2024/11/22 『赤毛のアン』が『アン・シャーリー』というタイトルになって2025年5月。Eテレで放映されるそうでございますな。キャラクターは以前日本アニメーションで製作された『赤毛のアン』をちょっと大人っぽくか、外国人に寄せた感じ。キャラクター原案:近藤喜文となるのかなぁ。基本的な服装などはどうあっても同じ感じになると思うので、あとは高畑勲先生へのリスペクトを表明するかどうかといった話になりましょうな。過去のアニメ作品をリスペクトして作られるってないですよねぇ。しかも小説などが原作としてありつつ。新しくていいと思います。
『ヨギ・ガンジーの妖術』
昭和62年1月
『しあわせの書 迷探偵ヨギ・ガンジーの心霊術』
昭和62年7月
『生者と死者 酩探偵ヨギ・ガンジーの探偵術』
平成6年11月
以上、新潮文庫
文藝別冊 総特集
『泡坂妻夫 からくりを愛した男』
KAWADE夢ムック(2015/2)
泡坂妻夫先生の作品は、
「亜愛一郎」シリーズを図書館で借りて読んだことがあるはずなのでございますが、
それほど印象に残ってはおりません。
それなのに、3月1日の記事に書いたとおり、
岡和田先生は、「ヨギ・ガンジー」を挙げていらっしゃる。
なぜなのだろう、と思ったので買ってまいりました、
「ヨギ・ガンジー」のシリーズ。ついでに、文藝別冊の「泡坂妻夫」も。
で、『ヨギ・ガンジーの妖術』を読んで、なぜ印象に残らなかったかが分かりました。
手品を見ているよう、とどこかの解説で書いてございましたが、
確かにそうなのでございますな。その意味で独特なのでございますが、それ以上ではない。
『しあわせの書』もそうでございました。
「この本を使って手品ができる」という仕掛けはすごい。
書いているときのことを考えれば、さらにその大変さが感じられるのでございますが、
それが直接推理に絡んでくるわけではないので、
推理小説として一頭地を抜けてすごいとは感じられなかったのでございます。
一方、『生者と死者』は、素直にすごいと感じられる作品でございました。
この本は、本屋さんで手に取った段階で、普通の本との違いが分かります。
この本はアンカット装となっておりまして、
1~16、17~32と、16ページごとの袋とじになっております。
で、そのまま読むと短編小説、
アンカットの部分を切り開いて読むと、長編小説として楽しめるというのでございますな。
短編のほうは、なんとなくふわふわとした物語。
中村千秋さんという記憶喪失の青年が、予知というか透視というか、
そんなものを使って殺人事件をあてるのでございますが、まぁ、それだけ。
謎解きもなく、最後、千秋さんは、記憶の一部を取り戻したらしく、
どこかへ行ってしまうのです。
余韻もあり、普通小説として完結しているとは言え、
推理小説を期待していると落ち着かない感じなのでございます。
ヨギ・ガンジー先生も出てまいりません。
それが、アンカットの部分を開いていくと……。
とにかくね。変わり方がすごいのでございますよ。
最初の袋とじの部分については避けますが、
その次、短編の場合の最初の見開きの、すぐ次のページでございますな。
短編では、
「中村千秋は美/青年であった」(/のところでページが変わっております)
となっていたところが、
「中村千秋は美/しい女性には違いなかった」と性別が変わってしまっている!
この人中心人物ですよ。それがこれですもの。
その後も、場所や意味合いがぜんぜん変わっちゃうところがあり、
短編のためのタイトル、「消える短編小説」のとおり、
もとの話がどんなのだったか分からなくなってしまう。
もちろん、短編部分の文章は、
15ページごとに見開きで入ってくるわけでございますから、
固有名詞をはじめ、変えられない部分はありますが、だからこそすごいアクロバット。
特に、先ほど上げましたように、ページの変わり目の部分がすごいですな。
そこを注意して読むと、けっこう楽しめます。
ですからアンカットを切る用とそのままにしておく用、
なるべくなら2冊買っておくことをおすすめ。いや必須と申していいかもしれません。
とにかく、この作品も労作でございます。
しかも、『しあわせの書』とは違い、
その労苦が、物語に活かされているのがよろしゅうございますな。
先日、うろ覚えながらも『石蹴り遊び』を取り上げたのも、
この作品について書きたかったからでございます。
やはり、こうした凝ったことをやる以上、
そこに凝った意味合いが欲しいとわたくしは思ってしまうのでございます。
コピー誌などを作る場合、袋とじにしちゃったほうが楽だったりしますから、
こういうことを考えたかたはいると思います。
パズルの解答やフローチャートを袋とじ部分に置いておこうとか、
肝心のパラグラフは、ページを開かないと見ることができないようにしておこうとか。
ですが、開くとまったく違った物語になるなんて……。
思いつくまでは行くかもしれませんが、実際に作るとなると……。
本当に労作だと思います。
「亜愛一郎」シリーズを図書館で借りて読んだことがあるはずなのでございますが、
それほど印象に残ってはおりません。
それなのに、3月1日の記事に書いたとおり、
岡和田先生は、「ヨギ・ガンジー」を挙げていらっしゃる。
なぜなのだろう、と思ったので買ってまいりました、
「ヨギ・ガンジー」のシリーズ。ついでに、文藝別冊の「泡坂妻夫」も。
で、『ヨギ・ガンジーの妖術』を読んで、なぜ印象に残らなかったかが分かりました。
手品を見ているよう、とどこかの解説で書いてございましたが、
確かにそうなのでございますな。その意味で独特なのでございますが、それ以上ではない。
『しあわせの書』もそうでございました。
「この本を使って手品ができる」という仕掛けはすごい。
書いているときのことを考えれば、さらにその大変さが感じられるのでございますが、
それが直接推理に絡んでくるわけではないので、
推理小説として一頭地を抜けてすごいとは感じられなかったのでございます。
一方、『生者と死者』は、素直にすごいと感じられる作品でございました。
この本は、本屋さんで手に取った段階で、普通の本との違いが分かります。
この本はアンカット装となっておりまして、
1~16、17~32と、16ページごとの袋とじになっております。
で、そのまま読むと短編小説、
アンカットの部分を切り開いて読むと、長編小説として楽しめるというのでございますな。
短編のほうは、なんとなくふわふわとした物語。
中村千秋さんという記憶喪失の青年が、予知というか透視というか、
そんなものを使って殺人事件をあてるのでございますが、まぁ、それだけ。
謎解きもなく、最後、千秋さんは、記憶の一部を取り戻したらしく、
どこかへ行ってしまうのです。
余韻もあり、普通小説として完結しているとは言え、
推理小説を期待していると落ち着かない感じなのでございます。
ヨギ・ガンジー先生も出てまいりません。
それが、アンカットの部分を開いていくと……。
とにかくね。変わり方がすごいのでございますよ。
最初の袋とじの部分については避けますが、
その次、短編の場合の最初の見開きの、すぐ次のページでございますな。
短編では、
「中村千秋は美/青年であった」(/のところでページが変わっております)
となっていたところが、
「中村千秋は美/しい女性には違いなかった」と性別が変わってしまっている!
この人中心人物ですよ。それがこれですもの。
その後も、場所や意味合いがぜんぜん変わっちゃうところがあり、
短編のためのタイトル、「消える短編小説」のとおり、
もとの話がどんなのだったか分からなくなってしまう。
もちろん、短編部分の文章は、
15ページごとに見開きで入ってくるわけでございますから、
固有名詞をはじめ、変えられない部分はありますが、だからこそすごいアクロバット。
特に、先ほど上げましたように、ページの変わり目の部分がすごいですな。
そこを注意して読むと、けっこう楽しめます。
ですからアンカットを切る用とそのままにしておく用、
なるべくなら2冊買っておくことをおすすめ。いや必須と申していいかもしれません。
とにかく、この作品も労作でございます。
しかも、『しあわせの書』とは違い、
その労苦が、物語に活かされているのがよろしゅうございますな。
先日、うろ覚えながらも『石蹴り遊び』を取り上げたのも、
この作品について書きたかったからでございます。
やはり、こうした凝ったことをやる以上、
そこに凝った意味合いが欲しいとわたくしは思ってしまうのでございます。
コピー誌などを作る場合、袋とじにしちゃったほうが楽だったりしますから、
こういうことを考えたかたはいると思います。
パズルの解答やフローチャートを袋とじ部分に置いておこうとか、
肝心のパラグラフは、ページを開かないと見ることができないようにしておこうとか。
ですが、開くとまったく違った物語になるなんて……。
思いつくまでは行くかもしれませんが、実際に作るとなると……。
本当に労作だと思います。
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