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2024/11/21 ソニーがKADOKAWAの買収を検討している。交渉は早ければ数週間で決着する可能性も、という話が2~3日前飛びこんでまいりましたな。これが本当でしたら、KADOKAWAのサイバー攻撃直後から話があったのでございましょう。これが成立すると紙媒体が減りそうですなぁ。清濁併せ呑むKADOKAWAの濁の部分が捨てられそうな気も。niconicoなんて過激な書き込みはアウトになって、映画やアーチストのプロモーションに使われそう。コンピュータゲーム界隈も合併・再編で面白くなくなった気がするけど、そうなるんだんだろ……のかなぁ。まぁ、技術のソニーでございますから、サイバー攻撃に対してはかなり信頼度の高いものとなりそうではございますが。
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『リヴィジョンズ1』木村航  原作:S・F・S
2018/12/20『リヴィジョンズ1』
 ハヤカワ文庫JA(2018/12)
 
 木村航先生の新作。

 先生は、リンクの『野望の王国』入り口に
引用された献辞にもあるとおり、
賢者の石井文弘さんや薄羽かげろうさんとも関係あるので、
このブログにも多分関係があるのだ……
会ったことないけど。
 
 原作のS・F・Sさんはよく知らないけれど、
オビによると、2019年1月からのテレビアニメとして
放映されるのだそうだ。
  
 ジャンルは、時間SFの要素を持ったロボットもの。
  
時空振動によって2388年にとばされた渋谷で、
5人の少年少女がロボットに乗り込み、敵と戦うというストーリーだ。
  
 日常。
 
 地震。

 怪物の出現。
 
 7年前の回想を交えながら、視点をさまざまに移動し、物語は展開する。
 
 情報の出し方がうまい。
 コントロールされ、小出しにされるそれが、謎をはらんで読者を先へとうながす。
 
 このあたりは、ネットゲーム
 (大規模メールゲームの遊演体での名称。
  この「ネットゲーム」については説明したいこともあるが、長くなりそうなので省く)
で鍛えられたものだろう。
 
 日常の描写は、『ぺとぺとさん』や『愛とカルシウム』など、
現実にすこしふしぎを加えた作品を多くものにする中で、作者が培ってきたものだ。
 
 その丁寧な日常が揺るぎない土台となって、
時空振動という大きなSFやロボットものの派手さを支えている。
 
 最初から登場する主人公の一人、堂島大介は、
 兜甲児を現実世界に落とし込んだようなキャラクター。
 いそうで意外と他にないタイプだ。
 直情径行で物語を先に押し進める。
 
 7年前の事件が特にそうだが、全体的に、大長編のドラえもんの雰囲気を自分は感じた。
 
 災害に対応する政治の部分は、アフター『シン・ゴジラ』を感じる。
 それともアフター震災か。
  
 そういうリアルな世界だから、主人公たちも能天気に暴れ回ればいい
というわけにはいかない。
大介たちも警察に捕まってしまう。
 
 
 だが、
 そんなリアルな世界に水を差すように読者の前に姿を現すのが、22章。
「敵」リヴィジョンズサイドの面々だ。
 
 ケモミミ女とマンガ的に擬人化された犬、それにゴスロリ幼女。
 これまでのリアルは何? と問いただしたくなるようなキャラクターたちだ。
 
 スーパーロボットものでは、確かに敵陣営といえば
変なキャラクターは珍しくもないが、これでは今まで構築してきた世界が台無しなのでは?
 そう思いつつ、読み続けることしばし……。
 
 ふと気がついた。
 
 これは、『鋼鉄の虹』だ、と。
 
 『鋼鉄の虹』は、
1995年に遊演体が開いたネットゲーム(重ねていうが大規模メールゲーム)。
 
 
2018/12/20 『鋼鉄の虹』

 ↑ 『鋼鉄の虹』スターティングマニュアル裏表紙と、総集編表紙 
 
 
 
 ヒトラーの影迫る架空の小国ケルンテンを舞台に、
イェーガーと呼ばれる基本5~6メートルほどの乗り込み型ロボット同士が戦う世界だ。
 当時の技術では当然作り得ない兵器だが、
その上位機種である「ウービルト」という優美な機体も存在する。
 
 「パンツァーメルヘン」のうたい文句どおり、妖精や吸血鬼なども闊歩し、
物語中盤からはそれらロボットと妖異の原郷であり、
人々の集合無意識世界であるフェルネラントが確認され、それが具現化する。
 
 プレイヤーの役割は、リプライ(遊演体宛の手紙)の形で、
この世界にいる自分のキャラクターに意思を送り込むことだ。
 それによってこの動乱の世を動かしていくのだがーー。
 
 
 総集編のあとがき「GMの遠吠え N95を振り返って」を読むと、
挑戦的な作品だが、それがあふれすぎて思うようにいかなかったことが垣間見える。
 
 GMの水無神智宏先生が、ネットゲームについていろいろと知っていたものの、
実際にプレイしていなかったというのも問題だったのかも知れない。
前にも書いたが、理論から入った人は、そのジャンルが好きで入った人にくらべて、
どうしても受け手とは温度差ができてしまうものなのだ。
 
『鋼鉄の虹』の場合は、1930年代後半という舞台の共有の難しさや、
1年とはいえ実質10回ぐらいという行動の少なさ、
そしてテーマである「ストーリー依存からプレイヤー主導へ」のはらむ難しさ
(おそらくは矛盾)が問題だったのだろう。
 
 インターネットの時代なら、これらのうちのある程度は解決できたと思う。
早すぎた意欲作でもあったのだろう。
  
 どんな作品でも、作者にとって心残りになる部分はなにがしか存在すると思うが、
魅力的な作品なだけに『鋼鉄の虹』は、それがひとしおのものだったのだろう。
「遠吠え」には、それが感じられる。
 
 と同時に、その思いは他の人にもあったのではないだろうか。
 
 そうした思いが『リヴィジョンズ』を作り上げたのだと考えると面白い。
 
『鋼鉄の虹』の問題点を洗い出し、検討し、練り込み……。
よく考えた上で現代に落とし込んでいる。
 
 そこには関わった人の経験も込められているのだろう。
 
 異形の怪物やアニメキャラクターそのもののリビジョンズと、
ストリング・パペットというロボット(パワードスーツ)を提供するアーヴ。
この対立構造は、『鋼鉄の虹』のエルダとオーディンをそのまま現代に置きかえたものだ(☆)。
 
 
 舞台をどこか昔の国から現代日本に変え、
 
 どことなく曖昧だったエルダやオーディンの脅威を、
どちらのサイドにしたがっても半数がおそらく助からないと、
はっきりと人類の未来に関わるものとして、提示しているのもいい。
 
 アニメーション作品だから当然だが、
主人公たちをプレイヤーの手にゆだねないことも正解だろう。
 プレイヤーにはプレイヤーの思いがあり、
制作者側の思い通りにはいかないものだから
(というよりも、思惑どおりに動いたとしたら、むしろそれも変だと思う)――。
 
 主人公たちの行動に思いを重ねることで、自立的な行動をうながす――。
『鋼鉄の虹』の意図とは逆だが、物語の役割としては非常に正しいものだ。
 
 
 
 ミロの所属するアーヴの真意は、一巻の段階では明らかにされていない。
ただ、そのプランでもやはり半数の人々の命が助からないことがほのめかされているだけだ。
 
 次巻以降、それが明らかになり、現代人は苦しい選択を迫られるのだろう。
 そして、アーヴと彼らの間に立つミロもまた……。
 
 7年前の優しかったミロというのは、
その苦しい選択を乗り越えた未来からやって来た……のだろうか。
 
 次巻以降が気になるところだ。
 
 
 
 
 
 
(☆) 集合無意識の世界であるフェルネラントとオーディン・エルダは、
『鋼鉄の虹』では、GMが感じた「ネットゲームの現状」の比喩だった。
 そのことを踏まえて考えると、アーヴ・リヴィジョンズはもしかすると、
市場原理に左右され、表面的なかっこよさやかわいらしさ、
ウケが先行するアニメなどの現状を重ね合わせているのかも知れない。
 あるいは昨今蔓延する安易な異世界願望充足小説も視野に入っているのかも……。
 
『鋼鉄の虹』のテーマは「ネットゲームの現状に対する警鐘」だった。
もし『リヴィジョンズ』がそれに倣うのだとすれば、そうした
「アニメなどの現状に対する警鐘」の意味合いが込められていることもあり得るだろう。
 
 それが生硬な形で現れてくることはないだろうが。

 
 
☆ おまけ

2018/12/25 イェーガー

イェーガー。
(アーベル・アインシュタイン氏の紳士録『Wer ist Wer』(同人誌)
  4月15日発行号の表紙に描かせていただいたもの)

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