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2024/11/22 『赤毛のアン』が『アン・シャーリー』というタイトルになって2025年5月。Eテレで放映されるそうでございますな。キャラクターは以前日本アニメーションで製作された『赤毛のアン』をちょっと大人っぽくか、外国人に寄せた感じ。キャラクター原案:近藤喜文となるのかなぁ。基本的な服装などはどうあっても同じ感じになると思うので、あとは高畑勲先生へのリスペクトを表明するかどうかといった話になりましょうな。過去のアニメ作品をリスペクトして作られるってないですよねぇ。しかも小説などが原作としてありつつ。新しくていいと思います。
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* この記事は、ただ者ならぬポール・ブリッツ様のコメント
「悲憤慷慨しちゃう宿命なのです(汗)
2020/06/09 (Tue)『スーパーマリオブラザーズ vol.2 大魔王ネオクッパの挑戦』)
を中心に、
「老兵ですがまだしがみつきます(笑)」
「世をすねたゲームブックファンでございます(汗)」
2020/09/13 (Sun)ゲームブックの遊びの要素に関して。)、
あたりに書かれたことも引用しつつの返信でございます。
 
 まずはそちらをお読みになってください。
 
 ホントはコメント欄に書こうとしたのですが、
またまた長くなってしまいましたのでこちらに――。。
 
 そのあとのものは、とっ散らかりそうなのでまだ読んではおりません。
 
 
       ☆      ☆      ☆

 というわけで
 
「悲憤慷慨しちゃう宿命なのです(汗)」についてでございますが。
うーん、コメント欄で自論を展開しているなぁ。
それに硬直化しているような。
 でも考えさせてくれる。
 
 ありがとうございました。
 これ書くのにいろいろ脱線してしまい、ちょっと怠けてしまいました。
 時間かかってごめんなさい。
 話の流れが右往左往しているのも、ごめんなさいでございます。


 
 
 
 さて、
 
 どんな世界でもハイレベルな存在は必要でございます
製品においてもスポーツや芸術においても、ですね。
 ですから、ゲームブックにおいてもそれは必要だと思われます。
 一定数の需要がある以上は、なおさらのことでございます。
 
 製品や芸術の場合、それらを扱いやすく、大衆化することで、
一般製品として売り出されます。
 
 F1でつちかった技術が大衆車に応用されたり、
抽象画がデザインの分野で活用されたり……。ありますよね。
 
 ですから、ゲームブックの場合、
頂点があるのは問題ではなく、
裾野が広がっていかないことが問題なのででございます。
 
 さらにたとえば、作らない方にはわからないかもしれませんが、
プラモデルなども昔にくらべてずいぶん楽になりました。
 接着剤不要だったり、塗装不要だったり。
それで昔のものよりも正確な、あるいは格好のいいものができる。
 むかしは工作だったのが、今はパズルでございますな。

 あるいは翻訳なんかも、昔にくらべてずいぶん読みやすくなっております。
 
 そういう努力が重なることによって、文化は発展していくものと存じます。
 
 
完成度の高さと結果の多様さは、
 ゲームブックとして必要不可欠なものかどうか
 とお書きになっておりましたが、
わたくしは、両者ともそれらはあれば好ましいものと考えております。
 
 前者は必要と言ってもよろしゅうございましょう。
 
 筆が走りすぎたのだと思いますが、完成度=難易度ではございませんよ?
 
 難易度の低い、誰にでもプレイできるゲームでも
完成度の高い作品は存在いたします。
 児童文学に完成度の高さが要求されるように、
本来入門作にこそ完成度の高さは必要でございます。
 
 
 後者、結果の多様性、と申しますか、展開の多様性わたくしとしては必要ですな。
 
 何しろ物語が分岐することにこそ魅せられ、
小説ではない新しさを感じたのですもの。
 
 もちろん一本道も面白いものは面白うございます。
 何しろ、究極の一本道は小説でございますからな。
面白くないわけがございません。
 
 ただ、ではゲームブックに小説に匹敵する作品があるかと申しますれば、
少しはあるといたしましても、それほどではございませんな。
むしろ、一本道の作品の場合、ゲームブックだからこの程度でいい、
と楽している作品が多いような気がいたします。
 
 
 
 
投稿しまくるぞ、と覚悟を決めた矢先にウォーロック誌がつぶれ」た
とお書きになっておられましたが、
すると、その頃ゲームブックファンだったのですな。
 
 以前にも書きましたが、わたくしといたしましては、
そのあたり、と申しますか、双葉社後期(末期)のゲームブック
傑作が多いと思っているのですよねぇ。
 
『スーパー・ブラック・オニキス』のシステムを簡略化したような
ウィザードリィ 女王の受難』。
 
さまざまなゲームブックに対するオマージュが見られる
ウルティマ 失われたルーン』。
 
バグだらけなので他人には勧められませんが、
ゼルダの伝説 神々のトライフォース』。
 
そして、井上尚美先生の作品。
とりあえず『悪魔城伝説』を挙げておきます。
 
 このあたりの作品は、ストーリーも面白く、
システムも社会思想社や東京創元社のゲームブックを研究して
わかりやすいものにした感がございまして、
わたくしといたしましては、高く評価をしております。
 
 ただ、
わかりやすくてライトに誰でも20分くらいでエンディングに行けて、
 それでもなお楽しめるのがいいゲームブックとおっしゃるのでしたら、
その後のファミ通文庫のゲームブックのほうがよろしいかもしれません。
 
 ゲームブックが下火になったおかげで、
その頃のゲームブックは一見さんにも楽しめる難易度となっております。
 
 ストーリーもほぼ一本道、クイズありゲームありの楽しい内容でございます。
 20分では無理ですが、
そのぐらいで一息つける流れにはなっていると思いましたので、
問題ございませんでしょう。
 
 まぁ、多彩な展開が好みなわたくしといたしましては、評価いたしませんが。
 
 
 
 
 さて、難易度の話に戻りましょう。
 
「『双方向移動迷路』と、
『複雑なパラメータ管理』と、
『アイテムと情報の読者管理』」
 
 これらがゲームブックを難しくしているのは、ご指摘のとおりでしょう。
 他にもあるとは思われます。
 (たとえば一方向移動型でも、
 フラグ立てに失敗すれば詰むわけでございますから、
 その配置を意地の悪いものにすれば、難しくすることは簡単ですよね)
 
 ただ、これらは難しい=本格的=面白いとされた時代の産物ですな。
 難しくしようと思って作られたから、難しいのでございます。
 
 ですが、先ほど書きましたとおり、完成度=難易度ではございません。
 
 ですから、これらを丁寧に検証吟味し、
わかりやすく遊びやすいゲームブックにすることこそが、
ゲームブックの完成度を上げるということだと思います。
(そして、そうした試みは、すでになされているとわたくしは思います)
 
 難易度と完成度は別物ですから、そうした研鑽は、
難易度の高いもの、低いものどちらにも必要なことでございますな。
 
 
 
 
 ただ、ただ者ならぬポール・ブリッツ様のお書きになったような
「わかりやすくてライトに誰でも20分くらいでエンディングに行けて、
 それでもなお楽しめる」ゲームブックとなると、
システムよりも、物語の完成度を上げていく必要がございましょう
 
 この条件でシステム重視ならば、ゲームブックよりも
ボードゲームやカードゲームの方がよい気がするのですよね。
近ごろはゲームブック的なそれらのゲームも増えてきていると聞きますし。
 それに、サイコロをふるにしろシフトカードにしろ、
本から手を離さなければならないという弱点がある。
それが物語を途切れさせる可能性というのは、ございますな。
 
『ブラマタリの供物』などは、
本からなるべく手を離さない工夫をされておりますが、
そのようなものもヒントになるかもしれません。
 
 ちょっと脱線かな?
 まっ、それはともかくといたしましても、
やはり楽しめるゲームブックには、面白いストーリーが必要だと存じます。
 
 

 書きおとしたことがあるかもしれませんが、こんなところで。

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学生運動がないからだと安田均先生ならいいそうです
「自説を展開することをしない」、基本的に受け身の聞き手が、双方向のコミュニケーションツールをやることにいったい何の意味があるんだろう、としか思えない性格なので、まあこれからもばんばん自説を唱えて、弁証法的に生きていくつもりでありますが、よくこの日本でインターネットが普及したもんだなあ。

お説には非常にうなずけます。
問題は「裾野」なんですよなあ……。
いまのゲームブック界のクリエイター諸氏の健闘は知っているつもりですし、評価してもしきれないとは思いますが、それでも「すそ野が広いか」といわれればそうはまったく思えないんですよね。同じようなファンタジーを、同じような面々が、同じような感じで書いている、としか、アマゾンの「Kindle ゲームブック」をクリックすると思わざるを得ないんです。

これじゃ伝統芸能じゃないか、って。

すそ野の広さと完成度をいうならば、まずは第二の「きみならどうする食糧問題」みたいなゲームブックを、トップのクリエイターが作っている、そういう環境を用意できてからの話じゃないかと。それができていない間は、いかに文章が洗練され、パラグラフジャンプが芸術の域に達したとしても、「コップの中のショットグラスの中の嵐」でしかなく「ガラパゴス島のパッとしないどこにでもいる生物」でしかないと、これまた悲憤慷慨しちまうんですよねえ。

TAC23号で安田先生がいってたみたいに学生運動がないせいか、はたまた最近野菜を摂る量が不足しているせいか、こう、怒りといきどおりが続く毎日で、そんな中にゲームブックでここまで真剣に話せる相手ができたことで、甘えていたのかもしれませんなあ自分。

よほどのコアな人でもないと、ゲームサークルの中でゲームブックでここまで話したとしても、「なにをいってるのかすらわからない」「そんな古いもののこと忘れなさい」あたりがオチですからねえ。

考えてみれば、ゲームブックを電子書籍としてスマホでプレイする、というあり方自体が、「メディアのポテンシャルの無駄遣い」みたいなもんですなあ。

変化の多様性でも、ルールの精緻であることでも、含んでいる情報量でも、どれをとってもコンピュータRPGにかなうわけがないゲームブックのアドバンテージは、「手軽さと誰でもエンディングをすべて見られる奥の浅さ」にしかないと思うので、ゲームブックが進む道は、そのアドバンテージをいかに生かすかを考える道だとしか思えないんですが、まあ、いいますまい。

これからもこのブログをちょくちょくチェックさせていただきます。またなにかのおりに怒り心頭に発することがあったら、また同様に「自説を展開して」「硬直した思考で」書かせていただきますので、よろしくお願いいたします。

評価する気にすらならないものまでも併呑してこそすそ野の広さではないのかなあ。あくまでも一本道にこだわるトップクリエイターとかが、イアン・リビングストンのほかにいてもいいじゃん! とか考える夜であります。

うみゅー。

追記:9/23

書き忘れていましたが、「完成度」の件については、ちょっと納得しかねます。「完成度」よりも求められるべきは、岡本太郎先生の言葉にある「爆発」、説明しにくいですが「ワッ、なんだこれは、こんなものがゲームとして存在していていいのか、というパワーとしかいいようのないある種の質的な過剰性」というものであり、それを読者に対して一定量以上提示できなかった、もしくは、提示しえてもマニア向けの作品内でしかなかったのが、ゲームブック衰退の一因ではないだろうかと考えます。それは「ソーサリー」の48種の魔法であったり、「ウォーロック」誌に掲載されたゲームブックバージョンの「二つの河の物語」の混沌すれすれの世界観であったり、「魔城の迷宮」の完全イラスト化された迷宮都市だったりするのですが、そういった「過剰性」をわかりやすくコンパクトにすることに腐心した挙句「こじんまりとした1000以内のパラグラフとパラグラフジャンプに過ぎない操作」に頽落させてしまったのが「完成度」という発想だったんじゃないかとわたしは思うのであります。単純にパラグラフ数を1000にしたり全三巻とか四巻とかにしたり、経験値システムにして同じところを行ったり来たりさせたり、パラグラフジャンプを変態的にしたりして「新機軸」と主張する「量的な過剰」が隆盛を得たのとはまた違う発展の仕方があったのではないかと。まあ硬直化した観念が導き出した個人の感想にすぎませんがね……。

さらに追記:
その「ワッ、なんだこれは、こんなものが」という視点で掘り出してきた素材を、「小学生でも30分あればある種のトゥルーエンドまでたどり着ける」ということを徹底し続けたのが西東社の一連のゲームブック群であったのではないか、と思うわけだ……中には推理ものと思わせるタイトルで、ひたすらクロスワードパズルを解くだけ、という「ワッ、なんだこれは、こんなものが」をはき違えたような代物もあるけどね……。
ポール・ブリッツ 2020/09/22(Tue)22:04:29 編集
重箱の隅じゃないか!!
「タクティクス」誌23号はたまたま持っておりました。「クイーンズブレイド」が出たときだったか、この号に「ロストワールド」シリーズの記事が載っていることを聞き及び、古本屋さんで見つけたのでございます。
 で、お書き込みになった安田均先生の言葉、調べてみたのですが、なかなか見つからない。降参しようと思った矢先、よ~やく発見いたしました。
 安田均先生のお書きになったことではない。
 p.105。編集部のコメント。ここですな。
「*余談になりますが、最近のお手紙には過激なものが多くて困ります。”トラベラー”の翻訳をお願いしている安田均先生は学生運動がないせいであろうと分析しておられますが、編集部では、野菜を食べる量が不足しているのが原因とする見方が強まっています。いずれにしても、皆さん、穏やかにゆきましょう」
 よくこんなところ引いてきたなぁ。
 そして、ちょっとニュアンス違うような。
 これからは、眉につばをつけることにしよう!
 で、いずれにいたしましても、「皆さん、穏やかにゆきましょう」ね。
 考えは過激だとしても。
道化の真実 2020/09/24(Thu)01:44:54 編集
やはり、物語の面白さだと思います。
 とにかく、ぐいぐいと引き込まれるような話。ゲームやパズルなどそれを止める仕組みがあれば、それを乗り越えてでも続きを読みたくなるような面白さ。障害となるパズルやゲーム要素はストーリーを停止させない程度の難易度で。
 こちらの考えとすりあわせて、ただ者ではないポール・ブリッツ様の理想ってそんな感じかな、と勝手に変換しておきます。
 
 ところで、
 一流のミステリやSF作家の方が、少年向けの作品を手がけていたりしますよね。
 江戸川乱歩先生の「少年探偵団」シリーズですとか。
 そのような流れがゲームブックにもあれば、とふと思ったりはいたします。
 あるいは、物語はラノベの作家にまかせて、構成やルール、パズルあたりをゲームブック作家が手がけるというチーム体勢でございますとか。その場合、かなり連携が必要だとは思いますけどね。
 
 まぁ、
 ……妄想ですな。

 あっと、いつの間にか追記が生えている!
 上に書いたことよりも、ポール・ブリッツ様は、もっと新奇さを重視されているようですね。

「完成度」については、考え方が違うのだと思います。
 わたくしの書いているのは、面白さの完成度。そのために描写であるとか、構成であるとかバランスであるとかを調整していくというようなことです、多分。
 それと新しさや特異性は、相反するものではございませんし、難易度の高低も関係ありません。

(追記:難易度の高低とも関係ないとは書きましたが、作家が己の持てるものすべてを出し切ろうとするならば、その作家の実力相応に内容の濃いものになり、必然的に難易度は増すでしょう。でもそれは、敵の数値を上げたり、迷路を複雑にしたりして、意図的に難易度を上げるのとは、また違うことです。蛇足ながら)

(ただ者ではないポール・ブリッツ様のお書き込みになった「完成度」は、正直よく分からない……)

 ところで、『魔城の迷宮』は評価されているのですよね? マニア向けかもしれませんが。
 あれこそまさに「双方向移動迷路」ですよ。
 ですから、双方向移動迷路にもやりようはあるというものです。

『魔城の迷宮』は正直完成度も高いですし、新しさや特異性もある作品だと思います。
 
 わたくしは、そのような作品を評価いたします。
道化の真実 2020/09/24(Thu)02:25:42 編集
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