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2024/05/14 数日前、テレビを点けたら片付けの番組をやっておりました。いっぱいになったガラス張りの食器棚から食器を全部おろし、空になった食器棚に並べていくのでございますが、その際食器棚をステージ、食器を俳優と考えるのだそうでございます。で、そのステージに立って見栄えのする俳優から並べていき、一人一人の俳優が輝ける以上は置かない。ゴチャゴチャする前にやめ、あとはは全部捨てる、というのでございますな。いやぁ、わたくしには出来ない。お金持ちの発想だなぁ。わたくしは捨てられる側だからなぁ。ゲームの資源管理と考えは同じでしょうが、それでも必要以上にシンプルにするというのは難しいかも。これも必要そうとか、予備としてみたいに入れちゃうものなぁ。
[1] [2]

篠田節子
(2008/12 新潮社)
"The Seisen-shinpo-Kai Case"

(p.284~上巻読了まで)



 話の中で、二年という言葉が出てくる。
 聖泉真法会をはじめてから、二年の歳月が経っているのだ。

 そのあいだ運営を続けてこれたのならば、
それほど大きなトラブルも出なくなってくるだろうし、
その対処の仕方も要領が見えてくる頃だろう。
信者たちだって、互いに不満をもちながらも何とかやっているはずだ。
 集会所のほうのエピソードが少なくなっていくのは、そうした事情もあるのだろう。

 とはいえ、それらがなくなったわけではない。
 大きな動きの中に、さまざまなエピソードが盛り込まれる。

 宗教に超能力をもとめる竹内由宇太という最初からいた少年は、
未明に集会所で呪詛を試みてボヤ騒ぎを起こし、
そこを飛び出し修験者系教団に入り、そこをも出て、高野山中で遭難死する。

 集会所を飛び出すとき、
鈴木は、本音を語ってまで彼にまともな生き方をするように説いたのだが、
それが結局聞き入れられず、このような形になってしまった……。
 そのことに悔恨し、自分の作った偽の宗教に真摯な想いで祈りを捧げる。


 集会所にたむろしていた若者は、
一時的に、ヴェハーラという宗教関係の物品販売業者に借り出される。
 税金対策に、頭数(あたまかず)をそろえるために集められたのだが、
意外にも彼らは、一人前並の働きをする。
 そして仕事をすることによって、彼らの様子もどことなく生気が現れるようになった。
 まあ、そうだよね。
 そういうものだ。

 こういうエピソードを挿入するあたりも、作者が宗教団体をつうじて、
さまざまな世相の問題を取り上げていくという意欲を感じる。


 かつて、芥川賞をとったという井坂は、破滅型の典型だ。
 正業に就かず、寸借詐欺のようなことを繰り返し、
金を手にしたら派手に使い、妻や幼い病気の子供をつれたまま野宿をする。
 しかし、文章は確かに一流で、話もうまく、
会報に載った彼の文章や講演は信者の間で高い評価を呼ぶ。

 何となく「一杯のかけそば」を思い出した。
 そんなによくは知らないが……。

 そんな男に、鈴木は神戸の支部をまかせることにする。
 支部の土地、建物の持ち主の願いでもあるが、
井坂の行状には目をつぶり、その人気を利用しようと、
鈴木はその依頼を了承し、彼を神戸へと向かわせる。
 それは、井坂が、教団の実務担当である増谷(森田の会社から出向してきた人物)
と折り合いが悪かったためでもあるのだが、
結果は大失敗に終わる。

 このエピソード、フィクションだから誇張しているのだろうが、作者の
文学に対する信頼が強すぎるような気もする。
 きわめて文学性が高い文章というものは確かに存在するが、
それが本もろくに読んだことがないような人にまで読む気にさせ、感動させることが出来るのか……。

 ん……。

 正直どうなのだろう。
 よくわからない。

   ※   ※   ※


 と、上巻の感想はここで終わり、

 上巻のラストは、森田の会社のインドネシアの工場が
暴動で焼かれたというニュースが入って終わる。

 で、
 ここで図書館へ本を返さないとならないので、いったん終了。
下巻の感想は、それを借りてきてからということになるでしょう。

 いつになるかは、さっぱりわかりません。

 すぐかもしれないし、ずっと先のことになるかも。
 いずれにせよ、そちらの感想も書く予定です。

 

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篠田節子
(2008/12 新潮社)
"The Seisen-shinpo-Kai Case"

(p.284~上巻読了まで)


 正直、こういう展開は予想していなかった。
多少信者は増えるものの、中野新橋の集会所のレベルで分裂が起こり、
信者が何かとんでもないことをして、それを収拾できないままに崩壊する、
というシナリオを予想していたのだ。
 そういう可能性をこの会は内包しているし、
それでも物語として充分に面白いと思うからだ。

 だが、この小説は、さらに上を行ってくれた。

 森田の会社と知り合ったところから、
教団は成長を著(いちじる)しくし、ベンツを乗り回せるぐらいという、鈴木の夢以上の規模となった。

 それによって教団は、より危険な、新たな道に踏み込むことになる。

 中野新橋の集会所が中心だったこれまでは、信者の人間関係や個人的な問題といった、
教団内に抱え込んだトラブルが多かったが、
 森田が無償貸与してくれた礼拝所が出来、教団が規模を広げるようになってからは、
物語の中心は、対外的なものに移ることになる。

 それまでは、
せまい中での濃密な人と人とのやりとりから生ずるいさかいや、
個々の性格から来る事件だったのだが、
そうした話は次第に薄れ、
教団運営に関する問題が中心となってくる。

 宗教団体というせまく、しかし濃密な場所を舞台として、
作者は現代に存在するさまざまな問題を描こうとしているのかな、
と思ったが、ここに至ってわかった。
 それ以上だ。
 作者は、そうしたことも含めて、
宗教にかかわるあらゆる問題を描き出そうとしているのだ。

 鈴木は、成長しつつある教団の舵取りをしつつ、さまざまな申し出や事件に出くわしていく。

 うさんくさいところもある宗教関係の業者だったり、
森田のように施設の貸与を申し出る人物だったり、
宗教界の大物だったり……。

 あたり一面、どこをとっても危険が感じられる。
 だが、そのどれが本当に危険で、どれが成功への道筋かはわからない。
 時間は限られている。
 しかも進めば進むほど、トラブルの埋まった場所は、多く、大きくなっていくのだ。

 マインスイーパーだな、と思う。
 それを鈴木は、すばやく、的確に処理していかなければならないのだ。

 中野新橋の集会所を中心とした話では、
その人間関係が複雑に絡み合った中から事件が起こっていたが、
ここでは次々と申し出やトラブル、あるいはそれを予感させる前兆が舞い込み、
それを鈴木がひとつひとつ(でもないが)解決していく、イベントクリア的な流れを感じさせる。

 それまでとは、方向性が違うのだ。


 面白い小説を読むと、
この話をゲームブックにしたら、と考えてしまうことは、
誰にだってあるだろう。

   (えっ、ないの~っ?)

 この小説でも、それを考えたが、なかなか面白そうだ。
 安易なRPGにあるような、楽観的な成長ではない。
 大きくなればなるほど、危険が増大し、厳しい選択をせまられるような展開だ。

 苦しい選択を迫られるが、そこがなかなか面白いんじゃないだろうか。
 作るのは難しそうだが。

 (まだ、続きます)

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篠田節子
(2008/12 新潮社)
"The Seisen-shinpo-Kai Case"

(p.284まで)
 


 訂正。

 金もうけ主義ではないと書いたけど
この宗教活動で、ベンツを乗り回すぐらいに儲けたいという野心が、鈴木にはあるようだ。

 やっていることが誠実なので、そうは見えなかった。
 もっとも、そうした誠実な外見の裏で、
しっかりとした計算が働いているのは本文中でもわかる。
 でもそれは、危ない橋を渡らないためのものであり、大きな野心は見出せない。

 一体、ベンツに乗り回すほどというのは、どの程度の本心なのだろう?
 とりあえず危険をおかしてまで、ということではないようだ。
 事を急ぎすぎれば失敗する。
 そのことを彼は、しっかりと心得ている。

 だからこそこの教団も、泡沫として消えたりせずに、着実に信者を増やしていけたのだろう。

     …… ……

 まあ、金もうけ主義でないといってもいいんじゃないかな?



 そんな教団にも、ほころびが出始める。
 信者同士が対立し、さまざまなトラブルが持ち込まれる。

 まあ、それも当然のことだ。

 世代間のギャップ基礎となる考え方や立場の違い――。
 現実でも容易に起こりうることが、ここでも起こる。
 ここが自分の居場所であると認識しているから、それを冒されないようにと真剣に主張をするし、
 常識的な人間ばかりがいるわけではない、

 今回読んだあたりは、
起承転結にあたる部分といっていいと思う。

 そうしたトラブルに対して、鈴木は厳しい戦いを強いられ、なんとか教団を切り盛りしていくのだ。

 その過程で去っていく信者もいるし、新しいトラブルが持ち込まれることも――。

 うまいなと思うのは、キャラクターだ。
 人間が描けているし、人間とその関係性が物語を面白くしている。
 そうした中からトラブルが生まれ、そのトラブルを解決するために鈴木が奔走し、説教をする。
 それに反対するもの賛成するもの、別の意見を言うもの、そして全然別のトラブルを持ち込むもの……。

 そうした流れに起伏があり、葛藤があり、
それらが物語を意外性に富んだ面白いものにしている。

 中でもすごいのは、
鈴木の発言にブレがないということだ。
 自分の本心とは必ずしも一致しない教義だというのに、
ちゃんとその教義に則(のっと)った説明をして、説得している。
 ともすれば、相手の話に圧(お)されてしまったり、ついうなずいてしまいそうな部分でも、
ちゃんと教義の言葉で切りかえしている。
 そのために教団を離れていく人もいるが、
それでも教義にブレはない。
 しかも、その言葉がちゃんと説得力のあるものになっているのだ。

 小説だから、といってしまえば簡単だが、
それが、この教団の存続に説得力を与えている。

 もし、教祖がその場限りのことを言っていたら、
その場は収めることが出来たとしても、
信者を減らす結果となっていただろう。

 またこの鈴木の切り返しの見事さは、
彼の有能さ、頭の良さの証座となっているし、
小説としても面白いものにしている。

 さて、
 そうした日々を送る中で、
鈴木は食品加工会社の社長、森田と出会うことになる。
 いつものように教義に絡めているとはいうものの常識的なアドバイスを、鈴木は説教する。
 その効果は覿面(てきめん)で、森田は信者となる。
 そんな折、大手食品会社が食中毒事件を起こす。
 それをきっかけに、その食品会社のずさんな管理体制が浮き彫りに出される。

 これは森田にとって僥倖(ぎょうこう)だった。
 信用を失墜させたその食品会社の注文の何%かが、森田の会社にも回ってきたのだった。

 森田の会社は成長し、
インドネシアに工場を作ったり、事件を起こした大手食品会社の工場のひとつを買収する計画も出てきた。

 ついては、老朽化した工場を取り壊して研修施設を作るので、そこを自由に使ってもらえないだろうか。
 税金などの問題で面倒なので、寄進というわけにはいかないが……。

 森田は、鈴木にそう持ちかけてきた。

 おりしも、中野新橋の教場もボヤ騒ぎを出しており、この申し出は鈴木には魅力的だった。
 そんなわけで彼は、それを受け入れる……。

 と、今回読んだのはこのあたりまで。

 願ってもない申し出だが、それゆえにトラブルの芽を感じさせる部分でもある。
 いずれにせよ、ひとつのターニングポイントだということはことは確かだろう。

 この作品が「小説新潮」誌に連載されたのは、2004/4~2007/5 ということだから、
2007年6月 ミートホープの事件などはかかっていない(加筆などはしているかもしれないが)ものの、
BSE(狂牛病)、雪印やハンナンの偽装など、
食の安全は今世紀に入って特に注目される問題となった。

 ここでこうしたことが出てくるのは、
そうした世相をとらえてのことだろう。 

 いや、ここだけではない。

 この作品全体が、
この時代の社会の流れや大きな時代のうねりの中での
人間というものを描こうというものなのだろう。
 宗教団体というのは、
それを切り取って浮かび上がらせるための舞台なのだ、
おそらく。
 

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篠田節子(2008/12 新潮社)
"The Seisen-shinpo-Kai Case"
p.146まで。
(まだ動いてませ~ん:)



 (1)から続く。

 パソコンではじめた宗教団体だが、いくら虚業とはいえ、信用と信頼、そして安心感を信者から得るためには、実際に拠点となる部屋が必要だ。
 
 というわけで、ふたりは部屋を探しはじめる。
 偶然にも、鈴木の入っていたマンションの一階、「木馬文庫」という喫茶店があった場所が売りに出されており、彼らはそれがいわくつきの物件であることを知って、破格の条件で自分たちのものにする。

 このくだりは、運に味方をさせているが、それは仕方がないだろう。 
それがなければ物語が動かない。
 動かなければ、結局宗教団体の話は立ち消えになっていただろうし、
鈴木たちも、もっとマトモなことを考えはじめたにぢかいない。
 
 それにしても、
もともと社会活動家が不当に占拠していたのを嫌って、この場所を売りに出していたというのに、
また得体の知れない宗教団体が入って、もとの持ち主は眉をひそめなかったのだろうか?
 いや、眉ぐらいはひそめたのかもしれないな。
 ただ、売ってしまったら、あとは関係ないと、無視を決め込むことにしたのかもしれない。
 それとも、彼女はあとでまた出てくるのだろうか?
 
 いずれにせよ、こうして彼らの宗教団体、「聖泉真法会」は、その活動を始める。
 インテリアは、美大出の矢口が担当する。
(どうでもいいことだが、この矢口誠という人物、
私の中では、『逆転裁判』矢張政志にイメージが変換されて仕方がないのだが……)

 いろいろと描写があるが、 現実的な部分を隠すために布を微妙にたるませてたらしたり……。
 要するに、特撮ものの悪の秘密結社のセットとかと思い出してもらうのが手っ取り早いだろう。
 で、そこから悪っぽい要素を引く――。
 ドライアイスは用いないものの、香を焚きしめ、ロウソクのほの灯かりで照明し、
神秘を演出しているわけだ。  

 拠点のある中野新橋といえば、新宿にほど近いあたり。
 ここには、いろいろな人がそこに集まってくる。
 もとここでやっていた社会活動ネットワークと間違えて迷い込んできた女性。
 大手の宗教団体から流れてきた人。
 家出少女。
 神秘主義の超能力的な部分に傾倒する少年。
 ……。
 それぞれが、内面にそれぞれの悩みと、心のゆがみをかかえている。
 それを鈴木は、宗教的なものではなく、常識的な方法によって解いていく。
 
 商売としての宗教といっても、鈴木は荒稼ぎを考えていない。
心の安定を与える対価として、何がしかの寄付を得て生活していこうという考えだ。
 そのため彼は、神秘性をウリにはしない。
 一応の教義や儀式はあるものの、それはまぁ、プラシーボ効果といったものだろう。
 特に、彼女ら(女性が多いのでこう記す)、のかかえているのは、心の問題だ。
 それに対して、思い込みが大きな力になるのも当たり前だろう。
 
 もっとも、それだけではない。 女性の話を親身になって聞ける矢口と、
常識的でしっかりした物言いが出来る鈴木。
 硬軟かみ合った両輪が、信者の悩みを引き受けていく。

 特に、親身になって話を聞いてくれる存在は貴重だと思う。
作中にも書いてあったと思うが、いまの時代、自分のことを語りたがる人間は多くても、
それを聞いてくれる人というのは少ないからだ。 

 さらに、鈴木には有能な公務員だったという実績がある。
そのため、現実的な対応の仕方をよく知っており、そのための行動力もある。
  当てにならないものではない、具体的・直接的な解決を彼は提示することが出来るのだ。
(もちろん、すべてに対して、というわけではないが) 

 これはつまり、悩みをかかえた女性にとっての、理想的な駆け込み場所となっているわけだ。
  こういう駆け込み場所というのは、本来、他にもあってしかるべきだが、なかなか見つからない。
 あるいは、悩みをかかえた人が見つけることが出来ない。
 都会のど真ん中ともなれば、なおさらだ。
 宗教組織という外面は、そういう人たちに目に付きやすく、入り込みやすいものなのだろう。

 そうした理想的な現代の駆け込み寺の姿を、作者はここでまず提示したのでしないかと思う。

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篠田節子
(2008/12 新潮社)
"The Seisen-shinpo-Kai Case"

p.146まで。
(前回から動いてませ~ん:)


(今回は、外伝といいますか、ちょっと脇道にそれた内容です)

 小説の時代は、アメリカの同時多発テロが出てくることからして、2001年
 つまり、主人公がゲームブックを上梓しようとしたのも、そのあたりということだ。
 創土社のゲームブックの刊行が始まったのが2001年の11月だから、
困ったことに、もっともゲームブックが出ていない頃なのだ。

 そのときに、ゲームブックを中核としたマルチメディア展開というのは、ちょっと無理っぽい。
 まあ、コンピューターのアドベンチャーゲームを中核にというのならまだありえるかもしれない。
 でも、そうなると今度は、もっと関わってくる人数が多くなってしまうから、
話がわかりやすくならないか、うそっぽくなるのだろう。

 それにしても、だ。
『グゲ王国の秘宝』は、四百字詰め原稿用紙にして、5000枚。
作者の鈴木正彦は、それを1日40枚のノルマで、5ヶ月で完成させたという。
 しかも、彼はエリートコースの地方公務員だ。
 ソフト会社との折衝が続く日は、家に帰るのが12時というハードスケジュールの中で、
ノートパソコンを持ち歩き、細切れの時間を利用して書き続けていったのだそうだ。

 執筆スピード、体力、集中力、
とにかく、小説を書くためのすべてが彼には備わっていたといっていいだろう。

 それに彼は、これがまったくの初めての作品というわけではない。
 公務員生活のかたわら、アニメやゲームのシナリオを書いたり、
ゲームのノベライズも覆面作家として手がけたりしていたという。

 このゲームブックにしても、最終稿まで完成させていたわけだし、
作者も彼の担当の矢口も自信を持っていたようだから、かなりの完成度だったのだろう。

 確かに、5000枚のゲームブックが灰燼に帰したことは痛かっただろうが、
そんな作品が書ける作者ならば、
次の作品に再起を賭けることは、そんなに無鉄砲なことでもなかっただろうと思う。
 無に帰したといっても、書いたものと調べた知識は自分のものとなっているはずだ。

『グゲ王国の秘宝』を書くあいだにも、別の作品構想が浮かんでいても不思議ではない。
 何も思いつかなかったのだとしたら、
『グゲ王国~』を小説化、とか、その一部を拡大して外伝を書くという手もあるだろう。

 別に宗教事業などに乗り出さなくても、作家としてやっていけたのではないだろうか?

 もちろん、会社を辞めてしまっているので当座の生活には困るかもしれないが、
昔のツテをたどってゲームノベライズを書かせてもらうこともできるだろうし、
それが無理なら当分アルバイトで糊口をしのぐのも仕方ない。

 体力も常識も行動力も実力もあるこの作者ならば、作家としてちゃんとやっていけることだろう。

 で、作家としてやっていけば、もしかするとそのうち、目にするかもしれない。

 創土社の「俺に書かせろ!」というゲームブック募集の告知を。

 そのときにこそ、おもむろに『グゲ王国の秘宝』を提示すればよいのだ、

 5000枚は多いかもしれないが、
内容が素晴らしいものならば、それは関係ない。
(むしろ、いいとさえ言えるかもしれない)

 出版されていれば、きっと反響を呼ぶものになっただろう。
ゲームブックの状況も、現在とは違うものとなっていたかもしれない。

(結局、これが言いたかったのですね)




 えっ、妄想? まぁ、そうなんですけど……。

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篠田節子
(2008/12 新潮社)
"The Seisen-shinpo-Kai Case"

p.146まで。



 作品中にゲームブックが登場しているということで気になっていたが、
ようやく図書館で借りることができた。
 で、さっそく読んでいる途中。

 もちろん、パラグラフ分岐がしていたりするわけではない。
それでも、作中でゲームブックがどのように扱われているかは、気になるものだ。

 ただ、そのゲームブック『グゲ王国の秘宝』に関してははたぶんあとで書くことになると思う。

 この著者の作品ははじめて読むのも、書いておく。

 まずは開口一声。

 いや、面白い。

 ゲームブックに言及されているされていないは関係なく、とにかく面白い。

 まず、キャラクターがいいのだ。

 ゲームブックで失敗して宗教団体を始める、という粗筋を聞いたときは、
主人公は二十代、24~27ぐらいを想像していた。
 だが、そうではない。
 主人公の鈴木正彦(桐生慧海(きりゅうえかい))は、38歳
 そのパートナーとなる矢口誠(まこと)は、40歳

 二十代ならこの話も、一念発起して作ったゲームブックが大失敗して、
その勢いで一発儲けようと新興宗教を起ち上げたという話になるだろう。
 それで、未熟さがたたってそれが失敗に終わる……。
 そんな展開が予想できてしまう。
 実際、ありそうな話だ。
 そんな過程を経て失敗したゲーム会社とかベンチャーとかもあるだろう。

 ところが、この小説の主人公は40近く。
 しかも国家公務員のエリートコースを嘱望されていた、常識もあり実務もこなせる人間だ。
 そのため、うわついた失敗はおかさないし、問題解決能力もある。
 そして、パートナーの矢口は、企画屋でデザイナーで、人当たりが良く女受けがいい。

 この硬軟まったく違う性格の二人がタッグを組むことで、
主人公がいう「虚業」を起ちあげる際にふりかかる、
トラブルを含むさまざまな出来事を解決していく……。
 それがこの作品の、とりあえずここまでの魅力だ。
(続きます)

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