篠田節子
(2008/12 新潮社)
"The Seisen-shinpo-Kai Case"
p.117まで
インドネシアの工場の暴動のくだりは、
現地の信仰を無視して、聖泉真法会のやり方を押し付けたことによる不満が原因だった。
このあたり、第二次大戦下の日本の植民地経営を思わせる。
もちろんこれは、鈴木の指示によるものではない。
鈴木は、他の宗教と軋轢(あつれき)から起こるトラブルを見越して、
そうしたことを一切避けてきた。
だが、工場をまかされた森田の部下が、そうしたことをまったく理解しないで、
良かれと思って独断で行なったことだった。
それがきっかけとなったように、
これまでうまく避けてきたと思っていた地雷が、連鎖的に爆破し始める。
宗教関係の物品販売業者、ヴィハーラとのやり取りに関する税務署の査察。
大宗教団体「恵法三倫会」の教祖、回向法儒との黒い噂。
(単に、一度会って脅しを受けただけなのだが)
マスコミによってそれらは大きく取り上げられ、
あることないこと書かれることとなる。
一部の信者がそれに反応し、出版社に押しかけたことが、火に油を注いだ。
マスコミはさらに鈴木を追い込み、
そうした中、彼はひとつのトリックに引っかかって、芸能レポーターのインタビューに答えてしまう。
そのコメントは切り貼りされ、無責任な発言に編集されてしまう。
マスコミの攻勢はさらに激しくなり、
それに応ずるように、信者は激減する。
一部の信者が起こしたことでも、自分のあずかり知らぬところで起ったことであっても、
すべては教団の、教祖のせいとされてしまう。
まぁ、団体というものはどのようなものでもそうだが、
宗教団体のようなうさんくさい存在ともなると、その風当たりが強くなるのも当然のことだ。
そして、世間から外れているがゆえに、そうした風聞に弱いのもこうした団体だ。
宗教は、信仰に支えられているがゆえに、
その信頼がいつわりだと思われてしまえば、すぐさま信者に去られてしまう。
追い討ちをかけるようにを、森田の会社が去っていった。
社長の交替劇があり、増谷も無償で貸与されていた会館も失うことになる。
さらに、別の信者から贈与された土地も、彼女の願いを聞いて返してしまう。
聖泉真法会に残されたものは、中野新橋の集会所と、少数の残った信者……。
元の木阿弥というやつだ。
もう少し、順調に、もっと大きい教団に成長していくのかと思ったのだが、瓦解は意外に早かった。
そんなものかもしれないが、ここまでで下巻の百ページと少し。
あと、三百数十ページある。
大きくなった教団がつぶれて終わり、という話かと思っていたが、そうではないようだ。
少数残った信者は動きをはじめているし、活動は続くのだろう。
いったい、どのように展開していくのだろうか?