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2024/05/14 数日前、テレビを点けたら片付けの番組をやっておりました。いっぱいになったガラス張りの食器棚から食器を全部おろし、空になった食器棚に並べていくのでございますが、その際食器棚をステージ、食器を俳優と考えるのだそうでございます。で、そのステージに立って見栄えのする俳優から並べていき、一人一人の俳優が輝ける以上は置かない。ゴチャゴチャする前にやめ、あとはは全部捨てる、というのでございますな。いやぁ、わたくしには出来ない。お金持ちの発想だなぁ。わたくしは捨てられる側だからなぁ。ゲームの資源管理と考えは同じでしょうが、それでも必要以上にシンプルにするというのは難しいかも。これも必要そうとか、予備としてみたいに入れちゃうものなぁ。
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「俺たちの俺」 京極夏彦 (「奇想天外21世紀版」P.193209所収)


 


「奇想天外」の話は、前回で終わるつもりでしたが、京極先生が、形式において変わった短編を書いているので、ちょっと触れておきましょう。


この「俺たちの俺」という作品は、「目が醒めると俺がいた」という書き出しがすべてを表しておりますが。まぁ、そういう話なのでございます。


形式における工夫と申すのは、見開きの片方のページに「俺」、もう一方にもう一人の「俺」の一人称で描かれているということでございます。


つまり、右と左とで視点が違うのですな。


それを貫いていれば、すごいのでございますが、3章ぐらいで話が動き出しますと、形式は維持しているものの、視点の区別はない一続きの話となり、それがちょっと残念。


最初の形を維持するのは難しかったのでしょうなぁ。


にしても、ラストだけは再びもとの形式に戻って、それぞれの視点で話を展開してほしかったところでございます。で、それぞれの「俺」が生き残る、別の結末が用意されていても良かったような。


 形式には手を加えないとしても、ラストの一章はどちらがどちらか分からない描写にして、結末を読者にゆだねるリドルストーリーの形にした方が、この作品には合っているのではございませんでしょうか。


 そう思うのでございます。


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