忍者ブログ
2025/01/22 以前『ロリ神』のところでちょっと触れたインドネシアのVチューバー、 Alia Adeliaさんが「卒業」なされたみたい。インドネシア語なんかまったく分からないので、ほとんど見ておりませんが、日本のお歌をふだんあまり聴かないわたくしなどは、この方のお歌で知ったものもございますし、たまにある日本語講座が言葉や例のチョイスとかがいろいろと変で面白うございました。昨年末の「卒業」動画で配信が止まっていることに気がつき、それを見ました。日本語でもあいさつしておりますが、理由についてははっきりとは語っておりません。コメント欄などを見るに、どうやら所属事務所の問題みたいなのでございますが、よく分かりません。
[20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30]
 2019/07/29 ゲームブッククイズ(138)
 
『都市(まち)のトム&ソーヤ ゲームブック 館からの脱出』

はやみねかおる・作 にしけいこ・画
(2013/11 講談社YA!ENTERTAINMENT)。
 
 ゲームクリエーター集団「栗井栄太」の音楽担当・
柳川博之頭痛の原因となったCDのタイトルは?
 
ヒント:「ブラマタリの供物 後日譚 暗黒の鎮魂歌」
    (「Role&Roll Vol.172 p.142-149」)にも、
    レコードが出てまいりましたが……。
 

拍手[0回]

PR
 
一、捨てさせる
 
二、無駄遣いさせる
 
三、贈り物にさせる
 
四、蓄えさせる
 
五、抱き合わせ商品にする
 
六、きっかけを与える
 
七、単能化させる
 
八、セカンドとして持たせる
 
九、予備を持たせる
 
十、旧式にさせる
 
  
 経済学者・林周二先生の「大衆の浪費を刺激する一〇の戦略」だそうでございまして。
 
 藤原新也先生の『東京漂流』
  
「科学の子」大西赤人
(「ヒーローの履歴書14」 鉄腕アトム 絵:手塚治虫 
 (「太陽」1983/8 no.254(平凡社))p.137-139)
 
からの引用……、
と、まごまご引きで申し訳ございません。
 
 V・パッカードというアメリカの社会学者先生が、
消費文明批判のために著した書物にある10項目を逆用したものだとか。
 
 逆用して「これでいいのだ」としたところあたりに、頭の良さを感じますな。
 
 提唱されたのは、1960年頃かな。
 ですが、今の時代のほうが、
これに当てはまることが増えているのではございませんでしょうか。
 
 特に、コンピュータまわりでございますな。
わたくしなぞ、パソコンが壊れてから
おやすみの間が長かったものでございますから、
オペレーションシステムが変わって、
周辺機器が全然使えなくなってしまいました。
ウィンドウズxpの時代ですものなぁ、前に使っていたパソコンは。
昔でしたら、機械というものは、壊れるまで使えるものでございましたのに……。
 
 
 
 こうした消費社会のつけが、
資源やエネルギー問題やゴミ問題、環境汚染などを、
現在深刻化させているわけでございますな……。
 
 
 
 それはさておき。
 この10箇条。
 みなさまも、いろいろな場面で、似たようなことを感じることはございましょう。
 
 さて、これをどう考えるかでございますな。
 
 資本主義の進化としてこれは正しいことだから、
  この波に乗らなければならない、と思うか、
  
 自分の商品について、何か新しい売り方を思いつくのか。
 (でもいくつかの項目は、独占的な大企業でないと実行がむずかしい気も……)
 
 
 このような社会の仕組みに嫌悪感を覚えるか。
 
 断捨離をさらに押し進めようとするか……。
 
 
 置かれている立場や状況によって、考え方はいろいろだと存じます。
 ですがとりあえず、考えておくに足る問題ではあると存じます。
 
 
 
 あるいは、
 これをふまえて、面白いゲームを思いついた、
 とおっしゃる方もおられるかもしれませんな。

拍手[0回]

あるいはその呪縛。
 
 前回紹介いたしました宮崎駿の手塚先生批判
宮崎駿先生の記事の載っておりました
「COMIC BOX」誌は、
手塚治虫先生の追悼特集号なのでございますな。
 

 宮崎駿先生の手塚先生に関するインタビューも、
そこに掲載されております(p.108-109)。
 
 もちろん、と申してよろしゅうございましょう。
お上品な亡き人を悼む追慕ではございません。
 
 手塚先生の作品の何がきらいかということを、
歯に衣着せぬ口調でハッキリとおっしゃっておられます。
 
宮崎駿先生の手塚治虫先生批判
 
 よく言われますアニメの制作費の安さの元凶を作ったことに対する批判は、
ここでは簡単に触れられているのみでございます。
それについては、もう語り尽くしたということでございましょう。
 
 それよりも、手塚作品の安っぽい悲劇性や安易な作劇に対して否を唱えておりますな。
 
 と、その方向性でこの記事をまとめようと思ったのでございますが、
そのうしろには、手塚先生の '89年の長いインタビューが……。
 
 
 
 とりあえずついでに読んでみました。
 
 「手塚さんは10年前何を語ったか 再録「珈琲と紅茶で深夜まで」
●interview 手塚治虫 ●企画・構成・制作/香月千成子(初出「ぱふ」'89 10月号)
 
 すると、手塚治虫先生は頭のいい方でございますからな。
 自分の作風については、ちゃんと理解しておられる。
 
 見えてくるのは、次の3つ。
 
(1)キャラクターは、パターンであり、記号である。
(2)自分は作家ではなく、職人。
(3)キャラクターよりもお話に重要性がある。
  
このあたりが、宮崎駿先生とは一線を画す部分でございますな。
 
 
(1)
は、おわかりでしょう。
   ジブリの仕事は、まさにパターンではない自然な動きや、
   自然な感情を表現した演技を目指しておりますからな。
  
 手塚先生は、みずからのマンガを
 センチメンタリズムはあるが感性はないと評しております。
 生身の感覚はなく、キャラクターは怒りとか悲しみとかを表す
 記号・文字のようなものおっしゃっておられます。
 
 

(2)は、常に雑誌に発表しウケ続けなければならない、
   そういう思いが、手塚先生には強かったようでございますな。
   そうしなければすぐに忘れ去られてしまう。

   だから、時代やジャンルにあわせて売らんがための職人的な細工をするのだと
   おっしゃっておられます。
    (その細工に隠された、本当に描きたいものを見て欲しいともおっしゃっておりますが)。
   キャラクターも話にあわせて変えられるように、
   パターンとしての性格はあるが、内面は割と空っぽだと自己分析しておられます。
 
 
 
(3)は、お話が重要で、
   ロックやケン一といった主人公クラスでも本当に愛してはいない、
   だから、話の都合で簡単につらい目にあわせてしまう、のだそうでございます。
 
   宮崎先生が問題にされていた、
   感動するからという理由でキャラクターを簡単に殺してしまうことができる
   というのも、そうした姿勢からでございましょう。


 
 

 キャラクターの動きや表情をパターンや記号とし、。
 ウケやテーマやストーリー上の都合のために、キャラクターをコマのように扱う

 そうした
 キャラクターの人間性を軽視した作り方に、宮崎駿先生は反発したのだと思います。
 ですから、これとは逆の方向を目指したのでございますな。
 
 1つ進化したスタイルと申せるかもしれません。
 
 
 ただ、この方法って、時間がかかるやり方でもあるのですよね。
 
 キャラクターの表情や動きをパターン化し、
 ストーリーが詰まったり盛り上がりに欠けるときは定番の手法で切り抜ける。
  
 そうすれば、時間をかけずにストーリーを展開していくことができます。
 連載を何本もかかえていた手塚先生にとっては必要な手段だったと申せましょう。

 (こういうのって、ノッているときはそれほど必要ないものですよね。
  鉄腕アトムの初期と初期の映画を比較したところで、
  宮崎先生が引き出しにあった残骸とおっしゃっているのが、こうした定番の手法でございますな)


 
 宮崎先生の作品が、制作期間が長くかかってしまったというのは、
こういう割り切りかたができなかったためでございましょう。
 
 そのことは、「いまひとたび『少女ネム』」のところにさし入れた、
『魔女の宅急便』のインタビューでもうかがえますな。
 
 後期の宮崎アニメが、起承転結がないなどと批判されるのも、おそらく
お話のために、登場人物をコマのように動かすことに対する反発があるためと存じます。
 
 
 
 
 ところで、手塚先生のインタビューで面白いのは、新人のマンガ家に対して、
先生がすなおに絶賛をするところでございます。
自分の描けない新しい感性をものすごく評価している
(新しいマンガに対抗・挑戦していったのが手塚先生でもあるのですが)。
 
 一方で、そうしたマイナーな、一部の熱烈なファンしか持てない作家ではなく、
マンガ界全体をひっくり返すほどの大きな潮流を生み出すマンガ家の出現を期待している。
 
 おそらくこれは、
マンガ界をひとりで変革・牽引してきた手塚先生の思いなのでございましょう。
 
自分に匹敵するような人物が現れて、マンガの新しい道を示してくれるのではないか。
でなければ、マンガというのはそのうち他のメディアに圧倒されてしまうのではないか。
 
 そんな期待と少しの恐れがあったのだと思います。
 
 
 結局、手塚先生亡き後はそうした大きな存在が現れることはなく、
いくつかの潮流はあるものの、個性的なそれぞれが乱立している時代となっておりますな。
 
 マーケティングのウケを狙った作品が一方であり、
エッジの効いた作品があり、
何でもない日常をつづった作品あり、

 中心はなくとも、マンガの多様性は広がっているようでございます。

拍手[10回]

(前記事:少女ネム 2018/04/22 (Sun)

 
 
 
 
『漫画原作者・狩撫麻礼 1979-2018狩撫麻礼先生 
 《そうだ、起ち上がれ!!
  GET UP.STAND UP!!》』

 狩撫麻礼を偲ぶ会・編
 (双葉社/2019/7)
を、
  
 どうしようか迷ったあげく買いました。
  
 木崎ひろすけ先生の
 『少女ネム』については、
 鈴木健也先生が、
 「少女ネムの想い出」という
 タイトルで、4ページのマンガを
 描いていらっしゃいます
         (p.164-167)。
  
 1ページ目が、その出会い。
 2ページ目が、作者の死による別れ。
 3ページ目が、「ネム」の内容。
 そして、4ページ目が、
 鈴木先生のの予想する、
 描かれなかったハッピーエンド
  
 という構成でございます。
 
 なぜ鈴木先生が『少女ネム』についてお描きになっているのか、
この4ページだけでは伝わり方が今ひとつという感じがいたしますが、
この
 
 http://w01.tp1.jp/~a303594771/
 
あたりを読みますと、その思いが伝わってまいります。
 
 そんなわけで、このマンガ。
4ページの中で、『少女ネム』という作品を
うまく紹介しているとは思うのでございますが、やっぱりなぁ。
これだけではもの足りない……。
 
 みかんですし、一巻の分量しかございませんし、
狩撫先生にはたくさんの知名度の高い作品がございますし……、
というのはわかるのですが、何か残っていなかったのかなぁ……。
 
 
 
 さて、前回『少女ネム』の内容には触れませんでしたが……。
 
 あの記事を書いて少ししてから、
 
「COMIC BOX vol.61 
 1989年5月号 特集 ぼくらの手塚治虫先生」
(才谷遼(株)ふゅーじょんぷろだくと)を読んでいたのですね。
 
 すると、p.176
にこんな記事が。
 

魔女の宅急便 
 
 ねっ。
 これ読みますと、『少女ネム』って上京後は、
こういう話をやろうとしていたんじゃないのかなぁ、
って思うわけでございますよ。
 
 木崎先生や狩撫先生が、この記事を読んでいるかどうかはわかりません。
 でも読んでいるんじゃないかな?
 読んでなくても、
他でもこのような発言をきっと宮崎先生はなさっていらっしゃるでしょう。
 狩撫先生はわかりませんが、
木崎先生の好きな作品には、宮崎作品が入っていそうでございますし――。
 
魔女の宅急便』が、'89年。『少女ネム』が'96年なので、
ちょっと離れているのがこの説の弱いところではございますが。
話の中で出てくるということはございましょうし……。
 
 まぁ、影響はなくとも、
そのような話だったのではございませんでしょうか。
 2人の物語は、大団円に到るといたしましても、
それまでには大きなうねりが用意されていたと思われます。
 
 どなたか、作品を引きついで、
完結まで描いてくださる方っていないのかなぁ……。

 ここまでの物語は魅力的なのだから、

それを大事にすれば、きっと素晴らしい作品になると思うのですが……。
 
(* 個人的な希望は、作は木村航先生でしょうか、やっぱり。左のリンクにある
「野望の王国」ミラーサイト入り口

   書かれた引用からして、多少なりとも木崎ひろすけ先生のことはご存じだったのでございましょうから)

 
 

 
 
 

* でも、それにしても、
  宮崎駿先生のこのインタビューを読んで、
  京都アニメーションの火災事件を思い出すと、
  ホントにやる瀬のない気持ちになりますな。
 

拍手[2回]

初期のテレビからの続き) 
 
 
 もちろん問題は、放送局のほうにだけあるわけではございません。
 テレビがきれいに映らないのは、
放送局だけではなく、アンテナや受像器(テレビ)の側の問題もあるわけでございます。
 
 まぁ、こんな感じで映像が乱れるわけでございますな。
 
 初期のテレビ(1)
 
初期のテレビ(2)
 
初期のテレビ(3)
 
 (たまたま見つけました。昭和34年。
  古い雑誌の付録ゆえ、写真など見にくいのはご了承を)

「叩けばなおる」などと乱暴なことをおっしゃる方もいたりするわけですが。
 

 
 そうしたテレビやラジオの問題に答えるものとして
受信相談」という5分ぐらいの番組をNHKでやっておりました。
 
 女性アナウンサーがそのときの話題や視聴者からの質問を専門家に聞くという、
セットも簡素、ひじょーに地味な番組でしたが、その主題歌が軽快でしてね。
 
 4時5分 4時5分
 たのしく テレビを 見るために
 たのしく ラジオを 聞くために
 おぼえておくと べんりです
 ラジオもテレビも なんでもオッケー
 受信相談♪
 
 なんか覚えております
(あとには時間帯が変更されて、5時5分になったような気も……)。
 
 見たのはおそらく、その前後のほかの番組を見るついでだったのでございましょう。
 
 「NHK 受信相談」で動画検索してみますと、
YouTubeに、曲があがっておりました。
 
 でも、ギターか何かで弾いていて、ちょっと重い感じ。
実際の曲は、ピアノか何か。
「きょうの料理」のテーマソングみたいに非常に軽やかな曲調で、
女のかたが歌っていたのでございますが……。

拍手[4回]

ゲームブックじゃないクイズ。初期のテレビ 
 
日本のテレビ局で、
はじめて時刻表示の
テロップを入れたのは、
どこ?
 
 
 
  
 
 
 
(参考:「昭和30年代のTVガイド」週間テレビガイド編集部(ごま書房/昭和58年12月)

 

拍手[0回]

「ゲームブックDS」について考えていて思いました。
 
 スイッチ版の『火吹山の魔法使い』は、
フィギュアが移動していく描写をはさむことによって、
ゲームブックでページをめくる際の、期待感や焦燥感を表現しているのだなぁ、と。
 ひるがえって電子書籍のゲームブックなどは、クリック一発で跳べるため、
簡単すぎて重みがないのかもしれません。
 ーーそれほど多くを試してみたわけではないので、そのかぎりにおいてでございますが。
 
 『魔城の迷宮』などは電子書籍にするとつまらなくなってしまうのでは、
などと言われたりいたしますが、
足音と間を入れれば、文庫での感覚に寄せることができるかもしれませんな。
  
 逆に通常の電子書籍では、ポンポン跳べるところを活かして、次々に読み進めていく
リーダビリティの高いアクションものなどか合っているようにも思います。

拍手[0回]

と、京都アニメーション放火の犯人がのたまったと報じられてておりますが、
たとえどんなに優れたアイディアを持っていたとしても、
それを形にしなければ意味はないのですよねぇ。
 
 その創作の過程こそ、創る人の技術と経験がものをいう場でございますし、
時間と心血が注がれる部分でございます。
 
 それに、素晴らしいひらめきであっても、
料理の仕方で絶品にも見向きもされないものにもなる。
 
 人気のマンガが、筋もキャラクターも同じにもかかわらず、
アニメになったらひどいことになっている
(またはその逆で、原作ではパッとしなかった作品が、
 アニメになったとたん絶大な人気を得る)、
ということは、よく聞く話でございますからな。
 
 まぁ、そんなことを言って理解してくださるような方は、
ガソリンまいて火をつけるなどということは、端からやりませんな。
 
 犯人の動機など真相がハッキリしていない時点ではございますが、
とりあえず思ったことを……。
(書いてて自分の耳が痛いなー)

拍手[0回]

vol.177読者欄に載せていただいたもの。
 『獸の森 噛神の宴』より、プレイヤーキャラクターの4人でございます。
 
Role&Roll vol.177 
 
『獸の森』って気になっていたのでごさいますが、
どういう作品か、今ひとつわからない部分があったのでございますよね。
このリプレイでようやく、どんな感じかがわかった……わかったのかなぁ。
 
 何か、もっと違う感じの作品であるような気は今もするのですが、
作者がGMしているのでこういう感じなのでしょうな。
 
 そういう感じで、意外といつもの齋藤高吉先生のGMぶり。
 なんかだらっとした感じで進行していきます。
 
 しかも目標が、今回だけでは達成できないと明言されているため、
ただなんとなく歩いているだけという展開に。
いちおう障害になるものはあるとはいえ、すごいなぁ。
 
 絵にするとすれば、多頭の牛さんとの戦いになるところですが、
クライマックスというわけでもなく、なんか盛り上がりに欠ける。
ラストも曖昧だし……(まぁ、でも描けることは描けたなぁ……)。
 
 ということで、絵はキャンプファイヤー風の集合絵となりました。
 森のこかげでどんじゃらほい
 
 森を大きく描いて、そこに小さく4人をシルエットで、とも考えたのでございますが、
顔と仮面をやはり描きたかったのでこういう形になりました。
 
 風呂蛙さんは、頭に温泉乗っけたりして……。
 彼らのキャンプファイヤーは、リプレイ中では出てまいりませんが、
風呂蛙さんが変な動きをするので、自然こういう形とあいなりました。

拍手[0回]

きのう、ファストネット・ネクサスという会社から勧誘電話。
 
 NTTの代行でやっているとか、
電話が使えなくなるので換えなければならないとか、
換えればプロバイダ料金がゼロになるとか、
NTTを使っている人はみんな乗り換えているとか、
言葉巧みだなぁ。つい信じちゃう。
 
でも、ネットでの評判は悪いみたい。
 
きょうもかかってきたので、やめる旨を伝えたら、
電話が使えなくなるとか言う話はなしになったみたい。
 
 単にNTTでプロバイダ料金がなくなるので、
その切り替えの手続きをしているだけだから、
NTTを使っている人なら誰でも換えている、
あなただけ高いままですよ、いいんですか
 みたいなことを言われた。
 
けれども、そんな話はぐぐっても思い当たらない。
NTTが何かをするというのなら、
告知があったり、話題になっていたりしてもおかしくないと思うのだけれど。
 
それで、どう検索したらそんな話が出てくるのか聞いたら、
ファストネットの名を出してくるだけだった。
ファストネットというのは、プロバイダらしい。
そうすると話が違うような。
 
 圧迫に負けながらも、とりあえず「やめる」と言う。
 
 すると、書類を作ったのにと、恩着せがましげに、
「次からはよくお考えになって、お申し込みください」とか。
どう考えても、口車に乗せられて、というか、
一方的に相手が決めていたような気がするのだけれど……。
 
 電話から解放されて、とりあえず、ファストネットを検索。
 
 悪い評判にまざって(よく検索させるなぁ)、そのホームページにたどり着くと、
単なるプロバイダ。
NTTでプロバイダ料金がただになるとかいうはなしは、よく分からなかった。
オプションで料金を取っていくタイプだなぁ。
他とくらべて特にどこがいいんだろ?
比較して検討したら選ばないよなぁ……。
 
(だいたい、NTTが全員に対して行うのなら、報告か告知だけで、書類を作るとかないよねぇ)
 
 夜中の8時と10時に電話してくるから眠れないし、ネット検索で時間がつぶれるし……。
 お絵かきを終わらせるつもりだったのに……。
 
 この手の電話、3回ぐらい引っかかって、3回とも初期契約解除している。
  (最初は、ちょっと待ってしまったけれど、次からは1日で。こういうことは、早いに越したことはない。
    最初はゴネられるのかな、
とか思ったけれど、意外に簡単に済むよ。特に、早い場合は)
   (3回の経験でいえることではないし、偶然が関わるものだけど、解約は、担当者より、
    お客様相談窓口みたいなところへ電話するほうがいいいかも。

    当事者感覚ないから、淡々と処理してくれそう。
    
少なくともわたくしが、お客様相談窓口に電話したときはそうでした。
    担当者だと、言いくるめられてしまう可能性もありそうですし)
 
 変えないのが、いちばん。
 
 でも、一人目よりは二人目、二人目よりは三人目と、
だんだんに、ウソが巧みになっている感じが……。
 


拍手[0回]

ゲームブッククイズ(137) 
詩的魔人さまの嫌いなものは何?

拍手[0回]

百済の日本での呼び方「くだら」については、いろいろな説があるようでございます。
 
 その中で好きなのが、『風土記』河内国逸聞にある語源。

 河内国の阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)寺のあたりを略して、
クタラ郡、クタラ村と呼んでいたのだそうでございますな。
で、百済から来た人たちが、そのあたりに住まわされていたため
「クタラ」と呼ばれるようになったというのでございます。
          (参照:『風土記』下 現代語訳つき
             中村啓信=監修・訳注 角川ソフィア文庫/平成27年6月)
 
 
 白村江の戦い(663)以降、百済からの移民が増えたのは事実でございますし、
そのかたがたを一カ所に集めて住まわせたというのも、ありそうな話でございます。
 彼らが日本の仏教に貢献したのは事実でございますしな。
 
 『風土記』のこの記述、他の説と違って、
百済の人たちが自分たちをどう名乗ったかではなく、
日本人がどう彼らを呼んだかという視点であることも面白いですし、
信憑性もあるように思います。
 
 時代劇でも、名字のない人に対しては、
○○村の□□さんみたいに住んでいる場所をつけて呼ぶことが、よくございましょ?
 加えて、百済=ペクチェは日本人にとって発音しにくいですからな。
 「クタラの人たち」と呼んだということは十分に考えられることでございます。
 
 それに、なによりも、この説には驚きがある。
 阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)から
百済を「クダラ」と呼ぶようになったなんて、ちょっと思いつきませんものな。
 最初呼んだときは、思わず、ええ~っと笑ってしまいました。
 
 おそらく、他の説を唱える方は、そのあたりがイヤなのでございましょう。
 他の由来としては、
当然ながら韓国の言葉にその語源を求めるものがほとんどでございます。
 
 
 
 
 でも、語源はひとつではないということも考えられますな。
 百済の人たちは、「クタラ」と聞き取れそうな言葉を名乗っていて、
日本では「アノクタラ」の人と認識していて……。
 そういうことは、ままあることでございます。
 

拍手[0回]


 ゲームブックって、
展開を追っていくと、ついつい読みがおろそかになりがちでございますよね。
選択肢とパラグラフナンバーだけ追ったり、パズルや戦闘だけ目が行ったり。
 そんなせっかちな方のために、双葉文庫のゲームブックなどは、
太字でアイテムや重要情報を記したりする工夫をしておりますな。
 
 でも、ゲームブックにちゃんと向き合いたいとおっしゃる方には、
声を出して読んでみるというのも1つの方法だとお薦めしておきます。
 
 音読をいたしますと、文字を飛ばして読むことは出来ませんし、
本に集中することになるので、没入感が強まります。
描写などがハッキリと味わえるわけでございます。
 
 ……。
 
 まぁ、集中力を欠いている状態ですと、朗読でも
ただ文字の羅列をなぞるだけということにもなりかねませんが、
とりあえず、黙読よりは飛ばし読みが減ると思います。
 
 ゲームブックの場合、すべてを読む必要はございません。
描写など、小説と同じような部分は読んで欲しいのですが、
プレイヤーに対する指示などは読まずともかまわないと思います。
 
 ただし、選択肢のうち、自分が決定したものに関しては、
声を出してほしいものでございますな。
 
 自分の決定を言葉に出すことで緊張感が増しますし、
そのあとごまかしたときに、うやむやにせずに、
ごまかしたな、と自分で自分の行為を認識できるのがいいのでございます。
 
「ファイティング・ファンタジー」シリーズなど、
「主人公は君」タイプのゲームで特にこの効果は発揮するように存じます。
 
 ついつい読み飛ばしがちな描写をしっかり読み込むことで、
臨場感がいや増しに増すというもの。
 
 その際、「君」など主人公を指し示す単語をとばして読むと、
ハードボイルドな感じになってよろしいかもしれません
(とばしにくいところもございますが)。
 
 主人公を設定している方は、その名前を当てはめて読んでみるのもよろしいかと。
 
 
 
 巷では、カラオケが健康によいなどと申しておりますから、
朗読が健康によいことはいうまでもございません。
 ただし、ノドを痛めない程度に、まわりに迷惑がかからない程度に、
それだけはご注意願います。
 
 何事もほどほどに、でございますな。

拍手[0回]

七夕と申しますと、誰もが快晴を願っていると思いがちなものでございますが、
昔の農家では、この日が晴れるのを嫌ったところもあるそうでございます。
(とは申せ、旧暦の七夕でございますから、
 実際には今から一ヶ月ほどあとのこととなりますが)
 
 たとえば佐渡では、この日雨が降らないと、
七夕さんが作物を持っていくので不作になるというのだとか。
 
 大分では、2人が会えると
一年に一度しか会えないつらさやたがいの貧しさを語り合うので凶作になる。
 
 茨城の猿島郡では、この日が天気だと、
2人はカササギに乗って鎮守さまの裏の小豆畑に降りてきて、
その晩に7人の疫病神を産み、それが作物に被害をもたらす
(そうならないように、七夕の短冊は小豆畑に捨てにいくのだそうでございます)、
とまぁ、なにか、RPGで倒されるボスキャラみたいなことに……。
 
 七夕の夫婦神さまも災難でごさいますな。
 
 
 
 
 そんな風に、農村では、織女さまは農作の女神、
七夕祭は厄除けと豊作祈願の祭だったりするわけでございますな
(しかも祭は6日の夜で、7日の朝には竹は川に流されたのだそうでございます)。
 
 ですから、2人が出会うのも天上ではなく、そこら辺のウリ畑とかササゲ畑。
2人の甘い語らいを立ち聞きすると作物に虫がつくなどと、
いましめる地方も多かったそうでございます。
 

(参考:『星三百六十五夜 夏』野尻抱影(中央文庫ワイド版/2004/10))

拍手[0回]

ゲームブッククイズ(136)
 
「マイコンベーシックマガジン '87/1」(電波新聞社)
「死の暗黒迷宮」安藤秀樹

p.276「ある日、君は「カクバーガスの暗黒迷宮からある宝石を三つ取ってくれば、
    何でも好きな願いが、かなえられる」ということを耳にした。
    そして、君はさっそくカクバーガスへと向かった」
 
 さて、この物語の結末は?

拍手[0回]

(上に書こうと思ったのですが、はみ出てしまったのでこちらへ) 
 
「トンネルズ&トロールズ」第五版(社会思想社)
「モンスターの作成」p.66-67には、
思いつくままにさまざまなモンスターが並べられております。
 
 中には、ただの動物だったり、ピテカントロプス、人間嫌い、男(女)嫌い、
なんてものも並記されており、ホントに思いつきで、T&Tらしいと申せましょう。
 そんな中、「ジャブジャブバード」「スライシー・トゥーヴ」なる単語が……。
聞いたことあるけど思い出せない……。
 
 調べてみると、
ルイス・キャロル先生の「ジャバウォック」に出てくる単語でございました。
忘れてるなぁ。
 「モンスター! モンスター!」のモンスターカタログに載っていないのも
当然でございますな。
 
 でももともと、「トンネルズ&トロールズ」ってのは、
世界観を定めずに、パロディ的に何でも取り込んでいくのが、
本来の楽しみ方ではございますよね。
 
 ケン先生が「トロール神の恐るべき20体」で、
あんなにワンダリング・モンスター表があるじゃないか、
あれ以上のものは、自分たちで独自のものを勝手に作ってくれ、
みたいなことをおっしゃっておられるのも、そのためでございましょう。
 
 今では「トロールワールド」が公式に設定され、
「トンネルズ&トロールズ」もまともなTRPGとなりましたが、
初期のこうした何でもありパロディ的なスタイルでプレイしてみるのもよろしいでしょう。
 いろいろなモンスター、幻獣・妖精事典をひっくり返してね(*)
 その際、MRではなく、
能力値でプレイしてみれば、また違った面白さになると存じます。
 
(*)ボルヘスの「幻獣事典」なんかオススメって書こうとしたけれど、
   ちょっと登場させにくいモンスターが多いですな。
   ア・バオア・クーなど、
   出典は記されているけれど実はボルヘスの創作ではないかという説もあるように、
   他ではあまり出てこないない珍しいモンスターも多いのですが……。
   (サラタンをザラタンと表記したのも、彼だそうでございます)。
   
   でも、アレンジのソースにはなると思います。
 
   あとは、速水先生の『螺旋人リアリズム』(イカロス出版)の
   シリーズあたりあつかいやすいかも。
   他の方のイラスト集でも良いのですが、
   モンスターなど単体のイラストがあれば、それを見せて、こいつと戦え、
   というのがやりやすいのではないかと思います。
   具体的な形があれば、GMが特徴を考えやすくもございますからね。
  (この場合、即興で遊ぶならMRの方がいいのかも?)
 
 「T&T」は、そのような自由な遊び方も楽しいものだと存じます。

拍手[0回]

ひふきさんは魔法使い」とか思いついたけど、
あとが思いつかない……。
 
らくがき 
 
 
たぶん何でもあり学園もの。
ダイヤの妖精パルサスさんとか、背の低い石橋ブランちゃんとか、
さまよえる宇宙人とか、異世界の日本からの転校生とかが、
FF学園を舞台におかしな日常をくり広げる話、
なんじゃないかなぁ……。


拍手[0回]

なぞのまとめ 令和元年6月
 
2019/06/02 引き続き『火吹山の魔法使いスイッチ日本語版
選択とその結果は、テーブルトーク版をかなりやりこんだ経験を反映させているみたい。
 
マジオさんの呪文は、やっぱり一度しか使えないのかなぁ。
正直、限定的な魔法だから使いどころがないっていえば無いんだけれど、
条件や効果を変えて(魔法のカウンターとか?)、
バンバン使えるようにしても面白いと思うんだけど。
 
 今後に、ダークウッドが予定されている? 
ゲームブックとしては『火吹山の魔法使い』のほうが好きだけど
『運命の森』のほうがいろいろ盛れそうだなあ。
『さまよえる宇宙船』も予定に入っているのかなあ。
あっちの方がもっと伸びしろがあるんじゃないかと思うけど。
 
 
 
2019/06/03 「Role&Roll」vol.176
ロストロイヤル』、終わっちゃいましたねぇ

凝った設定が注目だったけれど、
その設定や、逃亡するストーリーや儀式なんかが、ちょっと特殊すぎたのかなぁ。
主人公の置かれた状態を活かすのならコンピュータRPGのほうがあっている気がするし、
そうでなければもっと一般性を持たせた方がよかったのかも。
この作品、戦闘システムが、むかし考えていた(そして今も……)のとかぶっていて、
ちょっと気になっていたんですよねー。
 

 
2019/06/04 ゲームブックじゃないクイズ。次の日本人の名前に共通するものはなに?
 
芥川龍之介・松尾芭蕉・狩野永徳・二葉亭四迷・鈴木春信・歌川広重・柿本人麻呂・
葛飾北斎・吉田兼好・河鍋暁斎・紫式部・円山応挙・井原西鶴・清少納言・夏目漱石・
俵屋宗達・紀貫之・山田耕筰・吉川英治・世阿弥
 
 

2019/06/05 答:水星のクレーターにつけられた名前の由来となった人物。
 
水星のクレーターには、世界中の画家・音楽家・作家など、
有名な芸術家に由来する名前がつけられております。
 興味のある方は、ウィキペディアなどをご覧になるとよろしゅうございましょう。
ついでに思うのですが、異世界の水星を舞台にした冒険ファンタジーなども面白いかも?
 あるいは異世界ファンタジーで、
このような関連性のある名前を地名を地名につけるというのも、よろしいかもしれません。
 
 
2019/06/06 介護ロボットによる殺人のミステリってあるのかなぁ。
 
単なる殺人の道具としてではなく、
ロボットみずからのAI上のジレンマによって引き起こされるような――。
要するにアイザック・アシモフ先生のロボットものみたいな感じのものでございすな。
アシモフ先生のこのシリーズって、
おまけみたいにミステリに入れられることが多ございますが、
実はけっこう本格ミステリなんですよねぇ。
 しかも、ホワイダニット。動機を解明する話が多い。
 ふつう、推理小説で動機というと、
人間の心の問題なので、ホントかと思うこともしばしばなのでございますが、
アシモフのロボットものは、ロボット三原則の矛盾に基づくものなので、
三原則にのっとって合理的に(たいていは。推理小説なので多少の恣意はございます)、
解決されるのがよろしゅうございますな。
 
 もっとも、人間の複雑な心の動きをよしとする方は、
そのあたりが逆に評価を低めるポイントなのでございましょうけれど。
 
 

 
2019/06/08 四方世界の神さまたちは、
クワークス」なんかはやらなかったんだろうなぁ。
もしプレイしていたら、もっと変な世界になっていただろうに……。
 
 

2019/06/09 重箱の隅~。
「Role&Roll」vol.176 p.134。
「調度いい」は「丁度いい」または「恰度いい」ね。
「調度」だと身の回りの道具になってしまう。
ワープロってよく、
ぼ~っとしてると見逃しちゃうようなこういうワナを仕掛けてきますよねぇ。
まぁ、読む方も、気づかずそのまま読んじゃったりすること多いですけど。
 
 
 
2019/06/10 「五月雨を あつめて早し 最上川」。
松尾芭蕉先生の句でございますな。
この五月陰暦の五月なので、
五月雨(さみだれ)は、今ごろ降る雨のことを指すのだそうでございます。
つまり、梅雨時の雨ということでございますな。知らなかった~。
 
 ちなみに「五月晴れ」というのも、むかしは
梅雨の合間にあらわれる(強い日差しの)晴れのことを言ったのだそうでございます。

 (『雨のことば辞典』倉嶋厚・原田稔編著(講談社学術文庫/2014/6)) 
 
 
 
2019/06/11 ゲームブックじゃないクイズ
 手弾のという字の意味は何?
 
2019/06/12 答:ザクロ
なのですが、ATOKでひらがなに戻してみると、「つつじ」という表記が……。
漢和辞典で調べてもそのような意味はございません。
なのになぜ? と思ったのでネットで調べてみたところ、
ツツジガオカ=ヶ岡なる地名が仙台にあるのだそうですな。
ツツジは、ホントは躑躅と書くのですが、字がむずかしいので、
同じ赤い花であるザクロ=榴の字をかりて、榴ヶ岡としたのだそうな。
でも、ザクロの花を調べてみましたら、ツツジと全然違う……。
だいたいあってる、でよしとしたのでございましょうなぁ。
いい加減~。いいのか?
 
 ちなみに、ザクロのことは「梅雨花(つゆばな)」ともいうそうです。
中国では、陰暦6月を「榴月(りゅうげつ)」とも呼んでいたのだとか。
 ザクロの月でございますな。

 (『雨のことば辞典』倉嶋厚・原田稔編著(講談社学術文庫/2014/6))

 

2019/06/13 泡坂妻夫『喜劇悲奇劇』(ハルキ文庫/1999/5)読了。
ショウボート船上でショウ一座の芸人たちが次々と殺される。
彼らに共通するのは、その芸名や呼び名が回文だということだった――。
まぁ、回文だから殺したのではないのですけどね。
そこは趣向というもの。
アメリカでの過去の事件が絡んでいるところは『緋色の研究』を思い起こさせました。
トリックは……、忙しい。
ヒロインが優秀なので、主人公か座員、もしくは過去の事件に何か因縁があって、
ここにいるのかと思って読んでいたのですが、どうもそんなことはないみたい。
 
 
 
2019/06/15 スイッチ版『火吹山の魔法使い』のプレイ動画を
見ていてあらためて思いますのは、
コンピュータRPGではモンスターの出現が基本ランダムなのに対し、
ゲームブックはシチュエーションがあって登場するということでございます。
コンピュータと本の違いではございますが、
そのあたり、やはりゲームブックはアドベンチャーゲームなのだなと。
 
 ただし、『火吹山の魔法使い』は、パラグラフ161のように
ランダムエンカウントのモンスターも用意されてございます。
RPG型ゲームブックの元祖と呼ばれることもあるとおり、
この作品には、ゲームブックの基本が詰まってるのでございますな。
 
 
 

2019/06/16 ホビージャパンのゲームブック『サムライ・ソード
をあらためて見ますと……。
これ、著者が「スティーブ・ジャクソン イアン・リビングストン」になっている~。
ジェイン・トムスンとマーク・スミスの名前は、英語表記の部分にしか書かれていない。
言ってみますれば、グループSNEの誰かの作品が、
著者:安田均として紹介されるみたいなものでございますよね。
いいのかなあ?
 
 
 
2019/06/20 GyaO!で『バニシング IN 60”』を見ました。
タイトルだけは知っていたので、気になったのでございます。
50台の車を盗むも、最後の一台を盗み直そうとして発覚。
パトカーに追われることになる、てな話。
なのですが、
盗みのサスペンスとか、車が集まる過程のドラマが描かれるのかと思っていたら、
そういうのはほとんどなし。
盗む場面は大した問題なく終わり、
あとはひたすらパトカーたちとのカーチェイスなのでございます。
そのアクションも、ちょっと冗長な感じ……。
まぁ、古い作品なので仕方ないのかも。
 
 当時の自動車が好きな方には、たまらないものなのかもしれませんが。
 
 
2019/06/23 Role&Roll vol.177。シャドウラン
お絵かきのネタはすぐに思いついたけれど、
どういうわけか、ボツになりそうな予感がする……。
 
 
2019/06/26 創土社のゲームブック「ソーサリー」4冊と、
グループSNEの「ソーサリー・キャンペーン」、
アドバンスト・ファイティング・ファンタジー第2版」を買ったままとっておいて、
何十年後かにオークションにでも出したら、結構な値で売れたりするのかなぁ? 
でも、未来がどうなっているのかなんて、わからないですものねぇ。

 
 
 
2019/06/29 「モンスター! モンスター!」ブック1 p.76 ガークの説明
「甲高い金切り声を出し、吸血コウモリと同じように反響によって移動します。
 コウモリは彼らの大好物です。目はありません」の最後の一文って、
視覚組織が存在しないことと、大好物という意味の「目がない」をかけているのかなぁ? 
そうでなければ間違いのないように(このままでも間違える人はいないと思うけれど)、
この文は、「甲高い」の前に置いた方がいいような気もする。

拍手[0回]

『大砲とスタンプ』4 速水螺旋人著(講談社/2014/12)
第31話 トリさんにはコリゴリですか? p.166 に登場する、
 
爆撃跡から盗んだものを売りさばいて、絞首刑に科せられた人。
大砲とスタンプ4  

名前は呼ばれてはおりませんが……。
 胸の記号と数字は、どういう意味なんだろ?
(ちなみに、運良く助かっています)

拍手[1回]

ソーサリー・キャンペーン」のおとなりに並んでいたので、つい、ついでに。
こっちは、ホント、買う気なかったんだけどなぁ。
 でも、面白さからいえば、「ソーサリー・キャンペーン」よりもこっちかも。

 いや、同じぐらいの値段だからって、比べる必要はないですし、
比べられるものではないという御意見はごもっともなこととしてでございます。
 
 
モンスター・モンスター
 
「モンスター! モンスター! 
 T&T モンスター型シナリオ・追加ルール」

ブック1:ルール&シナリオブック
     ケン・セント・アンドレ 著
     清松みゆき 笠井道子 訳 安田均 監修

ブック2:カタログブック  
     ケン・セント・アンドレ 清松みゆき 著
     柘植めぐみ 訳 安田均 監修

 
ブック3:スペルブック
     ケン・セント・アンドレ スティファン・E・ジョーンズ 著

     安田均 柘植めぐみ こあらだまり 笠竜海 池永匠汰 訳
     安田均 柘植めぐみ 統一


 
 
 3分冊で、
冊目は、ルール&シナリオ
 
 モンスターで遊ぶための追加ルールと、
ウッズ・ウェッジ亭」という平和な村の地図とそこに住む人間のデータ
(そこで何が起こるのか、それは存じません)。
 
世界で最もタフなダンジョン」と名づけられた、
T&Tでそう名乗るからにはブラックホールなんだろうなと予想がつく
パラグラフ選択式ソロシナリオと、
 
トロールを捕まえろ」というランダムダンジョンシナリオが掲載されております。
 
 
 冊目は、モンスター・カタログ
ケン・セント・アンドレ先生の「トロール神の恐るべき20体」。
これは、いろいろなトロールが紹介されているのではなくって、
ケン先生がシナリオで使ったモンスターを紹介している記事でございます。
トロール神というのは、英題をみるとわかりますが、
 "The Trollgod's Terrible Twenty" と、で揃えるためでございましょう。
 
 その前書きで、ケン先生はおっしゃっておられます。
「モンスター事典」のようなものの要望は多かったが、自分ではそれを書きたくない。
あんなにワンダリング・モンスター表があるじゃないか。
あれ以上のものは、自分たちで独自のものを勝手に作ってくれ、と。
 言葉は違いますが、ニュアンス的にはそんなことを。
 さらに、
「氷竜(アイス・ドラゴン)」の項では、こうもおっしゃられておられます。
「(氷竜が私だけのアイディアではないことは認める。
  でもこれが「わたし版」の氷竜なのだ(……))」。
 つまり、オリジナルモンスターでなければ、新しく書く価値はない、
書きたくないということなのでございましょう。
 新しいアイディアのモンスターを一定量用意するのは大変ですものな。
それならば、モンスター事典を作りたくないというのもわかります。
 
 とは申せ、公式のものが欲しいというのが人情というもの。
 
 次に控えます清松みゆき先生の「モンスター・カタログ」は、
そんな方のためのもの、というのとはちょいと事情が異なります。
 
 これは、ブック1
「モンスター! モンスター! T&T モンスター型シナリオ・追加ルール」の
p.12-19あたりや、他のサプリに載っておりますモンスターを、
参照しやすいようにまとめたものでございます。
嘘になることを承知で独自の解釈を加えたオリジナル、とは書かれておりますが、
おおむねオーソドックスな方向にまとまっているとみてよろしゅうございましょう。
 
 たとえば岩男など、ブック1p.019には、
「音楽好きですぐ聞き惚れてしまうのが欠点です」と書かれているだけですが、
ブック2p.020では、
「楽器を持ち、なおかつ魅力度でセービング・ロール」すると聞き惚れてしまうと、
ルール的にどう対応するかが書かれておりますな。
 
 ちなみに、旧「モンスター! モンスター!」との比較でございますが、
魔力度が追加された他、
分数表記から小数点表記になったところが違いでございますか。
あとは、表記や言い回しと、旧版以降に変わったことに対する対応
(グレムリンなど)が変更点にございますな。
 
 ザッと見ると、ポリカニ、ですとか、ライノン。あたりは新モンスターかな?
 ウルク(オーク)、ワーウルフ(ライカンスロープ)やヴァンパイヤは、
データが見直されている様子。
他にもそうしたものがあるかもしれません。
 
 そんなこんなで、この「モンスターカタログ」はありがたい存在でございます。
 
 これって、訳されて本国でも紹介されているのかなぁ。
 あるとすれば、その評価も知りたいものでございますな。
 
 
 冊目は「スペルブック」。
 
 ウルクの呪文書
 古のエルフの呪文書
 グレムリンの呪文書
 グルッスルグリム・ドワーフの呪文書
 フェアリー&ピクシーの呪文書
 レプラコーンの呪文書
 
 と、異種族の魔法についてまとめられた書でございます。
 
 効果としてはふつうでも、一種独特な感じがあって、読み物として楽しいですな。
  
 でも、なんで、古のエルフの呪文書だけ、カタカナ表記の英語がないんだろう? 
スペースの都合? 
でも知りたいですよねぇ、英語ではどんな表現になっているかってあたりを。
 
 
 
 まとめますと、
 総じてT&Tらしいルールとシナリオ。
 その中で、清松みゆき先生の「モンスター・カタログ」が、
まともなTRPGの方向に歯止めをかけている、
そんな作品でございます。


拍手[0回]

カレンダー
12 2025/01 02
S M T W T F S
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 16 17 18
20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
道化の真実
性別:
男性
趣味:
ゲームブック
最新TB
ブログ内検索
バーコード
P R
フリーエリア
<
忍者ブログ [PR]