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2024/11/22 『赤毛のアン』が『アン・シャーリー』というタイトルになって2025年5月。Eテレで放映されるそうでございますな。キャラクターは以前日本アニメーションで製作された『赤毛のアン』をちょっと大人っぽくか、外国人に寄せた感じ。キャラクター原案:近藤喜文となるのかなぁ。基本的な服装などはどうあっても同じ感じになると思うので、あとは高畑勲先生へのリスペクトを表明するかどうかといった話になりましょうな。過去のアニメ作品をリスペクトして作られるってないですよねぇ。しかも小説などが原作としてありつつ。新しくていいと思います。
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 この作品などは、本当にそのまま映画になりそうです。夜は千の目を持っている
 元になった作品があったんじゃないか
と思うぐらいに映画的です。
 私もあまり映画見ていませんが、
当時の東宝や日活映画にありそうですよね。
 
 クライマックスの、街に歌声が響き渡る中、
ビルの一室では銃撃が行われ、
その室内に歌声が聞こえてきて……、
という展開は元がどこかにありそうで、
小骨が喉に引っかかった思いがします。
 
 というか、このパターンっていくつかありますよね、
ラジオから歌声が流れてきて改心するとか。
ゴジラ』の芹沢博士もその例でした。
 
 と言っても、、石ノ森先生のオリジナルであることは間違いありません。
続・マンガ家入門』に、構想メモが載っているので明らかです。
 
 夜は千の目を持っている 夜は千の目を持っている  

 この作品で重要な役割を果たす「夜は千の目を持っている」の詩も、
原詩で書いていますから、この詩から発想したのでしょうし、
作中の歌も石ノ森先生自身が訳されたものでしょう。
 
 この詩、とにかくイメージが広がりますよね。
 千の目と表現された星々。
 それに対して1つしかない心。
 でもその1つはすべてでもあり、それが失われればすべてが失われてしまう。
 
 冷静に考えると、昼の日が失われてすべてがなくなるんじゃ、
夜の立場はどうなるということになりますが、それはヤボというもの。
イメージの広がりを楽しむのです。
 
 
 千の目を持つというファンタスティックな比喩から、
予言や千里眼をイメージさせる詩でもありますね。
ウィリアム・アイリッシュの『夜は千の目を持つ』や
石ノ森先生の『千の目先生』などは、
そうした能力が設定の核になったお話です。
 
 
 ですが、この話は違います。
「夜は千の目を持っている」という詞(ことば)の空間的な広がりと、
「愛が終わりをつげたとき 命のすべての明かりも死んでしまう」という
ドラマチックなフレーズにインスピレーションを受け、
クライマックスのシーンが思い浮かんだのでしょう。
 
 最初はだから、クライマックスは星空だったのではないでしょうか。
この詩を元にしたということは、
星がすべてを見つめているというイメージがあったと思われます。
 
 メモでは「雪の日」とつけ足されていますから、
構想を考える段階でそうしたのでしょう。
(雪の日ということで、クリスマスの物語かなと思ったのですが、
 物語は1月9日の出来事なんですよね。掲載が正月増加号だからでしょう) 
 
 雪がクライマックスをドラマチックに盛り上げ、
ラストの一コマの星空が、すべてを見守っている。
 
 見事な構成だと思います。
 
 
 さて、「夜は千の目を持っている」の訳についてです。
 先ほど書いたとおり、石ノ森先生自身が訳されたものだと思いますが、
歌詞としてうまいと私は思います。
  
 ネット上にもこの詩の訳はいくつかありますが、
それらと比較しても優れているのではないでしようか。
 
 それほど難しい詩ではないので誰でもそれなりに訳せるでしょう。
それに、私が素晴らしいと思ったのは、
2連の冒頭、それを忠実には訳さないで1連と同じ
「夜は千の目を持っている」にしたことなのですね。
 
 訳というのは、原典に忠実なのが基本ですから、
そうではないものがそれよりもいいというのは、ずるいと思うかもしれません。
でもこの場合は、その判断がいいのです。
 
 この詩の訳で悩むのは、2連の最初の Mind です。
 単純に訳す場合には心でいいのですが、
そのあとに heart が来ているので、そうは訳せません。
 
 そこで辞書を調べてみると、理性とか知性とかいう言葉が出てくるんですよね。
 
 ならば、それを当てはめればいいかというと、そうではない気がします。
 
 意味はそれで通ずるもののこの場合、
千の知性や理性に対して1つの心というのは、
対比として合っていない気がします。
 
 heart は中心にあるものであり、1連で太陽にたとえられていますから、
魂であり、相手を思う本当の気持ちでしょう。
 
 だとすると、千のココロとは、瞬間瞬間で現われるさまざまな想い、
感情の揺れみたいなものではないかと思われます。
 
 想いは千々に乱れ、などという言葉がありますよね。
 
 そんなものが、この mind なのではないかと思うのです。
 
 mind という言葉を使ったのは、単に1連の night と韻を踏むためでしょう。
 
 だとすれば、知性とか理性とかとは訳さなくてもよくなります。
 
 では、どう訳せばいいか。
 想いでもいいと思うのですよね。
 でも心との対比として弱い。
 と言うか、心という単語が
日本では、中心にあるもの、魂としてのイメージが弱いため、
mind にどんな単語を持ってきても
対比としての意味があまり出ないのだと思います。
 
かといって解説してしまえば台無しですし、
heart を魂と訳すのも違う気がする。
第一、語呂が悪い。
 
 それに劇中出てくるのは、歌われるものとしての詞です。
それも考えると、やはり、1番の繰り返しである
「夜は千の目を持っている」にした判断は正しいな、と思うのです。
 
 
 
 最後に重箱の隅を。
 サンコミックス版では、名字に間違いがありました。
 平井加代子さんが土井加代子さんに、
 ひらいまことさんがうめみやまことさんに
 それぞれなっていたのですね。
 
 平井のほうは、おそらく石ノ森先生の書いた字が雑だったので
写植打つときに間違われたのでしょう。
 
 梅宮のほうは、主人公の女性が梅宮紀子なので、石ノ森先生が混乱したのでしょう。
 締め切りが迫っていて、チェックしなかったのかも?
 
 でも、単行本収録時にそのままっていうのは……。
 まぁ自分も、異同を見るまで気づきませんでしたけど。
 
 ちなみに『続・マンガ家入門』では、手直しされています。
初版はサンコミックス版のほうが後ですので
どの時点で直したのかは分かりませんが、
自分の持っているサンコミックス版は、
その手直しされたものよりも後の版なのですよね。
 
 うーむ。

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