まぁ、失敗したほうが得、というのは、ゲームブックを考えていると、誰でも思いつくことではございましょう。
でも、うまくいっているとクリア不可というのは、ゲーム的にはありえませんな。
では、物語的には?
ゲームブックは、ゲームであると同時に、物語でもございます。
そのため、ゲームとしてみた場合と、物語としてみた場合の二つの側面から論じられるべきでございます。
ゲームとしてみた場合には、成功には報酬を、失敗にはペナルティを、という考えが当然でございましょう。
しかし、物語としては必ずしもそうではございません。
失敗したけど、あるいは、失敗したら、うまくいっちゃったというのは、ギャグなどでよくある例でございますからな。
そこが、ゲームブックに“失敗したほうが成功”という、何とも変な状況を割り込ませる要素となっているわけでございます。
さて、この相反する状況をどうすればいいか?
これも2つのケースが考えられます。
まず、判定要素がない場合。
パラレル小説型と呼ばれるヤツですな。
戦闘ルールや技能チェックがない、もしくは意味合いが軽いゲームブックの場合。
この場合は、物語要素が強く現れているわけでございますから、話の展開次第ではアリでございましょう。
うまくやったと思ったら、失敗……。
そのような理不尽なデッドエンドも、説明がつけば(しぶしぶ)納得できることもございますし、逆にその理不尽さがウリとなっていることもございます。
(まあ、それでもやはり、納得できない場合も多ございますけどね。
FFシリーズでも、判定なしにバッドエンドはございますな。
それで納得できないことも……。それと似たようなものでございます)
もう一つは、失敗すればクリア、成功すればクリア不可というような、極端な話ではございません。
が、ゲーム性と物語性を両立させつつ、失敗したほうがお得感がある方法でございます。
どういうことかと申しますと、
成功すれば、すんなり障害をパスできるけど、
失敗すると、目標にたどり着くのにさらなる展開が必要となる。でも、そのイベントが楽しい。
という仕組みでございます。
つまり、失敗したほうが面白い展開が用意されている、ということでございますな。
単行本として発売されたものとしては日本初のゲームブックの一つに
『騎士ローラン妖魔の森の冒険』(朝日ソノラマ)がございます。
このゲームブックの後書きに、次のようなことが書かれております。
あなたは小説や,映画を見ていて,たとえば主人公が悪役の罠にはまったりした時,(なんであんな単純なトリックに引っかかるんだろう?)とか,(僕ならああいう判断はしないな)などと考えたことはありませんか? あるいは,(私ならこちらの道を選んだのに。そうしたら一体どんな展開になっていただろう?)とか……。
この本はそういった,たくましい想像力をお持ちのあなたのために創られました。
これは、ゲームブックの説明として、非常に基本的なものだと存じます。
でも、考えてみてください。
映画などでは、しばしばそのような場面が登場しますが、
でもその「僕なら~」を採用した場合、本当に面白い話になるかどうかを……。
もちろん、そうなる話もございましょう。
でも、そうではない話も多くございます。
たとえば、
『ダイ・ハード』や
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は
失敗が面白い展開を生んでいく話だったように存じます。
主人公が完璧な行動をしていたら、お話にならない場合さえございましょう。
TRPGでも、判定に失敗したから面白くなったという例はございましょう。
と申しますか、もし失敗にシビアな要素しかないのだとしたら、
マスターの意味など半分になってしまうでしょうし、
TRPG自体の面白さも半減してしまうことでございましょう。
『ディオゲネスクラブ殺人事件』というゲームブックがございます。
シャーロック・ホームズもののゲームブックと申しますと、二見書房の『10の怪事件』が筆頭に挙げられますが、個人的にはホビージャパン社のこのゲームブックのほうが、ゲームブックらしくわかりやすくて好みだったりいたします。
一回しかプレイしていないので、実際のところはわからないのですが、
このゲームブックでおもしろいのは、判定に失敗しても、続きがあるということでございます。
成功していたら簡単にいきそうなところで、判定に失敗して、こりゃダメかな、と思いつつページをめくると、ちゃんと展開が用意されている。
こういうゲームブックだと、判定に失敗しても、ズルをしないで結果に従おうという気になるというものでございます。
あとは、『SDガンダムガシャポンウォーズ』。
このゲームブックの場合、判定に失敗した場合、デッドエンドなのはデッドエンドなのですが、
それが単に「君は死んだ」ではなく、ちゃんと工夫されていて楽しいのでございます。
ただ、このゲームブック、戦闘は主人公が勝ちやすくできているので、
デッドエンドになかなか行きあたらないという……。
わたくしも、ゲームをクリアして、あとで全体を読みなおして、改めて気づいた次第でございます。
このように、失敗しても面白い、というゲームブックなら、ゲーム的にも物語的にも条件を満たせると思うのでございます。
ただ、こうしたゲームブックは、けっこう少ないのですな。
理由は、作るのに面倒だからでございましょう。
ルートがそれだけ増えるのでございますから。
加えて、正解ルートでとおるパラグラフがそれだけ減るということでございますから、
ある程度のページ数がないと、満足できる作品にはならないのでございます。
そのため、判定に成功し続けてクリアした人からは、なんだこれだけ? と感想を持たれそうでございます。
正解ルートでより豊かな物語を読ませたい、しかもページ数の制約がある……、
となると、どうしてもメインの物語が中心になってしまいますな。
☆ ☆ ☆
失敗と申せば、『カイの冒険』は、エンディングが必ず失敗ですな。
どんなにがんばっても、ドルアーガに囚われに行く旅でしかない。
これについて、以前賢者の石井文弘さまに手紙で話題にしたところ、
もし、カイがドルアーガをやっつけてしまったら、ギルガメスの冒険がなんだったんだ、ということになる、
と、いうような答えが返ってきて、それはそれで正しいと思うのでございますが、ありえないレベルのシビアな判定で、カイがドルアーガを倒すというエンディングもいいと思ったのでございますよね。
もっとも、それでも、そのような可能性があると、やはりギルの冒険の意味は薄れてしまうかな?
特に、ゲームブックはズルができますし……。
難しいところではございます。