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2024/11/22 『赤毛のアン』が『アン・シャーリー』というタイトルになって2025年5月。Eテレで放映されるそうでございますな。キャラクターは以前日本アニメーションで製作された『赤毛のアン』をちょっと大人っぽくか、外国人に寄せた感じ。キャラクター原案:近藤喜文となるのかなぁ。基本的な服装などはどうあっても同じ感じになると思うので、あとは高畑勲先生へのリスペクトを表明するかどうかといった話になりましょうな。過去のアニメ作品をリスペクトして作られるってないですよねぇ。しかも小説などが原作としてありつつ。新しくていいと思います。
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サブカル昆虫文化論『サブカル昆虫文化論』
保科英人:編著/宮ノ下明大・福富宏和:著
(総合科学出版/2021/12)。
 
昆虫学者3人による論文集。
 
 日本神話や万葉集に始まって、
各時代の作品に描かれた
昆虫について書いたご本にございます。
 
 と申しますとまともな本に思えますが、
内容はといえば、
かなり片寄っております傾(かぶ)いております。
 
 村上春樹や平野啓一郎のような現代小説は死んでも読みたくない、
教科書に載るような現代詩に目を通したら精神が崩壊する──
と前書きで宣言しているような編著者でございますからな。
 
 1章の「日本人は昆虫とどう向き合ってきたか~神話の時代から敗戦まで~」
 こそまともでございますが、
 
それ以降は特撮・マンガ・アニメ・ゲーム・カプセルフィギュアと、
ホントにサブカルチャーしか扱ってはおりません
 
『仮面ライダー』や『ウルトラマン』に
どんな昆虫怪人・怪獣が出てきたかを表にしたり、
兜ムシなど変なカプセルトイを紹介したり、
マンガでの昆虫の扱われ方を語ったり……。
 
 特に圧巻なのが、筆頭編著者である保科英人先生のお書きになった部分。
 
 とにかく
どれだけ美少女の登場するゲームやアニメをプレイしているんだ見ているんだ
というぐらいたくさんの作品がリストアップされております。


サブカル昆虫文化論  
 
サブカル昆虫文化論  
 
カブトムシの出てきた作品、セミの出てきた作品、
コオロギの出てきた作品etc……。というように。
 
 アニメやゲームで虫が出てくる場面なんて
下手するとホントほんの一瞬だと思われますのに、
こんなに多くの作品をよく見ているものだなぁと、
小さきものに対する偏愛ぶりに感心する次第。
 
 わたくしは、この手の作品をほとんど見ていないものでございますから、
タイトルぐらいしか聞いたことがないもの、
タイトルさえ知らないものがほとんどでございました。
 
 で、アニメの赤とんぼは赤すぎるとか、
鳴き声はミンミンゼミなのに描かれているのはアブラゼミ、
とか、町の中でヒグラシが鳴くのはおかしい、
などと注釈しているのでございます。
 
 そんなの、配色上の都合だったり、
サウンドライブラリーの問題だったりすると思うのでございますが、 
昆虫学者の方は、そんなところがどうしても気になってしまうのでございますな。
 
 そんな昆虫愛に満ちた作者でございますから、
アクションゲームやシューティングゲームに敵として登場する虫たちについては
羅列しても仕方がないと軽く扱っておられます。
唯一項を作って紹介しているのは「虫姫さま」ぐらいでございます。
 
 でもですなぁ、ゲームに登場する虫が、
コンピュータのバグの類推だということぐらいは
書いておいて欲しかったところでございます。
 
 昆虫学者としてはあまり興味を持てないところなのかもしれませんが
 
 
 
 
 さてさて。
 ですが、「文化論」と題しているだけあり、
日本文化における昆虫の位置に関しては、面白い考察もございます。
 
 日本は秋津島=トンボの島と古来呼ばれ、
それを旧来の昆虫学者は自慢しるけれど、
日本人ってそれほど昆虫そのものには興味が無かったのでは、
という指摘でございます。
 
 セミの声やホタルの光、蝶などが和歌に詠まれることはございますが、
それって霊性の象徴だったり、比喩や言葉遊びだったり、背景だったりと、
直接ではなく距離をおいた存在として描かれているというのでございます。
 
 室町時代の御伽草子には昆虫を擬人化した話がございますが、
それにしたところで虫同市の話でそこに人間が関わることはない。
 
 人間と動物が会話する昔話はあるのに、人間と昆虫が会話する話というのはない。
海外では、神々が昆虫を使役し、英雄が虫と会話をする事例があるというのに、
日本ではそれが無いというのでございます。
 
 確かに、「わらしべ長者」のアブはものみたいな扱いでございますし、
「さるかに合戦」のハチもカニと会話はいたしますが、
そもそもあの話に人間は出てまいりませんものなぁ。
 
p.288 昆虫には主要キャラクターとして人と並べて登場させる際、
体サイズが小さいという致命的弱点がある。
古来の日本人はこの弱点を克服してまで、
虫と人の厚い友情を描こうとしなかった。
その一方で、勅撰和歌集や王朝日記文学では、
セミやマツムシの鳴き声に情緒を見出した。
つまり、昆虫の活用との点で見た場合、
物語と詩歌の両世界のあいだでは大きな差があるのだ。
 戦後、日本人がペットとして飼う昆虫は見た目重視となり、
カッコいいカブトムシとクワガタムシは、
アニメやゲーム、特撮の業界でヒーローや戦闘メカのモチーフとなった。
一方で、生き物としての昆虫が二次元世界で縦横無尽に活躍することはない。
アニメやマンガにおける昆虫は、
季節やキャラクターの心情を表す情景やBGMが主な役割となる。
 我々は昆虫を情緒の対象や季節の風物詩として扱うことができるが、
ストーリーを紡ぐ物語のキャラクターにしたくないのである。
これは、日本神話から現代アニメまで、
日本人の昆虫に対する一貫した付き合い方のように思える。
 
「ストーリーを紡ぐ物語のキャラクター」とお書きになっていらっしゃるのは、
アント』や『バグズライフ』のように
虫が主人公、もしくは登場キャラクターである作品が海外ではあるのに、
日本では『みなしごハッチ』ぐらいしかないことを指しているのでございますな。
1943年の作品『くもとちゅうりっぷ』はてんとう虫が主人公ですが、
短編ということで考慮されなかったか、忘れられたのでございましょう。
 この説は、大体において正しいとは思いますが、
結論づけるには早急──と申しますか、
やはり昆虫学者の偏愛補正がかかっているように存じます。
 
 まず、アニメに関しましては海外との事情の違いがございますよね。
 海外でアニメと申しますれば、
ディズニーを中心に動物アニメが主流でございまして、
昆虫の擬人化もその延長線上で出てきたと申してよろしゅうございましょう。
 その上で『バッタ君町に行く』(1941)のあとは
1998年の『バグズライフ』まで無いのでございますから、
むしろ昆虫主人公には積極的でなかったとさえ申せましょう。
 
 動物アニメはありとあらゆる物が出回っているため、
それとは違った目新しいものとして昆虫を選んだ可能性さえございます。
 
 それにそもそも、昆虫を擬人化したところで、
その昆虫に対して愛があるとは必ずしも申せないのではございませんでしょうか。
 その昆虫の生態に根ざした描写はあるとはいえ、描かれるのは人間でございます。
ガワである昆虫に親しみを持たせる効果は確かにございましょうが、
作る側にとりましては、動物であれ昆虫であれ、
さして変わりはないのではございませんでしょうか。
 
 一方で、日本の詩歌に見られる昆虫は、記号的な役割だと存じます。
それを出せば季節はいつ、詠者の感情はどうということを
端的に示してくれるツールでございますな。
 それが現代にいたるまで連綿と使われているのでございましょう。
 
 
  
 まぁ、「あとがき」を最終結論といたしますと、
そこではトーンをクールダウンさせてございます。
 
p.291 日本人は昆虫に関して独特な感性を持つとまでは言えなくとも、
巷に溢れる昆虫を身近な存在として認識していることは確かだろう。
読者の皆様は、そんな日本人と昆虫の不思議な関係を、
本書から少しでも読み取っていただけただろうか。
 至極まともな着地点でございます。
 
 
  
* ちなみに、本書を買ったのは、1年ほど前でございまして、
 その時はいろいろと書こうとして放置してしまいました。
 今回も──。
 
 単に、こんなにもたくさんの美少女アニメやゲームを対象にしているんだ。
 研究のためとはいえ、昆虫学者ってすごいなぁ……、
 ってことを書こうとしただけなのでございますが。 

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