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2025/01/22 以前『ロリ神』のところでちょっと触れたインドネシアのVチューバー、 Alia Adeliaさんが「卒業」なされたみたい。インドネシア語なんかまったく分からないので、ほとんど見ておりませんが、日本のお歌をふだんあまり聴かないわたくしなどは、この方のお歌で知ったものもございますし、たまにある日本語講座が言葉や例のチョイスとかがいろいろと変で面白うございました。昨年末の「卒業」動画で配信が止まっていることに気がつき、それを見ました。日本語でもあいさつしておりますが、理由についてははっきりとは語っておりません。コメント欄などを見るに、どうやら所属事務所の問題みたいなのでございますが、よく分かりません。
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忌火起草 忌火起草
北島行徳 牧野修 加藤一:著
(講談社/2007/12)
 

 PS3で2007/10に発売された、
chunソフトのホラーサウンドノベルのノベライズ。
 
亜美編」「京介編」「編」を収録しております。
 例によって原作はプレイしておりません。
 
 オビには
「分岐によって、マルチエンディングが楽しめる」と
謳ってはございますが、「亜美」編から枝分かれするのは、
 
 p.18で「大学の中庭へ行く」と、「」編へ、
 p.20で「立っていたのは愛美」を選ぶと「京介」編へ、
  
 と、この2カ所のみ。
 分岐小説、と申せはいたしますが、スタートが同じ3編の小説でございますな。
 
 各編は
 「亜美」編が北島行徳先生、
 「京介」編が牧野修先生、
 「」編が加藤一先生
             が、お書きになっておられます。
 
 もとのシナリオを担当した方が、そのままお書きになっているのでございましょう。
  
「ゲームの元になったオリジナル版に加筆・修正」、とオビには書いてございます。
 
 このオリジナル版というのがどういうものかは分かりませんが、
おそらくゲーム化する以前のシナリオということではございませんでしょうか。
  
 それに加筆・修正ということでございますから、P
S3版とは全体的な流れこそ変わらないものの、
作者の筆により変更はあるということでごさいますな。
 
 分岐はしておりますものの、やはり「亜美」編が基本。
 なので順番に読んでいくのが吉かと存じます。
 
 
 
 飲めば至高の感覚を得られるというビジョン=忌火起草。
 だが、それを口にしたものがつぎつぎとなぞの焼死を遂げていく……。
 そんなものに手を出した覚えのない主人公、牧村弘樹だったが、
 やがて爪の先が黒くなり、悪夢を見るなど、
 忌火起草特有の症状がその身に現れはじめ……。
 
 あらましはそんな感じでございますな。
 
 亜美編・京介編・奇編。
 
 三様の物語は、すべて過去と結びついております。
 
 それぞそれの物語の中で、
 忌火起草、ビジョン、今惹草、
 という薬の誕生の秘密が語られるのでございますが、
それが現在に因縁をもたらすのでございます。
 
 これら3つのクスリは、
同じものから作られた段階的なものでございまして、
設定上は1つの年表の上に並べられそうなのでございますが、
お話しを広げるにあたって変化していったのでございましょうな。
微妙にズレのあるパラレルワールドになっております。
 
 その互いに重なり合いながらも違う感覚が、
分岐小説らしくてよろしゅうございますな。
 
 三種の薬の成立過程には男女の愛憎劇が関わっておりまして、
それが、作品の主人公、牧村、早瀬、皆川たちに襲いかかる。
 
 その結末も、やはり三話三様。
 
 そこに分岐がないのは、小説としてカッチリと見せるためでございましようか。
あるいは分岐するとめんどうだから? 
 
 
 原作の家庭用ゲーム機版ではさらに多くの話に分岐するものの、
本書を読んだ感じではこの三話で必要にして十分な感じがいたしますな。
 
 おそらく書きたかったのは、
このぐらいのことだったのではございませんでしょうか。
 PS3は容量も大きく、
話が3つではプレイヤーが満足しないというのはわかりはいたしますが、
物語の性格上、あまり広げる話でも無いような気がするのでございます。
 
 サウンドノベルが衰退した理由の1つはそういうこと――
ゲーム機の容量が飛躍的に伸びたこともあるんじゃないのかなぁ。
 
 スーパーファミコンぐらいの分量が
物語のまとまりとしても費用対効率的にもちょうどよかったんじゃないでしょうか。
 大きくなればまとまりにくくなりますし、中心からズレていくこともございましょう。
 容量が大きくなればいいとは限らないものでございます。
 
 
 さて、まぁ、それはそれとしてでございます。
  
 そのことを抜きにしても、この話には、
設定もしくその説明にどうも欠点があるようにわたくしは感じました。
 
 忌火起草は、
 
 それを飲めば、至高の体験が得られる。
 心霊スポットで飲めば、さらに効果があがる。
 幽霊が見える。
 
 のだそうでございますが、これがどうもよく分からないのでございます。
 幽霊が見えることが、至高の体験なの?
 なにか、この説明ではどうも飲みたい気がしないのでございますが……。
 
 それに、至高の体験についての具体的な描写もないんですよねぇ。
 これらのことを吹聴しているのが、中森健吾さんだけでございますし……。
 ほかの人も飲んだみたいなんですけれど、
どんな体験だったかあまり聞こえてこない……。
 健吾さんにしたところで、「すっごい効く」とか「パーッと楽しくなる」とか
言っているだけで、なんか具体的じゃないんですよね。
 
 それにこうしたドラッグの類いは常習性があるものですが、
それもあまり描かれていないような気が……。
 
 
 特にかわいそうなのは、主人公の牧村弘樹さん。
 知らずのうちにビジョンを飲まされたのに、
いい思いはまったくしていないのでございますもの!! 
 
 爪が徐々に黒く染まっていったり、悪夢を見たりと、
 悪い方の効果は発現するのに、それを飲みたくなるような描写は、一瞬たりとてない。
 
 ホラーだから、
理不尽に降りかかる不幸な部分だけを描けばいいということかもしれませんが、
最初のリアリティがないとあとの話も真に迫っては来ないように思うのでございますが……。
 
 あるいは、複数で書くものなので、最初の設定は薄くして、
あとは各分岐を手がける方に期待したのかもしれませんが、
だとすればそれが悪い方向に働いたという感がございます。
 
 
 さらに、忌火起草最大の特徴である発火現象。
 これがよく分かりません。
 何しろ、何の説明もございませんもの。
 ホラーですから科学的な説明は必要ございませんが、
だからこそ、因縁めいたものは必要でございますよねぇ。
 開発者の情念とか、何か――。
 でないと、発火などという大きな効果に、
どうも納得性がないように思うのでございます。
 もしかすると、
察しろ、分かれということなのかもしれませんが、
こういうことははっきりと書かれていないと分からないものでございます。
 
 おそらくイメージが先行したのでございましょうな。
 画面上の派手さを狙っての炎上なのではございませんでしょうか。
 
 説明なしでもそれにノレる人はノレるかもしれませんが、
そこにいたる今まで書いたようなことで引っかかりを感じたせいか、
炎上が、どうにも唐突に感じられてしまったのでございます。。
 
 というわけで、個人的にはノレませんでしたが、
書いている人たちが書いている人たちですから、
きちんと面白いものにはなっております。
 
 亜美編には、だれがそれをやったかという興味もございます
(ただし読者に推理させる趣向にはなっていない)し、
奇編の愛美ではなく香織エンドというのは、
ちょっとネットで調べたかぎりでは、この本オリジナルの展開じゃないかな?
 
 いずれにせよ、先ほども書いたとおり、
この1冊で必要十分にまとまっている作品だとわたくしは存じます。

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フローチャートはこんな感じです。
 
狂瀾怒濤 フローチャート
 
               『狂瀾怒濤』フローチャート 

 
 図のうち、色のついていないところは戦いの場面。

 色のついているもののうち、黄色15,26,18,23)はそれとはの部分で、
見てお分かりのとおりループしています。
 
 21,22)は一時的な和解
 
 29,30)がエンディング
 
 全体として無方向移動型だが流れのあるタイプ、といっていいでしょう。
 
 選択によっては数パラグラフでエンディングに達してしまう場合もありますが、
 基本的に
 
脈絡もなく延々と戦い、
時に目先を変えて他の場所へ行ったりしているうちに
和解が生じるも、
結局全員で戦うことになり
エンディングに突入する、
 
という構成になっています。
 
 選択肢の意味については、微妙

 戦闘では気に入らないという選択を選ぶとキャラクターが入れ替わったりしますが、
展開がさして変わるものでもありません。
 
 でも何か意味ありげ。
 
 特に、最後の選択はそうです。
 
 27では、「ロマンティックな結末を望む」 →30
     「皮肉な結末のほうが好み」   →29
     
 28では、「リアリスティックな結末を望む」→30
     「とんでもない結末がいい」   →29
 
 と、正反対もしくは全然別の選択肢が、同じ結末へと向かっています。
 
 こうしたナンセンスで意味ありげな部分が、
この作品の文章としての魅力になっているように思われます。
 
 分岐型にした意味も、そこにあるといっていいでしょう。

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『狂瀾怒濤 
  あるいは、ブラックドール騒動』狂瀾怒濤
 
エドワード・ゴーリー:著
 柴田元幸:訳 
         (河出書房新社/2019/10)
 
"THE RAGING TIDE:or,The Black Doll's Imbroglio"
by Edward Gorey(1987)

  
ナンセンスな大人向けの絵本作家として知られるエドワード・ゴーリー分岐型絵本
 
ソデには
「最も優れた『早く続きを読みたくなる面白い本』に挑戦した1冊」とある。
1987年の作だそうだ。
となると、ゲームブック以降の作品ということになるが……。
 

 背景には雲が流れ、
絨毯が敷かれたような模様のある床のうえには
大道具として指の彫像が立ち、あるいは転がり、あるいは折れている。
 

  そんな舞台のうえで、狂瀾怒濤のキャラクター 
 
  スクランプ
  ナイーター
  フーグリブー
  フィグバッシュ
 
  という4体の
  落描きのようなキャラクターが、
  羽根ばたきやクッキーの抜き型、
  濡れたお茶の葉など、
  そこら辺にありそうなものを手に、
  延々と戦い続ける……。
  
  そんなシュールな内容だ。
 
 
 主人公は「キミ」ではない
  
 レーモン・クノーの「あなたまかせのお話」と同じで、
 読者はあくまで読者の立場にとどまる。
  
 選択肢は「このおはなしが気に入ったなら○○へ」といった具合に、
その話をどう感じたかによって進むのだ。

 気に入らなかった場合は、キャラクターの1人が入れ替わったりするが、
普通にページをめくっていたら気がつかない程度だ。
戦いの流れに段取りがあるわけでもなく、
選択肢を無視してランダムにページを開いても、大して違いはないだろう。
 
 絵の雰囲気に負うところが大きいが、全体的にトーンは暗い。
 
 途中、戦闘とは関係ない「脱線」も存在するが、
館に行けば公開日ではなく、庭園に行けば虫の破壊を受けていたりと、
明るい方へは向かわない。 
 
 ラスト近くには和解の場面もあるが、そこで食べるものと言えば、
プルーンのワイン煮か、カブの水煮――タイトル下の引用(実は作者の筆)だが、
どちらもぐしゅんとした感じで、なんとも開放感が無い……。
そして和解は長くは続かず、すぐに戦いは再開され……。
 
 そのあとに待っているのは、生にせよ死にせよ、救いのないエンディング。
 閉塞感のある作品だ。

狂瀾怒濤 あるいは、ブラックドール騒動』というタイトルについて、訳者は
「表紙においてのみ」見られ「解説めいたことはおよそ不可能」と書いているが、
おそらく、この表紙の絵こそが果てしない戦いの発端ということなのではないだろうか。
 
 ただし、それがどうなってキャラクターたちが戦いつづけることになったのかは、
読者の想像にまかされている。
 
 そう考えてみると、2つあるエンディングは真のエンディングではなく、
裏表紙の絵こそ、本当のおしまいだということになる。
 
 嬉々としてにしろ、みじめににしろ、最終的には裏表紙のイラストへと行き着くのだ。
 

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2020/01/22 「ウォーロック・マガジン」vol.6「はじめてのAFF」p.060-
 
重箱の隅が申しますと、
モンスター誕生』では、「君」に他者の言葉があのように聞こえるわけですな。
ですから、他の人が普通にしゃべっている状態で「君」が話す場合には、
逆にずらすのが正しいかと……。
まぁ、誰もそのようなことを気にしていないところでそのようなことを申すのは、
要らぬ口ではございますが。

 
 
2020/01/23 シックスパックがいるのなら、
テンガロンっていう岩悪魔もいるよね、きっと。
たぶんホントに10ガロン(約37.85リットル)入るカウボーイハットかぶっていて、
陽気で大げさなんだろうなぁ。飛び道具持っているんだろうなぁ。
 
 
 

2020/01/26 折原一『七つの棺』(創元推理文庫/1992/11)。
不可能状況と見える殺人に、
密室を愛するがゆえに出世がおぼつかない黒星光警部が挑むのだが……。
異常心理ものや叙述トリックが好みと作者が後書きで書いているとおり、
いわゆる本格推理ものを期待して読んだら、当てが外れた。
犯人がしかける巧緻なトリックというものは少なく、偶然が関与するものも多い。
密室ものではあるのだけれど、密室としての興味で読まない方がいいような……。
 
 
 
 
2020/01/28 『たったひとりのサバイバルゲーム 極寒の雪山を脱出せよ』
この間買ってきて奥付を見たら、5刷でした。
 
おおっ、ゲームブック売れているんだ
 
ただ……。
その5刷の日付が、2019/1/25、去年なのですよねぇ。
今年だと思ったら――。
 
ちょっとびみょーだなぁ。
 
 
 
2020/01/31 そんなこんなで令和2年も始まりました。
うーん、忍者ブログがお休みしていたときも、
書こうとしたことはあったのでございますが、忘れちゃったなぁ。

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2020/01/17 バビロニア人は、三平方の定理を知っていたのだとか。
となると、ピタゴラスの定理とは言えない? 
 
西洋中心の世界史にはままあることでございます。
 ……。
 
ドルアーガの塔にも三平方の定理が用いられていたのかなぁ?
 
 
 
2020/01/18 バビロニア人は、60進法を使っていたそうでございますな。
 なんか面倒くさそう。
 ですが、使っている人にはあたりまえなのでしょうし、
そんな位取りを使っているからこそ数学が発展したのかもしれませんな。
 
 ドルアーガの塔が60階なのも、そのためなのでございましょう。
 
 
 
2020/01/19 「ウォーロックマガジン vol.6」p.037には、
 
二十面体ダイスで四面体・六面体・八面体・十面体ダイスの出目を代用する方法が
コラムとなっておりましたが、
二十面体ダイスを持っている人ならば
六面体ダイスはどこにでも転がっておりましょうから、

この2つですべてのダイスを表現する方が現実的ではないかと思います。
 
 そうなると問題は八面体。
ですがこれは、二十面体の出目を5で割って1~4を出し、
六面体ダイスの出目が1~3だったらそのまま、
          4~6だったら5~8とすればよろしいかと。
 
そのほうが二十面体ひとつでがんばるよりも自然でございましょう。
 
 60進数約数の多さが特徴だそうで。
ですからバビロニア人はこういう計算がお手のものだったのでございましょうな。
D&D制作者の遠い祖先か前世はバビロニア人だったのかも?
 ドルアーガの塔はD&Dの影響を受けているようでございますから、
もしかするとつながっている?

 
 
2020/01/20 サイコロが1つもなかったとしたら、
アナログの時計を使うというのも手でございますな。
 
数字を決める際は、目をつぶって「止まれ」というのですな。
 
で、そのときの秒針の位置でガイドが出目を決めると。
 
d4なら 3,6,9,12 の近い位置、
d6も 2,4,6,8,10,12 に1~6を当てはめて。
 d8は八方位の近いところ、
d12はそのまま1~12で。
で、d10に関しましては分目盛りを10分ごと、
d20は20分ごとという感じでよろしいのではないでしょうか。
(d4,d6,d12は、たとえぱd4なら12~3の間を1とするという方法でもよろしいですな。
   お好きなように)
 
 微妙なところはガイド判断で。
迷う場合は0.5を採用しても問題ございませんでしょう。

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なぞのまとめ令和2年正月
 
2020/01/01 
  

 
 ♪ そ~らをじゆうにとびたいな~ ♪
 
 
      はいっ 航空法違反~!!
 
 

2020/01/01 普通良い夢といわれるのは、宝船の夢で、
そのほか〈一富士、二鷹、三茄子(なすび)〉などのように富士の夢は一般的に吉兆。
これに似たものとして、高山に登る夢、天や雲に寝る夢も吉兆。
蛇・鯉・猿・熊・馬など、神の使者といわれる動物の夢もまた吉兆。
たとえば「蛇の夢をみると金持ちになる」などという。
 また、人の死や死人の笑う夢は、長寿・福運のしるしとされ、
火事・葬式・白髪になるなど、現実では不吉な事がらを吉兆とすることもある。
 
(『日本を知る小事典 4信仰・年中行事
  (社会思想社・現代教養文庫(1980/3)「占い・呪い」石原綏代 p.278)
 
 
 
2020/01/02 漢字の子にはネズミの意味はなく、
丑の字にウシの意味があるわけではなかった。
十干・十二支は日と月とを数える順序数詞にすぎなかったのである。
それに十二獣の呼び名を与えたために(……)、性格判断がおこなわれるようになった。
 
(『日本を知る小事典 4信仰・年中行事
   (社会思想社・現代教養文庫(1980/3)「暦と年中行事」大森志郎 p.225)
 
 

2020/01/05 2019/12/22キノコの森は食べ盛り。」の記事に書いた
マタング」に関するメモが見つかりました。
絶対見つからないと思っていたのですが、
紛失する前にワープロに移しておいたみたい。
ただし、出典は分からずじまいにございます。
 

 当該記事にも追記しておきますが、ミクロネシアの話でございました。
マタングは精霊そのものではなく、精霊たちが住んでいる場所だったみたい。
間違って覚えていたなぁ……。
 
 

2020/01/11 なぞのまとめ 2019/12/12-13 あたりで
ドン・キホーテのことについてちょっと書きましたが、
彼の出身である「ラ・マンチャ」の「マンチャ」というのは、
しみ・汚点・不名誉」という意味なのだそうでございます。
カイヨワの「遊びと人間」のどこかに載っておりました。
 
とすると、「ラ・マンチャの男」というのは、
不名誉な、あるいは汚名の男ということになりましょうか。
 
 イギリスの昔話には、ゴッサムという愚か者の村が出てまいりますが、
そのたぐいでございますな。
 
 
2020/01/12 『「ソウナンですか」に学ぶ、
        ゲームブック式 生死を分ける最強のサバイバル術』
冒険企画局(齋藤高吉・平野累次):著 
岡本健太郎 さがら梨々:原作(星海新書/2019/9)には、
 
人は水なしでは3日、食料なしでは3週間しか生きられないとございましたが、
その傍証たる文章が、
日本の書物紀田順一郎(新潮文庫/昭和54年8月)の
北槎聞略(ほくさぶんりゃく)』を紹介した文章の冒頭にございました(p.352)。
 
それによりますと、
昭和40年、南太平洋のサモア付近で遭難したマグロ漁船「第十一日進丸」の乗組員15人が、
1日50ccの水だけで荒波と12日間戦い、かろうじて生還したのだとか。
このあたりが限界記録だろうとおっしゃっております。
 
 ちなみに、体力を使わない寝たきりの状態ですと、
40日前後と経験的にいわれているそうでございます。
 
 
 
2020/01/13 『さすがの猿飛 G 4』細野不二彦
(小学館 HCヒーローズコミックス/2019/10)読了。
完結巻
G(グローバル)と題するからにはもっと海外での活躍を期待したが、
学園内の話にとどまった。
が、ラストはしっかりとまとめてくる。
 

「忍術の基本はつねに敵の意表をつくこと」と、
最初のほうの小太郎のセリフにあるとおり、気にもとめないような設定が要となってくる。
 
 SFや推理の要素もあり、テーマ性もある。
ただ、細野先生の作品としては、もっと上を期待してしまう。
 
 真・神風の術は、輪をかけてトンデモだなぁ。
 とはいえフィクションの忍法では、このぐらい普通ではあるけれど。
 
 あとやっぱり、p.204の一コマ目。誰が誰だかしっかり分かるところがいいよね。
 
 
 
2020/01/15 三本の矢の話って、イソップの寓話にも同じような話があるのですよねぇ。
毛利元就さんが『エソポのハブラス』を読んだ可能性は時代的にないので、
どういうことなのだろうと思っていたのでございますが、
『イソップ寓話集』の解説を読んでみましたところ、
類話は6世紀や7世紀の中国の本にも
吐谷渾の王阿豺(あさい)の故事として知られていたとか(ただし、矢は20本)。
 
 毛利元就さんは「三子教訓状」なるものを遺されておりますが、
三本の矢の話どおりのことはなかったみたい。
 
 いずれにいたしましても、後世の創作という気がいたしますな。
 
 (参考:『イソップ寓話集』中務哲朗訳(岩波文庫/1999/3)

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ちなみに、動物を描くのに使っているのは、タミヤ超極細面相筆でございます。
 以前、『ロストロイヤル』の地図を描いたときに初めて使いました。
 ちょうど丸ペンがへたっていて、
ピグマもいい感じに細い線が出るのがなかったので、
どうしたものかと思い、試しに使ってみたところ、これが正解だったという。
 
 とにかく毛一本の曲線が描けるところがうれしい。
ちょっと癖があり、カーブでは膨らんだりいたしますが、
さしたる問題ではございません。
 長い線や直線は苦手でございますが、短い複雑なカーブとか、
まさに動物の毛並みとかを描くのには向いているのでございます。
 
 たとえ印刷にでないとしても関係ないのだ。
 
 
 それに、比較的手入れが楽なような気がいたします。
模型用でございますから、薄め液でも洗えますし。
 タミヤだから、入手もそれほど難しいことはないんじゃないかな?
 
 結局、模型を塗るためには使っておりません。
 フィギュアは付属していても作らないし、
塗装する場合は、ランナーごとスプレー吹くぐらいだものなぁ。
 
 まあ、それはそれといたしまして、
 
 ただ、こういう筆って、ついているキャップがたいていヤワで、
それをなくしてしまったりつぶしてしまって、
筆をボロボロにしてしまうことがしょっちゅうあるのでございますな。
この筆も、1200円ぐらいするのですが、もう4~5本、おシャカにしております。
 
 そうしないためにはどうしたものかと思っていたのでございますが、
けっこう安上がりな解決を近ごろ思いつきました。
 
 100円ショップで鉛筆のキャップを買ってきて、試したのでございますが、
そのままではブカブカでうまくはまいりません。
でも、ヤワなキャップの上からそのキャップをかぶせれば、
ちょうどうまく収まるのでございます。
 

 さて、そんなわけで今回の絵。
 
パグマイア イヌさんとネズミさん
 

Role&ROLLvol.183読者欄に載せていただいた、
vol.181の「パグマイア・ソロアドベンチャー キノコを探して
のパラグラフ27を題材にした絵でございます。
 
 このソロアドベンチャー、プレイヤーが遊びやすいように
管理する能力値が極力抑えられているのがうれしいですな。
 
 ゲームブックはプレイヤーがすべてをやらなければならないので、
こういう負担を減らす試みは大歓迎でございます。
 
 絵のほうは、どのぐらいまで人間に近づけようかと、
少しは考えたのでございます。
 特にネズミさんのほうは。
 
 でもやっぱりこんな感じで。
 
 図書館で借りてきたネズミの飼育に関する本を参考に描いたのでございますが、
1月2日のブログにも書きましたとおり、
ネズミには
MOUSE(ハツカネズミ)系とRAT(ドブネズミ)系がいるらしいんですよね。
そこら辺、本では分けて説明されているのでございますが、
特にどちらか説明のないところもしばしば……。
また、それ以外のネズミの仲間も混ざっていたりいたします。
 
 そんな中から、RAT系とおぼしき写真を探し出して参考にしたのでございますが、
ペットのネズミは、やはりちょっとかあいらしすぎる。
 
 野生のネズミには似合いませんな。
 
 ネズミと申しますれば、やはり特徴的なのはシッポ
 キャラクター化されたネズミの中には、強調されていないものもございますが、
活かしてやらずばなりません。
 このゲームブックの作者も
そんなこと考えていなさそうでございますからには、特に――。
 
 んなわけで、シッポは通常以上に長くし、カバンをひったくるという、
このパラグラフの重要な役割を負わせてあげた次第でございます。

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2020/01/14 「ウォーロック・マガジンvol.6」買ってきました。
 
ウォーロックマガジンvol.6
  
 そのあと、駿河屋静岡呉服町店に行き、
ファイティング・ファンタジー『さまよえる宇宙船』を
買おうと思ったのでございますが、売れてしまっておりました。
 
 先月行ったときはあったのでございますけれどねぇ。
 
 持っているからいいのでございますけどね。
  
 わたくしが持っておりますものは人からもらったもので、
 ハンコなんかが押されていたりしますし……。
 
 先月見かけたのは、オビもついておりましたからな。
 ちょっと食指が動いたのでございます。
 衝動買いをあまりしない性格が災いいたしました。
 
 まぁ、
この作品を知る方が1人増えたことに期待をして
よしといたしましょう(そうでない可能性もございますが)。
 
 それにしても、ゲームブックの値段は落ち着いてきましたな。
他にもFFシリーズございましたが、1000円内外でございましたもの。
双葉文庫の『ウィザードリィ女王の受難』は6000円でございましたが。
 
 駿河屋の値段の付けかたっていい加減!! 
と言いたいところではございますが、
状況にこまめに対応しているのでございましょう。


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2020/01/14 ゲームブッククイズ(146)
 
 下は『暗黒城の魔術師』のオビに書かれた惹句です。
 空白部分に正しい言葉を入れなさい。
 
ドラゴンファンタジー・オビ

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 もうひとつ、年賀状のネタとして考えていたのが、これ。
 
ハナアルキ 
 
 鼻行類はもちろんネズミの仲間ではございませんが、なんかネズミっぽいということで。
 
 絵は、Nasobema lylicum
 
クリスティアン・モルゲンシュテルン(CHRISTIAN MORGENSTERN)氏が、
その詩で言及しているという、
モルゲンシュテルン・オオナゾベームでございます。
 
 現地の言葉でホーナタタ(Honatata)。
4本の鼻を使って歩く、鼻行類を代表するものでございますな。
 
 それにしても、
1957年あたりの核実験の影響によるハイアイアイ群島の崩壊で、
これらのほ乳類はおろか、
それを研究していた方々や原住民の方まで全滅してしまったということは、
残念に他なりません。
 
 
 第五福竜丸の被爆やゴジラの出現 (ともに1949(昭和29)年)など、
当時はビキニ環礁などでの核実験が問題となっていた時代でございますからなぁ。
 
 
 鼻行類

(『鼻行類 新しく発見された哺乳類の構造と生活』
 ハラルト・シュテンプケ:著
 日高敏隆/羽田節子:訳
 思索社/昭和62年4月)
  

☆ 鼻行類についてまったくご存じのない方は、
  この書をお読みになったり、

  他のかたのお書きになったものを参考になさったりして
  いただくとよろしいかと存じます。

 

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謹賀新年
 
 
 というわけで、賀正でございます。
 小判とか、打ち出の小槌とか添えようとも思ったのでございますが、
あれこれ考えているうちに、結局なしになってしまいました。
 実はこの前にもう1枚描いたのでございますが、スキャンしたらぼやんとした
はっきりしないものになってしまいましてねぇ。
 
 白ネズミを意識するあまり、色を薄くしすぎたのでございますな。
 この絵も実は、明瞭度を上げております。
 
 ところで、英語のMOUSEはハツカネズミを原種としたもの、
RATがドブネズミを原種としたものを言うのだそうでございますな。
 
 ドブネズミ系と申しますと聞こえが悪うございますが、
ペットとして取り扱われているものは、別に汚いわけではないのでございまして……。


 ちなみに、日本でシロネズミ、ダイコクネズミと呼ばれるのは、
ドブネズミのアルビノだそうでございます。


 
 



 

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なぞのまとめ 令和元年12月
 
2019/12/01 魔方陣は中央に5が入っているのが定形であるが、九星占い 
三列三段の配列をおしつぶして、5をかこんで八角形にならべる。
そして、
その九つの数字に、陰陽と五行をひっつけて、
五つの色、五つの惑星を配当し、
星の数がたりないので、日曜星・月曜星を加えて
七曜(日月火水木金土)とし、
さらに羅ごう(日偏に侯)星・計都星という二つの星をでっちあげて、
この九つの星が人間の運命を支配するものとした。
 
(『日本を知る小事典 4信仰・年中行事』
(社会思想社・現代教養文庫(1980/3)「暦と年中行事」
  大森志郎 p.244)
 
☆ つまり九星占いというのは、
  魔方陣占いということでございますな。
 

 
 

2019/12/04
 「モデルグラフィックス」の今(2020年1月)号特集タイトルは
一年戦争のときガンダムって何機いた?
模型雑誌だからそういうテーマになるんだろうけれど、
連邦軍がGMとボールで乗り切ったことを考えると、
せいぜい画面に出て来たのとあとはGアーマーのテスト用ぐらいで、
バリエーションとかはないんじゃないかなぁ。
 
テム博士は天才だけどマッドサイエンティストとして疎んじられていたんだと思う。
それで、極秘テストの名目でサイドセブンなんていう建造中の辺境に
体よく追い払われたんでしょう。
 
 
 

2019/12/05 テム博士としては、Gアーマーを大量生産して飛ばし、
戦場でガンダムやGファイターやGブルに変形し臨機応変に対応する、
そうすればどんな戦場でもどんな戦況でも柔軟に対応できるだろう。
 
どこかのパーツが壊れたら、別のパーツと合体すれば、戦闘が継続できる。
 
作戦に応じて、ガンダムの代わりに別のユニットをつければ、
爆撃や兵員輸送など、あらゆることに対応できるだろう、ぐらいまで考えていたと思う。
 
そんな計画を持っていたんじゃないのかなぁ。
 
Gアーマー万能最強説。
 
 ガンタンク・ガンキャノン・ガンダムの3機は、
そうしたGアーマーを見据えた設計なんだと思う。
 
 二足歩行がむずかしいからキャタピラで、機動性に劣るから長距離砲をということも
あったかもしれないけど、
テム博士の頭のなかではそれはささいな問題だったんではないだろうか。
 
 結局、テム博士が行方不明になったことは、
科学者だちがどう思っていたかはともかくとして、
連邦軍の首脳陣にとっては内心ありがたいことだったのだと思う。
 テム博士って、自分の主張を曲げなそうだし、
Gアーマーなんて生産にも維持にもお金かかりそうだし、
高性能の万能兵器で敵を圧倒という発想が、
マッドサイエンティストの妄想。
 
戦時中の少年雑誌に載っていそうな机上の空論っぽい。
 
 
 
2019/12/06 テム博士は、生まれる場所を間違えたのかもしれない。
ジオンのほうがこういうトンデモ兵器は受け入れられそうだ。
ジオン側だったらGファイターに乗りながら、
ガンダムをサイコミュで遠隔操作するなんてことを研究していたかも? 
ガンダムXのGビットというよりもバラタックになりそうだけど。
 
 技術的にどうかは知らないけれど、博士としたら
ZZガンダムのハイ・メガ・キャノンもつけたかったんじゃないだろうか? 
Gアーマーの設計からして、
絶対に「日輪の力を借りて、今必殺の……!」をやりたかったに違いない。
 
 ジオン側なら、アムロもニュータイプとして早くから認められていただろう。
シャアやララァとはどういう関係になっていたんだろうか?
 
 
 
 
2019/12/06 ニューカレドニアにいくと、
面がふたたび宗教的様相を帯びるのがみられる。
それはあるきまった神話を表わす単独の彫刻作品なのであり、
もはや無名の先祖の集団を表現するものではない。それは神なのだ。
 ピジェヴァ(Pijeva)と呼ばれ明るい肌と身体中に散らばった眼をもち、
水中の彼らの国で死者の踊りの音頭を取る神なのだ。
 その神は河口の濁った水の中ではサメとなって泳ぎまわり、
陸地では蜥蜴の姿を借り、滝壺では表面に浮き上がろうとする水泡のかたちをとる。
 それ以外のときはまさに
その面をかぶり、網状の上着をきこみ、羽毛でかざりたてた人物として
現れるというわけである。
 人は彼をゴマウェ(Gomawe)とよび、それを上述のものと同じ神と認めている。
 
 また、同じ神がウルプウェ(Urupwe)という名で
真珠製の貨幣の制作と保存を司るのだが、
この種の貨幣はまさに各氏族の財宝となっているのである。
 
 (『人類の美術 南太平洋美術』ジャン・ギアール 岩崎力訳 新潮社)
 
 ごまえー
 
 
 
 

2019/12/08 p.89 重要なのは、
クライアントのトップの人間と直接話が出来る関係を作ることだね。
何が望まれているかを正確に把握すること。
あいだにたくさんの人間が入って意思疎通が不自由になるのを防げば、いいものができる。
 
p.90 どんなものでも
ーー自動車でもコーヒーメーカーでもテープレコーダーでもーー
正しくデザインするためには、
その製品の背後にあるストーリーを発見しなければならない。
SFマガジン1999/6 No.516 「SFインターセクション」第十九回 
 シド・ミード インタビュアー:大森望)
 
 これって∀ガンダム(1999)のこと?
 
 
 
 
2019/12/09 メルカトルなどの古い地図では
アフガニスタンから北氷洋にいたる山脈が描かれており、
これをイマウス山脈と名づけている。
ヒマラヤ山脈を指していたのかもしれない。
(『失楽園』ミルトン 平井正穂訳 講談社世界文学全集10  p.118  l.432
 
 
 
 

2019/12/10 ゾフィーエル この名は「神の斥候」の意。
こういう名の天使も人間も聖書には出てこない。
昔の天使学者の中には、
智天使の長としてゾフィーエルを挙げていたものがあったそうである。
(『失楽園』ミルトン 平井正穂訳 講談社世界文学全集10  p.257  l.536
 
 
 
 
 

2019/12/11 確かにアフリカ諸地方で奴隷は一般に知られた制度であった。
しかし奴隷には2つの側面があったことを忘れてはならない。
すなわち伝統社会内の制度としての奴隷と、
サハラ交易そしてその後のギニア沿岸交易などのごとく外部との接触によって
商品に転化した奴隷である。
 
 前者はある意味では潜在的人格を認められていた。
 すなわち犯罪者の係累あるいは捕虜が一時法的人格を剥奪されるかした場合である。
彼らの子孫あるいは彼ら自身を奴隷として、一時的人格不在の時期を経た後、
結婚または何らかの儀礼的手続きを経て、
種族成員権を獲得することは不可能ではなかった。
 
 アフリカの諸地方の首長がたやすく奴隷供給者に転化したのも、
彼らにこのような奴隷に対する観念があったからかもしれない
(『大航海叢書Ⅱ アズララ・カダモスト 西アフリカ航海の記録
  川島英昭・河田順造・長南実・山口昌男 岩波書店 p.565 注 (4)
 
 
 

2019/12/12 「風車の一撃」というのは、
頭が風車の長い羽根にあたったため馬鹿になるという成句なのである。
(中略)
風車を回す」というのは単なる遊戯ではなく、16~17世紀ヨーロッパでは
阿呆や愚者あるいは空想などの寓意とみなされていたのだった。
 しかし他方、
風車は気まぐれな考え、奇想、夢想の計画という意味で使われることもあった。
 
セルバンテスの『ドン・キホーテ』の英訳(1612年)をシェルトンは、
主人公が風車を見て巨人と思い込み、猛然と攻撃をしかける段(第一部一章八節)で、
 
「それらは風車以外の何ものでもなかった。
 何人もそれとは別のものとは考えなかっただろう。
 ただし頭の中に風車をもっているのではないかぎり」
 unless he had also windmills in his brains と訳している。
 
ブリューゲル『子供の遊戯』…… p.235
 
 
 
2019/12/13 ドン・キホーテのような人間になりたい、なんていう人がいるけど、
原作読んでいるのかなぁ。
 あれって中世の人形劇とかの伝統で、
ドン・キホーテが馬鹿なことをやって、けっこうヒドい目にあうって話なんだけど。
 
 (「なぞのまとめ」2020/01/11につづく) 
 
 
 
2019/12/14 マリアタイアのヨセフ イエスの隠れた弟子。金持ちで地位の高い議員。
(のちの伝説では)イギリスに派遣されたともいわれ、
十字架上のイエスの体から流れる血を最後の晩餐の時に使われた杯におさめ、
この杯がその後イギリスにわたって聖杯伝説の<聖杯>になったという伝説もある。
(?『黄金伝説2』前田敬作・西田武訳 人文書院  p.37(9)
 
 
 
 

2019/12/15  マーリン あの人は悪魔か精霊に近いおかたで、
ありとあらゆる技術、学問、秘学、神秘、発見なんかに通じている降霊術師で、
魔法使いで呪術師だ。
小妖精(エルフ)や妖精(フェアリー)たちの友達で
小鬼(ゴブリン)の頭で、夜の不思議の産みの親だ。
自然の秘奥をあかし、子供の誕生を予知することが出来るおかただ。
(中略)
マーリンは枯れ苔におおわれたオークの枯れ木の幹のうろの中にいて
(他に家がなかったからだが)ぶつぶつと呪文をとなえながら
黒檀の杖でなにやら文字を書いていた(……)。
『英語原典による昔話と童話(1)
  オービー夫妻編著 神宮輝夫訳 草思社 「親指トム物語p.13
 
 
 
 
 

2019/12/22 石ノ森章太郎先生の『変身忍者嵐』の敵幹部
骨餓身丸(ほねがみまる)の名前の由来となったと思われる、
野坂昭如先生の「骨餓身峠死人葛」を、図書館でこの作品のみ読む。
台詞は九州訛り、地の文もゴリゴリした文体で読みにくい。が、迫力がある。
死人を養分にして美しく咲く死人葛(ホトケカズラ)を狂言回しに、
社会の最下層で生きる炭鉱労働者を描く。
そのすさまじさは、原作『~嵐』のラストにも影響を与えているように思う。
 

 
 
 
2019/12/24 うれしいよね。イカスよね。少女たちにしあわせあれ!! 
というわけで、クリスマスには、
TOM☆CATの「LADY BLUE II ~クリスマス・ソング~」
などはいかがでございましょう!

 
 
 
 
2019/12/25 昔、『仮面ライダー』ってアニメにすれば面白いんじゃないかって
言った友達がおりまして、
そのときはピンとこなかったですが、
原作の持つスマートさや疾走感は
トクサツでは表現できないという意味でございましょう。
今ならCGでございましょうか。
仮面ライダー対スパイダーマンとか見てみたいなぁ。
直線的なジャンプと、曲線的なロープアクションのビルの谷間での対決。
けっこうイケるんじゃないかなぁ。
 
 
2019/12/26 スカルマン対バットマンなんていうのも面白そうだなぁ。
両方とも夜の住人だし、ストーリー的な親和性も高い。
両親を二人とも殺されていて……、なんか似てるなぁ。
バットマンを彼には非のない千里虎月ポジション(傘下の研究所の失態とか)
にしてもいいけど、純粋に事件を追う立場のほうがいいんじゃないかな。
(あっ、もちろん『スカルマン』は石ノ森章太郎先生のマンガ版で)
 
 
 
2019/12/28 『けっこう仮面』が『月光仮面』、
まぼろしパンティ』が『まぼろし探偵』だとすると、
キューティハニー』は『ダーティハリー』のもじりなのかなぁ?
 
 
 
2019/12/31 12/24に、TOM☆CATの「LADY BLUE II ~クリスマス・ソング~
を紹介いたしましたが、
今日はTOM☆CATの「目を閉じて」。
Please be my friend Through the life
年をまたいで聴きたい曲でございます。
 
 この時期のTOMの曲といたしましては、
久松史奈さん歌う「OH MY GOD!」なんかもいいですよねぇ。
 
「Tough Boy」や「~クリスマスソング」などでタフと言ってきた彼女が
「みんなそれほどタフじゃない」と歌っているあたりが素敵。

「テールランプ」~「愛の家」、「追い越しざまに」~「夜の気配」あたりが
ダイナミックな曲と相まって、寂寥感をいや増しに高めます。
 女性が歌っている歌なので、
口ずさむには最後の「彼を愛してる」など変えてやる必要がございます
(一番のラストと同じにすればよろしいでしょう)が、
冬の夜にピタリの曲でございます。
 
 
 同じく久松史奈さんが歌う「FOR MY FRIENDS」は、
うって変わって青空とさわやかな風が似合う曲。
自由で幸せな気分のとき、あるいはそうなりたいときのために、
あわせてこちらもお聴きになってみるとよろしゅうございましょう。
 
 
 というわけで、

来る年が皆々さまにとって幸多き年でございますように
 

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マタンゴか、マタン、マタングと呼ばれる精霊がいるんですよね。
 残念なことにずっと前にメモをなくしてしまったため
詳細は分からなかったのでございますが、

テキストファイルに書き写しておいたものを発見いたしました!!
 
 出典に関しては不明でございますが、こんな感じでございます。
 
 
 ギルバート諸島やエリス諸島の人々は、
海のはるかかなたのマタングというところに、
自分たちの神や祖先が住んでいると信じている。
そしてその祖先の皮膚の色は白いと考えられているので、
この島にヨーロッパ人が流れついたとき、
彼らはマタングの使者として暖かくむかえたのである。
 
 
 ギルバート諸島やエリス諸島でございますから、
ミクロネシアの島々でございますな。
 
 記憶違いをしておりましたが、
 マタングは精霊そのものではなくて、
蓬莱島やニライカナイやアバロンのような祖霊神の棲む地のようでございます。
 
 
 ウィキペディアによりますと、
1963年東宝の『マタンゴ』に登場する同名のキノコの名前は、
ツチグリというキノコの東北での別名ママダンゴから採られたと
書かれておりますが、
 
この精霊……じゃなかった、精霊の地の名前も関係あるのでは? 
と個人的には思っております。
  
  
 ミクロネシアなら、第一次大戦後あたりから日本の統治下にございましたし、
体系的ではないようですが民族学的な調査・研究もおこなわれておりますからな。
 
 それに、映画制作者でしたら、戦争映画などを作る際に、
現地の文化について調べることもございましょう。
 
 そうした流れで、映画に関わった人のなかに、
この地をご存じだった方がいても不思議はないと思うのでございます。
 
 語源って、諸説あったりいたしますから、
 (発案者が、どうして思いついたか言わないとかありがち)
 公式以外にこういう説があってもよろしゅうございましょう。
 
 なんと申しましても、南洋の島の話でございますし。
 
 
 
 
 
 さてそういうわけで、
ROLL&ROLL」誌vol.182の読者欄に載せていただいたのは、
vol.180の「獸ノ森」「森の茸」に拠ったものでございます。
 
 

 茸の森
 
 
 
 記事が掲載されたのは、
『「ソウナンですか」に学ぶ、ゲームブック式 生死を分ける最強のサバイバル術』
冒険企画局(齋藤高吉・平野累次):著 岡本健太郎 さがら梨々:原作
(星海新書/2019/9)
と同じ頃でございましたから、
もしかするとついでにネタを思いついたんだったりして?
 
 とまぁ、それはそれといたしまして、
 
 この記事では、森の茸のビジュアルと効果に関して書いてあるのでございますが、
キノコになってしまう」というのがなかったな、と思って描いてみました。

 もともとは「獸ノ森」だったのでございますが、
獣たちも肉食草食関係なく茸を食べて茸になっちゃったり、
茸に養分を吸い取られて骨だけになっちゃったりしたのでございますな。 
(そうした骸骨をもっとわかりやすく描けばよがったのでございますが、
 あとで思いついたことでございましたのであまり見えやすくはなっておりませんが、
 探せば描いてございます)。
  
 で、などいなくなった『茸の森』に……。
 空を翔んでいる茸は、冬虫夏草的なものでございましょう。
 
 たき火の周りの人たちは、
キノコ人間で描こうかとも思ったのでございますが、
人間のままのほうがいいかとも迷ってシルエットに。
 
 いづれにせよ、キノコって形にしろテクスチャーにしろバリエーションがあって、
描いていて楽しいですよねぇ。
時間があれば、もっと構図とか考えたところでございますが……。

 

 BGMは、谷山浩子さんの「たんぽぽ食べて」あたりでございましょうか。
   この楽曲って、やっぱりますむらひろし先生のマンガあたりにインスパイアされているのかなぁ?

  
 
 
 
 ところで、
 vol.180の記事に関してでございますが、茸ビジュアル表
前半後半を分けて、サイコロを2度ふらせるようにしたほうが、
バリエーションが増えてよろしいのではございませんかと存じます。

その場合もちろん、11と12は
「ドロドロして」「黒い」、「粉末状で」「白い」と、
表現を前後ぎゃくにしてやる必要がございますが。
 
「シメジに似ているが」「大きい」とか、
「マツタケに似ているが」「無臭」な茸があっても良ござんすものね。
 
「ドロドロ」や「粉末」が「裂けない」というのは、
バラバラにならないという解釈にいたしましょう。
 

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ゲームブッククイズ(146)
 

詩的魔人が浴室で執筆していた、
事実にもとづく小説のタイトルは何?
 
ヒント:パイカル

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なぞのまとめ令和元年11月
 
2019/11/01 ニシムクサムライっていう言葉はいつ頃からあったんだろ?
 おさむらいさんが西を向くっていうんだから、西郷さんあたり? 
大の月・小の月が変化しないのは太陽暦のことだから、
それが採用された明治時代以降じゃないかと思うけど、もっと前のような気も……。
 
 ウィキペディアの「大小暦」の項目によりますと
天保8年(1837年)の大小暦を覚えるために作られた」のだそうでございます。
ただ太陰太陽暦での話でございますから、おそらくこの年だけの語呂合わせ……
なのでございましょう。
 
 
 
2019/11/03 ラジオで聞いたことですしうろ覚えですが、
葬儀が一般的になるのは平安末期から鎌倉時代ぐらいからみたい。
 
とっても身分の高い方は別ですし、悪霊を祓うことはございますものの、
神道では死は穢れとされておりますからな。
死体は山や河原、野辺に置かれ、平安京の町中にも転がっていることが
よくあったようでございます。
 死にそうな人は、生きているうちに家人の手で家の外に運び出されたり、
みずからの足で河原などにおもむいたのだとか。
 
 初期に葬式を行ったお坊さんはですから、
穢れがみずからに降りかかることを覚悟しつつ、
死体が死体が捨て置かれているのを見過ごしに出来ず、
お弔いをしたようでございます。
 
 
 
 
2019/11/04 (きのうの続き)
山や河原、野辺といったあたりは異界へ通じる場所でございますから、
遺骸をそこに運ぶというのは、日本的な弔いの心ではございます。
 ただ死は穢れでございますからな。
死体に触れたらそれなりの忌みや清めををしなければならないですし、
近しい人でなければそうしたことはしないでしょう。
結果、平安京の町中でも死体が転がっていたのだと存じます。
 
 ちなみに奈良時代の話でございますが『日本霊異記』第十二にも、
野ざらしのシャレコウベの話が出てまいります。
地面にあって人やけものに踏みつけられているそれを、
従者に命じて木の上に置いたら、
その従者が恩返しされたという報恩譚でございますが、
お坊さんが弔いの言葉をかけたりする描写は特にございませんでした。
 
 
 
 
2019/11/10 「『心中』は『』の字に通じて不届千万だから、
以後「相対死(あいたいじに)」という無粋な表現に改めると言いだしたのは、
かの大岡越前だという説がある」
(『日本の書物紀田順一郎
 (新潮文庫/昭和54年8月/愛の逃避行『曽根崎心中』p.266
そうでございます。
これって、大岡相(ただすけ)の「」の字を
そんなところで使われるのがいやだったんでしょうなぁ。
この説が正しいとすればの話でございますが。
 
 で「罰として心中死体をさらしものにしたところ、
見物人が蝟集(いしゅう)したので中止となってしまった」のだとか。
 江戸っ子の物見高さと申しますか、当時の娯楽の少なさと申しますか……。
さすがのお奉行さまも、それを見誤ったということでございましょうか。
 

 
 
2019/11/12 11/9。深夜たまたまTVをつけると、
南海キャンディーズのジャブジョブ」(静岡Daiichiテレビ
をやっておりました。
お仕事版「ネホリンパホリン」(NHK教育テレビ)みたいな番組でございますな。
 その日のテーマは「静岡のバーテンダー」。
バーでは1つ数万円もするようなグラスを使うことがあるそうでございます。
そのフチが少しかけただけで使い物にならなくなるため、乾杯は基本禁止。
 なのですが、強くそれをいえない雰囲気のときもあるようで……。
といって割れてもお客様に請求は出来ませんから、店の負担になります。
 髭男爵が流行ったときは戦々恐々としていたとか?
 

 
 
2019/11/13 流れ星が光っているのは、せいぜい五分の一秒
長いものでも一秒前後、ゆっくりしていても二秒は続かないのだとか。
ですから、3回願い事をすればかなうと言うけれどとても無理
その無理を可能に出来るのなら奇跡が起こってもふしぎじゃない、
ぐらいの意味なんじゃないか――。
言い回しは少し変えましたが、とのことでございます
(『科学なんでもQ&Aー天文学ー
 (社会思想社 現代教養文庫/1981/3))。
 
 うーん、2秒で3回はホント無理だなぁ。
気づいてからの反応速度とかもございますし……。
しかも、それが最長でございますし、ねぇ。
 
サイボーグ009ヨミ編のラスト の願いも……叶わないのか、なぁ……。
 
 
 

2019/11/14 「面白い」の語源は、神話時代までさかのぼるそうでございますな。
天岩戸に引きこもっていた天照大神さまがご尊顔をお見せになったときに、
まわりに集っていた神々のお顔が、その光に照らされてぱぁ~っと白く輝いた。
それが「面白」という言葉の始まりだとか。
 
古語拾遺』の説だそうでございます。
うーむ。……面白い。
 
 
 
 
2019/11/18 空に出現した奇妙なものは昔からいろいろとございますが、
新聞社が「空飛ぶ円盤」と命名したのが1947年。
UFOという言葉が米国空軍によって公式に使われたのが
1953年のことだそうでございます
 
(「月刊スターログ・日本版 №9 1979 JULY」ツルモトルーム
  p.94「UFO事件簿」J・アレン・ハイネック)。
 
 この記事の最初が第二次大戦中の"foo fighters"。
 いずれにしましても、
第二次世界大戦以前は、このような存在の認識はなかったということですな。
SFの普及や航空機の進化(=未確認の機械が飛んでいてもおかしくないという認識)、
マスコミの発達などが関係しているのでございましょうか。
 
 そういえば、ウェルズの『宇宙戦争』にも、
三足歩行型の兵器は出てきましたものの、空飛ぶ円盤は出てこなかったんじゃないかな?
 ジョージ・パルさんの1953年の映画宇宙戦争には出てまいりましたが。
 
 
 
 
2019/11/19 ものすごーく今さらですが『スタートレック』の映画第一作目(1979)で
ございますが……(ネタバレをすごく含みます)。
 
 創造主を探しに来た謎の物体ヴィージャー(V'GER)は、
実は300年前ブラックホールに吸いこまれたはずのヴォイジャー(VOYAGER)だった……。
ってことは、ヴィージャーは親(OYA)を探しに来たってこと?
 
 
 
 
2019/11/22 『テレビ小僧』を読み返していたら、
黄金バットが出てまいりましたので、
画像を、2018/06/18(『仮面ライダー』はなぜバッタ男か)に追加しておきました。
 
 
 
2019/11/23 ザクがシャア専用だったんじゃなくて、
シャアがザク専用だったんじゃないのかなぁ。
 
 
 
2019/11/24 ちなみに『ジュン』でございますが、
依頼されたのはギャグマンガだったそうでございますな。
「長いモノは描けないよ、じゃ、4、5ページのギャグマンガでも……、
 と言うようなやりとりがあっ」たのだとか。
 でも、ページが短いからギャグマンガではいかにもあたりまえ。
意欲的な雑誌にそれはそぐわないと、あのような詩的な作品になったそうで、
 実験的という意識はまったくないのだそうでございます。

 ただし、
 わかりやすさこそが最高の技術とされる現代マンガにおいて、
 受け手の感受性に委ねるこの作品が
「大衆受けするのは、詩と同様に遠い明日であろう」とは、
おっしゃっておられますな。
(参考:『石森章太郎・落書ノート』(小学館/昭和55年12月 p.116)。
 
 
 
 
2019/11/27 『サイボーグ009』ではオーストラリア人を選ばなかったものの、石ノ森先生は『大侵略』(1969)で、タスマニア王国なる国を登場させております。
 文明国の代表と会見するのですが、それと対比するようなキャラクターにしておりますな。
 電子書籍の試し読みでも、そこら辺はご覧いただけましょう。
 
 
 
 
2019/11/28 「ロックマン」が鉄腕アトムだとすると
      「ストリートファイターⅡ」はサイボーグ009かなぁ。
 
 
 
 
2019/11/29 小さいころは、
マンガのサブやモブキャラクターは決まった形があって、
みんなそれを使っているのだと思っておりました。
 
 手塚先生のキャラクターシステムと、
先生に影響を受けたマンガ家の方がそれに似た絵を描いていたこと、
それにこの『オバケのQ太郎』で、
石ノ森先生などがサブやモブ、ゲストキャラクターを請け負っていた
ためだと思われます。
 
 あと、当時読んでいたマンガは小学館の学習雑誌ぐらいで、
他はテレビアニメだったせいもあるような気がいたします。

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オバケのQ太郎藤子・F・不二雄大全集
『オバケのQ太郎』
1・4 
藤子・F・不二雄 
藤子不二雄(A)
(小学館/2009/7・2010/1)


石ノ森章太郎先生のファンとしては
外していけないのが、
少年サンデー版の『オバケのQ太郎
でございますよね。
 
 サブゲストキャラクターのいくつかを
先生が手がけていたことはご存じでしょうが、
特に注目すべきは、
いったん終了する前の初期9話でございます。
 
 このあたりは、
スタジオゼロ作品としてみんなで作っていこうという思いがあったのでございましょう。
 絵もストーリーも、藤子先生が取り仕切ったそれ以降とは違っておりまして、
その違いが面白い。
 
 
 
 たとえば話「まとめてめんどうみてよ!!」などは、
石ノ森先生のアイデアと思われるスラップスティックコメディでございます。
 
 オバケのQ太郎二話
 

 藤子先生のギャグは、四コマの起承転結をつなげていくようなものが多いので、
はっきり違います。
 
 あるいは、スタジオゼロ全員でやっていくということで、
こういう方向性もあるよと幅を広げるために描いたの、かなぁ?
 
 
 
話「Qチャンと正ちゃんの裸一貫」のこんな表情も、
明らかに藤子作品とは異質でございますな。
 
 オバケのQ太郎三話
 

 
 
 第話「正ちゃんのペットはオバケQ」は、
なんかキャラクターが混乱しているような……。
  

 オバケのQ太郎四話 
 
 いろいろな意味で見どころがございます。
 
 
 
 石林正太郎『ぼくはエスパー』
 
 
 もうひとつ、石ノ森章太郎先生の ファンとして
見逃せないのが、「超能力入門」。
藤子・F・不二雄大全集の
『オバケのQ太郎』では
巻に所収されております(p.260-)。
 
 この作品には、超能力を説明するために
石林正太郎先生の『ぼくはエスパー』というマンガが
登場するのですが、キャラクターがミュータントサブ
なのでございますな。
 
 幼いころ、友達の家で
虫コミック版のこのシーンを見た時、
びっくりしたものでございますよ。
 藤子不二雄先生ってどんな絵でも描けるんだ、
すごいなぁ、って。
 

 でも、まぁ、
これは石ノ森先生が描いたものでございましょう。
 
 
 
 
☆ 追記
 
  しまった~!
 2009/7/29にも『オバケのQ太郎(1)』の記事を書いておりました。
 
 しかも、書いていることが同じところがかなり。
 こっちには書いていないことも少し。
 
 ……。
 
 まぁ、仕方ないですな。
 
 
 

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前回(2019/11/27)居村真二先生の名前が出たことにかこつけて、これ。
 
「拳銃無宿」居村真二
(「COM 1970/11」(虫プロ)
ぐら・こん=コミックスクール ストーリーマンガ教室 p.250-256)
 

 居村先生は、COM誌(虫プロ)の新人発掘コーナー
「ぐら・こん」に何度か掲載されているようなのでございますが、
これはたまたま持っていたものに掲載されていた作品。
 21才の時のもののようでございますな。
 この号は入選はなく、第2席が筆頭。
その第2席となっているのがこの作品でございます。
 
 居村真二
 
 選と評は石ノ森章太郎先生。
 絵と構成はうまいが、ストーリーは古くさいと評されていますな。
 
 逆に申しますれば、
ストーリーはオーソドックスながらそれをきちんと見せる実力を持っている、
とも申せましょう。
 
 のちの居村先生の作風がすでにこの時現れておりますな。
 
「COM」という雑誌に合っているかは疑問でございますが、
この雑誌に挑んでみたかった、とか、
石ノ森先生の評価をもらいたかった、などの思いがあったのかも? 
などと、想像する次第でございます。

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前回(2019/11/24)挙げたような、
自作を例に取った描き方の本ですとか、落書帳、エッセイみたいなものって、
出た時には書かれたとおりの意味しか持ちませんが、
後になって読み返すと意外な発見とかがあるものでございますよね。
 
 たとえば、『石森マンガ教室』のコママンガの投稿作品には、
静岡県・菅谷充くんや、千葉県・河あきらくんや、
大阪府・居村真二くんの作品などが載っております。
まぁ、コママンガの一作品ではございますが。
 
 第三部、本のおわりに「きのう・きょう・あした」と題した自伝
書かれているのも興味深いですな。
 生い立ちについては他の本でも読むことが出来るのかもしれませんが、
わたくしがそういうの読んだことあまりないので、書いておきます。
 
 
 
 それはさておきまして。
 この『石森マンガ教室』では、
ストーリーマンガの発案から最初のページにいたるまでの過程を、
サイボーグ009』を例にとって紹介しているのでございますな。
 ページの短いものでございますから、
さらっと眺めていたのでございますが、あらためて見るとこれが興味深い。
 
 たとえばノート6
ここには、サイボーグ戦士のメンバー候補が書かれております。
 
サイボーグ009  
 
 面白いでしょ?
 ロシア人は赤ん坊ではなくて大男ですし、オーストラリア先住民がいる。
 
 この前のコマで世界視点の話だから、とおっしゃっているので、
まず場所から考えていったのでございましょうな。
 
 で、オーストラリアなどは、
資料が少ないかイメージが湧きにくいなどの理由で、アメリカ先住民に。
 
 それでしたら西部劇などのイメージがございますし作者も読者もわかりやすい。
「2番ピッチャー」のアメリカ人との対立も描きやすいだろう、
という思惑もあったように存じます。
 
 その他、実際の作品に反映されているところは多いものの、
そうでない部分が興味深いところではございますな。
 
 
 各キャラクターの前には、ポジションが書かれてございます。
 この何ページか前に『サイボーグ009』が
野球からヒントを得たように書かれておりますが、それはまゆつばといたしましても、
キャラクターを練る過程で、野球の役割分担を考えてみたということはうかがえますな。
 
 四番サードが主人公で、ファーストが三・四番というあたり、
長島・王時代の巨人軍でございましょう。
 
 ただ、ポジションとキャラクターの性格にあまり関係はない……。
 試しにやってみた程度だったのでございましょう。
 
 まぁ、あまり関係させましても、
キャラクターがつまらないものになってしまいますからな。
下手をするとパロディになってしまう……。
わたくしはついついそれをやってしまうので、困ったことでございます。
 
 
 ところで、
この段階では人種などによる対立を描くつもりがあったようでございますが、
実際の作品ではそれがほとんど出てこない。
 
 メンバーのうち8人は最初から団結していますし、
後から加わる島村ジョーさんも自然に受け入れられておりますし――。
 少しあとで、ピュンマさんのウロコ問題なども出でまいりますが、
メンバーの対立ではございませんし、
そういう要素も入れないとと、とってつけた感じもございます。
 
 もともと住んでいる違いすぎるせいで対立要素にならなかったとか、
ストーリーがメインになるうちに書く必要がなくなったとか、
作者の性格とか、
サイボーグとしての悲しみのほうに重心が移って民族的な対立要素は薄くなった、
など、理由はまぁ、いろいろと考えられはいたします。
 
 
 あと、特殊能力については、まだこの段階では考えていないようでございますな。
 001なんかは特殊能力を考えている段階で生み出され、
オーストラリア人とロシア人が統合されて005になったという感じでしょうか。
 それとも逆かな? 
 オーストラリア人とロシア人が統合され、
ロシアがあまったから特殊能力から生まれた001が加わったのかも?
 
 
 
 
 以前、『サイボーグ009』の能力は、
『キャプテンフューチャー』なんかがもとになっているのでは、
と妄想を書いたことがございますが(*)
キャラクターの能力と性格はそれぞれ別に考え、
あとで結びつけたような気もいたします。
 
 イギリス人(007)ですとかドイツ人(004)などは能力と結びつきやすいですが、
中国人(006)の地中やアフリカ人(008)の水中などは、
性格とは結びつきにくいですからな。
 
 2つを1つにすることで、元ネタに引きずられることがない、
新しいキャラクターを作り出しているのではと、
わたくしなどは考えているのでございます。

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 『テレビ小僧
朝日ソノラマ・サンコミックス版・巻(昭和42年)の冒頭には、
 
「点と線」――「テレビ小僧」に寄せて――立川談志師匠 
 
というタイトルで、
立川談志師匠が稿を寄せております(p.6-8)。

 物語の筋をとおして語る従来の笑いをとすれば、
瞬間瞬間で笑わせるスラップスティックギャグは
いわばの笑いだ。 
 
「石森章太郎のマンガには、
 自分の『線』をもちながら
 『点』にわが身を投げようとする
 意欲と挑戦があるわけだ。」
 
とお書きになっておられます。
 
 とは申せ、それに同調するつもりはないようでございます。
 最初に手塚治虫のマンガや古典落語が好きだ、
と宣言していらっしゃっており、
宗旨替えをするつもりはないようでございます。
 
 ただ、線の笑いがのうのうとしていれば、
「点族」に席巻されてしまうのではないか
という危惧は抱いているようでございますな
(リップサービスが入っているやもしれませんが)。
 
「守るのもいい。私の趣味からも、まもってほしい。
 しかし、その反面、攻撃に出ないと、えらいことになる。
 石森章太郎の「テレビ小僧」を読んで、
 おとなマンガのふがいなさに義憤を感じるとともに、
 「点族」のすさまじい台頭を見た。」

 と、結んでおられます。
 
 これは、談志師匠がみずからの落語に対する姿勢を表明した
ものと考えても差し支えございませんでしょう。
 
 これって今電子書籍になっているバージョンには収録されているのかなぁ、
談志師匠のファンの方は知っているのかなぁ、
などと、ちょっと気になるところではございます。
 
 
テレビ小僧』や『がんばれロボコン』といった
石ノ森章太郎先生のスラップステック(ドタバタ)マンガでございますが、
それほどわたくしの趣味ではございません。
 
 アイデアは豊富であるものの、勢いで突っ走る感じが……。
 石ノ森先生の執筆スピードとバイタリティ、
それに『テレビ小僧』の場合は「モーレツ」が時代の言葉となった
高度成長期を感じさせますが。
 
 
 さて、こうしたギャグマンガのアイデアでございますが、
意外と『ジュン』のイメージの連想と似たところがあるように思うのでございますよね。
 特に、テレスケが妄想するところあたり……。
 
 意外と思いましょうか?
 それとも、同じ頭から出たものだから、とお思いでしょうか?
石森マンガ教室』では、
発想の練習法として次のような方法を紹介しているのでございますよね。
 
 まず、簡単な図形を描きます。
 そこから、○なら太陽ですとか、まり突きをしている女の子ですとか
、地球ですとか、どんどん連想をつなげていくのですな。
それを何十回か繰り返し、元の○に戻ってくるという。
 
(講談社の「石ノ森章太郎デジタル大全」では、
 『石森マンガ学園』というタイトルで出ております。
 試し読みでギリギリそのあたりまで見ることができるので、
 興味のある方は探してみてください)
 
 この方法はまさに、『ジュン』のイメージの膨らませ方だと思うのでございますよね。
 
  そしてイライラの巻テレビ小僧』もまた、このように
  1つのテーマからイメージを膨らませるという
  手法をとっているのでございます。
   (参考:『続・マンガ家入門』
      石森章太郎(秋田書店/1966/8))
 


 

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