『暗黒日記』1942-1945
清沢洌(きよさわきよし)著
山本義彦編
岩波文庫(1990/7)
日記にも関わらず、
この本には、クライマックスとでもいうべきものがある。
それは、昭和20年4月15日の日記だ。
3月10日の東京大空襲から、
著者が空襲に遭うこの日の記事への流れは、
描写が的確なこともあり、
構築された小説のようでさえある。
それに、この日作者が体験したことが、奇跡。
まさに小説のクライマックスのようなのだ。
作者は空襲に遭ったと書いたが、それでかすり傷一つ負っていない。
家も焼けることなく残る。
それらはまさに偶然なくしてはありえなかったことだが、
作者の必死の行動と、その奇跡のような偶然、
そしてそのときの作者の心の動きが、まさに小説的なのだ。
そのような奇跡によって、日記も作者も、空襲の被害から免れたのであるが、
残念なことにこの日記は、5月5日で終わっている。
作者は、昭和20年5月21日、肺炎がもとで55歳で急逝したのだそうだ。
戦争が直接の原因ではない(間接的にはあるだろうが)あたり、何か、天を仰ぎたくなる。
広島・長崎の原爆投下、終戦、戦後……。
ソれらを、作者はどう見たのだろうか。
(ちなみに、昭和18年8月17日の日記では、
「今回の戦争の後に、予は日本に資本主義が興ると信ず」と書いている)
昭和20年1月1日の日記で彼は、
「僕は、文筆的余生を、国民の考え方転換のために棒げるであろう。」
と書いている。
まことに惜しいことだ。
その、昭和20年1月1日の日記から、最後に引用しておこう。
今、引用した直前の部分だ。
他にも引用したいところがあるのだが、
キリがないし、時間もない。
あとはご自身でお読みいただきたい。
今回挙げなかったが、
名前ぐらいは聞いたことがあるけれど、
何をやったか知らない人などについても、
実名で上がっていて、そういう点でも面白い。
というわけで、とにかく読んでもらいたい。
p.261
一月一日(月)
(……)
日本国民は、今、初めて「戦争」を経験している。戦争は文化の母だとか、「百年戦争」だとかいって戦争を讃美してきたのは長いことだった。僕が迫害されたのは「反戦主義」だという理由からであった。戦争は、そんなに遊山(ゆさん)に行くようなものなのか。それを今、彼らは味っているのだ。だが、それでも彼らが、ほんとに戦争に懲(こ)りるかどうかは疑問だ。結果はむしろ反対なのではないかと思う。彼らは第一、戦争は不可避なものだと考えている。第二に彼らは戦争の英雄的であることに酔う。第三に彼らに国際的知識がない。知識の欠乏は驚くべきものがある。
当分は戦争を嫌う気持ちが起ろうから、その間に正しい教育をしなくてはならぬ。それから婦人の地位をあげることも必要だ。
日本で最大の不自由は、国際問題において、対手(あいて)の立場を説明することができない一事だ。日本には自分の立場しかない。この心的態度をかえる教育をしなければ、日本は断じて世界一等国となることはできぬ。総ての問題はここから出発しなくてはならぬ。
日本が、どうぞして健全に進歩するように――それが心から願望される。この国に生れ、この国に死に、子々孫々もまた同じ運命を辿(たど)るのだ。いままでのように、蛮力が国家を偉大にするというような考え方を捨て、明智のみがこの国を救うものであることをこの国民が覚るように――。「仇討ち思想」が、国民の再起の動力になるようではこの国民に見込みはない。
(……)