30年以上にわたってセビリヤで大司教をつとめた方なのだそうですが、なんと
インターネット利用者ならびプログラマーの守護聖人
なのだそうでございます。
2003年に正式に認定されたのだとか。
あらゆる職業に守護聖人がいるのでございますな。
このお方、思想家といたしましては大したことないのでございますが、
『語源録 または事物の起源 Etymologiae sive origines』という
全20巻にもなるありとあらゆる学問をまとめた、
中世最初の百科事典を執筆したことが認められたみたい。
古代末期から中世初期の時代において
知識の収集し簡潔かつ明快に紹介したことで、
いわゆる暗黒時代などともいわれる中世とその後の思想に
大きな影響を与えたそうでございます。
(中村保男:訳 1988/2/法政大学出版局 教養選書62)では、
次のように評しておりました。
能うかぎり多くの誤った知識を集めることをライフワークにしていた人である。」
存じませんした。
ウグイスとあまり変わらないころ鳴くのかと思っておりました。
それも知らなかったなぁ。聞いたことはあったかもしれませんが。
作者は不明らしく同じ方がみんな作ったかも知りません。
それにしても偉い方が待ち焦がれているのになぜ鳴かないでございましょうか。
みっけ
(KADOKAWA/2023/8)
本屋さんで見つけて買った本。
普段知りたいと思いつつ、
何気なく通りすぎているようなことってございますよね。
それをさまざまなモチーフと組合わせて
デザイン化している点でございまして、
実際眺めていて楽しい本なのでございます。
そうですな、
SCRAPのゲームブックに出てくるナゾトキのイラストレーションを思い出させます。
こんな風に楽しく描かれていたら、
今まであいまいにしていたこともちゃんと覚えられるな、
と思ったのでございますが、なかなかそうはうまくいきませんね……。
田中千尋:監修(廣済堂出版/2023/5)
図書館で借りてきた本にございます。
1ページ1項目、365項目にまとめた書でございますな。
知識ゼロからのタイトルどおり、目新しさはございません。
ですが、
うろ覚えの知識をはっきりと言語化してくれていることはありがたくぞんじますし、
その代表的な存在を一つ挙げてください。
その中で好きなのが、『風土記』河内国逸聞にある語源。
河内国の阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)寺のあたりを略して、
クタラ郡、クタラ村と呼んでいたのだそうでございますな。
で、百済から来た人たちが、そのあたりに住まわされていたため
「クタラ」と呼ばれるようになったというのでございます。
(参照:『風土記』下 現代語訳つき
中村啓信=監修・訳注 角川ソフィア文庫/平成27年6月)
白村江の戦い(663)以降、百済からの移民が増えたのは事実でございますし、
そのかたがたを一カ所に集めて住まわせたというのも、ありそうな話でございます。
彼らが日本の仏教に貢献したのは事実でございますしな。
『風土記』のこの記述、他の説と違って、
百済の人たちが自分たちをどう名乗ったかではなく、
日本人がどう彼らを呼んだかという視点であることも面白いですし、
信憑性もあるように思います。
時代劇でも、名字のない人に対しては、
○○村の□□さんみたいに住んでいる場所をつけて呼ぶことが、よくございましょ?
加えて、百済=ペクチェは日本人にとって発音しにくいですからな。
「クタラの人たち」と呼んだということは十分に考えられることでございます。
それに、なによりも、この説には驚きがある。
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)から
百済を「クダラ」と呼ぶようになったなんて、ちょっと思いつきませんものな。
最初呼んだときは、思わず、ええ~っと笑ってしまいました。
おそらく、他の説を唱える方は、そのあたりがイヤなのでございましょう。
他の由来としては、
当然ながら韓国の言葉にその語源を求めるものがほとんどでございます。
でも、語源はひとつではないということも考えられますな。
百済の人たちは、「クタラ」と聞き取れそうな言葉を名乗っていて、
日本では「アノクタラ」の人と認識していて……。
そういうことは、ままあることでございます。
マンガの原作を手がけたこともあるのはご存知でしょうか?
「ログイン」誌 1983/10
●スターゲームデザイナー登場!
によりますと
デビュー作は、以下のとおりでございます。
p.154
堀井――そうですか。実は、ボクは(劇画原作者の)小池一夫さんの主宰する劇画村塾の第3期生なんです。今度『別冊マンガアクション』で、本田一景というペンネームで原作者としてデビューしたんですよ。平野仁さんが画を描いてくれた『赤いドレス』という刑事モノなんです。
いつのことかはわかりませんが、このインタビューが、1983.7.16と書いてございますから、それに近い時期ということはまちがいなさそうですな。
(引用の太字とか色はわたくしによります。
特に断りが入っていなければ、このブログでは基本的にそうだとお考えください。
ちなみに、インタビュアーは、塩崎剛三という方でございます)
これ、『ポートピア連続殺人事件』(もちろんパソコン版の)が出たときのインタビューですから、
当然それよりもあとの話ということになりますな。
それがちよっと残念。
『ラブマッチテニス』で、第一回エニックス・ゲーム・ホビープログラムコンテストに入選し、
デビューする以前の話でしたら、面白いのに――。
『ジャンプ』『OUT』、『セブンティーン』などという雑誌で、
ライターとして活躍していたのでございますから、
その可能性はありそうですのに――。
でもまあ、本田一景原作の作品として、
ネット上に
『ゴルゴ13』(さいとうたかお)の
「サギ師ラッキー」
「アイリッシュ・パディーズ」
「イリーガルの妻」
「弾道」
や
「探偵桃語」(作:本田 一景/画:三山 のぼる)
はございましたが、
この作品については出てこないみたいですので、
ここに記しておくことにいたします。