2025/03/08 というわけで『よつばと!』16巻にこざいます。ツリーと高尾登山と手術、そして大阪。
買うまでの間に話は聞いておりましたが、あの大阪さんが先生となって登場いたします。『あずまんが大王』時代のテイストを失わないで。たしかに、大阪さんは小学校低学年の先生としてはうってつけかもしれません。この際なので、『大阪万博』(2009)も電子で出せばいいのにと思います。10周年記念として出されたグッズなどの関連資料と、16人のマンガ家によるトリビュートコミック。見ごたえ・読みごたえのある一冊でございました。色々な方が関わっているので、難しいのかもしれませんが──。
『全修。』第6話のところで、
『ザ・ブルークリスタルロッド』のことをちょっと書きました。
『ザ・ブルークリスタルロッド』のことをちょっと書きました。
記事を書く時、確認のためにいろいろ見るのでございますが、
その際ニコニコに『ザ・ブルークリスタルロッド』の
全48エンディングというのを発見したので、
ついつい眺めてしまいました。
その際ニコニコに『ザ・ブルークリスタルロッド』の
全48エンディングというのを発見したので、
ついつい眺めてしまいました。
(リンクは貼りません)
パート4まで。合計140~150分ぐらいかな。
パート5までの予定だったらしいのでございますが、
それはございませんでした。
パート4まで。合計140~150分ぐらいかな。
パート5までの予定だったらしいのでございますが、
それはございませんでした。
当時全パターンエンディングを見たと思っていたのでございますが、
見たことないものもございましたから、そうではないかも。
見たことないものもございましたから、そうではないかも。
単に、覚えていないだけなのかもしれませんけどね。
エンディングは48あり、セーブは50できるので、
すべて保存したと思ったのでございますが、
似たようなエンドも多ございますからなぁ。
すべて保存したと思ったのでございますが、
似たようなエンドも多ございますからなぁ。
同じものを違うと誤認して二つ保存したものもあったのかもしれません。
というわけで、今回はそんな『ザ・ブルークリスタルロッド』の話を──。
1994年のこの作品、バビロニアキャッスルサーガの第四弾ではございますが、
それまでの作品とは一線を画します。
それまでの作品とは一線を画します。
『ザ・タワー・オブ・ドルアーガ』『リターン・オブ・イシター』
『カイの冒険』が、違うシステムとは申せアクションだったのに対し、
この作品はアドベンチャーゲームなのでございますな。
『カイの冒険』が、違うシステムとは申せアクションだったのに対し、
この作品はアドベンチャーゲームなのでございますな。
東西南北に移動して、選択肢を選ぶという形式で、
古典的なアドベンチャーゲームや双方移動型のゲームブックに
よく似た外見をしております。
古典的なアドベンチャーゲームや双方移動型のゲームブックに
よく似た外見をしております。
異なるのは、内部にパラメータを有しているところ。
それが数値として画面上に出ず、
ただ◯◯が高くなりましたというふうに表示されるのみのため、分かりにくい。
ただ◯◯が高くなりましたというふうに表示されるのみのため、分かりにくい。
『魔道物語』で申しますところのファジーシステムでございますが、
これが戦闘ではなくシナリオの展開に関わってくるところが困ったところ。
この数値、
一般的なRPGのパラメータのように見えて、実は違うのが困ったところ。
一般的なRPGのパラメータのように見えて、実は違うのが困ったところ。
むしろ『ウルティマⅣ』の徳のような、
主人公の心の有り様を示したものになっております。
で、さらに各パラメータは、
この世界にいるそれぞれの神さまと関わりがございまして、
ある数値を挙げるということは、それにかかわる神さまとの関係が近くなり、
それによって、エンディングが変わる──だいたいそんな感じでございます。
ただ、
最後にどのパラメータを上げていたかによって決まるというのではなく、
道中のイベントでそのパラメーターがある一定以上、
あるいは以下だったらパスできるというふうな形で、
出会える神やイベントなど、運命が決まっていき、
そうして、48エンディングのどれかにたどり着く、
あるいはその前にバッドエンドとなったりするわけでございます。
そう、
パラメーターが低くないとパスできないという場合もあるのでございますね。
パラメーターが低くないとパスできないという場合もあるのでございますね。
たとえば、力を上げすぎたりすると、
そのことを嫌われて神と遭う道を閉ざされたり、
そういうこともあり得るのでございます。
そういう場合は、力を良しとする神に近い結末になりましょう。
(ある場所に行き、
力を弱くすることによって通過可能になるという方法を選べる場合もございます。)
そのぐらいの予想はできるとは申せ、
やはり分かりにくいことには変わりないのでございますよね。
力を弱くすることによって通過可能になるという方法を選べる場合もございます。)
そのぐらいの予想はできるとは申せ、
やはり分かりにくいことには変わりないのでございますよね。
それでエンディングが予測のつかないことになっているのは、まぁいいとは申せ、
すべてのエンディングを見ようとすると、ちょっと面倒。
すべてのエンディングを見ようとすると、ちょっと面倒。
考えてみるとそこら辺は、
恋愛アドベンチャーと似たようなものかもしれませんが……
雰囲気はだいぶ違いますなぁ。
恋愛アドベンチャーと似たようなものかもしれませんが……
雰囲気はだいぶ違いますなぁ。
つかみにくいと申しますれば、距離感もそう。
双方向移動型のゲームブックと同じなので、
街中で10メートル歩く場合でも、
遠方に棲む神さまを訪ねるために荒れ野を数キロ歩く場合でも、
カーソル1回押しで同じなのでございますよね。
街中で10メートル歩く場合でも、
遠方に棲む神さまを訪ねるために荒れ野を数キロ歩く場合でも、
カーソル1回押しで同じなのでございますよね。
もちろんそれが数回繰り返される場合や、
到達のための条件がある場合もございますが、
RPGのようにフィールドをえんえん歩くというわけではないのて、
神さまに遭う有り難みが薄いのが困ったところにございます。
ただですねぇ、ではフィールドを用意してやればいいかと申します
とそうでもございませんで……。
とそうでもございませんで……。
いちいちえんえんと歩くことにしていたら、
ダレたり、48あるエンディングのすべてを見てやろうという気を
なくしてしまうと思うのでございますよね。
なので、1回のプレイが数十分で済むこの方法は正しいのでございます。
ついでに申しますれば、フィールドを歩くとなると、
そこにモンスターを出現させたくなるでしょう。
ですが、そうなると力のパラメータだけが上がってしまい、
他の要素が必要なエンディングが遠ざかることになるのですよね。
そのようなエンカウントが不要なことも、
フィールドを用意しなかった理由なのだと思います。
では一方向移動型にすれば──。
それもそうではございませんでしょう。
このゲームでは、色々な場所に行くことによってパラメーターが変化し、
行ける場所が変わり、そのことが結末に影響を与えます。
行ける場所が変わり、そのことが結末に影響を与えます。
そのため、ある程度自由に場所移動できる必要があるのでございますよね。
そのためにも双方向移動型がふさわしいのでございます。
遠藤雅伸先生は、
『シェンムー』みたいな感じのものをやりたかったと
後年おっしゃっておられるようですから、早すぎた作品と申せましょう。
『シェンムー』みたいな感じのものをやりたかったと
後年おっしゃっておられるようですから、早すぎた作品と申せましょう。
実際、他の観点からも早すぎた感はございます。
オープンワールドで実際にその場にいるような感覚が得られたのなら、
ストーリーにせよ何にせよ、もっと分かりやすくなったかもしれません。
オープンワールドで実際にその場にいるような感覚が得られたのなら、
ストーリーにせよ何にせよ、もっと分かりやすくなったかもしれません。
キャラクターのイラストには、
ゲームブック的には虎井安夫の名で知られております篠崎雄一郎画伯の、
頭身の低いキャラクターが採用されております。
ゲームブック的には虎井安夫の名で知られております篠崎雄一郎画伯の、
頭身の低いキャラクターが採用されております。
『ドルアーガの塔』などのポスターからおなじみのものでございますし、
ドット絵のキャラクターに近いものではございますが、これもまた微妙なところ。
シリアスな話なのでゲームブック版のような八頭身が合っていると思う一方、
かわいらしいキャラクターでよかったという部分も。
文章が、です・ます調なのでございますよね。
古代の神話は、
叙事詩的な部分があると同時に寓話・童話的な部分がございまして、
この作品もそうなのでございますよね。
叙事詩的な部分があると同時に寓話・童話的な部分がございまして、
この作品もそうなのでございますよね。
その寓話・童話的な部分には頭身の低いキャラが似合うのでございます。
また、実際的なことを考えますに、頭身の低いキャラクターは
もしかすると容量を減らすための処方だったのかもしれません。
もしかすると容量を減らすための処方だったのかもしれません。
リアル等身のキャラクターですと、所作などごまかせない部分もあると思いますし。
一長一短ではございますが、
ですがわたくしといたしましてはやはり、
シリアスなキャラクターでやってもらいたかったなぁ、
と思う次第でございました。
ですがわたくしといたしましてはやはり、
シリアスなキャラクターでやってもらいたかったなぁ、
と思う次第でございました。
物語に関しましては、一見さんお断わりな取っつきにくさも問題でございます。
「バビロニアン・キャッスル・サーガ」と申しましても、
それまでのシリーズはアクションでございましたからなぁ。
それまでのシリーズはアクションでございましたからなぁ。
背景世界を知らなくてもまったく問題がございません。
さらにゲームブック版『ドルアーガの塔』。
イラストが虎井安夫先生のリアル等身で描かれておりますから、
これこそ本物と一見思いがちですが、これとも違います。
これこそ本物と一見思いがちですが、これとも違います。
名前などところどころ、元作品の設定を持ってきてはおりますが、
だいたいはこの作品独自の設定。
原作にはメスロン出てまいりません。
城塞都市カレーも出てまいりません。
別ものでございますな。
別ものでございますな。
では、「~サーガ」は
シュメール文学の『ギルガメシュ叙事詩』に基づくものか
と申しますとそうでもございません。
そのあたりの歴史や言葉を一部利用しているとは申せ、直接の関係はございません。
シュメール文学の『ギルガメシュ叙事詩』に基づくものか
と申しますとそうでもございません。
そのあたりの歴史や言葉を一部利用しているとは申せ、直接の関係はございません。
何しろ元ネタは、ダンジョンズ&ドラゴンズのバビロニアの項目らしいですからな。
ただ、そこから三部作となる物語を作りあげたそうでございますから、
『ダンジョン&ドラゴンズ』にしても、
モンスターの一部を借りただけで、関連性は薄いと申せましょう。
『ダンジョン&ドラゴンズ』にしても、
モンスターの一部を借りただけで、関連性は薄いと申せましょう。
ほぼ完全に遠藤雅伸先生のオリジナルの設定なのでございますな。
それを『ザ・ブルークリスタルロッド』の中だけで理解するのはかなり難しいかと。
本当に楽しめるのは、
このシリーズについてマニアックなまでに知悉した方のみではないかと思われます。
このシリーズについてマニアックなまでに知悉した方のみではないかと思われます。
このゲームが出たのが1994年。
『かまいたちの夜』が登場する8ヶ月ほど前のことでございます。
ゲームブックは下火になっておりましたし、
グラフィックや、双方向移動というシステム的にも
目新しさを感じられなかったのでございましょう。
グラフィックや、双方向移動というシステム的にも
目新しさを感じられなかったのでございましょう。
定価は9800円で、当時の平均よりもやや高いかな、でございましたが、
そのせいもあってか売れなかったのでございましょうか。
そのせいもあってか売れなかったのでございましょうか。
わたくしは発売の数年後、1980円とか980円とかいった
投げ売り価格で買ったような気がいたします。
投げ売り価格で買ったような気がいたします。
えっ、わたくしがやってみた感想はどうか、ですって?
そうでございますなぁ。
まずグラフィックが使い回しが多くて、
場所とかにいたしましてもどこに行っても同じ感じなのがなんとも。
場所とかにいたしましてもどこに行っても同じ感じなのがなんとも。
48もエンディングがあるので、
何回も繰り返しをすることになるのでございますよね。
特にほとんどの最後は、
ブルークリスタルロッドを天空の台座に挿して、
その結果どうなるかみたいな話なので、
何度もそれを見ることになるのでございます。
ストーリーは大胆に変わる部分がございますが、
特別に用意されたグラフィックというのが少なくて、
絵的にはあまり変わらない印象でございました。
特別に用意されたグラフィックというのが少なくて、
絵的にはあまり変わらない印象でございました。
選択によって、神々の性格も変わります。
もともとその性格だったのか、
ギルの行動によってそういう行動になるのかはわかりませんが。
もともとその性格だったのか、
ギルの行動によってそういう行動になるのかはわかりませんが。
たとえばドルアーガも完全な悪から、
もう少し世界を見据えている存在まで、
エンディングによって変化はございます。
もう少し世界を見据えている存在まで、
エンディングによって変化はございます。
ただし、『かまいたちの夜』のように、
設定やら何やらがすべて変わってストーリーが展開するということはございません。
設定やら何やらがすべて変わってストーリーが展開するということはございません。
ですから、ストーリーが大胆に変わるとは申しましても、
歴史ifみたいなものでございますな。
歴史ifみたいなものでございますな。
この状況でこの行動ならこうなるこの性格なら──といった感じで、
一つの茎から隣り合ってたくさんの花が咲く──。
一つの茎から隣り合ってたくさんの花が咲く──。
そんな感じでございましょうか。
以上、わたくしの個人的な感想でございます。
今の時代にオープンワールドで作りましたら、
もっとストーリーが伝わるとは思いますが、
ストーリーだけでオープンワールドは作れませんからな。
多くの要素を足していく必要がありまったく違うものになると思います。
ですから『ザ・ブルークリスタルロッド』は欠点はあるにせよ、
これはこれで一つの形なのだと思います。
おそらく遠藤雅伸先生といたしましては、
ドルアーガのために作ったストーリーを発表したくて、
このような形の作品にしたのでございましょう。
ドルアーガのために作ったストーリーを発表したくて、
このような形の作品にしたのでございましょう。
グラフィック云々よりもとにかくストーリーを、ということで、
こんな形になったのだと思います。
こんな形になったのだと思います。
もっとストーリーが伝わるとは思いますが、
ストーリーだけでオープンワールドは作れませんからな。
多くの要素を足していく必要がありまったく違うものになると思います。
ですから『ザ・ブルークリスタルロッド』は欠点はあるにせよ、
これはこれで一つの形なのだと思います。
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