2024/11/21 ソニーがKADOKAWAの買収を検討している。交渉は早ければ数週間で決着する可能性も、という話が2~3日前飛びこんでまいりましたな。これが本当でしたら、KADOKAWAのサイバー攻撃直後から話があったのでございましょう。これが成立すると紙媒体が減りそうですなぁ。清濁併せ呑むKADOKAWAの濁の部分が捨てられそうな気も。niconicoなんて過激な書き込みはアウトになって、映画やアーチストのプロモーションに使われそう。コンピュータゲーム界隈も合併・再編で面白くなくなった気がするけど、そうなるんだんだろ……のかなぁ。まぁ、技術のソニーでございますから、サイバー攻撃に対してはかなり信頼度の高いものとなりそうではございますが。
「Role&Roll」vol.176 p.146、
黒田尚吾先生の「こじらせオタクのゲーム論」では、
パズルはゲームではない、競技性とルールがないからだ、とございます。
が、
競技性がないというのはわかりますが、
「ルールがない」というのはどういうことなんでしょ?
数独やイラストロジックにしても、目標とそこに到るための決まり事がございますが、
それはルールではない?
知恵の輪やペントミノ、ルービックキューブなどは、
その形自体がルールだと思うのですが、ちがうのかなぁ。
でもたとえば、将棋と詰め将棋では?
ーーいや、チェスのほうが純粋性が高いからたとえとしてはいいのかな?ーー
チェスと詰めチェスはいかがでしょう?
チェスはゲームで、詰めチェスはパズルだと思うのですよね。
で、その違いは人が相手かどうかぐらいだと思うのですが……。
定義が違うんでしょうねぇ。
ストーリーゲームを含めて考えるとややこしいことになるので、
ここでは省いて考えてまいりますが、
わたくしといたしましては、次のように考えております。
ゲームに必要なものとして、
まずは競技性。これは必須でございますな。
ただ、競技性と申しますと対戦を考えがちでございますが、
ここではソロプレイも含めて広く考えることにいたします。
そうしますと、得点、順位、対戦での勝敗などがこの要素として考えられます。
優劣の評価要素をつけることによって、ゲームらしくなるのでございますな。
純粋なパズルはたいてい、解けたか解けなかったかのみの評価でございますから、
そこが違うところでございます。
加えてパズルなら、
そこに純粋思考だけではままならない要素を加えることによって、
さらにゲームになるだと思っております。
たとえば、
制限時間や精神的な圧迫、反射神経(アクション性)などでございますな。
もちろんコンピュータや他の人間という要素も、この中に入ります。
単純なランダム性は、評価の分かれるところだと存じますが、
そうですね。初期配置のランダムはパズル(それで詰むこともございますが)、
途中にランダム要素があるものは、ゲームと申していいのではないでしょうか。
素早く申し添えておきますが、
これらはゲームとして面白いかどうかは別として、でございます。
スポーツやクイズについても同様。
得点など評価要素を加え、
さらに単純な身体能力や知識力以外の要素が加わることにより、
それらはゲームになるのだと思うのでございます。
クイズなら、
制限時間以外にも、なにか他のアクションをしながら答えるなどというのが、
テレビのバラエティ番組にございますな。
スポーツについては、
ただ単純に走ったり、ボールを投げたり、サンドバッグをたたいたりするだけでも、
まぁ体操と申せますが、ゲームとはいえない。
そこに時間を計ったり、得点を数えたり、対戦相手と対決したりすることで、
はじめてゲームたり得るのでございますな。
わたくしのゲームに関する認識は、こんなところでございます。
ソロプレイやプリミディブなゲームまでも含めて考えておりますので、
おそらく黒田先生の定義よりも広いということなのでございましょう。
黒田尚吾先生の「こじらせオタクのゲーム論」では、
パズルはゲームではない、競技性とルールがないからだ、とございます。
が、
競技性がないというのはわかりますが、
「ルールがない」というのはどういうことなんでしょ?
数独やイラストロジックにしても、目標とそこに到るための決まり事がございますが、
それはルールではない?
知恵の輪やペントミノ、ルービックキューブなどは、
その形自体がルールだと思うのですが、ちがうのかなぁ。
でもたとえば、将棋と詰め将棋では?
ーーいや、チェスのほうが純粋性が高いからたとえとしてはいいのかな?ーー
チェスと詰めチェスはいかがでしょう?
チェスはゲームで、詰めチェスはパズルだと思うのですよね。
で、その違いは人が相手かどうかぐらいだと思うのですが……。
定義が違うんでしょうねぇ。
ストーリーゲームを含めて考えるとややこしいことになるので、
ここでは省いて考えてまいりますが、
わたくしといたしましては、次のように考えております。
ゲームに必要なものとして、
まずは競技性。これは必須でございますな。
ただ、競技性と申しますと対戦を考えがちでございますが、
ここではソロプレイも含めて広く考えることにいたします。
そうしますと、得点、順位、対戦での勝敗などがこの要素として考えられます。
優劣の評価要素をつけることによって、ゲームらしくなるのでございますな。
純粋なパズルはたいてい、解けたか解けなかったかのみの評価でございますから、
そこが違うところでございます。
加えてパズルなら、
そこに純粋思考だけではままならない要素を加えることによって、
さらにゲームになるだと思っております。
たとえば、
制限時間や精神的な圧迫、反射神経(アクション性)などでございますな。
もちろんコンピュータや他の人間という要素も、この中に入ります。
単純なランダム性は、評価の分かれるところだと存じますが、
そうですね。初期配置のランダムはパズル(それで詰むこともございますが)、
途中にランダム要素があるものは、ゲームと申していいのではないでしょうか。
素早く申し添えておきますが、
これらはゲームとして面白いかどうかは別として、でございます。
スポーツやクイズについても同様。
得点など評価要素を加え、
さらに単純な身体能力や知識力以外の要素が加わることにより、
それらはゲームになるのだと思うのでございます。
クイズなら、
制限時間以外にも、なにか他のアクションをしながら答えるなどというのが、
テレビのバラエティ番組にございますな。
スポーツについては、
ただ単純に走ったり、ボールを投げたり、サンドバッグをたたいたりするだけでも、
まぁ体操と申せますが、ゲームとはいえない。
そこに時間を計ったり、得点を数えたり、対戦相手と対決したりすることで、
はじめてゲームたり得るのでございますな。
わたくしのゲームに関する認識は、こんなところでございます。
ソロプレイやプリミディブなゲームまでも含めて考えておりますので、
おそらく黒田先生の定義よりも広いということなのでございましょう。
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ゲームとは何か
自分としては、ゲームとは、「行為者がなにかをインプットすると、行為者にとって意味があるなにかがアウトプットされる」ということじゃないかと思うであります。
「ただ走る」ことだけでも、その結果として行為者に「走って楽しい」という、意味のあるアウトプットが返ってくれば、それは「ゲーム」と称して何のおかしいところもないと思うんですよね。道化の真実さんにとって「ただ走る」ことが単なる体操であって、「ゲームではない」と判断するのは、「ただ走る」ことが、道化の真実さんには何の意味のあるアウトプットも返してこないからでしょう。パズルも同じ考えでいいでしょう。そこは、「人による」としかいえないですね。味のまったくしないガムを噛むのは、食通にとっては「無意味」な「苦行」でしょうが、ボクサーにとっては「顎の筋肉をつける行為」であり、実際に「顎の筋肉がついているというアウトプットを実感できる」なら、それは一つのゲームと見ていいと思います。
ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」での概念としてのゲームというものは、そういうものじゃないかと最近考えているであります。
「ただ走る」ことだけでも、その結果として行為者に「走って楽しい」という、意味のあるアウトプットが返ってくれば、それは「ゲーム」と称して何のおかしいところもないと思うんですよね。道化の真実さんにとって「ただ走る」ことが単なる体操であって、「ゲームではない」と判断するのは、「ただ走る」ことが、道化の真実さんには何の意味のあるアウトプットも返してこないからでしょう。パズルも同じ考えでいいでしょう。そこは、「人による」としかいえないですね。味のまったくしないガムを噛むのは、食通にとっては「無意味」な「苦行」でしょうが、ボクサーにとっては「顎の筋肉をつける行為」であり、実際に「顎の筋肉がついているというアウトプットを実感できる」なら、それは一つのゲームと見ていいと思います。
ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」での概念としてのゲームというものは、そういうものじゃないかと最近考えているであります。
カイヨワの分類では、それは「遊び」ですね。
そのうち一人遊びのルドゥスかな。
カイヨワはゲームとは何かを定義づけてはおりません。
ですが、わたくしは、ゲームには判定要素(含む勝利条件)が最低必要だと考えており、それが一般的だと思います。
判断ではなくて判定。
あらかじめ決められたルールにより、成功か失敗かを決定するのがゲームだと思っております。
筋肉がついていることを実感する、というのは判断ですし、成功、失敗もない。いや、成功、失敗を感じることがあっても、それも判断でございます。
ゲームではない遊びでも、面白さや達成感はございますし、無理にゲームの範疇に入れることはございませんでしょう。
比喩的に使うのは構いませんが、それを定義とすると違う気がいたします。
大体、定義をそれにすると、ゲームの分類はどうなるんでしょう?
とっ散らかったことになると思いますよ。
カイヨワはゲームとは何かを定義づけてはおりません。
ですが、わたくしは、ゲームには判定要素(含む勝利条件)が最低必要だと考えており、それが一般的だと思います。
判断ではなくて判定。
あらかじめ決められたルールにより、成功か失敗かを決定するのがゲームだと思っております。
筋肉がついていることを実感する、というのは判断ですし、成功、失敗もない。いや、成功、失敗を感じることがあっても、それも判断でございます。
ゲームではない遊びでも、面白さや達成感はございますし、無理にゲームの範疇に入れることはございませんでしょう。
比喩的に使うのは構いませんが、それを定義とすると違う気がいたします。
大体、定義をそれにすると、ゲームの分類はどうなるんでしょう?
とっ散らかったことになると思いますよ。
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