獣楽園(デーザ・バリモー)」なんて、
どんなすごいモンスターが登場するかと思いきや……)
ですから、作品を読むのではなくむしろ、こうした単語を抜き出して、
それがどんなところなのか、
自分が書くとしたら、どんな冒険をさせるだろうかなどと
想像を膨らませる方が楽しいかもしれませんな。
特に、ファイティング・ファンタジーのような、
ゴシックファンタジーなゲームブックをお書きになろうとしている方には、
作品アイデアの一助となるのではございませんでしょうか?
完全なファンタジーではなく、現実を少し飛躍させた程度でございますから、
本文を読むとガッカリしてしまうこともございます。
(たとえば、「畸獣楽園(デーザ・バリモー)」なんて、
どんなすごいモンスターが登場するかと思いきや……)
ですから、作品を読むのではなくむしろ、こうした単語を抜き出して、
それがどんなところなのか、
自分が書くとしたら、どんな冒険をさせるだろうかなどと
想像を膨らませる方が楽しいかもしれませんな。
特に、ファイティング・ファンタジーのような、
ゴシックファンタジーなゲームブックをお書きになろうとしている方には、
作品アイデアの一助となるのではございませんでしょうか?
ゲームブック以前
リドルストーリー
『謎の物語』
紀田順一郎 編 ちくま文庫 2012/2
リドルストーリー
『謎の物語』
紀田順一郎 編 ちくま文庫 2012/2
「女か虎か」
F・R・ストックトン 紀田順一郎訳
p.29-40
ゲームブック以前のゲームブック的なものについて、もう少し挙げてみましょう。
口承を発端とする文芸については、前に書きましたな。
聖書や古事記、それにさまざまな昔話などでございます。
それらは語られていくうちに、忘れられたり、付け加えられたり、
あるいは変えられたりすることが、意図のあるなしにかかわらずございます。
それが、ある書に曰くといった具合に集められるとあたかも
分岐する物語のようになるということですな。
p.29-40
ゲームブック以前のゲームブック的なものについて、もう少し挙げてみましょう。
口承を発端とする文芸については、前に書きましたな。
聖書や古事記、それにさまざまな昔話などでございます。
それらは語られていくうちに、忘れられたり、付け加えられたり、
あるいは変えられたりすることが、意図のあるなしにかかわらずございます。
それが、ある書に曰くといった具合に集められるとあたかも
分岐する物語のようになるということですな。
事典・辞書のたぐいについては書きましたでしょうか?
参考とする項目が、末尾や巻末、欄外などに示されていて、
それを読み継いでいくと、物語が展開するごとく
読む者を全く違った場所に連れて行ってしまう……。
それがゲームブック的だと申すのでございます。
参考とする項目が、末尾や巻末、欄外などに示されていて、
それを読み継いでいくと、物語が展開するごとく
読む者を全く違った場所に連れて行ってしまう……。
それがゲームブック的だと申すのでございます。
ただし、これらは意図的なものではございませんな。
というわけで今回は、小説として意図的に作られたもの。
「女か虎か」を取り上げてみることにいたしましょう。
「女か虎か」を取り上げてみることにいたしましょう。
この物語は、ご存じの方も多いのではございませんかな。
リドルストーリーの代表として知られた作品でございます。
リドルストーリーの代表として知られた作品でございます。
リドルストーリーと申すのは、
意図的に結末を明らかにせず、読者にゆだねるという形式の物語でございます。
意図的に結末を明らかにせず、読者にゆだねるという形式の物語でございます。
ただ、結末を明らかにしないというだけでは、
それはもう、ありとあらゆる……とはいかないまでも、
結構な割合のお話がそれに含まれてしまいますよね?
それはもう、ありとあらゆる……とはいかないまでも、
結構な割合のお話がそれに含まれてしまいますよね?
たとえば、たった二人生き残った主人公たちが、
難攻不落の敵要塞に向かって歩き出すところでエンドですとか。
ゾンビを掃討し、家族との再会を喜んでいると、
手前の地中から、腐った腕がヌッと出てきてエンドですとか。
難攻不落の敵要塞に向かって歩き出すところでエンドですとか。
ゾンビを掃討し、家族との再会を喜んでいると、
手前の地中から、腐った腕がヌッと出てきてエンドですとか。
そんなものまで入れたら、もうキリがございません。
やはり「リドル」というのですから、答、つまり結末ですが、
どちらなのか、あるいはなんなのか、読者に迷わせる要素がないといけないでしょう。
どちらなのか、あるいはなんなのか、読者に迷わせる要素がないといけないでしょう。
今回参考にした『謎の物語』の解説には、日本の作品の代表例として、
芥川龍之介先生の「藪の中」と、
五味康裕先生の「柳生連也斎」を挙げております。
これらも、7人の証言者、2人の対決、
どれが正しいのか読者を宙ぶらりんに置くという意味で、
この定義に当てはまりますな。
(もっとも、『謎の物語』掲載の作品には、
どうなのだろうと思うものもあったような……)
この、リドルストーリーという分野に挑戦した作品はいくつもございます。
形式の面白さゆえでございましょう、現在も書かれているようでございますな。
わたくしが読んだものですと、
『謎の謎その他の謎』山口雅也(早川書房/2012年8月)などがそれにあたります。
芥川龍之介先生の「藪の中」と、
五味康裕先生の「柳生連也斎」を挙げております。
これらも、7人の証言者、2人の対決、
どれが正しいのか読者を宙ぶらりんに置くという意味で、
この定義に当てはまりますな。
(もっとも、『謎の物語』掲載の作品には、
どうなのだろうと思うものもあったような……)
この、リドルストーリーという分野に挑戦した作品はいくつもございます。
形式の面白さゆえでございましょう、現在も書かれているようでございますな。
わたくしが読んだものですと、
『謎の謎その他の謎』山口雅也(早川書房/2012年8月)などがそれにあたります。
こうした作品は、今回取り上げる「女か虎か」が嚆矢……
と思ったのでございますが、 それ以前があるそうでございます。
マーク・トゥエイン先生の『恐ろしき、悲惨きわまる中世のロマンス』がそれ。
この『謎の物語』の最初に掲載されておりますな(大久保保博訳/p.9-28)。
と思ったのでございますが、 それ以前があるそうでございます。
マーク・トゥエイン先生の『恐ろしき、悲惨きわまる中世のロマンス』がそれ。
この『謎の物語』の最初に掲載されておりますな(大久保保博訳/p.9-28)。
ただですなぁ、これ。
一読、話題を呼ばなかった理由がわかるというものでございます。
というのも、最後が打ち明け話のようになっていて、
「一体どのようにすれば彼を(つまり彼女を)
いったいどうすればそこから救い出せるか判らないのだ」
と書かれており、作者が作品を放棄したかにみえるのですな。
加えて最後には、この作品の再掲の条件なども書いてございますし――。
要するに、失敗作か中途の作品と見られたのでございましょう。
一読、話題を呼ばなかった理由がわかるというものでございます。
というのも、最後が打ち明け話のようになっていて、
「一体どのようにすれば彼を(つまり彼女を)
いったいどうすればそこから救い出せるか判らないのだ」
と書かれており、作者が作品を放棄したかにみえるのですな。
加えて最後には、この作品の再掲の条件なども書いてございますし――。
要するに、失敗作か中途の作品と見られたのでございましょう。
さて、前置きはここまでにいたしまして、『女か虎か』でございます。
半未開の王国。そこでは野蛮な国王によって、とある裁判が実施されていた。
ある臣民が重大な罪で告発されると、彼は巨大な闘技場に連行される。
広い空間を隔ててその正面には二つの扉があり、
被告はそのどちらかを開くことが義務づけられている。
その片方には凶暴な虎が、
もう一方には王が被告にふさわしいと選んだ女性が待っている。
虎なら男はズタズタにされるだろうし、
女なら無罪を得ると同時に彼女と結婚しなければならない。
さて、この王国には一人の美丈夫の廷臣がいた。
彼は王の娘と相思相愛の仲となり、そのことが父王に知られてしまった。
彼はとらえられ、闘技場に送られることになったのだが……。
彼が開けた扉の先にいたのは、女か虎か?
ある臣民が重大な罪で告発されると、彼は巨大な闘技場に連行される。
広い空間を隔ててその正面には二つの扉があり、
被告はそのどちらかを開くことが義務づけられている。
その片方には凶暴な虎が、
もう一方には王が被告にふさわしいと選んだ女性が待っている。
虎なら男はズタズタにされるだろうし、
女なら無罪を得ると同時に彼女と結婚しなければならない。
さて、この王国には一人の美丈夫の廷臣がいた。
彼は王の娘と相思相愛の仲となり、そのことが父王に知られてしまった。
彼はとらえられ、闘技場に送られることになったのだが……。
彼が開けた扉の先にいたのは、女か虎か?
あらすじはこんな感じでございます。
これだけなら単なる当て物に過ぎないのでございますが、
ここでこの話を面白くしているのが、扉の向こうにいる女性の存在でございますな。
彼女と恋人は、好き合っているのではないかという疑心を、王の娘は抱きます。
時がたつに連れ、その疑心は次第に大きなものになっていき……。
二つの扉の前に立った男に、一瞬彼女は、右手を指して合図を送ります。
単純に考えれば、そちらがより安全な女のいる扉なのですが……。
嫉妬に狂った王女は、
いっそのこと男を虎に食い殺させることを選ぶのではないか……。
扉の向こうは、女か虎か。
これだけなら単なる当て物に過ぎないのでございますが、
ここでこの話を面白くしているのが、扉の向こうにいる女性の存在でございますな。
彼女と恋人は、好き合っているのではないかという疑心を、王の娘は抱きます。
時がたつに連れ、その疑心は次第に大きなものになっていき……。
二つの扉の前に立った男に、一瞬彼女は、右手を指して合図を送ります。
単純に考えれば、そちらがより安全な女のいる扉なのですが……。
嫉妬に狂った王女は、
いっそのこと男を虎に食い殺させることを選ぶのではないか……。
扉の向こうは、女か虎か。
その王の娘の考えがどうであろうか二択のまま宙ぶらりんにしておくことで
物語に深みが加わるわけでございます。
物語に深みが加わるわけでございます。
このあたり、ゲームブックなら、簡単ですな。
この選択肢のその先を、両方ながら書くこともできるわけでございますから。
でも、それで面白くなるかというと、そうではございませんでしょう。
書いたところで、女性と結ばれてめでたしめでたしか、
虎に食われてバッドエンドでございますから、
奥行きのある話にはなりそうもございません。
何か付け加わったとしても、蛇足になりそうでございますし。
でも、それで面白くなるかというと、そうではございませんでしょう。
書いたところで、女性と結ばれてめでたしめでたしか、
虎に食われてバッドエンドでございますから、
奥行きのある話にはなりそうもございません。
何か付け加わったとしても、蛇足になりそうでございますし。
まぁ、ゲームブックの場合、ゲームでもあるので、
そういう即物的なところは、ある意味必要ではございますが。
そういう即物的なところは、ある意味必要ではございますが。
もう一つ、ゲームブックとの違いは、
主人公が「君」ではないということでございます。
「果たして右手の扉から現れ出たものは、女であったか、それとも虎であったか?」
と、最後の一文がなっておりますように、
主人公の行動ではなく、状況を選ばせているのでございますな。
これは、ゲームブックとそれ以前を分ける
大きな違いと申してもよろしゅうございましょう。
『君ならどうする食糧問題』のような、国の運命を左右するようなゲームブックでも、
どういう政策をとるかを君が選ぶ、つまり主人公はきみという形式を取っております。
もちろん、ゲームブックにも状況を選ぶ場面があるものもございますが、
作品の中の限られた部分であり、
またそういう箇所は違和感を感じるものではないでしょうか?
主人公が「君」ではないということでございます。
「果たして右手の扉から現れ出たものは、女であったか、それとも虎であったか?」
と、最後の一文がなっておりますように、
主人公の行動ではなく、状況を選ばせているのでございますな。
これは、ゲームブックとそれ以前を分ける
大きな違いと申してもよろしゅうございましょう。
『君ならどうする食糧問題』のような、国の運命を左右するようなゲームブックでも、
どういう政策をとるかを君が選ぶ、つまり主人公はきみという形式を取っております。
もちろん、ゲームブックにも状況を選ぶ場面があるものもございますが、
作品の中の限られた部分であり、
またそういう箇所は違和感を感じるものではないでしょうか?
まぁ、作品についてはそのあたりにしておきましょう。
ゲームブックのファンなら、この作品を読んで思うことがございましょう。
ゲームブックのファンなら、この作品を読んで思うことがございましょう。
もしも自分が作品の主人公だったら、この場面どう切り抜けるか――。
「ウォーロック」誌の「編集部からの挑戦」を楽しみにしていた方なら、
読後すぐに考えていると思います。
読後すぐに考えていると思います。
そのあたりは、作者もよーく承知しているようでございまして、
扉をガンガンたたいたらどうだろう、
などと考えておりましたら、
分厚い革のカーテンを垂らしてあるので音は伝わらないとのこと。チッ。
その程度だっら、伝わるんじゃないかと思うのでございますが、
仕方がございませんな。
扉をガンガンたたいたらどうだろう、
などと考えておりましたら、
分厚い革のカーテンを垂らしてあるので音は伝わらないとのこと。チッ。
その程度だっら、伝わるんじゃないかと思うのでございますが、
仕方がございませんな。
実際、この謎に対しては、何人もの方が挑戦したようでございます。
そのうち、一番妥当と言われる解答が、後のほうに収められております。
「女と虎と」J・モフィット 仁賀克雄訳(p.53-106)。
ネット上でもそのあらすじは読めるかも? しれません。
「女と虎と」J・モフィット 仁賀克雄訳(p.53-106)。
ネット上でもそのあらすじは読めるかも? しれません。
この答、わたくしも思いついた……と思うのでございますが、
何か先にこれ読んでいたような気も……。
何か先にこれ読んでいたような気も……。
まぁ、残酷ではございますが、設問からして正しい答ではございますな。
ただし、答が正しくともそれが生き残る道であるかどうかは別問題でございまして――。
この解答編を書いた作者も、その点は見越しておりましたようで、
主人公は、さらに残酷な死刑を与えられることになるのでございます。
この解答編を書いた作者も、その点は見越しておりましたようで、
主人公は、さらに残酷な死刑を与えられることになるのでございます。
どういうことかと申しますれば、
カイヨワの『遊びと人間』で申しますところの
「アゴン」と「ミミクリ」でございますな。
ルールだけで考えれば正しいのでございますが、
王様の一存というルール外の要素が、それを上回って存在するため、
「女と虎と」の主人公は運命に負けたというわけでございます。
カイヨワの『遊びと人間』で申しますところの
「アゴン」と「ミミクリ」でございますな。
ルールだけで考えれば正しいのでございますが、
王様の一存というルール外の要素が、それを上回って存在するため、
「女と虎と」の主人公は運命に負けたというわけでございます。
つまり、扉を開けて虎が出てきた場合、
王様を満足させる方法で何とかしなければならないということでございます
が、それが難しい……。
一番いいのは、虎と直接戦って勝つということでございましょうが、
普通勝てませんもの。
王様を満足させる方法で何とかしなければならないということでございます
が、それが難しい……。
一番いいのは、虎と直接戦って勝つということでございましょうが、
普通勝てませんもの。
だからこそ成立している話とは申すものの、なかなかの難問ですな。
☆ ゲームブック以前。
『赤塚不二夫実験マンガ集』
赤塚不二夫 赤塚りえ子監修 野田努編集
(ele-king books/2015/9)。
赤塚不二夫 赤塚りえ子監修 野田努編集
(ele-king books/2015/9)。
さて、前回紹介いたしました、
『赤塚不二夫劇場』のあとがきに、
赤塚先生は、次のようなことも書かれておられます。
『赤塚不二夫劇場』のあとがきに、
赤塚先生は、次のようなことも書かれておられます。
p.260
ぼくは作品をかく時、いつも読者をビックリさせてやろうと思う。
とてつもなく変なものをかいて、読者を困らせてやろうと考えるのだ。
決して笑わせてみようなんて思ったりはしない。
ワッ!
ウヘッ!
キモチワルーイ!
ゲゲーッ!
そう読者の方々が叫んでくれたら、シメたものなのだ。
笑いはそのあとに自然に生まれてくる。
とてつもなく変なものをかいて、読者を困らせてやろうと考えるのだ。
決して笑わせてみようなんて思ったりはしない。
ワッ!
ウヘッ!
キモチワルーイ!
ゲゲーッ!
そう読者の方々が叫んでくれたら、シメたものなのだ。
笑いはそのあとに自然に生まれてくる。
赤塚マンガは、そのように理解すればよいのでございますな。
さて、そんな赤塚先生の「変な」マンガを集めたのが、
今回紹介いたします、『赤塚不二夫実験マンガ集』でございます。
本当に実験的なもくろみを持って描いたのか、
それともただの思いつきか、
はたまた単なる手抜きなのか……。
それはわたくしには分かりません。
おそらくそのすべてなのでございましょう。
今回紹介いたします、『赤塚不二夫実験マンガ集』でございます。
本当に実験的なもくろみを持って描いたのか、
それともただの思いつきか、
はたまた単なる手抜きなのか……。
それはわたくしには分かりません。
おそらくそのすべてなのでございましょう。
左手で描いたり、
下描きのアタリだけのコマがいくつもあったり、
原寸大と称して、顔だけアップの見開きを6ページにわたって続けたり
(=コマで言えば3コマなのですが)、
夏バテということで、キャラクターを棒人間にしてみたり……。
下描きのアタリだけのコマがいくつもあったり、
原寸大と称して、顔だけアップの見開きを6ページにわたって続けたり
(=コマで言えば3コマなのですが)、
夏バテということで、キャラクターを棒人間にしてみたり……。
思いついたアイデアをそのまま描いてみたというような作品が並びます。
無名の人がこんなことをやったら、
フザケているのかとでもどやされそうなところでございますが、
赤塚先生だからフザケていてもしょうがないかということになるのでございますな。
しかも意外と着地させている。
そこらへんは、これらの作品が単なる思いつきや手抜きではなく、
作品として成立しているところでございますな。
無名の人がこんなことをやったら、
フザケているのかとでもどやされそうなところでございますが、
赤塚先生だからフザケていてもしょうがないかということになるのでございますな。
しかも意外と着地させている。
そこらへんは、これらの作品が単なる思いつきや手抜きではなく、
作品として成立しているところでございますな。
今回取り上げます、
「イライラヒリヒリごくろうさまなのだ」もそんな一つ。
初出が「少年マガジン」1973/7というのでございますから、
ゲームブックの10年以上前でございますな。
マンガの各コマには、アルファベットが小さく書かれていて、
ときどき、何ページのどこ(アルファベット)に続く、と書かれているので、
その指示に従って、読み進めていくという形式でございます。
選択肢はございませんが、感覚はゲームブックと同じですよね。
そのあっちへ行ったりこっちへ行ったりが、面倒くさいだろう、
イライラヒリヒリするだろうというのでございますが、
むしろ、そのページをめくる感覚が、面白いと思うのでございますけれどねぇ。
もちろん主人公は「きみ」ではございません。
これからも出てくると存じますが、
ゲームブック以前とゲームブックのちがいは、
分岐があっても自分が主人公ではないということが一つとしてございますな。
お話は、おまわりさんが予告してきた犯人の自首を待つ、というものでございます。
「イライラヒリヒリごくろうさまなのだ」もそんな一つ。
初出が「少年マガジン」1973/7というのでございますから、
ゲームブックの10年以上前でございますな。
マンガの各コマには、アルファベットが小さく書かれていて、
ときどき、何ページのどこ(アルファベット)に続く、と書かれているので、
その指示に従って、読み進めていくという形式でございます。
選択肢はございませんが、感覚はゲームブックと同じですよね。
そのあっちへ行ったりこっちへ行ったりが、面倒くさいだろう、
イライラヒリヒリするだろうというのでございますが、
むしろ、そのページをめくる感覚が、面白いと思うのでございますけれどねぇ。
もちろん主人公は「きみ」ではございません。
これからも出てくると存じますが、
ゲームブック以前とゲームブックのちがいは、
分岐があっても自分が主人公ではないということが一つとしてございますな。
お話は、おまわりさんが予告してきた犯人の自首を待つ、というものでございます。
そのイライラした感覚を、この形式で表現したのかもしれません。
ただ、この作品、ボーッと読んでいる分には、
別に指示に従って記号を追わなくても、なんとな~く読めてしまうのでございますよね。
話が大きく展開するということもございませんのでそうなるのでございましょうな。
ただ、この作品、ボーッと読んでいる分には、
別に指示に従って記号を追わなくても、なんとな~く読めてしまうのでございますよね。
話が大きく展開するということもございませんのでそうなるのでございましょうな。
なお、この作品集には、
「チビ太の誓い イヤミの誓い」
という話も、収録されております。
こちらのほうは、「少年サンデー」の1967/1。
上段はチビ太が主人公、下段がイヤミと、
上下別に話が展開して行くものでございます。
ゲームブック風と称して、こんな形式で展開するマンガってございますよね。
分岐の前に選択肢があって、読者に選ばせるという形式にしていることが、
かろうじてゲームブック的と申せるでしょうが……。
でも、そういうのって、ふつう両方読んじゃいますよね。
この形式は、小説でもいくつか見かけます。
ちゃんと調べていないので確かなことは申せませんが、
ですからおそらく、この作品が最初というわけではないでしょう。
こちらのほうは、「少年サンデー」の1967/1。
上段はチビ太が主人公、下段がイヤミと、
上下別に話が展開して行くものでございます。
ゲームブック風と称して、こんな形式で展開するマンガってございますよね。
分岐の前に選択肢があって、読者に選ばせるという形式にしていることが、
かろうじてゲームブック的と申せるでしょうが……。
でも、そういうのって、ふつう両方読んじゃいますよね。
この形式は、小説でもいくつか見かけます。
ちゃんと調べていないので確かなことは申せませんが、
ですからおそらく、この作品が最初というわけではないでしょう。
ゲームブッククイズ(105)
『赤塚不二夫劇場』
喰始著(JICC/1988/6)。
登校時間をすでに過ぎてしまったことを知ったバカボンは、
学校に遅刻しないためにタイムマシンに乗って、過去にさかのぼることにする。
さて、そのタイムマシンの持ち主は誰?
『赤塚不二夫劇場』
喰始著(JICC/1988/6)。
登校時間をすでに過ぎてしまったことを知ったバカボンは、
学校に遅刻しないためにタイムマシンに乗って、過去にさかのぼることにする。
さて、そのタイムマシンの持ち主は誰?
☆ というわけで、
Role&Rollvol.165の読者欄に載せていただいた、
「TORGリプレイ ロケットウォーズ」に関する絵でございます。
リプレイはふつう早くに読むものなのですが、
このときはなぜか、最後になってしまいました。
「TORG」に関しては、むかし、雑誌の紹介記事を読んだことがございますが、
そのときはまったくピンと来ませんでしたなぁ……。
こんなに特徴的なTRPGだとは、ちっとも思っておりませんでした。
「ウィキペディア」によると、「カオスフレア」に影響を与えているとか。
そーなのかー。
Role&Rollvol.165の読者欄に載せていただいた、
「TORGリプレイ ロケットウォーズ」に関する絵でございます。
リプレイはふつう早くに読むものなのですが、
このときはなぜか、最後になってしまいました。
「TORG」に関しては、むかし、雑誌の紹介記事を読んだことがございますが、
そのときはまったくピンと来ませんでしたなぁ……。
こんなに特徴的なTRPGだとは、ちっとも思っておりませんでした。
「ウィキペディア」によると、「カオスフレア」に影響を与えているとか。
そーなのかー。
世界のさまざまな地域で、それぞれ異なった法則が存在するというのは、
楽しいですな。
それがまた、極端なものなだけに、突っ込みがいもあるという。
たとえば、神崎さんの持っている資料は無事なのか。
手放すと紙は腐り始めるっておっしゃっておりますものねぇ。
服とかもおいそれとは脱げないのでは?
ただ、札束や証券は大丈夫みたい(p.123)ですから、
どうなるかは、認識の問題ということなのでございましょうな。
いずれにせよ、
端から見ている分には面白いですけれど、
実際にはなかなか大変な世界といった感がございますな。
楽しいですな。
それがまた、極端なものなだけに、突っ込みがいもあるという。
たとえば、神崎さんの持っている資料は無事なのか。
手放すと紙は腐り始めるっておっしゃっておりますものねぇ。
服とかもおいそれとは脱げないのでは?
ただ、札束や証券は大丈夫みたい(p.123)ですから、
どうなるかは、認識の問題ということなのでございましょうな。
いずれにせよ、
端から見ている分には面白いですけれど、
実際にはなかなか大変な世界といった感がございますな。
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