「『キャプテン・フューチャー』の日本への影響(1)」の続きでございます。
というわけで次に、
アニメやマンガの世界に目を移すことにいたしましょう。
『レインボー戦隊ロビン』でございます。
スタジオ=ゼロ原作 風田朗(大都社/昭和54年7月)
――ちなみに、風田朗(かぜたろう)は鈴木伸一先生のペンネームですが、
ここではスタジオ・ゼロ(藤子不二雄・石森章太郎・鈴木伸一・長谷邦夫)
の先生の合作ペンネームとして使われております――
によりますと、
安孫子素雄先生は、『七人の侍』、藤本弘先生は『八犬伝』などと
申しておりますが、石森先生ははっきりと、
「あれにはネタ本があるんだよ。
『キャプテン・フューチャー』というね……」(p.201)と、
おっしゃっております。
で、その石森先生が原型を作っておられるのですから、
影響は間違いのないところでございますな。
○教授…… サイモン・ライト
○ベンケイ……グラッグ
○ウルフ…… オットー
(マンガ版では見せませんでしたが、アニメではウルフは
一般人になって行動する
変身能力があるようです(←ウィキペディア))
○ペガサス……コメット号
索敵担当のレーダー(アニメではネコ型のロボット・ベル)と
看護ロボットのリリがおります。
情報収集を女性キャラクターにしなかったのは、
『サイボーグ009』の003とカブってしまうからかも知れませんな。
『レインボー戦隊ロビン』で
『キャプテン・フューチャー』に言及しているのなら、
その数年前に連載開始された『サイボーグ009』1964年~
にも、当然のごとくその影響はございます。
初めて取り上げられたのが、「SFマガジン」誌1963年11月の
「SF英雄群像」第三回目(野田昌宏)でございますから、
1964年の中ほどに『少年キング』で連載が開始されたということは、
「SF英雄群像」を読んですぐぐらいということになりましょうか。
もっとも、サイボーグという言葉は、「LIFE」の記事から取った
と本人がお書きになっておりますから、洋書に目を通していて
『キャプテン・フューチャー』のことは当然知っていたでしょうし、
決断は早い方でしょうから、
時期的に早すぎる、ということはございませんでしょう。
というわけで、『サイボーグ009』のキャラクターの配置でございますが、
『レインボー戦隊』とくらべて、むしろこちらの方がわかりやすい。
○005……グラッグ
○007……オットー
○009……キャプテン・フューチャー
○006……地中
○008……水中
と、どんな状況にも対応できるようにして、
○003……索敵・情報収集
○004……攻撃
この2人は、もしかすると宇宙船コメットの能力を、
いずれにいたしましても、巨大な敵と直面するためには、
両方とも必要な能力でございますな。
サイボーグ戦士の能力だと思いますが、
その結果、006や特に008あたりがあまり活躍できない結果になっておりますな。
主要登場人物も、それ以上になると影が薄くなるのだとか。
(……)私たち専門家は「マジカルナンバー7」と呼んでいます。映画やドラマ、物語に出てくる登場人物もたいてい七人以内に押さえられているでしょう。それ以上になると人間の頭が混乱してしまう。瞬時に把握できるのが七個までなんですね。そこには個人差はない。
『経験を盗め』糸井重里(2002/7 中央公論新社)
「記憶のお話」 糸井重里×池谷裕二×樋口清美
名前からして明らかに「007」シリーズの影響を受けていると思われますのに、
石ノ森先生は、野球から思いついた、とお書きになっておられますな。
これは、後づけで無難なことを書いておられると思われるのでございますが、
ただ、役割分担という点は、野球からヒントを得たのかもーー。
「007」シリーズはチームで行動とか、
00ナンバー間の役割分担は、あまりございませんからなぁ。
……。
『スパイ大作戦』(1966年~)にはございましたが、時期的にはあとですし……。
まぁ、作品のヒントやそれを描いた動機などは、
わかりやすくひとつに決まるということは、まずないものでございます。
というわけで、アイデアを形にするまでには、
いくつかの発想の源があったのでございましょう。
さて、もうひとつ
やはり『キャプテン・フューチャー』の影響を受けた
と思われる日本のマンガがございます。
○コンピューター……サイモン・ライト
○ロデム……オットー
○ポセイドン……グラッグ
○ロプロス……コメット号
『鉄人28号』の作者らしく巨大化したロボット・ポセイドンや、
正体はロボットらしいのですが、翼竜となったロプロスなど、
元が『キャプテン・フューチャー』だとは、
ちょっとわかりにくいですな(この仮説があっていたとしてでございますが)。
機能だけを引用してそれ以上の要素は取り込まない。
性格やその他の設定は自分で用意することによって、自分のものにしてしまう。
パロディやマネになってしまうのですが、
一流の作家の方々は、そういうことなしに、
完全に自分のキャラクター、自分のストーリーにしてしまうところが、
さすがなのでございますな。
「『仮面ライダー』はなぜバッタ男か」のところでも書きましたが、
ほとんどの人が気づかない形で自分のものにしてしまう……。
一流の方は、この能力が本当に高いと思うのでございます。
というわけで、パルプフィクションと言えばスペースオペラ。
この言葉に、みなさまはどんなイメージを描くことでしょうか。
『スターウォーズ』以降、この言葉は積極的にとらえられていて、
宇宙冒険もののかなり広い範囲にまで用いられているようでございますが、
もともとのパルプフィクション的なスペースオペラと申しますと……。
わたくしとしては、具体的な作品名が挙げられないのですよね。
『レンズマン』とか『キャプテンフューチャー』が代表としてあげられますが、
それでは高級すぎるような気がいたしまして……。
スペースオペラという言葉には、個人的にもっと安っぽいイメージがあるのですな、
どういう感じかと申しますと……。
それはあとで出てまいります。
創元SF文庫の全集三巻の解説(山本孝一)によりますと、
もともと編集部の企画があり、それを変えていくことで、
あの設定になったそうでございます。
コミックでもそうみたいですから、この編集部の企画主導というのは、
アメリカのパルプ雑誌の進行としては普通なのでしょう。
「どの話も一話完結で、
そこには犯罪と、顔を隠した正体不明の悪党が不可欠だった。
また、ファントムを呼ぶのに摩天楼の赤いシグナルが点灯するのを真似て、
キャプテン・フューチャーの出動を要請するための信号灯台を考えた。
そしてキャプテン・フューチャーがつけている
いくつもの仕掛けがついたベルトをはじめ、
魅力的な女性キャラクターや惑星パトロール指令のエズラ・ガーニーを
はじめとする多くの脇役たちを登場させるように強いられたんだ」
ちなみに「ファントム」というのは、全集2巻 p.568 によりますと、
「主人公のリチャード・カーティス・ヴァン・ローンは
大金持ちのプレイボーイだったが、自分の才能にめざめて、
正義の味方、ファントム・ディテクティヴとなった。
彼は変装の名人で、秘密研究所で悪と闘うための道具を発明している。
物語はかなり定型化されており、殺人事件が起こると、
摩天楼の赤いシグナルが点灯し、ファントム・ディテクティヴが呼ばれる。」
このような決まりきった話が並ぶために
「なんとかオペラ」と呼ばれたのでございましょうか……。
それは、確かに理解できる気がいたします。
さて、
よくあるパルプやコミックヒーローの宇宙版として予定されていたのでしょうな。
英語のニュアンスというのはわかりませんが、
キャプテン・フューチャーという名前も、絵空事的なと申しますか、
スーパーヒーローっぽい名前なのかも知れません。
そこらへん、特にその影響の強い第一話『恐怖の宇宙帝王』あたりに
「スペース・オペラ」らしさがあるのでございましょう。
先ほど申しましたとおり、ちょっと高級な感じはございますが。
「SFマガジン」誌1963年11月の
「SF英雄群像」第三回目(野田昌宏)で取り上げられ
(前掲全集一巻p.579(「ついに――夢か現か幻か――
キャプテン・フューチャーの半世紀(野田昌宏))、
1966年から1967年にかけて
「太陽系七つの秘宝」「謎の宇宙船強奪団」「時のロスト・ワールド」
の3冊が、ハヤカワ・SF・シリーズ(いわゆる銀背)より刊行。
1970年より、長編作品がハヤカワ文庫SFより各1冊で刊行
(訳書の刊行順は、原著の刊行順と異なっている)されたそうでございます
(ウィキペディア)。
生きている脳「サイモン・ライト」、
ロボット「グラッグ」と、
変装の得意な合成樹脂製のアンドロイド「オットー」という
フューチャーメンのチームは、
『西遊記』や『オズの魔法使い』と並ぶ、特徴的なチームと言ってよろしいでしょう。
このチーム構成に影響を受けたヒーローチームを、
日本のマンガやトクサツの中から探していくことにいたしましょう。
『ウルトラQ』、『ウルトラマン』に続くウルトラシリーズ第三弾
がそうでございますな。
そう
『キャプテン・ウルトラ』でございます。
○ロボット・ハック……グラッグ
○キケロ星人・ジョー……オットー
○シュピーゲル号……コメット号
グラッグ担当のハックは旧式のわかりやすいロボットに変えられ、
オットー相当のジョーは、トクサツ的にやりやすく、
視覚的にわかりやすいという理由からでございましょう。
変装の代わりに岩に変形する能力を与えられて……。
サイモンがおりませんが、
宇宙基地シルバースターのムナトモ長官がその役を担っているのでしょう。
人によっては無かったものとしている方もおられるかもしれません。
双葉社のルパン三世のゲームブックの中に、
ただひとつ紛れ込んでシリーズの番号を狂わせていた
(過去形。後のほうのルパン三世のゲームブックを見ますと、
無かったものとされております)、
『ガバリン』みたいなものでございましょうか、
ホラータッチの映像も多く、時としてシリアスなテーマを含んでおりますからな。
毛並みがまったく違うこの作品は、軽く見られるのも当然と言えば当然。
ただ、だからこそこのシリーズが怖くて見られなかったお子さまには、
よかったのでは――とも思います。
監修に都筑道夫、光瀬龍、音楽に冨田勲と豪華でございますし、
エリンギとか言われておりますけれど
(パイラ星人の逆? とも個人的に感じてはおりますが)、
バンデル星人は、宇宙人のデザインとして屈指と言っていい物
だと思うのですけれどねぇ
(ただし、状態のいい物。悪いのは、くたんとして見る影もございませんからな)。
わたくしのイメージするパルプSFな感じなのでございますな。
(なぜか長くなってしまったので、続きます)
確かにその表紙絵を見ると、そんな感じですが、
「キャプテン・フューチャー」や、「火星シリーズ」、
「コナン」、「クトゥルー」などを読んでも、
そんなに安っぽいといった感じはしない……。
もちろん訳者が優れているためということはございましょうが、
やはり内容がなければそうはいきませんでしょう。
実際、ウィキペディアで
「パルプ・マガジンに書いたことのある著名な作家」を見てみると、
けっこう有名な作家の方々が名を連ねているのですよねぇ。
有名になるまえとか、落ち目になったときということなのかもしれませんが、
それにしても、「安っぽい雑誌」というだけでは片付けられない気もいたします。
時として、パルプ雑誌はライトノベルと比されたりもいたしますが、
ラノベがそうであるように、
時代によっても、ある程度変化とか進化をしていったのでございましょうか。
まぁね、ラノベでも(そうではない小説でも)、そうでございますが、
本を読んでいてよかったという作品と、
最初の数行でイライラし、途中で壁に投げつけたくなり、
読み終わったときには「時間を返せ~!」と叫びたくなるものとがございますよね。
シオドア・スタージョン先生が、
「あらゆるものの90%はクズである」とか申したそうでございますが、
ジャンルを形成するぐらいある一定量の作品が出てくれば、
傑作・駄作は必然的に出てくるのでございましょう。
まぁ、厳しい選評眼を持たないわたくしなどは、90%は大げさだと思いますが。
よく粗製濫造がたたって衰退したと書かれたりしますが、
(まえにも申しましたとおり)ゲームブック上陸から最初の一年は
確かに訳も分からずに出版されたひどいものもございましたが、
それ以降は、そこまでひどくはなかったのではないかと存じます。
翻訳されたパルプ由来と言われる作品を読むと、
けっこう表現に凝っているものが見受けられるように思えます。
もっと荒っぽいものかと思っておりましたのに――。
当時の小説の作法なのか。
それとも翻訳者の力?
あるいは、しばしば凝った表現よりも、リーダビリティが重視される
昨今の作品を読み慣れているためにそう思うのか……。
リーダビリティと申しますか、小説のスピード感については、
日本語と英語の違いということもあるように存じます。
アニメなども、英語に翻訳されたものを見ると、
非常に歯切れよく、スピーディに感じると申しますからな。
日本語にすることで、そのスピード感がそがれてしまうのでございましょう。
『完全犯罪ゲーム』
桜井一 著 桑田次郎 画
(西東社 シミュレーション・ブックス4/1986/11)
ページ数146
作者は、ユーモラスな作風で知られるイラストレーターで、
『バー酔虎伝』など、エッセイも書いている方でございます。
個人的にはハヤカワ文庫の『ドーヴァー警部』シリーズの
表紙などが印象に残っておりますな。
イラストを桑田次郎先生に任せたのは、自らの作風では作品にあわないと考えた
――あるいは編集部がそう判断した――のでございましょうか?
主人公は、莫大な借金をかかえた青年、風間五郎。
彼が、金貸しの金田金太を、
すでに抵当に入っている自分の別荘で殺すところから物語は始まります。
倒叙型ミステリーをゲームブックでやろうというわけでございますな。
犯人はきみ。
なので、殺害後の証拠の隠滅を図らなければなりません。
警察や目撃者に対する対応も大切。
探偵がやってきたら、その対処もしなければなりません。
(↑ 探偵・陳田一珍助さん)
普通の――倒叙型でない――ミステリの場合ですと、
主人公は探偵や刑事であり、やることはたいてい決まっています。
それに、犯人の行動に対してそれを解き明かす側ですから、
選択は受身であることが多いですよねす。
それに対して、
本作品は自分が犯人であるため、より行動が要求される。
つまり、ゲームブックと相性のいい形といってよろしいでしょう。
作品としては、
『金田一少年の事件簿』や『名探偵コナン』を読んでいる世代には
厳しいなと思う部分も多くございます。
それ以前の作品ですから、そこは仕方の無いところですな。
ここで行っている『完全犯罪』は、
簡単な科学捜査にさえ耐えられないのではないでしょうか。
ただ逆に、それが選択を面白くしている部分でもございます。
下手に推理小説的な知識があると、いろいろと勘ぐってしまって、
かえって間違った選択を選んでしまうことがあるのですな。
この作品のポイントは実際には単純。
二点か三点のことに気を使えばいいのです。
ですが、それ以外を考えてしまうと、
結局間違った結果にたどり着いてしまうという……。
いずれにせよ、結末はどれも後味のいいものではございません。
何しろ犯罪者が主人公ですからな。
成功したとしても、自分の犯した罪にさいなまれることになりますし、
失敗したら失敗したで、
「正義は勝利し、悪は敗北したのだ。喜ばしいことじゃないか」
と皮肉っぽく結んでくれる。
(↑ エンドの例。142ページのほうはエンドの一歩手前ですが、このあと、
病院行きの結末をむかえます)
(↑ エンドの例その2。桑田次郎先生とは
思えないコミカルな表情ですなぁ)
ただ、そういうコメントが書かれていてもそんなに不快ではないのは、
主人公に完全に感情移入することが、ないからなのかもしれません。
状況は緊迫し、選択肢も意味があるものでございますが、
語り口が突き放したものであるからでございましょうかねぇ。
主人公が殺人犯だからなのかもしれませんが……。
いずれにいたしましても、
推理ものというのは、ゲームブックに向いているようでいて、
実は難しいものでございます。
しかるべき場所にいなかったり、会話を間違えたりして、
情報を取り逃すと詰んでしまうなどございますからな。
パズルや迷路を推理の代替としたり、
当てずっぽうの選択肢や、選択なしで話が進んでいく
推理ものゲームブックもございますし。
犯人を演じる倒叙ものというスタイルを採用した本作は、
推理ものとして及第点を与えられるのではないでしょうか。
☆ 考えてみれば、泥棒が主人公のゲームブックには、
シリーズになるほど人気のものもございますが、
あれも言ってみれば
「犯罪者が主人公のゲームブック」でございますな。
『シティ・サバイバル
●巨大地震が過密都市を襲う』
さいとうたかお さいとう・プロダクション著
(西東社/1988/5)。
このゲームブックでは、アイテムの有無に関して、ちょっと特殊な方法を採っている。
記録紙に関したことだが、それはどういうものか?
『傭兵剣士』トンネルズ&トロールズ第7版
リプレイ&ソロアドベンチャー(新紀元社 2006/11)
ソロ・アドベンチャー フライング・バッファロー著
清松みゆき/グループSNE訳
「ドラゴンマガジン」の創刊号(1988/3 富士見書房)を読んでいたら、
当時週刊少年マガジンで『バリバリ伝説』を連載中だったしげの秀一先生が、
「メカこそ男のファンタジー」というタイトルで、エッセーを書いておりました(p.39)。
「近頃は愛車トレノのチューニングに夢中で、
エンジンや足回りを改造して夜中のワインディングロードを走りに出かけます。
腕のほうはイマイチだけど気分だけはWRCで、
ドリフト状態でガードレールすれすれに立ち上がれた時なんかは、
我ながらヤルなーなんて、一人で悦に入っていたりもします。
とにかく一度でもチューニングカーを運転する楽しさを知ってしまったら、
もう二度と普通のクルマに乗れないカラダに……なってしまいました。」
とか。
で、そんなしげの先生が、当時描きたかったのが、
ホンダのF1エンジンを開発したスタッフが
第二次大戦中にタイムスリップする話だそうでございます。
敗戦の色が見えてきた時代、零戦のエンジンを、
チタニウムやセラミックといった現代(当時の未来)の素材も使って
チューンナップし、そのスーパーゼロでムスタングを次々と撃墜していくという……。
描かなかった理由はわかりませんが、
もしかすると、そんなマンガを描いていたかも知れないのですな。
理解不能かも知れませんが、
ロール・プレイング・ゲームが紹介されはじめたころには、
体力値や敏捷度といった、個人の能力を数値化することに
抵抗があると申しますか、
それこそ理解不能というかたがおりました。
ロバート・ウッドヘッド氏に対するインタビュー
(p.24-28)にも、そのことが話題に上がっております。
「精神」とか「信仰」とか、内面に関わるものは、数値にできるのか、
ドライに数値化してしまっていいのだろうか、というようなことでございますな。
何が経験となり何がならないかは、それこそ人それぞれだし、
本人にも分からないものなのに、それを数値化してしまっていいのか、
とくにある種のRPGの場合、戦闘しかやっていないのに、
レベルアップの際、「信仰」とか「魅力」とか、
戦闘とは直接関係ない精神的な能力まで上がるのはどういうわけだ、
というようなことですな。
こじつけ以外の答は難しいでしょうし、
実際こういう仕組みを採用していないゲームもございます。
日本語の経験には、やはりあいまいな響きがある。
人間的成長や精神的成長といった精神的なものを中心にしているからなのでは、
と思うのでございます。
呪文を正しく覚え、仕草と発語をより正確にしたり、
より魅力的に見える仕草や笑顔を覚え、相手を頷かせる会話術を身につけ――。
「熟練」とか「習熟」という言葉のほうがよろしいかと存じます。
(もっとよい言葉があるような気はいたしますが、とりあえず)。
おもにこうした技術的な成長を意味しているのではないかと思うのですよね。
会話の技術ですとか、
プレッシャーに対抗する技術、躱(かわ)す技術など、
その技術については、上手いヘタを比べることができる。
RPG的に申せば、技術は成功度を設定できる、
つまり数値化できるのでございます。
ですから、RPGにおける能力値というのは、
そうした技術的な差を表現したものと
申してよろしいのではないかと思うのでございます。
経験値については、「BUGNEWS」誌の前身である
「遊撃手」誌の1984年11月号の「ウィザードリィ通信」
ーーコンピュータRPG「ウィザードリィ」
についての読者コーナーですな――
に興味深い文章が載っておりました。
というタイトル(これは編集部でつけたのかもしれません)で、
沖縄の 浜北嘉 富雄 さんという方の手紙でございます。
それぞれの経験に応じてそのポイントを得ていくのだそうですな。
講習に参加すると1ポイント、
海外に数ヶ月出張すると10ポイント、
最前線での活動には月に数百ポイントといった具合に――。
で、このポイントが一定数たまると昇格試験を受けることのできる候補になり、
さらに上司の推薦があって初めて昇格試験を受けることができる。
逆に一定の雇用年数内で昇格できなければ、能力無しということで、
次の雇用契約を停止される場合もあるのだとか。
「D&Dやウィザードリィにおいて、
キャラクターの経験をその危険度に応じた点数で表すという方法は、
おそらくこのような郡代の制度を取り入れたものだと思うのである」
と結ばれておりますが、まさにそのとおりなのでございましょう。
「経験値」なんて、RPGのまったく新しい発明だと思っておりましたが、
参考となる――というか、ほぼそのまんまな――制度が、
現実にちゃんと存在していたのでございますな。
、
昨日(平成30年9月1日(土))。買ってまいりましたよー。
一昨日(平成30年8月31日(金))が発売日だとネットでは書いてございましたけれど、
『タイタン』のこともあったので、1日様子を見てから。
本屋さんから出ると雨が降っていたので、これだけ買って帰ってまいりました。
☆ 「ブラスター・ソロ」藤浪智之は、
「ブラスター・ケリー」の続編とか同一コンセプトの作品というわけではございませんですなぁ……。
ちなみに「ブラスター・ケリー」わきあかつぐみ&冒険企画局は、
「ウォーロック」誌vol.34 p.27~39に掲載されたゲームブック。
引退した映画スターが主役で、
常識的な行動を表すエドワードポイントと、
映画の中のヒーロー的な行動を示すケリーポイントという
2つの数値の変動が主人公の行動を左右するゲームブックでございまして、
使用するサイコロは1つ。
もちろん、T&Tではありません。
一方向移動型で、マルチエンディング。
エドワード=ケリーの行動が現実的かヒーロー的かによって、
ラストが変化します。
一方で「ブラスター・ソロ」では、
それによって秘宝の正体も違ってくるという――。
☆ T&T研究室「ヒットポイントと上昇する能力値」吉里川べお。
そもそも、ロールプレイングゲームと申すもの自体、古今東西の怪物を集めて格付けし、
その底辺あたりにいる人間が最高まで能力を上げて、
頂点の怪物と戦えるというあたりが、デタラメですからなぁ~。
それらの敵と戦いたいというのは、プレイヤーのわがままでございますから、
その無理を通したおかげで道理が引っ込んだのは、必然かと思われます。
それに外見と能力の違いというのは、
疑問にはなっても、日本ではあまり問題にされないことではないかと。
日本では、TRPGとコンピュータRPGが、ほぼ同時に入ってまいりましたしねぇ。
コンピュータRPG、特にドット絵の場合、装備のグラフィックは立派になっても、
体の大きさは変わらないのがお約束でございますからな。
それに、和製のものは、TRPGにしろアニメやマンガの影響を受けておりますから、
成長してもキャラクターの外見が極端に変わるものは少ないですよね。
だいたい、アニメやマンガでは、
体格的に劣るものが身体能力的に劣るとは限らないですしな。
それらはコミカルな意味合いがある場合もございますが、
ふつうに受け入れられていることが多い。
このあたりは、シリアスなドラマにかわいらしいキャラクターを投入した、
手塚治虫先生のせいなのかもしれません。
それ以前に日本人(日本人に限ったことではないような気もしますが)は、
弱そうなのが強そうなのを倒すというのが好きなのでしょう。
一寸法師しかり、牛若丸しかり。
現実の、ではなくてフィクションの登場人物でございますからな。
アクション映画で、そんなことできるわけ無いだろう、
とか突っ込みたくなる行動を取れるのが、レベルの高い英雄というものでございます。
チャクラとかコスモとか、体内エネルギー的な何かにすればいいかと。
そこに円グラフ的に能力値のムラがあったり、
総量的にヒットポイントがあったり……。
具体的なことは存じません(正解はないでしょう)が、
そんなあたりではないでしょうか。
西洋的に考えるのならば、頂点の怪物と戦うのはもともと、
神様とか半神とか、神に愛された英雄でございますから、
そういう神の域に達した力としてもよろしいかと。
それらは、外見には反映されないのですな、おそらく。
☆ 「ゲームブック内緒話」フーゴ・ハルは、
読むためにサイコロをひとつ必要とします。それもふつうのサイコロではダメ!
スロットマシーンやパチスロのリールの絵柄が描かれたものか、
7面体以上のものなど、条件に合うサイコロを用意してからお読みください。
1
↓
22
↓ 「ウォーロック・
19←→マガジン」VOL.1
↓
5
↓
11
↓
8→14
↓
3
↓
9
↓
13
↓
6→14
↓
15
↓
10
↓
17←→1D≠7
↓
2
↓
12
↓
20
↓
21
↓
7
↓
4
↓
18
↓
[ ]
↓
多分p.120じゃ
なくてp.122
とまぁ、そんなあたりでございましょうか。
じゃあねぇ~!
『深夜天才バカボン』BDとかDVDとか出たら、
特典で「イライラヒリヒリご苦労様なのだ」みたいなのやってくれればいいのに――、
ゲームブックならもっといいのに――、と思ったのですが、
公式サイト見ると、そういうのじゃないみたいですな。
テレビでできないそういうのこそ、円盤でやればいいと思いますのに――。
2018/08/02 (2018/07/25のつづき)
NHKの『コズミック・フロント』で見たのでございますが、
トランプ政権は、
地球温暖化は人間の行為と直接関係がないとして、地球観測活動の予算を縮小し、
火星探査計画を充実させるそうでございますな。
地球が火星のようになってもいいのか、とは思いますが、
そのときのための火星探査?
いや、そんなに長期的な展望は持っていなさそう。
むしろものすご~く近視眼的な感じが……。
コケコッコーと鳴くのは雄鶏だよねぇ。
タマゴを産むのは雌鶏で……。
まぁ、異世界のことではあるし、しかも魔道機械のことなので、
ここら辺の常識は通用しないのでございましょう。
以上、重箱の隅でございました。
2018/08/03 うーむ、『タイタン』明日か~~。
まぁ、その昔「ウォーロック」誌もよく遅れておりましたからなぁ。
……。
でも、インターネットを見ると買っている人もいる。
早いところもあるってことなのでしょうなぁ。
近場で売っているのならいいのですが、
労力とか時間とか、いろいろとロスが……。
2018/08/04
同じく、S.W.2.5『水の都の夢見る勇者』。
p.261のイラストのまわりのアルファベットが、
実際には登場していない文字ばかりなのはなぜ?
「ラクシア」とか作らせたかったのかなぁ? 入れる場所は3文字しかないけど。
まだ開封していません。
でも、ブログやってなかったら、「Role&Roll」誌と一緒に買えばいいや、
と思っていたかも(買えるところが遠いんだもの)。
2018/08/06 食品のパッケージに
「最新の遺伝子組み換え技術を使いました!」って、
うれしそうに大きく書いてあったら、
ふだんそういうのに拒否反応を示している人でも、
何となくついつい買っちゃった~、
っていうのが意外とけっこうあるんじゃないかなぁ……。
2018/08/07 もう、立秋でございますな。
それにしても暑い。残暑お見舞い申し上げます。
2018/08/08 サマータイムは導入しなくていいから、
冬の朝、2時間ぐらい余分にゆっくり眠っていたいにゃあ。
2018/08/10 じじんがございました。pm9:18ごろ、
震度3……ここらへんは1だったみたい。
2018/08/14
これは注目に値することだが、ずいぶんたくさんある大きな戦争で、
勝利を収めたのは実は敗けたほうである。
戦争の終わったところで最悪の状態になった国民が、大体において、
万事終わったところでは最善の状態になっている。
たとえば、十字軍はキリスト教徒の敗北に終わった。
しかし、キリスト教徒の衰退には終わらず、かえってサラセン人の衰退に終わった。
(G・K・チェスタトン著作集4『棒大なる針小』(春秋社)p.238)
2018/08/16 うわぁ、拍手が入っている!
なぜここかはよくわからないけれど、誰だかわからない方、ありがとうございます!
拍手ランキング、これで、28921位から68位……。
ひとつ入っただけでこんなに順位が上がるって、
拍手、ないのが当たり前……なのかなぁ。
追記:どうも、日ごとの集計のようでございました。
2018/08/17 You-Tubeで、『ゴジラ2019』の予告編見ました。
ものすごく期待させるトレーラーでしたけど、どうなんだろ?
描かれてないところを心配してしまいますな。
わたくしとしては、人間側の対応は無力であって欲しいなぁ。
で、このあと「vsキングコング」? どれだけ強いキングコングが……。
2018/08/20
民話は、人間精神が正気なのに、
宇宙が途方もなく脅威に満ちていることを示そうとする。
リアリズムは、世界がつまらなくて型にはまっている一方、
人間精神がやんで悲鳴をあげていることを示そうとする。
(……)おとぎ話では、宇宙のほうが狂うのに主人公は狂わない。
現代小説では、まだ始まらないうちから主人公が狂っていて、
宇宙が厳しいくらい狂いがなく、残酷なくらい健全なのに苦しんでいるのさ。
(G・K・チェスタトン著作集4『棒大なる針小』(春秋社)p.223)
2018/08/22 拍手ありがとうございます。きょうの順位は38位とか。
うれしいのですが、とまどいも少々……。
ただ、申し訳ございませんが、
記事を書くときの参考には、なるべくしないようにいたします。
まぁ、石ノ森章太郎先生の作品でございましたら、
少年マンガから大人マンガに重点を変える1980年ぐらい以前の
単行本で出版されたものはたいてい読んでいるので、
書けることはたくさんございますが
(でも拍手が入っているのは、直近だからだろうなぁ)……。
2018/08/23 井上淳哉先生の「BTOOOM!」最終26巻が、
分岐して「Light 友情編」と「Dark 真実編」の2冊で出ているそうでございますな。
これまで読んできていないし、ゲームブックのコレクターなわけでもないので、
わたくしはスルーいたしますが……。
2018/08/24 『フェアリーテイルゲームブック 夢幻島の怪物』
KCデラックス コミックス 2018/10/17 藤浪智之 真島ヒロ (著) かぁ
(やっぱり原作読んでいない)。
藤浪智之先生は、講談社系のマンガ、ゲームブックで制覇するのかなぁ。
『さすがの猿飛G』細野冨士彦 なんかゲームブックにしやすそうだし、
面白くなりそうだけど……、講談社じゃないか、小学館だよねぇ。
2018/08/25 古い本を探して、段ボールを出していたら、ぎゃーーっ、
棚が壊れた~!
そこらへんにあった木の棒とベニアで雑に作ったものだから仕方が無い?
いや、それ以前に過積載だということは分かっているんだけど……。
gimmick(ちょっとした道具、気のきいた工夫またはアイデア)
の一つの語源説では、この語はmagic(魔法奇術)の綴り換え語であるから
gimacと綴られる筈のものであるという。(←証拠はない)
(『英米単語の歴史辞典』クレイグ・M・カーバー 渡辺勝馬・小野祥子訳
(柏書房/1996/2
"A HISTORY OF ENGLISH IN ITS OWN WARDS" by Craig M. Carver(1991)))
2018/08/29
「本の雑誌」2018年9月号 「太宰治 人間失格すごろく」鈴木力作
「本の雑誌」では、過去にも何度かこういうすごろくを掲載してきたけれど、
これも一種のゲームブックですよねー。
複雑ではないけど分岐するし、サイコロだってふるし……。
2018/06/18 (Mon)の「『仮面ライダー』はなぜバッタ男か。」(マンガ)
の記事に追記。
[「宇宙船」vol.26 p.78「特撮研究 仮面ライダー」を読んでいたら、
「第一話の蜘蛛男のデザインも『十字仮面』の時点でまとまっている」
という記述が――。
そうすると、蜘蛛男がスパイダーマンという説は、ちょっと弱くなるかも……。
やっぱり異説は難しい……なぁ。]
2018/08/31
◆これまでのゲームは、コンフリクト(闘争)であり、レース(競争)であった。
また、ルールは神聖であり、違反されることは許されなかった。
◆しかし、ロールプレイングゲーム(RPG)がそういうわく組みを
ぶちこわしてしまった。
RPGの目的は闘争ではなく、協力であり、必要なのはルールの理解よりも、
豊かな常識なのである。これによってゲームは自由なものとなり、
現実の世界と同じ奥行きを持つようになった。
つまりより面白くなったのである。
ロバート・プラモンドン著 鈴木銀一郎訳
昭和63年5月27日第2版発行 (翔企画)
"THROUGH DUNGEONS DEEP A FANTSY GAME'S HANDBOOK"
by Robert Plamondon 1962
☆ むかしからTRPGをやっている方ならおそらくご存じの、
有名な言葉でございますな。
ちなみに、本の表紙見返しにございます。
「宇宙船」誌vol.21 1984年12月号
(10月30日発売/朝日ソノラマ)では、
「米国幻想/WORLD CON’84」と題して、
米国旅行の収穫を、
p.9-13(カラー)、P.100-101(白黒)
で紹介しております。
で、ゲームブックに関連するのが、P.13「ブック・マガジン・コミック」のこの部分。
(p.13)
まぁ、右上の2冊だけでいいのですが、
ついでですので、TRPG関連の3冊と、
コンピュータゲーム関連の1冊も載せておきますね。
JICCの『ゾーク』はたしか日本オリジナルですから、
この「ZORK」はそれとは別物だと存じます。
いずれにいたしましても、この時点でゲームブック(ここでの表記は、
ブックゲームになっておりますな)が200冊以上出ていたということ。
バンタム社のパラグラフ選択式のものから、TRPGのソロアドベンチャーまで
含めて考えるとまぁ、妥当な数かも知れません。
でも、ここに写っているゲームブックのように、未訳のものまだまだあるはず。
他で読んだ話では、『ザンス』や『ステンレス・スティール・ラット』
などもゲームブックがあるそうですな。
こういうゲームブックが一体どんなものであるかだけでも、
知りたいところでございますなぁ。
(紹介した本とか出ないかなぁ)
さらにできれば、日本語で読んでみたいもの。
「ファイティング・ファンタジー」シリーズなどは
何回も翻訳されているというのに……。
と思わずつぶやいてしまうしだいでございます。
ちなみに、「宇宙船」誌vol.17には、
「ハロー チャレンジャー ブック」のゲームブックを何冊も
ものにしている高橋昌也先生が、
「アメリカシミュレーションゲームウォッチング」と題しまして、
見開きの記事をお書きになっております。
紹介されているのは、
『ジョン・カーター』(SPI)、
『スター・トレック』『ガンズ・オブ・ナバロン』(FASA)、
『コール・オブ・クトゥールー』(カオシウム)、
『エスピオナージ』(ヒーロー・ゲーム)、
『スターフロンティア』(TSR)、
『ランド・オブ・ライジング・サン』(FGU)、
『カー・ウォーズ』『イルミナティ』(スティーブ・ジャクソン・ゲームズ)
といったあたり。
まぁ、単なる紹介記事ですな。
ついでに「ハロー チャレンジャー ブック」の広告についてですが、
これは、vol.20(1984年8月30日発売)から、
数号にわたって続いているようでございます。
これが、そのvol.20とvol.21のもの。
vol.20p.109
vol.21p.113
vol.20のほうの「あなたは英雄? それとも死体!?」
というキャッチは、直截的ですなぁ。
そしてこのコピー、
明らかに、『出発!スターへの道』のほうは意識しておりませんな。
あと、
vol.16の「VISUAL RADER」(p.99)には
“LOST WORLDS”(NOVA GAMES)シリーズの
小さな記事が、
また、
vol.26の「宇宙船インフォメーション」(p.105)には、
『激突第7機装兵団 モニュメントの謎』の表紙のみが小さく、
それぞれ掲載されております。
以上、『宇宙船』のゲームブック関連で、わたくしの知っているのは
このあたりでございます。
知ってる? ああ、それはよかった。
『かいけつタマゴン』や『ウリクペン救助隊』などと同じく、
月曜から土曜の午後6時55分から7時までの5分間
(本編はもっと短いでしょう)に放映された作品。
ウィキペディアによりますと、
1973年10月から翌年9月までだそうでございますな。
週6でやっていたせいか、もっとダラダラ続いていた気がしておりました。
NHKの少年ドラマや人形劇のあと、
7時のアニメや特撮番組が始まるまでのあいだ、
他に見るものがないので、仕方がなしに見ていたという類いの番組ですな。
何でも欲しがるタコラがチョンボの持っているものをねだって追いかける、
……じゃなかった。改めて見ると、チョンボは相棒なのですな……。
森の生き物(動物?)の持っているものをねだって追いかける。
というのが基本的なお話でございます。
知らなくても、
ユーチューブで一話見れば、どんな話かはおわかりいただけるでしょう。
えっと、当時のわたくしの個人的な感想でございます。
キッチュなものを喜ぶ方々にウケたのでございましょう。
たとえば、ゼネラル・プロダクツ社とか……。
「宇宙船」1985年6月号 VOL.24 p.67 ゼネラル・プロダクツ社広告。
ある一定のパーセンテージいたのでございましょう。
最近でも海洋堂からフィギュアが出ているみたいですし、
公式ツイッターとかもあって……。
いや正直、DVDのコンプリートボックスが出たときは
(2016年だそうですが)、
正気か、とか、買う人いるの?
と思ったものでございますが……。
この『クレクレタコラ』には、元になったとおぼしき作品がございます。
「こくごの 力を のばす
監修 石森延男
(2年の学習・夏休み特大号・第一学習参考
学習研究社/昭和40(1965)年)
に収録されております、
「くれくれぞう」
山元護久・文 小川哲夫・絵(p.10-18)
海賊の親分が、とある島で酋長にであいます。
海賊は、手下と船をやるから、この島をもらえないかと酋長に持ちかけます。
酋長はその申し出に二つ返事で応じます。
海賊はしめしめと思います。
いうことを聞かない手下に、ほとほと嫌気がさしていたからです。
ところが――。
実はこの島にはくれくれぞうが棲んでいたのです。
酋長は、そのくれくれぞうから逃れるために、海賊との交換に応じたのです。
つまり双方で相手のことをだましていたのですな。
もと海賊は、くれくれぞうに追われて退場――。
とまぁ、単純なおはなしでございます。
これ、人形劇として演じられることを想定していたらしく、
同じ号の別のふろくに、その指人形がついていたようなのですが、
この本、近所か親戚からもらってきたものなので、それ自体は存じません。
おはなしのあとに書かれたその説明を見ると、
厚紙を切り抜いて作るもののようでございますな。
『ひょっこりひょうたん島』や
『ネコジャラ市の11人』(山崎忠昭先生も1年目のみ参加とか)などの
台本の構成を手がけられた方。
詳しくはウィキペディアをご覧いただければですが、
いくつかのアニメ主題歌の作詞も手がけられ、
また、
『おかあさんといっしょ』
『できるかな』
『ママとあそぼう!ピンポンパン』
などにも台本構成として関わっているそうでございます。
その名前は姿を現していないようなので、確実な説ではございませんが、
『ママとあそぼう!ピンポンパン』といえば
フジテレビですし子供向けの番組でございます。
何かかかわりがあっても不思議ではございません。
直接のかかわりが無くても、こういう作品のスタッフは、
子供向けのおはなしや劇などにアンテナを張っているでしょうから、
そういうところに引っかかったこの作品にインスパイアを受けた
ということは十分考えられることでございます。
まったく関連無く出てきたなんて、そもそも考えにくいですからねぇ。
「くれくれぞう」のパクリじゃん、って思いましたもの
(その当時、パクリという言葉があったかは忘れましたが……
もどきとか、まねといった言葉はございました)。
もっともそれは、
リアルタイムで読んでいなかったのがよかったのでございましょう。
先ほども書きましたとおり、
わたくしが読みましたのは、どこかからもらってきたお古……。
両方がリアルタイムだったら、
忘れていたか知らなかったということがあるやも知れません。
絵本に収録されたことがあったようでございます。
現在は絶版だそうでございますが、画像検索すると大体内容は分かります。
で、
『機動戦士Ζガンダムジェリド出撃命令』
山口宏/スタジオ・ハード
(勁文社アドベンチャーヒーローブックス18/昭和62年6月)
敵最終兵器ドーラを倒し、地球連邦を救ったジェリドたちがモビルスーツから降りたとき、
真っ先に駆け寄ってきたアラスカ第18辺境警備隊の上等兵の名前は?
内訳は、
富士見の
『ゴーストタワー魂の石』
が400円。
『忍者への道』が800円。
社会思想社や東京創元社、二見書房にくらべて、
「ウォーロック」誌で取り上げられることが少なかったからだと思うのですが。
多分「ドラゴンマガジン」誌があったからなのでしょうが、
そちらはわたくし、読んでいなかったからなぁ……。
この前、「Role&Roll」を買いに静岡の中心街に行ったとき、
駿河屋本店では、『忍者への道』が千何百円かしていたような……。
こちらは持っているのですが、
二人用ゲームのマップがなかったので買ったという……。
ビニール越しに見て、そのぐらいの膨らみがあったので、
入っているなと判断いたしたのですが、それが当たっておりました。
コマは「ピストル」(フラテリギャング)のものが欠けていたのかな?
それは、持っている方が切り取るまえの状態だったので、問題ございませんでした。
黄色い値札のものはジャンク品扱いで5冊買うと半額。
それが、夏休みセール期間中とかで1冊でも半額。
ということで、900円+税 の 972円で買ってまいりました。
『ドラゴンの洞窟』とか『魔獣王国の秘剣』とか『戦えイクサー1』
などもございましたが、そのあたりは持っているので無視、でございます。
このオチミズの使われ方って――。
Role&Rollvol166の読者欄に載せていただいた
「神我狩~黒衣菊理異聞録」
を元にした絵でございます。
* 案外、一億六千万払っても使う~っていう人、いるんじゃないかなぁ。
これの元が載っていたvol.164は、
ソードワールド2.0の「ロードオブグリモワール」が最終回だったり
(サブの「ランダム陳情」がメインシナリオと結びついていくのか……、
面白い! と思ったのでございますが、
そこまで行く前に終わってしまいましたな)
多分キーとなる人物のイラストがないとか、今ひとつとかだったりで――。
「TORG」は前月に描きましたしね。
(「リビングランドでの活躍は終わりますが」ということは、
単行本化するときには、他の場所での活躍が付け加わるということなの、かなぁ)
この小話(こばなしではなくてしょうわと読むのでございましょうな)に――。
この作品、黒衣菊理(くろいくくり)や白羽千鳥(しらばちどり)という名前も
そうでございますが、
「瞳の奥底には、残酷な格差によって生じた憎悪の炎」
ですとか
「負の感情から展開される一人脳内劇場」
など、凝った表現をしようとして失敗しているような部分が冒頭……。
いや、書き出しの部分、緊張していたのでございましょう。
よくあることでございます。
数年後、声をかけられて振り返った菊理の前には、
女とは思えぬマッチョに変貌した白羽さまの姿が……。
毒島教官に仕上げられたのですな。
というのも書こうと思ったのでございますが。
なんだろう、マッチョになった姿をあまり描きたくなかったのかな……。
というわけで、まぁこっちに。
「なりきりと導入の事故」。
「隣の家から邪神召喚の呪文が聞こえてくるけど怖いから布団を被って出ない」
「本を閉じたまえ」で終わりでございますよね。
ゲームブックと違ってTRPGならば
何でもできる、どんなキャラを演じてもかまわない、
なんてことも言っていた時代の悪影響でございましょうかねぇ。
プレイヤーにとってもGMにとっても、負担になる元でございますな
ーーでも、これって、ランキング日別だったみたい。
また28922 位 / 28922 ブログ、とかに戻っちゃったよーー
まぁ、それはともかくとして、
『三つの球』
(虫プロ 石森章太郎選集 第14巻/昭和45年2月)。
初出 「少女クラブ」昭和33年4月号~昭和34年3月。
異論反論ございましょう。
が、わたくし的なので、そういうのは関係ございません!
その理由も著者によれば「人気が無かったから」。
それに初期の少女マンガでございますから、
シャープでシリアスな画風が好きな方のなかには、
眼中の外とおっしゃる方もおられましょう。
天狗や滝つぼの精は出てまいりますし、
酒呑童子やハカマダレ、牛若丸と、時代の特定も出来ません。
まぁ、ファンタジーと申しますか、おとぎ話的な平安時代ですな。
東映動画あたりの長編マンガ映画を思わせるもの。
歌あり笑いあり、ドラマあり、映画的な演出も凝っております。
その罪の報いとして、コウモリに姿を変えられてしまいます。
そんな弟を元の姿に戻すため、天女美雪は、
彼女に想いを寄せる天平とともに、三つの珠を探すために下界に降りるのですが――。
天界でのいたずらの結果を解消するため、というのは、
『リボンの騎士』(少女クラブ版昭和28年~昭和31年)が
頭にあったのかもしれませんな。
「この『三つの珠』だけは、(……)終わりまでちゃんと描きたかった。
それだけの構想と情熱を持って始め、途中で終わらせられるまで、
それは続いていた。」
とお書きになっております。
じっさい、本当に描きたかった作品なのでございましょう。
民話的な世界観での少年少女の冒険というのは、
当時の石ノ森先生の資質に最も合っていたように存じます。
『構想と情熱』とお書きになっておられるように、構成にも凝っております。
主人公の美雪は、当初天界での記憶を持っておりません。
下界の暮らしに慣れるようにと、赤ん坊の姿で地上に降ろされ、
天平とは違う場所で過ごすのでございますな。
美雪はヨヒョウとツウの夫婦に育てられ、
天平は遮那王(牛若丸)とともに、天狗に育てられ……、
そのことがドラマを作っていくのでございます。
そんなわけで、物語の軸は、
三つの珠の探索と牛若丸ーー源義経でございますなーーの物語を軸に、
さまざまな民話や物語を織り込みながら展開していく……
はずだったのでしょうが、
酒呑童子の手から弁慶(天平だが、記憶をなくしている)が取り戻したものの、
美雪はだれがそれを持っているのかを知らない……、
というあたりで「第一部完」となっております。
予想でございますが、義経の物語に沿っていくといたしますれば、
「壇ノ浦」あたりで「青の珠」を取り戻して、「第二部終了」、
平泉で「黄金の珠」を取り戻し、弁慶の立ち往生とともに天界へ戻る、
というような話の流れだったのではないでしょうか。
奥州あたりは石ノ森先生の故郷でございますから、
そこをクライマックスに持ってくるからには、
いろいろと描きたいことがあったのでは、と想像されます。
おそらくそれは、叶わぬ夢だったことは、容易に想像できますな。
絵のタッチや、物語の作風が変わってしまったという、
作者由来の理由もございましょう。
加えて、少年・少女マンガというもの自体の変化ということもございます。
この作品が描かれた当時、少年マンガと言えば、児童を対象としたものでございました
ですが、月刊誌の時代が終わり、週刊誌が主流になるにつれて、
その対象年齢は、じょじょに、いや急速にかな? 上がっていったのでございますもの。
このようなマンガの出る幕は、なくなっていたのでございます。
短編はともかくとして、長編は特にーー。
平安朝を舞台にしたTRPGとだけ聞いて、
ものすごーく期待してしまったのでございますが、
その後の特集でまったく違ったのを知り、ガッカリしたのを覚えております。
民話や伝説を多数取り込んだ、
少年少女の冒険のための和風ファンタジーTRPG……。
誰か作ってくださいませんかねぇ。
時代は、やはり大まかな平安時代がよろしゅうございましょう。
江戸時代だと、手垢がついていると申しますか、自由度が低い気がいたしますので……。
《追記》
その後、いくつか見つかりましたので、補遺として記事にいたしました。