1942-1945
清沢洌(きよさわきよし)著
山本義彦編
岩波文庫(1990/7)
数年前の8月の中ごろのことだ。
NHK第二ラジオの「朗読の時間」で、この作品の朗読をしていた。
たまたまそれを聞き、その面白さにたちまち惹(ひ)かれ、その後本屋さんで探して購入した。
原題を『戦争日記』という。
題名どおり、1942-1945年という、
まさに太平洋戦争の最中(さなか)に、国内(東京と軽井沢だったか)で書かれた日記だ。
著者の清沢洌(きよさわきよし)は、自由主義者(リベラリスト)で
日米関係が専門の国際関係学者。
そんな人物だからこそ、
当時の政府の愚行がよく見えているし、それに対する批評も、歯に衣着せず容赦ない。
(当然ながら、これは非公開の日記という前提があってのことだ。日記の中にも、これが当局に見つかれば処分されてしまうだろうから、隠しておく旨のことが書かれている)
戦争が終わったあかつきには彼は、
これをもとに日本現代史を書こうとしていたのだそうだ。
そのため日記には、雑誌や新聞の切抜きが多数貼りつけられていて、
本書にもそれが活字に改められた形で収められている。
それが日記を真に迫ったものにし、また当時の状況を知るうえで役に立っている。
架空戦記ものには、日本が大勝利を収める話がでてくるが、
これを読んで思うのは、それはあり得ないな、ということだ。
また、そんなことにならなくてよかったとも思う。
官僚主義。政界と財界の癒着。
イデオロギーと責任逃れ。
国際感覚のなさ。
国民を身分が下のものとしてみる政治家。
精神論の横行。
精神的な屈伸性のなさ(時に応じた対策というもののなさ)。
新聞の偏向・嘘報道。
官憲による暴行
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このような体制の中で住みたいとも思えない。
戦争に勝っていれば、日本はますますこのような態度を強固なものになっていっただろう。
一般的な生活についてもそうだ。
モラルが低下し、泥棒が横行。
電車の窓も割られているという。
物資の不足ゆえかもしれないが、
挙国一致という言葉が、スローガンでしかないのがわかる。
日本が勝っていれば?
犯罪は減るかもしれないが、殺伐とした雰囲気は残るだろう。
それに、負けた側の国には、このようなことが起こる可能性はあるのだ。
それが日本でないからいいというのは間違いだろう。
支配下に置かれた国のことについてさらにいえば、
そこでの日本の軍人の態度だ。
もちろんそれは、そこに派遣された軍の上官の性格によって決まるものだろう。
だが、たとえば昭和18年8月17日(火)の日記に書かれているように、
炎天下での労働で死亡した一高(今の東大)学生のことが、賛美されていたりするのだ。
外国でも同じことを住民に強制させて、よろこんで迎え入れられるとは思えない。
それにたとえば、同年12月16日の日記。
p.120
国内においては神風連(じんぷうれん)的な右翼思想が流行する。外国に行くのはそういう連中に限られる(中略)彼らは無知でありながら、恐ろしく自信がある。そこで大東亜諸国に行って、それ錬成だ、それ儀礼だという。こんな国民に彼らが推服する(うやまって服従する)ものではない。
これも、よろこんで受け入れられることはなさそうだ。
いずれにせよ、このような国が、世界に勝てる可能性はまずないだろう。
国際状況もわからず、戦力比も考慮せず、
日本は神国であるといった精神論のみが横行するような状態では。
しかも、当時の政府は、戦後経営について、何も考えていなかったようだ。
とにかく勝てばいいと思っていたのだろう。
よくある話ではあるが。
政界と財界の癒着ぶりについては、たとえば昭和19年9月21日の日記にある。
p.229
かつても書いたが、日本の最重要職業、会社、官吏は全部軍人で占領。首相、海相、東京市長、翼賛会、翼壮団長、総て、然り。
今回の戦争で儲けたものは右翼団で、彼らは支那、内地、どこでも鉱山その他の権利を得て、大金を儲けているそうだ。彼らは軍人と連絡があるからだ。
一円を笑うものは一円に泣く、などと、苦しい中みんなでがんばりましょう、
といっているそばで、自分たちは金儲けのことを考えているのだ。
そんなことで挙国一丸などどうしてできるものだろう。
架空戦記には、すぐれた政治家が鋭い決断で苦境を乗り切っていく姿が描かれたりするが、
そんなことはまずありえそうもない。
政治家だって人間だ。
時代が変わろうと何をしようと、そんなにすごい人物が出てくるとは思えない。
たとえば想像してみてほしい。
今の(別に何代か前のでもいい)政府が、
いきなりこの時代、太平洋戦争の真っ只(まっただ)中に放り込まれたとしたら……。
あの政治家やあの大臣が、矢継ぎ早に的確な判断をして、
すべてを成功に導くということがあると思うだろうか?
あの人なら、という人がいる人もいるかもしれないが、
私はそうは思えない。
そういう人がいたとしたら、
現在でも、さまざまな問題が、もっとスマートに解決されているはずだろう。
国際感覚がなく、政治家が自分の金儲けのことを考えている状況ではなおさらのことだ。
現代の政治家がこの時代に放り込まれたら、
と書いたが、逆に、この日記を読んで、
政治家というのは、今も昔も変わらないなぁ、ということも感じる。
上に書いたことからも、それは感じるのではないだろうか。
(もう少しだけ、次回に続きます)