ただ、パズル性のある物語というのは、
作者が難しくしようと思っていると、
作者の思っている以上に読者(プレイヤー)にとって難しくなってしまう
ことがしばしばございますな。
ファミコンのゲームもそうですし、ミステリ小説などでもそうでございます。
作者は、そのゲームなり物語を熟知しておりますから、
このぐらいのことはわかるだろうと思っておりますと、
思わぬところに読者は引っかかってみたり
……などとということもございます。
加えて、ゲームブックには、ゲームブックゆえの特殊性もございます。
一つには、
プレイヤーが自分ですべてをやらなければならないということ。
コンピュータを介するゲームのように自動的にデータが記録・更新されるわけではございませんし、TRPGのようにゲームマスターがいるわけでもありません。
判定したり、記録したりをプレイヤーはすべて一人でやらねばならないのでございます。
その煩雑さの段階で、すでにゲームブックは難易度を一つ上げているとも申せましょう。
それは、ゲームブックのプレイヤーならば、誰もが心得ていることだろう、ですって?
確かにそのとおり! でございますが、
心得ていようがいまいが、そこのところが単純にいって、ひと手間な部分には変わりございません。
それが、ゲームブックへの道を狭くしていることは確かでございましょう。
もう一つは、
ゲームブックがジャンルクロスオーバーな作品であるということでございます。
戦闘ルールがあり、フローチャートにパズル性を仕込め、
しかも、表だったパズルも挿入できる--。
(さらに物語的な難解さを組み込むことも可能ですが、そこまではここでは論(あげつら)わないことにいたしましょう。なぜなら、実際問題といたしまして、そのようなゲームブックあまり例がないからでございます)
その一つ一つはそんなではなくても、組み合わせてしまうと難しくなる
ということは、よくあることでございます。
たとえば戦闘だけに限ってみても、互角でなんとか勝てるだろう、という敵でも、連続して勝ち続けるとなると、その確率はどんどん下がっていくものでございますからな。
さらにパズル的要素も必要だな、とか、試行錯誤もある程度ないと……、
などと考えて、サドンデスのパラグラフを加えていくと、
ゴールへの道はさらに狭き門となる……。
まぁ、こういうことは、ゲームブックのプレイヤーならば、誰もが経験していることでございましょう。
またそれを、
マニアックな読者(プレイヤー)が、「簡単だった」とか、「なんてことなかった」などとあおったりいたしますと、さらに難易度を高める結果に……、
などというのことはよくあることでございますな。
それは、ブームが沸騰していい状態ということでもあるのでございますが、
そういうことをいうのは、読者が若い(成熟していない)ということであり、
つまりは、そのジャンルも若い状態であるということである一方、
そうしたマニアックな声を鵜呑みにして難易度をどんどんあげてまいりますと、
結果としてそのジャンル全体が難しいという印象を受け、ブーム自体が衰退してしまう。
そのような例はよくあることでございます。
ゲームブックも、まぁ、そうだったのではございませんでしょうか。
謎出しに関してはTRPGでもままあることですが、解けない場合は作品への印象が激変してしまうんですよね。東京創元版の幾つかの作品のように巻末にでも答えを書いておく辺りが無難かもしれません。
そういえばドラゴンファンタジーのは難しすぎるとおもったことはありませんでした…ね。
ゲームオーバーになったとかでしたらともかく、何でもないようなところで中断していたよ~な……。
いっぺんに買った本やゲームといったものは、積みになってしまう可能性って高かったりいたしますぅうぅぅぅ。
(創土社のゲームブックは、『竜の血を継ぐもの』で初めて知ったので、それ以前に発売されたものは、本屋さんで一括で注文して買ったのでございます。……)
でも、そうでございますな。
読んだかぎりの部分におきましては、難易度を下げようとしているのは感じましたな。
ただ、同じ辛さのカレーでも、おいしいものとまずいものとがあるように、ゲームブックも難易度が高いから面白いということではなく、料理の仕方によってどの難しさでもおいしいものを作り出すことはできるのだとおもいます。
以前のブームの時には、そこを誤解していたきらいがあるのではないでしょうか?
特に、出版社のブランドにこだわっていたきらいが。
もちろんその背景には、だいたいにおいてそれが当てはまっていたという経緯がございます。
が、それにしても視野狭窄におちいっていた感がなきにしもあらず。
わたくしといたしましては、そのように感ずる次第でございます。