篠田節子
(2008/12 新潮社)
"The Seisen-shinpo-Kai Case"
(p.284~上巻読了まで)
話の中で、二年という言葉が出てくる。
聖泉真法会をはじめてから、二年の歳月が経っているのだ。
そのあいだ運営を続けてこれたのならば、
それほど大きなトラブルも出なくなってくるだろうし、
その対処の仕方も要領が見えてくる頃だろう。
信者たちだって、互いに不満をもちながらも何とかやっているはずだ。
集会所のほうのエピソードが少なくなっていくのは、そうした事情もあるのだろう。
とはいえ、それらがなくなったわけではない。
大きな動きの中に、さまざまなエピソードが盛り込まれる。
宗教に超能力をもとめる竹内由宇太という最初からいた少年は、
未明に集会所で呪詛を試みてボヤ騒ぎを起こし、
そこを飛び出し修験者系教団に入り、そこをも出て、高野山中で遭難死する。
集会所を飛び出すとき、
鈴木は、本音を語ってまで彼にまともな生き方をするように説いたのだが、
それが結局聞き入れられず、このような形になってしまった……。
そのことに悔恨し、自分の作った偽の宗教に真摯な想いで祈りを捧げる。
集会所にたむろしていた若者は、
一時的に、ヴェハーラという宗教関係の物品販売業者に借り出される。
税金対策に、頭数(あたまかず)をそろえるために集められたのだが、
意外にも彼らは、一人前並の働きをする。
そして仕事をすることによって、彼らの様子もどことなく生気が現れるようになった。
まあ、そうだよね。
そういうものだ。
こういうエピソードを挿入するあたりも、作者が宗教団体をつうじて、
さまざまな世相の問題を取り上げていくという意欲を感じる。
かつて、芥川賞をとったという井坂は、破滅型の典型だ。
正業に就かず、寸借詐欺のようなことを繰り返し、
金を手にしたら派手に使い、妻や幼い病気の子供をつれたまま野宿をする。
しかし、文章は確かに一流で、話もうまく、
会報に載った彼の文章や講演は信者の間で高い評価を呼ぶ。
何となく「一杯のかけそば」を思い出した。
そんなによくは知らないが……。
そんな男に、鈴木は神戸の支部をまかせることにする。
支部の土地、建物の持ち主の願いでもあるが、
井坂の行状には目をつぶり、その人気を利用しようと、
鈴木はその依頼を了承し、彼を神戸へと向かわせる。
それは、井坂が、教団の実務担当である増谷(森田の会社から出向してきた人物)
と折り合いが悪かったためでもあるのだが、
結果は大失敗に終わる。
このエピソード、フィクションだから誇張しているのだろうが、作者の
文学に対する信頼が強すぎるような気もする。
きわめて文学性が高い文章というものは確かに存在するが、
それが本もろくに読んだことがないような人にまで読む気にさせ、感動させることが出来るのか……。
ん……。
正直どうなのだろう。
よくわからない。
※ ※ ※
と、上巻の感想はここで終わり、
上巻のラストは、森田の会社のインドネシアの工場が
暴動で焼かれたというニュースが入って終わる。
で、
ここで図書館へ本を返さないとならないので、いったん終了。
下巻の感想は、それを借りてきてからということになるでしょう。
いつになるかは、さっぱりわかりません。
すぐかもしれないし、ずっと先のことになるかも。
いずれにせよ、そちらの感想も書く予定です。